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2011/03/21

ひとりめし強者。

Tokiwa01『大衆食堂の研究』は、最初の普通なら「はじめに」にあたる文章を、「ジャンクな大衆食堂に、ひとりで入れるかい?」で始めている。大衆食堂でひとりでめしをうまく食べることを、自立の最後のハードルとして、強調している。そして、「自立編*食堂利用心得の条 オトナの道」の「奥が深い食堂ここがちがう」で、こう述べる。・・・・・・

 食堂はフツーの飲食店とはちがう。
 あかの他人同士が、あかの他人とは思い過ごせないような密な空間で、日常の最大にして最高のイベントであるめしをくうことをする。
  「私的な距離」などない空間で、私的にめしをくう。ここがカンジンなところだ。
  そして密な空間であるがゆえに、お互いのめしの成功のため、お互いが道義的責任を負わざるをえない。そこでは店側と客側という立場をこえた関係も生じる。
  こういう状況をひとはよく「家庭的」だという。しかし食堂の客には家庭的な感じが好きな人もいれば、ヘン、家庭なんてくそくらえっていうやつもいる。家庭的にやりたいやつはやればいいし、そうでないやつは、それぞれの意思にしたがう。したがって「私的な距離」がないことを理由に「家庭的」だなんていえない。
  ようするに、とても自立性やモラルやマナーのレベルの高い空間なのである。
(略)
 食堂は相部屋雑魚寝システムである。ひともよし自分もよしとする関係をつくらなくてはならない。ここに自他の緊張関係が発生する。基本は個人プレーだが、「あうん」の呼吸のチームワークのようなところがあって、客がひとり出入りするたびに、食堂内の局面は、どんどん変化する。入るほうにすれば、そこにスッと入っていって進行中のチームプレーに何くわぬ顔で参加し、局面を判断し、会話をしたきゃするし、口をききたくなければ黙ったまま、めしくって、スッとひきあげるのだ。その間に、他人のめしをおかさず、かつ自分の最大の満足を追求するのである。

・・・・・・さらに、「食堂のめしをうまくくえるか」で、こう述べている。

 ひとりでくう食堂のめしはうまいか?わびしくないか、さびしくないか。ということを聞かれることがある。おれは、こう返すのだ。
 それでは、ひとりでも、めしを楽しくうまくくう方法を知っているか?
(略)
 めしを一緒にくっているから家族の絆が深まった、二人の愛は深まった、なんて思い込んでしまうオトナ。不幸だ。 自分でうまくくう方法について考えたことがない。生活最大の誤りである。
 ひとりでもうまくめしをくえる、そういう自立を先に極めなくてはならない。

・・・・・・と、こんなぐあいだ。

先日、山手線鶯谷駅で辺境詩人と正午に待ち合わせた。信濃路で昼酒と思ったのだが、あいにく原発災害のあおりをくらって休み。10分チョイ歩いたところの、建物は改築したが昔からある大衆食堂へ行った。そこで、脱帽最敬礼をしたくなった、「ひとりめし強者」に出会った。

着いたのが、12時20分ごろだから、混雑の最中だった。その食堂は、奥に長く、ドアを開けると、まっすぐ奥の厨房につながる通路になっていて、両側に4人がけのテーブルが4台ずつ計8台。

Tsuge_2その中の1台だけが、座っているのは1人だった。とうぜん、そこで相席である。彼は、入り口のほうを背にしていたのだが、その背が、あやしいオーラを放っていた。それは、つげ義春の漫画の主人公が放つ、なんていうのかなあ、アレなんである。薄い生地のジャンパ姿の、弱々しそうな精彩のない、少しやせ気味の背格好、ややうつむき加減の姿勢からして、そうなのである。(ここに、ピッタリな感じの、その一コマの部分を載せる。「義男の青春」から)

テーブルの横に立って、相席の挨拶をしようと、その表情を見た瞬間、ああ、これは無言のほうがよいと判断、手と身体で会釈し、詩人を奥側の椅子に座らせる。手前側に座っていた彼とおれは、向かい合わせになった。

20代後半か30になったぐらいか。彼は、うつむき加減のまま、だから、やや目線は下方になるわけで、おれとはまったく目を合わせない。両手は太股のへんに置いたまま、表情も変えず、微動だにしない。目の光は、格別強いわけではないが、弱いわけでもない。ただ、一点を見ている。って、その先には、テーブルの天板しかないと思うのだが。色白で、ジャンパーを着ているが、室内の仕事なのだろう。

彼が注文したものは、ほかの人に比べ少し遅れ気味であったらしい、食堂のおばさんが、ほかの人のめしを運びながら、「ごめんね、すぐだから」というようなことを言った。そのとき、軽くうなずいたが、目線をおばさんにふるわけでもなく、まっすぐうつむいたままである。

この食堂の常連であるのは間違いない。めしが出てくる前にお茶を飲み干した彼は、茶碗を持って立ち上がると、お茶を汲みにいった。そのとき、なんと、彼は、小さんな手提げ袋、トートの小さいやつというか、口が20数センチぐらい木綿製を持っていたのだ。その中には財布などが入っているのだろう、男子の場合、財布のほかに何が入っているものか想像できなかったが、それをぶらさげて、お茶を汲みに立った。

彼が頼んだのは、500円か600円の定食で、コロッケとアジフライがメインである。それは刻んだキャベツに、少し重なった状態で皿に盛られていた。彼は、コロッケとアジフライを皿の上に平らに広げ、ソースを手にすると、それぞれに、ゆっくりまんべんなく、ソースをかけた。フライのころもが見えなくなるぐらいかけた。でも、ドボドボかけるのではなく、あくまでも、ゆっくりである。

その目は、皿の上を見つめ、顔は神妙であるが、いくぶん輝いていた、つまり控えめながら興奮が見られた。かけおわった彼は、ヒジョーにゆっくり、大事そうに、箸の先でコロッケやアジフライをちぎって口に運ぶ。かぶりつかない。

あまりにゆっくり食べるものだから、おれたちが座った後ろの席が空いたぐらいで、おれたちはそちらに移った。おれは、また彼が見える位置に座った。彼は、ゆっくり食べ、ゆっくりお茶を飲み、食べ終わると、例の手提げ袋を持って、厨房そばにいるおばさんに勘定を払い、出て行った。その足取りは、軽かった。12時50分ごろだった。

いやあ、あまりジロジロ見てはいけないから、相方の詩人とビールを飲み談笑しながらだったが、まさに、1人でも悠々泰然自若とめしを食べて帰る姿に、「ひとりめし強者」という言葉が浮かんだのだった。彼は、この昼食を楽しみにし、じゅうぶん楽しんで帰ったようだった。最初は、一見弱々しく見えた姿が、頼もしく思えた。

Tokiwa02おれたちは、850円のミックスフライ定食と、550円の大瓶ビール2本を空け、あれこれおしゃべりをし、1時半ごろまでいた。めしはうまいうえ、混雑していても、せかされる雰囲気はなく、マイペースで、ゆっくりできる。あの青年にとっては、昼のオアシスなのかもしれない。

1時前後、客はほとんどいなくなり。おばさんが、おれたちの顔を見て、「1時過ぎるとガラガラ」と自嘲気味に笑った。でも、ボツボツは、入っていた。

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コメント

おっ、なかなかよい、ひとりめし地震体験じゃないですか。いかにも田舎な「村の食堂」の雰囲気でもあるし。

ビール瓶が倒れるほどじゃなかったのが幸い。

しかし、福島は地震に東電災害が重なり、大変。

投稿: エンテツ | 2011/03/22 20:39

地震が起きた11日、わたしは南会津の実家に行って、食事を作るのも面倒なので村の食堂=ラーメン屋に行き、ビールを飲みはじめたところでした。TVで地震が起きたというニュースが入り、多少間があって、ものすごい揺れがやってきました。
客はわたし一人で、腰を浮かしそうになりましたが、なんとか揺れは治まりました。わたしの注文した味噌ラーメンと餃子を調理していたおばさんは、ちょっと待ってほしいと言って何カ所かに電話をかけています。
後に地震の実態を知った時には、飯を中断して無人の実家に戻るのが普通だったかと思いましたが、ビールの大瓶もあったので、ノンビリ調理が再開されるのを飲みながら待っていました。
長い時間がかかって、地震を挟んで作られたラーメンと餃子は、特に美味でも不味くもなく、普通の味でした。

投稿: ヤマザキ | 2011/03/22 12:19

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