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2011/06/11

とりあえず、飲んでいた。

本の原稿300頁以上渡し、トンネルをぬければ酒だった。4日、土曜日。野暮連、シノ、コン、タノらが東大宮まで来るってんで、16時に駅で待ち合わせ。一軒目、もつ焼きセンター。煮込みともつ焼きいろいろ、生ビールのちホッピーで、もう酔っ払い。6時ちょっと前、昭和酒場コタツへ。ほとんど覚えない。とにかく、前から気になっていた、スパムとチーズの天ぷら食べて、うまかったのだけは覚えている。とにかく、泥酔記憶喪失状態でありながら、9時ごろまでは飲んだのか。つぎは、もうヨレヨレで、行けない。どうやって帰ったかも、わからない。

6日、月曜日。ひょんなことで、ツイッターでつながった石川さんと飲むことになり、やっぱり16時に東大宮駅で待ち合わせ。もつ焼きセンターへ。ところが、人手がなくて、店飲みは休み。石川さん、わざわざ川崎から来たのに。でも、東大宮は、もつ焼き、まだまだあるのだ。駅前にもどり鉄砲屋。ビールからホッピー。そして、ちゃぶだいへ。もちろん、もう酔っている。えーと、最初が花泉のにごり、つぎ鶴齢までは覚えている。

おれたちはテーブル席にいたんだが。入ってカウンターに座った女子が、手をあげて挨拶するから、おれも手をあげて挨拶をかえす。だけど、離れているのと、もう眼のピントがあわなくて、誰だかわからない。

とかやっているうちに、とにかく、その女子も、カウンターにいた4歳少女を連れた若いおかあさんまで、おれたちのテーブルによんで、一緒に飲んでいた。もう、なにがなんやら。なんと、その誰だかわからなかった女子は、常連のKさんだったのに、いかに普段とちがうカジュアルなファッションで眼鏡をかけていたとはいえ、わからないのである。もう泥酔のグラグラ状態。そのうちに、母娘は帰り、石川さんも帰り。最後は、Kさんと少しは飲んでいたか。彼女の仕事と休日だけは、なぜかシッカリ覚えた。Kさんとは、こんど飲みましょう、と、前から何度か言っているのだが、なにしろ連絡方法がないもので、ちゃぶだいで偶然あうしかなく、あえばこんな泥酔状態というオソマツ。

ま、そんなわけで、またもや、どうやって家に帰ったかも、わからない。

翌日、7日、火曜日。この日に行っておかないと、今月一杯で帰国するアンナに会えなくなっちゃうから行くことにしていた。やどやゲストハウスのゲスト、フランス人のアンナが毎週火曜日にやっているカフェの日なのだ。夕方には、身体も調子がよく、出かける。いやあ、そして、アンナも含め、国際色豊か20歳前後が多い若い連中と、食べて飲みました。

Dscn0110aアンナは、フライライスって、ようするにヤキメシじゃんかをつくり。関西人のゲストのKくんが、タコ焼き。やどやの近所のJくん、まだ未成年が、トッポギのなんて料理だろう。そしてまりりんが、味噌スープって味噌汁じゃんか。とかとかといった調子で、どれもうまくできていて、しっかり食べながら飲んだせいか、泥酔することなく、ほどよい酩酊で帰ることができた。アンナは、いったん帰国するが、また年内に来るつもりとか。

とりあえず。今日は、ここまで。画像は、アンナのカフェ。そうそう、石川さんからいただいた、長野のアスパラ、すごくうまかった。

もちろん、この間、飲んでいただけじゃなく、いい仕事もしたのだが。

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