« 「ホットスポットとよばれた地域がつくる『安心』とは」 | トップページ | 来日中のケン・イトウさんと会った。 »

2012/04/25

内田百閒の「上京」と味噌汁。

2012/04/20「おいしい味噌汁をのみたい」に関連するメモ。

内田百閒の『御馳走帖』(中公文庫)の解説を平山三郎さんが書いている。これは解説とはいえ、「『百鬼園随筆』に不馴れな方には随所に唐突な年代不明なことがらが出てくる。それで、内田百閒略年譜を解説附きで、それに収録の七十数篇の初出単行本名も挿入して、解説に代えさせていただく」というものだ。

その明治43年。内田百閒は、岡山第六高等学校を卒業し、東京帝国大学文科大学に入学、9月に上京する。

「下谷七軒町の下宿屋で、上京した翌朝、お膳に坐ってお椀のフタをとると赤味噌の汁の中に唐茄子の切れが浮いていたので、こんな物が食べられるかと思って胸が一杯になった。岡山は朝の味噌汁をのまない。たまに味噌汁をすすれば御馳走でそれも白味噌にかぎられている。まして唐茄子を赤味噌に入れるなどは、どんな貧乏人でもしない。また、昼や晩のお膳に出る煮魚に砂糖を入れて味付けしてあるので食べられない。郷里は海が近いから魚の生きがいい、砂糖で附け味するようなことはない。「子供の時からさう云ふ味に馴れてゐて、いきなり東京へ出て来たから、食べ物の味は変はって、殆んど御飯が咽喉を通らなかつた」(上京)」

明治43年は、1910年。

1975年栃木生まれ、関東女の木村衣有子さんの話だったと思うが、彼女は京都の大学に進学して、京都の味噌汁の洗礼を受けた。といっても、正月の雑煮の話なので、ことさら「伝統的」であったかも知れないが、たしか、白味噌の汁に丸いモチが入っていたそうで、これだけは全部は食えなかったと。その話を聞いたときは、なんとなく、味が想像ついて、ウゲッと思った。

おれは、1965年秋から1年間、会社の命令で大阪で仕事をして暮らし、大衆食堂で味噌汁も食べた。「チッ、ぴりっとしない味だなあ」と物足りなさを感じはしたが、さほどショックはなかった。

|

« 「ホットスポットとよばれた地域がつくる『安心』とは」 | トップページ | 来日中のケン・イトウさんと会った。 »