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2012/02/29

大宮、いづみや第二支店のハムサラダのハムの件。

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去る25日の土曜日、以前から気になっていた、大宮はいづみや第二支店のハムサラダを食べた。そのハムは、まさに昔のままの、まわりが赤いプレスハムだった。これはもう、いわゆるロースハムとは、見た目も味も、まったくちがう。ひさしぶりに食べてみると、なんだか昔の鯨ベーコンにも通じる味わいがした。

店のおばちゃんが、これは大宮市場で買ってくるのだと言った。うちの近所の割とCランクなスーパーでも、赤いウィンナーはあるが、このハムは見かけない。

この件については、以前に、ザ大衆食のサイトに書いている。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/izumiya_4.htm

そこには、「ポテトサラダ230、ハムサラダ330、ロースハムサラダ480」とあるが、現在は、ポテトサラダ250円で、ハムサラダが350円。ハムサラダは、写真のようにポテトサラダにハムが一枚、半月切りでついている。ポテトサラダは、このハムがないだけ。ロースハムは、このハムがロースハムになったものだろう、記憶では450円になっていた。

おれはプレスハムを懐かしがって食べたが、同行の40代のタノさんと30代のコンさんは、意識して食べたのは初めてのようで、懐かしさはなく、こういう味のものであるかと食べるばかりだった。

大衆食堂でも家庭でも、1960年代ぐらいまでは、このプレスハムが普通で、これが「ニセモノ」という烙印を押され始めるのは70年代中頃からだったような気がする。

プレスハムが衰退しロースハムが「本物」のハムとして普及したのが近年の歴史といえるが、わざわざ高いカネを払ってロースハムを食べるようになった生活は、はたしてどういうものなのか。そこに「本物」の、よい生活があったのか、あるのか。プレスハムだって、日本独特の「本物」のプレスハムなのだ。てなことを考えさせられた。

その塩気からすれば、ハムカツのハムは、やはりこのプレスハムのカツがうまいはずだと思った。

ちなみに、いづみやの本店と第二支店は並んでいて、外から見ると一体のようだが、メニューはちがう。

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2012/02/27

いいぞ!中田敬二詩集『転位論』(港の人)出版記念会、鎌倉・大船泥酔帰宅。

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きのうは、1924年生まれの詩人・中田敬二さんの『転位論』の出版記念会に参加した。17時から鎌倉のヒグラシ文庫、のち大船の中田さんのバーへ。大船で駆け込み終電に間に合って帰り、東大宮で改札を出てから足が勝手にちゃぶだいへ向かい、鶴齢を燗で2本呑んで、店を出てから記憶喪失。

『転位論』は、すばらしい。とくに本のタイトルでもある「転位論 タテとヨコ」は、まったくおれの好み。装幀を横須賀拓さん、絵が牧野伊三夫さんで、これがまたよい。牧野さんが、この「転位論 タテとヨコ」の一部をメールで教えてくれて、出版記念会に誘ってくれた。

あとで書き足す。

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2012/02/25

朝10時半から上野で呑み始め、終電で泥酔帰宅の一日。

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きのうは、朝10時半から上野の大統領本店で呑み始めた。某大学某ゼミの教員と女子学生4人と男子学生も4人だったと思う、それにアメ横の青年一人。朝からの呑み会もめったにないが、学生たちとの宴もめったにあることではなく、楽しかった。

14時すぎまで呑んで、シマを移るときに、おれは別れた。上野公園をぬけ、谷中のやぶさいそうすけへ行き、ミロコマチコ展を見てのち、中野のやどやゲストハウスへ。スソアキコさんと瀬尾幸子さんと合流、まりりんの案内で、新しい展開のために改装中の東中野のブランチを見る。のち、駒忠へ移動、呑む。22時ごろか?なんと、久家靖秀さんがあらわれる。久家さん、どうしたことか、まったく風貌が、顔つきまで変わっていて、これでは外で会っても気がつかない。とにかく、終電の時間も迫っていたし、もうかなり酔っていたが、めったに合えない久家さんだからと、タクシー覚悟で23時すぎまで。ところが、上野発の宇都宮線の最終が15分も遅れていたおかげで、無事に電車で帰れた。とはいえ、かなり記憶がない泥酔帰宅。

あとで書き足す。かも知れない。

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2012/02/23

サライ増刊『旅サライ』に「食通」などとこそばゆく登場。

Dscn0314明日24日発売の『旅サライ』4月増刊号が届いた。ようするにサライのムック版ですね。特集は、「歩いて探す旅の食、酒」。

A4サイズ、ピッカピカ光沢の厚手の紙の表紙、本文は光沢はあるけどしっとりマット系のやや厚手の紙。ようするに、厚い、重い。ストレートに「重厚」を演出している、かのような。

表紙の文字に居並ぶ面々を見よ。あさのあつこさん、道場六三郎さん、阿木燿子さん、甲斐みのりさん…といった方々。

ところで、このムックの人気の連載が、「食通が選ぶ わざわざ行きたいレストラン」であり、この号では、その「食通」のひとりが、おれなのだ。驚きますねえ。実際、去年の末に、この話が来たときには驚きました。「いやあ、ちょっと違うんでは」と言ったのだけど、そうではない、どうもおれのイメージしてきた「食通」というのは、じつに偏狭なものであったようなのだ。そのようにうまく説得されたというか。

とにかく、旅情を味わうによい大衆食堂なら、けっこうあるのだから、その中から、編集さんが「できたらこの県」と候補をあげた数県の一つにあたるところを選んで、推薦した。滋賀県長浜の「中島屋食堂」だ。重厚な雑誌の「わざわざ行きたいレストラン」のページに、堂々の「大衆食堂」が登場となった。

取材は編集サイドで行いまとめた。この写真も文章も、なかなかよいのだ。おれの言いたいことを書いてくださっているし、大衆食堂としての中島屋食堂の特徴と、それが「旅情」になるところを、よくとらえていて、「いいなあ~、また行きたいよ」と思った。

この本文は、このように書き出す。「大衆食堂の魅力を簡単にいえば、普通であることの大切さだと、大衆食堂研究家の遠藤哲夫さんは言う。普通の食とは、日々繰り返される、働き、生きるためのものである。ラーメンもカツ丼もオムライスも大衆食堂で知ったという遠藤さんに、最も旅情をそそる大衆食堂を推薦していただいた。」

ついでに、「大衆食堂研究家」なる呼称も、ようするに呼称であって、「大衆食堂についてよく書いているライター」てな意味合いらしい。

知らなかったが、中島屋食堂は明治30年の創業である。「明治30年ごろは長浜駅の裏が港で、『中島屋食堂』は運送関係者や港湾労働者相手の飲み屋として始まった」そして、78歳の3代目の息子さん、中島俊展さんは、店で出す料理について、「地元の人には、ここのメニューは珍しくないんです」と語る。

おれが、2008年9月4日に、この食堂に初めて入ったときのことは、ザ大衆食のサイトに載せている。…クリック地獄

そのときおれが飲食したものが写真で、ビールまで載っている。そこに書いてある、90歳ぐらいに見えたおばあさんは、やはり90をこえていたのであり、先年亡くなられたそうだ。

Dscn0315店内の写真を見ると、おれが行ったときより、すごいことになっている。キャプションには、「店内は戦後に仕舞われていた古い看板類で飾られ、さながら大正・昭和歴史資料館である。写真の席は、大正時代のテーブルと椅子を置いた”大正浪漫特別席”」と。

おれが行ったときは、こんなに壁一面に大正や昭和が飾ってなかった。編集さんに聞いたところでは、最近2階を片付けたときに見つかったものだとか。いやあ、まさにお宝の山だ。とくに「大衆食堂」と書かれた掛け軸が気になる。これを見るためにも行ってみたい。気取らない名物酒肴3点盛りで、地酒の「大湖」も呑んでみたい。

そんなふうに、コーフンしている。

この「食通が選ぶ」には、毎号4人の方が登場するのだが、今回、おれのほかは、田崎眞也さん、永山久夫さん、藤原浩さんという顔ぶれです。みなさんそれぞれ格調高い店を推薦されている。他の記事や写真も、「成金趣味」という言葉が思い浮かぶような、無駄に鎧をつけ着飾りすぎの「重厚」や「格調」や「気品」などにあふれ、ゆえに、ひときわ、中島屋食堂の存在感がきわだっているようにも見える。それがまた楽しい。とにかく、書店で、お手にとってご覧ください。

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2012/02/22

この町で3周年。

Dscn0306去る、11日から13日まで、ここ東大宮の東口の居酒屋「ちゃぶだい」の開店3周年記念だった。ウチは昨年の10月21日で引越し3周年だった。来たばかりのころ、いまのちゃぶだいの場所は、入ったことはないのだが、「東大宮工場」といった名前の立ち呑みだった。あまり繁盛している気配はなく、いつのまにか「ちゃぶだい」にかわっていた。ちゃぶだいへ初めて行ったのは、夏の砂町万灯祭の夜だった。祭りを見たあと、地元の当時あった重松荘シアターのミチコさんやチエさんに連れられ入ったのだった。

それはともかく、3周年記念ということで、ちゃぶだいではちょこっとした大盤振る舞いをいろいろやった。なかでも、生ビール(プレミアムモルツ)、ジャックダニエル、角ハイがどれも200円、これが呑兵衛にとっては目玉だった。ってことで、欲をかいて、12日の夕方に行って呑んだ。生ビールとジャックダニエルを適当におかわりして、けっきょく清酒も一杯ぐらい呑んだと思う。その夜は、やることがあって、あまり遅くまでは呑まなかったが、よい気持で帰ってきた。

翌13日の月曜日、夕方、木村衣有子さんから電話があって、いま久喜にいるのだが、と。実家に行って宇都宮線で帰るところ。それならと、東大宮で17時半に待ち合わせ、とうぜん3周年イベント最終日のちゃぶだいへ。先客は2、3人いたが、カウンターに座れた。木村さんは、いつも常連でふさがっているカウンターにデビューだ。

ちゃぶだいは、平日の17時から19時までは、生ビール(プレミアムモルツ)、角ハイ、埼玉県の酒、神亀、花浴陽、鏡山の、いずれも純米や純米吟醸が5勺で300円であり、つまみも10種類ばかりが300円で営業している。なので、19時までは、この清酒も魅力なのだ。ってことで、欲をかいて、これらの酒も呑むことになるという仕組みだ。木村さんとおれは、その仕組みにはまり、全種呑んだ。もちろん、それだけでは終わらない。

とにかく呑んだ。上記を何杯かやってのち、少し前に泥酔記憶喪失のうちに呑んでも、この味だけは覚えていた鶴齢の純米生酒の燗のうまさが忘れられず、また注文。うまいうまいと盃を重ねた。いつのまにかカウンターは、いつもの常連さんでにぎやかに、木村さんもすっかり溶け込んでいた。22時にはなっていなかったと思うが、泥酔状態、駅で木村さんと別れた。

きのうは17時半ごろ、さっちゃんとちゃぶだいへ行った。この時間は、例のサービスタイムだから、生ビールを呑んで清酒。ちゃぶだいは早い時間は空いているから、タイショーやイタチョーと気の置けないおしゃべりをしながら呑む。お通しの粗煮もうまかったし、海苔で包んで食べる湯豆腐が、また清酒にぴったし。

19時すぎに出るが、もう一軒。西口へ。というのも、ツイッターによると、どうやら「昭和酒場コタツ」が、1週間ほど休みにしていたらしく、きのうから再開ということだった。ナニゴトがあったのか気になっていた。まさか、オヤジが・・・。しかし、入ったら、入口すぐのところに社長夫妻はいるし、オヤジ夫妻も元気だ。なにやらご親族に不幸があっての休みだったとか。

Dscn0312前回、底に少しだけ残していたキンミヤをすぐに呑み干し、一本入れて、湯割りで呑む。さっちゃんは近頃、この呑み方が気に入ったらしい。以前に、ここで、木村さんのおすすめにしたがってやってみてからだ。

あれこれ、つまみもうまいし、どんどん呑む。コタツができたのは、ちゃぶだいよりあとだったと思うが、はていつだったか。コタツはちゃぶだいと客層がちがう。ガテン系や学生らしき若い客の姿を多く見かける。カウンターで酔って寝ているじいさん。お互い財布を確認しあって注文する、かわいい若い男たち。窓の外に、宇都宮線を行く車両が見える。

とにかく、こうして、この町で、新しい居酒屋にもおれにも、居場所ができたといえるか。続いて欲しいものだ。

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2012/02/18

「五〇年目のタワゴト」。

牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』に、おれは同人ではないが「理解フノー」を連載している。その4月号の原稿を、先日書いて送った。タイトルは、「五〇年目のタワゴト」だ。その書き出しは、こうだ。
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 五〇年前、一九六二年の春、新潟県の六日町高校を卒業し、上京した。
 そのことを思い出した、というか、意識したのは去年の今頃だった。というのも、『大衆食堂パラダイス!』の執筆が佳境だったからだ。この本は、「上京」と「望郷」が深く関係している。
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たしか、1962年の4月2日か3日のころ上京して、調布市つつじヶ丘の下宿に入った。それから、まさに文字通り「転々」と転がるのだが。

佐藤泰志さんの『海炭市叙景』の小学館文庫版の解説を川本三郎さんが書いている。そのなかで記憶に残る、あるいは記憶しておきたい、文章があった。

「作家にとって場所は、物語が立ち上がるところとして大事になる。大江健三郎における四国、中上健次における熊野、あるいは佐藤泰志と年齢の近い立松和平における宇都宮近郊の農村。いずれも故郷である。いったんは東京に出た作家が、故郷の重要さを思い知るようになる。自分の根っこを大事にしようと思う。そこからいったんは出郷した作家の故郷回帰が始まる。」

これについて、共感し納得しながらも、「いったんは東京に出た作家が、故郷の重要さを思い知るようになる。自分の根っこを大事にしようと思う。」というあたりが、イマイチ腑に落ちない。

ま、たいがいはそうかも知れないが、東京に何の憧れも希望も持たずに上京し、東京に同化できなかった田舎者を自覚するおれのようなものは、もとから自分の根っこから離れられなかった、そういう者もいるのだと。だけど、すでに、自分の根っこの田舎者のまんまともちがってしまっている。という感じかなあ。

それから、味覚についていえば、逃れようもないほど自分の根っこにありつづけていた。ということかなあ。

それはともかく、「五〇年目のタワゴト」は、「旅人」ということについての考察で、最後を締めている。人生は、よく旅にたとえられるが、そういうことではない。ま、発行になったら、読んでいただくしかないね。4月中には、発行になるでしょう。

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2012/02/17

入谷コピー文庫『続 浅草時空漫遊記』。活字と大衆酒場や大衆食堂。

Dscn0287堀内恭さんから、堀内家内工業発行の入谷コピー文庫47号『続 浅草時空漫遊記』をいただいた。著者は、『下町酒場巡礼』の著者の一人、平岡海人さん。タイトルのごとく、浅草の過去と今を自由に駆け巡り、あそことおもえばココ浅草からも軽々飛び出して、まわり灯篭の絵のように、そして必ず飲食の話がある。じつに巧みな筆致で、思わず、この忙しい最中に一気読みしちゃった。

ところで、そのなかの「1896年@浅草寺周辺 公園見番創設」に、弁天というそば屋の話がある。こんなぐあいだ。「そば焼酎「雲海」のそば湯割と天せいろの「上」を追加。てんぷらは大ぶりのエビ1本、アスパラ、カボチャ、ナス、サツマイモ、レンコン、ピーマン、シイタケ、ニンジンと大盤振る舞い。そばも気取った高級店とは違って、ボリュームもしっかりある。下町らしく濃い目のつゆにきりっと冷えたそばを少しつけてたぐる。」いま話題にしたいのは、このあとだ、続けて「有名なそば屋に行くと、時々背筋を伸ばして文庫本を読みながら酒をちびちびやっている人がいる。そんなストイックな酒の飲み方は御免こうむりたい。あれでくつろげているのだろうか。食事しているおばあちゃんの横で、食べたいものを食べ、しっかり酔っぱらいたい。弁天はそんな自然体を楽しめる店だ。」

2012/02/07「小岩、野暮酒場での初トークイベントは、3月の予定。」に、「おれが『本の雑誌』2月号に書いた「めしと活字の悩ましい世迷言」に関係するが、大衆食堂や大衆酒場で本を読むのはかっこいいか悪いか、テナ感じの議論もおもしろそうという話もあるな」と書いたが、その後も、『本の雑誌』を読んだという人に会うと、そういう話になる。

おれは、めしくったり酒飲みながら本を読むのはいいか悪いかではなく、「活字」と「本」と「大衆」の関係の変化のようなものを、それとなく大衆食堂や食事の場を借りて述べたのだが、それはともかく、こういう議論から、めしや酒と生活との関わり、本と生活との関わりの両方を見られることになって、おもしろいかなと思っている。

「よいか」「悪いか」と直線的に結論を求めるのではなく、それらが、いま、どんな関係のアンバイになっているか。なのだ。

「本」というには躊躇があるけど、「本」以上に「活字文化」の存在感がある入谷コピー文庫を、あらためてみると、活字と編集と出版の原点というか本質を問うているような気がしてならない。

入谷コピー文庫については、それが創刊のころ書いた。
2005/09/15「入谷コピー文庫と谷よしのと女中のウダウダ」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2005/09/post_3212.html

つまり、「テーマは筆者の自由で、A4サイズ10枚以上30枚以下で原稿を仕上げ、堀内家内工業に渡すと、それを15部だったか17部だったかコピー製本して配布するという仕組みだ。「30枚以下」と決めてあるのは、それ以上だと「ホッチキスの針が通りませんので」ということなのだな。」というものだ。

今回の号に、堀内さんの一筆が同封されていた。「『本の雑誌』2月号、「めしと活字と悩ましい世迷言」は、大変面白く(鋭い視点!)拝読しました」とあった。わざわざカッコで「(鋭い視点!)」と書いてくださった。それは、もちろん、大衆酒場や大衆食堂で本を読むのがよいか悪いかのことではない。入谷コピー文庫を続ける堀内さんならではの、活字と編集と出版に関する思いと「鋭い視点」がある。おれは、それを感じ、ニンマリした。ま、堀内さん、書いちゃったよ、という快心の微笑ってところか。

繰り返しになるが、それはそれとして、話の入り口として、大衆食堂や大衆酒場で本を読むのはかっこいいか悪いか、テナ感じの議論もおもしろそうだということ。

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2012/02/16

初めてのこと新しいこと珍しいことの多かった一日、渋谷、恵比寿、新宿、経堂。

Dscn0262きのうは、14時から、新しい企画の件で、渋谷の大きな建物を訪ねて、初めてなかに入った。あらためて見ると、まるで官庁のような建物だ。そこの食堂兼喫茶室のようなところに入るのも、もちろん初めて。打ち合わせをあれこれ。なかなか愉しい話、おもしろいことがやれそう。

終わって、恵比寿へ。どうなるかわからない、まったく新しい分野の企画について意見と情報の交換。「こづち」近くなのに、そこではなく、こじゃれたカフェで。おれはもちろんビールを呑みながら。

終わって、恵比寿駅近くのガード下まで来ると、見たことのある男が携帯電話中。あれまあ、有山達也さんじゃないか。目の前で手をふると、オッと気がつき、片手をのばしハイタッチ。どうやら電話はすぐ終わりそうなので、待つ。見ればそばには、編集者や写真家らしい人が。仕事中のようだ。電話は終わり、やあやあ。先月、有山さんの初著作、四月と十月文庫『装幀のなかの絵』の出版記念会に行けなかったから、会ったのは、一昨年の年末の牧野伊三夫さんの個展以来だ。でも、ゆっくり立ち話をしているわけにはいかない。お互い簡単に言葉を交わして、別れる。

しかし、一年に一度行くか行かないかの恵比寿で、一年に一度会うかどうかわからない有山さんと、ばったり出合うとは、なんと珍しいことだと思いながら新宿へ。

16時半頃だったかな? 改築後初めて入る、新宿西口思いで横丁の「つるかめ食堂」。はあ、だいぶ変わったのだなあ。建て替えといっても、本建築ができる場所じゃないからだろうか、仮設のような造り。それにしても、すっかり変わってしまい、以前はカウンターだけだったが、テーブル席が中途半端にあって、落ち着かない感じだ。でも、一杯になれば、にぎやかなのだろう。

カウンターに男が5人ほどいた。奥のスーツ姿で競馬新聞を見ているおやじと、昔から新宿じゃめずらしくない無職風の生活やつれが顔に出ている老人、といっても、おれより少し上ぐらいだろう、その間の椅子に割り込むように座る。天丼が食べたいのだ。天丼とポテサラと瓶ビールだ。

ここで天丼を食べると、いまから50年前、1962年の春に上京して、初めてここに3、4人で入って天丼を食べたことを思い出す。いつ誰と入ったかは、思い出せないが、その天丼のショックは、よく覚えている。どろどろした油を含んだうどん粉のカタマリのようなもの、たぶんかき揚げだろう、それがのっかり、濃いタレがかかっていた。食べると、下痢をした。それでも、何度も食べた。その上京のころを思い出す「儀式」に、天丼を食べる。あのころは、40円ぐらいではなかったかと思う。いまは600円。エビやナスなど6種類ぐらいのタネを使って、油はやや重いが気になるほどではなく、からっとあがっていてうまい。ずいぶん「進歩」したものだ。あのころの食べ物は、ひどかった。どうして、あの昭和30年代ごろの食べ物が良く、現在が最悪のようにいわれるのか、まったく解せない。

先があるから、簡単に書く。経堂へ。経堂のさばのゆでは、やどやゲストハウスのまりりんこと山本真梨子さんが、バックパッカー体験とゲストハウス経営を語るトークイベントがある。19時オープンで19時半スタート。おれは、先に太田尻家で一杯やってから行くつもりだ。しかし、太田尻家は19時開店なのだ。それまで、ひさしぶりに、1960年代後半によく行った「鳥八」へでも行こうと、農大通りをふらふら行く。

以前に入ったことがある古本屋に、引っかかった。ここで、トレヴェニアンの『バスク、真夏の死』(角川文庫)を見つけて買った。この本、真剣に探していたわけじゃないが、なかなかなかったのだ。とやっているうちに、なんと、タノさんがあらわれる。二人とも同じさばのゆを目指して経堂に来たとはいえ、さばのゆとは反対側のここで会うなんて。そして、二人で「鳥八」へ向かったのだが、鳥八があったはずの場所がわからなくなるほど、新しい建物が建ち、変わっていた。数年前に入ったのが最後になってしまった。

ならば、さばのゆへ行く途中に開店した「笑和堂」へ、まだ入ったことがないから行ってみようと駅の反対側へ。着いたら、ちょうど開店したばかり。名前からは、まったくイメージできない、白木の洋風のおしゃれな造り。おれは、天丼が効いて腹が空いてないので、オリーブのピクルスでビール。タノさんは、カボチャとサツマイモのサラダ。どちらも、うまい。なかなかよい感じ、また来たい、19時すぎに出る。

タノさんは以前に太田尻家に注文した、太田尻智子さん特製のTシャツをまだ取りに行ってないというので、一緒に行く。タノさんは、一杯呑んで、一足先に、さばのゆへ。おれは、ゆっくり家長と話しながら、ひさしぶりの太田尻家を味わう。初めて食べる、さんまの燻製のマリネってのを頼んだら、尾頭付きの一匹だったのでビックリ。うまかった。

Dscn0271智子さんから、前日のバレンタインのために作った、魔除け?のチョコをもらう。さっちゃんの分と二つ。しかし、なんで、彼女が作ると、こうなるのか。型で抜いて、表側半分だけ抹茶をぬった、こったものなのだが。カワイイぶりぶりバレンタイン騒動を笑いのめす破壊力がある。大笑い。

持って帰るあいだに、チョコがちょこっとだけはがれてしまった写真を載せる。

けっきょく21時ごろ、さばのゆ。山本さんの話も終わりに近づいていた。おれも口をはさんだりして、あとは呑むだけ。書くのがメンドウになったので、この件は省略。

さばのゆを23時ごろ出て、赤羽で宇都宮線最終にギリギリ間に合った。いろいろなことがあった長い一日。疲れた。

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2012/02/14

京浜東北線蕨で「泥酔会」。とうぜん泥酔、深夜バス帰宅。

このブログを書かないでいても、どんどん日にちは過ぎていく。書いておこう。

先週から、なんだがトツゼンあわただしくなった。あわただしいのと忙しいのは、少し違うような気がする。あわただしいというのは、細々あれこれ錯綜して落ち着きのない状態というか。もちろん、そのなかには、飲酒も含まれる。

とにかく、どうなるかわからない来年度企画が「急ぎ」ということだったり、原稿の締切りもあったが、先週は、10日金曜日の「泥酔会」の泥酔につきる。

昨年の10月、この顔ぶれで、王子で呑んだときは、まだ「泥酔会」という名前はついていなかった。その顔ぶれとは、みなさん会社員なので、名前はふせるが。20代後半、女子で仕事は水産系、同じく、仕事は農業系の男子、そして40代前半の男子で仕事はゲーム系でよいのかな。少なくとも、ゲーム系男子とおれは、もう2軒目がまったく覚えがないほど酔った。

そして、今回の日時決めをFBのチャットでやっているうちに、水産系女子によって「泥酔会」と名づけられた。前回もそうだが、誰もが最初から泥酔する気満々で臨む、オソロシイ呑みなのだ。まもなく70歳になろうというおれのようなジジイが、そんなのに付き合っているって、バカ以外の何ものでもないのだが、でも、嫌われて避けられるよりいいじゃない。と、言い訳になるか。

今回は、京浜東北線の蕨だった。19時に東口の「喜よし」からスタート。と言っても、その時間に着けたのは、おれだけ。そりゃそうだ、みなさん都心の会社で働き盛りだもの。

で、味噌ダレのレバーとカシラや50年の糠床の漬物で、ホッピーなんぞを呑んでいると、ゲーム系男子があらわれ、農業系男子があらわれ、水産系女子は京浜東北線の遅れに引っかかり、全員揃ったのは20時をまわっていた。

もう食べました、呑みました。で、前回の10月の時点では、「お付き合い」の関係だった、水産系女子と農業系男子は、「婚約」へと前進し、来月には入籍という段取りであるという話なんぞもツマミに、話もはずむ。おれは清酒に切り替えてから、とっくりを何本あけたか。

そして10時ごろ出て、西口の「丸好酒場」へ。以前に、この前を通ったときは休みだったので、行ってみたかった店だ。間口は狭いが奥に長くカウンターで、その奥に座敷があって、意外に広い。カウンターに4人座れる余地はないほど混んでいた。

「喜よし」で、よく食べよく呑んで、腹も一杯だったが、ポテトサラダとしめさばとつぶ貝の刺身、いずれも量が二人前ほどある。いや、つぶ貝は、記憶になかった。最初にビールを呑んだのは覚えているが、燗酒を呑んだのは覚えていない。

最初から大宮から深夜バスに乗れればよい覚悟だったので、京浜東北線の終電ギリギリまで呑んで、あとはところどころしか記憶にない。翌日は、ほぼ一日中死体状態だった。

しかし、丸好酒場で、農業系男子と、その仕事がらみのことを少しだけ話していた、その内容はシッカリ覚えている。考えてみると、農業や農村関係の知り合いは何人もいるが、東京の企業の農業経営の分野で仕事をしている知り合いは、彼ぐらいだ。おまけに東京の食品メーカーに勤めながら水産系の仕事の女子と結婚するのだ。都市的農業水産業的出会い!これは、ちょいとおもしろいなあ、と、やりたいことのアイデアが浮かんだ。泥酔も、おもわぬ、ヒラメキと展開につながる。これからも大いに泥酔しよう。

酒場の様子は、おれがここにグチャグチャ書くより、ゲーム系男子が、すでに食べログに載せている。さすがだ。
第2回 泥酔ツアー 1軒目は蕨のやきとんの名店【喜よし】
http://u.tabelog.com/00034811/r/rvwdtl/3809678/
第2回 泥酔ツアー 2軒目は魚介系が充実した【居酒屋 まるよし】
http://u.tabelog.com/00034811/r/rvwdtl/3817449/

蕨は、安くてうまい。以前から気になっていて、まだ入ったことがない店が、もう一軒ある。

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2012/02/07

小岩、野暮酒場での初トークイベントは、3月の予定。

先週土曜日の小岩、野暮酒場における野暮たちの宴会で、初めてのトーク「はやくも帰ってきた泥酔論」は、3月中にやることに、ほぼ決まった。テーマについても、ああだこうだ話し合っていたのだが、そのほとんどは泥酔の中で覚えてない。でも、基本は、わかっている。

それに、おれが『本の雑誌』2月号に書いた「めしと活字の悩ましい世迷言」に関係するが、大衆食堂や大衆酒場で本を読むのはかっこいいか悪いか、テナ感じの議論もおもしろそうという話もあるな。単なるトークイベントじゃなくて、「大」討論会みたいなのもアリかも。

野暮酒場も、ツイッターを始めて、ゆるゆる野暮に、やる気満々のようだ。以下のような、あんばい。なかなかおもしろいじゃないか。ま、どうなるか、これからのお楽しみ。野暮を、大いに楽しもう。賢そうな能書きたれているんじゃなく、野暮な遊びから駒ですね。

野暮酒場@tano_yabosakaba

小岩にある闇酒場。厳選した旬の安酒と、厳選した普通のカワキモノをご用意。営業は不定期、店主の気まぐれ気分しだい。店の標語:「酒は力」「Don’t think. Drink!」。「出没! ヤボ街ック天国」公認。ご来店の際、「ヤボ街見たよ!」とおっしゃられた方に、現在、熱烈歓迎チーカマ1本無料サービス中。

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2012/02/06

きのうの続きと、下諏訪のすみれ洋裁店から春の便り。

富津の古墳を見に行ったのは、今回で2回目だ。前回は2006年1月。四月と十月古墳部の5回目の旅で、おれはその時が初参加、スソアキコさんとも初対面だった。富津岬荘に泊まり、富津の弁天山古墳、木更津の金鈴塚古墳、千葉の加曾利貝塚などを巡った。

その時は全コースクルマだったが、今回は電車と徒歩であり、そうでないと気がつかないことがあった。それは、内房線に乗ると、立っている客も少なくないほど人が乗っているのに、すごく静かなのだ。われわれだけが、普通に話しているのに、大声に聞こえる。まわりの人たちは、話していないわけじゃないが、声が小さい。自分の声が気になる。なんだか妙だなという感じはあったが、気にせずにいた。

ところが、昼めしで入った中華屋〈大公〉でも、一杯の客がいるのに「静か」なのだ。家族連れが多かったが、静かである。われわれだけが普通に話しているのに、声が大きく店内に響き渡るので、気になる。と、誰かが、千葉の人たちって、声が小さくない、と言った。そういえば、Sさんも千葉だけど、声が小さいよね。でも、○さんは、千葉だけど声は大きいよ。あの人は根っからの千葉県人じゃないから。外房と内房でもちがうんじゃないの、外房の人は大きい声している。とかとか、話がはずみ、内房の人は声が小さい傾向があると。耳がよいのか、発声法がちがうのか。科学的に証明されたわけじゃないが、ひとまずそのように納得した。

Dscn0228それはともかく、古墳を見るのに、とにかく歩くのであり、すると、風土や生活を感じる。今回は、海がない北関東在住のおれと北関東出身の木村さんと、だだ広い関東の感じは同じだけど、荒っぽさがちがうねとか話す。同じ、荒涼とした冬景色であっても、やはり千葉は温暖であり厳寒の時期は短く、北関東の厳しさはない。人びとも、どことなく、おだやかである。(しかし、ハマコーのイメージは、だいぶちがうなあ)

そんな話をしながら、比較的新しい家が多い住宅街を行くと、突然、「バカ貝むきこさん募集」の看板があらわれた。「バカ貝」に対して「むきこさん」というのがいいね。「バカ貝むきこ」さんとも読めて、笑った。埋め立てで海岸線は遠くなり、すぐ近くに海が見えるわけじゃないのだが、地面は砂だらけだし、海に近い町を意識するのだった。そういう気分の遊びが、また楽しい。

Dscn0217きのうは書かなかったが、副葬品の須恵器を展示していたプレハブ作業小屋のような所に入ったら、発掘作業をするおばさんたちがかぶる、帽子があった。発掘作業場では、よく見かけて、あれは、麦わら帽子の上からスカーフのような布を巻いているのだろうと思っていたが、そうではない。いや、当初のころは、そうだったかも知れないが、ここで見たのは、ちがうのだ。

麦わら帽子を半分に切って、布を縫い合わせてあるのだ。麦わら帽子一個で、ふたつできる。なるほど~、こうなっているのかと、やけに感心して、写真を撮った。古墳部長であるが、帽子デザイナーのスソさんは、私もこういう帽子を作ってみようと言っていた。さすが、帽子デザイナー。縄文土器をモチーフに帽子を作ったスソさんだが、こんどはどんな帽子を作るのか楽しみだ。

話は、あちゃこちゃとぶ。昼めしを食べながら、青森の三内丸山遺跡は、また行きたい、諏訪も、また行きたいねという話になった。いつも、諏訪の話が出るのだが、以前に古墳部の旅で諏訪に行ったとき、諏訪大社の前のトコロテンもうまかったが、諏訪には、何かある、それが何だか、もっと探求してみたいという思いを、みなが持ったからだろう。

そして、泥酔記憶喪失で帰って、寝て起きて、きのう気がついたのだが、下諏訪のすみれ洋裁店さんから、立春の便りが届いていたのだ。なんというタイミング。

立春の挨拶に、いつものように小さな手芸品というのかな、それに「すみれ洋裁店の おまかせBAG small or big ?」の案内が入っていた。この「おまかせBAG small or big ?」だが、「あなたの印象を今日ある材料でBAGにします」というものだ。しかも、即日渡しもできるというもの。

すみれさんは、たしか毎年新しい挑戦をやっているようで、毎日一枚のハンカチを作った年もあったし、毎日袋物をひとつ作った年もあった。おれは巾着を買って気に入って重宝している。

しかし、今回は、店に来た客のイメージで作るのだ。言ってみれば、毎日、トツゼン会った人をモデルに、文章を作るようなものではないか。おれのような自堕落な人間は、とてもやる気になれない。

でも、作ってもらうほうは気楽だ。なにやら秘密のチケットもいただいたことだし、これは古墳部活動をそそのかし、古墳の旅もかねて、行かなくては。あのトコロテンも食べたいし。そうそう、うなぎも・・・。温泉銭湯もいいし、酒もうまいんだよなあ。

すみれ洋裁店のブログ「おまかせBAG small or big ?」
http://sumire-yousaiten.blogspot.com/2012/02/bagsmall-or-big.html

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2012/02/05

よく歩き、よく呑んだ、泥酔記憶喪失帰宅、古墳部活動の一日。

今日は、夕方まで、昨日の酒が残った。朝早くに出かけ、千葉県富津市の青堀駅に10時7分に着き。周辺で、古墳を4か所見て、歩いたのは6キロていどか。13時半ごろに中華屋に入って、ビールと紹興酒。それから都内に向かってもどり、小岩の野暮酒場で大いに呑み泥酔。それでやめておけばよいのに、酔えばもっと呑みたくなる悪癖。23時ごろ東大宮に着いてから、ちゃぶだいへ。生ビールのあとに呑んだ、鶴齢がうまくてうまくて、おかわり。泥酔記憶喪失帰宅となった。

古墳部活動は、去年の暮れの27日に千葉へ行ったばかりだが、昨日もまた千葉へ行った。今回は、富津市にある、内裏塚古墳群のなかの西谷(にしや)古墳の現地説明会に参加するのだ。内房線の青堀駅に10時7分に着く電車で行く。遠い。朝6時に起き、45分ごろ家を出た。雪をのせた富士山が赤く染まっているのを見ながら駅へ。

前日、サキさんにメールで、ホリデーパスを買うとお得であると教えてもらったので、2300円でそれを購入。なるほど最低でも千数百円は得する。

千葉駅で立ち食いそばの腹ごしらえをしてから内房線に乗った。乗る直前に、スソアキコさんと瀬尾幸子さんと合流。木村衣有子さんとサキさんも同じ電車に乗るはずだが、姿が見えない。スソさんに遅刻のメールが入っていた。10時50分に青堀着であると。

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青堀駅に着いた時は、まだ寒かった。だけど、快晴、日差しは暖かくなりそうな気配だった。駅の陸橋から、駅広場の向こうに墳丘のようなものが見えた(画像の左端)。スソさんが「あれ、古墳じゃない、きっと古墳だよ」と言う。なるほど、古墳らしくは見えるが、駅のまん前にあるなんてと半信半疑で改札を出る。現地説明会の案内の看板が出ていた。その向こうに古墳らしいものがある。スソさんが走る。「やっぱり古墳だよ」と言う。さすが、古墳部長。

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説明板を見ると上野塚古墳。ホタテ貝型で45メートルあるが、石室があるはずの墳丘の中心部を残して、大部分は駅前広場や駐車場に削り取られて無残な姿。地形を見ると、ここから海岸のほうへは下りの坂道で、昔は海だったところが埋め立てられたとわかる。つまり、古墳ができたころは、海に近い砂丘の上で、目立ったにちがいない。

西谷古墳へ行くため、陸橋を渡り駅の反対側へ。するとすぐ「古墳の里 ふれあい館」なる建物があった。新しい、そのあたりだけ、古墳は壊すが無駄に金をかけてキレイにしたような、よくある土建先行の「まちづくり」。もっとも、土建先行であるがゆえに、西谷古墳も、県道建設のために発掘調査が行われた。そうでもないと、調査はされず、いつのまにか消滅しちゃうということもある。ここは、調査が終われば、消滅し県道となる。

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内裏塚古墳群は、この地域に47の古墳があるとされている。その半分近くが消滅している。名称である内裏塚古墳は、南関東で最大規模、144メートルの前方後円墳だ。西谷古墳は円墳で28メートル。その墳丘の頂上の向こうに、内裏塚古墳の木立が見える。

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現地説明会といっても寂しいものだろうと思って行ったが、とんでもない。地元の老若男女がつぎにつぎに来るのだ。ちょいとした祭り会場のよう。あるていど人数がまとまると、学芸員の方が案内し、説明してくれる。

Dscn02147世紀つまり600年ごろのもので、古墳時代後期だから、豪華な感じはない。岩石の乏しかった土地であるからだろう、横穴式の石室は、近くの海岸の崖から切り出した砂岩が使われていて、石の表に海岸の砂岩独特の穴ぼこがある。こういうのは初めて見た。石に、四角に形を整える加工を加えた形跡が、あまりない。天井石も、削って形を整えると、岩が小さくなってしまうからか、切り出したままのような形をしていて、いかにも海岸から運びましたという、そのままの感じだった(下の画像)。

Dscn0216それに、石室からは、いまのところ13体もの人骨が見つかっており、ぎゅうぎゅう詰め込んでいるのだ。学芸員さんに聞いたら、おそらく最初は木棺を使ったかも知れないが、あとからは布にくるんだだけで埋葬したのではないかということだった。古墳の建造も含め、だんだん埋葬が簡略になった様子がわかる。

副葬品の須恵器が、プレハブの作業小屋のようなところに展示されていた。この頃になると、その形や薄さなど、ほとんど今に近い。「このあたりから、もう現代だね」と冗談を言いながら見たが、実際そんなに遠い時代の感じがしない。平瓶などは、まさに酒を注ぐのによさそうで、欲しくなる。だけど、縄文土器を見るときのように、熱くはなれない。現代、あるいは現代的、というのは、タイクツなのだ。

一通り見終わったころ、古墳部活動初参加のサキさんと木村さんが到着して、学芸員の説明の輪のなかに入った。二人は、このあいだ多治見へ行って、多治見や土岐や瀬戸を見てきたばかりなので、須恵器などにも興味があったようだ。

Dscn0226つぎに、見えているし、最大規模という、内裏塚古墳へ向かった。見えていても、道はぐるりと、新しい家古い家の住宅街の中を抜ける。

なるほど大きい。墳丘に登る道があって、円墳の上へ。木の間から、埋立地の煙突が見えた。この古墳ができたころは、海からも、あたりのどこからも、よく見えたことだろうと想像がついた。竪穴式石室が2つあって、1つには1体、もう1つには2体が埋葬されていた。5世紀中頃の、かなりの有力者のものだから、埴輪をめぐらし、鉄剣をはじめ副葬品も豪華だったようだ。

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墳丘を被っている木の実であるドングリは、やや長形で、瀬尾さんがこの形のものは、さらさなくても食べられると言って拾っていた。さすが、料理研究家。

つぎは、三条塚古墳だ。汚れた水の堀をめぐらした、荒地と化した飯野陣屋跡に隣接してあるのだが、入り口が見つからず、うろうろした。墳丘に登る途中に、天井石らしいものが見えた。やはり四谷古墳と同じ石だ。その下に石室があるらしい。

千葉は温暖だ。道端には、タンポポが咲いていた。真昼であり、歩いているうちに熱くなり、汗ばむほどだった。がまんならず、重ね着の一枚を脱いだ。

三条塚古墳へ行く途中にあった、〈大公〉という中華屋で昼めし、兼、新年会となった。ここの盛りは、普通でも大盛で食べごたえあったが、いろいろとって、最初はビール、のち紹興酒のボトルを空ける。歩いたあとでもあり、よい酔い心地。

Dscn0257たしか15時ごろの電車に乗って千葉へ、千葉で乗り換えて、小岩へ。野暮酒場は店主の野暮タノさんが1人だったが、われわれ5人が押しかけて一気に賑やかに。例によって、隣の〈肉の津南〉の揚げ物を各種買って、宴会となった。本日の店主が厳選の旬の安酒は、あの越後杜氏の山崎忠一さんが腕をふるう、北関酒造の純米酒だ。なんと、純米酒が、安酒か。そうなのだ、この北関酒造は、純米酒も安い。安さに首をひねりたくなり、首をひねりながら、ビールを小びん2本呑んだあと、これを5杯呑んだまで覚えているが、そのあとはわからない。

タノさんの知人があらわれ、コンさんがあらわれ、スソさんと瀬尾さんは先に帰り、泥酔でもう呑めない状態になるまで呑んで、木村さんとサキさんと一緒に野暮酒場を出た。東大宮に着くまで、記憶なし。東大宮の改札を出るときは記憶があり、23時ごろだった。まだ早いと、ちゃぶだいへ向かったのだった。

よく歩き、よく呑み、にぎやかで、楽しさ満載の一日だったが、今日は死んでいた。

関連
2011/12/29
千葉県立中央博物館「古墳に眠る石枕」展に行った。

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2012/02/01

小岩で蠢動、野暮酒場で「肉の津南」の揚げ物を堪能、泥酔す。

昨年末、東京の東の端、江戸川区小岩に開店した、野暮酒場。いや、「野暮酒場」というのは、おれの仮の呼び名だったつもりだが、そのまま店名になりそうな気配だ。いずれにせよ、ここのおもしろさは、隣の「肉の津南」のおもしろさと連動増幅する。
2011/12/26
「肉の津南」のうまさとおもしろさ。

ってことで、1月15日には、またも小岩の野暮酒場へ行った。この日は、なんと、木村衣有子さんとサキさんもあらわれ、シノさんコンさんと、野暮連のなかでも中核野暮が顔を揃えた新年会となった。そうそう、その日の東京新聞の読書欄、「この人この本」には、おれが登場していて、これも酒のツマミにされた。

Dscn0161で、やはり、肉の津南の揚げ物とサラダが欠かせない。たしか15時すぎに着いて、ただちに津南へ行くと、すでにマカロニサラダは売り切れだった。となるとますます食べたくなるが、売り切れたものは、しようがない、次回を期待しながらポテトサラダ。ほかに、もちろん、アジフライ、メンチカツ、ポテトフライ、とり唐揚げ、などを購入。といっても、その15時すぎのときは、揚げ物は休憩中で、ポテトサラダだけ、16時すぎに再度行って揚げ物を入手したのだった。ほんと、揚げ物は、どれもうまいだけじゃなく、安い。ポテトフライは、一串30円。

Dscn0162_2このポテトフライは、いつも不思議に思う。つまり、ここにも、津南の他の食品のように、東京の目に見えない人と文化のつながりを感じるからだ。メンチカツは、どこにでもあるが、このポテトフライは、地域が限定される。どういう広がりかたをし、なぜもっと広がらなかったのか。こんなにうまいものなのに、うまいだけじゃ広がらない、何かがありそうだ。

もちろん、「「肉の津南」のうまさとおもしろさ。」にも書いたが、こういう津南がある小岩という土地も、おもしろそう。そんなわけで、今年は、小岩でも蠢動しようと思っている。

野暮酒場は、いまのところ、一般オープンはない。店主の都合のよい日が、野暮連のメーリングリストに流れ、駆けつける仕組みだ。でも、そうこうしながら、先日フィナーレを飾ったスロコメ@下北沢での「泥酔論」トークを、ここで「はやくも帰ってきた泥酔論」として復活の動きもある。その時には、ここに告知するので、関心のある方は野暮酒場を味わうチャンスになるのではないかと思う。

それに、トークだのライブだのという「東京の西」の「カルチャー」っぽいことを、小岩で始めるというのも、なかなか野暮でおもしろいと思っている。小岩というのは、東京都区内でありながら、東京でもなく隣の千葉でもない、独立した地方都市のような趣きの独特な印象がある。とはいえ、ここも東京であり、東京ならではのニオイも多々感じる。

5日は、店主のタノさんが「厳選した旬の安酒」は、前回の埼玉は蓮田の「清龍」にかわって、千葉の印旛の甲子だった。野暮酒場で呑んでのちは、前回の去年とおなじように地蔵通りの、前回とは違う居酒屋へ行った。ここもまたよかった。大いに呑んで泥酔記憶喪失帰宅。

近々また野暮酒場へ行くことになりそうな気配があり、楽しみだ。

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