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2012/10/18

米だ!めしだ!かけめしだ!『かけごはん100』瀬尾幸子。

一昨日16日は、いろいろあったのだが、とにかく18時に西荻窪駅で、瀬尾さんや須田さんと18時に待ち合わせ。須田さん遅れるというので、とりあえず瀬尾さんと南口の戎。急逝された成田さんの話から、あれこれ。いまどきの30歳代の話しは知らなかったので、なるほどなあ。とかやりながら、やきとり食べ、ビール飲んで酎ハイ飲んでいるうちに、19時近くに須田さんと星子さんあらわれる。

割とマジな打ち合わせがあるので、瀬尾さんの家に移動。割とマジな打ち合わせにしては、酒はじゃんじゃん出るわ、瀬尾さんの手料理は出るわで、どんどん飲み食べる。しかし、話しは、テーマは「米」に関する企画だったのだが、もう素晴らしいブレストのように、アイデア続出、おれの秘蔵の話も飛び出して大展開。おれは酔っ払って、例によって電車の時間になり、一足お先に退去。泥酔帰宅だった。

瀬尾さんの手元に届いたばかりの、10月27日に発売になる新著『かけごはん100』(別冊すてきな奥さん、主婦と生活社)を頂戴してきた。

瀬尾さんは、『おつまみ横丁』100万部突破で、流行作家並みに本を出しまくっているので、追いかけきれない。とにかく主婦と生活社から出た、『ひる麺100』も『のっけごはん100』も売れて、のっけのほうだったかな?は10万部突破の勢いとか。で、この『かけごはん100』は『のっけごはん100』の流れということになるだろう。

かけごはん! おれは感動した。おれが、「かけめし」なるものを宣言したのは、『汁かけめし快食學』(2004年、ちくま文庫)のもとになった『ぶっかけめしの悦楽』(1999年、四谷ラウンド)だった。

つまり、「正しくは「汁かけめし」である。「汁掛飯」である。しかし「かけそば」「かけうどん」がまかりとおるのなら、「かけめし」でもよいではないか。本書では「かけめし」とよぶことにしたい」「そして、「かけめし」という言い方は、いまおもいついたわけではない。十数年前、つねに食文化の先端にいた?おれとマコトはつかっていた」と書いている。

この「マコト」は、2012/10/02「「帰ってきたエンテツの泥酔論」特別編は、今週土曜日に延期です」にも登場しているけど、先日久住昌之さんと飲んだとき一緒の、30年ちょっと前におれに久住さんを紹介した佐藤真さんのことだ。

そのような「かけめし」であるけど、やはり主婦と生活社の料理本となれば、「かけめし」というわけにはいかないのだな。「かけごはん」でもいい。以前は教条的ですらあった「かけめしイケマセン」がタテマエの風潮は、変わってきているということなのだろう。

「ワンプレートクッキング」といったところで、のっけめしやかけめしの類だし、この「プレート」を「ボウル」にしようが「丼」にしようが「飯茶碗」にしようが、料理としては同類だ。

好き嫌いはともかく、昔から普通のめしの食べ方の文化だった「かけめし」が、普通に扱われるってのは、いいことじゃないかと思う。それが、瀬尾さんの本となれば、なおのこと。作り方も、シンプル。

瀬尾さんの料理は、趣味的傾向やディレッタンティズムにはしることなく、かっこつけずに潔く実用に徹しているところがよいね。それはまた、かけめしの精神だと思う。これはこれで立派な食文化なのだ。と、かけめしのことになると、思わず熱が入ってしまう。売れてほしい一冊。よろしく。

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