« これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。 | トップページ | ロクデナシの唄。 »

2011/03/13

地震、『死が二人を別つまで』を読んだ。

0311jishin_01a_2地震の発生は、この前のエントリー、2011/03/11「これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。」をアップして、まもなくだったと思う。あとで時刻を調べたら午後 2 時 46 分ごろだったらしい。

パソコンに向かって、原稿を書いていた。ユサユサゆれだしたときは、ちょっと大きそうだけど、震源は遠そうだなという感じがした。すぐユサユサもおさまるだろうと思っていたら、おさまらず、激しくなった。いろいろな音が激しくなり、とつぜん、右側の棚の上のプリンターなどが、ガーンと落ちた。そのとき、おれは「ワッ」と声を出した。左側の足元には、棚から落ちたものが散乱。写真でも、棚板が前方にずれているのが、わかる。落ちたのは、棚の手前側にあったものがほとんど。

0311jishin_02a_2でも、まあ、動かないのが一番安全と思って、ウチはテレビがないのである、そのまま座って、ネットで地震速報を見た。まだ揺れていて、棚からは、引き続き、ぱらぱら何かが落ちていた。

えーと、第1報は、なんと出ていたか忘れた。とにかく、仙台あたりで、震度7の、かなり大きな地震が発生したことは、わかった。

ウチは、地盤の弱いところに建っているから、おれのいる2階は、けっこうゆれる。だけど、地盤が弱いことはわかっていたので、地震対策はシッカリやって建てたのであり、とくに不安はなく、余裕だった。少しおさまったところで、立ち上がり、「被害状況」を写真に撮った。最初の写真に写っている時計は、地震発生後10分弱ぐらいの2時54分ごろだった。

おれのまわりだけが、こんなにとっちらかっただけだった。プリンターがのっていた棚は、ほぼ東南向きの壁にある棚で、ほぼ東西の横位置にある。プリンターは、横前方向、ほぼ西方向に落ちている。東西方向のゆれが、激しかったようだ。あとで1階を見たときも、テーブルの上に注いだまま飲んでなかったカップのお茶が、ほぼ東西方向に飛び出してこぼれていた。

家具は、すべて造り付けだから、倒れることはない。部屋を出たところの収納の上に置いてあった、秋田の縄文遺跡で作った土器が落ちて割れていた。4月のトークライブは「古墳めぐりの旅 〜はにわの魅力をたっぷり味わおう!〜」なので、この土器を持っていこうと思っていたのに、壊れてしまった。チェッ。

0311jishin_03_31階は、あまり変化はなかった。やはり造り付けの食器棚を見たら、これも地震対策をしてあったから扉は開いていなかったが、なかで器が倒れて手前に転がっているのが見えた。食器棚は西側を背にしているのだから、やはり東西方向に転がったのだ。扉の片側からそっと開ける。棚の一番上の左奥側には、丈のあるグラスを伏せて置いてあった。つまり重い足の台が上になっていた。それが頭の重みで転がり、手前のグラスを倒したものらしい。一個が破損していた。

0311jishin_04_2そこそこ大きなゆれは続いていた。とりあえず、水道も電気も通じているから、めしを炊いておこうと思い、米を電気釜にセットした。2階にもどり、まだ余震の大きなものがくるかもしれないから、片付けるのは早いなと思い、ベッドに横なろうと、ベッドの横の棚から床に落ちていた文庫本を見た。すると、創元推理文庫のルース・レンデル『死が二人を別つまで』が見えた。うーむ、こんなとき、ピッタリのタイトルのような気がして、それを持ってベッドで横になり、読み出した。

と、書いていると長くなるな。とにかく、こういうときは、あまり急がずに、なんでも一呼吸おくのがよい。ってわけで、あとは、ゆるゆる片付けをして、ゆるゆる酒を飲みながら、全体の被害状況をつかむ。ま、はたから見ると呑気なようなんだが、それなりに自分なりの対策を考えていたのだ、たぶん。

どうも原発というのは、これまでの実績からしても、原発関係者の言うことはあてにならないし、ましてや政府や役所は当事者の東京電力の「報告」にもとづいて発表しているだけだし、その「報告」たるや、かつては嘘だらけというのがあったわけで、ようするに電力会社は信用ならない。地震の大きさからすれば、念のため対策にこしたことはない、といっても自分でやれるのは、ヨウ素を摂取しておくぐらいと考え、ワカメをみそ汁にタップリ入れて食べる、気休め。

さっちゃんは、高崎線も宇都宮線も動いていないから、蓮田のひとにクルマで送ってもらい帰ってきた。途中かなりの広い範囲で停電だったとか。

被害の小さい地域のものが、不安や気休めや正義感や感傷や興奮から騒いでも、情報を混乱させたり、方向性を間違えさせたり、必要なプロの活動の邪魔になるだけだし、何もしないのがよい。自分で出来る対策だけはシッカリやって、きのうは一日、ときたまネットで様子を見て、ベッドで『死が二人を別つまで』を読み、節電を心がけ、酒を飲んでいた。もちろんワカメも食べた。案の定、原発の状況は、ひどくなる一方だった。

『死が二人を別つまで』を読むのは、2.5回目だと思うが、きのうの夜中に読み終えた。前は気がつかなかったが、そこそこ料理がのっている。この本の内容ではないが。いつかは死ぬわけで、死が二人を別つまで愛し合えたら、よいですね。こんな地震のときは、とくにそう思うものではないだろうか。しかし、パニックだから感じる「絆」や「愛」なんて、あんまりあてにならないことも少なくない。

とりあえず、そういうことで、また書き足すかもしれない。

| |

« これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。 | トップページ | ロクデナシの唄。 »

コメント

スソさん。
本日は、都内へ行って昼酒してきました。
余震でゆれているのか、酔ってゆれているのか、
わからん状態。ってほどじゃないですが、
毎日停電のたびに酒飲んで食って寝てですから、
確実に太りそう。震災太り。

いまやスソさん、帽子のビジネスチャンスですよ。
放射能防止帽子、ってダジャレじゃないですが、
ワタクシ、アイデアが湧いたのです。
マスクも不織布の使い捨てがあるように、
帽子もスッポリ頭をつつむオシャレなものを、
不織布や紙でつくったらどうかと。
これで、外出から帰ったあと、
ビニールに入れてポイ。
これは、いけます。

スニーカーはいたまま、放射能防止帽子、
つくってください。

中野で、イッパイやりますかね。

投稿: エンテツ | 2011/03/18 18:42

こんなときはエンテツさんのブログを読むに限りますね。
小さな余震にもビビってしまいスニーカーを履いて仕事しています。都内で帰れなくなって困ったら中野にいらしてください。

投稿: スソ | 2011/03/18 12:14

ジローさま

ありがとうございます。

かなり広範囲で被害が出ているようですね。

宮城で1人、岩手で1人、
まだ無事が確認できない知人がいます。
どうも大都市の少ない「東北」のことでもあり、
イマイチもどかしいのですが、
無事を祈りながら、
見守るより仕方ないですね。

揺れつづけというぐらい余震がありますが、
このまま終息してほしいものです。

投稿: エンテツ | 2011/03/13 13:23

エンテツ様

ご無事でなによりです。
テレビでしか情報はわかりませんが、
東京の親類や友達とも連絡がついて安心しました。

大きな地震は、神戸の震災の時にかなり揺れましたが、
今回の地震も、情報を聞いてるだけで、
なんとなく胸が痛みます。

まだ余震が続いているようですが、
このまま終息へむかうことをお祈りします。

お疲れ出ませんように。

投稿: giraud | 2011/03/13 13:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 地震、『死が二人を別つまで』を読んだ。:

« これが木村衣有子『あのとき食べた、海老の尻尾』だ。と、発刊記念トーク×エンテツ。 | トップページ | ロクデナシの唄。 »