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2010/12/31

では、よいお年を。

きょうで、2010年はおわり。いろいろ、ありがとうございました。

新年は、1月6日発売の『d a n c y u』2月号に登場するほか、3月まで毎月、なにかしら執筆したものが発売の予定です。でも、その後は、どうなるかわかりません。イチオウ、いま構成が詰まりつつある本を仕上げたいと、思っています。これが、なかなかよい構成になりそうと、コーフンしている。

コーフンといえば。東京カルチャーカルチャ@お台場での「古墳でコーフンナイト」は、年明けに打ち合わせがあって、第二弾が決まるでしょう。

その古墳トークの相方、スソアキコさんの帽子展が、すでに告知したように、1月2日から始ります。
2010/12/15古墳トークのスソアキコ帽子展×久家靖秀の写真。

久家さんの写真、スソさんが「すごくカッコイイ」といっていたけど、ほんと、すごいカッコイイです。ぜひ、ごらんあれ。

そして、久家さんとおなじ美術系同人誌「四月と十月」の同人で、北九州在住の画家、田口順二さんの個展が、お茶の水のギャラリーで開催されます。
1月8日~15日まで。
トライギャラリーおちゃのみず
http://triochanomizu.jugem.jp/?pid=1
東京で田口さんの絵をみるチャンス。こちらも、ぜひごらんあれ。

みなさん、新年早々からご活躍ですね。大いに、やりましょう。

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2010/12/30

来年も、力強く生きよう。

また、一年が終わりますね。
橋本健二著「居酒屋 ほろ酔い 考現学」毎日新聞社刊を読んでいたら、
遠藤さんのことが書かれていました。

私は一昨年、脳梗塞を起こして、一時的に右手の麻痺を経験しましたが、
手当が早かったので、後遺症は全く残りませんでした。
お酒もタバコも続けています。仕事のストレスと脂身のコレステロール、それに心臓と脳の薬漬けの毎日です。


……と、メールをくれた男は、数年前だったかな? 心臓にペースメーカーを入れた。そのころ電話で話し、それ以来の音信だろうか? そうでもないかな?

おれより、ひと回りぐらい年下で、生まれつき心臓の持病があり、かつて毎日一緒に仕事をし朝まで酒をくらっていたころは、よく山やスキーにも一緒に行ったが、ときどきその最中に発作をおこしていた。よく生きながらえ、かつ会社経営をしているからとはいえ、ストレスがたまるほど仕事をし、それに、とにかくアブラが好きだし、タバコも酒も好きなのだ。

新宿歌舞伎町のフィリピンパブで、どんちゃか騒ぎをしてから、まだ10年はたっていないと思うが、あれから出張先で心臓発作をおこし、そのまま1年かそこら入院することになり、ペースメーカーを入れたはずだ。そして脳梗塞。

この男と、やや「特別の関係」になったキッカケは、よく覚えている。彼が25~7歳ぐらいだったろう。おれは30後半。

その朝というか午前、おれは二日酔いで、会社の会議室の奥のソファーで横になっていた。大きな深いソファーで、そこに横になると、身体がスッポリ埋まり、入口のドアを開けたぐらいでは、みつかりにくい。しかも、入口の近いほうに、会議用のテーブルがあり、あいだにボードがあったりで、ほぼ完全に死角なのだ。

と、その会議用のテーブルに、会社の幹部連が集まって話を始めた。それが、この男はダメだからクビにしようという相談だったのだ。じつに腹立たしい話だった。おれは、二日酔いの頭で、立ち上がった。うかつにも、そこにおれがいるとは知らなかった彼らがおどろいたのはいうまでもない。その場で、こいつのことはおれにまかせてもらうことにした。といっても、おれも、クビの皮一枚でつながっているような状態だったのだが。

それから、なにをやるにも、ほとんど一緒だった時期があった。けっこうメチャクチャもやった。いい仕事もやった。その後、おれたちは会社をつくり、おれが会社を離れフラフラしているあいだに、こいつは、つくった会社を軌道にのせ大きくした。そもそも金儲けは嫌いじゃないほうだし、資本主義のリクツもよくわかっているほうだし、ま、うまくやってきたといえる。

おれは、メールの返信に、こう書いた。「あんたのような、いろんなところを悪くし、悪くなるようなことばかりしているものが、けっこう長生きするかも知れない。」

「乱暴な生き方」というのは、なかなか公然とはひとにすすめにくいし、乱暴をやろうと思ってする乱暴はツマラナイことが多いのだが、なんてのかなあ、ま、こんな人生もあるってこと。

えらそうに「あいつは、ダメなやつ」なんて烙印押している連中が、いちばんクダラナイ存在なのだ。

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2010/12/29

「やきとり駅前」という看板。

008

このあいだ、蓮田の清龍酒造の新酒祭りに行ったとき、蓮田駅の清龍酒造とは反対側、東口そばにある「やきとり駅前」を撮影した。ここのたたずまいと看板が気になっていたのだ。

ここに入ったのは、9月のことで、すでに書いてある。
2010/09/09蓮田で泥酔。泥酔でコメント。

………………………………
前から、ちゃぶだいのタイショーと、タイショーの地元で飲もうということになっていたが、きのう実現した。東大宮から一駅、蓮田で18時半待ち合わせ。タイショーの案内で、駅東口近くの「やきとり駅前」という、そのものなテキトウ店名のところ。細い路地に、数軒ばかりつらなった、昔なら「バラック」と言いたい、簡単な造りで、路地とはいえ前が空き地で自転車置き場になっているので、路地の雰囲気はないが、共同便所があって、かつての「闇市跡」によく見られたような風情。そこで、やきとり駅前の看板は、ひときわ目立つ。その大きさも大きく、店名が踊るようなザックリ太い文字。
………………………………

0081かつての駅前闇市跡には、こんなだだっ広い駐輪場はなく、バラックかそれに近い粗末な建物がギッシリつまっているのが普通だったが、そこにある看板は、たいがいこのように、ただ「やきとり駅前」という感じだったのを、この看板で思い出した。

つまり「やきとり」とか「めし」や「酒」という文字だけが大きく目立つ看板がフツウの時代があったのだ。

もちろん、いわゆる個別性を示す店名はあったが、大きな表示はなく、ただ「大衆食堂」の文字が大きいだけだったり。

新宿西口のション横などは、店名など関係なく利用していたが、探せば見つかる、探さなくては見つからないていどに、店の上の薄暗い片隅に店名を書いた小さい表札のようなものが、いまでも残っているところがあるが、そんなものだった。

ようするに、店名より、「やきとり」「めし」「酒」といったブツのほうが、モノを言った時代があったということだ。

そのことを、蓮田駅前の「やきとり駅前」の看板で思い出した。

いま、こういう看板は、この場所で、はやく掲げたもの勝ちという感じであるが、この「やきとり駅前」は、それなりに飲兵衛に応えるポリシーを示している感じでもある。飲兵衛が、気取るんじゃねえよ、とも読めるのだ。

客の前のカウンターで紙パックの安酒をトックリに注いで燗をつけたり、店内に漂う猥雑感など、けっして「名店」といわれる存在ではないと思うが、大衆的な飲み屋の本質を押さえた深い主張を感じる。

「文化」は知識人や文化人がつくるものだという、日本の悪しき精神の惰性のなかでは(そもそも、たいがいの「名店」は、そうしたもので観念的につくられてきた)、こうした即物的な精神は「文化」として評価されないのだけど、大衆食堂にしても、即物的だけど人情の通う文化というものが、庶民のあいだには確かに存在する。

このスピリットを、もっと大切にしたい。

めんどうな原稿を書き上げた。これでナントカ年はこせるか?

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2010/12/28

『重箱のすみ』から「小説 さばの味噌煮」。

前のエントリーで「重箱のすみ」という言葉をつかったが、ことしは『重箱のすみ』という本を買って読んだ。

いま「本好き」という業界では、「積どく」ほど本を買い持っていることが、「本好き」の条件であるかのような気配なので、おれは「本好き」のうちに入らない。ことし買った本は、仕事で必要なものを含めても、20数冊だろう。仕事に直接関係ないものは数冊にすぎない。かといって本を読まないわけではない。ほぼ毎日、読んでいる。

何度か書いているが、おなじ本を繰り返し読んでいるのだ。一冊を読みきるのにも、時間をかける。二度と読まない本は、すぐには処分されないが、なんとなく邪魔だなとおもうと、いつのまにか捨てられる。ライターなんていう稼業をやっている割には、書棚はガラガラで、蔵書は極めて少ない。こういう人間が増えては、本業界は商売にならないだろうから、「本好き」の仲間には入れそうにない。

ところで、ことし、なんとなく作家に興味を持って買った本の一冊が、『重箱のすみ』なのだ。著者は金井美恵子さん。この著者が、なぜ気になったのか、そのキッカケは思い出せないのだが、まず、ことしの初夏のころだったかな? 「みちくさ市」で、岡崎武志さんの店に金井美恵子さんの本があったのが目にとまった。そのとき、この作家は一度は読んでみたい作家だと思い、値段も手ごろだったし、買った。『日々雑録 ひびのあれこれ』である。

そのあと、暑い盛りの「みちくさ市」で、漫画屋の塩山芳明さんの店に、同じ作者の本が数冊あった。そういえば、塩山さんと金井さんは、同郷の群馬であると気づき、そして、そういえば、塩山さんの文章や文章に見られる根性?視線?は、どことなく金井さん風なところがあるなと思った。ま、ウンコがアンコに似ている、というような感じかも知れないが。とにかく、『日々雑録 ひびのあれこれ』を読んで、もう一冊は読んでみたいと思っていたので、その数冊ある中からどれがよいか、塩山さんと相談しながら、塩山さんもオススメだった、これにした。

ようするに、どちらも古本で買ったのだ。

『重箱のすみ』は、とても気に入っている、というか、何度も読める本で、安い買い物だった。

帯に、あとがきからの文章がある。その部分は、こうだ。

…………………………

「(どうでもいいような)細かいことまで取り上げて、(いかにも、意地悪に)うるさく言う」といった、いわば否定的な意味で使われる「重箱の隅をほじくる」という俚諺が、いかにも、私のある種の文章を評するのにぴったりだ、と考える人は、ことのほかに多いかもしれないし、一見、そのように見える内容が本書に書かれているのも事実だが、しかし、ほとんど人のかえりみない、重箱の隅に溜った埃や汚れを、楊枝でつつきながら、著者の考えていることは、別のひろがりと深さをひそめてもいるのだ。

…………………………

自ら「著者の考えていることは、別のひろがりと深さをひそめてもいるのだ」と堂々と言い切るあたりは、いかにもこの作家らしいが、たしかに、ここには、金井美恵子的「広がりと深さ=宇宙」が、ふんだんに見られる。

宇宙は、重箱のすみに存在する。存在はするが、それが見られるかどうかは、人しだいなのだろう。「重箱の隅に溜った埃や汚れを」ほじくってよころんでいるだけの人も、いるのだ。と、思ったとき、「小説 さばの味噌煮」というタイトルが浮かんだ。

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2010/12/27

「訳あり」と「萎縮」のなかで。

ことしのスーパーの店頭では「訳あり」商品が目立った。たとえば、ジャガイモなど一袋が、ばか安で売っているから、手にとってみると、「訳あり」との表示がある。ワゴンに、カンヅメが90円均一ぐらいで売っている。これにも「訳あり」の表示があって、このばあいは、缶が少し変形しているなどでわかりやすい。

ようするに、デフレのなかで、売価を上げないで利益を確保するための、店側の策だろう。「訳あり」のばあいは、どこかしら瑕疵があるにちがいないが、ほかにも、野菜などは、かなりサイズの小さいものや、以前は店頭で見ることはなかった「等外」のものが、並んだ。デフレ対策のうえに、猛暑の夏の影響もあるのかも知れない。

おれのばあい、単純に安いだけで、うれしい。安いだけで選ぶバカがいるからデフレから脱却できないのだ、なーんていう余裕があるらしいバカがいるが、「安いはうれしい」をアタリマエにできないような経済は、おれには必要ない。

安いだけでうれしいが、「安いはうれしい」とならないのが、モンダイなのだ。おれは安い材料を買ってからメニューを考えるほうなので、ことしは、そういうことで「損失」もあった。つまり、いくらなんでも「訳あり」すぎて、どう料理しても使い物にならない野菜をつかむことがあった。貧乏くさくやっていると、ますます損をする好例かも知れない。ようするに、貧乏だと、このていどのものしか食えないという、いまの日本の貧乏くささは、そうとうヒドイものだとおもうが、あまり騒がれないのは、なぜだろう。

えーと、なんの資料か忘れたが、もうかれこれ「失われた10年」から「失われた20年」になるのだそうだ。そういえば、そうだな。ようするに、「不況」しか知らない若者が増えている。

まさに「縮み」のなかで、子どもから「成長」したわけで、現在の30歳ぐらいだって、青春期からは「縮み」傾向のなかで生きてきたってわけだ。

考えてみれば、これはもう大変なことだ。

しかし、まったくトンネルを抜け出す展望はないね。どこかに、展望は、生れているのだろうか。けっこう、ことしはとくに「ツイッター」なんてものが流行って、「つながり」なんてのがブームのようなアリサマだけど。

そもそも、トンネルを抜け出そうという、なにかほとばしるような動きも感じられない。けっこう楽しそうにやっていても、サロンがでかいか小さいかの違いぐらい。自殺者は、あいかわらず3万人をこえる状況が続いていて、来年は改善されるという楽観もできない。

こういう萎縮しきった時代には、自分たちの楽しみで精一杯のようだ。広く社会を考えたり、大きな宇宙のなかに自分の生き方を置いてみるなんてことは、論外なのだろう。貧すれば鈍する、ってことか。

チマチマとした枠のなかでの、チョットした成功で注目あびたぐらいで、なにものかになった気分。そんなものが、ツイッターやネットなどにも、あふれている。ま、自己宣伝が大事な時代だってこともあるだろう。でも、異文化との交流の少ない、旧態依然の小さな集落の長老の自慢話みたいなものが少なくないね。そういうものは、青春期から「不況」しか知らない人たちにとっては、よその宇宙の話みたいなんだろうなあ。

でも、世界は、広いのだ。

とりあえず、酒でも飲もう。少し、おれの小さな展望は見えてきた。
重箱のすみから、広い世界につながる、アクティブでパンクでファンキーな展望を!

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2010/12/26

テンションの維持が難しい年末年始。

きのうの夕方、スーパーへ行ったら、クリスマス系は主役の座をおりて、お鏡などの正月系に売場が変っていた。きょの夕方、スーパーへ行ったら、冷蔵ケースのなかには、凍ったままの正月系食材がならび、その隅に、クリスマス系が5割引きぐらいで売っていた。酒売場も同様で、そのクリスマス系の鶏肉だのスパークリングワインだのを、どっさり買っているオヤジがいた。

なんとなく、雪崩を打ったように正月にむかって動いているようだが、年内にやってしまいたいことがある。年内か年明けか、どちらかになる予定だった、大阪取材が年明けに決まり、ということは、原稿の締め切りまであまり時間がないうえ、ほかの締め切りと重なることになった。ほかにもあって、取材が必要のない年内にできることはやっておきたいのだが、資料を欲しいにしても相手方は、もう明日から、というより、23日から、ことしはオワリの気分である。そのように、もう来年のことでいいじゃないのさ空気が、ますます濃くなって、バカヤロウ、こっちはそうはいかないのだ、ちゃんと資料を作ってよこせ、の気分なんだが、イマイチ本気になれない。

きょうあたり、二日酔いでグダグダしているやつが、たくさんいるのだろう。と、おれは、こういうときは、きのうもだが、朝から一滴も飲まずに、仕事に励んでいる。もちろん夜は一段落してから飲んでいる。朝から一滴も飲まないなんてトウゼンといわれるかも知れないが、飲むのがフツウだったのだから、仕方ないね。で、やっぱり、飲まないで仕事やっていたほうが、快調ですわ。酒なんか、あんなもの、飲むもんじゃないね。

とにかく、あと少し、という感じなんだが、そのあと少しが、なかなかすすまない。

やっぱり酒飲みながらのほうが、一気にいくのかな。

なんにせよ、まわりはすでにダレ切っているなかで、テンションの維持が難しい。

来年の手帳も買いに行きたいのだが。

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2010/12/25

クリスマスだもの、教会の案内をしよう。

いやあ、まったく、この教会のサイトにある、「牧師からのあいさつと当教会のご案内」を見て笑ってしまった。
http://www.kirisutokyokai.com/

「教会に新しい訪問者が来られると「このような雰囲気の教会はどのようにしてスタートしたのか」とよく質問されてしまいます。そんな理由から、ちょっとだけ「私たちの教会のあゆみ」を説明して、私たちが望んでいる姿を分かっていただけたらと思います。」

と始るのだが、この牧師の教会の雰囲気というものは、なんとなく想像がつく。

「当教会が望んでいる教会のかたちは」について、こうある。

1、みんなが自由に何でも話せる教会
2、楽しい教会
3、気軽に来れる教会

ま、これぐらいは、教会にあっては、フツウかどうかは知らないが、人を集めるためにはフツウだろう。
でも、つぎの、これは、どうか。

4、冗談がわかる教会(なごみと励ましが生まれる教会)

ここで、おれは声をあげて笑って、ただちに彼、つまり牧師さんに電話をした。
これはもう、いかにも彼らしい。
彼の冗談は、もうずいぶん聞いてきたが、そりゃもう年季が入っているし「真打」ですよ。

そもそも、彼と出あったのは、1970年代後半か80年ごろだったとおもう。彼は、30代前半かな。おれは後半。彼のパスポートは、まだ「副牧師」で、日本とアメリカどっちに住んでいるのか、よくわからん状態だった。

しばらくは、冗談ばかりで過ごした。そもそも、おれが冗談ばかりの飲み会をやっていたのであり、そこに、おれの知り合いに連れられて、彼はあらわれたのだ。このばあいの「冗談」は、ようするに文字通りの冗談で、「無駄話」とイコールである。「笑って楽しもう」というような「目的」すらない。

なんだかわからない、ただひたすら飲みながら「無駄話」をするのである。あうと無駄話ばかりだから、まったく無駄な付き合い。もちろん、なんの結論もない。なんの結果もでない。結論も結果もない話の繰り返し。そして、ビジネスが生れた。

とにかく、だから、この牧師の教会の雰囲気というのは、たぶん、おれがやっていた飲み会のようなものだろうとおもう。そのように想像するのだ。

ここで、「冗談」に関するウンチクを述べ、おれと彼がやったビジネスを語ると長くなるから、つぎへすすもう。

もちろん、おれがやっていた飲み会とちがうのは、つぎの点だ。

5、聖書を教えてくれる教会(「聖書」の学びができる教会)

いまでもビジネスの付き合いがあって、途中で空白があるとはいえ長い付き合いだが、彼の教会は一度も訪ねたことがない。ほとんど興味の対象ではないのだ。

不信心不道徳不倫が大得意のおれだから、おれのほうが神様に近いとおもっている。だから、この牧師さんには、酒の味を覚えさせ、神に近づけてやった。神に近づけてやったかわりに、おれもけっこういろんなことを学んだ。

このサイトがあるのも、つい最近知った。ま、おれに教えたところで、大いに冗談(無駄)であることは判断ついているだろう。ところが、おれは、「冗談がわかる教会」に、大いによろこんで、ここに紹介する気になった。紹介しても、無駄だろうが。

ちかごろ、冗談がわからんというか、冗談がなさすぎ。すぐ、結論や結果をほしがり、白黒をつけたがる。「冗談」というと、ひとを「笑わせなくてはならない」「笑わなくてはならない」というのが、そもそも冗談がなさすぎだ。

この牧師さんがボスのビジネスのミーティングがおもしろい。もちろんそれは教会ではない会社のことだし、場所も教会ではなく、「飲みーてぃんぐ」といって、おれが加わるミーティングは、たいがい居酒屋になる。しかも、牧師さん以外は、あまり信心深いほうではない。

ところが、ときどき、牧師さんは、おもいっきり冗談をいって、おもいっきり場を白けさせる。具体的なテーマについて、ロマンに満ちた冗談をいう。それぐらい、冗談をいい、かつまわりは耐える。そこに「愛」が育つ。おれは、聖書の一行も知らないが、たぶん、その「愛」は、聖書が語る「愛」なのだろうとおもっている。彼がいるところ、「冗談がわかる教会」になってしまうのだ。

考えてみれば、ビジネスの場にこそ、冗談が必要なのだろう。しかし、ビジネスは、冗談が多すぎるとツライことになるのも事実で、冗談がないのもツライし、冗談が多いのもツライし…となったら、「冗談がわかる教会」で冗談に過ごすのもよいかも知れない。

この教会は、行ったことはないが、ビルかマンションの一室である。権威と荘厳に、ひれ伏したい方には、むかないだろう。聖書を「情報」として知りたいだけでも、彼は適切に対応してくれるだろう。そうですねえ、アメリカとのビジネスを考えるなら、それはそれで役に立ってくれるかもしれない。ビジネスには、対価がともなうでしょうが。カネがあって、「生きがい」のために使いたいなんてひとは、ゼヒ訪ねるべきかも。

おれのブログなんか、ほとんど冗談だから、「冗談がわかるブログ」であります。

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2010/12/24

下北沢ザ・スズナリ猫のホテル公演のち笹塚からすみ三昧。

きのう。14時から、瀬尾幸子さんと下北沢ザ・スズナリで猫のホテル公演「イメチェン~服従するは我にあり」。池田鉄洋さんや、朗読でお世話になっている村上航さんが出演するのだ。

なんと始まりは、おれの故郷が舞台。魚野川だのなんだの、知っている地名が登場。その選挙区で、土建屋の社長から、中央政界へ成り上がった男=丸岡幹二と、その愛人=竹村静江を軸に、2人をとりまくさまざまな人物が登場し、コントをつなぎあわせるように、舞台は展開した。

つまりは、おれの故郷、かつての新潟3区の田中角栄がモデルだ。田中角栄が史上最年少で入閣し、中央政界を騒がせるようになるのは、おれが中学のときだった。そして1970年代前半、おれが自民党の選挙キャンペーンの仕事で本部の幹事長室などに出入りしていたとき、田中は首相だった。そして例のロッキード。主に、その間が、物語の舞台なのだ。

田中角栄をモデルにしているし、娘のマキコや、その夫とそっくりの人物も登場するが、もちろん、そのまんまではない。登場人物一人ひとりが、現実なのか役柄なのか。役者というシゴトにおいては、人の内面を顔に表すことをしているし、ワレワレは、現実社会で自分の役柄を演じている面があるわけで、その表情に内面があらわれる。そこんとこを、芝居の役柄とだぶらせたというか、縒り合わせたというか。というあたりで、ようするに虚実皮膜のあいだの、「顔」や「表情」が見どころ、といったものだった。と、おれは観た。はて、おれは、どんな役柄を、どんな顔をして演じて生きているのか。

というわけで、物語のスジや山場などは、それほど特徴があるわけじゃなく、盛り込まれている善悪観などは常識的なものだが、最後のほうで、よってたかってもみくちゃにされ「悪事」をあばかれ失脚した丸岡が、このようなことを言う。

ようするに、おれはおれのためにいろいろやってきたが、おまえらのやっていることは、そのおれに対するリアクションでしかないではないか。

誰かに対する、リアクションやコンプレックスでしかない存在。そういう役柄でしかない存在。その顔や表情。

003_216時過ぎ、芝居が終わったあとは、笹塚のM女史宅を訪ねることになっていた。とにかく、笹塚へ移動。瀬尾さんおすすめのおにぎり屋で、おにぎりを買い、まだ時間があるので、路地に開いている居酒屋を見つけ、生ビール。あたたかったこともあるし、のどが乾いていたので、生ビールがうまかった。2杯飲んだところで時間。笹塚駅で佐々木香織さんと合流。

M女史が、築地でボラを買い、自ら「からすみ」作りに挑戦した。ほかにも、おでんや粕汁も、たっぷりあった。どれも、うまーい。酒は黒牛のほかに、瀬尾さんと佐々木さんが持参の秋田の酒。どれも、うまーい。ってわけで、とにかく食う飲むしゃべる。なんだか、わりと「大人の会話」が多かったですね。

からすみを一本ずつ土産にもらって、もうゼイタクうれしの夜であり、年末ですね。M女史、このからすみを真空パックするための道具まで買ったというのだから。どうも、ありがとうございました。

23時ごろ辞し、笹塚で瀬尾さんとわかれ、新宿で佐々木さんとわかれ、赤羽で宇都宮線の最終一本前に乗ったあたりから、記憶がない。

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2010/12/23

「旅人文化」クリスマスパーティー。

ちかごろ「旅人文化」のほうは、まりりんにまかせっぱなし。来年は、もう少し、なにかやりたいとおもっているのだが。

とりあえず、クリスマスパーティーがありますんで、これもまりりんにまかせっぱなしのうちに企画されたのだけど、よろしく~。

「旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!」
という旅人文化ブログに告知があります。
http://blog.tabibito-bunka.com/

そこに書いてある通り、どなたでも参加できます。参加費500円だけど、「貧乏バックパッカーのために、日本酒などの差し入れがあれば、大変嬉しく思います!」ということです。

ま、日本を訪ねてくれたバックパッカーたちを、あたたかく迎えるってことでもありますね。あたたかく迎えながら、「旅」を呼吸する、ってことですかね。そういう積み重ねが「旅人文化」につながるといいかな、と。

教育のおかげで、英語を話すひとはふえたけど、コミュニケーションはうまくできない、会話はしているのだけど、会話をしながら、なんてのかなあ「人の内面」を理解する力がヨワイというか。これはおなじ日本語をしゃべる日本人同士でも大いにあること。だから、なまじ外国語が話せるより、あまり言葉が通じない状態で一生懸命会話していると、逆にコミュニケーションのやり方がみえてくる、ということを、かつて外国人と仕事をしながら気づいたことがあった。

先日も、清龍酒蔵の新酒祭りに参加したアレックスと「俗」ということが話題になって、つまり「俗」と書く言葉は、なにをさしているかって話をしたのだが、これがなかなか難しい。ああでもない、こうでもない、ついには筆談しながら、少しは理解が通じる。その過程で、「俗」という言葉についても、その理解についても、こういう話し方をすればよいのかということがみえてくる。ただ言葉を日本語から英語に置き換えればいい、ってことじゃないのだな。難しいのは自身と自身の文化の理解なのだ。

「外国人と交流」というと、すぐなにかしら外国語が話せるようになるとかということになりやすいのだけど、じつは自分自身を知るということがなければ、上っ面の会話でおわる。「知識はあれど知性なし」という状況が、日本人同士でもよくあるように、なまじ外国語がしゃべれると発生しやすい。

ま、外国語なんか話せなくても、いや話せても、わざと自身のことは日本語で説明するぐらいにやると、これはこれで楽しいし、かなり有意義だ。

だから、よーするに、外国語なんかしゃべれなくても、こういう機会に大いに参加してほしいってことです。

と、書きながら、おれは参加できないかも知れないのだけど。

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2010/12/22

やっぱり古墳はおもしろい、古墳にコーフンナイト。

どーも、みなさん、寒い雨の中、ありがとうございました。おもっていた以上、たくさんの方にご来場いただきました。東京カルチャーカルチャー@お台場の大ハコが、さみしくならずよかった。

やっぱり、古墳は、おもしろい、楽しい。

プロデューサーの、テリー植田さんには、このような機会をつくっていただき、ありがとうございました。まりこふんさんの、新曲、石舞台古墳のうたも、なんど聴いてもよい仁徳陵のうたも、ほんと、すばらしい。スソアキコさんは、1月2日からの帽子展を控えて忙しい中、ありがとうございました。やっぱ、古墳の話は、スソさんがいて、おもしろくなる。なんと、特別出演、エジプト大使館のガドさんのピラミッドの話もありました。どの国の「墓」も、おもしろい。あせって、バタバタ作ったスライドだが、それなりに役に立ってよかった。

出演中の飲み物はタダで、生ビールが残りわずかになると、すぐ次が出てくるのには、大感激。そうですねえ、6杯ぐらい飲んじゃったでしょうか。

映像がユーストリームで見られますよ~…クリック地獄

雨がいまにも降りだしそうな空だった。「お台場」なんぞには、まったく縁がない。18時リハーサル集合だが、チョイと早めにと思い、東大宮16時8分の電車に乗った。新橋経由ゆりかもめで青海へ。電車降りて改札出れば、なにか案内板があるだろうと、よく地図を確かめもせずに行ったら、建物がいろいろあって、どこに東京カルチャーカルチャーがあるかわからない。ウロウロしても見つからないから、テリー植田さんに電話してみようかと、案内板を見ていると、ちょうどスソさんが来た。スソさんが「そこ」と指したところは、すぐ前。田舎者は、きらきらサインがたくさんあると、目が回って、サインの区別がつかないのだなあ。けっきょく、18時近くに中に入ったら、まりさんが、うたのリハをやっていて、のびやかで天井知らずのような大声量が響き渡っていた。

朝から一滴も飲んでないイマイチの調子で、パソコンとスライドをセットし、司会のテリーさんスソさんとトークの打ち合わせ。終わって、とにかく一杯と、生ビールを頼む。それを飲みおわらないうちに、スタートになったので、持って壇上へ。

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テリーさんの司会で、簡単な自己紹介のあと、作っていったスライドで、トーク開始。

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予定は45分、なくなれば出てくる生ビールを飲みながら調子をあげ、話をスソさんにふりながら、おれは酔っ払いの気楽な司会の感じ。時間は少しの超過で、無事に終わる。

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休憩のあと、エジプト大使館のガドさんの、エジプトの大古墳ピラミッドの話。

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つぎ、まりこふんさんは、ブルースのMARIさんのステージ衣装に着替え、先日の奈良古墳めぐりのトーク。

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とにかく飲みながら、楽しく話しに加わる。

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まりこふんさんは新曲、先日の奈良古墳めぐりで出あった憧れの石舞台古墳を滔々とうたいあげる、古墳ブルース「遥かなる石舞台」。もう時間は、22時をまわっていた。だけど、スロコメでの古墳ナイトで聴いて、どうしてもまた聴きたい「麗しの仁徳陵」を無理矢理お願いし、アンコール。いやあ、よかった。

終電時間が迫っている。アタフタ、みなさんに挨拶も満足にせずに、会場を出る。出て、またもや田舎者のドジ、りんかい線東京テレポート駅に行くはずが、ゆりかもめのお台場駅へ。アワテテもどって、東京テレポート駅を見つけ、ホームで電車を待っていると、スソさんがあらわれ一緒の電車に。

東大宮に着いたのが、24時チョイすぎ。改札出たら、身体が東口側に傾く。のれんの片づいたちゃぶだいに押し入って、もつ煮込みに、ビールと鶴齢。心地よい酔いで帰宅。かなり強い雨が降っていた。

東京カルチャーカルチャーのサイトに載せる、ライブの様子を撮影してくださる、「大仏ハンター」の大北浩士さんと初対面挨拶。奈良まほろば館や奈良の会の方とも、初対面の挨拶。

たくさんの初めての方のほかに、いつもの野暮連、やどや関係、スロコメで会ったことがある方など、ほんと寒い雨の中、ありがとうございました。

さきほど、テリー植田さんからメールがあって、次回の打ち合わせ予定、ってことは、次があるのだ。さらにまた、よろしくお願いします。

写真は、同行者が撮影。

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2010/12/21

きょう19時~、「古墳でコーフンナイト」。東京カルチャーカルチャー@お台場。

『古墳でコーフンナイト!』 ~古墳めぐりは、永遠のロマンの旅~
いまからでも遅くない。当日券あります。こちら…クリック地獄

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2010/12/19

日暮れて道遠し。呑み疲れ。

おととい、年末恒例の牧野伊三夫さんの個展のオープニング。いつもの表参道、HBギャラリー。牧野さんの絵を見る楽しみと、年に何度も会えない人と会う楽しみ。18時過ぎに着いたら、オープニングパーティーは始っていて、みなさん酒を飲みながら、歓談したり絵を見たり。牧野さんに挨拶。

HBギャラリー
http://www.hbc.ne.jp/hbg/

きょねん「ただ、セックスがしたいだけ」という絵があったのだが、ことしは、版画が、けっこうな点数あった。その版画を挿絵に使った、桐野夏生さんの同名の小説を小冊子にまとめたものもあった。奥付を見ると、どうやら牧野さんの自費出版らしい。

気に入った油絵が1点あって、その前で、「いいねえ」と言ったら、そばにいたS女史が「わたしはこの絵が好き」といったのは、毎年必ず1点はある、音楽家とのコラボによる「即興画」?とでもいうもの。そのようにアレコレ言いながら見るのも楽しい。

たくさんの方に会った。ちかごろは、ひさしぶりに会うと、名前がすぐに思い出せなくて困る。有山達也さんに「このひと覚えていませんか」と言われた女性、見た瞬間、何度か会っている、飲んでもいる、ことし夏、女子美でも会っている…というところまでは、わかるのだが、名前が思い出せない、漢字でないことは確かだと思ったので、「カタカナの名前ですよね」と言うと有山さんが「惜しい」、「そうか、ひらがな」とまでは言ったのだが、それでも思い出せない。降参なので訊くと「つるやです」。そうだ「つるやももこ」さんなのだ。いやはや、そういう調子で。こんどは忘れないようにしようと、「つるやももこ」を頭の中で繰り返す。

いつものように、蕎麦屋の仙波で二次会。いつものように、どんどん飲んで、いつものように三次会には付き合わず、終電で泥酔記憶喪失帰宅。

で、きのうは、もう一つ年末恒例の、北九州角打ち文化研究会東京支部の公開忘年会ってわけで、連ちゃんなのだ。午後になっても酒が残っている身体で出向く。いつもの、三軒茶屋の「味とめ」。

着いてから、中原さんに言われて思い出したのだが、18時に始る30分前に中原さんと会って、相談だか何かすることになっていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。どうも、ちかごろ、人の名前だけじゃなく、いろいろ忘れてしまう。みなさん、酒を飲んだときのおれの約束は、あとで必ず確認してください。

とにかく、きのうも、いろいろたくさんの方と飲んで騒いで、二次会に行くと帰れなくなるから、いつものように味とめが終わったところで帰る。かなり飲んだが、エロモリタ夫が遅くなったせいでエロテロな話は少なく、さらに飲みながらチョイまじめな話をしたりしたせいか、そうひどい酔いにはならなかった。

東大宮について、24時ごろだったが、足がちゃぶだいに向いたので素直に従い、生ビールと清酒、料理は終いの時間だったが、もつ煮込みはできたので、それで飲んで店を出るときには酔っ払いになっていた。

ことしの年末は、気がかり気分がスッキリしないことが重なって、イマイチですなあ。

それはそれとして、もう「年末進行」は終わったようなつもりになっていたが、まだあったのだ。それに、2月アタマ発売の3月号の編集がすすんでいて、その大阪取材が年内か年明け早々にある気配。

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2010/12/17

古墳ナイト、古代人原始人の感覚になって、いにしえの美術にふれる。

Cimg449021日の古墳ナイト、トークで使用するスライド作成の準備は、たぶん、着々とすすんでいる。つぎの本の構成も同時に練りすすんでいるのだが、スライドの構成とゴチャゴチャになりながら、どちらにとってもよいアイデアが生れるから、おもしろい。

さらに、スソアキコ古墳部長から届いた、画像の一部を掲載する。

下記の当ブログリンク先に、先日スソさんから届いた画像の中から九州の装飾古墳の画像と、古墳ナイトの案内があります。そちらも、ご覧ください。

装飾古墳というと、奈良の高松塚古墳やキトラ古墳が有名だけど、スソさんによれば「全国に約四百基確認されていて、そのうちの約八割が北部九州に存在するという」ことです。いろいろ、おもしろいですねえ。大構造物である、前方後円墳の美しいフォルム。ミステリーとロマンが一杯ですよ。なにしろ、この時代から以前は、文字文化がないから、残っている「美術品」と、リクツぬき自分の感覚で向き合うおもしろさがある。古墳のなかの死体になった気分で鑑賞するのも、おもしろい。もちろん、食文化とも大いに関係ある。いろいろ刺激的。

だけど、古墳ナイト、大バコの割りにチケットの売れ行きがイマイチのようです。ま、年末の忙しさもピークでしょうが。どうか、宣伝も含め、よろしくお願いします。

2010/12/13
古墳ナイトの準備は粛々と?

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2010/12/16

つい、飲み代の計算をしたくなった、居酒屋日和さんのこと。

当ブログに、東大宮の「おかめ」という居酒屋について書いたエントリーがあるのだが、きのう、そこにリンクをいただいてから、何人もの方がアクセスされている。

リンク元は、「居酒屋日和」というブログの、「おかめ」。
http://blogs.yahoo.co.jp/rbmy1229/28253850.html
このブログ、「日々、呑み歩き、呑みまくり、食いまくり。可愛くね。お店行った記録・記憶として残しますわ」というもので、そのとおり、画像を中心にした記録だ。あまり余計な能書きやウンチクがないのがいい。それでいて、各店の、つまみやメニューや炭酸割りなどの特徴が、よくわかる。そういう観察の記録。

トップページを見ると。
http://blogs.yahoo.co.jp/rbmy1229

2010年に通った居酒屋さんの延べ軒数は・・・
438軒(2010/12/15現在)

とあるじゃないか。

おもわず、飲み代が気になった。
かりに、平均1500円としても、657,000円。
昨今、立ち飲みでもないかぎり、平均1500円でおさめるのは難しいだろう。
平均2000円で計算してみると、876,000円。
このほかに自宅飲みもある。

ま、「酒飲み」とは、そういうものですね。
こんなこと気にしていたら、酒なんか飲めないわけで。

なぜ飲むの? わかってたまるか、ベラボーめ!(「酒とつまみ」12号「酒飲み川柳」から)

そういえば、ことしは、「おかめ」に一度も行ってないな、たぶん。もう年内は無理そうだし…。

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2010/12/15

古墳トークのスソアキコ帽子展×久家靖秀の写真。

はあ、けっきょく何もかもギリギリの進行になってきた、年末ですなあ。チョイと、スソさんの帽子展の告知をしておこう。

来週21日の東京カルチャーカルチャー@お台場での「古墳でコーフンナイト」のトークの相方、スソアキコ古墳部長は、目下とても忙しいようであります。

というのも、スソさんの「古墳部長」は職業ではなく、本職は「帽子デザイナー」で、年明け早々の1月2日から帽子展をやるのですよ。

それも、赤坂のミッドタウンで、やるですよ。このあいだ、パリコレに登場したばかりのスソさんの帽子が、ミッドタウンに登場だ。パリコレに出展の帽子ではなく、オリジナルに、たぶんいまごろ必死ヒッシに制作しているだろう帽子。

しかも、スソさんの帽子を撮り続け、雑誌「クウネル」などでスソさんの一人古墳部活動の撮影もしている、写真家の久家靖秀さんの作品の展示もあるという、すごいコラボ。

ミッドタウン、おれには縁がなさそうな場所だが、スソさんと久家さんだもの、行きますよ。これまで何回かのスソさんの帽子展は、当ブログでも紹介しているけど、とにかく、スソさんの帽子は、おもしろく楽しいからねえ。みなさんも、ぜひ。

おっと、その前に、21日の古墳ナイトもよろしく~。


「Primal Form」
スソアキコ帽子展  
写真・久家靖秀

2011年1月2日(日)-2月28日(月)
TIME & STYLE MIDTOWN
港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3F
11時-21時 会期中無休

詳しくは、こちら。
http://news.suso.biz/

「須曽明子|スソアキコ」のサイト
http://www.suso.biz/

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2010/12/14

おもしろい、東大宮と蓮田と土呂の関係。

長いことマーケティング屋をやっていた関係だろう、「まち」の観察が、けっこう好きだ。駅を出た瞬間、この「まち」は、どんな歴史や文化を抱えた空間なのか、「いくら」の稼ぎになるか、ま、つまりは「空間の経済力」とでもいうか、そういうのを想像するのが楽しい。以前にも書いたが、初めて東大宮に家を建てる土地を見に来て、駅の階段を下りたとき、そこに漂う70年代的空気をホオに感じた。

なーんて書くと、おれは勘が鋭いんだぜ、という感じになるが、なんのことはない、駅前のロータリーと、そこから正面にのびる道路などの物理的構造が、いかにも70年代的で、その知識さえあれば、誰でもわかることなのだ。

宇都宮線で大宮から東大宮まで来るあいだに、土呂駅がある。この駅は降りたことがないから写真もないが、電車に乗っていても見える駅前の構造は、典型的な80年代だ。そして、一つ先の蓮田駅は以前に降りたことがあるし、東大宮に越してきてからも散歩に行ったりしているが、相当古いのだとは知っていた。

いま、あまりあてにならないウィキペディアで、それぞれの開業年月日を調べると、こんなぐあいだ。

東大宮駅 1964年(昭和39年)3月20日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E9%A7%85

蓮田駅 1885年(明治18年)7月16日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E7%94%B0%E9%A7%85

土呂駅 1983年(昭和58年)10月1日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%91%82%E9%A7%85

蓮田駅と土呂駅のあいだには、1世紀の歴史が!
この3者を「モータリゼーション」と「郊外文化」というキーワードで見てみよう。すると東大宮の1964年は、その先端、始まりのころになる。

70年代的駅前というのは、ロータリーのある駅前広場があって、そこから広い道路が真っ直ぐのびているところに特徴がある。これは、駅から少し離れた、つまり土地が安いところに戸建てや集合住宅の団地を造り、そこと駅をバスやクルマで結ぶという考えの計画のあらわれだ。東大宮のばあい、以前に書いたが、尾山台団地という当時の大規模な団地があり、循環バスが運行している。

蓮田駅は、もちろん「モータリゼーション」も「郊外文化」もへったくれもない時代。明治から大正のころの駅は、たいがい、それまでの「まち」の中心だった街道筋の街から少し離れている。生活は、その街を中心にする範囲で成り立っていて、鉄道を利用して移動するような「生活圏」は、できていなかった。駅と人びとを結ぶのは、主に徒歩である。

土呂駅の80年代は、「モータリゼーション」や「郊外文化」が、ある意味、成熟をみせたころになる。駅前は、階段を下りたところのテラス部分が広がり、そこに大きな木が何本も植えられ、ミニ公園といったアンバイである。70年代型駅前がクルマ優先の機能的なロータリーが中心だとしたら、80年代型駅前は「人間優先」の「ゆとり」ともいえるか? この樹木の管理も含め、チト管理費がかかりそうな印象で、バブルな時代がしのばれる。

マイカー通勤が主流になった時代であり、バスやクルマは駅と人びとを結ぶ主要な交通手段ではなくなり、クルマ利用客を集める大規模な駐車場を装備したショッピングセンターが成長する。駅前は「郊外文化」から捨てられた、というか、その中心ではなくなる。

東大宮のような70年代的駅前には、古い昭和な商店街といえるほどのものはないが、広場に面した建物は(当時の建築法などの関係もあって)5階建てぐらいが限界であり、小規模の区画に小規模の商用事務所用ビルが建ち、駅周辺は商店街が成立する構造にはなっている。

ところが、80年代的駅前は、大中規模の区画に10階建てまでぐらいは可能であり、すぐ駅前から中高層マンションが建ち、買い物は、基本的に近隣のショッピングセンターという構造だから、駅前マンションの1階あたりに、いくらか日常用のストアが入るという感じで、商店街の形成などは考えられていない。駅そば立地の高額マンションでも売れる、資産価値として有用である、ガソリンはふんだんに使ってクルマで移動、といったバブリーな経済や考えが反映しているといえる。

つぎの画像は、東大宮駅東口。駅舎の2階から撮影した。広場の向かって右端に、細い路地がある。ときどき当ブログに登場する居酒屋、ちゃぶだいは、この通りにある。同じように、細い通りが、広場の左端にもある。駅前広場につながる、この2つの路地は、どのていど意図的に計画されたものかは知らないが、いまでは、こういう路地や横丁がある商店街が、「にぎわい」の条件と考えられるようになった。つまり、傘を差して歩くと、すれちがうときに傘がふれあうぐらいの幅の路地が、なにやらひとの心をくすぐるらしい。でも、東大宮の、この2つの路地の両側にある建物は、その特徴を生かした構造になっていない。

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つぎの画像も、東口の階段の下から見た、ロータリー。真正面に広い直線道路。

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つぎは、おれのウチがある側、西口である。構造的には、東口と同じ。

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最後は、蓮田駅西口。駅の階段下りたところは狭い、駐車スペースがやっと確保されている状態。なので、いま再開発の真っ最中、右端の建物はすでに退去して壊すばかりになっているし、背後はすでに整地がすすんでいる。駅舎も工事中で、反対側の東口も再開発の最初の段階は終わって、ロータリーができている。

ここに出現する駅前は、2000年不況型になるのだろうか? ナニワトモアレ、「モータリゼーション」と「郊外文化」の以前と以後にはさまれた、「モータリゼーション」と「郊外文化」のまち東大宮は、なかなか観察のしがいがあって、おもしろい。

関連
2009/01/09
東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。

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2010/12/13

まもなく姿を消す、重松荘シアター。

041おととい、清龍の新酒祭りのあと、「さよならマーケット」を開催中の重松荘シアターへ行ったとき撮影した写真を掲載する。昔の建物だから、2階にあがる階段は急だ。ここをあがった、2階の6畳一間で、映画を観るのだ。

体験的にいうと、どの土地へ行っても、その人のおかげで、土地や土地の人とのつながりができていく、おもしろい人たちがいるものだ。それは、たいがい、初めての人にとっては、飲食店であることが多いだろう。どの土地にも、「まち」の「入り口」になるような飲食店が何軒かある。しかも、一軒でコト足りるということは、よほど小さなまちでなければありえない。かなり小さなまちでも、いくつかの「顔」を持っているからだ。それを見つける楽しみもある。

重松荘シアターのばあい、飲食店ではないから、チョットちがう。チョットちがうし、いまどきの若い人がいて、いまどきのインターネットがあってこそ、という感じだ。

「いまどきの若い人」については、いろいろな解釈があると思う。おれのまわりでは、この重松荘シアターのミチコさんとチエさん、そしてやどやのマリリンが、いずれも女子だが、「一つのモデル」といえる。それを書いていると長くなるので省略。

とにかく、広く注目をあびるような、メディアのネタになるわけじゃなく、そんなことはどうでもよく、自分が大事だと思うことを、自分の生活のなかで、地味にコツコツコツ積み上げていくというのかなあ。ま、昨今は、なにかというと人目をひくイベントにはしり、それはそれで必要なのだろうが、だけど日常との落差が、けっこう激しい。そういうのとはちがう、日々の生活から組み替えていくような発想やエネルギーがあって、それは大切なことだろうなと思う。表面は、建物が新しくなったり、どんなに均一化がすすんでも、この日常に、それぞれの個性ある物語が息づく。そうでありたい。と、思うのであります。

あっ、書くのがめんどうになった。省略。
とにかく、重松荘シアターは、なんだか不思議な空間で、楽しかった。

重松荘さよならマーケット開催中
http://shige-st.blogspot.com/

重松荘シアターへ初めて行った。
2009/05/05貧乏くささの居場所、東大宮の重松荘シアターで映画鑑賞。

2回目。
2009/07/11東大宮、重松荘シアターでチェルノブイリ写真展、フィリピンパブの存在にコーフンす。

あと一緒に祭りに行ったり飲んだりしましたね。省略。

もちろん、これで終わるわけじゃない。

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古墳ナイトの準備は粛々と?

Cimg1550_2まだ先とおもっていた、東京カルチャーカルチャー@お台場での、「古墳でコーフンナイト」は来週の21日で、あと一週間しかない。スソアキコ古墳部長から、スライドに使う画像も届いて、準備に掛らなくてはならない。のだが、酒の飲みすぎもあり、グズグズしているうちに、いろいろ重なって、週明け月曜日に何も進んでいない現実をトツゼン目の当たりにする事態が発生する。

そういうときでも、権力的空間に棲んでいる政治家や官僚などは、「粛々とすすめてまいります」というのであるが。おれも、イチオウ「準備は粛々とすすめてまいります」と、いっておこう。

スソさんからは、おれはまだ現地に行ったことがない、福岡・熊本方面の装飾古墳の画像が届いた。古墳時代というのは、日本の文字文化以前の時代だが、そのころの巨大な建造物である墓が、あちこちに残っている。その事実、そのミステリー、そのロマンは、もっと注目されてよいと思う。

この時代は、ヒミコやヤマタイコクが話題になりやすいが、それは中国の文献のなかに見られる、「伝聞」のようなもので、たしかな根拠があるわけではない。どのていど実態を反映しているかは不明である。そういう、定かでないウワサを楽しむのも古墳の楽しみにはちがいないが、そのころの「現物」にふれてみて、遠い昔とイマをつないでいるナニカを発見するのは、とても大事だし楽しい。つまり、ワタシはダレ? ということ。

ま、古墳ナイトに来てみてよ。

スソさんとおれは、古墳のミステリーとロマンを、その外観や、その内部の遺体が埋葬されていた石室、そして工芸品ともいえるさまざまな埋蔵物、それらの画像を使いながら、トークする予定。

そして、古墳ガールのまりこふんことBlack&BlueのMARIさんは、先日、奈良でライブをやって古墳巡りをしてきたばかり。とれたて生の古墳トークと古墳ブルースを披露する。

詳細とチケットは、こちらで。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_101107203252_1.htm

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2010/12/12

クリスマス対策。

1月6日発売の『d a n c y u』2月号に掲載の「味噌汁ぶっかけめし」の校正を終えた。なかなか編集さんの構成がよくて見開きドカーンと、写真もいいし、気どらない大胆な見出しもいいし、写真のキャプションもいいし、インパクトと内容のある楽しいページができた。痛快、痛快。味噌汁ぶっかけめしにとって、もしかすると『d a n c y u』においても、すばらしい画期的なことですね。発売が楽しみ。

さてそれで、ほかに、きょうじゅうに終えたい仕事があるのだが、脳ミソに酒が心地よく滞留している感じで、集中して考えられない。気分転換に買い物に出かけた。

帰り途中から、ずっと、おれの後ろを大学生の男子2人連れが話しながら歩いていた。ずっと、話は、女のこと。どちらも、2、3人の女とのつきあいがあるらしい。で、クリスマス対策の話になった。1人が「クリスマス対策どうする?」と片方に聞いた。すると、聞かれたほうが「とくになにもしない、プレゼントもしない、だってさ、女に必死とおもわれるもんな」といった。聞いた男も、それに同意。「どうせ、クリスマスプレゼントなんて、いろんな男からもらうに決まっているし、そんなとき焦っていると見られたら、それで負けだもんな」。2人とも、なかなか「余裕」のある話をしている。

いつごろから、クリスマス・イブが「聖なる夜」から「性なる夜」に変り、クリスマス・パーティーが「合コン・パーティー」のようなアンバイになり、クリスマス・プレゼントが恋心を告げる道具になったのか、しかとは思い出せないのだが、なんかそういうアンバイになって、もうそれがフツウに思っている連中も多い。だからまた、とんでもないことも起きているようだ。

きょねんのクリスマスのころ、電車のなかで3人の女たちが話していた。「アイツ、まったく空気がよめてない、だいたいね○○子はクリスチャンで教会に通っているぐらいだから、そういうパーティーだったのに、アイツはさあ、合コンとまちがえているんだよ、○○子にプレゼントして、しつこくつきまとって」「どさくさにまぎれて、恋は盲目、ってやつね」「ちがうちがう、アイツはバカなだけ、あれじゃ○○子に見向きもされないよ」「アイツ、○○子に必死で、パーティーの邪魔」「自分の好きなようにパーティーをしたければ、自分でパーティーをやって、わたしたちを呼んでくれたらいいのよ」「ありえん、ありえん、アイツには、そんな度胸なんかない」「だめだめ、永久に○○子とはダメよ、アイツなにをかんちがいしているのかしら、さっさとべつの女をねらえばいいのに、あなたどう」「いやだあ、やめてよ、あんなやつ」

もうそんな感じで、女3人が、どんな男か知らないが、ミソクソにいう。こういうときの女は、カワイイ顔して、そばで聞いている関係ないおれが、ついスミマセンと謝りたくなるほど、ズケズケおそろしいミモフタもないことをいう。げにオソロシイのは女であるが、それを知らずや、男は惚れる。

とにかく、10人の求婚男子がいて、10人の求婚女子がいれば、成婚率100%。とはならないのが、現実だ。好き嫌いは、もちろんあるし、その好き嫌いが、傾向と対策のまちがいからおきることもあるし。めんどうくさいことだ。

就職戦線も似ていて、10人の求人があって、10人の求職があれば、100%の就職率になるかというと、そうはいかない。マッチングは、向き不向き好みの問題もあるが、それとは別にチャンスの問題がある。たいがい、求職者は何社も受験する。とくに、いまどきの「就職難」の時代だから、給料と安定のよい会社ばかりではなく、少人数の求人しかしてない小さな会社まで、1人が何社もエントリーするから、どこも高い倍率の入社試験になる。どこでも入りやすいところと思っても、そうはいかない。採用するほうにも条件がある。誰でもよいというわけにはいかない。つまり、求職者のチャンスは、どこでも、かなり厳しい。どこも受からない人が出て、しかも求人は減らない。これが、ややこしい「就職難」状況を生む。

それと似たような現象が、「結婚難」現象にもあるようだ。ま、進学や、就職でも公務員は、それなりの基準があって、それをクリアする目標や傾向と対策はたてやすいが、一方的に倍率が高くなっている状況というのは、一つの状況がまたあらたな状況を生み、必死に必死が重なることで、さらに難しい状況が生まれ、もうグチャグチャ、数値的な分析や対策などは、ほとんど役に立たない。

だから、先の男たちのように「必死」にならない、というか、「必死」なところは見せない、というのも、一つのテかもしれないなと思ったのだった。

なんにつけ、めんどうくせえ世の中だ。相手に意志がないのに付きまとえば、心理的負担をかけ、うっとうしく思われるだけだし。ある意味、チャンスがなければさっさとあきらめる、なんでも「運を天にまかせる」ぐらいの開き直りか余裕が必要なのかもなあ。

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蓮田「清龍酒造」新酒祭り。

きのう、きょねんに続いて、参加した野暮連。祭りが16時に終わったあとは、東大宮へ移動し、閉店バザー中の重松荘シアター、ちゃぶだいとハシゴして泥酔。

とりあえず、新酒祭りは、きょうもあります。いまからでも遅くはない。入場無料、飲み放題、出店、催しものも、B級グルメから萌え系、伝統系までいろいろ。

清龍のサイト
http://www.seiryu-syuzou.co.jp/

012宇都宮線で東大宮の一つ先、蓮田駅改札12時半集合に揃ったのは、きょねんと同じシノ、タノ、クマ、アレックスとおれに、新顔で地元東大宮のムトウさん。バスが50分すぎまでないから、天気もよいし、歩くことに。たぶん20数分で清龍酒造に着いた。もう、たくさんのひと。

013それぞれテキトウに出店などをのぞきながら、酒のあるところへ。まずは樽の新酒を飲む。これが、うめえうめえ。と、どこかへ消えていたクマさんが、大きな妙なアニメ絵の紙袋を提げてあらわれた。おれが気になるのか、ことしは、この袋をぶらさげた、チトまわりの雰囲気とはちがう独特の空気感をただよわせている若者が目立った。

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クマさんから聞いて知ったのだが、これはアニメの人気ブランド「サーカス」なのだそうで、清龍の純米酒の「桃子」と「伝」のラベルに、この絵を使ったものがあるとのこと。きょねんもあったそうだが、早々と売り切れになって入手できなかったクマさんは、着くとすぐそのコーナーに行って、「桃子」と「伝」を入手した。すると、このデカイ袋に入れてくれた。というわけなのだった。かれは、ずっとこのかっこうで、過ごしていた。クマさんは、ようするに「萌え」なのだ、オタクですね。

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029会場のアチコチには、クマさんのような、だけど30半ばになったクマさんより若い男たちが、たいがい1人で、うろうろ、けっこういた。

とにかく、そのサーカスのコーナーへ行ってみた。すると、酒だけではなく、いろいろなグッズも売っていて、人だかり。と、そばで、「アキバ」のような風景が出現した。そこそこ知られている女子なのだそうだが、うたって、それを囲んで、萌えな若者たちが手拍子。いやあ、日本酒の酒蔵で、この景色、いいねえ。

蓮田に「サーカス」関係の本社かブランチがあって、それで清龍とのコラボになったらしい。それで、清酒を買う若者が、ここに出現したわけだ。

「萌え」系は、一見、無気力、不健全…まさに「変態」という感じが漂うが、それはもちろん、そういう印象だけで判断する見かたのほうがオカシイわけで、じつに理想にむかってエネルギッシュに活動するひとたちなのだ。

じつは、アレックスも故郷のオーストラリアの大学時代は、アニメ研究会に入っていたオタクで、その「病」がつのり、ついに日本に来て、ついに仕事も得て長い滞在になった。清酒の味も覚えて、好きである。ついでに、スカンジナビアから来た旅人の若い可愛い女子を連れて、おれがスロコメでやっていた泥酔論にあらわれたりしていたが、その仲は、南半球と北半球を駆け巡りながら深まっているらしい。そうそう、それできのう聞いたのだが、恋愛や結婚となると、たいがいの萌えの男は、萌えを「卒業」するのだそうだ。ま、結婚しても続けているひともいるがな。

なんにせよ、いまや日本で一番元気がいいのは、「萌え」系であり「オタク」であり、きのうのエントリーにも書いたし、須田さんのコメントにもあるが、なんらかの意味で「変態」なのである。こういう「変態」を「不健全」といって取り締まるのは、自らの生命を断つにひとしい。

030で、新酒祭りの会場には、いろいろな変態が見られた。樽から酒を注ぐのは、きょねんと同じ、たしか専務さんではなかったかな。

群がる酒飲み変態のなかには、やっぱり飲み過ぎて、コンクリートのうえに酔いつぶれて寝転がっているのがいた。B級グルメ変態の旗もあった。「萌え」系とは、かなりちがう雰囲気の男たちが、ベーゴマに興じていた、ベーゴマ変態。きょねんも太鼓や鉦をたたいていた、鉦太鼓変態の紳士もいた。

そうそう、野暮連のほうは、その後、すぐワレワレを追いかけるようにコンさんがあらわれ、かれは会場にあらわれると、すぐ射的をしていた。アンガイ、そういう変態なのかも知れない。15時ごろ、この日の紅一点、映画変態のチエさんも合流。そうそう、人ごみのなかに、ちゃぶだいの常連のT柳さんを見つけて、なんだかこういうところで偶然会うとうれしい。かれは、ご両親をクルマで連れてきていたので飲めずということだったが。

16時近くになると、人びとは引き、冬の夕方という雰囲気のなかで、ワレワレはイスにゆっくり腰掛け、売店から買ってきた清龍の「自信作」というストレートな銘柄の酒を飲んだ。

16時過ぎ、バスで蓮田駅に出て、当初は大宮のいづみやで二次会のつもりだったが、重松荘シアターが取り壊し閉店のバザーをやっているというので、行くことにし、東大宮のビッグAで缶ビールやつまみなどを買い、向かう。

あ~、重松荘の途中から、あまり記憶がない。とにかく、重松荘での忘年会に残ったムトウさんとチエさんをのぞいて、ちゃぶだいへ行ったのではないかと思う。ちゃぶだいでは、奥のちゃぶだいの間が空いていて、そこで飲んだ。ということぐらいしか、思い出せない。

よく飲んだ。
1月6日発売の『d a n c y u』2月号の校正が出ている。

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2010/12/10

グルメ的脅迫観念からの味覚の解放は、どうすればよいか。

いつごろだったか、たしか『大衆食堂の研究』が発刊になった1995年ごろだ。例によって「いまの若者は…」っていう話に「指示待ちでダメだ」というのが、オトナのあいだで流行った。

そのテの話のときは、たいがい、そういう若者を育てたのは自分たちオトナであるという自覚にたって、ほんとうの問題点を探ろう、なーんてことにはならない。若者をダシにして、そこへいくとおれなんぞは苦労しながらよくやった、という自分なりの収まりどころがほしいのである。

「指示待ち」というのは、それまでの教育や指導などのやりかたが、「指示に従わせる」という方法だったから、片方にトウゼン指示を待つひとを生んだ。しかも、その指示が、なぜ威力を持っていたかといえば、なにかしらの脅威や恐怖を与えることで成り立っていたからだろう。

おれが子どものころは、親の言うことを聞かない子どもにむかって、親が「巡査を呼んでくるぞ」と脅かすという有様がふつうで、とても巡査が怖いものであるという戦前そのままだった。これはまあ、直接的な例だが。会社なら指示に従わないとクビにするぞ左遷だぞとか、ま、いろいろあるわけだが、とにかく、なにかの脅威や恐怖を背景に指示に従わせるという、これはナントカ主義という指導法の名前があったと思うが、思い出せない。とにかくそういうことだったから、片方に指示に従うし指示を待つ人間をたくさん生んだ。ぜんぶがぜんぶそうじゃないけど、そういう関係は存在した。

その克服も含め、50年代ごろから「理論」としてはあったようだが、実践的には70年前後ぐらいからになるか?「客観主義」の方法が注目されるようになったらしい。その後「実存主義」の方法が台頭して、近年の「カウンセリング」的指導法なんてのは、たいがい実存主義の方法が基本になっていると思う。だけど、大勢としては、とくに教育役人の支配下の学校では、旧態依然のようだ。

さっそく話がヨコにずれたから、もとにもどそう。いわゆるグルメが台頭する1980年代以後、食べ物の分野は、ある種の強迫観念が濃厚になった。それは、食べ物の話というと味覚の話であり、うまいもの、通や粋につうじなくてはならないという脅迫観念だ。どこそこのうまい店や、どこそこのうまいもの名物を知っているか知っていないかで、人間や趣味の「質」が決まるかのような。

それは、たとえば、ラーメン好きが、蕎麦好きが、下町好きが、こんなところも、こんなことも知らないのか、ということで人間や趣味の「質」が判断されるかのようなことになってゆく。すしなら、本マグロもくったこともないやつがエラソウなこというなとか、浅草の「みやこ」も知らんで、「みやこ」を漢字で書けるか? 「大衆食堂通」ともなると東京の「ときわ」を何軒知っている?なーんてことが「食」の話になってしまう。

そんな「指示」を、誰が与えていたかというと、いうまでもなくメディアだ。そこには、メディアの権威と、その権威を強固にする文学や芸術の権威が存在した。そして、「指示待ち」つまり、そういうメディアの指示、情報つまりスペックがなくては、自律的にまちや店を探索する力も気もおきないらしいひとたちが、群れをなすようになった。

なにか食べ物をめぐって、「趣味人」「教養人」であることが、都会人でありオトナである条件かのような、強迫観念もみられる。

おれのように「アンチ・グルメ」、あるいはただフツウにありふれたスーパーのもので食生活を楽しんでいるぐらいでは、なかなか仲間に加わることができず、シクシクシク、「反社会性」な人間になりそうなほど孤立する。ふつうのひとたちにとって、孤立・孤独ほど、オソロシイものはない。

が、しかし、文学や芸術の方面は、必ずしも、食べ物の話というと味覚の話やうまいもの話や、通や粋を気どるとはかぎらないのだ。そういうものに、スポットがあたらないできたにすぎない。

そのナゼはともかく、先日のエントリーにも登場した、山本容朗さん編集の『日々好食』だ。やはり山本さんだなあと思わせる、いわゆる文学者の食通話とはちがうものも拾っている。

その中の、結城昌治さんの「食わざるの記」。

 世間には食通といわれる人が多い。近年の文壇に限っても、吉田健一氏、故檀一雄氏、池波正太郎氏らの名前がすぐに浮かぶ、最近では丸谷才一氏の「食通知ったかぶり」が評判を呼んだ。各氏とも食物の味に通じているばかりではない。その著書を読めば、風雅の趣は当然のこととしても、まるで求道者のように世界じゅうのうまい物を食いあさって舌鼓を打っているのに驚く。
 しかし、こういう読者もいるという参考までに私見を挟むなら、食通各氏の文章に接するときの私はSFか恐怖小説を読む感じで、とても正気の沙汰とは思えない。
 
……と。この話は、じつは、結城さんの偏食と小食を語っているのだけど、そのためにこのように書き出しているところが、おもしろい。

文中でも、このように。

 通の反対は野暮である。あるいは不粋、不風流であろう。
 しかし、わたしは野暮でも不粋でも構わない。通と野暮は紙一重だが、たかが食物のことで、通も野暮もあるまいという気持のほうが強い。負け惜しみのようだが、食通は変態の一種ではないかと思うのである。

……いやあははは、「食通は変態の一種」とは、負け惜しみにせよ、よくぞいってくれた。と、おれは、この部分に拍手喝采を送りたい。ま、「食通」や「グルメ」などは、ある種の「偏執狂」といえるだろうか「変態」なのだ。だからって「悪」ということじゃく、ただ「変態」という実存で、「ふつう」ではないわけ。
明日は、「野暮連」の決起泥酔集会があるので、とりあえず、ここを引用した。
マジに、結城さんのこの掌編は、生きること食べることを語って深いものがある。

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2010/12/09

六本木アンタッチャブル。

ザ大衆食のサイトに、04年11月25日に閉店した、六本木食堂が載っている。そこに書いてあるように、「1970年代と80年代、六本木には仕事の関係でよく行っていた」。…クリック地獄

そもそも71年9月、企画会社に転職し、初出社の翌日、六本木のスタジオで撮影があり、その立ち合いに行ったことから始まり、六本木から麻布あたりのスタジオは4、5か所ほど、よく利用していた。もっともおれは、クリエイターではないから、企画担当プランナーとしての立ち合いばかりなのだが。ほかにも、接待で会社が利用する料亭が六本木だったし、いまはない、旧鷹司邸の麻布プリンスホテルでも、よく打ち合わせがあった。ま、なにやかにや。あのへんのアップダウンの多い裏道をウロウロ飲み歩いたってことだ。

六本木食堂を出て、六本木交差点へ向かうあたりから、そのビルは右前方に見えたような気がするが、しかし、頭上には首都高速が通っているはずだから、どの位置からだろう。とにかく、当時の六本木には、大きなビルは少なく、そのビルは六本木交差点周辺でも目立った。外壁に「TSK.CCC」という文字があって、一度見れば、すぐ覚えられた。

そのビルは、70年代にトツゼン、六本木いや首都東京いや中央政界の闇の世界が表出したようなもので、「ある種」の人たちのあいだで、かなり注目され話題になった。おれの周囲にも、そういうネタが好きな「ある種」の連中がいて「六本木アンタッチャブル」なんていっていた。

いま、その「TSK.CCC」は、どうなったのだろう。検索すると、なんとまあ、あんまりあてにならないウィキペディアに「TSK.CCCターミナルビル」という項目があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/TSK%E3%83%BBCCC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%AB

たとえば、こんなことが書いてある。ほら、ナベツネさんなんか、暴力団でも差別することなく大事にするリッパな方なのです。みなさん、リッパな方ばかり。

「レジャー開発などを手がける「東亜相互企業」を経営する、暴力団「東声会」のトップとして知られた町井久之(本名は鄭建永)により、1966年に完成し町井の自宅がおかれていた「東亜マンション」と同じ敷地内に「現代人の憩いと対話の場所を実現するため」として建設され、1973年7月11日にオープンした。」

「元暴力団関係者が経営しているにもかかわらず、オープニングレセプションは読売新聞社の渡辺恒雄が運営委員を務め、司会は後に参議院議員となる女優の山口淑子が勤めた。さらにゲストとして岸信介元首相や園田直衆議院議員などの政界人や、岡田茂三越会長などの財界人から各国の特命全権大使までが駆けつけた」

もう遠い昔のことで、すっかり忘れていたのだけど、今回のエビゾウ騒動で思い出した。今回の「騒動」の報道ぶりは、このテの「芸能人」ネタではいつも先走るものが、落としどころが関係者のあいだで決着ついていないからだろう、じつにグズグズみごとに報道管制(自主規制?)されている印象がある。TSK.CCCは凋落しても、「六本木アンタッチャブル」は機能しているようだ。そんな感じがして、六本木食堂まで懐かしく思い出した。

そうそう、ついでに、よく接待で利用した六本木の料亭も検索してみたら、昨年末か今年か、閉店したらしい。食べログにまだ記録が残っていて、夜の予算は¥20,000~¥29,999だって。いつも請求は会社に回してもらって、自分で払ったことがないから値段は知らなかったが、けっこうなお値段だったのだなあ。もっと高いところも行ったけど。もうどこも、味なんか覚えていない。ション横のつるかめの、一杯食えば翌日まで胃がもたれる、小麦粉のカタマリのような天丼のほうが、忘れられないや。

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2010/12/08

「カツのっかり」、生活の視線と表現。

はあ、どうして年末ってアワタダシイのかなあ。そんなこと、来月でいいじゃないかと思っても、来月は来年だから、年内に片付けたいという感じの動きが、とくにいまごろになると加速するようだ。年内にアナタとシッポリしたいわ、なーんてアマイ話はないわけで、がさついた話ばかり。これもある種の「集団心理」か。でも、もう、年末進行がからむ年内のヤマは、今週で終わるだろう。

味噌汁ぶっかけめしの原稿は、編集さんのOKも出て、無事に終了。1月6日発売の『d a n c y u』2月号です。

『d a n c y u』もちろん、「グルメ」系というのか「食べる」系専門誌には、おれは初登場かもしれない。考えてみれば、おれは知的経歴からいっても「食系」にはツヨイはずなのだが、おかしいなあ。

おれは「食事」の「空間論」に、やや傾斜して興味があることは、たしかで、その関係で「まち」系メディアが自分でも好きだということはあるが。それに「趣味人」ではないし、「グルメ」系ではないし、いってみれば地味な「生活」系だけんね。「生活」でも、中流意識消費アホクサの、ビンボーくさい「大衆」系だけんね。それに「文芸」だの「文学」だのクソクラエの偏屈者のウンコモノの嫌われものだしね。

ああ、孤独だなあ。これが「孤高」なら、まだかっこいいかもしれないが、「孤低」だからなあ。しかし、初めての『d a n c y u』の原稿だって、ちゃんと一発OKで書けちゃうのだ。その実力のほどは、まいどのことながら自信満々自画自賛のできばえ、ま、買ってみてちょうだい。

そりゃそうと、「文芸」だの「文学」だのクソクラエだのとやっていると、やっぱりあまり本なんぞ読まないから、読まないことのプラスもあるけど、マイナスもあるわけで。

チョイとほかに、味噌汁ぶっかけめしとはちがう、「汁かけめし」がらみの仕事が企画段階であって、あれこれ資料を見ているなかに、山本容朗さん編の『日々好食』があった。これ、このあいだわめぞの「みちくさ市」で買ったのではないかと思うのだが、誰から買ったのだろう。

いろいろな作家が食べ物について書いた掌編を編んだもの。そのなかに、戸板康二さんの「米の飯」があって、「カツのっかり」の話がある。それを読んで、アッと思った。

「カツのっかり」は「三田通りにむかしあった洋食屋の加藤」の名物であり、池田弥三郎さんの『私の食物誌』の「のっかり」にある、「三田の「かとう」という店では、カツライスの「のっかり」というのが名物だった」と、おなじカツライスのことだ。

だけど、お2人の関心は、かなりちがうし、もちろん書いていることもちがう。アッと思ったのは、そこだ。

おれが『汁かけめし快食學』を書いたときは、池田さんの本しか知らなかったから、そこから引用している。池田さんの文章は、こうだ。

「ライスの上に、カツレツが、そえものの野菜といっしょに、のっかっているカツライスだった。カツレツには、すでにホーク(エンテツ注=たぶん「ナイフ」の間違い)がいれてあって、それに上からソースをぶっかけてたべる、すこぶる乱暴な学生式のものだが、ころもがあつくて肉とはなればなれになってしまうような、近ごろの学生街のカツレツとは、さすがに違っていた。」

一方、戸板さんのは、こう。

「三田通りにむかしからあった洋食屋の加藤では、「カツのっかり」というのが名物であった。カツを飯にのせて持って来るのである。ナイフを入れてあって、ソースを上からかけると、カツの間からそれが飯に沁みていった」

この件に関して。戸板さんと同じような視線で、林真理子さんが『食べるたびに、哀しくって…』の「カツ丼」に書いている。これも、『汁かけめし快食學』に引用した。

林さんは山梨の出身で、山梨で「カツ丼」といえば、いわゆる「ソース・カツ丼」だ。「カツのっかり」の器を、丼にしたようなものである。そのカツ丼について、林さんは、こう書いている。

「これはそうあたりはずれがない。ソースの量は多すぎても困るが、少し余分にかけておくと、カツを通過したソースは旨味を帯びて飯粒にしみ込んでいく。」

池田さんのは、どちらかといえば「食通評論家」的な視線を感じる。戸板さんや林さんのは、なんというのだろう、食べることへの素朴な執着というか楽しみ、つまり「生活」的な視線といえるだろう。

とくに、「ソースを上からかけると、カツの間からそれが飯に沁みていった」や「カツを通過したソースは旨味を帯びて飯粒にしみ込んでいく」という観察には、グルメ的な知識とはちがう体験的な「生活」を感じる。

もし、『汁かけめし快食學』を書いたときに戸板さんの本を読んでいたら、池田さんの文章ではなく、こちらを引用したにちがいない。

そもそも、戸板さんは、こう書いている。
……………

 ライスカレーをはじめ、上にものをかけて食べる米の食べ方を、ぼくは一番、身になる食べ方のような気がしている。ぼくは、高級レストランで食べるビーフシチューを飯にかけたい誘惑に、しばしば襲われるのである。
 三田通りにむかしからあった洋食屋の加藤では、「カツのっかり」というのが名物であった。カツを飯にのせて持って来るのである。ナイフを入れてあって、ソースを上からかけると、カツの間からそれが飯に沁みていった。
 ハヤシライスにしても、のっかりにしても、カレー同様、飯をじかに自分の身につける気のする食べ物である。むろん、その米が、よく炊けていたら申し分はない。

……………
池田さんが、のっかりを「すこぶる乱暴な学生式」と断じ、カツのころもを問題にしているのとは、かなりちがう。

「身になる食べ方」「むろん、その米が、よく炊けていたら申し分はない」、これはグルメや評論ではなく、生活の表現だろう。

それに、「汁かけめし」という言葉は使っていないが、概念としては「上にものをかけて食べる米の食べ方」であり、つまり「汁かけめし」の話なのだ。生活からすれば、ライスカレーもハヤシライスも、のっかりも、おなじ食べ方の料理なのだと読める。

戸板康二、1915年生まれ。池田弥三郎、1914年生まれ。ともに慶応大で折口信夫に師事。
林真理子、1954年生まれ。

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2010/12/07

指定野菜。

どうも困ったことに、「有機」とか「無農薬」とかいう言葉は知っていて、「ナチュラル、いいわね~」というムードがメディアなどには蔓延しているように見えるのだが、その割には「指定野菜」という言葉を知らない人は、たくさんいる。この、おかしさは、たとえば、こういうことだ。

スーパーの野菜売場を見ると、ざっと見た目だが、「指定野菜」が8~9割ぐらいは占めているのではないかと思う。無農薬有機の野菜などは、1割も満たない売場が、はるかに多いだろう。なのに、メディアの情報は1割のほうに偏向しているし、人びとの知識は、ふつうの日常の生活と関係が深い9割について、皆無に近い。

それはまあ、ふつうの9割より突出している1割のほうがジケンで、ニュースや話題になりやすいということがあるのかもしれない。しかし、万事が、その調子であるから、全体が、どんなあんばいに成り立っているかの知識のないところに、どこかの1点でも何か問題があると、とんでもないバカ騒ぎになる。まるでもう、明日にでも、自分は死んで日本も滅びるかのように、怯え騒ぐ。

ある意味、ふつうの暮らしは、いつもかなりヤバイ状況にある。だけど、そのやばさのなかで、じつは、多くの人びとの安定と安心が得られているのである。つまりヤバイことも含め、全体が成り立っているシステムが機能しているあいだは、少々のやばさはバカ騒ぎするほどのことはない、それが生きている現実の日常なのだ、ということについて、ほんらい日常の生活と関係が深い9割について、あまりにも情報と知識が与えられなさすぎるのと関心が低いため、判断がつかない。

とにかく、野菜の季節感がなくなり、スーパーの店頭に一年中おなじ野菜があることについて、問題視するのは、よいだろう。だけど、それが日常を成り立たせているのであり、そのシステムは、どういうものかぐらいは知っておかないと、「近代化」や「機械化」を攻撃し排除し、まるで江戸時代の農業にすれば、全人類の幸福のなかでワタシも幸福になれるのよ~なんていう感じの、じつに脳天気というかバカバカしい「良心」が、まっとうな感じになり、そしてますます、現実の9割についての知識は遠ざかる。結果、知識としても、政策的にも、なにも前進しない。

指定野菜とは、野菜生産出荷安定法にもとづく、野菜生産出荷安定法施行規則に定められている。

野菜生産出荷安定法
(昭和四十一年七月一日法律第百三号)
最終改正:平成一八年六月二日法律第五〇号
http://www.houko.com/00/01/S41/103.HTM#s4

(目的)
第一条  この法律は、主要な野菜について、一定の生産地域におけるその生産及び出荷の近代化を計画的に推進するための措置を定めるとともに、その価格の著しい低落があつた場合における生産者補給金の交付、あらかじめ締結した契約に基づきその確保を要する場合における交付金の交付等の措置を定めることにより、主要な野菜についての当該生産地域における生産及び出荷の安定等を図り、もつて野菜農業の健全な発展と国民消費生活の安定に資することを目的とする。
(定義)
第二条  この法律において「指定野菜」とは、消費量が相対的に多く又は多くなることが見込まれる野菜であつて、その種類、通常の出荷時期等により政令で定める種別に属するものをいう。


野菜生産出荷安定法施行規則
(昭和四十一年七月一日農林省令第三十六号)
最終改正:平成二〇年一一月二八日農林水産省令第七三号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S41/S41F00601000036.html


具体的な「指定野菜」は「施行規則」で指定されている。現在、つぎの14品で、ほとんど一年中スーパーの店頭にあるものばかりである。つまり、一年中おなじような野菜がスーパーの店頭にあることと、この政策は大いに関係がある。

「キャベツ、さといも、だいこん、たまねぎ、にんじん、ねぎ、はくさい、ばれいしよ、ほうれんそう、レタス、きゆうり、トマト、なす、ピーマン 」

お役所においては、「ジャガイモ」ではなく「ばれいしょ」ってのが、おもしろい。自分の体験的感覚的には、「さといも」より「かぼちゃ」のほうが流通しているような感じがするが、「さといも」は皮むき保存袋入りもあるからなあ。

こういう法律法令は、読むと、ちゃんと、「利権の構造」まで見えてくる。ま、こういうところに、政府の「安定供給」のイデオロギーが表出するわけだ。

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2010/12/06

第53回全国味噌鑑評会優秀品。

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社団法人中央味噌研究所と全国味噌工業協同組合連合会から、第53回全国味噌鑑評会での優秀品3点をいただいた。おととしだったかな?チョイと「みそ健康づくり委員会」とのご縁があって、それから毎年いだいている。どうもありがとうございます。

味噌の鑑評会は、残念ながら酒の鑑評会ほどは知られていないが、例年11月に行われている。今年の優秀品は、以下のとおり。味噌醸造は、いずれも中小規模であり、中小零細がますます生きにくい昨今の状況で、いつも困難を抱えているようだ。

とくに、きょねんあたりだったかな?顕著になった、原料の大豆のコスト高。これは、先日見たばかりの映画「キング・コーン」にドキュメンタリーされていた、アメリカの農業政策やコーン政策とも大いに関係あるのだが。ま、いまは、そのことは書いていられない。とにかく、「伝統食品」といわれる味噌も、いまや原料は輸入頼りで、その頼りの先が、大豆栽培よりコーン栽培に振り子をふっている。そのやりかたのすごさ、「キング・コーン」を見てほしいね。

いただいた味噌は、優秀品に選ばれた中から、ハナマルキの「米こうじ」、ホシサンの「ごていしゅ」、竹屋の「長熟」です。画像の左から順で、それぞれの特徴がわかるでしょう。「米こうじ」は、こうじがクッキリたくさん。「ごていしゅ」は、麦味噌だから、麦のかたちが残っている。「長熟」は、ごらんの通り赤色辛口。

米・甘みそ「日本海白みそ」日本海味噌醤油株式会社(富山)
米・甘口みそ「倉敷塩屋の甘口」塩屋商店 石合吉之肋(岡山)
米・淡色系・から口・こし「神州一味噌 み子ちゃん印」株式会社 丸高蔵(長野)
米・淡色系・から口・こし「善光寺みそ」株式会社 よしのや(長野)
米・淡色系・から口・粒「吟醸 甘こうじ」ひかり味噌株式会社(長野)
米・淡赤色系・から口・粒「蔵王雪国(淡色)」株式会社 紅谷醸造場(山形)
米・淡赤色系・から口・粒「米こうじ」ハナマルキ株式会社(群馬)
米・赤色系・から口・こし「上高地 田舎」上高地みそ株式会社(長野)
米・赤色系・から口・こし「長熟」株式会社 竹屋(長野)
米・赤色系・から口・粒「秘蔵みそ」山高味噌株式会社(長野)
米・赤色系・から口・粒「だいごみ」株式会社マルモ青木昧噌醤油醸造場(長野)
米・赤色系・から□・粒「紅一点 石狩」石田醸造株式会社(北海道)
豆みそ「懐石」マルサンアイ株式会社(愛知)
麦みそ・淡色系「ごていしゅ」ホシサン株式会社(熊本)
麦みそ・赤色系「フジジン 無添加 麦みそ」二豊味噌協業組合(大分)
米と麦の調合みそ「九重あわせ」有限会社、麻生醤油醸造場(大分)

味噌は、輸入材料に頼っているとはいえ、まだ「地方色」がタップり残っているし、味覚も多様だ。味噌を考えれば、味覚は昔から多様だったぐらい、すぐわかるはずなんだけどねえ。したがって、好みも、使い方も、さまざまだろう。

おれは、いろいろ好みが転々として、もとはといえば新潟の味噌出身で、東京方面で売られているのは頚城味噌と佐渡味噌が主だったから、それらを使ったり、ベーシックには、なんといっても安いマルサン(マルサンアイ)の「こうじみそ」なのだが、ここんとこ仙台の「仙台みそ」に傾斜している。おれはやらないが、周囲には自分で仕込んでいるひとも、けっこういるね。


全国味噌工業協同組合連合会のサイトは、こちら。
http://zenmi.jp/

味噌をいただいているのに、というか、いただいているから言いたくなるのだけど、このサイトは、どうもイマイチだなあ。もうちょっと、なんとかならないのかねえ。日本食の基本となる食品のメーカーの団体という、気概も魅力も感じられないなあ。そのへんにあらわれている「体質」がまた、余計な困難を招き入れることにならないとよいが。

イチオウ広報関係のサイトは、「みそ健康づくり委員会」なんだが、これは、よくある大手広告代理店へ丸投げってやつで、丸投げでもよいが、どうもね、やっていることがおざなり、もうちょっと魅力あるコンテンツを揃え、ちゃんとやってほしい。
http://www.miso.or.jp/

もっと、さあ、関係者に「愛」がなくちゃあ、伝わらないと思う。愛があっても伝わらないこともあるが、コミュニケーションしたいという意欲の素にはなるわけだ。

いけねえ、また、いわずもがなのことを書いてしまったか。なにしろ、ちかごろは、ちょっとでも批判めいたことを書くと、すぐ過敏過剰に反応されちゃうからね。和気藹々意気投合でなければ、すぐダメの出し合いの叩きあいの潰しあい。極端すぎて、話にならない。もっと、おおらかにいきましょうよ。おかしいと思ったら「おかしい」と言い合える関係がなければ、成長も発展もないよ。

味噌汁ぶっかけめしを熱く語るように、味噌を熱く語ろう。

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2010/12/05

トツゼン、佳境に入る。

じつは、きのうは、いろいろ悩ましかった。とりあえず、年内の3つの仕事が、頭の中でごろごろ転がっているのだが、とりあえず、目前に締切りがせまっている味噌汁ぶっかけめしの原稿、これを1200字ぐらいで書き上げなくてならない。もうチョイ字数があったほうが、書きやすいのだが、でも、書きやすい文字数で書くと、どこかしら無駄の多い文章になる可能性もある。だから、編集さんに「少しぐらい多くなってもいいですよ」といわれていても、まずは最初の文字数で書きたい。

ゆきづまると、ほかの2つのことを考えたり。ようやっと集中し、よしっ、これならいけそうという感じになったのが、きのうというか今朝、夜中の3時ごろだった。でもまあ、よかったのだ。

今朝は、自治会の公園の掃除がある日だったが、眠くて起きられない。もうちょっと寝て、調子のよいところで、一気に書き上げたい、ってことで、すまんが清掃はパス。

寝て起きて、風呂に入っているあいだに、いろいろひらめいて、ほかの2つの悩ましかったことについても、あれこれアイデアが浮かんで、よい調子。たいがい、そういうものだ。

って、ことで、パソコンにワードの画面を3つ開いて作業、トツゼン佳境に入り、味噌汁ぶっかけめしの原稿は、まだチョイと文字数オーバーだが、締切りまでにあがる目安はついた。

なんですねえ、トシのせいか、テンションの維持とコントロールが難しくなった。ブログは、その調整に、ちょうどよいね。ということで、一休みにブログを書く。

きのうのエントリーの岡崎武志さんのコメントは午前1時45分、おれのレスが2時24分。ライターたちの深夜。

おれは「トリス、オーシャンから始って、レッド、ホワイト、角、ブラックニッカ、オールドと、高度成長と歩調をあわせるように、飲む酒も「出世」しました」と書いたが、これは上京してからバーボンと出会うまでということになる。

忘れないうちに書いておくが、サントリー宣伝部にいた山口瞳さんが、『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞したのは、おれが上京した年、1962年の昭和37年だった。まだ、ふつうは「トリスの時代」だった。

まだ、ふつうは「中流意識」はなかった。まちには労働者がいた。労働者は、コップ酒や焼酎、ホッピーなどを飲んでいた。トリスは、江分利満氏のようなホワイトカラー、サラリーマンの「優雅な生活」を象徴し、時代をリードしていた。

「中流意識」というのは、60年代後半、内閣の調査が「あなたは中流だと思いますか」てなぐあいの質問をすることで、みなが知った意識だと、おれは思っている。さらに、その調査結果を報道したマスコミの記事によって、ああ自分は「中流」なのだと「自覚」された。そうかあ、これが「中流」なのか、それならおれも「中流」だ、クルマも冷蔵庫も洗濯機もあって人並みだものな。トリスからオールドまでいかない、レッドかホワイト、ニッカならハイニッカあたりで、「中流」になった。

いま、「中流意識」が、ホッピーを飲んでいる。働かなくてはくえないものが圧倒的で、ホッピーを飲もうが、大衆酒場へ行こうが、大衆食堂へ行こうが、大衆めし食べようが、大衆のすし詰め通勤電車に乗ろうが、「労働者」「大衆」という意識は持ちたくない「中流意識」。

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2010/12/04

バーボンハウスとバーボンウイスキー。

岡崎武志さんのブログ「okatakeの日記 2010-12-03 春だったね」に、「原宿ペニーレインのボトル値段は、75年当時でアーリィ・タイムズ8000円、IWハーパー1万円だという。公務員初任給が約8万円の時代、いまの感覚だと2万ちょっと。高いなあ」とあるのを見て、そのころよく行った、歌舞伎町のバーボンハウスを思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/okatake/20101203

初めて入ったのは、1974年のことだ。何月かは覚えていないが、7月7日の参議院選挙投票日より前だったのは、たしかだ。31歳の誕生日より前だな。そのころおれは、カクさんが党首の政権党の選挙キャンペーンの仕事で、全国区トップ当選したタレント候補者の事務所へ出向していた。そして、いまの政権党の「ブレーン」とかのウワサも聞く「ジャーナリスト」の某さんに連れられ、バーボンハウスへ行った。

バーボンウイスキーなるものを、初めて飲んだ。アーリータイムズかIWハーパー、どちらかを飲んだはずだが、どっちだったか覚えていない。とにかく、それでバーボンにはまって、事務所が靖国通りの歌舞伎町の入口にあって近かったし、出向中は、新聞記者たちと、あるいは1人で、よく行った。バーボンハウスはカジュアルな雰囲気で料理もうまかった。

選挙のあとかたづけも終わって、8月で出向を解かれ元の市谷の事務所にもどってからも、80年ごろまでは、ときどき寄っていた。

あのころ、おれの飲み代は、会社のカネと自分のカネの境はなかったから、値段などは、まったく気にしていなかったし、覚えていない。そうねえ、7,8千円あるいは、もっとしたんじゃないかと思う。まだ輸入ウイスキー自体が高かったからね。よく利用していた歌舞伎町の、まっとうなクラブのなかではイチバン高いクラスといわれたクラブで、ダルマのボトルキープが2万円だったはず。いまの感覚だと4万円ぐらいってこと? この店の飲み代も、自分で払ったことは一度もない。自分のカネで飲むのは、いすずや日本晴やション横など、赤ちょうちん安酒場だけ。

そういえば、このクラブの件や選挙の件は、前に一度書いているはずだな。

70年代中ごろは、バーボンを置いている店は少なかった。バーボンハウスは、その後どうなったのだろう。検索してみたら、なんと、あった。それも、西川口に。
「ザ・バーボンハウス」の「ザ・バーボンハウスの歴史」に、こう書いてある。
http://bourbonhouse.jp/About.aspx

「バーボンハウスは1963年、もともとサントリー株式会社より日本にバーボンウイスキーを広めるために当時のオーナーが委託され、アンテナショップ的に新宿歌舞伎町からスタートしました」

そう、あそこは、サントリーのアンテナショップだと聞いていた。歌舞伎町のつるかめ食堂周辺の2階にあったと思うが、正確な場所は思い出せない。

「1983年新宿歌舞伎町周辺の区画整理事業などにより、オーナーの地元である埼玉県の川口市に移転してまいりました。川口に移転して、マスターも現在で三代目」。うーん、これは、行ってみたいねえ。

岡崎さんは、バーボン党だそうだ。いまのおれは、バーボンは嫌いじゃないが、とくに好きというわけでもなく、たまーに、チョイと気分を変えて飲むていどかな。

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2010/12/03

古墳ナイトの資料やら、味噌汁ぶっかけめしの撮影やら。

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まだ先のことだと思っていた、東京カルチャーカルチャー@お台場での「古墳でコーフンナイト」、もう12月だからのんびりしてはいられない。スソアキコ古墳部長に電話して、スライドを作るための資料やら画像を送ってくれるよう頼んでおいたら、さっそく、きょうの午前に届いた。

それをチラッと見て出かける。午後1時に、十条の大衆食堂「天将」で、味噌汁ぶっかけめしの撮影があるのだ。天将さんは、『みんなの大衆めし』の撮影でも、お願いしたところ。味噌汁がうまいので、またお願いした。

少し早く着いて、さっそく生ビール。飲んでいるうちにあらわれた、編集女子さんとカメラマンさん、初顔合わせ。いつも見かける常連さんのほか、数人のお客さんが飲んだり、めしを食べたりしていたが、おもっていたより、ちゃんとしたセッティングの撮影で、チョイと移動してもらったり。編集女子さんに、大雑把な構成やレイアウトを聞き、原稿内容の打ち合わせ。

まずは、おれが味噌汁ぶっかけめしを食べるところを、味噌汁をめしにかけるところから撮影を始めて、きれいに食べ終わったあとまで。それが終わると、おれはまた生ビール。撮影は、厨房のなかまで入り、天将のおばさんが味噌汁をつくっているところやらなんやら、そして最後はご家族の写真。

常連さんたちが、あれこれ話しかけてきて、とりわけやはり若い女子に興味があるわけで、編集女子さんは、そのお相手をしながらだったり、カメラマンさんは、ついに常連の1人に「葬式用に一枚撮ってくれ」といわれ、ほんとに撮っていた。ま、そんなこんなで、まいどの天将らしく、にぎやかに冗談が飛び交うなかで、天将さんが休憩に入る2時半ごろ、無事に撮影はおわった。

012さて、と、その原稿も書かなくてはならないが、「古墳でコーフンナイト」のスライドの構成も考えなくては。スライド作るのは、けっこう時間がかかるから、のんびりしちゃいられない。といいながら、けっきょくグズグズしちゃうのだが。

古墳トークと古墳ブルースをやる、Black&Blueのマリこと、まりこふんさんは、この5日に奈良でライブをやって、古墳巡りをしてくるそうで、たいそう張り切っていますです。こちら「まりこふんのブログ」に、その様子が。
http://marikofun.cocolog-nifty.com/blog/

おれとトークをやるスソさんは、あいかわらず忙しく、いま東京にいなくて、メールをもらったら、そこは嵐だそうだ。ま、こっちも、きょうは荒れ模様。
「ほぼ日刊イトイ新聞―スソさんのひとり古墳部」は、こちら。
http://www.1101.com/kofun/

12月21日、東京カルチャーカルチャーの「古墳でコーフンナイト」情報は、こちら。みなさん、大いに宣伝し、大いに誘い合って参加してください。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_101107203252_1.htm

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2010/12/02

『汁かけめし快食學』は画期的だねえ。

ひさしぶりに「味噌汁ぶっかけめし」について書く原稿を頼まれて、『汁かけめし快食學』を読み返した。自分が書いた本なのに、自分で、いやあ、これこそ「名著」というにふさわしいと思ってしまった。ま、日本の料理や味覚、料理史や食事史を語るなら、やっぱ、この本を読まねば、ダメだね。

ちゃんと、「料理とは」といったことや「料理と味覚」「食事の様式」など、基本的なところを、シッカリ押さえている。時代や社会の変化と食文化と味覚の関係への目配りもできている。これを読めば、「丼」チェーン店が、なぜイマ支持されるかの必然も明らか。もちろん、「汁かけめし」については、もうバッチリ。とかとか。

だけど、前にも書いたような気がするが、この本は、チョイと複雑な書き方をしているもんで、そのう、嫌われるところもあるだろう。某氏は、「戦略的書き方」なんて評したけど、それほどのものじゃない。国営放送やマスコミが流す言説にまどわされず、「真実」を探究する興味があれば、ふつうに理解できるはずだとおもう。ある一面、この本は、江原恵さんの『庖丁文化論』や、江原さんの主張である「生活料理学」の、ブレイクダウン解説のようなところもあるのだな。

それはともかく、「ひさしぶりに「味噌汁ぶっかけめし」について書く原稿を頼まれて」と書いたが、ふりかえってみると、汁かけめしについて、テレビやラジオの出演はあったし、週刊朝日の「猫飯特集」や新潟日報の「卵かけご飯」特集で、能書きコメントをしたことはあるが、味噌汁ぶっかけめしをテーマに書くチャンスは、これまでなかったのだ。まったく無視された数年間、わったしはいつも無視されても耐えています。

これほど丼物やカレーライスなどを好んで食べながら、それほどまで「汁かけめし」に無関心であり、おれの『汁かけめし快食學』は信用されていないということだろうな。そりゃまあ、そうかなと、この日本のアリサマを見れば、おもう。でも、もちろん、ありがたいことに、ちゃんと理解してくれている読者もいる。

ま、とにかく雑誌に、「味噌汁ぶっかけめし」について書くチャンスが、初めてまわってきたのだから、ハテ、うまく書けるかなあ。掲載誌は、締め切りまでに原稿を書き上げ、無事に校正がすんだら、告知します。

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2010/12/01

「ごはんよ~」の夕食の景色。

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最初の画像は、何度か登場しているが、ウチから東大宮駅へ行く途中にある公園。28日の日曜日、15時過ぎの撮影だ。10人ちょっとの子どもたちが遊んでいた。平日の夕方には、小学校のすぐ近くということもあってか、いつも、もっと多い人数がいる。

ちかごろは、16時をすぎると暗くなりはじめ、17時には、すっかり暗くなっているが、そのなかでも必ず、数人の子どもたちが遊んでいる。

このあいだ、その暗がりの向こうから、おかあさんが子どもを呼ぶ声がして、ナントカ~と子どもの名前を呼び、「急いで買い物に行ってきて~」といった。

夏には、もっと遅い時間の、夕闇という感じのときに、やはり、ナントカ~と子どもを呼び、「ごはんだから帰っておいで~」という声がしたこともある。

ここに引っ越してくるまで、長いあいだ、そういう景色とは縁遠かったから、最初はチョット胸きゅんのセンチメンタルじゃぁねえかだった。かつて自分にもあって、いったん消えて「異文化」のような感じになっていた景色が、またもどってきたような、とでもいうか。

この落ち葉だらけの公園の掃除が、近々ある。今年は、3回あったうちの2回は参加して、これがことし最後の掃除だから、イチオウ参加のつもりなのだが。朝だから寒いだろうなあ。夏場なら、もう9時すぎになると、暑くて、しゃがんで草むしりして立つと、クラッとすることもあるが、冬だからねえ、もっと昼近くのほうが、参加者が多いような気もするが、掃除というと朝なのだ。ま、朝のうちに公共の掃除は片付けて、あとは家族で、という過ごし方があるのかもしれない。

017_2もう一つの画像は、8月に撮影したものだが、こちらはウチから駅へ向かうのとは反対側、1分かからないところにある公園だ。

ナントカ用水を暗渠にして公園にしたところで、夏は水が流れるようになっている。ここで、夕方になると、子どもたちは水につかって、暗くなるまで遊んでいる。

とにかく、このあたりは子育て家族が、けっこういるようだ。

ウチの自治会の班は、こちらの公園のほうが、ずっと近いし身近であるが、管轄がちがうらしく、掃除の当番はない。ところが、上の画像の公園からは、自治会のなかでもイチバン遠い位置になるので、どうも気合が入りにくいのだろう、いつも清掃の参加者は少なくて、責任者は困っている。

話はちがうが、資料を探していたら、きのうのエントリーに書いた原口剛さんが、06年7月2日のカルチュラル・タイフーン@下北沢のシンポのときに用意したレジュメがあった。

「労働の記憶を語り継ぐ 大阪「築港」の社会史」のタイトル。その最初のほうに、こう書いてある。

…………

◆消費空間は、どのような意味で「代償的」なのだろうか?
 1)コミュニティあるいは集団性からの孤立に対する「代償」
 2)ますます不安定に、過重になりつつある労働に対する「代償」
 ……しかし、「代償の空間」が提供するのはこれらの問題に対する「気晴らし」のみ→そこが問題!

◇では、「自律的な空間」とは、たとえばどのようなものだろうか?
 1)社会的結合の創出:世代、階層、文化的背景の異なる人々が語り合い、知り合うことができる空間=それによって思いもよらぬ集団性やコミュニティが生み出される空間
 2)生の全体性の回復:消費することをつうじて労働することを捉え返すことができるような空間=それによって人びとに力が与えられる空間

…………

そうそう、この上の画像の公園では、ときどき、黒人のような(つまりブラウンより濃い色の肌の)子どもたちを見かける。ほかの子どもたちとフツウに遊んでいるのだが、つまりフツウに日本語をシャベリ遊んでいる。その様子が、どうもまだシックリこない。初めて、その肌の色がちがう子どもたちどうしが、日本語で話し合っているのを見たときは、ビックリして、よく状況が解せなかった。どうもその、「黄色い肌」でない子どもたちが、日本語で話し合っていることに、不自然を感じてしまった。えっ、ここ、日本だよなあ、えっ、でも、どうして日本語しゃべるの、せめて英語じゃないの?なーんて思ってしまう違和感があったのだ。

子どもたちは、まったくへっちゃらなのに。「多文化共生」とかいわれて、市や区の広報誌も数ヶ国語で印刷されたページもあるし、おれはどちらかという偏見はないほうだとおもうが、感覚やカラダが、まだついていけてないのだろう。

子どもたちは「自律的な空間」を創出しているようにみえる。もっとも逆もあって、あの群馬の自殺児童の件は、その後どうなったのだろうか。

「自律的な空間」というのは、ただその場所に一緒にいて、一緒に飲食したり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、ということではない。そこがまあ、難しいところでもある。できたら、一緒に飲食したり、一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、ていどのお付き合いですませたいもの、ということもあるだろう。でも、それでは、「自律的な空間」の創出にはならない。

ともあれ、食事の空間というのは、ここに原口さんがまとめる、「消費空間」にも「自律的な空間」にもなりうる、最も大切なことだとおもう。選択は、食べるひとにあるのだろう。

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