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2012/07/31

ミーツ・リージョナル9月号「天王寺特集」で「エンテツの名酒場はしご道」。

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明日8月1日発行のミーツ・リージョナル9月号「天王寺特集」が届いた。今回、おれは、「エンテツの名酒場はしご道」ってことで登場している。

Dscn1078前にも書いたが、大阪の天王寺と周辺は、いま大きく変わろうとしている。20世紀初頭の内国勧業博覧会以来、通天閣をシンボルタワーに人々が集まって開発された、この街に、通天閣を凌ぎ日本一といわれる高さの「あべのハルカス」が姿をあらわし、周辺も含めた再開発が進行しているのだ。

天王寺は、おれにとっても特別の場所だった。というのも、上京して3年すぎたころ1965年9月、初めて正社員で採用された会社の社命で1年間、大阪暮らしをすることになったとき、天王寺からチンチン電車で3つめの東天下茶屋に住んだからだ。

そのときすでに、JR天王寺駅前には、いま「あべのハルカス」に姿を変える近鉄百貨店があって、毎日のように、その横のチンチン電車の停留所を利用していた。その街が、ガラッと変わろうとしている。ように見える。

Dscn1079そこで、この特集となったのだが、これを仕切った編集さんが、天王寺をホームグランドとする藤本和剛さん。特集のタイトル「天王寺をさがせ!」は、彼の気持そのままではなかったかと思う。そして、その愛と足で集めたネタの豊富さもさることながら、さまざまな切り口から天王寺をさがす。ミーツらしいといえば、ミーツらしいが、やはり、一味も二味も濃いのだ。そもそも、特集冒頭に、西加奈子さんの特別寄稿「街は、」をすえていて、これが、たまらなくよい。断固おすすめです。

藤本さんが、編集前記を書いて、こう結んでいる。「巻頭の西加奈子さんの寄稿から読み通せば、ちょっと美人になったけれど、やっぱりくどい天王寺の顔立ちが、手触り感と共に少しでも伝わるだろうか。/街を形作る通天閣と日本一のビル。どうにもこうにもこの街を愛している僕の、変わりゆく天王寺探索はこれからも続く。」

扱っている地域は、天王寺/阿倍野/寺田町/四天王寺/新世界・動物園前/昭和町・文の里/美章園・河堀口。「奈良・和歌山方面の玄関口であり、大阪第3のターミナル。坂を下った西側は観光地・新世界、東には市内屈指の文教地区。南に帝塚山を擁し、飛田新地、動物園だってある」。あらためて、雑多で、雑多であるがゆえに濃い街だと思った。

Dscn1076_2おれは、一晩で4軒はしごして酔っ払い、4ページにまとめた。あまり街についてのリクツはこねずに(いささかナンデモ「街場」論には食傷気味でもあり)、なおかつ、自分の記憶にある天王寺への思い入れはぬきにして、酔うままに、酔いにまかせながら、街や店や人にふれた感じを、凡庸にまとめた。たぶん、そのほうが、「場の空気」が伝わるのではないかと思ってのことだが、はたしてどうか。

関連
2012/07/07
再開発ドンガラガッチャンの天王寺界隈で4軒ハシゴ酒取材。

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2012/07/30

【予約受付中】8月25日、久住昌之さんとトーク。

Dscn1072前に告知した、「あいおい古本まつり・トークイベント」における、久住昌之さんとのトークの予約受付が始まっています。

久住さんは、原作の『孤独のグルメ』がこのあいだテレビ実写ドラマ化され好評、続いて『花のズボラ飯』も、やはり実写でテレビドラマ化され10月に放映の予定など、快進撃中。

に対して、これまで初版すら売りきれないまま絶版続きで、近著『大衆食堂パラダイス!』もこのまま増刷ならずに終わる趨勢の、まことに人徳も人気も足元に及ばないおれが、トークをするという、ありえない大胆な企画。

これはもう、大げさでなく空前絶後の顔合わせ、お見逃しなく、です。話は、きっと、おもしろいことになります。ツイッターでは、存じ上げない方が、「これは濃いライブだ!」とつぶやいていましたが、それだけは、間違いない予感が。どうか、宣伝のほうも、よろしくご協力お願い申す。

ってことで、詳細と予約は、こちら。あいおい古本まつりの公式サイト。
http://aioibooklabo.com/event_wagamama.html

ところで、久住昌之さんといえば、泉晴紀さんと組んで「泉昌之」の名前で作品を出されていて、何冊か持っているけど、一番好きなのが、『新さん』。

Dscn1073ところで、ところで、かなり昔に、久住さんに会っているような気がして、調べてみたら、ありました。これです、1981年4月発行の『POLYCENT(ポリセント)』に、久住さんの「またたき手帳」があった。(写真は、A5判サイズの原本からのコピー。

ポリセントの発行については、2005/06/13「思えば70年代後半の会社クーデター」に書いた。

このとき、たぶん、久住さんは「またたき手帳」の原稿を持って、その会社に来られたのだ。おれはちょうど出かけるところで、ポリセントの編集を担当していた(当時はおれの「部下」でしたが)現在アルシーブ社の佐藤真さんに紹介され、ドアのところで立ったまま挨拶だけした。ということを思い出したのだ。

1958年生まれの久住さんが、23歳ぐらい、1943年生まれのおれは38歳ぐらい。たぶん久住さんは、覚えていないだろう。トークの当日、このコピーを持って行こう。チョイとおもしろい因縁だ。

とにかく、トークの予約と宣伝、よろしくね。

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2005/11/19
日本料理の未来史に向って新しい試み

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2012/07/29

「除染作業員」の募集広告。

Dscn1062a先日、秩父への往きの電車で埼玉新聞を買って読んだ。

募集広告に「除染作業員」というのがあった。「温泉に泊まって除染作業しませんか」「6000~7000」「2食付福島の方歓迎」「勤/福島県広野町近」。なんだか、じつに生々しい。

募集しているのは「●●●建設東北支店」。ネットで検索したら、サイトがあった。愛知の建設会社で、産業廃棄物処理業もやっている。支店や営業所は、愛知県内ばかりで、「東北支店」は載っていない。

作業内容も気になるが、日当が同じ欄にある他の職種よりかなり安いのも気になる。

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2012/07/28

秩父まで「特定疾患」の手続きに。

Dscn1050一昨日、義父の「特定疾患」の手続きに必要な医師の書類が出来たとの連絡が病院からあったので、昨日は、それを受け取って手続きをすませた。

朝7時半すぎに家を出て、大宮で高崎線に乗り換え、熊谷から秩父鉄道で秩父、秩父からバス40分といういつものコース。熊谷に着いてみたら、一番早く秩父に着く電車が30分ほど待つ急行。急行券一律200円。この車輌は、どこかの鉄道のお下がりで、あまりスピードは出ないが、シートがよい。なので、旅気分を楽しもうと、ニギリメシとサンドイッチと缶ビールを買って乗り込んだ。結果、よく食べておいたのが、よかった。やはり、バテないためには、食っておくことだ。

バスを降りて病院まで歩く間も、盆地の町は、日差しも照り返しも厳しく、皮膚が痛いほどだった。病院に着いたのが、11時ごろ。受付カウンターで医師の書類を受け取り病棟へ。手術直後は個室だったが、順調に回復し、4人部屋に移っていた。患者は3人。義父は窓側のベッドの上に座り、そばに義母がいた。すでに出来上がって置いてあった、ほかの書類を持って、食堂へ行き、テーブルにぶわっと広げて、チェックと不足の書き込み。

病室にもどっておしゃべりをしていると、義父と幼なじみという同級生の婆さんが見舞いに来た。あれこれおしゃべりに付き合う。12時になると、患者の食事の時間になる。もう歩けるので、食堂まで自分一人で食べにいく。見舞いの婆さんは、それを潮に帰り、おれも12時30分すぎのバスに乗って秩父にもどり保健所へ書類を出しに行くので、少ししてから退出。義母は13時すぎのバスで、町からさらに40分ほどの奥地の自宅へ帰るという。

保健所へは一番近いバス停で降りて、10分ほど歩く。ジリジリ暑い。保健所のなかは、冷房が効いていて、生き返った心地。応対の係の女の方は、それなりに丁寧で親切だった。細かい直しをいわれ、書き直し、直したところに訂正印を押す、3枚複写なので、それを繰り返す。医師の書類に、記入漏れがあった。おれでわかることもあったが、とうぜん医師でないとわからないこともあって、それについては係の女の方が、あとで問い合わせてくれることで、めでたく受理となった。

「特定疾患」の認定は、このあと9月7日の審査会で正式に決まるが、決まれば、この受理の日まで遡って適用され、つまりこの日以後払った費用は、あとで還付になるのだ。ってことで、手術代もそこに含まれるので、やれやれ、なんとなく気がかりだったことが片付き、ほっとする。

しかし、こんなにいろいろな書類を揃えて、ややこしい書き込みをしなくてはならない手続き、家族がいない年寄りは、大変だろうし、出来ないですましているひともいるのではないかと思う。だいたい、病名を聞いただけでは、医師が教えてくれなければ、特定疾患なんて知らんもんね。

帰りは、保健所から秩父駅まで20分ほど歩くが、暑くてもバテた気分はない。やや上りの坂道を勢いよく歩き、駅に着くと10分ほどで熊谷行きがあり、東大宮に16時ごろ帰り着いた。まずは、大いに食べて飲もう、といってもこの時間では餃子の満洲しか開いてないから、ギョウザ、ニラレバ炒め、ラーメン、生ビール二杯飲んで、これにて手続きは「打ち上げ」一人御苦労様会。

家に戻って、もう一つ、壊れた冷蔵庫の新品との交換日がいつなのか気になるので電話をすると、日曜日の29日に持って来ることになった。

秩父鉄道に乗っていて気づいたこと。ソーラー発電パネルを屋根にのせている家が増えている。てか、以前は、ほとんどなかったが、ずいぶん目につくようになった。デモとは違うが、それに実質的だが、これも「脱原発」か。だけど、けっこう投資がいるから、貧乏人には難しい。貧乏人は、高くなる電気代や消費税に耐えながら、デモやるしかないか。

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2012/07/26

修理やら難病やら。

冷蔵庫が壊れて冷えなくなったのは16日だった。ちょうどそのあとから義父の入院やら手術やらで家に落ち着く間がなく、修理を頼めなかったが、一昨日メーカーの修理の人が来て見てくれた。結論は、新品と取り替え。まだ保証期間だからよかったが、保証が切れていたらどうなるんだろう。高い修理代を言われ、買い換えたほうがお得です、なーんて言われるのだろうか。

とにかく、そういうわけで、新品が届くのを待つのだが、いつになるかまだ連絡がない。暑いのに。冷たいトマトや冷や奴が食べたいのに。こんなに長いあいだ冷蔵庫のない生活は、独身時代以来のような気がする。食事のしたくの段取りが難しく、出かけていることも多かったので、外食が増えた。

修理といえば、やはり一昨日、去年の2月ごろ壊れたままのノートパソコンを修理に出した。壊れたあと借りているメインのパソコンはOSが違うので、WEBサイト「ザ大衆食」のリニューアル作業に手間取って、これじゃいつ終わるかわからない。ということもあるし、やはりノートが必要ということもあって、だけど新しく買うカネはないし、直した方が安上がり、それでもカネはかかるから迷って、ようやく決心。

入院中の義父は、手術後の経過もよく、食事も起きて食べられるし歩いて便所に行けるようになった。この病気が、「難病」といわれるやつで、正式には「特定疾患」とよぶようだ。あまり信用できないが、この項目ぐらいは信用できるか、ウィキペディアによれば、「いわゆる「難病」のうち日本において厚生労働省が実施する難治性疾患克服研究事業の臨床調査研究分野の対象に指定された疾患をさす」。義父は、05年に入院して手術をした時も、患部と病名は違うが、「特定疾患」だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E7%96%BE%E6%82%A3

これは手続きをすると、手術代も含め治療代を国が負担するので、本人は無料になる。前にも、その手続きをしたが、今回も手続きをしなくてはならない。これがまあ、例によってお役所相手で、いろいろ書類が必要なのである。こっちの書類があれば、こっちの書類なんかなくても証明がつくのだから必要ないんじゃない?と思われるものまで、たぶん惰性的に行われているのだろう、揃えなくてはならない。ま、お役所相手にグチはよそうぜ、ってことで、目下書類が揃うのを待っている。揃ったら、町立病院まで受け取りに行って、秩父の役所に提出しなくてはならない。今週末ぐらいには書類が揃うという話なのだが。

てな、感じで、諸々待機状態。そういえば、05年の特定疾患の手続きのときも、暑い夏で、盆地ゆえ暑さでむせかえる秩父の道を、トボトボ歩いて病院や役所をまわったのだった。

それにしても、義父は、15年前ぐらいに胃癌の手術をしてから、全身麻酔の大きな出術を3回に、軽い手術や入院を繰り返しているが、癌の再発はなく、どっちかというと「骨」系がほとんど。骨系は、手術が終わって回復を始めれば、なんでも食べられるからよい。なにしろ80歳だから、食べられなくなったら、体力は落ちるしキツイことになる。

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2012/07/24

久住昌之さんとトーク。

8月25日26日、中央区佃の「相生の里」で「第4回 あいおい古本まつり」が開催される。そのトーク・イベントで、25日(土)15時半から、久住昌之さんとおれのトークがあります。久住さんとは、お会いするのも初めて。思いがけないことですねえ。

ほかの3つのトークも、めったにない顔ぶれでおもしろそうなテーマ。参加費1000円、予約受付開始は、7月28日からです。詳しくは、公式サイトで。
http://aioibooklabo.com/
久住昌之さん×エンテツのトークについては、こちら。よろしく~。
http://aioibooklabo.com/event_wagamama.html

フライヤーのイラストは、牧野伊三夫さんです。
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2012/07/21

あの昔の切符を何と呼ぶのか。熊谷は池端のナポリタン。

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ここ東大宮から義父が入院の町立病院へ行くには、大宮で高崎線に乗り換え、熊谷から秩父鉄道で秩父駅、そこからバスで40分ほど。秩父鉄道は単線で、一日に何本か、急行が走っている。めったに出合わないのだが、18日は往きも帰りも、ちょうどよいタイミングで利用することができた。

あらためて気がついたが、秩父駅からのローカルなバスでさえスイカが使えるのに、秩父鉄道は昔の厚いボール紙の切符を使用している。古い作り置きが、よほどたくさんあるのだろうか。自動券売機は、よくある薄い用紙だが、急行を利用するときは、自動券売機では扱っていない急行券を窓口で乗車券と一緒に買う、するとどちらも昔の切符なのだ。

この切符を手にしただけで、どこか遠いところへ旅する気分になる。「遠いところ」というより、この切符が、どこでも普通であったころへの、遠い時間の旅とでもいうべきか。

熊谷は、何度も乗り換えで利用しているが、駅ビルから外へ出たことが、2度ぐらいしか記憶にない。関東平野のように茫漠としたイメージだ。しかし、ここは埼玉県北部の都会で、南部の大宮や浦和とは異なる独自な文化の色彩を持っている。ってことは、まあ、いいや。

18日の帰り、熊谷に着いたのは21時半ごろだったと思う。とにかく、朝から暑かったし、手術を待つのもくたびれることだし、空きっ腹を抱えて熊谷までたどりつき、ここで何か食べようということになった。で、行った先が、熊谷の愛人の周囲で評判の、『池端』という居酒屋だ。愛人が行く店に妻と行くのは、いかがなものか、ということは一切考慮になく、とにかくそれほど評判の店なら、行って見ようじゃないかと。

ここは、熊谷駅のナントカという駅ビルから出てすぐのところにある。ちょいと小路を入ったところに、落ち着いた大人の佇まい。食べログには「新和食 池端」とあるように、建物も店内も純和風とはちがい、オーク材風を使ったモダンな雰囲気なのだ。

メニューを見て、どうやら鮮魚料理が得意らしいと思われたが、なにしろ疲れた身体はコッテリ系を要求しているし、そういうメニューも揃っている。鮮魚中心全方位メニューという感じであり、そこで目に止まったのが、「ナポリタン」だ。ナポリタンに、カッコで「青春の味」とある。そこで、フン、青春なんか関係ねーよと思えば、あるいは鮮魚料理を注文することになったかも知れないが、逆に、おおっ青春の味!いいじゃないか、となってしまった。それに、チーズオムレツやらもう一品、いずれもコッテリ系。

とにかく暑いから生ビールが、うまい。

Dscn1039青春の味、ナポリタンは熱い鉄板にのって、しかも鉄板の上には溶いた玉子を引いてナポリタンを盛ってある。つまりナポリタンを食べると、その底に薄く玉子焼きになった玉子があるというぐあいなのだ。このナポリタン、よくあるナポリタンより麺が細い。これは珍しいねと写真に撮ったのだが、ちょっとわかりにくいな。

働き食べる大人たちへの気配りが感じられる空間。お客さんも、テーブルを囲む同じ会社の仲間らしい6名ほどや、労働のあとカウンターで一人一杯やって食べて帰る男たちという模様。労働とくつろぎ。

働く食欲のためか、出てきた料理は、みな量が多い。味も濃い目でうまいのだけど、けっきょく、ナポリタンは食べきれなかった。

焼酎もポン酒も、いろいろ揃っていた。最後は、お店の方がサービスで出してくれた枝豆で、土佐鶴を一杯飲んだ。この酒も、なみなみたっぷりに注いでくれる。

熊谷は、気前がよい街なのか。お店の方も感じがよかった。

気分よく、高崎線に乗って、大宮で宇都宮線に乗り換えて、帰ってきたのでした。

こんど行ったときは、必ず行くだろうが、まずは鮮魚料理を食べよう。

埼玉は海のない県だが、海から離れているほど鮮魚料理への執着があるともいわれる。坂口安吾が、かつて彼が暮らした、足利だか桐生だったかな?寿司屋が多いと書いていたが。そういうものかも知れない。

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2012/07/20

義父80歳手術で秩父行ったり来たり。

今週は16日月曜日が休日だった。

17日火曜日は、翌18日に手術の義父の入院日で、主治医から手術の説明がある予定だった。おれは、8月1日発売ミーツ9月号の校正の締切りと、夜は以前からの飲みの予定があり、妻だけ先に実家のある秩父地方の町立病院へ朝7時すぎに出かけた。10時までに病院に着かなくてはならないのだ。

ミーツの校正は、いつもはあまり直しはないのだが、今回は、かなりタイトなスケージュールのもと、いろいろな不具合などは校正で調整することで進めたから、直しが多かった。見出しなどは、全部字数オーバーで書き直しだったり。とにかく無事に?終えた。夜の飲みは、先方が忙しい方で延期になった。

夕方、柳瀬徹さんのツイッターで、彼が『サンデー毎日』の「著者インタビュー」で、『幼少帝国 成熟を拒否する日本人』(新潮社)の著者、阿部和重さんをインタビューしていると知って、一杯やりに出たついでに、本屋に寄って立ち読み。のつもりだったが、買ってしまった。というのも、そのページを開いたら、もう片方の1ページ「一冊の本」で、岡崎武志さんが白井いち恵さんのデビュー作『東京バス散歩』(京阪神エルマガジン社)を取り上げていて、しかも白井さんと一緒に彼女のおすすめバス路線に乗るという、おもしろいレビューなのだ。

それを持って、前から気になっていた、東大宮駅西口そばの大衆酒場「末広」に初めて入ってみた。末広は、なかなかよい店で、またもや東大宮に通いたい店が増えて、困ったものだ。買ったばかりのサンデー毎日を見ながら、飲む。

18日水曜日。起きて準備して、出かける前にメールチェックをしたら急ぎの用があり、メールの返信じゃ間に合わないので電話をする。長電話になる。家を出たのは9時半頃だったが、とにかく、いつものように、先へ行くほど、電車やバスの本数が減っていくコースなので、病院に着いたら、手術室に入る予定の13時の10分前。義父はベッドの上で準備完了いつでも手術室に運ばれる体制、そばに、義母、妻がいた。麻酔前に間に合ってよかった。

手術は2時間ぐらいの予定だったが、患者が病室にもどって来たのが、16時ぐらいだったか。主治医に手術の結果を聞き、手術そのものは問題なく済んだ。なにしろ高齢なので、全身麻酔の影響がどうか、手術で患部の処理はできたが他の影響がどうかなどは、様子を見なくてはならない。などなど、いろいろあるようだったが、とりあえず麻酔からの回復は順調で、ほかの問題も特に見られず。麻酔が切れて、大いに痛がるので、痛み止めの点滴など。

基準看護なので付き添いはいらないが、ま、義母が付き添いたがるから気の済むようにということで、妻とおれは19時4分のバスで帰ることに。熊谷で、一杯やって腹ごしらえして、帰宅は23時すぎ。

きのう、19時木曜日。妻は勤めがあるから、おれは6時すぎに家を出て、病院へ。ところが秩父駅に着いてみたら、前々日に妻が7時すぎに出かけたときと、病院に着くのは同じ時間のバスしかないという有様で、なんのための早起きか。とにかく10時10分前ごろ着いた。義母を13時10分のバスで家に帰す。

患者は、かなり好調に回復し、身体についていた何本もの管や酸素マスクは、排尿用をのぞいて、みなとれていた。基準看護とはいえ買い物まではしてもらえないから、何かとチマチマやることがあり、2回ほど買い物に出たり、腰椎部分の手術だったので、まだ寝たまま食事のときに少し身体を起こすこともできない。食べ物を口に運んでやったり、あれこれ細々。夕食が済んで、前日と同じ19時4分のバスに乗って帰った。

今日は、なんだか疲れた身体を動かして、でれでれといろいろ片付ける。入院は1ヶ月ほど、チョイと行ったり来たりになる。

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2012/07/16

都合により、29日の第2回「エンテツの帰ってきた泥酔論」@小岩の野暮酒場は延期です。

2012/06/29「第2回「エンテツの帰ってきた泥酔論」@小岩の野暮酒場は7月29日。」に告知したトークですが、都合により延期させていただくことになりました。まことに申し訳ございません。来月中頃には新しい開催日時のメドをつけられると思います。よろしくお願いします。

この相談もあって、昨日は、野暮酒場の営業日だったので行った。最初は、17時開店の予定だったが、暑くて早くビールを飲みたい客がいたとかで、開店が15時に繰り上がった。おれが着いたのは16時半ごろ。先客が1名。以前に1度、浪曲で会って飲んだことがあるかた。それから、シノさん、コンさんなど、まいどの野暮男たちに続き、初対面の男子が2人。みごとに野暮男子会の状態だったが、ワユリさんと木村衣有子さんという一人で何人分もの女子力があらわれ、一挙に状況が変わる。だんだん野暮酒場の客は増えている。

えーと、この日の店主厳選の安酒は、宮城の「松島の月」だったと思う。飲みやすい酒で、ビールとホッピーのあと、おもわず杯を重ねてしまった。

まいどのように地蔵通りに流れて、楽しく飲んで、おれは終電の関係で一足お先に失礼。酩酊状態で帰ったら、冷蔵庫が熱気を吹いて壊れていた。

今日から冷蔵庫がない。35度をこす暑さなのに。

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2012/07/15

NHKラジオ第一すっぴん!「VIVA!大衆食堂」5回目最終回。

大阪の取材から帰って、その原稿締切りが12日。その前日の11日は、NHKラジオ第一すっぴん!「VIVA!大衆食堂」の出演日だった。しかも、すっぴんは高校野球の中継などのため、20日から夏休みになるので、今回が最終回。

もともと4月から3ヶ月の約束でスタートしたのだが、これで「最終回」になったのは、おれのワガママ。9月から毎週にしたいというありがたいお話をいただきながら、朝が早すぎることもあって、やってみたら隔週でも負担が重い。放送当日、フラッと行けばよいのではなく、事前に構成の打ち合わせなど準備がある、当日の朝が早いので前夜もしばられる。もっと若くて、もっとNHKに近いところに住んでいるなら問題ないのだが、ほかのスケジュールに影響が及んじゃうのだ。あれこれ条件をつきあわせてみたけど、うまい方法が見つからない。ってことで、9月からはイレギュラーの「神出鬼没」という含みを残して、今回はひとまず終了。

で、11日の前夜10日のことだ。十日町出張帰りの須田泰成さんと、大宮いづみや本店で18時半に待ち合わせて飲んだ。初めて知ったのだが、隣のいづみや第2支店が改装して、入口の位置を変え、交差点寄りのほうに大きく開口部をつくり、中が見える入口になっているのだ。本店のほうも、トイレを改装して、綺麗になっていた。そんなこともあって、気になるので、本店のあと第2支店へとハシゴした。そして、飲めば深酔い間違いないアヤシイ黒糖焼酎を飲んでしまった。これがマチガイのもと。いろいろおもしろい話をして気分よく飲んで須田さんと大宮駅で別れたのは22時ぐらいだったはずだ。

帰ってベッドに転がっているうちに寝てしまった。朝の目覚ましをセットしないまま。この夜、妻は旅行でいない。ってことで、ハッと目が覚めたら、朝の6時。8時半までにスタジオに入らなくてはならない。ウチから2時間はかかるのだ。大慌てで支度して出た。

ってことがあって、無事に放送は始まり、今回は「美しい小さな村の大きな食堂」ということで、山形県大蔵村の大蔵食堂の話をした。「VIVA!大衆食堂」のコーナーのあとの「おべんとガーデン」のコーナーにも出てオシャベリ、無事に最終回は終わったのだった。

終わったあとの雑談で、ユカイさんの実家が、ウチのすぐ近所だと判明、いまでもそこにあるのだと。ギャーと盛り上がった。そして、藤井アナウンサーと共に、3人で記念写真を撮っていただき、スタジオをあとにしたのだった。

その写真も含め、番組の公式ブログに掲載されています。最初の企画立上げでお世話になった野本さん、毎回の構成でお世話になった小笠原さんはじめ、関係者のみなさん、ありがとうございました。いつかまた!
http://www.nhk.or.jp/suppin-blog/125998.html

ふりかえってみると、4月から隔週水曜日、三ヶ月間で始まったのだが。4月4日はコーナーがなく、18日が1回目、5月2日、16日、30日、6月13日、27日、7月11日の予定だった。しかし、国会中継がある日は、前日の夕方に中止が決まる構造で、4月は放送なし。5月2日が1回目で「初めての大衆食堂物語」、東京は恵比寿の[こづち]。2回目、5月16日は「北九州の大衆食堂」で、黒崎の[エビス屋昼夜食堂]。3回目、5月30日は「新潟の大衆食堂」で故郷は南魚沼市六日町の[万盛庵本店]。4回目は、6月27日「横綱がおいしい食堂」で、チョイと事情があって妙なタイトルがついているが、当日は「おかずで悩む食堂」ということで大阪は千日前の[しみず]。そして最終回5回目が去る11日だった。
http://www.nhk.or.jp/suppin/foodcourt/shokudo.html

前回の模様は、
2012/06/27
NHKラジオ第一すっぴん!「VIVA!大衆食堂」4回目。

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2012/07/14

『dancyu』8月号カレー特集に書きました。

Dscn1035ちょうどミーツの取材で大阪へ行っていた6日に発売になり、掲載誌が届いていたのだが、大阪コーフンしているあいだに、ここに紹介するのを失念してしまった。遅まきながら。

今回はカレー特集でして、おれは52ページに、神田多町の[栄屋ミルクホール]を書いている。「日本人なら食べておきたいカレーライスの噂」ってことで、編集さんがつけた見出しは「黄色いライスカレーがもはや絶滅寸前である」。

が、しかし、今回のおれは、たしか以前に書いたと思うが、石川啄木風?をねらって書いた。って、なんのことはない、上野駅にある啄木の歌の気持をですね、故郷の言葉を懐かしがるような気持をですね、黄色いカレーライスにこめたわけであります。それが、栄屋ミルホールさんに対する称賛としてもよいのではないかと。ほんとうか?

とにかく、そんなわけで、編集さんにも言われたけど、dancyuにこれまで書いたおれの文章とも、編集さんの付けた見出しとも、違和感があるかも知れない。なにしろ、見出しは、こうなのに、おれの囲みコラムは、「街の一隅で、簡単にはなくならない暮らしと味が息づいている」で終わるのだ。

ま、そのギャップやズレが味になるとよいのだが。とかくギャップやズレのない予定調和や首尾一貫が受け入れられやすいのだけど、それって考えようによってはチト単純単調すぎて、ステレオタイプになりやすいし、ダメなスノッブに陥りやすいし、人生おもしろくないではないか。もっとギャップやズレを楽しむ余裕を持ちたい。なーんて思ったりするわけだが。

そして、dancyuのようなグルメ雑誌では、「イキ」な「漫画のような誇張」それは歌舞伎の荒事にも関係するらしいのだが、ま、誇張はあるけどウソはない、といった誇張が読者に喜ばれるのは、わかってはいるのだが、今回は素材が素材でもあるし、本文は控えめにさせてもらった。

とにかく、おれはグルメライターではないがフリーライターだし、いわゆる「作家」志向はまったくないので、むしろフリーライターを楽しむためにも、チャンスがあればいろいろな書き方をしたいと、近頃とくに思っている。近頃は、なんだか文章だの文体だのということに初めて興味を持って、あれこれオベンキョウもしているのだ。こんどのミーツでは、初めて店データの原稿を書くこともやらせてもらっている。みなそれなりに、大事な点や役回りがあるのであり、純文学や小説や作家が上だのエライだのどうだのは、「憧れ」がもたらした幻想にすぎない。ともいえないのだが、どうも近頃の「作家」志向は、うすっぺらというか、テーマの掘り下げはテキトウな予定調和、ネタに寄りかかり、文章の技巧だけで、たいしたことないのにカッコつけすぎ。

なんだかdancyuの紹介とは離れてしまったが、この文章を書くにあたっては、けっこうベンキョウになったし、こんなおれと付き合ってくれる編集さんに感謝している。今年になって3回目の登場なのだ。ほんと、いろいろ教わることが多い。

そうそう、それでカレー特集ではあるが、どういうわけか、第2特集という位置づけなのか、チョイと判断つきかねるが、「ポテサラ名人列伝2012夏」なるものがある。うーん、どういう事情なのか。

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2012/07/10

『明治屋』の再開発「前」と「後」。

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Dscn0954今日は、何かと忙しい。写真で簡単に阿倍野の『明治屋』の再開発前と後を紹介しよう。

『明治屋』は、居酒屋ファンのあいだでは「聖地」ともいわれる「巡礼所」のような居酒屋だ。JR・天王寺駅と、その前にある近鉄百貨店の西側を南北に走る道路の西側、阿倍野筋一丁目のアーケード商店街の路面店だった。そして、このあたりが、そっくり再開発され、『あべのキューズモール』に生まれ変わった。

キューズモールの北の端に『ヴィア・あべの・ウォーク』という一角がある。そこに、従来の商店街にあった大衆酒場や立ち飲み屋と共に、明治屋はおさまっている。今回は入る機会がなかったが、店内は以前に近い状態で造られているらしい。外観もなるべくそのまま移したらしいが、見方によっては、大ハコの劇場の大道具といった感じの景色でもある。

Dscn0956_2その昔の姿を知っているものにとっては、やはり「味がないねえ」ということになるかも知れないが、この環境のなかで、以前の姿を知らない客も増えることだろう。またそうでなくては「再開発」の意味もないのだし。彼らにとっては、あるいは新鮮かも知れない。

ナニワトモアレ、この再開発は、従来の「天王寺」や「阿倍野」といった街の枠組みを変えるほど大規模なものであり、来春オープン近鉄百貨店が入る高層ビル『ハルカス』をランドマークタワーに、「天王寺ターミナル」は大変貌をとげる。しかし、このターミナル界隈は、キタの大阪・梅田やミナミの難波と比べ、いい意味でだが、イマイチ垢抜けがしない。その何故かは、今回少しわかった感じがした。たとえれば、池袋が「埼玉県池袋」といわれたりするように、このあたりは和歌山や奈良と因縁が深いのだ。

いまのところ再開発の対象外だった、あべのキューズモールと道路をはさんで反対側の阿倍野筋二丁目のアーケード商店街は従来のままだ。小規模再開発のようなリニューアルのようなことが一部で進んでいるが、名曲喫茶『田園』など昭和を積んだまま残っている店も少なくない。

大きな変身と少しずつの変化が、倍の広さになった道路をはさんで向かい合っている。下の写真は、2008年8月。周囲では退去取り壊しがすすんでいる、その場所にありし日の明治屋。

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2012/07/08

大阪・天満、限界低価格競争か飲食天国か。

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昨日の続きになるが。大阪行きは、昨年1月6日の、ミーツの天満取材以来だった。新大阪に着いたのは12時半ごろ、天王寺駅で16時20分の待ち合わせまでは、まだ時間がある。とりあえず大阪駅へ出てみた。すると、大阪駅の変わりよう。そういえば、ずっと工事中だった大阪駅は、去年の5月に生まれ変わった姿をあらわしたのだった。まさに「大変身」。とはいえ、そこに入った店からして、とくに大阪らしい個性があるわけでなく、ただただ雑踏に辟易し逃れ、JR環状線で一駅先の天満へ脱出した。一年半ぶりだ。

昨年の天満取材では、天満駅の北側で天神橋筋の東側の市場が中心だった。昔から天神橋筋は何度も歩いているが、北側の天神橋筋5丁目あたりから西へ曲がる天五中崎通りを行くと、たこやきで有名な「うまい屋」がある。そして、その隣に、『力餅食堂』があった。関西には、同名の食堂がたくさんあるが、まだ一度も入ったことがない。そこで昼めしでも食べようと向かった。

天神祭の旗がならぶ、天神橋筋は相変わらずの混雑だ。しかし、その雑踏が、大阪ターミナルのようにわずらわしくないのは、何故だろう。昔ながらの商店街のよさは、人の雰囲気も変えるにちがいない。なごみがありますなあ。

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しかし、飲食店の競争は激しそうだ。市場が近いこともあってか、寿司屋も多く、にぎり一貫65円75円を競っている、ビール大瓶350円は、めずらしくない。確か天満駅前の立ち飲みでは320円のはずだ。

まだ平日の1時すぎというのに、立ち飲みはもちろん、たいがいの居酒屋が営業している。入り口の提灯の灯りをつけ、天満酒場などは、戸をカラリと開け払って、白木のカウンターで楽しそうに飲んでいる客たちが見える。うーん、引き込まれそうだ。しかし、夕方からの4軒ハシゴ酒取材に備えるため、飲むわけにはいかない。

天五中崎通りに入ると、すぐ左側に『うまい屋』。おにいさんが焼いて、客が2人ばかり立っている。その隣…力餅食堂、が、無い。無くなっている。新しい、なんだかよくわからないマッサージ治療のような店舗になっていた。

Dscn0870もう近頃は、こういうことに遭遇しても驚かなくなった。ただ、いつも思うように、シマッタ、このあいだ前を通ったときに入っておけばよかったと、少しガッカリして歩を進める。

おなじ左側の並びに『堀内酒店』、その先右側に『稲田酒店』。このあたりでは「角打ち」とはいわないで「立ち飲み」のようだが、いずれも魅力的な佇まい。稲田酒店の前には、自転車が止まって、中では4人ほどの男たちが飲んでいた。おれは、がまんがまんで見送る。

天神橋筋界隈は、一日中いても飽きない、「大人のテーマパーク」。うまい安いは、あたりまえ。大阪は、やはり、ヘタな「維新」や東京の後追い「都構想」などより、どこも真似できない、高級本格グルメまで備えた、裾の広い飲食天国で、日本はもとより世界中から人を集められる力を持っている。いや、ほんと、あまり政治に狂わないで、食い道楽に狂ったほうがよいと思うよ。大阪は都は都でも、「食都」をめざすべき。と、妄想をたくましくした。

関連
2011/01/30
見よ!これが『ミーツ・リージョナル』3月号「天満特集」の表紙だ。

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2012/07/07

再開発ドンガラガッチャンの天王寺界隈で4軒ハシゴ酒取材。

Dscn0929大阪市のJR環状線の最南端、天王寺ターミナルの再開発は、約40年かかって、その姿をあらわした。

再開発はどういうものかということがわかっていても、見なれた風景、歩きなれた街、通いなれた店が、実際に消えて、まるで別物であるかのような街が出現してみれると、大いに戸惑うものだ。何も考えず足の向くまま、そこにいけば気の置けない食堂や酒場があって、知った顔に会えたのに、いまではないのである。という喪失感は、おれも東京で何度か体験した。天王寺界隈で生まれ育った人たちのなかには、この現実を、どう受け入れたらよいか、まだ戸惑っている人たちもいるようだ。

ということで、どや、チョイと天王寺界隈を飲み歩いてみようじゃないか。天王寺といえば、太田和彦さんはじめ、居酒屋ファンのあいだでは「聖地」のように思われている、「名店」という呼称も恥ずかしくない『明治屋』があったのだが、そこは、外観も内装もそっくりそのまま移動したとはいえ、再開発のモールの中におさまっている。その近所にあった、雑駁な大衆酒場も立ち呑みも、である。

これまでは、『明治屋』だけが注目される傾向があったけど、この天王寺界隈は、それだけじゃないし、そんなもんやない。ってことで、5日に大阪へ行って、16時半すぎから、4軒飲み歩いて取材した。

最後の4軒めの店を終わったのは0時ごろだっただろう。途中から記憶がなく、昨日朝目が覚めたら、着の身着のままでホテルのベッドの上だった。しかし、なかなか、よい店ばかりだった。それに、天王寺ターミナルは、1960年代中頃一年間、おれは毎日のように利用していた。確かに再開発で、かなり変わってはいるが、そこで乗り換えのチンチン電車は、天王寺に最も似合わないと思われた超高層ビルの谷間に健在である。そのように、変わらない人々の暮らしと気質も息づいているようだった。

ハコは、建て替えれば変わるが、生き物であるニンゲンは、そうはいかないのだなあ。ドンガラガッシャンと潰しては建て替えられる、そのわきで、企業ニーズで造られた大きな建物や施設から受けるストレスを発散させるように、自分の小さな安息の場を見つける。そして、土地に根を張った、いい酒場、いい飲食、いい語らいが続くのだ。そこには、東京とはもちろん、大阪でもいわゆるキタやミナミといわれる地域ともちがう、街の文脈があるようだ。強いて言えば、「大阪府天王寺市」であるローカルな息遣いだ。土地のことは土地のひとに聞けで、いろいろな発見があった。

8月1日発売のミーツ・リージョナル9月号、天王寺特集に載る予定。原稿書きが、大変だ。

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2012/07/04

祝・故郷の大阪屋のかあちゃんが100歳!

故郷の新潟県六日町から、うれしいメールが届いた。

『大衆食堂パラダイス!』にも登場する、おれが高校生のときにお世話になった大衆食堂の大阪屋のかあちゃんが、先月百歳になったそうだ。「白寿」というらしい。いやあ、めでたい。

親戚や近所の人たちに祝ってもらったそうだ。それに通っているデイ・サービスの先生方にも祝ってもらい、メッセージを一杯書いてもらったそうだ。そのメッセージに、大阪屋の歴史の綴りをコピーした物が添えられていたそうだ。それが、おれが書いた物からのコピーだったそうだ。というのも、介護士さんの中におれのファンの方がいて、その方が作ったものだそうだ。

書いた物がそんなふうに使われるなんて、しみじみうれしい。
知らせてくれた、あっこちゃん、ありがとう。

大阪屋のかあちゃん、もっと長生きしてね。
長生きして大阪屋の繁盛を見守ってね。
大阪屋も、かあちゃんのように長生きしてほしい。

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2012/07/03

蕎麦についてアレコレ。

チョイと蕎麦についてアレコレ調べていて、驚いた。近年、生産は増加傾向なのだ。わかりやすくは、といってもそれほどわかりやすいわけではないが、傾向はわかる、ウィキペディアに掲載のデータ。

作付面積については、「休耕田などを利用した栽培が増えており、生産量は増加傾向にある。農林水産省の統計によると、ソバの作付面積は、1986年の19,600haから2008年では47,300haへ増加し、2008年の主産道県の収穫量は23,200トンである。2010年の作付面積は前年より2,300ha増加した。2011年、戸別所得補償制度の本格実施により作付面積は激増した」と説明があり、過去8年間の道府県別作付面積上位10位をあげている。

その国内作付面積は。(単位ha)
04年 43,500。05年 44,700。06年 44,800。07年 46,100。08年 47,300。09年 45,400。10年 47,700。11年 56,400。
11年の作付面積は、北海道がダントツで、19,300。ついで、山形、4,670。福井、3,950。福井は、08年に2,710で5位、09年と10年が4位であり、どうでもよいが、この急上昇は何かワケがありそう。

生産量については、「過去8年間の生産量上位10道県は次のとおりである。2007年より、主産道県として、11道県のみが報告されるようになった。ソバが農業者戸別所得補償制度の戦略作物に指定されたことにより、2010年より全国の生産量が報告されるようになった。2011年戸別所得補償制度の実施により、収穫量が激増した」という説明。いやあ、ほんとに激増だ。

07年からの11道県だけで見ると。(単位t)
07年 26,300。08年 23,200。09年 15,300。10年 29,700。11年 32,000。
09年の数字は、ワケがありそうだが。

とにかく、これは民主党がこだわった「戸別所得補償制度」の結果であることは間違いないだろう。ま、「戸別所得補償制度」については、日本の農業破壊につながるといった自民党の批判もあったのだが。そして、この数字だけでは、その制度の結果の是非をウンヌンすることはできないし、するつもりもないが。ただ、蕎麦について調べていたら、こういう記述があったということで。

ウィキペディアの「ソバ」の項は、こちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%90

中国からの輸入が多い状況では、わずかでも国産が増え、立ち食い蕎麦でも、「ウンこれこそ日本の文化」といえるほどになれば、いいことではないかと期待値があがる。いやいや、しかし、蕎麦ばかりではないが、国産必ずしも「良質」とは限らず、コンニチでは「良質」にこだわり、こだわる経済力のある人たちは、「放射能」を避けゼロリスクを志向、いまや国産ノー(とくに「東日本」国産ノー)、輸入物安全崇拝である。一部の動向だが、カネさえあれば安全だって買える(グローバリズムと同じ土俵)が、反原発を掲げる、どこかねじれ現象のような。あの「食育」は、どこへ行った。食育基本法反対だったおれが首をひねりたくなる。それにしても、「戦略的」には蕎麦よりもっと重視されなくてはならないだろう大豆の自給率は、あいかわらず10%以下のありさまで、味噌も納豆も豆腐も、カナシイ。

そりゃそうと、このあいだ飲んでいるときに、一番古い蕎麦屋は京都の「本家尾張屋」で応仁の乱の前年の開業だという話を聞き、そんなはずはないだろう、そのころには切り蕎麦なんぞあるはずがないしと抵抗したが。やつは、ツイッターかなんかで、それを確認したとゆずらない。そんなはずはないと思うがなあと、検索してみれば、なーんだ、やっぱり、そうじゃないか。

そのサイトには、「「やんごとなき御方より召されて、山鳥の尾張の国より都にまいりしは、室町時代花の御所の時なり」と家譜に伝える本家尾張屋。寛正六年(西暦一四六五年・応仁の乱の前年)に、菓子司として始まり次第に、そば処としても、京の町衆に親しまれるようになりました」と。これは、どう考えても、蕎麦を使った菓子のことだ。ま、かつて、蕎麦屋といえば菓子屋だった、ということならよいけどね。

http://www.honke-owariya.co.jp/about/

しかし、蕎麦を「救荒作物」といったものに貶めた、時代と経過が気になるな。そして、その「思想」を、現代は克服しているかということも。

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