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2011/11/30

熱い汁の喜び。ミーツ1月号「ザ・汁」特集に「エンテツの汁かけ論」。

Dscn07192011/11/14「ミーツ12月号「京橋帝国」はキョーレツな面白さ。次号では「汁かけ論」をブチ上げるぞ」に紹介した、明日12月1日発売のミーツ・リージョナル1月号「ザ・汁」特集が届いた。

おれは「エンテツの汁かけ論」を寄稿、「〈緊急寄稿〉口角から白飯飛ばし、"汁仙"基調演説」ってことで、「気取らず、ぶっかけて、かっこもう」と演説している。

この「汁」特集、『dancyu』12月号ポテトサラダ特集と並ぶ、今年の出色企画ではないかと思う。どちらにもおれが登場するから、ということではない。もちろん、それもあるが。人気者でありながら、メインディッシュの添え物のような扱いで、影になりやすいものを特集テーマにした、その意欲と面白さが、誌面に出ているからだ。

017「汁」は、添え物どころではなく、欠かせないものであるにもかかわらず、主食と副食という概念があるがゆえに、米のめしやパンに対して「従」になってきた面もある。

とりわけ京阪神エルマガジン社のミーツが「汁」を特集したのは、「場所」の関係からしても興味深い。というのも、前にも当ブログで書いたが、おれが行ったことのある大阪・神戸・京都の大衆食堂では、汁の種類が気になっていた。

みそ汁のほかに、豚(ぶた)汁、玉吸いが、普通にある。それに、そばやうどんが並ぶメニューを見ると、そばやうどんは「粉物」かも知れないが「汁物」にも見える。

079本誌にも登場する神戸の皆様食堂のように、21種類もの汁を揃えていたり。街を歩くと、この写真のように「汁」をウリにしている食堂がある。これは、何か場所つまり街と関係ありそうだと思うのだが、いまだ謎は解明できないでいる。

ついでに。特集冒頭は「食堂豚汁、巡礼」ということで、5つの大衆食堂の豚汁が載っている。そのうち3つの食堂は、『大衆食堂パラダイス!』にも顔を出している。どれも、うまそう!

とにかく、この「ザ・汁」特集、硬軟取り混ぜて、充実している。面白い。杉作J太郎さんが「特別寄稿!妄想小説」なるものを書いていたり、汁ネタの世界は、想像以上に広い。それに、いまやコンビニの商品にもなって全国ブランド化しつつある「千とせの肉吸い」と「絶滅黒髪少女」なるページがあったり。まいどのことながら、縦横無尽の編集力が、見させる読ませる。

これまで、おれが登場するミーツは、発売早々に在庫切れになった。今回も、また、そうなる予感が・・・。

ま、桃井麻衣子さんが編集前記で申しているように、「啜る側は「寒いから汁!」と至極単純」で、ええのである。見ているうちに、汁と編集の熱が伝わる、熱い特集だ。よろしく~。

呑む前もアツアツの汁、呑んだあともアツアツの汁、食べるときはぶっかけめしで、年末を突っ走ろう。

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2011/11/28

墓も古墳も死生の妄想か、それとも一夜の酔夢か。

001きのうは、東京カルチャーカルチャー@お台場で〈「墓マイラーと古墳めぐり」トークバトル!〉ってことをやった。これで、カルカルでの古墳がらみは、3回目かな。

出演者は、あきやまみみこさん(墓マイラー)、小嶋独観さん(墓マイラー)、まりこふんさん(古墳シンガー)、おれ遠藤哲夫(大衆食堂の詩人)、司会:テリー植田さん(東京カルチャーカルチャー・プロデューサー)という顔ぶれ。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_111026203756_1.htm

17時半開場で18時スタートだが、リハーサルがあるので、16時半集合ちょうどに着いた。当初は、あきやまさん、おれ、休憩のち、小嶋さん、まりこふんさんの順序だったが、スライドを見た結果、まりこふんさんとおれは入れ替わった。さらに、「墓マイラー」という名の生みの親であるカジポン(梶本修)さんが大阪から駆けつけ、加わることに。

スタートと同時に呑みはじめる。テリーさんに「呑んでください」といわれていたし、いわれてなくたって呑むのだが。隣に座った、まりこふんさんも、おれと同じペースで呑んでいる。古墳組は大丈夫か、酔ってしゃべれなくなるんじゃないかという勢い。

あきやまさんは、ニースの墓から始まり、沖縄の墓、国内有名人の墓、最後に沖縄の神様の墓など。墓ってのは、生きること死ぬことに関わる文化の集約場所なんだなあ。そういう意味じゃ古墳も同じ。とくに沖縄の神様の墓と、その場所は、ほとんど古墳のような気がした。

まりこふんさんは、古墳のかたちなど、古墳の基本的な話から、野毛山古墳祭りのレポート。あらためて、文字も普及してない時代に、よくあのようにデザインされた大きな構造物を造れたものだと思う。しかも、記録はないため、そこにどんな死生観が込められているかは、想像するしかない。いや、その勝手にアレコレ想像できるってのが、古墳の楽しみでもあるのだが。野毛山古墳祭り、世田谷区の学芸員さんが頑張って企画し、今年で4回目のようだが、ぜひ続けてほしいと思った。ドングリなどを使う古代食もあって、楽しそう。

休憩をはさんで、後半。小嶋さんのトークは、「珍しい墓」というテーマ。田んぼの中の墓。埼玉県でも見られるし、小嶋さんのスライドも埼玉県吉川市の田んぼの中の墓だった。時々見かけてはいたが、こうやって見ると、じつに不思議な風景。なんといっても面白かったのが「樹木葬」というもの。岩手県一関にある例の紹介だったが、墓地は、そのまま自然の山。といっても、もちろん原生林ではないが。埋葬した上に木を植えるというもの。もちろん墓石などはない。これはお寺さんのニュービジネスで、近頃人気らしい。そして、日本のイスラム教徒の墓。イスラムは土葬なので、どこでもよいというわけにはいかない。ところが、なんと、土葬ができる地域というか自治体があるのだな。知らなかった。また、その墓の様子も興味あるものだった。

と、小嶋さんのあとに、カジポンさんが天皇の墓めぐり。時間が短いので23ヶ所だったかな?怒涛のスライドあんどトーク。いやあ、その迫力に圧倒されました。

最後は、おれ。たぶん中生を4杯ぐらいは呑んでいたけど、そこそこ、うまくやれたと思う。

026ajpg古墳の楽しみはいろいろあるが、今回は「妄想編」。もっといえば、東京妄想編であり、アースダイバー的娯楽編なのだ。上野と鳥越と浅草の、妄想をたくましくしないと古墳には見えない古墳を紹介しながら、スカイツリーが、あそこに出来たワケを、中沢新一さんの『アースダイバー』の話などをこねくりながら、妄想する。自由な妄想こそ、想像的遊びの極致。

ま、東京の古墳のある場所は、『アースダイバー』を持ち出すまでもなく、縄文海進の頃の海岸線に多いのだが。東京タワーと芝丸山古墳の関係を『アースダイバー』的に考えれば、スカイツリーにも古墳が関係するわけだ。てな、ことを、理論的に?展開した。21時半ごろ終了。

こうして、墓マイラーと古墳はバトルにならず、いっそう墓も古墳も面白いことを確認する結果になった。こんな生と死もある、楽しい夜だった。めでたし。

030帰り、渋谷まで行くというカジポンさんと、東京テレポート駅から大崎まで一緒に。大宮まで直通のちょうどよい電車がなく、乗り継いで東大宮に着いたら23時。腹が減って、ラーメンが食べたく、ちゃぶだいへ。着く直前のおれの前で、店の看板灯りが消える。のれんも仕舞われていたが、中には客がいた。なら大丈夫。無理をいって、ぎょーめんを作ってもらって食べて、呑んだ。帰る途中で酔いがまわったのか、記憶が無い。

12月17日土曜日、さばのゆ@経堂で、まりこふんさんと古墳ナイトをやります。トークと、まりこふんさんの古墳ブルース。きのうは、まりこふんさんの古墳ブルースはなかったので、この日、大いにうたってもらおう。ま、忘年会のつもりで、みなさんご参加ください。

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2011/11/24

見沼代用水を遡り深沢七郎ラブミー農場を遠望す。

先日、ツイッターで深沢七郎のラブミー農場が話題になった。そもそも、おれが「ラブミー農場」を、なぜか「ララミー牧場」と間違えたのだが、なんでまあ、酔っていたとはいえ、ラブミー農場がララミー牧場になったのか。って、こうやって書いていると、確かに似通っていて混乱しやすいと思いませんか?思いませんね。

それで思い出したのだが、去る9月のある日、ウチの近所を流れる、見沼代用水を遡って歩いたのだ。その写真を、ちょっとだけ掲載しよう。

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ここは親水公園という名がついている。この下に見沼代用水が流れていて、つまりこの部分は暗渠であり、その上に親水公園をつくり、下の用水から水を汲み上げて流しているという、ややこしい関係にある。この水は夏期から残暑の頃には、こうして流れているが、ほかの季節には汲み上げをしないから乾いている。
写真を撮っている背中のほうは下流で、水路は露出し見沼たんぼに至る。この先は、産業道路を越えて少し行くと、暗渠は終わり水路が露出している。下の写真であり、両側は住宅街だ。
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用水の両側は道が続いている。向かって右側はクルマが通れるところが多いようだが、左側は人と自転車の通行のみだ。そちらを歩く。
残暑の厳しい日で、途中、木陰で野菜売りのトラックが店を出していた。店主は運転席でドアを開けて寝ていた。のんびりした景色だ。このあたりは上尾市になる。
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さらに行くと、右側に尾山台団地が見えた。まだ田んぼが少し残っている。田んぼを潰して宅地にしたのだろう、同じ規格の建売住宅らしい家並もあった。
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しだいに用水の両側の家は少なくなる。
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と、足元に、こんな表示があった。「ここは上尾市瓦葺」「大宮市西緑終点へ2km」いま歩いて来た方角だが、「西緑終点」が、どこをさすのかわからない。まだ調べてない。それより、「行田市利根大堰へ33km」に驚いた。そんなに続いているのか。このまま行けば利根川に出るのだ。こうやって、荒れていた関東平野に用水を引いて田畑を開発し、そして、惜しげもなく潰してきたわけだ。
そのとき、もしかしたら、この用水は、かつて1960年代、深沢七郎が「百姓志願」をして始めた、菖蒲町のラブミー農場の近くを通っているのではないかと思った。なぜか、深沢七郎に近づいたような気がして、とても気分がよかった。いつか、そこまで歩きたいものだと思った。あとで調べたら、まさに、この用水はラブミー農場の近くを通っているのだった。
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行く手を、国道16号が城壁のように遮っていた。用水を離れ少し右へ行くと、16号の下をくぐる歩道のトンネルがあった。抜けると景色がガラッと変わり、田んぼが広がっていた。先には蓮田のまちが見えた。
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2009/01/09「東大宮-蓮田、東北本線「都鄙臨界地帯」と麦味噌。」にも写真を載せて書いたが、やはり16号あたりは「都鄙臨界地帯」なのだ。…クリック地獄

この日は、ここで引き返し、別の道を通り、尾山台団地の中を抜け、東大宮西口に出た。駅前の鉄砲屋でやきとりにポテトサラダで生ビールを飲んだ。暑い中1時間半ほど歩いたあとだから、とりわけうまかった。

関連
2011/06/22「深沢七郎。」

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2011/11/23

初めての、大宮盆栽美術館。

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ここ東大宮から一つ大宮寄りの土呂駅から歩いて5分ばかりのところに「さいたま市大宮盆栽美術館」ってのがある。きょねんの開館の前に、なにやらお家騒動のようなことが報道で話題になり、知っているひともいるだろう。

「世界で初めての公立の「盆栽美術館」」を謳うが、そりゃまあ、こんな美術館は、めったにあるものじゃない。どこにでもあるが、ここが世界一とは違うのである。

それはともかく、盆栽については、以前に関わる仕事があって、いろいろオベンキョウをして、興味はあった。なので、ぜひ行ってみたいと思っていた。

きのうは、気持のよい快晴だった。

Dscn0676盆栽は、見ていて飽きない。これは、めったにない美術だろう。なんといっても、でかく成長するはずの木を、盆の上で、なるべく大きくならないように育て、しかもただ育てるだけではなく、岩や水流なども含め、自然の姿を、そこに与える。これは、まったく矛盾している。自然の姿がよいなら、自然の中で、それを求め楽しめばよいのに。その景色を、盆の上に、見立て、つくりだすのだ。模倣であるが、単なる模倣ではなく、箱庭のように小さくおさめる。そこに、衒学的な解釈による様式がある。和歌の本歌どりのような。

いやあ、そのこだわり、執念は、すごいものがある。作品によっては、表現の美しさ以上に、作者のドロドロした毒気にあてられそうなものもあり、人間てなあ、何て欲の深い動物なんだろうと思ったり。するが、またなかには、のびのびとしたものや、いまどきの「カワイイ」という感じのものもある。

とにかく、こだわりであり執念であり、愛着が、これほどこもっているものはないように思う。おそらく日々成長する木に対して、一日たりとも放っておけない気が抜けないだろう。見立ての様式より、かなりこまめに気をつかわなくては、こうはならないはずのものをつくる作者を思い、ため息が出るのだった。日本の旦那芸の極致ではないだろうか。おれのような貧乏ガサツな男には、とてもできない。

と、ため息をつきながら退出し、腹が減ったしラーメンが食べたかったが、とにかく土呂は店が少ないまちで、やっとここでいいかと喜多方ラーメンを見つけ、食べた。のち、見沼たんぼ、市民の森などをフラフラし、ウチまで歩いてしまった。

盆栽はいいのだが、この美術館は、これからどうなるのか、という懸念も若干なきにしもあらず。

さいたま市盆栽美術館
http://www.bonsai-art-museum.jp/

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2011/11/21

こんどの土日は、古墳だデーだ。

Dscn0662ツイッターでは何度か告知したが、東京カルチャーカルチャー@お台場での古墳トークは、今度の日曜日27日だ。

これまでの2回は、スソアキコさんとおれが前半、後半をまりこふんさんのトークと古墳ブルースという感じだったが、今回、スソさんは都合が悪い。そして、古墳だけではなく、墓マイラーとかいう、お墓めぐりの人たちと一緒に、〈「墓マイラーと古墳めぐり」トークバトル!〉ってことになった。ま、古墳も墓といえば墓だが。

とにかく、そういうわけで、出演者は、あきやまみみこ(墓マイラー)、小嶋独観(墓マイラー)、まりこふん(古墳シンガー)、遠藤哲夫(大衆食堂の詩人)、司会:テリー植田(東京カルチャーカルチャー・プロデューサー)で、やることになっておる。

各自の持ち時間が20分ほど。これまでは、スソさんと一緒だったから、おれは酔っ払って相手をするぐらいでよかったが、今回は、ちがう。リッパなプレゼンをしなくてはならない。そこで、どうせ単独でやるなら、これまでの古墳の楽しみには、ほとんど語られることがなかった話をしようと思っておる。

つまり、古墳というと、たいがいは、古墳や発掘品に接近した、考古的あるいは美術的な楽しみが、ほとんどであったはずだ。だけど、古墳は、もっといろいろな楽しみ方がある。古墳は、なんといっても文字のなかった時代のことなので、感覚や精神を思いっきり自由に働かせ、空想し妄想し、右脳も左脳もごちゃごちゃに使って、時空を駆け巡って楽しむことができる。なにしろ、古墳はデカイ、雄大だ。それに見合った楽しみ方をしてみようと、古墳を巨視的に見たら、どうなるか。というのが、今回のプレゼンの趣旨になる。

これを一言で言うなら、地理的な楽しみとでもいうか。近年ハヤリのアースダイバー的娯楽というか。これからプレゼン用のスライドを作るのだが、そんなことを考えておる。

とにかく来てほしい。ま、カタイこと言わずに、古墳をネタに、大いに呑んで楽しもうではないか。ようするに、そういうことだ。

詳細とチケットはこちら、東京カルチャーカルチャーのサイトです。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_111026203756_1.htm

そして、この会場に来れないスソアキコさんだが。なんと、前日の26日に、福岡県京都郡みやこ町で開催の〈みやこ町古墳フォーラム〉のパネルディスカッションにパネラーとして参加するのだ。いやあ、すばらしい。こちらに案内があるので、都合のつく方は、ぜひ参加してほしい。
http://www.town.miyako.lg.jp/sougouseisaku/osirase/kohunhuxo-ramu.jsp

以上、とり急ぎ。よろしくね。

写真は、今回のおれのプレゼンの舞台、上野公園から浅草方面を見た。このスカイツリーが、ここにできたのは偶然か、東京の古墳を知れば大いに古墳と関係ありそう、というアースダイバー的トンデモ話?は、当日会場で。

そうそう、12月17日土曜日には、さばのゆ@経堂で、まりこふんさんと古墳トークをやります。もちろん、まりこふんさんの古墳ブルースもあります。

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2011/11/19

『釜ヶ崎のススメ』のススメ。

Dscn0620日本の「三大ドヤ街」といわれる、大阪の釜ヶ崎、東京の山谷、横浜の寿町。いずれも、なかなか実態がわかりにくいし、知られてない。そして、とくにマスコミによって流される偏った報道によって、誤ったイメージが固定化される。なかでも、釜ヶ崎というと、「暴動」のイメージが強いのではないか。悪罵や侮蔑を投げつける前に、あるいは「反貧困」の旗をふりまわす前に、もっと知るべきことがあるはずだ。

どのみち、釜ヶ崎などには近寄らないし、関係ないから、どーでもよいのである。という考え方もあるかも知れない。だけど、釜ヶ崎が「全国化」しているとしたら、好と好まざるとに関わらず、釜ヶ崎のほうで近寄ってくるのだ。

つまり「釜ヶ崎の日雇い労働者はどのように働いているのか」には、こう書かれている。

「日本がひたすら経済成長を邁進する時代が終わり、厳しい不況の時代が到来したのに伴って、高学歴ワーキングプアやネットカフェ難民の増加、任期付き雇用や派遣労働の拡大という、まるで釜ヶ崎が全国化しているのではないかと思われる現在おいて、(略)日雇い労働者ではない人びとにとって他人事ではないはずだ」

雇用環境の変化による日本全国釜ヶ崎化は、ここでおれが指摘するまでもないだろう。日雇い労働に代表される、雇用の不安定化は、いまやどこにでもある日常的な問題になった。さらに、釜ヶ崎化は、雇用問題だけではないのだ。

本書の出版社、洛北出版のサイトの案内から。
http://www.rakuhoku-pub.jp/book/27149.html

日雇い労働者のまち、
単身者のまち、
高齢化するまち、
福祉のまち、
観光のまち ……

さまざまに変わりつづけ、
いくつもの姿をもつ、このまち。

このまちでは、ひとは、
いかに稼いできたのか?
いかに暮らしてきたのか?
いかに集い、いかに作り、そして、
いかにひとを灯しているのか?

このまちの経験から、いまを
生き抜くための方法を学ぶ。

このまちで起きていること、
起きたことは、あなたの住むまちの
近未来かもしれない。

以上だが、近未来どころではない。「単身者のまち、高齢化するまち、福祉のまち、観光のまち」は、いずれも、全国のたいがいのまちが抱える現象であり課題ではないか。だから、「このまちの経験から、いまを生き抜くための方法を学ぶ」ことが少なくない。このまちは、いま全国の「まちづくり」が直面している課題のさまざまを、とっくに生き抜いて来ている。このまちには、アートNPOもあって、いま全国でハヤリのアートで「まちづくり」も、とっくに行われている。しかも、単なるイベントではなく、日常のアートとして。

本書は、本書の編著者の一人である、原口剛さんに、いただいた。原口さんは、『大衆食堂パラダイス!』のp262に登場するが、都市社会地理学が専門の研究者であり、釜ヶ崎と深く関わっている。おれも、原口さんに釜ヶ崎を案内してもらい、そこの立ち呑みで呑んだりした。その原口さんが精魂込めた本書だ。

原口さんは、序章「釜ヶ崎という地名」を書いている。切々と書いている。

釜ヶ崎には、地名の謎がある。その謎を知ることが、この場所を知るために欠かせない。「(1)地図に釜ヶ崎(かまがさき)という表記はない。だからそれは正式な地名ではない。(2)けれどもそこで生活する日雇い労働者は、この地域を釜ヶ崎と呼ぶ。(3)テレビや新聞では、この地域を「あいりん」と呼ぶ。」

釜ヶ崎という地名は、1890年ごろの地図には載っていた。そのころは、まだドヤ街ではない。だがドヤ街になったあと、1922年の町名改正で、「正式な地名としては姿を消した」。90年近くも前に、その地名は消滅している。「けれども、木賃宿街に注がれる好奇と恐怖のまなざしは、変わることなく注がれつづけた。そうして正式な地名として姿を消した後も、「釜ヶ崎」という地名は木賃宿街を名指す通称として、呼びならわされ続けることになった。「地図にない町」としての釜ヶ崎の歴史は、こうしてはじまったのである。」

テレビや新聞がこの場所を「あいりん」と呼ぶようになったナゾは、本書を読んでいただこう。

「釜ヶ崎という地名に愛着をもっている人もいる。釜ヶ崎という地名で傷ついた人もいる」「そんななかで私たちは、「釜ヶ崎」という名前を選び取り、「釜ヶ崎」についての本をつくった。そこには、たったひとつの、ささやかな願いが込められている。このまちが歩んできた歴史と、このまちの現在とを、たくさんの人に知ってほしい、という願いだ」

原口さんの切々たる願いが伝わってくる本だ。この本を読んで、釜ヶ崎を知ることによって、釜ヶ崎を知るだけではなく、いま生きている日本を知り、生き抜くことを知る本でもある。いや、そのように、大きくかまえる必要はない。再び原口さんの言葉。「地名は、人の営みのなかでのみ、生まれたり、消えたり、よみがえったりもする。そして人びとがその名を呼ぶたびに、土地の物語は紡がれていく」「じっと耳を傾けてほしい。この本を読み終えるころには、あなたも語り部のひとりになっているかもしれない」。そうありたい。

著者それぞれが「語り部」であるような、わかりやすい文章と、たくさんの図版で綴られた「完本釜ヶ崎入門書」ともいえる。

詳しい案内は、上記リンク先にある。ここには、目次だけ。

序 章  釜ヶ崎という地名 原口 剛
 イラスト 釜ヶ崎、いまむかし ありむら潜
第1章  建設日雇い労働者になる 渡辺拓也
 コラム  「子」— この子たちがいるから日本は大丈夫 荘保共子
第2章  釜ヶ崎の日雇い労働者はどのように働いているのか 能川泰治
 コラム  「音」— トタン SHINGO★西成
第3章  釜ヶ崎の住まい 平川隆啓
 地図のススメ (1)〜(6)  水内俊雄
第4章  釜ヶ崎の歴史はこうして始まった 加藤政洋
第5章  ドヤと日雇い労働者の生活 吉村智博
 コラム  「酒」— しんどさ、酒、のぞみ 村松由起夫
第6章  日雇い労働者のまちの五〇年 海老一郎
 コラム  「老」— 釜ヶ崎の葬儀と納骨問題 — Sさんという日雇い労働者の生き様を通して 川浪 剛
第7章  騒乱のまち、釜ヶ崎 原口 剛
 コラム  「信」—〈ボランティア(善意)〉への戒め — 〈愛する〉ことよりも〈大切にする〉ことを 本田哲郎
第8章  失業の嵐のなかで 松繁逸夫
第9章  釜ヶ崎の「生きづらさ」と宗教 白波瀬達也
 コラム  「芸」— いのちと表現 原田麻以
第10章  変わりゆくまちと福祉の揺らぎ 稲田七海
第11章  外国人旅行者が集い憩うまち、釜ヶ崎へ 松村嘉久
 ひきだしのなかの釜ヶ崎 水野阿修羅
年表で見るまち
索 引  / 著者紹介

下の絵は本書に収録の、釜ヶ崎の「こどもの里」つまり「かまの子」たちが1990年に描いた「釜ヶ崎のおっちゃんたちのしごと」。わかりにくいが綴じの中央上部に「原子力発電所」の文字もある。
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2011/11/18

溝口さんが突然逝って1年。

溝口久美さんが、交通事故に遭われたのは、17日の夜半をすぎた今日のことだったようだ。


2010/11/19

ミーツ別冊編集、溝口久美さん急逝。きょうは、泣いています。


溝口さんとは、仕事をやる前に2度ほど呑む機会があった。そして、『酒場の本』の仕事で丸2日間一緒に、大阪、京都、神戸を取材した。仕事は、その一度だけだったが・・・。

編集力だけではなく、人柄が素晴らしく、実際、彼女を慕っている人は多いようだった。土の匂いのする人、強い信念を持った、情熱と包容力の人、という感じだった。

酒場の本は、彼女が自分の酒呑み人生から、自信を持って送り出したものだった。彼女は、その思いをおれに語り、大扉のリード文に書いた。

2009/06/10
6月25日発売直前予告、ミーツ・リージョナル別冊『酒場の本』。


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2011/11/14

ミーツ12月号「京橋帝国」はキョーレツな面白さ。次号では「汁かけ論」をブチ上げるぞ。

Dscn0614「今日発売のミーツ12月号、特集が「京橋帝国」。パラパラ見ていたら、キョーレツな面白さで、仕事にならん」と、ツイートしたのは11月1日。ほんまおもしろい、と、大阪弁で言いたくなる。

破天荒というか、なんというか。こういう街があると知るだけで、生きているのが楽しくなる。JR環状線と京阪電車が交差する京橋だが、大阪に住んでいるあいだも、行った記憶がない。鶴橋や天満とも、また違う、まさに「京橋帝国」と言えそうな独特な面白さがあるようだ。ぜひ、行ってみたい。

今回、とくに面白かった記事は、「まついの歩みは、京橋帝国史」。

Dscn0615「京橋に3店舗を構え、戦後すぐより商売を続けてきた、[松井]の社長に突撃インタビュー。というよりも一緒にゴキゲンに飲んでましたよ、が正解か」と、ライターさんは、お馴染みの松本賢志さん。

昭和27年創業の、家族経営の2代目社長は、おかん。3人の息子と娘のおかん。人と店と街の雰囲気を、ちょっとだけチョイスしよう。

インタビューの場所は、焼肉店。飲みながらということになって、おかん社長が「肉は、どないしはります?」と。何か注文するかということだが。編集部が「何かオススメはあります?」ときくと、おかん社長は「特選もあるけど、ロースもハラミも普通のんで十分おいしい」。「じゃあ、ハラミとロースを…普通のんで(笑)」。

高校生のときから店を手伝っていた社長だが、「実は私も嫁いでから、他の人に任せて長い間、店を離れてたんです。そしたら古い常連さんが「愛想が悪くなってんで。そろそろ戻らな店がアカンようなんで」って」。ライター氏「それを言ってくれる人がいるのは、すごく幸せですよね」。社長「やっぱり食べ物商売は人に任せたらあきませんわ。身内の者が店におって見てないと」。いまでは、長男長女も店を手伝い、インタビューの途中で呼ばれて話に加わっている。

Dscn0617この街には、京橋と言えばグランシャトーというぐらい有名な、「総合レジャービル」がある。ラブホのような姿のビル。京橋のシンボルタワー?

「グランシャトーも古いですか?」。社長「うちの焼肉より古い。その中の[香蘭]さんも昔からやしね」。おかんの長男「じいちゃんから、ふんどしで行ったことがあるって聞いたよ」。じいちゃんとは、この8月に亡くなった初代のこと。社長「そう。ほんで入口で怒られてんで。そんな武勇伝一杯あるわ」。

こんな感じで、「京阪の高架化以前と[松井]の串カツ屋以前」「焼肉を始めた本当の理由」「今の京橋とこれからの[まつい]」「グランシャトーは"ええとこ"ですか?」が語られる。

カコミに「知っているようで知らない京橋年表」があって、1945年には「8月14日の空襲により爆弾が京橋駅に命中。避難民200名以上が亡くなる。現在もJR京橋駅南口改札口に慰霊碑がある」と。終戦の前日のことだ。

ところで。最後のページに、来月号の特集テーマの予告がある。「ザ・汁」だ。

関西の食堂は、汁の種類が多い。少なくとも、みそ汁、豚汁、玉吸い。あと粕汁。多いと10種以上。なぜこんなに多いのかと思うほどで、うどんなどは、粉物の視点ばかりでなく、汁物の視点から見なくてはいけないのではないかと思っていた。12月1日発売の「ザ・汁」特集、大いに期待したい。

んで、じつは、今日、校正をもどしたのだが、おれは「エンテツの水かけ論」じゃない「汁かけ論」を寄稿している。汁かけめしについて書くのは、ひさしぶりだ。ミーツの編集さん、よくぞ覚えていてくださった。1ページいただき、なかなか、いい感じに仕上がっていると思う。関西は、汁かけめしの種類も多いようだ。

発売が楽しみ。

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2011/11/13

「食の哲学」を考えないと、いかんかなあ。

毎月お送りいただいている『Tasc Manthly』(財団法人たばこ総合研究センター発行)だが、近頃気になるタイムリーなテーマが多い。とくに最新号11月号は、どれをとっても、面白く有意義で、これが店売りされないのはモッタイナイ。

雑賀恵子さんの「食の哲学」。現代を生きる第15回は、宮本太郎さんが「分断社会の処方箋、信頼と寛容を柱にした「生活保障」の実現」。長老格の加藤秀俊さんは「自由の逆説」。いずれも、濃い内容で、例えば、宮本太郎さんの文章などは、これからのビジョンを見通したなかでの「生活保障」の実現であり、単なる生活保障論ではない。どれも、そういう調子なので、いろいろ考えさせられた。

でも、まずは、「食の哲学」だ。

以前から食品の汚染や偽装の問題のときに感じていたのだが、今回の「放射能汚染」をめぐる動きから、じつに鮮明になったことは、食品は最初から安全でなければならない、あるいは最初から安全であるものが食品であると思い込んでいる人が、意外に多いことだ。そして、その安全を、なにやら数値で科学的に判断がつくものと思っている人も、意外に多いらしい。

雑賀恵子さんは、こう書き出す。「いまさらながらであるが、あらためて考えてみると、食べることというのは、おそろしいことである。というのも、目の前にあるものを食べ物として平気で口に入れているけれども、それがどういうものであるか必ずしもわかっているわけではなく・・・それが安全であるという保証を、いつもきっちりとっているわけではない。・・・目の前に食べ物としてあるものは、無前提に食べ物であって、食べ物であるから食べるのだ、ということを常時平気で行っている。」

こうして雑賀さんは、「いったい、食べ物というのはなんなのだろう」と踏み込む。こういう根源的な問いこそ、哲学か。「一言では食べ物は〈わたし〉の外部にあるものである。〈わたし〉の身体からすれば、自分ではない、外部のもの、徹底して異物なのだ」

と、今日は、このことについて、紹介しようというのではない。

とくに食育基本法制定の論議あたりから、「食べること」や「食べ物」が「いのち」との関係で語られることが増えている。まるで、食べ物についても、いのちについてもわかっていますという感じで、とりわけ食育推進の関係者は発言してきた。

そこでは、「いのち」を語れば、あたかも高尚な哲学であるかのような気配も生まれている。著名な料理研究家が「いのち」と「食べ物」を語る、というより、そういう物言いによって、ただの料理研究家ではなく、哲学のある人として敬われる状態まで、つくりだされる傾向もある。そこには、生きるとは、いのちとは、食べるとは、食べ物とは、安全とは、健康とは…といった根源的な問い直しがあるわけではなく、誰も反論できないほど惰性的な常識を、なにやら教訓めかしく奥ゆかしく語るという、古くからの手法が見られるだけのことがほとんどだ。

それに、どうみても、そのまわりのみなさん、つまりその料理研究家が登場するような雑誌などを見ても、そんなに哲学に関心があるようには思えない。

つまり、「哲学」という言葉が、「芸術」という言葉と同じように、権威的な魔術的なセールスプロモーション用語として使われているようにしか見えないことが多いのだ。

また、昔からあるが、カルト的な言動も目につくようになった印象がある。

そういえば、おれがザ大衆食のサイトのトップに掲げる、生活は「生命をつなぐ活動」、料理は「生命をつなぐ技術」、食事は「生命をつなぐ祭事」、なんてのは、けっこう哲学っぽく見えなくはないですなあ。

が、しかし、「食べ物」と「いのち」への関心は、これからますます高まるだろうし、もう少し「食の哲学」について真剣に考えなくてはならなくなるだろうという予感はある。

なので、この際、ちったあ、勉強しておかないと、またぞろ食育推進大騒動のときのように、料理研究家などが時流にのってふりまく、怪しげな「哲学」にふりまわされることになりかねない。

ってことで、ネットで検索してみたら、けっこう面白い。学者先生方が、オープンにしてくださっている。こういうのをタダで読めるなんて、ありがたいことだ。とりあえず、ぜんぶリンクするのはめんどうだから、これぐらいで。べつに「正しい」からオススメということじゃない。

●山本博史さんの「食と哲学」(自己保存、排泄、生命(個体の生命)、生産、身体性、近代の両義性、再び生命について)
http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/works/Abhl2001.htm
●同じく山本さんの「主体・客体の脱構築から、食の哲学を試みる」(頭で食べる現代人——情報の過剰、記号を食べる現代人——情報の不足、主体性なき食生活——主体性の記号論的解体、食の科学——西洋近代と「主体-客体」という分裂関係、食の哲学——主体-客体の脱構築)
http://www.res.otemon.ac.jp/~yamamoto/works_2/essay_12.htm

●東北大学 シリーズ食の哲学
1、食と遺伝子 機能性食品成分や微量栄養素による抗メタボ研究・・・駒井 三千夫さん
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi43/mm43-6.html
2、食と経済 食料と人口・経済、そして民主主義・・・柘植 徳雄さん
http://www.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi44/mm44-6.html
3、食と文学 『随園食単(ずいえんしょくたん)』紹介・・・佐竹 保子さん
http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi45/mm45-6.html
4、食と健康 緑茶と健康・・・栗山 進一さん
http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi46/mm46-3.html

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2011/11/12

いま「本の雑誌」はどうなっておるのか!

Dscn060910日発売の『本の雑誌』12月号の、読者アンケート「この作家を応援する!」に、おれが載っているという情報があったので、これを入手した。

見れば、特集が「いま作家はどうなっておるのか!」ってもので、その一つとして、この読者アンケートがある。特集リードでは、こう申しておる。

「一部の作家を除いて、単行本の初版部数は一万部以下、三千四千も当たり前という時代に、それでも作家であり続けるということはどういうことなのか。作家がいなければ小説も読めないのだ、という事実を踏まえ、現代ニッポンの作家にエールを贈る特集なのだ!」

ザ大衆食のトップページに書いてあるように、おれは単なる下積みの、世間では「フリーライター」といわれる不安定自由文筆労働者」であるからして、「作家」とは縁もゆかりもないと思っていたし、「作家」になりたいと思ったこともないのだが、とにかく、ここで、このようにエールを贈られる立場になっているのである。

このエールは、つまりは売れない食えない作家、だけど、こういう作家がいなくなっては読者は読めなくなるのだから、エールを贈ろうというもので、キホン的に喜んでいいのか悲しむべきかワカラナイものであるような、じつに複雑な心境になるのだった。もしかして、沈む船に乗っている者へのエールか?

ま、とにかく、救いのないおれが、応援をいただくのは、うれしいことである。それに、おれは沈む船に乗っているつもりはない。業界は沈んでも、おれは沈まないのだ。なんせ、力強くめしを食って、力強く生きておるのだ。笑。

Dscn0612見開き2ページを費やして、それはあった。リードには、「世の活中者たちはどんな作家を応援しているのか。本誌読者四人の熱烈応援の弁を聞いてくれい!」というもの。

で、四人の読者が、それぞれ応援するのは、おれのほかに、山田詠美さん、井上ひさしさん、倉阪鬼一郎さん、である。もうエールがいらないほど、安定している名実ともに「作家」な人たち。そこに、どうして、おれの応援が入ってしまったのか。何かの大間違いではないかと思いたくなったのだが、それは、ようするに、熱烈応援の弁が面白いからにちがいないのだ。

おれを応援するのは、キング亀田さん。なんていうか、書評関係の投稿マニアというか、知る人ぞ知る方だ。たしか、前に一度、『暮らしの手帖』でおれの本を、なんだか忘れたが、やはり応援してくださっていた。

「軟弱な「ごはん主義」でなく硬派な「めし主義」が、とても共感できる作家である。〈普通の〉の〈普段の〉めしを熱く語らせたら右に出る者なし!だろう。しかし、遠藤さんの本は売れないらしい」と書く。いやいや、キング亀田さんも熱い方だ。

彼は、おれを応援するために、書店や大衆食堂などで、あることをした。それはまあ「トホホ…」で終わる愉快なことであるのだが。知りたかったら、本書をごらんください。

キング亀田さん、トホホなおれを熱く応援くださり、ありがとうございます。いずれ鶯谷の信濃路あたりで呑みたいものです。

ところで、『本の雑誌』こそ、いまどうなっておるのか!

これを買うために、大宮にある倉庫のような書店に行った。そこに行けば、本の雑誌社の本が、ズラッと棚を占めてあるはずなのだ。ところが、おれも、めったに本を買わないもので、おそらくこの大宮の書店は、今年初めて行ったのだと思うが、あるはずの場所にない。しかも、倉庫のような書店であるからして、棚の間の谷をウロウロしても、なかなか見つからない。で、若い男の店員さんに聞きました。「『本の雑誌』どこでしょう?」

すると、彼は、『本の雑誌』を知らないのである。そして彼は、ほかの彼よりやや先輩と思われる、若い女の店員さんに訊いた。すると、彼女は、パソコンで調べればわかるでしょ。おれは、そんなのほって、文芸書の倉庫のような棚を探した。そこにあった。

手にとってパラッと見ていると、かの若い男の店員さんは、ベテラン風の感じのよいお姉さん店員に導かれてあらわれた。お姉さん店員は、彼に何事か教えていたが、おれはレジに向かった。きっと、まだアルバイト入りたてなのだろうが。そして、こういうアルバイトがいないと書店は成り立たない状態なのだろう。

おれの周辺の普通の会社勤めの若い人たちの間では、すでに椎名誠さんの名前を知らない人が増えているし、もちろん椎名誠さんと本の雑誌のアヤシイ関係も知らない人も増えているだろう。なんだか寂しいようでもあり、ま、イマドキはこんなものなのかなあと思ってみたり。

それでだ。この特集の、冒頭の「文芸編集者匿名座談会 とにかく作家は大変なのだ」ってのを読んでみると、まあ、こういう人たちが出版界を引っ張り、そして同時にダメにしてきたのだろうなあという感じが、ヒシヒシ伝わるのだった。

ほかにも、面白い記事があって、ゲラゲラ楽しめるのだが、なぜか笑いはニヒルでアナーキー。展望がない業界であることは、よくわかるし、そのせいもあるのか、『本の雑誌』もイマイチ元気がない。それぞれ言葉の勢いはよいが、以前のような破天荒な広がりがなく、わりとチマチマ小さくまとまっている感じで、よーするに、いま「本の雑誌」はどうなっておるのか!と、エールを贈りたい気分になったのである。

どうでもよいから、『大衆食堂パラダイス!』、よろしくね。

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2011/11/06

ポテサラな日。

今日はツイッターでポテサラが盛り上がった。おれのフォロワーさんだけでも、昨日と今日でdancyuを買った方が多い。やはりポテサラは人気なんだなあ。それに今回のdancyuが「力作」であることは、多くの人が認めるだろう。

ポテトサラダは、とかくグルメが求める権威的な画一的な基準がなく、それぞれの作り方次第だってのが、面白い。あと、おかず、酒のつまみ、添え物など、食べ方も自在だ。dancyuの100皿、作り方それぞれのうえ、ソースをかけるのもあれば、醤油をかけるのもある。

最近、いわゆるグルメをめぐる動向は流動的になっているという話は、何人かの方に聞いていたが、dancyuが、こういう特集を組んだのも、そのあらわれか? どう動いていくのか、興味がある。

今回のポテサラ特集を見て思ったのは、素材に関するウンチクがないことだ。どの書き手も、味覚の特徴を述べるのに、素材であるジャガイモに関する「厳選」だの「産地ブランド」的なウンチクがない。たいがいのグルメ記事には不可欠といってよいことだったが。

まさに「ありふれたものを、おいしく食べる」、それぞれの作り方次第の料理、また、それを食べる場や食べ方などがものをいっている。ポテサラでなくても、こういう視点で、食べる楽しみを追求することは可能なはずだと思うのだが。

ポテトサラダを、昔のままに「いもサラダ」「芋サラダ」とメニューに書く店がある。王子の山田屋、与野の横丁もそうだったと思う。ほかにもあったと思うが、思い出せない。

そりゃそうと、よく利用するスーパーのジャガイモ売り場だが、男爵、きたあかり、メークインのほかに、近頃は紅丸があるのだ。これまで、見た記憶がない。紅丸は、どちらかといえばデンプン原料で、あまり一般小売に出回る品種じゃないと思っていたのだが。どういうことなのだろう。

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2011/11/04

6日発売のdancyu12月号ポテトサラダ特集で「新橋・立ち呑み」を書いています。

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6日発売の『dancyu』12月号が届いた。特集はポテトサラダ。

昨日だったかな?dancyuのツイッターが「ポテトサラダを愛する皆様へ。今週の土曜日に発売になる号は、おそらく空前絶後の「ポテサラ」特集です。不朽の名作、キングオブ"ポテサラ"たちのご紹介から、マヨネーズとじゃがいもだけでつくる"ポテサラ黄金レシピ"決定戦、ポテサラの世界史、日本史まで網羅した一冊、ぜひご一読下さい」と申していた。確かに、ありそうでなかった、ポテトサラダ特集。

おれにもお声がかかり、取材し書かせてもらった。「新橋・立ち呑み」というタイトルがついている。サブに「"オヤジ聖地"を千鳥足で駆け抜けろ!」と。編集さんに「酔ってもらいます」と言われて、ガンガン呑んだ。ほんとうに泥酔千鳥足取材だった。

取材した店は、穴場というより人気店。新橋という大人の酒場激戦地でのポテサラは、どうであるか、ってことなのだ。〈大露路〉〈立ちのみ竜馬〉〈新橋DRY-DOCK〉の3店だ。立ちのみ竜馬の前で、おれが写っている写真には、「この5秒後に〈立ちのみ竜馬〉の看板にぶつかってコケる」とあるが、コケたのは覚えがなかった。でも、取材中のことは、ちゃんと覚えている。ま、そうじゃないと仕事にならないが。

とにかく、ご覧くださいまし。

『dancyu』さんの仕事は、今年初頭の2月号で初めて以来、2度目。前回、2011/01/12「『d a n c y u』2月号に「みんなの味噌汁ぶっかけめし」。」に、「反応がよければ、また『d a n c y u』に登場するチャンスがあるか?」と書いたのだが、編集さんに聞いたところでは、アンケート結果はよかったとか。はたして、今回は?そしてまた『d a n c y u』に登場するチャンスがあるか?

関連-取材の日
2011/10/14
泥酔一直線、第三夜。文化放送収録のち新橋取材4軒はしごのち中野。

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