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2013/01/18

放射能と食べものと有機農業。

以前から当ブログをごらんの方はご存知と思うが、東京で会社員をやっていて06年に故郷の愛媛・西条に帰って就農した知人がいる。実家は農家ではないから新規就農だ。おれは彼が会社員をやっているときに知り合った。たまに農業の話しなどをしていた。

09年だったかな?そこを訪ねた。「有機菜園 藤田家族」という名のように、有機栽培を中心に一部不耕起でやっていた。販売先は、主に市内の個人に直販、配達もしている。それとスーパーのコーナー販売など。ゆうき農協にも加盟しているようだが、詳しいことは知らない。

彼のブログ「38歳からの百姓志願~実践編」を見ていると、着実に歩を進めていることがわかる。見るのが楽しみだ。
http://blog.goo.ne.jp/sfujitasaijo 

先ほどブログを見たら、トップに、「1/24(木)横浜で「放射能と食べものと有機農業」の案内があった。彼は就農する前に、会社を辞めて一年間、神奈川で有機農業の修業をしたのだが、その時の師匠・相原成行さんがコーディネータなのだ。

リンク先の特定非営利活動法人 日本有機農業研究会による「有機農業・消費者セミナー 放射能と食べものと有機農業」を見た。
http://www.joaa.net/moyoosi/mys-133-1129.html

「3.11の大震災・原発事故の後は、私たちが望んでいるものとは大きく異なる 世界となってしまいました。自分たちの力だけでは、どうすることもできない現状 を受け入れつつ、それでも一歩一歩、前を向いて歩いて行くことに、腹をくくった 人たちがたくさんいると思います。とは言え、食べること、食糧を作ること、生活 していくこと、心の持ち方、そんな中で放射能汚染に対して、どのように対処して いったら良いかはまだまだ分からないことがあります。」と書き出し、「この放射能という、人間の英知、技術では解決の糸口が見えない災いを背負って しまっている中で、一人ひとりが考えていく心と、できることを伝えていくことを 共有していきましょう。 」と結んでいる。

ここにも、柏のような悩みを抱え、『みんなで決めた「安心」のかたち』のように、自分たちでできることをやっていこうという動きがある。こうして、小さいながらも、いろいろな動きがあるのだな。

昨日もちょっと書いたし、『みんなで決めた「安心」のかたち』にも述べられているが、有機農業の関係者と顧客は、ひと一倍食の安全と安心に関心が高かった人たちだ。いまでこそ有機農業も市民権を得たようであるが、まだ全部の生産量と流通から見たら、1割とか、そんなものだろう。しかし、安全・安心の日本の農業の未来を背負っていたことは、まちがいない。

大変な苦労をして、ここまできたと言ってよい。おれは、1990年ごろ、一年ほど九州の山奥で、有機農業や自然農法のみなさんの産品の販売を手伝って、当時は、本当に一部の人たち以外からは見向きもされず売れなかったのだが(農協では扱ってくれなかったしね)、自分たちで販路を開拓しながら続けていた。その苦労の一部も体験した。

その生産者たちが、原発事故の後、食の安全と安心に関心が高かった顧客である人たちに見放されてきた。これほどの理不尽はないという経験をしているわけだ。確かに原因は原発事故にあるのだが、東電と政府を告発しているだけでは、たちまち食うにも困り、自分たちの生活もここまで育てた農業も展望が開けない。すぐの自分たちの生活のためにも、「一人ひとりが考えていく心と、できることを伝えていくことを 共有」していく取り組みが必要になっている。そういうことだと思う。

この災いから一歩進んで、より望ましい未来の食と農業のために、とりわけ都会の消費者はもっと生産者と一緒に真剣に考えるときだろう。これまで、生産者と消費者のあいだの隔たりは、あまりにも大きすぎた。安心も安全も信頼関係ではなく、カネで片付いていた関係が、たいがいだった。安心や安全は、カネではなく、信頼関係で築くものなのだ。そのためには、自分が食べているものが、どういう人たちによって、どう作られているかを、より直接的に知ることだと思う。

ってことで、2月3日のトークも、よろしく~。

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