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2013/04/05

『オオカミの護符』、メモ。

772きのう言及した『オオカミの護符』(小倉美惠子、新潮社)からメモ。

・この本は、2008年に映画『オオカミの護符』が完成し公開されたのち、映画の反響が大きかったこともあってだろう、2011年に刊行された。

・本文冒頭に、「地元の子どもたちへの手紙」が載っている。著者の地元、神奈川県川崎市宮前区土橋に新しくできた小学校の特別授業で読み、語ったもの。
 「私が土橋の映画を作ろうと思ったのは『おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい』とあやまりたかったからです。」
 「私は自分の家がお百姓の家だというのが恥ずかしくて仕方がありませんでした。どこから見ても百姓にしか見えないおじいちゃんの存在も恥ずかしいと思いました。」
 「(映画を作り始めて)最初から数えて七年間、ひたすら記録を続けてわかったことは、『お百姓』の家に生まれながら、『お百姓』の暮らしをきちんと理解できていなかったということでした。」
 …(このあたりは、かつて農業国であり、高度成長後も農業を抱えながら、農業がある社会と暮らしをきちんと理解しようとしてこなかったどころか、百姓や田舎を貶めてきた歴史の問題でもあるのだろうなあ)
 「世の中には大切で必要であるにもかかわらず、まだ仕事になっていないことがたくさんあります。(略)あるいは『自分は人と違ってちょっと恥ずかしい』とコンプレックスに思うことがある人は、自分でなければできないことを掘りあてる近道を手に入れるかもしれません。」

・p37 「オイヌさま」の謎
 「わが家の土蔵には、今も両親の手によって毎年「オイヌさま」が貼られている。それにしても新たなお札は、一体どのようにしてやってくるのだろう。/母に尋ねると、少し驚いたように「オイヌさまは百姓の神様だよ」と言った。そして「御嶽講の講中の家に配られるもんだ」と教えてくれた。」「「百姓の神様」という言葉には、母の矜持が窺えるような気がした。」

・p94 「黒い獣」と「大口真神」
 「御嶽神社境内には「大口真神社」という名前のお社がある。お札と同じ名を持つこのお社は御岳山の最も高い、しかも本殿を真後ろから見下ろす位置に置かれている。」
 「金井宮司は「大口真神はニホンオオカミであると」と、はっきりと語った。/やはりオイヌさまはオオカミだったのか。」
 「実際、この御岳山を含む関東の山々にはニホンオオカミが多く棲息していた。オオカミは各地の山村で今、まさに大きな問題となっているイノシシやシカなど獣害を引き起こす動物たちを捕食し、農作物を守ってくれたのだという。このことからお百姓に神と崇められてきたのではないかと金井宮司は続けた。」
 「「大口真神」はニホンオオカミであると謎が解けたことで、わが家の土蔵に貼られた護符に描かれた「黒い獣」の正体が明かされた。」「「オオカミ」には人を襲う恐ろしい獣のイメージがあったが、武蔵國のお百姓は神と祀り、大切に崇めてきたのである。私はこの時点から「オイヌさまのお札」を「オオカミの護符」と呼ぶことにした。」

・p107 武蔵國
 「こうした信仰の山々は、「武蔵國」を抱くように囲んでいる。地図の上ではそれぞれに丹沢山地、奥多摩山地、秩父産地と呼び名は分かれているが、全ては境目なく連なりあう大山塊だ。」「ニホンオオカミはこの広大な世界で、時に修行を積む修験者や、山仕事や狩猟などをする山の百姓と関わりながら生きてきたものと思われた。」
 「山岳信仰の「講」は、江戸時代に爆発的な広がりを見せた。それは物見遊山の娯楽的な行事として捉えられがちだが、一方で庶民がお山に参拝する行いの源には、遥かな古代から脈々と続いてきた「山への信仰」が息づいているように思われた。」
 「私たちの暮らし、いや命は、今も変わらず山から生まれ出る水が支えてくれている。」

・p118 神と仏のあわいに
 「そもそも山岳信仰の神社は、寺と共存してきた。山岳信仰の「講」は、この神仏習合の聖地で生まれ、育まれてきたのだ。」
 「祖父母は仏壇に向かうときには先祖への思いを口にし、神棚には、天候や日々の無事を願って頭を垂れた。/仏壇は「人」のつながりを示し、神棚は「風土(自然)とのつながりを現していると私は受け止めている。」

・p128 東国武士と秩父
 「「サムライ」というと、誇り高き武者として、日本人の精神性の象徴、憧れとして語られる向きもあるが、関東に生まれた武士は、むしろ平時は畑を耕す「百姓」であったようだ。」
 「関東各地の旧家には、「秩父とのつながり」を示す証しが持ち伝えられており、わが土橋にも「秩父との関係を物語る証し」を伝承する家がある。」
 「土橋の大久保家と柴原家は、鎌倉時代に遡る家系だが、代々の墓地には「板碑」と呼ばれる薄っぺらな墓石のようなものがある。/この「板碑」のうち秩父青石で作られたものは、「青石塔婆」とも呼ばれ、きれいな青みを帯び、(略、この青石は)、秩父の長瀞や比企郡小川町などに分布すると栃原さんから聞いた。」

・p131 「お山」は文化の発信源
 「現代の生活では「流行」や「新奇なもの」は常に都市からもたらされる。/ファッションや流行りのレストラン、書籍や芸能に至るまで、まずは東京から発信される。それゆえに自ずと人々の目は都市に注がれ、釘づけにされてしまう。/ところが秩父に通うようになって、土橋をはじめ多摩丘陵の地に伝えられる伝承や文物の多くは、どうやら山の世界からもたらされているらしいと気づいた。/縄文にまで遡るといわれる「オオカミ信仰」はその代表例だが、」
 「山は人を惹きつけて止まぬ場所であったのだ。」

・p141 手刷りの「オオカミの護符」
 「「オオカミの護符」は各地の神社から発行されて数多あれども、今はどこも機械印刷になり、人の手による手刷りのお札を発行しているのは、ここ猪狩神社をおいて他にないと思われる。/ここでは「お犬さまのお札」のことを「お姿」と呼んでいる。」「山深い土地で荒い百姓仕事を重ねてきた古老達の手は節くれだち、ゴツゴツしている。その無骨な手によって次々にお札が刷り上る。」

・p151 赤もろこし
 「猪狩神社にお供えする「赤飯」には、本来、粟や稗、黍、赤もろこしなどの雑穀を混ぜて炊いたという。冬の寒さが厳しい山間地が多い秩父は、稲作ができない。」
 「「稲作ができない」=「貧しい」という感覚が私にはある。(略)良田が少なかった土橋でも「白い飯」は一日と十五日にしか口にできなかったと聞かされてきた。「稲作への憧れ」は、お百姓に広く浸透している。/「稲作礼拝」ともいえる水田への強い憧れは、「米」を価値の中心に据え「稲作」を強力に推進してきた歴代の日本の「国づくり」の影響によるという歴史学者の網野喜彦さんの説には納得する。」
 「むしろ、その土地で主食とされていた雑穀こそが、その土地の風土や暮らしを物語る大切な作物だと思うのだ。」

・p178 オオカミ、焼畑、ヤマトタケル……
 「大切なのは、関東のオオカミ信仰の山々は、神話の世界に遡るほど、その起源が古いということだろう。この東国に、かつてどのような人々が住み、どのような暮らしがあったのか。ひとつだけ言えることは、どの時代の暮らしも、現代の私たちの暮らしの礎になっているということだ。きっと、私たちの感覚の中にも、とてつもなく古い暮らしの中で培われたものが眠っているに違いない。」
 「日本列島に暮らしてきた人々は、旧いものの全てを根絶やしにすることはなかった。その象徴として、縄文にまで遡ることができる「オオカミ信仰」があると言えるのではないだろうか。」

・p184 「オオカミの護符」の誕生
 「「オオカミの護符」は、ここ三峯で、猪鹿除けの目的で発行されたのが最初だと聞いた。その経緯は享保十九(一七三四)年『三峯山観音院記録』の中に記されている。「オオカミの護符」に、害獣除け、盗難除けに加え、火難除けの効力もあるとされる背景には、やはり焼畑との関係があるのではないか……などとも連想された。」

・p184 先祖からの「ゆずり」
 「恭介さんはさらに、神社で行われている「お炊き上げ」はその昔、山でお犬さまをお祀りしていたものが、だんだん時代が下がって社に祀り込んだものと言い、さらに「山での祀りは途切れ」てしまったと語った。神事や社が先にあるのではなく、百姓とオオカミ、すなわち人と自然風土との関わりが神事に先んじてあったのだった。聞けば恭介さんから数えて三代前のおじいさんから「ゆずり」受けてきたという。恭介さんは代々の伝承を「ゆずり」と言った。お百姓の使う言葉の響きの柔らかさといったら、どうだろう。」

・p192 「神々の住まうべーら山」
 「かつては村ばかりでなく、町場の商家や職人、町人の家や仕事場にも「神々の居場所」が設けられていた。「仕事」とは、人の力のみでは成就しないものだと考えられていたからだろう。/人が自然に身をゆだね、互いの力をうまく引き出しあうところに思いがけない「はたらき」が生まれてくる。これが仕事の本領なのだと気づかせてくれる。「個性」とは、そこに匂い立つものに与えられるべき言葉ではないだろうか。/「稼ぎ」は人間関係の中で成立するが、「仕事」は人のみではなし得ない。/こう考えると、現代の「仕事」の概念は、ずいぶんと変わってしまったことに気づく。」
 「人の力だけでなく、また自然の力だけでもない。その双方をつなぐ「はたらき」が宿る「仕事」に出会えたとき、人は感動を覚え、信頼を感じ、そこに人と人とのつながりが生まれるのではないだろうか。」
 「土地の自然と向き合い、神々を祀ってきた人々の言葉や姿には、未来を指し示す手がかりが宿されているはずだ。」

・あとがき
 「戦後、故郷との絆を切り離されて都会に出てきた人々の家族には、もう第四世代が生まれている。いつしか、視線は都会へばかり向き、鉄道の路線図といった点と線ばかりで土地をとらえている。だが、つながるべき「風土」を持たず、寄る辺ない魂を抱えた若者たちは、今ふたたび「農」の道を歩み出したり、信仰の山々を訪れるようになっているという。」
 「ほんの少し掘り返すだけで、土地は意外なほどに様々な問いを投げかけてくる。そして、その問いの答えを求めるうちに、人と出会い、縁ある地を訪ね歩いて、深く広い沃野へと導き出されるだろう。」

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