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2013/04/30

どうしてぼくたちはすれ違うのか ―― 社会学者が語る、震災後の断絶の乗り越え方 開沼博×五十嵐泰正。

2013/04/06「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれ。」に、去る2月3日(日)、雑司が谷「みちくさ市プレイベント」で開催された、わめぞ主催の『みんなで決めた「安心」のかたち』出版記念トーク。13時半から17時まで。ホストは著者の五十嵐泰正さん。1部のゲストは開沼博さん、2部のゲストはおれだった。その内容が、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった。なぜか、1部はまだで、2部の五十嵐さんとおれのぶんだけだけど。と、書いた。

順序が逆になったが、今日、その1部の対談が、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった。タイトルは「どうしてぼくたちはすれ違うのか ―― 社会学者が語る、震災後の断絶の乗り越え方」
http://synodos.jp/fukkou/3629

いやあ、読み応えがあります。トークを聴いていた時より、より鮮明というか。とにかく、じっくり読もう。

これは、原発をどうするかの議論ではない。これまで、反対だろうと賛成だろうと、原発と暮らしてきた社会がある、その社会を、どうするかのことなのだ。

そもそも、今回の原発災害は、それ以前から、つまりは原発が出来たころから抱えていた、さまざまな問題を一挙にあからさまにした。「断絶」は、原発事故から始まったのではなく、その前からあった。そこに関わることなのだ。

だから、この対談を、原発や東電について、どう語られているかというモノサシでみると、最初から間違ってしまうだろう。

それはともかく、五十嵐さんは、どんどん「際」に踏み込んでいく、面白い人だと、あらためて思った。「書斎派」だろうと「現場派」だろうと、専門家や学者というのは、そのテリトリーを踏み出そうとはしない方が多い。そこから、弾を撃つ。自分の枠組みに合わない話は、最初から気に入らないらしい。自分の枠組みにあう根拠を提出せよと「批判」する。すでに、この五十嵐さんと開沼さんの対談に対する批判をツイッターで見ても、そういう印象がある。

原発災害は、いろいろな「際」がからむ大問題であるはずなのに、意外や、「原発どうする」「東電どうする」に短絡するのは、専門家や学者にも、めずらしくない。それは、原発災害を拡大している官僚のテリトリー主義と、たいして差はないように思う。表裏のように見える。

もちろん、原発どうする、東電どうするも、大きな課題だけど、それは自分の生活の一部であったことから考えないと「他人事」になってしまう。原発は生活の一部だったからこそ、その事故が、これほどまでに生活を脅かしているのではないのか。その生活から考えたとしても、「当事者」として当然だろう。そこを飛び越えて、ただちに「反原発」だけを叫んでいれば、自分は「当事者」であるかのような言論に、おれは違和感を感じる。

もっと、「際」に踏み込まないと、この、これだけ複雑に生活の細部に入り込んでいる問題の解決は、ますます困難になるような気がする。

五十嵐さんは、社会学者だ。面白いのは、社会学者でありながら、マーケティングに踏み込む。この逆は、割とよくある。誰と名をあげないが、著名なマーケティングの現場の「理論家」が、社会学者のような顔をする。そういう意味では、なんだかマーケティングという「実学」は、社会学より低い位置にあるという勝手なコンプレックスが見られて、カワイイ。しかし、社会学は、マーケティングほど、単純ではない。いや、それぞれ、単純な面と複雑な面が違うのだ。

そもそも違うのに、踏み込むのは、そこに「際」があるからで、自分のテリトリーだけでは、現実の浮世はどうにもならないからだろう。

はあ、酔って話しがズレている感じがするが、おれは五十嵐さんと話していて、面白いのは、この方は、社会学者なのに、気取らずにマーケティングに踏み込むということなのだ。いってみれば、純文学者が、大衆小説に踏み込むようなもの。それでいて、社会学者なのだ。

このあいだの対談も、おれとしては、五十嵐さんはマーケティングに踏み込みすぎじゃないかなと思いながら、でも、そこにあるのは、社会学もマーケティングも考えなくてはならない、どちらからも「専門外」として取り残されてきた、「際」が見えてくるのだ。

今回の五十嵐さんと開沼さんは、同じ社会学者の対談だけど、その取り残されてきた「際」に踏み込んでいる。それは「理論」と「実践」の「際」でもあるだろうし、さまざまな「断絶」にある「際」でもあると思う。

「際」は、タテ割りが硬直化し「専門バカ」が弊害視された、70年代初頭、「学際」といった言葉が流行したが、一方では、より「狭い視野」ともいえる専門化と細分化がすすんだ。それは、原発が、社会のずみずみにまで深く浸透していく過程でもあった。いま、そのことを思い出す。その弊害が、あちこちに噴出しているように思う。

その「際」を「壁」にするのではなく、「際」に踏み込みあいながら、もっと語り合うことで、すれ違いを少なくしていくこと。

最後になったけど。『SYNODOS-シノドス-』に2回にわたって掲載の文章は、トークの録音から構成したものだが、もちろん当日も会場におられた、山本菜々子さんという若い方の手による。おれの話などは、あっちこっちテキトウにとびまくり、話しているほうも何を話しているか混乱しそうなことを、うまく構成してまとめてくださった。五十嵐さんと開沼さんの対談は、高度な論争的内容で、専門用語もあったりだったけど、よく内容を把握されて、構成している。彼女のおかげで、いろいろな方に読まれるようになったと思う。あらためて、お礼を申し上げたい。

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2013/04/29

『大衆食堂パラダイス!』の幸せ。アマゾンにレビューとコメント。

『大衆食堂パラダイス!』は11年9月発売だった。もう1年以上が過ぎ、売り上げは低迷で、重版はありえないだろう。かといって失望もなく、もちろん胸躍ることもなく、淡々と日は過ぎていく。

それでも、ときどき、アマゾンをのぞく。のぞいても、何も変わったことはない。いや、少しずつ「いいね」が増えて「8」になったのは、いつのことだったか。ありがたいことだ。

ありがたいといえば、港町奉行さんのレビュー。自分でもこうは書けないと思う、熱いレビューが、燦然と輝いているのみだった。もう新たなレヴューの投稿もないだろうと思っていた。

ところが、なんと、いましがた見たら、去る26日に、レビューを投稿された方がいたのだ。「一市民」さん。すごく、うれしい内容。

おれの本のレビューは、書きにくいと思う。それは、港町奉行さんのレビューに寄せた一市民さんのコメントが物語っている。

「とりとめのない本書の魅力を簡潔に捉えられた名レビューだと思いました。
こちらのレビューを参考に本書を知り楽しみました。有難うございました。」

これ、本来は、おれが港町奉行さんと一市民さんにするべき、感謝のコメントのようだ。そう、「とりとめのない本」であり、レビューは書きにくいと思う。 ほんとうに、書いて投稿してくださった方には、感謝しかない。

よくおれと一緒に飲む野暮連のやつらなどは、飲んで騒いで楽しんでいるだけで、レビューなど書く気もない。だいたい、レビューが書けるほど、ちゃんと読んでいるかどうかもアヤシイ。と、あいつらに恨み言を述べている場合じゃないな。

おれの本のレビューは、書きにくい。以前にも、何人かの方に言われたことがある。「とりとめのない本」なのである。

それは、半分意図的に、半分は結果的に、おれがイメージしている話しの構造に、「ラーメン構造」のようなものを志向していることによる。もっとわかりやすい構造にまとめればよいのに、そうはならない。それなりの「事情」があるのだが。

その話しはともかく、そういう「とりとめのない本」に、ありがたいレビューをよせていただき、これだけでも、この本を出した甲斐があったと、しみじみ幸せな気分になったのだった。本を出して、こんなにうれしいことはない。

とくにおれの本などは、ケチをつけるつもりになって見れば、いくらでも瑕疵はある。だいたい、とりとめのなさだって、そうだ。これだけしっかりしたレビューを書く方は、そこを、こえてのことであり、広い世間には、すごい人たちがいるなあと思うのだった。

おれも見習って、もっとよくレビューを書けるぐらいの読書力を身につけよう。ま、まずは、もっと本を読まなくてはいかんのだが。どうも、酒の方が優先になってしまい…。と言いながら、いまから、存じ上げないお2人に感謝を捧げる酒を飲もうと思っているのであります。

港町奉行さんと一市民さんには、ただただ感謝だ。ありがとうございました。

アマゾンのレビューを、ご覧ください、こちら

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2013/04/28

悩ましいプレスハムとチョップドハム。

東京新聞「大衆食堂ランチ」7回目、稲荷町・田中食堂に、「1970年代ごろまでは「ハム」といえば外側が赤い「プレスハム」が普通だった。近年は「チョップドハム」に分類されるようだが、昔の人間にとっては「ハムカツ」といえばこれでなくてはならない」と書いて、「チョップドハム」という呼び方を初めて使った。

しかし、これが悩ましい。自分では、実際には、見分けも、味も、区別がつかないのだ。いやいや違うか。見分けは、なんとなくわかる。チョップドハムは、つなぎが多いから、切ったときに、のっぺりとした面積が多い感じである。食べたときも、舌触りに、のっぺりした感じが残る。それは、スライスして、過熱する前の状態の場合だ。

焼いたり、揚げたりで、これに熱を加えると、脂が溶けて広がるから、つなぎとの境目が化学的にも物理的にもアイマイ化がすすむ。この状態で出されると、判別の自信がない。もちろん、焼いたのだろうと、ハムカツだろうと、プレスハムとチョップドハムを一度に食べ比べれば、わかるのだろうが、やってみたことがない。

チョップドハム自体が、もう一つはっきりしないこともある。プレスハムは農水省の日本農林規格にあって、次のように定義されている。
http://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0000996.html

プレスハム 次に掲げるものをいう。
1 肉塊を塩漬したもの又はこれにつなぎを加えたもの(つなぎの占める割合が20%を超えるものを除く。)に調味料及び香辛料で調味し、結着補強剤、酸化防止剤、保存料等を加え、又は加えないで混合し、ケーシングに充てんした後、くん煙し、及び湯煮し、若しくは蒸煮したもの又はくん煙しないで、湯煮し、若しくは蒸煮したもの
2 1をブロック、スライス又はその他の形状に切断したもの

チョップドハムの規格はない。この規格に合わないものがチョップドハムなのだ。

播州ハムの「ハム・ソーセージなんでも相談室」には、こういうQ&Aがある。
http://www.ham.co.jp/un4-b.htm

Q) チョップドハムとはどんなハムですか?(木曽様ほか)
A) 昭和20年代に、畜肉(当時はマトンや馬肉)をつなぎでくっつけたハムとソーセージの中間的な製品・プレスハムが誕生しました。(日本のプレスハムは欧米のPressed hamとは別の我が国独特の製品です)
その後、プレスハムの規格より肉塊が小さく、つなぎの割合が多い商品がでて来るようになり、これをチョップドハムと称するようになりました。(欧米にもチョップドハムという名前のハムがありますが日本のものとは別のものです)

ようするに、チョップドハムは、プレスハムの規格外製品ということなのだ。近いけど違うもの。どちらも、魚肉ソーセージのようにフイルムのケーシングによる製法。混ぜ合わせ調味した材料をフイルムのケーシングに詰め、過熱し固めたもの。

こういうのは、なかなか区別が難しくて、困る。規格で数値化できるのは、つなぎの占める割合と、肉塊の大きさだ。これで、味に特徴が出やすければよいのだが、味は肉塊の種類や品質にもよるから、その混ざり方で違いがあるだろう。だけど、製法上は、その違いがあまり出ないように、調整しているはずだ。つまり、味は調整によって決まる。合成された味だ。

これはもう、加工食品の宿命で、「生ハム」のほうが上等だし旨いといったところで、塩分が強すぎて、それほど肉の味がしないものだってある。ロースハムにしても、そう。

とにかく、調理したチョップドハムとプレスハムの味の違いを、一度シッカリ確かめたいものだと思っている。自分で区別が、ちゃんとできないまま、取材で聞いて、「これチョップです」といわれて、「そうですか」で書くのは、どうも面白くない。

ま、加工製品の味を全部判別するのは至難のことだとしても。この二つの違いは、どうも気になる。

チョップドハムだろうとプレスハムだろうと、いわゆるいまどきの「ハム」と違って、「かむほどに、塩気を含んだ、何の肉とはいえない混合の味と衣が混ざり合い複合し、不思議なうまい味わいを生む」。そこが面白い。これはこれの旨さで、なかなか捨てがたい。ジャンクといえば、ジャンクな味わい。

そして、味覚的には、どちらも「プレスハム」でよいではないかと思ったりもする。

はっきり区別がついて、判断できるひともいるだろうが、おれは、こんなぐあいに、悩ましい状態なのだ。

料理人でも、チョップドハムは知らないで、どれもプレスハムと思い込んでいるひとも少なくない。さて、このハムエッグのハムは、チョップドハムとプレスハムのどちらでしょうか。

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2013/04/27

味覚と料理の文化と観念と言葉と文体。

2013/04/24「大衆食ってのは「うりゃぁぁ、とノリで作る」もの。」に書いたように、本の原稿は着々とすすんではいるのだが、今回は、これまでになく考えることが多い。

それは、やはり、原発災害による食品の放射能汚染問題があるからだ。もちろん原発災害は、いろいろな大きな問題をあからさまにしたのだけど、やはり食べることは生きる根幹だということを、先鋭的にあからさまにした。

あの3月11日の震災以後、飲食に関わる仕事をしているものにとっては、これを避けて通れない状態に置かれていると思う。

ところが、不思議なことに、そうでもない傾向も見られて、それが、やはりといおうか、文筆で飲食に関わる人たちに顕著のようだ。そのあたりは、飲食の生産や流通に関わる人とかなりちがう。じつに気楽のようだ。

このブログでも何度もふれている、『みんなで決めた「安心」のかたち』を読めば、コトは言葉と思考と論理つまり文学が深く関わる問題だということは、ハッキリしている。しかし、食品の放射能汚染問題をめぐっては、「文学系」の声は、あまり聞こえてこない。

そのへんは、近頃の「文学系」は、やはりそんなものかと思ったりするが、あるいは「理系」の問題と思っているのだろうか。とにかく、結果的には、「うまいもの話」はできても、この問題に分け入ることができないでいるように見える趨勢だ。

ま、だからこそ、「『いいモノ』食ってりゃ幸せか?」が、テーマになりうるのだけど。そして、『みんなで決めた「安心」のかたち』の柏の人たちは、自分たちの言葉と思考と論理で、「安心」のかたちを求め築いてきた。

そういえば、この本については、たくさんの評や紹介があったが、「文学系」の「作家」によるものは少ない。おれが知っているところでは、森まゆみさんと荻原魚雷さんぐらいだ。

それはともかく、いま書いている本の原稿も、一番根底に、「『いいモノ』食ってりゃ幸せか?」があって、70年代以後の食文化、なかでも味覚と料理の文化を中心にしている。いまに続くこの時代ほど、「いいモノ」を求めて騒がしかったことはない。尋常でないと思う。

資料を読みながら、やはり気になるのは、食品の放射能汚染問題をめぐって、「書くこと」に何が問われているかってことなのだなあ。「食べる」ことが「生きること」なら、これほど、両方が一緒に大きな問題になったのは、敗戦以来だろう。

江原恵さんが、1974年の『庖丁文化論』で「このへんで、料理を通人ごっこの話題にまかせっぱなしにしておく態度を改めて、われわれはもう少しまじめに問題を取り上げてもいいのではないかと提言しておきたい」と書いているのだが、それ以後、むしろ、食べ歩きや食通談義が、「異状」なほど流行して、コンニチにいたっている。それと、食品の放射能汚染問題をめぐっての、不信や亀裂の深まりは、無関係とは思えない。

食品の放射能汚染問題をめぐって「書くこと」は、その問題そのものを語っているかどうかが基準なのではない。おれも、あまり、直接的にはふれてない。どこまで考えているか、ということだと思う。その結果が、仮にエンターテイメントな食を書く場合でも、あらわれる。

そういうことが、まだ続いているし危機は終わってない、この災害を忘れないためにも大事なことだろう。「原発はんた~い」「放射能こわいぞ~」と、のべつまくなし言っていればよいという問題ではないのだ。

それは、このあいだ、山崎邦紀さんが監督したピンク映画を観たあと一緒に飲んで、彼の映画の作風というか、これまでの作品と変化があったことについて、なぜ?という話しになったとき、かれが話したのは、原発災害のことだった。かれの実家は福島で、直接的な被害にあっている。その実家に何度か帰りながら、彼は考え続け、この困難の先を見続けた、それで、どういう考えに至ったかなどを話し会った。

二人とも泥酔しながらで、うまく言えないが、そういうことだよなということになった。うまく言葉にできないが、とてもよい大事なことだと思った。そういうことが、原発も放射能も関係ない、裸の女が尻をくねらせるピンク映画という娯楽の映像にもあらわれるものなのだ。原発災害が、忘れるとか忘れないというレベルをこえて、血肉化したのだ。そこで大事なのは、この困難にキチンと向かい合い先を考え抜くということだったように思う。

おれは、前回の『大衆食堂パラダイス!』から、文章について、少しずつオベンキョウしながら考えている。成り行きでフリーライターになって以来、始めてのことだ。それが、今回ますます、大事になっているなあ、と思っているのだが、これまであまり本を読まなかったりの不勉強がたたり、なかなか言葉と文章の問題を解決するのが難しい。とにかく、考え続けるなかに、なにか生まれるだろう、てなことですすむ以外ない。

ようは、なるべく凡庸な文章で、本質にせまりたいということだろうか。別の言い方をすれば、文体での勝負は避けるということになる。

イーサン・ケイニンが断言した「文体というものが表に出なければ出ないほど、その本はより真実なものになる」が、おれの頭の中を占めている。

「本」を「文章」に変えても同じことだろう。とくに、原発災害をめぐる、さまざまな文章に接するたびに、このことを強く思った。とくに「文学系」の人の発言は、文体に頼って、内容がない傾向が目立った。ようするに調べぬいたり考え抜いたりしてないで、手馴れた文体で勝負しているのだ。

文体を、わが身のように大事にするのは「文芸」としては必須のようだけど、真実については、それほど大事ではなく、その文体を必要とする自分の「観念」のほうを大事にしているように思える。

飲食の話しは、書くほうも読むほうも、とかく文体に流れやすい。読者は、飲食の真実より、文体で「いい気分」になりたいからだ。書くほうも、それを知っていて、文体に工夫する。売れている作家は、たいがいそうである。その過程で、お互いに「飲食の真実」なんてものからは、遠ざかる。

しかし、凡庸な文章で、「飲食の真実」なんて語っても、相手にしてくれる人は少ないだろうなあ。
うへへへ、またもや、売れない本になるのか。

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2013/04/25

うどん×蕎麦。違いがわかる男。

『dancyu』4月号うどん特集の取材で、以前から気になっていた、うどんと蕎麦の文化の大きな違いについて、ますます気になるばかり。

取材のときも、うどん屋のみなさんは、「うどんは蕎麦と違って、決まりごとなんかないんです、気楽な食べ物なんです」てなことを言った。『dancyu』うどん特集の扉エッセイでも、北尾トロさんが、「蕎麦道、ラーメン道というものはありそうだが、うどんに道は似合わない」「うどんは極めるものではなく、とても日常的な食べ物だ」と書いたりしているのである。

蕎麦は、なんだか神秘的で神々しい、堅苦しい。別の言い方をすれば、もったいぶっている。なんだか、例の伝統的流派の「日本料理」のようでもある。じつに、ペダンチックなリクツと精神によって飾られている。それは、たぶん、「極めるもの」なのであって、生活ではないからなのかも知れない。

ウィキペディアの「蕎麦」には、「歴史は古く、寿司、天ぷらと並ぶ代表的な日本料理である」というぐあいだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6

寿司、天ぷら、日本料理を持ち出して、うどんの姿はなく、うどんより「格が上」なんだぞ、と言っているように見えなくないのだが、そう見てしまってはいけないのだろう。でも、そう見える。ついでだが、伝統的流派の日本料理は、寿司も天ぷらもうどんも蕎麦も、日本料理とは見なしてこなかった。

しかし、不思議なのだ。

そもそも、うどんも蕎麦も同じ日常の食べ物だったはずなのだ。実際、おれがよくいく秩父の山奥の家では、両方とも長いこと「主食」だったし、おれが行くたびに、うどんも蕎麦も、その家の人が打つ。そこには、どんな差もない。かつては、そうだったはずだ。

そういえば、前に、リッチ庶民のエルが、自宅に山形の出前蕎麦打ちに来てもらって、打ち立てを食べるという宴会をやったが、そのときの蕎麦打ちは、ナントカ流を名乗っていて、蕎麦打ちにも流派があるのを初めて知って驚いたのだった。

いつから、うどんと蕎麦に、そんな違いが生まれて、片方は、なんだか神々しいものになってしまったのか。これは、もしかすると、日本料理の二重構造と関係があって、うどんと蕎麦の関係から、その二重構造が、もっと見えてくることがあるんじゃあるまいか。と、考えて、気になっている。

そんなことだから、きのう、「うちは、いつでもお茶が飲めるようになっている。緑茶かほうじ茶。これが、いいんですなあ。一段落して、やれやれという感じで、今日のような肌寒い日は、茶碗を両手ではさんで一呼吸、しかるのちに飲む。まさに、いっぷくの幸せ、という気分。もう何十年も、家ではコーヒーを飲んだことがない」とツイートした流れで、思いついて、このように、つぶやいた。

「お茶やうどんが好きな人、おおらかな人が多い。コーヒーや蕎麦が好きな人、神経質な人が多い。ってわけるのは、無理がありすぎるか。いや、体験的な感じだけど」

お茶とコーヒーは、うどん×蕎麦にとってつけたことで、思いつきの話しのネタだったのだが。思わぬ反応があった。

Aさん「珈琲蕎麦好きですが、神経質かな?って、反応するのは、やはり、神経質ですね」とか。

Bさん「意識してうどんとお茶を摂取したら…変われるかもしれないと思いました」とか。

Cさん「全部好きです♪(笑)」とか。

Dさん「ずぼらかつ神経質な僕は、お茶とうどんと蕎麦が好きです(^^)(←聞かれてない)」とか。

で、おれも返信したのだけど、略。

そしたら、Aさんが、こんどは「珈琲は違いが分からないといけないと、CMの刷り込みが子どもの頃からありますからねえ(笑)」と返信。ネスカフェ・ゴールドブレンドのCMの件だ。

で、おれがまた「「違いがわかる男の」なんて、女は、どう思っていたんでしょうね。おれは、どのみち、違いどころか旨さもわからないまま」と返信。

するとしばらくして、 経過をご覧になったらしい別の方から、こういうツイートがあった。

蕎麦珈琲神経質説 楽しく読みました。もひとつ感じるのが、蕎麦 珈琲は「違いのわかる男」振るのに丁度いいんじゃないかと。価格帯とか、腹一杯にならない加減とか、老舗の存在とか、うんちく垂れるにはいろんな意味でちょうどいいのかも。— ♪みどりpiyopiyo♪さん (@midori_piyopiyo) 2013年4月24日

おお、これは、なかなか面白い。で、おれは、こうつぶやいた。

「「違いのわかる男」がウンチクをたれる条件と、それに適合した食べ物。って感じかな。いろいろありそうだ。ラーメンやカレーは、腹一杯になりそうだが、若いうちは、そうでもないか。」

うん。いま考えても、「「違いのわかる男」がウンチクをたれる条件と、それに適合した食べ物」があるような気がする。理論的にはともかく、切り口としては成り立ちそうだ。

それにしても、蕎麦はこれに適合して、うどんが適合しないのは、何故かということは残るのだが。うどんは、「違いがわかる男」のイメージでないかも知れない。凡庸なイメージで、芸術性や、粋や、スマートさや、エッジに欠けるから、とか?

とにかく面白い。そもそも、男の「食通」だの「グルメ」、ま、「粋」なんてのも含まれそうだが、「違いがわかる男」を自慢しあっている、可愛い道楽といえるか。「違いがわかる男」ぶっているのが多いから、CMのキャッチにもなったのだろう。

と、言っていられない状態が、昨夜は別のツイートであったようだ。おれは、ここまでの段階で寝てしまったのだが、今日、ツイッターを見たら、先の♪みどりpiyopiyo♪さんが、このようなツイートを残していた。

「昨日未明~今夜の @takinamiyukari さんの「マウンティング」の話と、さっき @entetsu_yabo さんと交わした「『違いのわかる男』がウンチクをたれる条件と それに適合した食べ物」の話が面白かったので、今夜は 寝ている間に記憶が整理されて新理論が確立しそうです」

@takinamiyukari さんとは、漫画家の瀧波ユカリさんのアカウントで、女のマウンティングをめぐって、なにやらいろいろあったらしいのだ。

マウンティングは女だけじゃなく、男もすなるわけで、それも男のは陰湿で怖いといわれることもあるぐらいだ。なにしろ、権力を持っている場合が多いからね。

とうぜん、そこには、「違いがわかる男」の争いもある。「これについては、おまえよりおれのほうが上だぜ、本物だぜ」とか。「おれは、あの店へ365回通った、どうだ」という類から、そりゃもう、始まるとすごいことになる。ま、考えようによっては、ブログといったものも、なんらかのマウンティングなのかも知れないが。

ネットを見ていると、ときどき、某有名料理評論家と某有名料理評論家が、すごいマウンティングをやらかしていて、いやあ、公衆の面前で、よくやるなあと思ったこともある。

ネットなんか誰が見ているかわからないのに、なぜか自分の仲間やファンに見られているってことだけ意識して錯角しちゃうこともあるようだ。自意識過剰というか。取り巻きにかこまれて、いい気になって、自慢しちゃう感じの人もいるな。有名な作家でも、たいした有名じゃなくても、取り巻きや編集者にチヤホチャされて過ごしていると、裸の王様に近くなって、カンチガイしちゃうこともあるようだから。ニンゲンは、そんなもんで、マウンティングはニンゲンらしい行為ともいえるか。

ま、こうやって書くことは、すべて恥さらしと思っていたほうがよい。

話がそれてしまったが、「「違いがわかる男」がウンチクをたれる条件と、それに適合した食べ物について」は、さらに研究を深めよう。

当ブログ関連
2013/03/14
『dancyu』4月号うどん特集、エンテツ「うどん食堂」本日開店!で、うどんアレコレ考。

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2013/04/24

大衆食ってのは「うりゃぁぁ、とノリで作る」もの。

次の本の書き下ろしの原稿、今月の中間目標として100枚を設定し、今日の段階でどうやら達成できそうな見通しがたった。

70年代からの食文化を、なかでも料理文化の動きを中心に、ふりかえっているのだが、40年ものあいだに、ずいぶん大きな変化があったと、あらためて思う。

そもそも、40年前には、瀬尾幸子さんのような料理家は、メジャーなメディアで活躍する舞台なんかなかった。料理は、ハイソな、じつに観念的な概念(価値観)に支配され、そこに自分がどれだけ近付くかが目的だった。そこからすれば、大衆食なんざ料理じゃなかった。てんぷらも蕎麦もすしもである。

またあらためてわかったことだが、「新鮮」や「鮮度」ってことが、70年ごろから、実態も概念も、大きく変わってきた。いまたいがいの人が「新鮮」や「鮮度」と思っていることは、60年代ぐらいまでのそれとかなり違っている。そこには、「社会的認知」や「社会的合意」の変遷があるようだ。

そして、大衆食なんざ料理と認めなかった価値観も、60年代以前の「新鮮」や「鮮度」の概念も、姿を変えて、大衆レベルで生きている。そこがまあ、面白い。ある種の文化的なカラクリ、それはアコガレから陥りやすい文化のようだが。昔から連綿とあるのだ。

そういう文化的なアコガレのようなものには左右されないで、自らの生活感から料理をとらえている人も、昔から、いる。

たまたまツイッターで見つけたのだが、この方などは、そうだろう。

「瀬尾幸子さんの料理本は、簡単ちーぷかつ生活感があって愉しい。うりゃぁぁ、とノリで作る感じのモノをレシピ化するのは意外と難しいものだから♪ 大衆食かくあるべし。」

そのとおりだと思う。

ついでだが、「レシピ化するのは意外と難しい」ってことについて。この文には含まれない、もう一つの現実があった。

つまり、レシピに関しても、観念的な概念(価値観)に支配されてきたこともあって、瀬尾さんのようなレシピは受け入れ難いという「文化」も存在してきた。それが、難しい状況を生んできた。

そのへんは、近年の瀬尾さんの実績と、そのレシピをよしとする現実で、変わってきているようだ。いまじゃ、似て非なる類似が続々だ。

レシピは、価値観を端的に表現する。「レシピと、その生活思想の変遷」ともいえる検討を、そのうち誰かがやるに違いない。そう期待したい。

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2013/04/22

『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。

2013/04/06「「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれ。」に書いたように、2月3日の「わめぞトーク」、五十嵐泰正さんとの対談「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」は、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった。

それが最近、「朝日新聞社がお届けするウェブベースの新しい言説の空間」である『WEBRONZA』に転載された。
http://webronza.asahi.com/synodos/2013040500003.html

朝日新聞のほうが、やはり『SYNODOS-シノドス-』より読者層が幅広いようで、いろんな方がご覧になって、ツイッターで感想を述べられ、いまでも拡散している。

昨日は、
「「食」に関する「正しさ」を振りかざされた時、もやもやしてしまうのは何でだろう、この割り切れなさの正体はなんだろう、そんな気持ちに一つの回答をくれたコラム」
「読んでて楽しかった♪ あと、「うさんくさい」って言葉をここまで気持ちよく使えるひと 初めてみた笑!」
といったコメントも見られ、おれとしては、どちらかといえばアカデミックな知見からのコメントとは違う感想が、うれしかった。

なんというか、生活の実感からの感想というか。やはり食は生活だから、こういう感想はうれしいね。五十嵐泰正さんのような大学の教員である学者と、おれのようなアカデミーからは遠い下世話なフリーライターが対談することの意味や効果は、こういう広がりにあるのではないかと思った。ほかにも、「いろんな視点や示唆が含まれてる」というコメントがあって、とてもうれしかった。

「食べること」は、いつも「生きる過程」だから、いろいろな視点や示唆から考え続けることが大事だと思う。何かというと、結論だけを求め、結論だけを知っていればよいかのような風潮があるけど、それでは、情報誌やインターネットなどの情報に頼るライフスタイル、「マニュアル生活」や「カタログ生活」に陥りやすいと思う。

それに、たいがい、結論だけを求める人は、自分が好む「正しい」結論だけを求めるものだ。

食も生活も複雑になっているし、放射能災害をめぐってはとくに複雑な状況になっている。これまでの経験や知見からは、わからないことがはるかに多い。いろんな視点や示唆から考えることが、ますます必要になっていると思う。

東電原発災害のおかげで、すでに大切なものをたくさん失っている。さらにわれわれ自身が「被害者」として短絡的な結論を求めて、大切なことを失うような事態は、気をつけて避けなくてはならないと思う。

昨今の環境では、ますます何かの情報頼りの「マニュアル生活」や「カタログ生活」のようなわけにはいかない。そこからは短絡した結論しか出ない。面倒でも、いろんな視点や示唆を検討し、食生活の根本から考えていかなくてはならないのだな。

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2013/04/20

「めし」と「ごはん」とパン。

先日のエントリー2013/04/17「「うまい」と「おいしい」。」とも関係する。

「めし」と「ごはん」の使い分けも悩ましい。いつも「うまい」と書きたいように、いつも「めし」と書きたい。ところが、「めし」で通すには、わざわざ「米のめし」と書かないとアンバイが悪いことがある。

普通は、「ごはん」を「米のごはん」と書くことはない。「ごはん」は、いつも「米のめし」であり、それ以外は、ありえない。

2013/04/07「『四季の味』春号に初寄稿「快食快味、米のめし」。」のタイトルのように、「米のめし」でないと、どうもうまくいかないことがある。「快食快味、めし」では、どう考えてもアンバイが悪い。「快食快味、ごはん」でも、ダメだ。ってことで、このようになる。

その文の書き出しは、こうなっている。

「 「気取るな、力強くめしを食え!」を掲げ、庶民の快食を追求する私としては、やっぱり行き着くところは米のめしだ。」

というぐあいなのだ。この場合も、「やっぱり行き着くところはめしだ」では、イマイチ「米のめし」の感じが出ないうえ、語呂も勢いもシマリも悪い感じがしてこうした。

きのう、お題が「めし×パン」という原稿依頼があった。その趣旨説明に、「ごはん(めし)もの」という書き方をされていた。この場合も、「めしもの」より「ごはんもの」のほうがピンとくる。だけど、お題が「めし×パン」なので、このような書き方をされたのだろう。そして、確かに、お題は、「ごはん×パン」より「めし×パン」のほうがよい。

そのように、どうも「めし」では、アンバイが悪いと思われることがある。一つには、「めし」が「食事」を意味することがあるからかも知れない。それに歴史的にも、「めし」は、米のめし以外の、麦や粟など雑穀のめしもあった。だからこそ「ごはん」は「米のめし」以外はありえなかった。そういうことが無意識のうちに気になって、ここは「米のめし」とハッキリ断らなくてはいけないという気分になるのかも知れない。

しかし、文脈上、この「めし」の場合は、もう「米のめし」以外はありえないというときでも、「米のめし」にしないと、おさまらないことがある。これは、気分の問題なのかも知れないが、文章は気分も含むから、仕方ないのか。けっきょく、気分になるのか。

「うまい」と「おいしい」の間には、「うまい」は男ことばで下品、「おいしい」は女ことばで上品というツマラナイ関係があるように、「めし」と「ごはん」にも、「めし」は男ことばで下品、「おいしい」は女ことばで上品というツマラナイ使い分けを気にする人たちもいる。

なんにせよ、悩ましい。

そこへいくと、パンは、パンで単純明快だ。「ごパン」とかは書かない。「小麦のパン」という書き方は、あるのだろうか。日本では、ありそうだなあ。「米粉のパン」があるからなあ。そのばあい「米のパン」とはいわないのは、なぜだ。「小麦のパン」に対しては「米のパン」だろうし、「米のめし」に対してだって「米のパン」のはずだろう。なーんて言ってみたくなるのだった。

やれやれ。

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2013/04/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」7回目、稲荷町・田中食堂。

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今日は第三金曜日で、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の日だ。7回目で、地下鉄銀座線稲荷町駅、昔風にいえば下谷になるか、下谷神社近くの田中食堂のハムカツなのだ。すでにwebサイトで、ご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013041902000170.html

009まいどのことながら、新聞には外観の写真も載るが、サイトにはないから、ここに載せる。

下谷神社周辺は、戦災で焼けずに残った戦前の建物が多く残っている。関東大震災後に広まった銅版建築も、何軒かある。戦後の増改築で外観は、変わっても、中は以前の木造を残しているところもある。稲荷町の駅から田中食堂への途中の和菓子屋は、出入り口の戸も木枠のままだ。

田中食堂も、戦前の建物を、戦後の昭和20年代に、食堂の店舗部分を増改築して使っている。出入口はサッシに変わったが、窓などは木枠で、いたるところ手入れがゆきとどいているからだろう、疲れを感じさせない。

013001年季の入った木造ならではの風合い。天井は高く、神棚や扇風機が。鴨居の上には、「千躰荒神」のお札が貼ってあった。火除け台所の神様のお札は、品川・海雲寺の千躰荒神王のようだ。

東日本大震災の地震でもビクともしなかったという。古い神社の地底には大きな岩盤があって地震に強いという話しは、本当なのだろうか。

こうした食堂らしい、昔「プレスハム」今「チョップドハム」を使ったハムカツも年季が入っている。

じつは、ここでは、どの料理にするか、ずいぶん迷った。取材の日までに、3回行って、その前にも、とくに取材を考えずに寄って食べているし、あれもよい、これも捨てがたいと、一つに絞るのが難しくて、最後は、アジフライかハムカツかに絞り、やはり、アジフライは、ほかにも候補の店があるし、この年季の入った食堂で食べるには、このハムカツだろうと、決めた。文章もそのように書いた。

田中食堂とご家族は、2011年の、ちょうど大震災のころ発売になって、おれも巻頭エッセイを書いた『東京・横浜 百年食堂』の表紙の写真を飾っている。…クリック地獄

016大衆食堂の経営は、厳しい状態が続いている。目下の経済と外食市場の動きは、個人経営の大衆食堂あたりが、もっとも難しくなっているようだ。

街の個人経営の環境は、リーマンショック以後、好転するキザシもない。そのうえ、大衆食堂が「観光化」しているなんていう、客がわんさか押しかけているかのような話しがあると聞いたが、あるいは部分の針小棒大化なのか、悪質なデマに近い、なんのために、そのようなことを言いふらすのか理解に苦しむ。

大衆食堂の経営は、大衆酒場のように簡単ではない。ま、大衆酒場も、個人経営は簡単ではなくなってきているが。あるていど体力があるところと、そうでないところの差が、ますます出そうな気配だ。

個人経営のある街を、どうするのか、ビッグビジネスやビッグストアが仕掛けてくる心地よい空間に浮かれて飼いならされていくなかで、真剣に考えたいところだ。しかし、いまの流れでは、どうなるのだろうか。

けっきょく、インターネットだツイッターだフェイスブックだのといっても、ビッグに流れる力が、情報量としても増えるばかり。個人レベルでは、他人の瑕疵を探し出しては、貶めて、自己のオリコウそうな優位を画策する。そのドサクサもあって、ビッグは安泰だ。個人の力は弱い、ということを、痛感するばかり。

そんな中で、田中食堂は、「生きること、食べること」を考えさせ、潔い矜持を感じさせてくれる。

4人掛けテーブル、4台。お酒を飲む客が増えたので、早朝営業をやめ夜の営業を長くした。大事にしたい、長く続いて欲しい食堂だ。

まもなく5月の連休には、下谷神社の大祭がある。ここの屋台には、謎な食べ物「フライ」が出店するので、以前、ザ大衆食のサイトに掲載した。最近は行ってないので、知らない。…クリック地獄

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2013/04/17

「うまい」と「おいしい」。

いま書いている本の原稿でも困ってしまうのだが、おれは、「ありふれたものを美味しく」という表現をスローガンのように使っているが、それが「ありふれたものをうまく」にもなったりもしている。

本来は「うまい」なのだが、「うまく」になってしまうと、どうもうまく伝わらない感じがする場合があるからだ。

「ありふれたものを美味しく」の「美味しく」は、ほんとは「うまい」を意味し、「美味しい」や「旨い」や「うまく」を表現したものではない。と書くと、少しは、わかってもらえるだろうか。

「うまく」と「うまい」は、ずいぶん違う。

もう、なんだかややこしくて、いやんなっちゃうね。

おれとしては、世界と日本の言語学はともかく、「美味しい」は、舌の味覚のことであり、「うまい」は、もっと皮膚感覚も含めた、大げさにいえば、全宇宙的に生きている自分を感じる、広い味覚の表現として、使い分けたい。

つまり、「美味しい」には、「生命感」や「幸福感」といったものは含まれない。「うまい」には、幸福感も含め、「生きる」ことの喜びに通じる「食べる」ことの喜びが含まれる、といったぐあいに使い分けたい。

だけど、「ありふれたものをうまく」というより、「ありふれたものを美味しく」の方が、自分が伝えたい実感に近いので、困る。

それは、「うまく」のもつ、ことばのいかがわしさ、つまり「上手く」といった要領のよさが入り込んでくるような感じがあるからのような気がする。「うまい」には、「うまく」にはない潔さがある。

それにしても、「美味しい」を女ことば、「うまい」を男ことばとして、使い分けるくだらなさよ。

はあ、悩ましい。ひさしぶりに酔ってブログを書いているせいもあるのか、自分でも、よくわからない。

当ブログ関連
2006/10/04
「ガツン」と「旨い」

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2013/04/16

古墳の面白さを語りつくす古墳トーク、5月17日東京カルチャーカルチャー@お台場。

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はあ、古墳を楽しむにいい季節になりましたねえ。いまごろが一番よいですよ。蚊が出る季節になると、ちょっと困りますからなあ。だけど、しばらく古墳に遊びに行く余裕がない。

だからってわけじゃないが、ひさしぶりに、東京カルチャーカルチャー@お台場で、古墳トークをやるぞ!

『古墳めぐり』を始めたくなる古墳トークショーです「古墳にこーふんナイト」
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_130412204227_1.htm
大勢さんのご来場、お待ち申し上げます。

今回は、いや、今回も、おれは気合が入っている。なぜならば、2013/02/24「NHKの番組のため古墳部活動。」があって、そこに書いたように、大いにコーフンしたからだ。そのコーフンは、まだ持続し、ますます激しくなっている。

だから、この日のネタをもとに、話そうと思っている。古墳から、もっと、自分が生きている関東の風土を掘り起こす、すると、ああ、あれはそういうことだったのか、とかとかとか、いろいろ刺激的な発見があるはず。過ぎ去った昔のことではなく、いまに生きている古墳時代。文字文化がなかった時代だからこそ、ナマにふれる楽しさがある。

ついでだが、この放映は、4月28日の予定なのだが。ま、どうせ圧縮されて、登場したとしてもわずかな秒分だろうけど。

カルカルでは、4回目のようだ。相棒のまりこふんさんとは、たしか、そのほかに、スロコメ@下北沢で1回、さばのゆ@経堂で1回、古墳トークをやった記憶がある。だから、今度で6回目かな。上の画像は、カルカルで初めてのトークに使用した、スライドのタイトル画像。

スライドで「古墳でコーフン」とか「古墳にコーフン」とか使っていたら、いつのまにやら「古墳にコーフン協会」なんてのができているようだ。おれは関係者じゃありません。それぞれが、それぞれの楽しみ方で、楽しめばよいではないか。

1回目は、2010/12/22「やっぱり古墳はおもしろい、古墳にコーフンナイト。」…クリック地獄

2回目は、2011/04/25「古墳トーク大盛況御礼、泥酔し電車乗り越し。」…クリック地獄

3回目は、2011/11/28「墓も古墳も死生の妄想か、それとも一夜の酔夢か。」…クリック地獄

今回は、古墳部長のスソアキコさんの分までシッカリやらなくてはならない、と思っているのだが…まいどのように、出演者おかわり自由の生ビールをどんどん飲んで…なんてことがないように気をつけよう、と思っていても、飲み始めちゃうとわからないのだな。ま、大いに楽しくやろう。

最後は、埼玉県行田市にあるさきたま古墳群のなかの一つ、全長120メートルの稲荷山古墳の画像。たかだか地方豪族の1人ぐらいだと思うが、こんなデカイ墓を造った古代人ってのは、けっこうファンキーなやつらだったと思う。埴輪にしても。

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2013/04/14

海を見に行ったぜ。ひさしぶりだ。

海を見に行こうということになった。今日ではない。3月19日のことで、春の海を見たくなったというわけではないが、ときには海を見たくなることもあるさ。

海を見るのに手っ取り早いのは、東大宮から湘南新宿ライナーに乗って、湘南をめざすことだ。逗子行きで乗り換えなし。

鎌倉でめしを食べるところを探した。和風の押し売りか、イタリアンみたいなのばっかりだ。およびじゃないねえ。歩いているとあった、よさそうな食堂。入ってみたら、あれっ、初めての感じがしないぞ。おれが巻頭エッセイを書いた『東京・横浜 百年食堂』に載っている店だった。うまかった。

さあ腹ごしらえはすんだ。いざ鎌倉、じゃない、海へ、だ。江ノ電に乗る。人が多い。観光地だからなあ。七里ガ浜で降りたひとは少なかった。

海だ。海は生命のふるさとだぞ~、だから海を見たくなるのかなあ。

歩く。七里ガ浜から稲村ガ崎へ。

晴れ。風がそこそこ強いサーフ日和だった。サーファーがたくさん、波とたわむれていた。歩いていると汗ばむ陽気で、おれはTシャツ一枚になったけど、水はまだ冷たかろう、ウエットスーツってのかな、着て。バイクや自転車にボードを取り付ける「装置」を始めて見た。好きなんだねえ。

成長途上の鳩が並んで、海を見ていた。おまえの生命のふるさとも、おれとおなじ海だ。

国道沿いには、なんですな、色着きの貧しげな家並みが。こういうのを「湘南風景」というのだろうか。たいして感心しないが、見るひとによってはリッチなライフスタイルか、憧れるひともいるんだろうなあ。崖の上の空にトンビがとんでいたよ。

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稲村ガ崎をすぎ、長谷で海からわかれ、大仏さんに会いに行った。

ここに来ると、なぜか修学旅行の気分、おのぼりさんの気分ですねえ。ま、鎌倉も、かつては都だったのだ。そうそう、海沿いの遊歩道に実朝の歌碑があった。実朝が殺されずに、もっと長生きしていれば、鎌倉時代は、もっと違ったものになったはずなのになあ、惜しいことをした、と、「たら・れば」な歴史を思った。頼朝と鎌倉の政治は、もっと評価される必要があると思うが、関東の田舎侍の天下なんか考えたくもない「貴族精神」が、まだ続いているのか。

866ねえ大仏さん。あんた、与謝野晶子に「美男におはす」と詠まれたそうだが、ニクイねえ。だったら、おれだってどうかと、一緒に写ってみた。

長谷から江ノ電に乗って鎌倉にもどる。16時、ちょうど立ち呑みヒグラシ文庫が開店の時間だ。こういうついでのときでなければ、遠くてわざわざ来れないから、寄ろうと予定していた。えーと、去年2月の中田敬二さんの『転位論』出版記念パーティー以来。中原さんは「当番」ではなく、畠山さんがやっていた。

871_2開け払った窓の外は、にぎやかな若宮大路の裏景色が見えて、立ち飲みに、これがいいつまみになる風情。

畠山さんとあれこれおしゃべりしながら、うまいつまみとうまいビールでほろ酔い。

逗子発の電車は、らくらく座れて、心地よい帰宅となった。

あのころは暑くて、桜も早く咲いたのに、ここのところの寒さといったら。

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2013/04/12

ミーツ5月号「街的生活空間」特集が投げかけたこと。脱「理想のライフスタイル」を考える。

『Meets Regional』5月号は、これまでの街と飲食をメインにした特集と大いにちがう。ミーツらしい意欲にあふれた挑戦をしている。

これが一言で表現するのが難しい。表紙と特集大扉には、「LIFE is BEAUTIFUL!」という文字が大きくデザインされ、「特集 街暮らしが変わる、関西の店、モノ、ひと。」とあるのだが、いまいちピンとこない。

藤本和剛さんが書いている編集前記のタイトルが「生活空間が思考を育てる。"読んで感じる"街的生活特集」。気持はわかるが、ムズカシイ。

そのあたりに、テーマをこなしきるのに苦労した様子を感じる。ようするに、街にはいろいろな人が暮らしているけど、その暮らしぶりは、生活の基地である家の中にまで入ってみないとわからない。そこにホントウの街的生活の姿を発見できるのではないか。というあたりが、「テーマ意識」だったのだろうと、勝手に解釈できる。

ここが、かなり重要なポイントだろうと思った。編集前記本文に、「職場と自宅を往復する平日、モールやメガストアに金と時間をはたく休日。タフな胃腸と厚い財布が必要な街場の店遊びより、不可欠な生活空間の充実に向かうのは道理としても、それが世の中で喧伝されている"理想のライフスタイル"なのか。」

テーマは十分にこなれ切れなかったにせよ、こういう投げかけをやったことそのものが、素晴らしいと思う。

おれは、かねてから、この「ライフスタイル」ってのが曲者だと思っている。ちょうどおれがマーケティングの仕事に関わった1970年代から盛んになり、「ライフサイクル論」と抱き合わせでマーケティングの主柱になった。自分で推進し、批判されるべきと思っていたから、間違いない。80年前後からの「売れる」メディア、つまり「生活情報誌(あるいは生活カタログ誌)」のほとんどは、理想とするライフスタイル・モデルの喧伝につとめ、読者に支持されていた。

それは、それぞれのライフストーリーにもとづくものではなく、大メーカーやビッグストアが喧伝する理想のライフスタイル・モデルだった。住まい空間にあっては、「DKスタイル」から「LDKスタイル」をモデルとし、食生活にあっては、いわゆる「洋風」がそこにはまった。

大メーカーやビッグストアは、理想のライフスタイル・モデルを街全体に広げてきたし、いまも広げようとしている。「都会的な洗練されたライフスタイル」をモデルに。そのことに、少なくない人たちが何の疑いを持たずに暮らすようになった。どころか、文化的で人間らしい生活として推進され歓迎されている傾向にある。

そこに一石を投じた。そういう心意気を編集前記に感じる。

おれは、これまで「ライフストーリー」という言葉をあまり使ってこなかったが、五十嵐泰正さんとのトークから積極的に使うようにしている。これだけ蔓延したライフスタイルを否定するでもなく、批判をすることはあっても、それ以上にライフストーリーを組み上げて行くことだろうと思っている。

おれが自著で、「体験と主観による」といってきたのは、言い換えれば自分のライフストーリーにもとづくものだということなのだ。それを、そのまま書けば、出来の悪い「私語り」になってしまう。ある空間と時間や歴史と社会に位置づける作業が必要になる。それが、おれが「書いたこと」なのだ。ある種のライフスタイル・モデルにこだわる人たちには受け入れられにくいだろう。

今回のミーツの特集は、どちらかといえば、ライフストーリーへの踏み込みとはちがう方法でとらえているようだ。なんてのかな、ライフスタイルのとらえかたの違いというか。

それは無理もないことで、ライフストーリーの方法は、おれの経験ではリサーチの分野で部分的に行われてきたぐらいで、十分に確立された方法ではない。それに、方法としてオーソライズされていないものは、権威のバックアップはなく支持を得にくい。商業メディアの方法にもなりにくい。おれも、自著の範囲で、手探り状態だった。

なんにせよ、与えられた理想のライフスタイルを生きているうちに、(画一化ではなく)自分のライフストーリーを多様かつ柔軟に生きているかのような錯覚に陥りやすい環境が続いている。チェーンの飲食店のオペレーションあるいはユニクロの製品ラインなどに見られるように、ライフスタイル・モデルは次第にきめ細かな対応に「進化」するし、それを無批判に歓迎する土壌も十分だ。

ミーツが挑んだのは、必然のような気がする。なぜなら、街には、ビッグビジネスやビッグストアが次々に仕掛けてくる理想のライフスタイル・モデルではなく、手探りで自分のライフストーリーを生きようとする動きがある。それをキャッチする感覚こそ大事だと思う。

しかし、こういう特集で、どれぐらい売れるものなのか、気になるね。売れてほしい。

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2013/04/11

美術系同人誌『四月と十月』28号と四月と十月文庫4『マダガスカルへ写真を撮りに行く』堀内孝。

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美術系同人誌『四月と十月』28号と、四月と十月文庫4冊目『マダガスカルへ写真を撮りに行く』堀内孝著が届いた。

『四月と十月』はパラッと見ただけでも、充実しているというかムラムラしているというか湯気が立っているというか。同人のみなさんの「意気」を感じる作品がズラリ、もちろん、まいどのことながら文章もいい。どうしたのか?春だから?若いから?脂がのっているから?それとも、がははは、悶えかな?

表紙作品は石田千さん。おれの連載「理解フノー」は、10回目で、タイトルは「『文芸的』問題」。

あとで書き足す。

(4月15日追記)港の人から、下記のお知らせがありました。よろしく~。

堀内孝『マダガスカルへ写真を撮りに行く』(四月と十月文庫4)刊行記念トークイベント

「マダガスカルとザンジバル アフリカのふたつの島に魅せられて」

日時:5月16日(木)19時半
会場:ジュンク堂書店池袋本店 4階喫茶コーナー
定員:40名
入場料:1000円(1ドリンク付き)

アフリカのインド洋に浮かぶマダガスカル島に惚れ込み、20数年通う情熱の写真家、堀内孝。彼の初めての著書『マダガスカルへ写真を撮りに行く』(四月と十月文庫4、港の人)は、マダガスカルの青い空、日が照り土ぼこりが舞い、熱気がムンムンたちこめる、青春マダガスカル讃歌の傑作です。

きのこ文学研究家としても知られる飯沢耕太郎さんも熱烈なアフリカファン。インド洋に浮かぶ小さな島ザンジバルがもっとも大好きな場所で何度も通いつめています。そのファンタッジクな体験記『石都奇譚集 ストーンタウンストーリーズ』(サウダージ・ブックス+港の人)をまとめ、最近も島の怪奇譚『ザンジバル・ゴースト・ストーリーズ』(祥伝社)を刊行したばかり。

ともに東アフリカ、インド洋に浮かぶ島に魅せられた堀内孝さんと飯沢耕太郎さん。現地で撮影した貴重な写真を見ながら、マダガスカルとザンジバルの魅力についてたっぷりとお話ししていただきます。

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2013/04/09

われわれはみな<社会的>に食べている、リンク。

先日のエントリー、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれの件。

このテのことは、何度もこのブログに書いているような気がするのだが、なかなか思い出せない。検索しても、うまく見つからない。

とりあえず、ズバリのタイトルのエントリーがあった。これはいま書いている本の原稿にも関係するので、ここにリンクを貼っておこう。

2005/02/01「社会を考えられなくなった末の栄養、グルメ談義」…クリック地獄

「栄養」と「グルメ」のほかに「愛情」という問題もあるな。

2007/02/08「そして切ない「愛情料理」」…クリック地獄

2010/01/20「「アートの力を信じる」…地域とは、好きでもないやつと暮らす場所。」…クリック地獄

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2013/04/07

『四季の味』春号に初寄稿「快食快味、米のめし」。

040もう書店に並んでいるようだ。『四季の味』春号に初めての寄稿。きのうの『SYNODOS-シノドス-』に続く、おれのようなフリーライター風情には、二度とないだろう、ありえない珍事といえるか。

掲載見本誌が送られてきて見たが、たまに古本屋で立ち読みしたときの印象以上に、格調高い文芸誌のような食通誌だ。うーむ、これは「ミドルだね~」ってより「ハイソだね~」という感じで、普段のおれの生活からは、ほど遠い。だから、もしかすると、見るひとが見ればハイソでもなく、ミドルだね~、なのかも知れない。

しかし、そういう「階級的」偏見を持たずに見れば、ハヤリにふりまわされることなく、古典的なよさを維持している良質な雑誌といえる。こういう雑誌は、これはこれで続いて欲しいと思う。

実際、記事の一つひとつは、料理も写真も文章も、念入りに作られており、知ったかぶりの食通にありがちな観念におぼれることもない。真摯に料理と向かい合っている。こういう雑誌を読んだほうが、キチンとした料理の知識が身につくだろうね。

それにしても、料理を盛った器が、全部、作者名入りとは、すごい。

おれのような貧乏人も、ときには、こういうものに目を通さなくては。1500円という値段だけとると高いようだが、内容からすれば高くない。でも、毎日いかに安く飲むかを考え、家では北関酒造の酒を飲み、大宮いづみやあたりで梅割を飲んで泥酔しているようなものにとっては、高いものは高いに違いない。

おれは、「随筆集 四季の味」に寄稿していて、タイトルは「快食快味、米のめし」。ぶっかけめしのことを書いた。なんと、おなじ「随筆集 四季の味」で、元講談社の編集者、高松市菊池寛記念館名誉館長の菊池夏樹さんが、「菊池寛の芳飯」を書いていた。ぶっかけめしそのものだが、お上品に表現すれば「芳飯」になる。

テーマは自由だった。「随筆を」と依頼されたのだが、そういうのは初めてだった。「随筆」と「エッセイ」とおれが普段書いているような文と、どこが違うのかなあ、どう違えばよいんだろうと考えてもわからなかった。とにかく、いろいろ考えて、書いた。大いに勉強になった。どんな「高級誌」にも書ける自信がついたかな?

なぜか、編集さんの趣味もあるのか、「追悼・常盤新平」のページがあって、大村彦次郎さん、白石公子さん、宮田昇さん、山田久美子さん、坪内祐三さんが書いている。これが、なかなかいい。大村彦次郎さんのは、もう素晴らしくよい。坪内さんのが、これ、チョイとなんていうか、出版業界のウミを見るようなところもあって、うへへへ~、追悼文で、そう書くかって感じがあったけど、ま、出版業界ってのは、そういうところなんだろうなあと妙に納得。おれとしては、あまり深入りしたくない世界だな。ま、深入りするチャンスもないだろうが。

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2013/04/06

「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれ。

去る2月3日(日)、雑司が谷「みちくさ市プレイベント」で開催された、わめぞ主催の『みんなで決めた「安心」のかたち』出版記念トーク。13時半から17時まで。ホストは著者の五十嵐泰正さん。1部のゲストは開沼博さん、2部のゲストはおれだった。

その内容が、『SYNODOS-シノドス-』に掲載になった。なぜか、1部はまだで、2部の五十嵐さんとおれのぶんだけだけど。タイトルは「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」。
http://synodos.jp/society/3222

五十嵐さんは、ツイッターで「2月のトーク、まずはエンテツさんとの対談が記事に!あのユルーいお話が活字マジックでキリッとなって若干こそばゆいですが、割と大事なこと喋ってます」と紹介。
https://twitter.com/yas_igarashi/status/320039837031858176

ほんと、編集さんが録音から起こしてくれた文章に、なるべくあまりいじらないように注意しながら手をいれたのだけど、どうしても「活字マジックでキリッとなって」しまうのだなあ。

ツイッターでは、たくさんの反響があった。

おれのフォロワーさんからは、「遠藤哲夫さんがシノドスに堂々の登場。食をめぐる、いびつな社会状況に風穴を開ける示唆に満ちた対談でした。ぜひ多くの方に読んで頂けたらと願います」と、ありがたいコメントをいただいたり。
https://twitter.com/1969KANKODO/status/320010414987542528

「シノドスに堂々の登場」っておっしゃっているが、恥ずかしながらですね。シノドスは硬派ジャーナリズムというか、高いレベルの専門家や研究者や学者たちが多く発言しているところで、おれのようなフリーライター風情などは登場する機会はないのだけど、ま、今回は、五十嵐さんのお相手ってことで冷や汗かきかき。

『みんなで決めた「安心」のかたち』に関するニュースや書評などは、こちらでご覧いただけます。
https://www.facebook.com/minkime

対談で話題になっている、おれがかつてこのブログに書いた「地域とは、好きでもないやつと暮らす場所」は、こちら。…クリック地獄

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2013/04/05

『オオカミの護符』、メモ。

772きのう言及した『オオカミの護符』(小倉美惠子、新潮社)からメモ。

・この本は、2008年に映画『オオカミの護符』が完成し公開されたのち、映画の反響が大きかったこともあってだろう、2011年に刊行された。

・本文冒頭に、「地元の子どもたちへの手紙」が載っている。著者の地元、神奈川県川崎市宮前区土橋に新しくできた小学校の特別授業で読み、語ったもの。
 「私が土橋の映画を作ろうと思ったのは『おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい』とあやまりたかったからです。」
 「私は自分の家がお百姓の家だというのが恥ずかしくて仕方がありませんでした。どこから見ても百姓にしか見えないおじいちゃんの存在も恥ずかしいと思いました。」
 「(映画を作り始めて)最初から数えて七年間、ひたすら記録を続けてわかったことは、『お百姓』の家に生まれながら、『お百姓』の暮らしをきちんと理解できていなかったということでした。」
 …(このあたりは、かつて農業国であり、高度成長後も農業を抱えながら、農業がある社会と暮らしをきちんと理解しようとしてこなかったどころか、百姓や田舎を貶めてきた歴史の問題でもあるのだろうなあ)
 「世の中には大切で必要であるにもかかわらず、まだ仕事になっていないことがたくさんあります。(略)あるいは『自分は人と違ってちょっと恥ずかしい』とコンプレックスに思うことがある人は、自分でなければできないことを掘りあてる近道を手に入れるかもしれません。」

・p37 「オイヌさま」の謎
 「わが家の土蔵には、今も両親の手によって毎年「オイヌさま」が貼られている。それにしても新たなお札は、一体どのようにしてやってくるのだろう。/母に尋ねると、少し驚いたように「オイヌさまは百姓の神様だよ」と言った。そして「御嶽講の講中の家に配られるもんだ」と教えてくれた。」「「百姓の神様」という言葉には、母の矜持が窺えるような気がした。」

・p94 「黒い獣」と「大口真神」
 「御嶽神社境内には「大口真神社」という名前のお社がある。お札と同じ名を持つこのお社は御岳山の最も高い、しかも本殿を真後ろから見下ろす位置に置かれている。」
 「金井宮司は「大口真神はニホンオオカミであると」と、はっきりと語った。/やはりオイヌさまはオオカミだったのか。」
 「実際、この御岳山を含む関東の山々にはニホンオオカミが多く棲息していた。オオカミは各地の山村で今、まさに大きな問題となっているイノシシやシカなど獣害を引き起こす動物たちを捕食し、農作物を守ってくれたのだという。このことからお百姓に神と崇められてきたのではないかと金井宮司は続けた。」
 「「大口真神」はニホンオオカミであると謎が解けたことで、わが家の土蔵に貼られた護符に描かれた「黒い獣」の正体が明かされた。」「「オオカミ」には人を襲う恐ろしい獣のイメージがあったが、武蔵國のお百姓は神と祀り、大切に崇めてきたのである。私はこの時点から「オイヌさまのお札」を「オオカミの護符」と呼ぶことにした。」

・p107 武蔵國
 「こうした信仰の山々は、「武蔵國」を抱くように囲んでいる。地図の上ではそれぞれに丹沢山地、奥多摩山地、秩父産地と呼び名は分かれているが、全ては境目なく連なりあう大山塊だ。」「ニホンオオカミはこの広大な世界で、時に修行を積む修験者や、山仕事や狩猟などをする山の百姓と関わりながら生きてきたものと思われた。」
 「山岳信仰の「講」は、江戸時代に爆発的な広がりを見せた。それは物見遊山の娯楽的な行事として捉えられがちだが、一方で庶民がお山に参拝する行いの源には、遥かな古代から脈々と続いてきた「山への信仰」が息づいているように思われた。」
 「私たちの暮らし、いや命は、今も変わらず山から生まれ出る水が支えてくれている。」

・p118 神と仏のあわいに
 「そもそも山岳信仰の神社は、寺と共存してきた。山岳信仰の「講」は、この神仏習合の聖地で生まれ、育まれてきたのだ。」
 「祖父母は仏壇に向かうときには先祖への思いを口にし、神棚には、天候や日々の無事を願って頭を垂れた。/仏壇は「人」のつながりを示し、神棚は「風土(自然)とのつながりを現していると私は受け止めている。」

・p128 東国武士と秩父
 「「サムライ」というと、誇り高き武者として、日本人の精神性の象徴、憧れとして語られる向きもあるが、関東に生まれた武士は、むしろ平時は畑を耕す「百姓」であったようだ。」
 「関東各地の旧家には、「秩父とのつながり」を示す証しが持ち伝えられており、わが土橋にも「秩父との関係を物語る証し」を伝承する家がある。」
 「土橋の大久保家と柴原家は、鎌倉時代に遡る家系だが、代々の墓地には「板碑」と呼ばれる薄っぺらな墓石のようなものがある。/この「板碑」のうち秩父青石で作られたものは、「青石塔婆」とも呼ばれ、きれいな青みを帯び、(略、この青石は)、秩父の長瀞や比企郡小川町などに分布すると栃原さんから聞いた。」

・p131 「お山」は文化の発信源
 「現代の生活では「流行」や「新奇なもの」は常に都市からもたらされる。/ファッションや流行りのレストラン、書籍や芸能に至るまで、まずは東京から発信される。それゆえに自ずと人々の目は都市に注がれ、釘づけにされてしまう。/ところが秩父に通うようになって、土橋をはじめ多摩丘陵の地に伝えられる伝承や文物の多くは、どうやら山の世界からもたらされているらしいと気づいた。/縄文にまで遡るといわれる「オオカミ信仰」はその代表例だが、」
 「山は人を惹きつけて止まぬ場所であったのだ。」

・p141 手刷りの「オオカミの護符」
 「「オオカミの護符」は各地の神社から発行されて数多あれども、今はどこも機械印刷になり、人の手による手刷りのお札を発行しているのは、ここ猪狩神社をおいて他にないと思われる。/ここでは「お犬さまのお札」のことを「お姿」と呼んでいる。」「山深い土地で荒い百姓仕事を重ねてきた古老達の手は節くれだち、ゴツゴツしている。その無骨な手によって次々にお札が刷り上る。」

・p151 赤もろこし
 「猪狩神社にお供えする「赤飯」には、本来、粟や稗、黍、赤もろこしなどの雑穀を混ぜて炊いたという。冬の寒さが厳しい山間地が多い秩父は、稲作ができない。」
 「「稲作ができない」=「貧しい」という感覚が私にはある。(略)良田が少なかった土橋でも「白い飯」は一日と十五日にしか口にできなかったと聞かされてきた。「稲作への憧れ」は、お百姓に広く浸透している。/「稲作礼拝」ともいえる水田への強い憧れは、「米」を価値の中心に据え「稲作」を強力に推進してきた歴代の日本の「国づくり」の影響によるという歴史学者の網野喜彦さんの説には納得する。」
 「むしろ、その土地で主食とされていた雑穀こそが、その土地の風土や暮らしを物語る大切な作物だと思うのだ。」

・p178 オオカミ、焼畑、ヤマトタケル……
 「大切なのは、関東のオオカミ信仰の山々は、神話の世界に遡るほど、その起源が古いということだろう。この東国に、かつてどのような人々が住み、どのような暮らしがあったのか。ひとつだけ言えることは、どの時代の暮らしも、現代の私たちの暮らしの礎になっているということだ。きっと、私たちの感覚の中にも、とてつもなく古い暮らしの中で培われたものが眠っているに違いない。」
 「日本列島に暮らしてきた人々は、旧いものの全てを根絶やしにすることはなかった。その象徴として、縄文にまで遡ることができる「オオカミ信仰」があると言えるのではないだろうか。」

・p184 「オオカミの護符」の誕生
 「「オオカミの護符」は、ここ三峯で、猪鹿除けの目的で発行されたのが最初だと聞いた。その経緯は享保十九(一七三四)年『三峯山観音院記録』の中に記されている。「オオカミの護符」に、害獣除け、盗難除けに加え、火難除けの効力もあるとされる背景には、やはり焼畑との関係があるのではないか……などとも連想された。」

・p184 先祖からの「ゆずり」
 「恭介さんはさらに、神社で行われている「お炊き上げ」はその昔、山でお犬さまをお祀りしていたものが、だんだん時代が下がって社に祀り込んだものと言い、さらに「山での祀りは途切れ」てしまったと語った。神事や社が先にあるのではなく、百姓とオオカミ、すなわち人と自然風土との関わりが神事に先んじてあったのだった。聞けば恭介さんから数えて三代前のおじいさんから「ゆずり」受けてきたという。恭介さんは代々の伝承を「ゆずり」と言った。お百姓の使う言葉の響きの柔らかさといったら、どうだろう。」

・p192 「神々の住まうべーら山」
 「かつては村ばかりでなく、町場の商家や職人、町人の家や仕事場にも「神々の居場所」が設けられていた。「仕事」とは、人の力のみでは成就しないものだと考えられていたからだろう。/人が自然に身をゆだね、互いの力をうまく引き出しあうところに思いがけない「はたらき」が生まれてくる。これが仕事の本領なのだと気づかせてくれる。「個性」とは、そこに匂い立つものに与えられるべき言葉ではないだろうか。/「稼ぎ」は人間関係の中で成立するが、「仕事」は人のみではなし得ない。/こう考えると、現代の「仕事」の概念は、ずいぶんと変わってしまったことに気づく。」
 「人の力だけでなく、また自然の力だけでもない。その双方をつなぐ「はたらき」が宿る「仕事」に出会えたとき、人は感動を覚え、信頼を感じ、そこに人と人とのつながりが生まれるのではないだろうか。」
 「土地の自然と向き合い、神々を祀ってきた人々の言葉や姿には、未来を指し示す手がかりが宿されているはずだ。」

・あとがき
 「戦後、故郷との絆を切り離されて都会に出てきた人々の家族には、もう第四世代が生まれている。いつしか、視線は都会へばかり向き、鉄道の路線図といった点と線ばかりで土地をとらえている。だが、つながるべき「風土」を持たず、寄る辺ない魂を抱えた若者たちは、今ふたたび「農」の道を歩み出したり、信仰の山々を訪れるようになっているという。」
 「ほんの少し掘り返すだけで、土地は意外なほどに様々な問いを投げかけてくる。そして、その問いの答えを求めるうちに、人と出会い、縁ある地を訪ね歩いて、深く広い沃野へと導き出されるだろう。」

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2013/04/04

江戸川土手に立つ。深く広い沃野が、おれを呼んでいる。

777去る3月9日、小岩の野暮酒場が営業だったので、ひさしぶりに行った。少々早めに着いた。戸に鍵がしてあって、叩いても野暮主は居る気配がない。

ちょうどよい機会だ、江戸川へ行ってみようと、店の前の道を東へたどった。すぐに千葉街道。見えたJRのガードをくぐり線路に沿った細い道を曲がると、江戸川の土手に出た。低地の川の土手のせいか、けっこう土が盛られ、高い。

初めて、江戸川の土手に立った。

これでようやっと、東京と神奈川の境の多摩川の土手、東京と埼玉の境の荒川の土手、そして千葉の境の江戸川の土手に立ったことになる。江戸川は利根川の支流になるから、関東と東京の風土に深い関わりを持つ、三つの大河の土手に立ったのだ。

荒川の土手からは、上流に、秩父の山々が見えた。多摩川の土手からは、上流に、多摩の山々が見えた。江戸川の上流は、山は遠くて見えないが、対岸の国府台の丘陵が見えた。

この三つの川の上流には、もちろん、山がある。その山と、川と、町の生活は密接だった。ほんとうは、いまでも、飲料水のことを考えたら、どんなに大切な関係があるかわかるだろう。

だけど、とくに都心の生活の意識は、年々山や川から離れていった。近年、メディアでは「町」や「街」がブームのようであるけど、それらを見ても、町の暮らしの関心は、鉄道や大きなビルや、その間にある小さな店や、さらに小さいな路上観察などが主な舞台であって、そこにマレに古い地層や地形のことも含まれたりしても、とくに山の影はうすくなる一方だったといえるだろう。

町に暮らすにあたって、東京の都心は、視覚的にも山から縁遠くなっているし、それが主な理由だろう、情報的にも想像力においても、意識されることが少ないようだ。関東や東京の「風土」を認識することも難しくなっているし、語られることも少ない。

かつて、1960年代ぐらいまでは、東京の町の暮らしのなかに、もっとあったはずの「お山」は、「富士講」の山はところどころに残っているが、すっかり忘れられようとしているように見える。忘れられたまま、町が語られ、町は変わっていくのだろうか。

これは「生活景」としての山が消えつつある、大東京圏ならではの現象かも知れない。ここ東大宮でも、山を目にするのは、一年に何べんもない。富士山も見えることがあるが、条件よく晴れた日だけだ。すでに山は「生活景」といえる状態ではない。

そういう状態で、町や自然や生活を認識するようになっている。
こういうことについて、どう考えるべきか。
最近よい本を読んだ。

772『オオカミの護符』(小倉美惠子、新潮社)だ。

著者は、1963年に神奈川県川崎市宮前区土橋に生まれ、そこで育ち、そこに暮らしている。彼女が生まれたころの土橋は、百姓50戸ほどの集落だった。いまでは7000世帯をこえる。

周囲の景色はすっかり変わったし、百姓だった彼女の両親の屋敷も土蔵を残して、すっかり変わった。その土蔵の入口に、彼女の小さい頃から「オイヌさまのお札」が貼ってあった。彼女は、その「お札」が気になる。

『オオカミの護符』は、この「お札」を追いかけていく話だ。近所にかろうじて残るタケノコの畑を訪ね、多摩川を遡り、奥多摩の御岳神社へ登る、さらに荒川の上流、秩父の三峰神社へ。いろいろな人に会って話しを聞く。

「オイヌさま」の実態は「オオカミ」であり、関東のオオカミ信仰の山々があきらかになる。その過程で、関東の人々の暮らしと「お山」が明らかになっていく。そこには縄文の頃から続く営みがあった。

御岳山の「オイヌさまのお札」が、なぜ遠く離れた土橋の百姓の蔵の入口に貼ってあるのか。
「お山」を合わせ鏡に、いまの町の生活を眺め、未来を展望する。

この本は、2013/02/24「NHKの番組のため古墳部活動。」に書いた、2月18日の古墳部活動の時に部長のスソアキコさんが熱く語り、そのあと郵送してくれて、借りている。いま2回半ぐらい読んだところだ。スソさんが、その日訪ねる古墳の資料の地図に、多摩や秩父の山々まで描き込んだ深いワケが、この本を読んで、わかった。

当ブログでもたびたびふれているように、ここ20年ほど、おれは秩父の山奥の集落へ行く機会が多い。そこでバラバラにいろいろ考えていたことが、この本のおかげで、小さな川が集まって大きな川になるように、ひとつにまとまりかけている感じを得ている。

これは、関東や東京の生活つまり食や味覚と、深い関係があるにちがいない。

2007/11/09「三峰神社で、都心と山林の深いつながりの跡を見つけ興奮する。」に載っている「狛犬」の写真は、そのあと調べてわかったのだが、犬ではなく「狼」だった。『オオカミの護符』で、さらに詳しくわかった。

小倉さんは「あとがき」に書く。「ほんの少し掘り返すだけで、土地は意外なほどに様々な問いを投げかけてくる。そして、その問いの答えを求めるうちに、人と出会い、縁ある地を訪ね歩いて、深く広い沃野へと導き出されるだろう。」

深く広い沃野が、おれを呼んでいる。

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