« 東京新聞「大衆食堂ランチ」7回目、稲荷町・田中食堂。 | トップページ | 『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。 »

2013/04/20

「めし」と「ごはん」とパン。

先日のエントリー2013/04/17「「うまい」と「おいしい」。」とも関係する。

「めし」と「ごはん」の使い分けも悩ましい。いつも「うまい」と書きたいように、いつも「めし」と書きたい。ところが、「めし」で通すには、わざわざ「米のめし」と書かないとアンバイが悪いことがある。

普通は、「ごはん」を「米のごはん」と書くことはない。「ごはん」は、いつも「米のめし」であり、それ以外は、ありえない。

2013/04/07「『四季の味』春号に初寄稿「快食快味、米のめし」。」のタイトルのように、「米のめし」でないと、どうもうまくいかないことがある。「快食快味、めし」では、どう考えてもアンバイが悪い。「快食快味、ごはん」でも、ダメだ。ってことで、このようになる。

その文の書き出しは、こうなっている。

「 「気取るな、力強くめしを食え!」を掲げ、庶民の快食を追求する私としては、やっぱり行き着くところは米のめしだ。」

というぐあいなのだ。この場合も、「やっぱり行き着くところはめしだ」では、イマイチ「米のめし」の感じが出ないうえ、語呂も勢いもシマリも悪い感じがしてこうした。

きのう、お題が「めし×パン」という原稿依頼があった。その趣旨説明に、「ごはん(めし)もの」という書き方をされていた。この場合も、「めしもの」より「ごはんもの」のほうがピンとくる。だけど、お題が「めし×パン」なので、このような書き方をされたのだろう。そして、確かに、お題は、「ごはん×パン」より「めし×パン」のほうがよい。

そのように、どうも「めし」では、アンバイが悪いと思われることがある。一つには、「めし」が「食事」を意味することがあるからかも知れない。それに歴史的にも、「めし」は、米のめし以外の、麦や粟など雑穀のめしもあった。だからこそ「ごはん」は「米のめし」以外はありえなかった。そういうことが無意識のうちに気になって、ここは「米のめし」とハッキリ断らなくてはいけないという気分になるのかも知れない。

しかし、文脈上、この「めし」の場合は、もう「米のめし」以外はありえないというときでも、「米のめし」にしないと、おさまらないことがある。これは、気分の問題なのかも知れないが、文章は気分も含むから、仕方ないのか。けっきょく、気分になるのか。

「うまい」と「おいしい」の間には、「うまい」は男ことばで下品、「おいしい」は女ことばで上品というツマラナイ関係があるように、「めし」と「ごはん」にも、「めし」は男ことばで下品、「おいしい」は女ことばで上品というツマラナイ使い分けを気にする人たちもいる。

なんにせよ、悩ましい。

そこへいくと、パンは、パンで単純明快だ。「ごパン」とかは書かない。「小麦のパン」という書き方は、あるのだろうか。日本では、ありそうだなあ。「米粉のパン」があるからなあ。そのばあい「米のパン」とはいわないのは、なぜだ。「小麦のパン」に対しては「米のパン」だろうし、「米のめし」に対してだって「米のパン」のはずだろう。なーんて言ってみたくなるのだった。

やれやれ。

|

« 東京新聞「大衆食堂ランチ」7回目、稲荷町・田中食堂。 | トップページ | 『いいモノ』食ってりゃ幸せか?が、朝日新聞のWEBRONZAに転載になり。 »