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2012/04/30

「男子パン」と味噌汁。

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おれが、「「男子パン」食べてえ~。男子パンとビールが欲しい~。」と言った。すると、遠くにいるツボノ女が、「「男子パン」って??」と言った。
おれは、「ミーツ・リージョナル6月号の特集が「男子パン」。「固くなくて、甘くなくて、デカくて、いつでもバカ旨なアイツ」ってもので、焼きそばパンなど、よく「おかずパン」といわれるやつ。男めしにもなる男子パン。部活のあとに食べたなあ~、とか。もちろん女だって食べますよね」と言い、それでも足りないような気がしたので、「ミーツ・リージョナル6月号の特集「男子パン」は、すっごく面白い力作! 表紙写真の焼きそばパン、食べたいよ~。街角のパン屋の、頼もしいおかずパンの数々。ビールまで欲しくなる」と言った。
すると、やはり遠くにいて、その話を小耳にはさんがアキ女が、「まち歩きをしているとパン屋さんってその街の表象だったりするなって..価格諸々」と言った。
おれは、なるほど、確かに!と思った。おれは、かつて、パン屋やベーカリーレストランの仕事をしたことがある。パン屋やベーカリーレストランを経営する会社の、常勤ではないが、企画担当の役員だったのだ。そのときのことを思い出した。

自分の店で作るパン屋のパンというのは、イチオウ製品ではあるけれど、食堂の料理に近いものなのだ。惣菜屋を考えてもらえば、わかりやすいか。おかずパンを売っているところでは、パンはパン屋から仕入れ、なかにサンドするおかずは自分の店で作るというところもある。あるいは、パンもサンドするものも仕入れだが、そのアソートに独自の個性があるというもの。いずれにせよ、その場所その店にしかない味覚が生まれやすいし、生まれる。

話は変わるが、2012/04/25「内田百閒の「上京」と味噌汁」に関連して、木村衣有子さんに、こういう話を聞いた。

「味噌汁話。エンテツさんはすでにお読みやもしれませんが『太陽』1982年3月号で、京大教授の今西錦司が京都の味噌汁をこう語っています<食べない。いまでもぼくは、たまには味噌汁を注文してつくらしますけど、あんまり必要品と思いませんな。あれもやっぱり味噌で栄養をとるという、貧乏人の食い物の一つやないか。そう言うたら悪いけど。アッハッハッハ。>なにくそ。東の貧乏人、上等だ。以上、高橋義孝と石毛直道との鼎談より。」

いやはや、日本の食事様式に不可欠なものとして、ご安泰に見える味噌汁だけど、なかなか。食文化研究の先駆者あるいはリーダー的な存在で、著作も、おれなんかと違って売れまくって「権威」ともいえる人たちにして、こういうことなのである。近代日本食のスタンダードとは何かは、だからおもしろい。

きょう、チョットだけ知っている若い夫妻がやっている食堂、とてもよくて、また行きたいと思っていた食堂が、トツジョ閉店したのを知って、少々ショックを受けている。先日、当ブログで「最終戦」を書いたばかりだったが。見たところ賑わっているようでも、客単価は落ちているし、テナントで家賃を払って営業している飲食店は、ジワジワ厳しい状態になっている。個人店の閉店は、まちの財産としてもマイナスであり、なんとも悩ましい。それはそうと、まだ若いのだから、この経験からよく学んで、再起してほしい。インターネットあたりで自分では何のリスクも負わず、他人の批評や悪口ばかりで小利口ぶっている同世代より、はるかによい経験をしたのだから。力は十分あるし、再起は可能だと思う。

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2012/04/29

昭和の日だから、よくわからない「昭和」のイメージとブーム。

Dscn0657拙著『大衆食堂パラダイス!』も、もっと「昭和」を全面的に前面に出したら、昭和ブームにのっかって、もっと売れるのにと言ってくださる方がいる。いつも数千部の初版すら売り切れない、下層フリーライターのおれを心配してくださる。しかし、おれの興味は「近代日本食のスタンダードとは」であり、つまり「近代の普通の食事」であり、昭和や昭和な町の探求ではない。

そもそも、近頃のブームというのは、分母が小さくても「ブーム」といわれる。もともと「細分化」が進んで小さいうえに、周期が短い。「昭和ブーム」というが、その実際は、かなり細切れで、ま、それをまとめれば、「昭和」という冠でまとめられないことはない。ていどのように思うが、とくに各種メディアにおいては、なんにでも「昭和」という冠をつけると、当面のシノギになる。ってことのようだ。だから、どーせ大衆食堂の本を出すなら、もっと「昭和」を称揚したほうがよかったのに、といわれるのだろうか。

「ブーム」もわからないが、「昭和ブーム」といわれるときの、「昭和」も、よくわからない。おれは、「昭和30年代にして1960年代の大衆食堂」という表現をするが、それは、体験的主観的に書こうとするときの、おれの「起点」あるいは「原形」となるものがそこにあるからだ。しかし、「昭和ブーム」あるいは「昭和30年代ブーム」のそれは、チョイと違うようだ。

とにかく、昭和のブームも、その場合の昭和のイメージも、「昭和」という言葉は踊っているが、イマイチとらえどこがない。なにより、おれが体験した記憶にある昭和のイメージと、かなりちがうことが多い。よくわからないから、こうやって、酔っていることもあるが、ぐちゃぐちゃ書くのだ。いったい、なぜ、いつごろから、こんな「昭和ブーム」になったのか。

少し前、みちくさ市で、『東京人』2007年5月号を買った。特集は「昭和30年代、都電のゆく町」だ。この古雑誌をなぜ買ったかというと、昭和37年の都電の「電車案内図」があったからだ。昭和37年は1962年、おれが上京した年だ。上京してスグ買った東京の地図には、これと同じか、ほぼ同じ地図があったはずだ。どこへ行くにも、それを持って歩いて、都電をよく利用した。

この古雑誌『東京人』を買う少し前、上京したてのころ何度か利用した都電の上野公園停留所から白山の方へ行く路線の廃線跡を歩こうと思ったが、途中でわからなくなってしまった。そのことがあったし、かつて都電の停留所近辺によくあった大衆食堂を思い出すのに、手がかりになるかと思い、買った。

その後ろの方に、バックナンバーの案内がある。2003年5月号の特集は「東京なつかしい風景」、テレビ時代以後のようだから昭和30年代以後が中心のようだ。2006年8月号の特集は、もろ「昭和30年代、東京」だ。ほかにもあるが、このころ「昭和ブーム」の一つの波があったように見える。

「昭和の日」だが。あまりあてにならないウィキペディアによれば、「1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御により、同年以降の4月29日はそれまでの天皇誕生日としては存続できなくなり、祝日法の天皇誕生日に係る項を改正する必要が生じた」

「当初から誕生日を活かして「昭和記念日」など昭和に因んだ新祝日として存続させようというような意見が出ていた。しかし、野党による反対からその案は見送られ、同年以降の4月29日は「みどりの日」という名称の祝日に改められた。/その後、「昭和の日」の実現を目指す運動に呼応・共鳴する国会議員により、2000年(平成12年)の第147回国会(参議院先議)、2002年(平成14年)の第154回国会(衆議院先議)においていずれも議員提出法律案として審議に付され、ともに先議の議院では可決したものの、国会会期終了・衆議院解散などにより後議の議院での可決に至らず廃案となった。2004年(平成16年)の第159回国会において、都合3度目となる改正法案提出(議員立法形式・衆議院先議)がなされ、継続審議を経て2005年(平成17年)の第162回国会で成立した」ってことなのだ。

遮二無二「昭和の日」が決まっていく過程と、昭和ブームの波が重なっているように思われる。最近、ハーベスト社から、浅岡隆裕著『メディア表象の文化社会学:〈昭和〉イメージの生成と定着の研究』って本が発売された。気になるタイトル。

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2012/04/27

「最終戦」に消費税増税、放射能事故が起きる前の放射能。

2012/04/14「デフレつまみ?」に、街場の飲食業について、「「最終戦」という言葉が浮かぶような、激しい競争」と書いたのだが、その件で、都内で家族経営の飲食店を経営する、どちらも40代の2人から電話があって話した。よーするに、ほんとに「最終戦」という言葉がピッタリな状況だといわれた。

「センベロ」の先に、なにか展望があるか?といえば、ない。でも、やらなくては負ける。でも、これ以上の価格競争は自殺行為だ。大変なのは、おれも一昨年の後半あたりから聞いて知ってはいたが、とくに近年は商店街ごとの競争が激しくなって、商店街が音頭をとって、「食べ歩き飲み歩き」のツアーを企画するまでになっていることだ。そんなふうに、近隣の商店街が競争しあって、どうなるんだろうという感じだが、手をこまねいてはいられないということなのだな。

そういうツアーに手を貸してよといわれるが、いくら状況がそうだからといっても、そこまではチョイと踏ん切りがつかない。でも、トークライブはやっているじゃないか、あれだってよその店から見たら、客寄せでお客をとられているようなものだからね、と突っ込まれて、いやあそこまで言われると困っちゃうなあ。という話になるぐらい。

前にも書いたが、いまや家飲みやホームパーティーや弁当までが、飲食店と競合関係になる、まったく余裕のない状態。

そのうえ、消費税増税。これは、そんな状態の飲食業に、かなり深刻な影響を与えるという話を、何度も聞いている。これがまた飲食業の現場の、先行き不安と悩みのたねなのだ。しかし、報道では小沢一郎の無罪が消費税増税法案へどう影響するかていどのことで、国民のみなさまの総意は、どのへんにあるのか、イマイチはっきりしない。消費税増税など、話題にもならない無関心といった気配も漂う。とかとかで、とにかく、困った大変だ、という話を聞いても、あまり力になれないのが、またもどかしい。

おれは、言論人でもなく、観察者でもなく、飲食店経営にも関わってきたフリーライターだから、街場の飲食業にまみれながら生々しい現実と付き合い、お互いの商売が成り立つよう願って、やれることはやりたいと思っているが、遮二無二現実と付き合うには、チョイと体力不足になっているし・・・。

東大宮の東口の「和食 四季」のブログでは、このブログ、元ちゃぶだいのタイショーがこの店に移ってやっているのだが、その25日。http://sushi-sake.jugem.jp/?eid=23

おれが2012/04/23「連休の予定は、「本のつなコメ」とスソアキコ帽子展。」に書いた、【20年間も続く出口の見えない「不況」と大震災のなかで、今なんにつけコントンの状態。あまり失敗や成功、あるいは「正しい路線」といったものにこだわらずに、とにかくいろいろやってみるってことが大事だと思っているし、一緒にやりながら人間関係を熟成していくことで可能性が広がるということがある。】を引用して、「1つのモノを一方向からの視線でとらえずに、いろんな方向から見ることが大事。/必ず、いつかは視界が開けるはずなのだから…」と書いている。そのように、いま飲食業の現場は、あれこれ真剣に模索中なのだ。まずは、そういう模索と、付き合っていこう。スマートな気の利いた解決策なんか、ありはしないのだ。かっこ悪く、もだえ、愚直にやるしかない。

ってえことで、「一方向からの視線でとらえず」ってことでは、「放射能問題」だ。これはもう、真逆の一方向と一方向が、交わることなくぶつかりあって敵視しあっている状態で、困ったものだが。チョイと気になるエントリー「原発事故が起きる前の放射能」があったので、リンクをはっておく。「ゼロベクレルとか放射能フリーとか、そういった科学的にはあり得ない、「放射能は微量でも危険」という声に対し、別の見方を提供するという趣旨で書いた」ものだ。ナニゴトも、今日のようなコントンのなかでは、自分と違うことを頭ごなしに否定するのではなく、いろいろな見方に真摯に向かうことが必要だと思う。これ、チョイと長い文章です。…クリック地獄

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2012/04/26

来日中のケン・イトウさんと会った。

Dscn0666「おれと同じ1943年生まれの一人の日本人男が、1960年代なかごろ、大学を卒業と同時にアメリカへ渡り、そのまま。永住権を得て現役カウボーイで暮らしを立ている。コロラド州に住んで、もうからない牧場も持っている。名前は、ケン・イトウさん」と、ザ大衆食の「カウボーイめし物語」(http://homepage2.nifty.com/entetsu/s/ken.htm)に紹介してある、ケンさんが先週末から来日していて、今日、都内で会った。

前回会ったのは、いつか、二人とも思い出せなかったので、帰って調べたが、どこかに写真とメモがあるはずだが、見つからない。どうやら2005年か06年のことのようだ。ケンさんは、シッカリ日焼けして、ロディオで落馬骨折手術のあとの前回より、元気そうに見えた。会うのは2回目、前回も今回も、昼の短い時間だったが、なんども長く会っているような感じなのだ。そして、またいつでも会えるような別れ方をした。楽しい充実した時間だった。

ケンさんは、ロディオのほうは引退したそうだ。それは、当然だろう、すでに何度も骨折し、もうトシだからリスクは大きいし、今度骨を折ったら、なかなか治らないにちがいない。

引退記念ということじゃないが、ケンさんがチャンピオンに輝いたころの写真とケンさんのサインがあるTシャツを作ったそうで、いただいた。

前回もそうだったが、今回も、ケンさんは半分はビジネスで来ている。そういうアレコレと、やっぱり、食べ物の話がはずんだ。おれが驚いたのは、アメリカでは想像以上に、「すし」が普及していることだ。

ザ大衆食の「カウボーイめし物語」は、ずっとほったらかしになっているが、最近ではケンさんとのやりとりは、紙郵便から電子メールになっている。そこでも、食べ物の話が多い。ケンさんは食べることが好きなのだ。そういうことも含めて、後日書こう。

帰りの電車で考えた。ケンさんは、おれと同じ年の生まれだが、早生まれだから学年は一つ上だ。慶応大学という、おれなんぞは入れなかった大学を卒業すると、まだ海外渡航もめずらしかった時代に、すぐアメリカに渡り、しかもカウボーイをめざした。その、なぜ、については、まだ話したこともなく、よくわからない。とにかく、国境や地域に関係なく、身体をはって、たくましく食べ、たくましく生きている人との話は、気持ちがよいし有意義だ。

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2012/04/25

内田百閒の「上京」と味噌汁。

2012/04/20「おいしい味噌汁をのみたい」に関連するメモ。

内田百閒の『御馳走帖』(中公文庫)の解説を平山三郎さんが書いている。これは解説とはいえ、「『百鬼園随筆』に不馴れな方には随所に唐突な年代不明なことがらが出てくる。それで、内田百閒略年譜を解説附きで、それに収録の七十数篇の初出単行本名も挿入して、解説に代えさせていただく」というものだ。

その明治43年。内田百閒は、岡山第六高等学校を卒業し、東京帝国大学文科大学に入学、9月に上京する。

「下谷七軒町の下宿屋で、上京した翌朝、お膳に坐ってお椀のフタをとると赤味噌の汁の中に唐茄子の切れが浮いていたので、こんな物が食べられるかと思って胸が一杯になった。岡山は朝の味噌汁をのまない。たまに味噌汁をすすれば御馳走でそれも白味噌にかぎられている。まして唐茄子を赤味噌に入れるなどは、どんな貧乏人でもしない。また、昼や晩のお膳に出る煮魚に砂糖を入れて味付けしてあるので食べられない。郷里は海が近いから魚の生きがいい、砂糖で附け味するようなことはない。「子供の時からさう云ふ味に馴れてゐて、いきなり東京へ出て来たから、食べ物の味は変はって、殆んど御飯が咽喉を通らなかつた」(上京)」

明治43年は、1910年。

1975年栃木生まれ、関東女の木村衣有子さんの話だったと思うが、彼女は京都の大学に進学して、京都の味噌汁の洗礼を受けた。といっても、正月の雑煮の話なので、ことさら「伝統的」であったかも知れないが、たしか、白味噌の汁に丸いモチが入っていたそうで、これだけは全部は食えなかったと。その話を聞いたときは、なんとなく、味が想像ついて、ウゲッと思った。

おれは、1965年秋から1年間、会社の命令で大阪で仕事をして暮らし、大衆食堂で味噌汁も食べた。「チッ、ぴりっとしない味だなあ」と物足りなさを感じはしたが、さほどショックはなかった。

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2012/04/24

「ホットスポットとよばれた地域がつくる『安心』とは」

東電原発事故による放射能汚染と食品の関係は、いろいろな論議や取り組みがある。ま、これからも、まだまだ続く、避けては通れない問題だろう。

そのなかで、おれが注目しているのは、千葉県柏市で行われている「安全安心の柏産柏消円卓会議」の取り組みだ。

2月15日発行のα-Synodos vol.94と、3月15日発行のvol.96では、その活動を、「ホットスポットとよばれた地域がつくる『安心』とは」と題して、「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の事務局長、五十嵐泰正さん(筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授)に取材して掲載している。

この記事について、編集の関係者から感想を求められているのだが、なかなか書けないうちに日にちがすぎてしまった。その間に、NHK首都圏ネットワークやチバテレビNEWSチバ930でも、取材と放送があり、ますます注目されているようだ。

とりあえず、感想ぬきで、ここに関係するリンクをまとめておく。

タイトルは「柏市で再生される「信頼」のかたち ―― 「農地を測る / 農地を見せる」で何が変わるか」です。シノドス編集部の柳瀬徹さんが、複雑で難しい内容を、うまくまとめている。なお、これは無料公開の記事なので、有料記事の全文をご覧になりたい方は、下記のリンクから購読の申し込みをしてご覧ください。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1913579.html

記事のなかにもリンクがありますが、「My農家をつくろう~柏野菜データベース」http://www.kyasai.jp/と佐野和美さんの「そもそも【放射能を測る】ってどういうこと?」http://synodos.livedoor.biz/archives/1913172.htmlを、合わせてお読みいただくと、より理解が深まるでしょう。

五十嵐さんは、ただでさえ大変忙しい方なのに、よくこういうメンドウでややこしいことに尽力されていると、ほんと、頭がさがる。この間に、2回ほど、この件ではなく、ほかのことでお会いしたけど、いやあ、まだ若いのに素晴らしい方だと、あらためて思った。

五十嵐さんが関わってきた柏の「まちづくり」については、以前に資料などもいただいて読んでいたこともあって、今回「この会議を立ち上げた当初の最もシンプルかつ最大の動機は、「消費者と生産者の不毛な罵りあいを柏では起こさせない、我が町ではそれができるはず」というものでした」という言葉には、大いに納得です。

いたるところでいろいろなことで知恵を出し合うより、相手を貶めるだけの無益な「罵りあい」が多い今日この頃だが、そこんところから考え直さなくてはいけないかと思ったり。消費者と生産者のあいだは、あまりにも隔たりが大きすぎると思ったり。

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2012/04/23

連休の予定は、「本のつなコメ」とスソアキコ帽子展。

今週末から九連休とかいわれる黄金週間だ。なんだか、知り合い関係でもイベントが目白押しのバッティング状態。なので、絞って告知しよう。おれは、これだけは、絶対に行く!って。一つ目は、おれがゲストだから、行くのはアタリマエ。

5月5日のさばのゆ@経堂のイベント、このあいだ須田泰成さんと電話で話していて、テーマもプログラムもイマイチ詰めきってないのだが、まいどのことで、とにかくおもしろそうということで、やってみることになった。そう、20年間も続く出口の見えない「不況」と大震災のなかで、いまなんにつけコントンの状態、あまり失敗や成功あるいは「正しい路線」といったものにこだわらずに、とにかくいろいろやってみるってことが大事だと思っているし、一緒にやりながら人間関係を熟成していくことで可能性が広がるということがある(須田さんの場合、被災地の支援や復興でも、そのように大活躍だ)。須田さんとおれは、そういうことでは、まことにいろいろやってきたのだが、今回、これはなんぞや、おれが本のイベントに登場するのだ。

ありえない!と思う方もいるだろう。これまで、「本好き」をからかったりして、あるいは怒らせたかもしれない、おれは本なんかあまり持ってないし読まないよと言ってきたし実際わが家に来てライターにしてはあまりに本がないのにおどろかれたりしたが、そのおれが、もっと本でつながろう、てな感じのイベントに臨む。

がははは、なんだかおかしいなあ。いや、そこは、もちろん、これまで「本好き」を名乗る方々のキマジメでマニアックなつながり、それはそれでけっこうなことだけど、おれのようにそれほど「本好き」でもない高い教養もないイイカゲンなやつでも本でつながれるおもしろさが本にはあるのだよ、ってなことで、モンティ・パイソンの大家である須田さんプロデュースならではの、何か、があるだろう。以前のスロコメの泥酔論における、村上航さんのレシピ朗読も、そういうものだったが、さて、今回は、どんな展開になりますか。クレバワカル。

さばのゆのブログ「2012年5月のスケジュール」には、すでに告知があった。これ、スタート時間がないのだが、たいがい18時とか19時からでしょう。須田さんに、時間を載せるよう言っておきます。
http://sabanoyu.oyucafe.net/schedule

◎5月5日(土)  「本のつなコメ」 即興コメディ ロクディム
     つながる笑いのライブ「つなコメ」が、おもしろい本や作り手の方々とコラボ。
     さらに楽しい「つなコメ」へ。本をテーマに笑いが生まれます。
     今回お越しいただけるのは、大衆食堂の詩人遠藤哲夫さん。
     dancyuの肉特集もネタになるかも。


つぎは、毎年恒例だったが、去年は、どうだったかな。とにかく、毎年必ず行っていた、吉祥寺ギャラリーフェブにおける、スソアキコさんの新作帽子展。以前、スソさんの麦わら帽子を見たいと話していた記憶があるのだが、いよいよ実現するようだ。スソさんのサイトに写真と告知があります。
http://news.suso.biz/

スソアキコ 新作帽子展
「Lumen」輝く光
5月3日~8日 12時ー19時(最終日は17時まで)
吉祥寺ギャラリーフェブ


あと、森美術館の「イ・ブル展」は、5月27日までだから、連休中でなくてもよいが、必ず行く。

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2012/04/22

野暮酒場で強烈パンチの安酒。

Dscn0665昨夜は小岩の野暮酒場の営業日だったので行った。毎回変わる厳選された安酒は、美濃の「鬼ころし」だった。「鬼ころし」という酒は、いくつかの酒蔵で出しているが、美濃の鬼ころしが最も有名だろう。

1980年代、東京の千駄ヶ谷に住んでいたころ、鳩の森神社そばの酒屋をよく利用していて、そこで最も安いクラスの一升瓶が、この美濃の鬼ころしで、よく買って飲んだ。

激しい辛口、胃にズシンとくる原酒のような強さ。いやあ、こんなに強烈な酒だったかと思った。そのパンチは肉体を鍛えてないと耐えられないような強さ。ようするに、この酒を飲むには、おれは齡をとりすぎたということだ。

まいどのごとく、肉の津南に先に寄って、メンチとポテトフライを買った。18時ごろだったから、5人ほど待ち途切れない混雑で、おばさんが1人で手際よく揚げて、客を捌いていた。

誰も来てないかも知れないと思った野暮酒場のカウンターには、先客が2名いた。飲んでいると、初めての客、しかも女子があらわれてビックリした。聞くと、木村衣有子さんのファンで、ツイッターで木村さんをフォローしていて、野暮酒場の営業を知ったという。彼女は、いきなり鬼ころしを注文した。かなりイケル口らしく、平気な顔で飲み、おかわりもした。町屋の住人だそうで、あれこれオシャベリしていると、なんと木村さんとサキさんがあらわれた。

いつも誰が来るかわからないのだが、まいどのごとく賑やかで楽しい酒になって、その女子は谷中へ行くとかで先に帰った。われわれは21時半ごろになって、まいどのごとく地蔵通りの居酒屋へ移り、さらに飲む。おれは電車の時間で、22時半すぎに先に出て、帰ってきた。

今日は、二日酔いで、頭痛はないのだが、午前中は胃が焼けるように重く、午後になるまで何も口にできなかった。

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2012/04/21

「川向こう」

このあいだ上野の立ち飲みで、隣のオヤジと話になった。オヤジというが、おれとほぼ同じ齢ぐらい。定年退職後、やることがないので、毎日その立ち飲み屋に来て、気が向けばあたりの居酒屋でも一杯やるのが日課だという。「毎日パチンコやったり、競馬にカネつぎこんだりしているより健全だよ」と。

おれが、住まいはどこなの、と聞くと、言い慣れた口調で「川向こう」と言った。おれは一瞬とまどった。というのも、赤羽あたりで「川向こう」といえば埼玉で、おれは埼玉に住んでいるから、「川向こう」と聞くと荒川の向こうの埼玉をイメージするようだ。埼玉からなら、川向こうの一番近い川口からだって上野までは、歩ける距離ではなく電車賃がかかる。オヤジは、おれのとまどった顔を見て、すぐ「墨田」と付け足した。ようするに、隅田川の向こうなのだ。歩くとちょうどよい運動になるとも言った。

世田谷あたりで「川向こう」といえば、多摩川の向こうになる。少し前、都内のとあるところでビジネスな話になったとき、そこにいた若い男が、「川向こうはニコタマコンプレックスがありますからね」と言った。ニコタマとはセレブで名高い世田谷の二子玉川のことで、ここで当たっている商売を、少し安い値段で多摩川の向こうのたまプラーザや藤が丘でやると、初期投資は少なくすんで利益が出やすいという感じの話で、いくつかそういうビジネスをあげていた。

東京の東のはし、野暮酒場のある小岩で「川向こう」といえば、江戸川の向こうの市川になる。が、ここは、世田谷の川向こうと違い、川向こうの市川のほうが、なんていうか、レベルの高いイメージになるようだ。でも、小岩は、千葉とは違い、なんてったって東京である。近頃は、「暮らしよい」下町のイメージでもあるようだ。

「川向こう」という言い方は、埼玉や千葉から東京を指すことは、たぶんあまりないように思う。どちらかというと東京側からの言い方のような気がする。

だけど、隅田川をはさんでは、どちらも都内だ。たとえば、そのオヤジは、上野で自分の住まいのある墨田を「川向こう」と言ったように、上野へ出るとき、「川向こうへ行って来るよ」とか家人などに言うのだろうか、そのへんどうなっているのか、おもしろい。浅草の川向こうは、墨田区の向島であるし。

それにしても、上野で飲みながら自分の住まいを「川向こう」なんて、チョイと風情がある。それは、隅田川のイメージによるのかも知れない。

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2012/04/20

「おいしい味噌汁をのみたい」

不思議なことに、味噌汁に関する、まとまった資料というのは、意外にない。ふりかえっても、この人のものを読めば、この著作を読めばといえるほどの、「味噌汁の権威」が思い当たらない。ま、汁かけめしの本を書くときに難渋したことだけど、10年たっても、状況はあまり変化してないようだ。権威は教条になるとツマラナイが、味噌汁ほどの歴史ある文化に、まっとうな権威が一人も育たなかったというのは、それはそれでサミシイ食文化ではある。

それはともかく、必要があって味噌汁に関する資料を見ていたら、『暮しの手帖』1972年秋20号に、「おいしい味噌汁をのみたい」という記事があった。見開きの扉を含め、全部で10ページ。「みそ汁のいのちはみそ」「あくまでダシは脇役」「汁の実はなんでも」「おいしい味噌汁を手軽に作る法」の見出しで記事がある。その中から、気になるところをメモ。

72年という時代を、どう見るかもあるが、リード文は、こういうことだ。

「昔、まい朝うまいみそ汁をのみたくて、それで結婚した男がいました、その男はいま、行きつけの飲み屋で、毎晩一杯のみそ汁を、複雑な表情で、すすっています、どうやら男というものは、女のひとより、ずっとみそ汁が好きなようですね、毎朝おいしいみそ汁を、どうすれば手間をかけずに作れるか、書いてみます、読んでいただけますか」

「みそ汁のいのちはみそ」の書き出し。

「ほんとうに、おいしい、よくできた味噌だったら、ダシはいらない。/あなたが、いま使っている味噌を、ためしに、お湯で溶いてみて、それを火にかけて、ぷうっと一ふきさせて、さてそれをのんでみてください。味噌の味をテストする、いちばん簡単な方法である」。

なんといってもおもしろいのが、「あくまでダシは脇役」だ。

「ダシは、なにを作るときも、カツブシがいちばん、とおもいこんでいる人が、ずいぶんいる。小さいときから、わけもわからず、そうおもいこんでいるのか、ねだんが高いから、カツブシのダシが上等だときめているのか、でなければ、料理の先生がそういうのをうのみにして信じているのか、そのへんのことは、わからない。/ダシは、カツブシもコンブも椎茸も煮干しも、それぞれ味にクセがある。そのクセを上手に生かすことが、とりもなおさず、上手なダシの使い方、ということである」

いまでもまだそういう傾向が見られるが、当時は、カツブシの権威は絶大なるものだった。カツブシのダシは、いかにして絶大の権威になったかの歴史は、近代日本の食文化史を考えるとき、とてもおもしろいと思うのだが。

当時、急成長の「だしの素」などの即席調味料についても、ふれている。じつに寛大である。

「このごろの人工調味料は、じつにすばらしいものだ。あれを最初に作りだした人には、文化賞をやるねうちがある。しかし、あれの使い方は、あくまでダシの引き立て役だ。しょう油じるに、あれだけふりこんだのでは、なるほど一応の味にはなっても、どうも表っつらきれいごとで、しん底から舌にひろがってくるうまみには乏しい」

「なるほど一応の味にはなっても、どうも表っつらきれいごとで、しん底から舌にひろがってくるうまみには乏しい」は、なんでもインターネット即席情報時代の昨今を鋭く批評する文言としても通用しそうだ。

拙著『汁かけめし快食學』では、十分な根拠がなかったが、いくつかの根拠から、古くは庶民のあいだではダシをとることはなく、味噌を溶くだけが大勢だったろうと類推している。

日本独特の醸造の文化といえば、味噌と清酒と醤油になるが、依然として味覚の「地域差」が最も激しいのは味噌のような気がする。そもそも原料から違うこともあるが、これを同じ味噌といってよいのかと思うぐらい、色からして違う。しかし、清酒のように、味噌汁にしてあれこれ比べてみるのは、簡単でない。

おれの場合、新潟の辛口赤味噌で育っている。ダシは煮干しだ。味噌汁のダシにカツブシを使うなんてのは、1962年に上京してから知った。それに、新潟の味噌といっても、「佐渡味噌」「頚城味噌」といった違いがあるのを知ったのも、1970年ごろになってからだ。おれは魚沼地方育ちだが、「魚沼味噌」は聞かない。最近は、「仙台味噌」を使うことが多い。いずれにせよ辛口赤味噌系だ。

ダシは、即席も含め、いろいろ使っている。カツブシに対しては、とくに思い入れはない。もちろん味噌汁の具によっては、ダシを使わないこともある。

大衆食堂の味噌汁は、なかなか難しい。たとえば、東京のいわゆる「東」は、あるていど特徴が見られるところがあるが、全国的に見ると、かなり平均化してきているような感じがする。ナニゴトも、変わっている方から見るか、変わっていない方から見るかによるのだが。

話は、この『暮しの手帖』の記事にもどる。ミソの表記が、「みそ」と「味噌」バラバラ、ほかにも「のむ」「飲む」など。それなりに使い分けている感じでもある。昔は、こういうことは珍しいことではなかったように思う。昨今は、知ったかぶりして、表記や表現の部分的な瑕疵ともいえない枝葉に難クセをつけ、溜飲を下げている即席調味料のような輩が目立つような気がする。ま、ダイナミズムを失った閉塞の時代とは、そういうものだ。

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2012/04/18

どぶろくと女と汁かけめし。

Dscn0662阿部健さんによる『どぶろくと女 日本女性飲酒考』(新宿書房)を、木村衣有子さんに借りて、しばらく本棚に立て眺めていた。なにしろ、この本、背の厚さが4センチもある(天地は18.5センチ、左右13センチ)。眺めているには申し分ない重量感だが、なかなか読み始める決心がつかない。だけど、読み始めた。

「はじめに」を読んで、おっ、これは拙著『汁かけめし快食學』と似たような問題意識があるようだと思った。そもそも「濁酒」と書く「どぶろく」と「女の飲酒」と汁かけめしの立場が似ている。つまり、どちらも、江戸期までは、少なくとも庶民のあいだでは、男女問わず普通であったものが、明治以後「閉塞」に追い込まれる。

日本の食文化史を明らかにするには、汁かけめしの歴史が必要なように、日本の酒文化史を明らかにするには、濁酒と女の歴史が必要なのだ。てな、感じなのである。

そういうわけで、興味は高まっているのだが、かといって読むスピードが早まっているわけじゃない。読書は遅いほうなので、ノロノロと進んでいる。なにしろ、重いから、寝転がって読むにも容易じゃない。

Dscn0664この本は、木村さんが近著の『もの食う本』(ちくま文庫)に取り上げた。なので、彼女が読んだときの付箋や、角を折ったりしてある、そのまま借りた。書評をやるには、こんなに読み込むものなのだなあ。彼女の付箋や折りのところに注意を払いながら、「本の読み方」のオベンキョウにもなるので、ますます読むのが遅くなる。ま、ゆっくりじっくり読もう。

しかし、いま、自家製の濁酒を知っている人は、どれぐらいいるのだろうか。おれが、初めて腰をとられた酒は濁酒だった。たしか小学5年生だった。町から離れた標高600メートルほどのところにある清水という集落の家でだった。その集落では、山葡萄で葡萄酒を造っている家もあった。1970年代、歌舞伎町の朝鮮料理屋には、床下で造っている濁酒つまりマッコリを飲ませてくれるところがあった。

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2012/04/17

明朝のNHKラジオ出演は、国会中継のため取り止めです。

明日18日(水)に出演予定だった、NHKラジオ第一朝9時15分頃から15分間ぐらいの「VIVA!大衆食堂」は、9時ごろからの国会中継のため中止となりました。これで今月は出演なし。隔週水曜日なので、次は5月2日です。
http://www.nhk.or.jp/suppin/foodcourt/index.html

なんだか明日は休みになった気分で、酒を飲んで酔っ払いだが、やることはいくらでもあるのだった。

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2012/04/16

訃報に胸が痛む。

安藤聡さんが、昨日の朝亡くなったとの訃報をいただいた。2月末に北九州の実家にもどり入院、回復しないまま逝かれたとのこと。

3年ぐらい前か、お会いしたときは、ガンの手術と治療から回復し仕事にもどっていた。転移もなく酒も飲めるというから、こんど飲もうと話していた。悪くなっていたとは知らなかった。訃報は突然だった。

まだ若い、お子さんも小さい、もっと活躍が期待できる人だった。残念でならない。

安藤さんには、大変お世話になった。いい貴重な機会をいただいた。その仕事の一端は、ザ大衆食のサイトに掲載してある。

大衆食堂の真相(1)(2)
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/snow01.htm
料理分類学研究所
http://homepage2.nifty.com/entetsu/siryo/snow_ryouri_bunruigaku.htm

安藤さん、ありがとう。
東小金井で牧野さんを紹介され一緒に飲んだ夜は、楽しくてよい思い出として残っています。
安らかにおやすみください。

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2012/04/15

上野で酒豪美女と泥酔、記憶喪失帰宅。

最近は、おれが東京へ行くというと、雨のことが多いような気がする。昨日も、そうだ。しかし、天気は悪くても、16時半ごろから上野で、酒豪美女二人、両手に花の恰好で、とにかく飲んだ。

前のエントリーでは飲食店の不景気臭い話をしたが、この二人の女子は、飲食業界「強者」の方の仕事をしている。一人は、ここに店名をズラズラあげれば、知らない人がいないだろうぐらいの、たくさんの飲食店を経営する会社に勤めており、もう一人は、初対面のフリーのライターさんだが、PRなどで一役買っている。酒が強いだけじゃなく、なかなかデキル人たちなのだ。

ここのところ、遠い島へのホテルの出店や都内での出店が続いて、かなり忙しくしていて時間がなかったのだが、やっと10ヶ月ぶりか?飲むことができたというわけで、とにかく、豪快に楽しく飲んだ。いやはや、よく笑ったことは覚えているが、いったい何を話していたのか。

そうそう、一軒目は大統領だったのだが、フリーライターさんはホッピーというものを飲んだことがなく、初めてだった。そして「なか」を「なか」と言って注文したら、とうぜんながら、ちゃんと通ったのであるが、まるで異国で言葉が通じたようによろこんでいた。そんな他愛のないことをしながら、楽しく飲んだのである。

早く飲み始めたので、さらにもう一軒行って、21時近くには完全にできあがり、これ以上飲めない状態になっていたと思う。とにかく、帰りは記憶がない。どうやら、東大宮に着いてから、10時閉店の餃子の満州で、最後の客になって、たぶんラーメンを食べたようなことを、うっすら思い出した。

今日は、二日酔い。彼女達も二日酔いだったらしい。

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2012/04/14

デフレつまみ?

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都内の乗降客の多いJR駅前の一等地に、昔からある安普請の安酒場の「新メニュー」だ。「新メニュー」の文字は赤で書かれ、それだけ別の用紙で貼ってあった。どれも250円。そのなかに、「ハムとチーズ」ってのがあったので、試みに注文してみた。

ここは長い間、昼酒の人たちや勤め帰りの人たちが、ヤキトリなどで軽く一杯やる店で、近年は午後3時の開店だったと思うが、開店から閉店まで混雑していた。こういうつまみは、ありえない店だった。

昨日ちょっとふれた、「飲食業界と顧客の動きは、一昨年後半あたりから大きく変化し昨年の大地震で加速している」ことは、いろいろなところにあらわれている。このあいだ、都内の、昼休みには行列ができるほどの人気の大衆食堂で聞いたのだが、そこでも、客足は鈍くなり、昼めし時でも、最初のピークをすぎると空きができるようになった、つまり回転率が落ちている、その上、安いメニューに流れていると。

一人でも多くの客、少しでも多くの売上、そしてなるべくコストをかけない。そういう動きには、おれがこれまでに体験したことがない様子が見られる。「最終戦」という言葉が浮かぶような、激しい競争。駅前一等地で安泰に見えた大衆酒場まで、巻き込まれてしまう。

体力がある外食産業やコンビニが好立地をねらって出店競争をやると、弱小零細はあおりをくらう。これまでは、立ち飲みと居酒屋は、競合はありながらも基本的には棲み分けと使い分けの関係があった。コンビニ弁当や食堂の関係もそうだった。だけど「センベロ」といった言葉が流通しているように、ようするに財布は甘くはなく、棲み分けだの使い分けだのと、キレイゴトを言っていられなくなった。

昼食ランチをやっていなかったところがやり始めたり、逆に、止めて夜だけにしぼったり、対応はそれぞれで、ますます全方位一律とはいかない。長い間取材拒否だった大衆食堂にも、取材に応じるところがあったり。いまやブログやフェイスブックやツイッターなども使って積極的に「打って出る」感じだ。状況は、ますますコントンしてきた。

とにかく、この酒場は突き出しナシ、ビール大瓶500円なので、これに250円のつまみがあれば、千円札でオツリが来る。

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2012/04/13

しばらく、コメント、トラックバックを閉鎖します。

Dscn0653このあいだ気がついたのだが、インターネットに「ザ大衆食」のホームページを開いて、10年以上がすぎた。この間に、ブログをやり始め、さらに最近はツイッターにフェイスブックも手をつけた。なんでもやってみようの興味のままやったはよいが、昨年2月にパソコンを壊して換えてから、それまで使っていたホームページ作成ソフトが使えなくなり更新に手間取るようになって、ほとんどほったらかし。それに、忙しくなってくると、前期高齢者入りした肉体は、インターネット世界のスピードについていけない、というか、そのスピードがうっとうしくなる。ツイッターもフェイスブックも放置状態の時間が多くなった。

ま、いろいろ考えてきたのだが、これまでの10年のように、つぎの10年は、とてもやれない。あと10年したら、79歳だものね。いまでも、仕事で疲れるとインターネットを見る気もしなくなるし、インターネットより、もっとほかに楽しい有意義なこと(飲酒とかね)があるし、もっとマイペースで楽しめることに重心を置いたほうがよいかもと考えたり。

なにより、一方ではインターネットのスピードがありながらも、一方ではだからこそ、もっと広い視野で、もっと丁寧に読み、もっと丁寧に考え、もっと丁寧に書くことを、大事にしなくてはならない状況になっている。それをスピードと合わせてやれればよいが、それには体力と高い能力がいる。おれは凡人労働者なので無理だ。普通の老人のようにやるのである。

とにかく、まずはかつてのようにホームページ、それと連動する当ブログという組み合わせを中心に考え、成り行きほったらかしだった「ザ大衆食」をリニューアルしようと思ったしだい。

コメントやトラックバックは、新鮮な存在意義は無くなっているとも思えるし、たいした時間じゃないけど管理に気をつかったりも面倒なので、「ザ大衆食」のリニューアルが終わるまで閉鎖します。リニューアル作業は、ゆっくりやるので、数ヶ月はかかると思います。

そういうことで、これからも、よろしく~。

画像は、きのう、稲荷町まで行った帰りに上野公園に寄ってみた。たしか18時ごろだったかな? 桜は散り始めていたけど、暖かだったせいもあるか、花見客は衰える気配なし。すでに場所とりのシートが隙間のないほど敷かれ、宴を始める準備中でした。

このあと王子へ行き、19時半に赤羽で木村さんとサキさんと待ち合わせ、まるよしで閉店の22時まで飲んで帰ってきた。これくらいの飲み方だと疲れないでよい。

今朝、来月発売のdancyu6月号の校正を終えてもどした。いま発売中の5月号で書いたページは6ページだったが、来月は2ページで文章量は少ないが、内容的に書くのに手こずった。とにかく、dancyuに2号続けての登場など、昨年の12月号ポテサラ特集からすれば、半年に3回の登場になる。以前なら考えられなかったことだ。

後日、当ブログにまとめてみたいと思っているが、飲食業界と顧客の動きは、一昨年後半あたりから大きく変化し昨年の大地震で加速しているし、その影響は大きい。すでに飲食店も対策が急になっているが、メディアも対策しなくてはならないだろう。メディアにとっては、ほかに、この経済情勢と人口減のなかでの生き残りの模索もあるようだ。

おれのようなフリーライターは、基本、受注生産なので、これらの動きに応じ、おれとしてはテレビ以外は、とくに書く仕事は、声をかけていただいたら、ありがたいことであり、どんどんやりたいと思っている。

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2012/04/12

『民藝』3月号、メモ。「民家」と映画「道 ー白磁の人ー」。

チョイとあたふたしているので、備忘メモ。

日本民藝協会発行の『民藝』3月号は、「東北の民家・民藝」特集。

水尾比呂志さんが書いている「民家」。これは、『民芸の美〈日本の美と教養〉』(昭和42年、河出書店発行)からの抜粋改筆であるとのことだが。この部分、知らなかったので、おどろいた。

「元来、民家という言葉は、幕府の役人が年貢を取立てる土民どもの家、という意味で使っていたのだそうだ。言うまでもなく、それは蔑んだ表現で、支配者の優越感をあらわに盛込んだ言葉にほかならない。しかし今日では、民家は貴重な民族の文化財であって、高い価値を持つものとして崇拝の念をこめて顧みられている。」

言葉、とくに新造語などは、あるときあるひとたちにとっては蔑みだが、あるときあるひとたちにとっては親愛や親近や尊敬であるから、「気にくわない」ぐらいで簡単に敵視し攻撃し排除しようとしてはいかんな。このあいだ読んだ、なんだか忘れたが雑誌だったと思う。そこにスマートフォンのことを「スマホ」というのは、下品だとか言葉に対する愛情が足りない、とかいうことが書いてあったが、あるひとたちにとっては親愛や親近の情であるかも知れない。

もう一つ。

6月公開予定の、浅川巧の生涯を描いた映画「道 ー白磁の人ー」の紹介があった。紹介しているのは、浅川伯教・巧兄弟資料館学芸員/小説「白磁の人」映画製作委員会事務局の澤谷滋子さん。浅川伯教・巧兄弟資料館があるのも知らなかった。映画も含め、気になる。行ってみたい。

浅川伯教・巧兄弟資料館のブログもあるのだ。
http://asakawabrothers.blogspot.jp/

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2012/04/09

近所の公園で、昭和酒場コタツの花見。

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きのうの日曜日は、ちょうど桜も満開、花見日和だった。

Dscn0596_2一昨日あたり、ときどき行っている、東大宮西口の昭和酒場コタツのツイッターで、花見をやるぞツイートが流れた。午後1時から、場所は近所の親水公園ではないか。これは、行きたいねえ。今日の月曜締切りの原稿があるのだが、目鼻をつけ、2時半すぎだったかな?行った。みんなもう酔っている。いやあ、大勢いたんでおどろいた。しかも若い。そもそもオーナーの社長夫妻からして若いのだが。社長の会社の若い衆、それに東大宮東口には芝浦工大があって、そこの学生や、そのサークルつながりで他大学の学生もいた。

Dscn0588陽当たりのよい会場は、あたたかだった。会費千円で飲み放題の大盤振る舞い。とにかく、思う存分飲んで楽しんだ。なんだか、いろんな芸も飛び出して。夏は水が流れる、いまは空堀で泳ぐ学生もいました。テキトウにハメをはずしながらも、悪酔いバカ騒ぎしすぎることもなく、みんな楽しんでいた。

ちょうど酒が無くなるころ、陽が家並みの向こうにかくれた。するとやはり風が冷たい。それで、おひらき。後片付けも、丁寧に小さなゴミまでひろい、きちんとやって。おれは帰って来たが、場所を移して何次会まで続いたのやら。

地元の人たちとの花見は、また味わいがあるものだ。けっこうな花見だった。昭和酒場コタツへ行く楽しみが増えた。

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2012/04/08

喫煙禁煙から見えてくること、リニューアルした『TASC MONTHLY』4月号。

Dscn0581毎号いただいている、『TASC MONTHLY』がリニューアル。正確には、タイトルも「Tasc Monthly」から「TASC MONTHLY」に変わっている。発行元の、たばこ総合研究センター(TASC)も、公益法人制度改革により、財団法人から公益財団法人になったとのこと。

リニューアルといっても、デザインの面であり、表紙が久住昌之さん(あの『孤独のグルメ』の原作者)の切り絵になったり、本文の紙が上質になったり。質実な「機関誌」という感じから、雑誌としての体裁を整えつつある印象だ。

ツイッターではつぶやいていたが、本誌の内容は、ますます充実している。とくに昨年の東電原発事故に始まる「放射能」汚染をめぐる状況のなかでは、じつに有益な記事が多かった。

多様性とは、公共とは、健康とは、健康主義(ヘルシズム)の問題、あるいは、監視と排除や非寛容など。これらは「禁煙」をめぐる、さまざまな事柄と関係あってのテーマだが、喫煙禁煙問題にとどまらず、「人間」や「生きること」の本質から問う内容が多く、いろいろなことを考えさせられる。

この4月号から拾うと。TASCサロンは、桂木隆夫さん(学習院大学法学部教授)による「日本の公共思想ー雑感」。特別シリーズ現代を生きる第20回は、服部英二さん(地球システム・倫理学会会長)による「現代文明の危機ー文明の多様性と通底する価値」。特別寄稿は、佐藤憲一さん(千葉工業大学准教授)による「嗜好品と社会規範~嗜好品の自由と規制をめぐる正義論的考察~」。若狭功末大TASC主任研究員による、喫煙余録「喫煙場所における共存可能性を探る」は、この雑誌ならではだ。

いずれも毎号、誌面を十分にとって述べられているのがいい。なにしろ、近頃は、ツイッターなどのインターネット上で流通する断片的な情報に、一喜一憂喜怒哀楽し、モノゴトの判断が偏りがちだから、このようにあるていどまとまったものを読んでおきたい。

ところで、佐藤憲一さんの記述におもしろいところがあったので、断片的になるが、そこだけ抜粋。これに類することは、いろいろなことや味覚のことなどにも見られ、『大衆食堂パラダイス!』でもふれている。「文化」について、わかりやすい事例、それと、いわゆる「法」をめぐる文化、これに「正義」なんてものが絡むと…。いまや、法をもって、喫煙が「排除」される傾向にあるのだが。「文化」だの「アート」だのと騒がしい割には、その内実はうすら寒い。自分をとりまく文化を、よく検討する必要がある。

 肉まんを九州で買うと、必ず「酢醤油」が付いてくる。肉まんの皮に染み込んでとてもおいしい。関西では「からし」が付いてくるが、それに慣れるまでに10年かかった。ところが、関東に行くと何も付いてこない。それぞれの地域では、それが当然であり常識である。そこにずっと住んでいる人は、別の可能性があることを想像すらしない。これがまさに文化である。
 私が在籍した法学部では、人が何を好み、どう振舞うとしてもそれはその人自身が自由に選んだことだ、と考える傾向が強い。思想や行動の源泉をあくまでも個人の内部に求める個人主義的な思想である。各人は各人の自由意思で何でも決めているのだから、ある地域で誰もが肉まんに酢醤油をつけたがったとしても、結婚するカップルの大半が夫の名字を採用したとしても、それは偶然の一致にすぎない。自分の意思でそれを選ぶ人が、たまたま多かったり、少なかったりするだけなのだ。
 しかし、文化の出る幕を否定するこの思考様式は、実はそれ自体が法学部の文化なのではないだろうか。・・・・

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2012/04/07

木村衣有子と武藤良子の「十二篇」トーク。

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きのうは池袋のブックギャラリー「ポポタム」の企画展、木村衣有子と武藤良子による「十二篇」を見て、2人のトークを聞いた。

行く前に想像していたのとはちがい、作品は、木村さんが書いた文章を武藤さんが、たしかパステル桜クレパスを使って、直接壁に描き、絵は、本の挿絵のようにおさまっている。なるほど、こうやって見ると、ギャラリーの空間が一つの本になっている。

武藤さん手描きの文を読みながら絵を見る。とうぜん、木村さんの文は全部は描ききれないから、全文が掲載のプリント版が300円で売られている。なかなかデザインもよい。

こういうのは、とりわけ武藤さんにとっては、いろいろ条件が多くやりにくいというか大変な面があったようだが、だからこそ自分の好き自由にやるときとは違う力がつく。19時半から始まるトークより1時間ほど前に着いて、武藤さんと話していて、そう思った。

Dscn0579なかなか大胆な試みだが、ここにいたるあれこれは、トークで聞けた。トークは、30名の会場が満員。おれも口をはさんだりしたが、会場からも声が出て、なかなかおもしろくて有意義なものだった。向田邦子をめぐる、お2人の発言と会場にいた岡崎武志さんのヒトコトなどに、なるほどねえ~。やはり会場の古書往来座の瀬戸さんが、木村さんの文章を分析して述べたことも、おれなんぞは気がつかないことで、大いに参考になった。これらの話は、打ち上げ呑みのときにも話題になって、とにかく、おれはかなり得した気分。

今朝、プリント版を見ると、武藤さんも言っていたが、描いた文章と印刷された文章とでは、印象がちがう。きのう会場でよいなと思った文章とはちがうほうが、よいと思えたり。昨夜も話題になっていた、十二篇の掌篇のなかでも、主語のあるものとないものがあるのだが、読んでいると、これはもしかすると、小説を謳っているが、「小説」と「随筆」や「エッセイ」のあいだに、ヘンに存在する垣根や偏見をかきまぜて無くそうという試みなのかも知れないなあと思ってみたり。とにかく、食べもの随筆としても読めて、木村さんの私家本、食べものエッセイ集『味見はるあき』を思い出したのだった。

なんにせよ、こういうチャレンジは、見るほうにも大いに刺激になる。寝ておきても、いいもの見聞きしちゃたなと気分よく、なんだか年寄りのヤル気が出る。

この展示は、ポポタムで14日まで。そのあと、5月1日から6月3日まで盛岡のCygで行われる。ポポタムの展示が終われば、壁に描いた文章は消され、消える。つまり同じ作品は残らない。ぜひ会場へ行って見てください。

早めに出て、ひさしぶりに鶯谷の信濃路で呑んでから池袋の東武で酒を1本買ってポポタムへ行った。トークは21時ごろ終わり、21時半から蘭々で打ち上げ。岡崎さんの隣に座って、あれやこれや、もう片方の隣は武藤さんだったので、エロに走りそうになったり、楽しく過ごした。楽しくて、宇都宮線終電は間に合わず、大宮から深夜バス。家に着いたのは25時すぎだったかな。これまでこのバスに乗るときは泥酔記憶喪失状態で、料金の記憶がないのだが、昨夜は、それほど泥酔しておらず、通常運賃の倍の580円であると知った。

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2012/04/06

今日発売、『dancyu』5月号肉特集で「サラリーマンのための肉食案内」。

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今日発売の『dancyu』5月号は肉特集。表紙の特集タイトルは「激突!金持ち肉料理×庶民の肉グルメ」である。じつに大胆にして、おもしろい。チョイと扇情的だけど、お行儀のよいグルメとはちがい、食欲全開という感じだ。そのココロは、リード文の見出し「憧れの逸品と日常の贅沢。迷うなぁ」ってことなんですがね。

Dscn0576そして、おれは、「サラリーマンのための肉食案内」と題して、6ページにわたって出まくり。リードには、「エンテツ先生、68歳。「気取るな、力強くめしを食え!」と叫ぶ大衆食堂の詩人が、千円札を握りしめ…」といったぐあいなのだ。ダンチューが、こんなにおれをプッシュしてよいのだろうかと思うのだが。近頃のダンチューは、なんだかおもしろい。おれは、上野と大井町の肉屋の立ち飲み、有楽町・東京交通会館と新橋・ニュー新橋ビルの肉ランチを書いています。

詳しくは、こちら、dabcyu公式サイト…クリック地獄

書店で、ぜひ手に取ってみてくださいまし。

Dscn0557なお、49ページに、「今、食べておかねば、後悔するぞ!」の見出しがつく、有楽町の東京交通会館地下1階、「とりめしぼん」は、2012/03/30「激しい泥酔の翌日は厳しい二日酔いでロケハン。東京交通会館の「とりめしぼん」閉店。」に書いたように、取材のときは4月なかばの閉店予定が工事の関係で前倒しになり、きのう閉店になってしまいました。

残念ですが、有楽町駅前の戦後バラック飲食街「寿司屋横丁」が取り壊しになり、東京交通会館が生まれたときから、ここで営業していた記念碑的存在の「とりめしぼん」の記録が残せたので、その面影を偲んでほしい。お店に立ち続けた店主の吉田さた子さんは85歳。お疲れさまでした。ありがとうございました。

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2012/04/05

木村衣有子と武藤良子の「十二篇」は、ぜひ見ておきたい。

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池袋のブックギャラリー「ポポタム」の企画展、木村衣有子と武藤良子による「十二篇」は、きのうから始まって来週の14日(土曜日)まで。

大いに期待していたし、明日のオープニングイベントである2人のトークは、案内をもらった早々に予約した。

きょう、武藤さんのブログを見て、ますます期待がふくらんでいる。これは、素晴らしい力強いチャレンジだと思う。おれがぐちゃぐちゃいうより、武藤さんのブログを見てもらったほうがよい。
http://d.hatena.ne.jp/mr1016/touch/20120405/p1#p1

木村さんと武藤さんは、『もの食う本』(ちくま文庫)でも、チャレンジをしているコンビ。いいなあ、こういう仕事。会社的あるいは業界的な階段の「上」をめざす「チャレンジ」とはちがう、新鮮な意欲を感じる。使い古された言葉だが、近頃はあまり見られない、「新しい地平」をひらくような大胆な試みというか。たくましい、どんどんやってほしい。こういうのが増えれば、世の中、もっとおもしろくなるのよ~。そう、思うのだった。2人に、コーフン。いや、武藤さんのブログを見ると、ここにいたるには、ほかの方の力もある。そんな流れに、コーフン。

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2012/04/04

NHKラジオ第一「すっぴん」公式サイトに「VIVA!大衆食堂」の案内。

2日の月曜日からNHKラジオ第一で「すっぴん」がスタートしている。公式サイトもリニューアルされ本格始動。おれが18日の水曜日から隔週水曜日に出演する「VIVA!大衆食堂」のコーナーも紹介されている。
http://www.nhk.or.jp/suppin/foodcourt/shokudo.html

きのうも担当のディレクターさんと電話で話したが、ほとんど台本なしで自由に楽しくオシャベリという感じでやることになっている。これまで民放各社のラジオ番組に出たときも、台本があっても、老眼でよく見えないし、台本なしと同じ状態でやってきた。しかし、はて、あまりお行儀のよろしくないおれがNHKで、どんな展開になりますやら。

2012/03/08「4月18日からNHKラジオ朝の番組に隔週水曜日出演。dancyu取材進行中。」に紹介したが、水曜日担当のパーソナリティーは、ダイヤモンド・ユカイさん。先日、プレすっぴんの放送で話しているのを聴いたら、このひとも、どちらかといえば、NHKのお行儀のよさとは異質な感じもある。自分のことを「おれ」という。おれも、たいがい(これまで放送の時は、「おれ」と「わたし」がチャンポンだったが)、「おれ」で通している。少なくとも「ぼく」は自然には出てこないし、ほとんど使ったことはない。

朝9時15分から15分間ぐらい、ユカイさんの「おれ」と、おれの「おれ」が飛び交うことになるのか。となると、NHKの朝のリスナーさんは、どんな反応になるのだろう。いろいろ興味津々。

とりあえず、6月までやって、そのあとは、高校野球の放送などで中断になる。そのあと復活するかどうかは、この3か月の反応しだいだろう。ま、自己演出能力などないしズボラだし、まいどのように気楽にやらせてもらいます。

とにかく、よろしくお願い申す。

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2012/04/03

「列島大荒れ」予報のなか、ロケなのだ。

いま朝だが、今日は朝鮮半島あたりにある低気圧が発達しながら日本海を東へ進むため、大荒れになる予報が出ている。午後3時すぎは、都内の電車も動けなくなる可能性があるし、出歩かないほうがよいとか。

だけど、その午後に、dancyuのロケがあるのだ。はて、どうなるのだろう。そういえば一か月ほど前、この6日発売の号のロケのときも、雨の中だった。

いずれにせよ早めに家を出るとするか。結果は、あとで書く。(以下、帰ってからの追記)

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最初の取材の店は、西麻布で14時から。家を出る前すでに強い風が吹いていた。早めにと思い、東大宮12時ごろの電車に乗った。上野から地下鉄銀座線、銀座で日比谷線に乗り換え六本木。40分ほど余裕があったので、あまり歩いたことのないヒルズの中をウロウロしたり、昔なつかしい西麻布の路地などをウロウロしているうちに時間ギリギリになり、あわてて店に行くと、すでに編集さんとカメラさんがセッティングをやっていた。風はあったが、雨には降られなかった。

今回は、おれはあまりやることがない。ようするに食べるのである。15時少し前、撮影は順調に終わった。雨足が強くなった。カメラさんはクルマで移動、編集さんとおれはタクシーで、次の銀座へ。店は昼休みなしの通し営業だが、取材は16時からの予定だったから、かなり早く着いた。店のおかあさんに、それじゃ飲みなと言われ、飲んでも差し支えないので、ビールを飲む。ここでも撮影は順調に終わり、おれは順調に食べた。

その間に、風が強くなったようで、店の従業員から電車が動かなくて出勤できない電話が入る。おかあさんは、店にいる女子従業員にも、電車が動いているうちに早く帰りなと、追い立てるように帰らせる。そして「あの地震から怖くて用心するようになってねえ、自然はこわいよね」などとおれと話していると、リーマンの客が連れで入ってきた。ぐしょ濡れ。おかあさんは「それでも飲みに来るひとがいるんだよ」と笑う。

カメラさんは撮影が終わり撤収がすむと、すぐ帰り、おれと編集さんは2号徳利の燗を一本あけて出る。17時15分前ぐらいだったか? 地下鉄に乗る彼と別れ、JR有楽町から上野へ出ようと改札を通りホームに登る階段、途中ですでに人が一杯。地下鉄それも浅草行きの銀座線に乗ったほうが空いているのではないかと見当をつけ、もどって地下道を銀座線まで歩く。銀座線はガラガラで座れた。

上野駅に着くと、なんだか狂騒状態、ようするに構内放送が、電車の遅れだのなんどのわめいているし、駅員のまわりに人が群がっている。5分ほどで15分遅れの宇都宮線が出るところだった。駅員の話では、風が強いので、途中で運転見合わせがあるかもしれないと。それなら、上野で飲んで強風が通りすぎるのを待つかと思ったが、それよりグリーン車のほうが安上がり、乗ってしまえば、いくら時間がかかっても座っているから問題ナシと考え、とにかく750円を奮発してグリーン車に乗った。

尾久と赤羽で、運転見合わせで待ち、赤羽すぎてからは低速運転で、東大宮に着いたのが50分遅れ。20時15分ぐらい前だったと思う。雨は、ちょうど止んでいたが、とにかく風が強く、こんなに風が強いなかを歩くのは、ずいぶん久しぶりじゃないかな。でも大荒れの天気にしては、ほとんど濡れずにすんだし、順調であった。

下の写真は、西麻布交差点(かつては霞町交差点だったが)。70年代後半から80年代後半、このあたりには仕事でよく来た。ホブソンズが出来たころから、かなり変わったように思うが、調べたらホブソンズが出来たの1985年だ。あのころは、ホブソンズのまわりは木造の家が多く、この濃い鮮やかなブルーな建物が、ひときわ目立っていた。開店当初、行列が出来るので話題になったが、あの行列は最初はアルバイトを使ったのだというウワサもあった。とにかく、その頃から、アルバイトで行列をつくり話題にするというプロモーションが、いろいろウワサになったような気がする。「行列」が情報としての価値を持つようになったといえるか。

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西麻布交差点ホブソンズの対角線上にあるのが、ナントカ首相とアメリカのナントカ大統領の会談だか宴会だかで有名な「権八」。桜の木が一本だけあって、7分か8分咲きといったところだが、権八でランチをとるらしい外国人観光客の団体が着いて、この桜の下で写真を撮っていた。表にあったランチメニューを見たら1000円前後が多く、このあたりでは普通の料金だった。

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はあ、しかし、この交差点に立つと、いろいろ忘れていたことを思い出すね。それで、チョイとホブソンズ側の裏路地に入ってみたりしたのだった。

最後の写真は有楽町駅前あたり。今週金曜日、6日発売『dancyu』5月号では、写真右の東京交通会館をバックにおれが写っている写真が載るけど、その時も今日ほどではないが雨が降っていた。今日のロケは、来月6日発売の6月号。これから原稿を書かねばならない。今回の原稿は、短いが、チョイと難しい点がある。うまくクリアできるか。

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2012/04/01

祝! 東京・中野 やどやゲストハウス10周年。

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きょうは、東京・中野のやどやゲストハウスが開業してから、ちょうど10周年なのだ。素晴らしいねえ、10年やっちゃったよ、ということで、感慨深いパーティー。

Dscn0542その記念すべき日を、さらに素晴らしくすることがあった。というのも、たぶん、やどやゲストハウスが開業してから初めてだろう、まだ童顔の15歳の男子のゲストが、ちょうどパーティーが始まる直前にチェックインしたのだ。彼は、大分からの一人旅。中学を卒業し高校に合格した祝いとしての東京旅行なのだ。確認はしてないが、両親からのプレゼントのようだ。

それにしても、なぜ、ゲストハウスなの? なぜ、中野のやどやゲストハウスなの? 彼は注目の的であり、日本語や異国の言語で質問を浴びていた。「小学生?」と訊ねるひともいた。

小柄だが、その受け応えの態度、言葉、内容、じつに未来の可能性を感じさせる、素晴らしいものだった。このゲストハウスがあってよかった、この10周年の場所にいられてよかったと思った。こういう体験は、めったにない。

料理は、最も祝福されるべき、20歳代でやどやゲストハウスを始めたまりりんと、昨年の地震のあと一度帰国しながら、また来てくれて長期に滞在しているイタリアおばさんが作ってくれた。とても、楽しい、よいパーティーだった。

こちらに、今夜の集合写真。いい感じ。…クリック地獄

(4月3日追記)15歳一人旅の彼は、その後ゲストハウスならではの旅の楽しみを味わっているようだ。…クリック地獄

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