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2012/09/21

アール・デコ展から<1920年代>へ。

00418日の火曜日は台風の影響もあって荒れ模様だった。新橋のパナソニック汐留ミュージアムで23日まで開催の「アール・デコ光のエレガンス」を観に行った。「ルネ・ラリック、ドームを中心に」という展示だ。アール・デコと聞いただけでゲップが出そう、なんて思ったが、行けばそれなりに気になる面白い発見があるものだ。とくに今回は、器を含め、ダイニングやテーブルまわりのものが多かったこともあって、以前に気になっていたことを思い出した。

で、『アール・デコの時代』(海野弘著、中公文庫)や『食卓の歴史』(スティブン・メネル著、北代美和子訳、中央公論)などのアチコチを読み返してみたりした。そのメモを以下に。

海野さんによれば、「アール・デコの時代」は、「第一次世界大戦の終わった一九一八年から、一九三二年ぐらいまでを入れていいのではないかと思う。一九三三年にはヒトラーが政権を握り、ドイツではジャズが禁止されてしまう」ってことで、この期間がいわゆる<二〇年代>ってわけだ。「私たちが今日、ごくあたりまえに感じている都市生活のスタイルは、二〇年代にあらわれたものである」

アール・デコと20年代の特徴は、いろいろあるけど、その前の時代は世界に一つしかないハンドメイド、一品製作を中心としていたが、「手作りと機械生産といった対立をこえて、新しい複製芸術がつくりだされる」「アール・デコは複製文化、デザインの時代のうちに生まれたのであった。それは一部の愛好家の趣味の部屋におさまっていたのではなく、現代社会の、スピーディーで、にぎやかな街を飾っていたのであった」

そこには都市生活者=大衆が出現していた。「アール・デコはそこにあらわれた複製芸術、大衆社会の芸術なのである」。芸術や文化は「民衆のために」ってことで燃えていた。(近頃の芸術や文化は、やたらエリート意識が強い自己顕示や自己主張がヘタに過剰で、「民衆のために」なんて耳にすることはないな)

日本ではアール・デコというと旧朝香宮邸(現東京都庭園美術館)が有名だが、1931~33年の建築。ずいぶん大衆とはかけはなれた存在ではないか。ま、おれが気になるのは、そのことじゃない。

日本の大衆食堂が「大衆食堂」の呼称で生まれるのは、アール・デコの時代と重なる。拙著『大衆食堂パラダイス!』にも書いた。1918~32年までのあいだに、東京に16ヵ所の公営食堂ができる。他の都市にもできるのだが、これが大衆食堂の直接的な原型とおれは見ている。「東京に人びとは集まり、大正末から昭和の初めには、貧乏な都市生活者が膨張する。この時期、「大衆」という言葉が流行語になるほど、大衆現象があった。となれば、「大衆食堂」という名の出現も、この昭和の初期あたりから可能性はあったとみていい」

昭和元年は1925年だ。

同じ頃、イギリスやフランスにおける料理をめぐる気になる状況が『食卓の歴史』にある。つまり『ウーマンズ・ライフ』1895~34年と『ラ・ファム・シェ・ゼル』1899~38年の刊行だ。どちらも"婦人雑誌"という類だと思うが「両者の内容は、おおむねよく似ていて、同種の中流、あるいは、下層中流階級を対象としていた」。これも新しい大衆社会の反映だろう。

おれが何を気にしているかは、この時代に料理や食事にどういう変化があったのかに関係するのだが、うまくまとまらないため長くなるから、今日は、このメモていどでオシマイ。

展示のほうは、ポスターもよかった。いずれも、アール・デコのヴィジョンが、生き生きと表現されていた。写真でしか見たことがなかったノルマンディ号のポスターにはため息。

第一次世界大戦後、ヨーロッパの芸術と文化は疲弊と荒廃の中から、アール・デコというヴィジョンを生んだ。いま日本の芸術や文化は、けっこうにぎやかであるけど、長く続く不況と大震災後の疲弊と荒廃の中で、何か未来へのヴィジョンを提示できているのかなあ。

アール・デコ展のあとは、パナのAさんと合流し、新橋で楽しく飲んで泥酔とまではいかないが、けっこう酩酊しての帰宅だった。

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