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2012/08/20

カントリーロード、どこへ行く。

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町からバスに乗って向かった先は、秩父の奥、山峡の集落。曲がりくねった道が、峠を越える。わずかな平地の道路沿い、普通の民家に混じって、床屋、豆腐屋、食料品店、民宿に鉱泉宿など。

030103_wakui1そこにはかつて小さな酒蔵があった。覚えているさ、知る人ぞ知る「慶長」という酒を造っていた。江戸期から続く和久井酒造が廃業したのは、2008年のこと。屋敷は、そのまま残っている。手入れもされているようだ。バスの中から写真に撮った。ついでに、まだ酒を造っていたころの写真も載せておこう。たぶん2003年ごろだ。ああ、あのころはまだうまい酒を造っていた。

014すぐに人家は絶え、バスは急なカーブの坂道を登る。高度を増す左側の車窓には、放水中のダム。巨大な立小便。合角ダムが完成したのは、いつだったか。10数年以内のことだ。ああ、そうだ、おれが初めて来たころは、まだダムは無かった。それから、ダムの底に沈む家が退去して、工事が始まり完成した。ダムの水は都会生活の役に立つ計画らしいが、都会では水は足りているという話もある。

一車線だった県道の拡張工事も始まった。工事は、まだ続いている。広い立派な道路が出来ていく。どんどん人が減っていく。ダムから上は、「平地」といえる所はわずかだ。山峡の谷川沿いに、10数ほどの集落が点々とある。1つの集落につき10戸から20戸か。かつては林業が盛んだった。道路の拡張工事は続いているが、子供たちが通う小学校も中学校も無くなった。

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バスの後ろの窓から振り返ったら、新しい道路のトンネルと並んで、谷川のそばに、つい最近廃道になった昔の手掘りのトンネルが見えた。その向こうには、廃校の中学校舎。そんなに古くない鉄筋コンクリートだ。手掘りのトンネルは新しいトンネルと比べると小さいが、大型のバスもトラックも通っていた。バスには、子供たちがにぎやかだった。ああ、わずか10数年のことさ。

10数年前、「○○の発展のために」と、「○○」は集落の名だが、何かというとそんな声が聞かれた。いまじゃそんなことを口にする大人はいない。大人は、たいがい70代80代だ。ただジッと、来し方を振り返り、あるいは自分のイノチを見つめ、未来は語らず。

山峡の集落がイチバン「景気」がよかったのは、江戸か明治か。馬だって、立派な財産だった。昭和、戦死者の墓が増えた。それでも、いつだって生活は楽じゃなかったが、子供がいて、未来を語ることができた。山地は耕され実り、林は手入れされ育っていた。「○○の発展のために」と胸を張っていえた。ついこのあいだまでは。谷川で、もぐって魚をつかまえる中学生もいたが、どこへ行ったのだろう。

この道は、どこへ続くのだろう。何かの終わりか、何かの始まりか。

(やや、感傷的に)

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