« 谷中やぶさいそうすけ、西日暮里やなぎや、蕨で第3回泥酔会。 | トップページ | 米の「洗い方」。 »

2012/06/18

「研ぐ」「洗う」、カンチガイや見識の違い。

以前にも、何度か言及していると思うが、米を「研ぐ」ではなく「洗う」と表現するのは、コンニチでは、誤りではないと思う。もうだいぶ前から、米の袋にも「洗う」と表記されているし、さっと洗うていどにしたほうがよいという話も少なくないはすだ。

自分で実際やってみた感じでは、微妙で、「研ぐ」ぐらいのほうが、米がうまけ炊けるような気がしないでもないが、ようするに、昔の米と汚れや乾燥法などが違うから、「研ぐ」とかえって米の旨味が逃げる、「洗う」ていどでよい、ということではなかったかと思う。

と、おれがこう書いたのを見て、はてな?と思ったら、自分で確かめることであり、やってみることだろう。

モンダイは、よく確かめもせず、米を「洗う」と言うひとや風俗の傾向を指して、疑問を投げるだけでなく、「いまの若者は」「そんなことも知らないのか」「食文化の堕落だ」という感じで、鬼の首でもとったかのように、調子に乗って攻撃したり揶揄することだ。

こういう「言い過ぎ」は、正しい自分を疑問に思うこともなければ、日頃いまの若者や言葉の乱れを苦々しく思っていて、そういう目で物事を見ているからではないかと思われる。何かというと、ひとの非をえぐりだしては貶めて、優越感を持ちたいのだろうか。そんなことに、どれだけの価値があるのだろう。

「研ぐ」「洗う」の違いなどは、どっちにしてもそれぞれの好みによる加減がつきまとうことであり、人間や文化の良し悪しレベルで問題にするようなことではないだろう。せいぜいお互いの見識の違いぐらいで、この世は見識の違う人間が集まって成り立っているのだから、それを指摘しておけばすむ話なのだ。

と、自分を振り返ってみると、チョイと調子に乗って言い過ぎたことがあるかも知れないが、またもや、いまだに、「研ぐ」「洗う」で、カンチガイが見られたので、書いてしまった。

ついでに、何で見たか忘れたが、「コナモン」あるいは「粉もん」について、「造語」と言っているひとがいた。これは、カンチガイではないかと思う。いや、見識の違いかも知れないが。

「田舎者」を「イナカモン」と言ったり「若い者」を「ワカモン」と言ったり、「バッタ物」を「バッタモン」と言ったり、ま、いろいろあるが、これは「物」や「者」を「モン」という、ようするに広辞苑のやっかいになれば、「モノ」の音便であり、これを「造語」というのは無理があると、おれは思う。

粉物について「コナモン」という言い方が、一般に広まるのは比較的新しいことかも知れないが、割と普通に使われるようになった。風俗的には「粉物」より「コナモン」のほうが多く目につく感じだ。これも以前書いたことがあると思うが、1980年代におれが粉物の商品開発に関わっていたころは、関係者の間では、「コナモン、コンナモン」と冗談をいうぐらいの状況はあった。この場合の、「コナモン、コンナモン」も、「粉物、こんな物」の音便だろう。したがって、無理にデッチあげた空虚な造語とは違って、生活の実態が背景にあることであり、比較的容易に広まりやすかったとも言える。

なんにせよ、人間は、いろいろマチガイやカンチガイがあるのだから、それを指摘するにしても、そんなにひとを貶めなくてはならないことなのかどうかぐらい判断して、ものを言いたいものだ。とくに個人攻撃になる場合は、注意すべきだろう。自分が、狭い自分の好き嫌いや知識で、ひとを中傷して溜飲を下げる人間のカスにならないためにも。

調子に乗って言いすぎたかな? 今月は、あの食育基本法にもとづく「食育月間」とやらだそうです。

| |

« 谷中やぶさいそうすけ、西日暮里やなぎや、蕨で第3回泥酔会。 | トップページ | 米の「洗い方」。 »