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2013/02/24

NHKの番組のため古墳部活動。

18日(月)は、古墳部活動だった。とはいえ、NHKの「ビギン・ジャパノロジー」という番組に出演するもので、とはいえ、ふだんの古墳部活動のように自分たちのペースで勝手に楽しんでしまったのだ。

002最初は、このブログの古墳関係の記述を見たNHKの担当さんから、おれにメールがあった。古墳なら古墳部長のスソアキコさんだろうと、そちらにふった。しばらくしてスソさんから、話しがまとまったから、ついてはまいどの古墳部の顔ぶれ、瀬尾幸子さんとおれも一緒に出演できないかと話があった。収録の日は決まっていたが18日で、ちょうど忙しい最中だったけど、この日だけ空いていた。っていうイキサツがあって、9時45分に三鷹駅集合でロケ車に乗ることになった。朝から雨模様で、ロケが出来るかどうか危ぶまれた。

巡る古墳は、おれは初めてのところばかり。だけど、たぶん、いつものようにスソさんが資料を用意してくれるだろうと思い、なんの予習もなしに行った。スソさんは、やっぱり、すごい資料を作ってきて、三鷹駅の売店でコピーして、おれたちに渡した。な、なんと、A4で12ページ!もう熱中ですね。

目的地は、三鷹市の天文台近くにある「出山横穴墓群」と狛江の古墳群だ。これらは、支流の野川や仙川なども含めた多摩川沿いの古墳群になるのだけど、スソさんは多摩川台の古墳群がある下流域から、秩父山地、陣馬山などに連なる上流域の古墳群まで、しっかり書き込んだ地図と、100はあるといわれる狛江周辺の古墳群の詳しい地図、さらに野川中流域の3D地図に出山横穴墓群などを詳しく書き込んだもの、出山遺跡がある大沢地区の遺跡のリストと年代、出山遺跡から出土した縄文後期の13ℓ(一升瓶7本分とスソさんの解説がある)の大型注口土器の写真と説明など、とにかくこれだけ見ればすべてわかりそうな念の入った資料。これはもう、NHKのためというより、いつもの古墳部活動のため。いやあ、まずはこの資料に驚いた。スソさんの熱中がありあり。

052本当は16時ごろまでかかる予定だった。だけど、昼頃に雨が本格化する予報なので、それまでにポイントだけ撮ってしまおうと、ディレクターさん、カメラさん、音声さんと一緒に移動。

横穴墓は、古墳時代後期、前方後円墳が後退するのと入れ替わるように、出現する。たいがい川沿いの崖に穴を掘ったものだ。出山横穴墓群は野川中流域の、天文台近く、野川を前にした、いかにも古墳がありそうな丘の崖にあった。その麓の入口で、ロケ車を降り、おれたち3人はマイクを装着され、勝手なことをしゃべりながら歩く。カメラさんと音声さんが、それを撮る録る。ディレクターさんが、ときど何か言う。

横穴墓群のなかの8号墓が見学できるように公開されていた。そこまで少しだけど、遊歩道を登る。少しだけど息が切れる。古墳部活動は、けっこう運動になるのだ。

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コンクリートで囲われた「見学室」は、暖房が効いていて驚いた。ガラスごしだが、まんま見える。4体の人骨レプリカが見える。なかは意外に広く、4畳半ほど。石が敷き詰められ、その上に、とくに向きなど関係なく、4体の遺骨があった。きれいにドーム型に掘られた天井も意外に高く、生活ができそう。形がしっかりしていて、遺跡や遺物を見て、いつも思うことだが、古のひとたちは、もしかすると、生き抜くために、現代人より合理的な思考を持っていたのではないかと思うことが多い。

スソさんの資料には、スソさんのイラスト入りで、「横穴墓の構築手順」「横穴墓に埋葬された人々」「横穴墓で発見された遺物」があった。さらに「おまけ」のページがあって、それは一体の骸骨の、上顎に穴が開くほどの歯周病や虫歯にやられた有様の写真入り。この解説が面白かった。つまり、身分が高かったので、虫歯や歯周病になりやすい米など柔らかいゼイタクなものを食べていた可能性があるということなのだ。かなり痛くて苦しんだはずであると。さらに「おまけ」には、ほかの横穴墓にもあった遺骨の、推定死亡年齢や身長などのリストもあった。とにかく、スソさんは、スゴイ。

0738号墓は横穴を掘るに都合のよい丘の崖の中腹にあるが、さらに遊歩道を登ると、大型注口土器が発見された縄文遺跡があった。丘のテッペンあたりに、まず縄文人が住み着いたのだろう。弥生時代には稲作と畑作になるから集落は平地に移り、周辺のいまや住宅街になっているあたりで、古墳時代の集落もそうだろう。雑木の林が気持よい丘の上から、現代の様子を眺めて、しかし、それほど遠くはない縄文から古墳の時代を感じた。だいたい縄文遺跡や古墳がある場所は、眺めもよく気持のよい場所なのだ。そういう気持よさを感じるのは、現代のひとも古のひとも同じに違いない。

おれたちは、あれやこれや勝手にしゃべり、ときにはディレクターさんの質問に答えたり。しかし、マイクが装着されているのを忘れて、「早く終えて飲みに行こうよ」とか「腹がへった」など、余計なことも話して、それが全部筒抜けなのだった。でも、おれたちはひとの悪口を言うような人間ではないので、ディレクターさんの悪口を言ったりということはなかった。と、思う。

詳しく書いていると、スソさんの資料総動員になるので、やめて次の狛江古墳群へ。狛江には「狛江百塚」といわれるほど古墳があったが、多くが消失し、現在確認できるのは25ぐらい。移動の最中に、ときどき雨が強く降り、早く終わらせようという機運が、強まる。

0794ヵ所ほど巡る予定だったが、2ヵ所にってことになり、まずは兜塚古墳。狛江駅から10分ぐらいの、「高級」というほどではないが、洒落た家の多い住宅街のなかにある。南向きの道路を通して、多摩川に向かっての傾斜地の上の方だとわかる。やはり、古墳は、眺めのよい気持よいところに造られているし、現代人にとっては、かっこうの住みよい場所になるのだ。兜塚古墳は、これもスソさんの資料によれば、直径30m、高さ4m、6世紀中頃。古墳のテッペンに立つと、何も無いが気分がよい。出来た頃は、ここから多摩川や川原が見下ろせたに違いない。

087二つ目は、もっと駅に近い経塚古墳。直径40~42m、高さ5m、5世紀後半。周溝もあったと見られるが、ここは片側は道路、両側はマンション、もう片側は駐車場にザックリ削られ、ほとんど原型をとどめていない。高さも削られているようだった。それでもテッペンは気持がよく、なんだ高いところが好きなだけか、というような感じだが、土にふれてみると、古墳の上の木の枯葉が積もって出来た土だから、いい土だ。その気持よさかも知れない。この土の感じは、古から同じか似たようなものだろう。ここでひとしきり、ディレクターさんがくりだす、なぜ古墳なの?って感じの質問に、3人であれこれ答えた。いろいろ言い方はあるけど、ようするに、古と交信しながら、いまを、自身を、確認しているのである。

ちょうど雨脚も強まり、急いでロケ車に乗り込み、これにて終了、食事をすることになった。食事のあと狛江駅まで送ってもらい、制作のみなさんと別れ、おれたち3人は新宿へ。

まだ14時ごろだったか。さあ飲むぞと、乾杯。そうそう、おれだけ、すでに狛江の食事のときにビールを飲んでいたのだった。

スソさん帰り、瀬尾さんとおれは、もう一軒。さらに18時ごろ、もう一軒と開店早々のバーに入り、ここで21時半ごろまで飲んで、ようするに、酔っ払った。酔ったので、東大宮に着いて、ちゃぶだいに寄ってしまい、泥酔ヨレヨレ帰宅だった。

本当は、もっといろいろなことを話し合い、重大な「告白」もあったり、いろいろなことを考えて、今日になっても、古墳にふれた刺激がおさまらず、あれこれ妄想しては興奮し、調べている。大きくは「日本人」といわれるひとたちは、どこから来て、どこへいこうとしているのか。小さくは、おれはどこから来て、どこへいこうとしているのか。そして、いま、『オオカミの護符』(小倉美惠子、新潮社)を読んで、興奮している。

この番組は、海外に向け日本の文化を紹介するNHKの国際放送とのことで、国内向けにはBS1だったかな?で放映されるらしい。4月28日の予定とか。古墳を紹介する30分番組のうちの、われわれはほんの少し登場するぐらいだろう。ま、古墳部活動が面白いのであり、放送のことは、どうでもよいのである。

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