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2013/05/31

いかに自分が社会的に食っているのか。

このタイトルに関することは、『みんなで決めた「安心」のかたち』以後、何度かふれてきた。正確には、このブログのテーマのようなものでもあるな。いろいろな角度から、ああでもないこうでもないと考えてきた。

とりわけ大衆の食文化は、社会的に食べていることを抜きに、味覚も語れないハズのものだ。人間は社会的に食べているなんて、あまりにも自明のことじゃないかと思っているのだが、これが、そうでもない。

一昨日、五十嵐泰正さんのツイッターに、このようなリツイートがあった。
https://twitter.com/yas_igarashi/status/339994377797644288
エンテツさん(@entetsu_yabo)に聞こう!RT @fishing_pippo (もうちょっと今回の震災を気に生産、流通の仕組みとか、いかに自分が社会的に食っているのかとか社会科も学んだ方がいいと思うの。科学とかだけじゃなくね。いや、本当に自分も知らないからなんだけど。)2013年5月29日 - 20:39

震災の以前から問題があって、放射能汚染で、にわかに騒がしくなった「食の安全・安心」は、科学や科学的知識だけで解決するものではないのは、確かだろう。「安心」については、『みんなで決めた「安心」のかたち』が、直接的に示すように、社会的に食っていることを、どうするかが深く関係している。

ところが、うまいもの談義や栄養談義、食べ歩き飲み歩き、食については、これほど賑やかな時代はないというのに、こういうテーマになると、語る人が、ぐっと少なくなる。

食について語る知識と言葉が、趣味と栄養のほうに偏向しすぎではないかと思わざるを得ない。誰もが、生きる者として、社会的に食べていることについて語る知識と言葉を持つことは、趣味や栄養以前のことではないかと思う。

あそこに、こんな店がある、あの店はこうだ、こんなものがある、とか、健康にはこれがよい、ダイエットには、自然食だ有機栽培だ、なんてことより、もっと基本的なことだと思う。

って、また、ぐだぐだ書いても、しようがないんだな。こういうことを語る、言葉自体を失いつつあるのではないかという感じだ。火をつけないでいると火のつけかたすら忘れるように、話さないでいると話す言葉を失う。

だから、たえず、語り続ける以外ない。

1960年に大塚力が『食物食事史』で、「一生物としての魚ではなく社会的・経済的機構を通してきた魚」について述べている。

いまでは、魚に限らず、さまざまな素材が、すでに「一生物」としての素材ではなく、「社会的・経済的機構を通してきた」素材になっている。

大塚力は、直接的には、遠洋漁業や冷蔵庫の普及などが、魚を変質させたことを述べているのだが、魚だけのことではない。さかのぼれば、社会的・経済的機構を通してきた素材は、弥生時代ぐらいから始まっていることになる。時代によって、社会がそうであったように、しだにその機構は変化し複雑になってきた。だから、イマは、どうなのか、たえず知っておく必要がある。それは自分が生きている世界に関わることだ。

この本が出た、1960年は、まだ単純なほうだった。それでも、大塚力は、このように的確に指摘した。70年代以後、ますます、生産や流通の仕組みは、見えにくいものになっている一方で、あまりにも、それについて語る機会が少なく、知識も言葉も少なくなっているように思う。

この言葉の少なさは、放射能汚染をめぐる、不信と亀裂に関係あるに違いない。もっと、「いかに自分が社会的に食っているのか」を語り合える言葉を持てないものか。「社会的」なんていうとコムズカシイ感じだが、つまりは自分が生きている世界に、思いをめぐらすことなのだ。「生きる」には、さまざまなことが関係し、その機構のなかで、鮮度や安全や安心もちろん味覚あるいは健康や死まで、いろいろなことが、とりおこなわれている。縄文的天然な暮らしだって、江戸的農村的な暮らしだって、エコもスローも、その機構を離れては、ありえない。

社会科だって理科だって、自分が食って生きるためのものだからね。

ってえことで、関係ないが、今日の「東大宮往来者」は、「東口の西友へ。低レベル満足の買い物。」です。…クリック地獄

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2013/05/30

悩ましい「生活圏」。

いま書いている本の原稿は、70年代からの生活と料理が大いに関係する。実質的には60年代からだが。いろいろ調べていくと「生活圏」の概念が、大きく変わっていることに気づく。

そもそも、「生活圏」ってなにさ、と、まずは例によって、ウィキペディアでは、こうだ。

「生活圏(せいかつけん)は、人が社会的存在として行動する範囲・地域を指し、日常生活とその延長(遠出しない余暇や娯楽など)を営む空間である。重要な要素として、他人との係わりが含まれる。ドイツの地理学者・フリードリヒ・ラッツェルが提唱した概念であり、同じくドイツの地理学者・アルブレヒト・ペンクによって内容が洗練された。」「生態学では、人類を含む生物が活動できる空間、の意味で使用する場合がある。」

「日常生活とその延長(遠出しない余暇や娯楽など)を営む空間」というが、いまや「遠出」の概念もかなり異なる。「人が社会的存在として行動する範囲・地域を指し」なんて、いったら、いまやメチャメチャ広い一般人も多い。

社会学とマーケティングのあいだにも、微妙な違いがあるようだ。だいたい、「学」の数ほど解釈や概念が違うのは、めずらしくないが、おまけに60年代からこちら、生活そのものが、大きく変わった。国土交通省の「生活圏の定義」なんぞ、考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。経産省を絡めたら、そもそも、あの「まちづくり」の「まち」だって、生活圏としては、かなり悩ましいものになる。

政策論的には、「生活圏定義型」の政策と、そうでないものもある。確かに、生活圏の定義など必要ない、生活に関わる政策というのはある。政策は、システムやプログラムであるというレベルになると、もう、生活圏なんちゃら言うのも、おかしなことになる。

なにしろ、いまや「グロバール・スタンダード」なんてことが言われて、ある人たちにとっては、これが生活圏と深く関係する。ま、おれの知り合いにも、そういうやつがいる。

一方で「ローカル・スタンダード」どころか「自己愛スタンダード」みたいなレベルで、モノを言って、恬として恥じないのも、めずらしくない。自分は正しい、リコウだからと信じて疑わない幸せは勝手だが、それを基準に他者を貶めたりしても、とうぜんながら反省はない。どこかの首長から、ツイッターあたりで物知り顔テキトウなことをつぶやいている一般人まで。こういう人の生活圏は、自己陶酔のうちに自己完結しているのかも知れない。

では、いったい、「生活圏」以外は、なんというのだろう。こちらが気になって調べたが、これが、「以外」となると、なかなか難しい。いやはや、おれたちの「生活圏」は、悩ましい。もともと、「圏」なんぞに縛られることはないのだ。という考えに行き着いたほうがよさそうだ。なにかの政策的事情によってのみ、そのたびごとに定義づけて使用する。

それ以外は、ナワバリみたいな話しになっちゃっうのだな。ここは、おれの生活圏=勢力圏だ、みたいな。しかも、自分の狭くて小さなモノサシの生活圏に、他者を従わせようとする。おれの生活圏にケチをつけるなとか、お前、東京人でもないのに、東京人のおれがいる東京の飲食店を取材して勝手なこと書くな、みたいな。ま、こういうバカは、あまりいないと思うが。それに近い話は、よくある。コメディのネタになりそうだ。そういう話しは、ナワバリが好きな、排他的な権威主義者や権力主義者にまかせおこう。

かんじんなのは、人と人の関係。「他人との係わり」ってことだ。

そうそう、須田さんとメールや電話でやりとりしていたら、経堂の「さばのゆ」が、来月で4周年だそうだ。経堂コミュニティ、なかなかよい感じだ、難しい問題もある、てなことをやりとり。この「コミュニティ」って、イコール「生活圏」か。どうだろうか。

とにかく、さばのゆでは、誰をも経堂コミュニティの一員として迎えてくれる。おれに対してもだし、おれもそのつもりだ。で、そこで知り合った人が、東大宮まで来てくれる。それが、広がっている。コミュニテイが浸透しあう。そういう関係が、あちこちにできる。生活圏は、ますます混沌とする。そこに、新しい人と人の可能性がひらける。

生活圏どうのこうのでなく、混ざり合う、その実践だな。「生活」も「まち」も、能書じゃない。能書じゃなく、「他人との係わり」を、何か見せてちょうだいよ。ってことさ。ネット世間で、わが身は匿名で安全なところにおいて、いろいろやっている人にケチつける能書ばかりのやつは、無視、相手にする必要はない。

行った先々、誰とでも同じように、言葉を交わしあい、一緒に楽しく過ごす。

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2013/05/29

青山のユアーズと四谷3丁目のセイフー。

このタイトルで、24時間スーパーの先駆とわかる人は、少ないだろう。70年代中ごろ、市ヶ谷の五番町に会社があって、深夜によく利用した。ユアーズのほうが先にあって、セイフーはあとにできた。今日は、本の原稿のために、その記憶を、確かにしようと、資料をひっくり返していたのだが、あるはずの大事な資料がみつからない。

ユアーズは、ウィキペディアに「開店したのは1964年(昭和39年)とされる」とある。さらに「ユアーズで取り扱っていた商品は輸入食料品が中心で、アメリカ風の店内にはハンバーガーやサンドイッチが食べられるカウンターがあり、入口にはハリウッドのチャイニーズシアター前にあるようなスター達の手形・足型・サインなどが入った石版が並んでいた。スーパーマーケットはビルの1階と2階で、1階では食料品のほか輸入雑貨、2階では洋服が販売されていた」とある。

だけど、おれの記憶では、2階はない。コンビニとミニスーパーの中間ぐらいの感じだった。深夜しか行ったことがないから、あるいは、2階は営業していなかったのかも知れない。

そのころの原宿から青山通りは、まだ道路拡張工事の最中で、広い範囲に古い木造住宅が残りながら、取り壊しセットバックの建設が行われていた。道路の各所は鉄板でおおわれていた。どんどん景色が変わっていた。深夜になると、薄暗く、ユアーズだけ、灯かりがともっている感じだった。

工事が済んだ部分が増えるにしたがい、倍以上の幅になった道路で、深夜に、わがもの顔でカーレースをやる連中がのさばった。

まもなく四谷3丁目の交差点にセイフーができて、会社からはこちらが近いので、ユアーズにはほとんど行かなくなった。セイフーのあるビルの上階には何軒か飲食店があって、そのうちの1軒は、やはり深夜も営業していたから、よく利用した。

当時はやりの、店内にある大きな水槽で泳いでいる魚を料理してくれる、少し高級な料理屋だった。おれが担当するクライアントの課長が、その近くに住んでいたのだが、なにしろどちらも忙しく、打ち合わせは、深夜その店でやることが多かった。ようするに、どちらかの会社の経費なので、自腹を切ったことはない。

ユアーズは、「1982年(昭和57年)、入居していたビルの取り壊しと同時に閉店した」そうだ。セイフーは、いつ閉店したのだろう。四谷3丁目の交差点すぐそばには、丸正本店があって、ここが24時間営業を始めてからは、押され気味の印象があった。「深夜族」などは、しだいに珍しくなくなった。

今日の「東大宮往来者」は、「東大宮名所?尾山台団地。」…クリック地獄

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2013/05/27

『四月と十月』からエロへ転がり。

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なにがどう転がるか、わからない。って、自分で転がっているのだが。

もともとは、牧野伊三夫編集長の美術系同人誌『四月と十月』で連載している「理解フノー」、昨年10月発行27号の9回目で、「十年後」のタイトルで書いたことから始まる。そこで、数行ぐらい、性の老化についてふれた。これがいろいろなところで話題になった。その一つが、ここに転がったのだ。

小岩の野暮酒場で飲んでいるときだったと思う。そのことが話題になり、シニアの性について書かないかという話があった。詳しくは酔って覚えていなかったが、見本誌が送られてきた。かなり豪華な、俗にいわれるエロ本の類だ。別にかまいやしない、おれはフリーライターだから、頼まれて、出来ることならやる。二つ返事で引き受けた。

『四月と十月』は、格調高いのとは違うし、高尚でもないが、ようするに芸術の香りがする同人誌だ。そこに書いたことから、まったく対極にあると思われる、エロ雑誌に転がった。

担当の編集さんからのメールは、こういうことだった。いやあ、こういう依頼は、初めて。生きていると面白いことがある。

「熟年熟女の発情期」みたいな感じのテーマでいこうと思っています。

そこで、遠藤さんには、自分の体験でもOKですし、
友人からの聞き書きという形でもOKです。
当然、架空の話でも大丈夫です。
シニアたちの発情の様相、
そしてトチくるった時のがむしゃらな欲望への追及……。
何でもOKです。

「シニアの発情の様相、トチくるった時のがむしゃらな欲望への追及」に笑った。面白いなあ。締め切りまで1ヵ月ぐらいあったので、いろいオベンキョウした。

まず、面白かったのが、境界線がキッチリしているわけではないが、大雑把に、「エロ」と「ピンク」と「官能」が使い分けられているらしいことだった。「官能」については、わりとハッキリしていて、これは文学の階級で言えば、「純文学」に相当する「高い」位置にあるらしいことだった。「官能小説」なんていわれかたをするな。この世界でも「小説」は、エライらしい。「エロ」と「ピンク」の違いは、難しい。たとえば、業界のベテランでも、「ピンクはエロくなければいけないのかね」という言い方をする。ま、でも、これが、わかりやすい例だろう。

で、おれは、ピンクにエロをかませることにした。これは、いってみれば、エンターテイメントの読者サービスのようなものだ。

テーマは、かなり逸脱させてもらうことにした。ようするに熟女が登場すればよいだろう、ていど。テーマは、以前読んで面白かった、『第三の脳』(傳田光洋著、朝日出版社)から、想を得た。この本は、スソアキコさんが挿画と挿絵を担当している。スソさんの帽子展で買ったのだ。編集者は、北九州市の情報誌『雲のうえ』13号でライターもしている、赤井茂樹さん。

「第三の脳」は皮膚のことで、第一の脳は大脳、第二の脳は粘膜、そのように認められているので、皮膚を第三にした。人間の身体は、抹消末端すべて大脳の支配下にあるというのが、まだ広く「常識」のようだけど、違うということを述べている。トンデモではなく、ごくまっとうな本なのだ。

それをヒントに、大脳に支配された性は、大脳を支配してきた男に支配されている、そういう性からの脱却をテーマにした。ボーヴォワール『第二の性』のあと「第三の性」に関する言説いろいろあるが、どうも「大脳」寄りだ。そうではなく第二の脳「粘膜脳」や第三の脳「皮膚脳」から見た「性」の探究に挑む野心作?なのだ。編集さんが、テーマに近いタイトルをつけてくれた。つまり、「目覚めよ、粘膜脳!」だ。

とにかく、チャレンジなので、滑稽や皮肉や、いろいろな要素を織り交ぜて書き上げた。書いている最中から自由で、愉快で、楽しかった。やはり、山﨑邦紀さんや浜野佐知さんのピンク映画を観ておいたのもよかった。

じつは、山﨑邦紀さんも寄稿している。表紙には、《特別寄稿》として、もうひとり、福富太郎さん。このお2人のベテランに並んで、おれがいる。おそれおおいことだ。

『性の探究』という雑誌で、発行は光彩書房という一水社の関連会社だ。

業界ではシニア対象の「告白本」といわれる類らしいのだが、おれと山﨑さんだけ、単なる告白とは違う。山﨑さんの場合は、映画と同じように、堂々とエロになっていない。おれは、少しだけ、エロをかませたフィクション仕立て。とはいえ、「シニアの発情の様相、トチくるった時のがむしゃらな欲望への追及」のひとかけらもナシ。ほかの文章を読むと、これじゃとても発情を招くエロの筆力じゃない。おれも山﨑さんも、マジメに性の探究をしているみたいで、笑ってしまった。しかも、偶然にも、山﨑さんも皮膚がらみのことを書いている。

この雑誌は、『原色文学』という堂々たる文学雑誌の増刊なのだ。年3回ぐらいの発行らしい。本文に上質の厚い紙を使って、若干猥褻な図版があるが、圧倒的に文字だ。活字離れのイマドキに、しかも、本文258ページもあって部厚く、1600円。活字文化健在ではありませんか。といっても、「活字文化」側は、これを活字文化の勘定にはいれたくないのだろうな。そのへんが、出版文化のダメなところで、だからこそ、こういう雑誌を応援したく、チャンスがあれば書きたい。ま、それほどカタイ話じゃないか、以前は、「全日本オヤジ選手権」で、これはピンク娯楽ビデオとでもいうのか、AV嬢と共演しているし。

とにかく、また書きたいなあ。どうか、みなさん、買って読んでください。立ち読みというわけにはいきますまい。そうそう、400字15枚までという依頼だったのに、おれは勢いがついて、20枚も書いてしまったのだ。掲載のペンネームは「エンテツ」、編集さんがつけてくれた肩書は「コラムライター」。

しかし、買って読んでくださいと言われても、困るでしょうね。表紙には「性の歓びなくして何が人生、何が長寿!」とありますぞ。ごもっとも、異議ないでしょ。気取らず、素直に楽しもう、買いましょう。つまらない純文学の雑誌なんか買ってないで。

来月8日土曜日には、小岩の野暮酒場で、この、おれのエロデビューを記念して、泥酔論トークをやる。詳細は、のちほど。

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2013/05/25

「アメ横から考える」を考えている場合じゃないのだが。

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山手線・京浜東北線の右、線路際、この狭い谷底のようなアメ横の空間には、いろいろなことが詰まっている。

先日、五十嵐泰正さんから、『アメ横から考える -イメージ、コミュニケーション、空間性-』という、A4版217ページもある、冊子をいただいた。「筑波大学社会学類社会学専攻 2012年度 社会調査実習Ⅱ 報告書」というものだ。

約1年間かけてのアメ横調査の報告書で、この調査の始まる前に、五十嵐さんや学生さんたちと大統領で飲んだ。当ブログの2012/02/25「朝10時半から上野で呑み始め、終電で泥酔帰宅の一日。」てのがそうなんだね。朝からのキックオフ飲み会のようなものに、参加させてもらった。それで、一年間がすぎ、この報告書になった。

いただいたけど、こういう報告書は、さらさらと読み流すことができないから、少し余裕が出るまでと思い、机の脇に置いといたのだが、やはり、なんとなく気になって、手にとって、パラパラパラ。

033おお、すごい、報告書だ。「Ⅰ、来街者の基礎分析」の最初、「アメ横の経営者と来街者の抱くイメージの乖離について」では、その乖離におどろく。「明るさ」も「充実度」も「活気」も、来街者のプラスイメージは圧倒的なのに、経営者のプラスイメージは、その半分ぐらいと低いのだ。何よ、このギャップ、という感じ。思わずに気になって、読んでしまい。

Ⅱ、観光地としてのアメ横。Ⅲ、賑わいと回遊性。Ⅳ、「アメ横的」なコミュニケーションの快楽。それぞれ、なかなかおもしろい。調査と統計もおもしろいのだが、分析に引用される、さまざまな学者が述べていることが気になったりする。それに、アメ横で働く労働者の状況にまで目配りしている。だけど、詳細に読んで、考えなくては、そう簡単に感想を書けないことばかりだ。

いま、どこの商店街も「観光化」をめざしている感じがある。「活性化」イコール「観光化」という感じなのだ。やどやゲストハウスの女将も中野観光協会なんぞでがんばっているのだが、観光地ではない商店街の「観光化」は、ようするにこれは一つの景気づけなのだと思ってやるぶんにはよいが、いろいろ難しい問題をはらむ。

アメ横の場合、「観光地」という性格はゼロではなかったが、「商業地」が長く、その他にない商業地としての魅力が観光につながってきたという印象を、おれは持っている。近隣の飲食店などを相手に卸の商売をしていた商店が、核の一つになっていたけど、その状況は、変わりつつある。

と、書いていると長くなる。こうしてはいられない。といいながら、縦長通り抜け型のアメ横の場合は、近隣商店街との回遊性が課題になるだろうし、アメ横ショッピングセンターの活用も課題だなあと思うこともあった。そして、こういう報告書を見ると、おれはマーケティング屋で、似たような調査をしてきて、市場調査には社会調査も含まれるけど、こういう社会学の社会調査と重なるところが多く、だけど、マーケティングと社会学では、やはり違うのだから、どこが違うかというと、主には分析の視点と分析になるのだろうかとか、「市場」と「社会」の関係は難しい、あれこれ、考えることが多い。このへんで、やめておこう。しかし、学生も、いろいろだろうが、この学生さんたちは、すごいものだ。

それに、アメ横は、ますますおもしろい。五十嵐さんが「まえがき」での述べているように、「わずか南北500m余のアメ横という空間が、消費社会化と購買行動の変化、コミュニケーション志向の変化、再開発と観光化、グローバル化と多文化化、そして情報社会化といった、現在の社会学的な大テーマが凝縮された場所である」からだ。

ああ、大統領へ飲みに行きたくなった。いやいや、早く仕事を一段落させて、この報告書を、じっくり読みたい。

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2013/05/24

送電線と鉄塔のある風景は、何を語るか。

今日の日中は、暑くて眠くてビールが飲みたくて、あまり仕事がすすまなかった。

チョイとツイッターをのぞいたら、「都市ハラ」だの「東京脳」だのというつぶやきがあって面白かったが、あまり付き合う気もなく、見るのをやめた。近頃は、あまりツイッターとは、付き合っていないなあ。酒が入っている時は、けっこうつぶやいているが。フェイスブックのほうは、月イチていどの投稿で、ときどき「友達申請」があるといけないからチェックするぐらいか。

ま、もともと、あまりベタベタするのも、がつがつせかせか「加速化」するのも苦手だから、マイペースだね。ツイッターやフェイスブックのおかげで、加速化している自分に気づかないひともいるようだ。人間に余裕がなくなっているというか。ゆったり呼吸しているって感じがないね。たまには深呼吸しなさいよと言ってみたくなるツイートもある。

「東大宮往来者」は更新した。やりだしたら、自分で面白くなっている。今日のお題は、「気になる送電線と鉄塔のある風景。」…クリック地獄

とにかく、昨日は進行中の本の原稿に、チェックとムチが入ったし、今月中に片付けなくてはならない放っておいた仕事や、来月頭の出張取材だのなんだの、なにかとせわしい感じだ。暑いのが気になって能率が落ちるのは、トシのせいか。汗をかきかき馬車馬のように、てなわけにはいかない。

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2013/05/23

みちくさ市と荻原魚雷×前野久美子(仙台・火星の庭)トーク。

02618日(土)19日(日)は、鬼子母神通り商店街みちくさ市。

19日、前回に続き、2回目となる荻原魚雷さんがホストのトークを聴きたくて、行った。自分の東京カルカルでのトークが金曜日にあったりで、いろいろ立て込んでいたので、事前予約はなし。ま、満席になることはないだろうから、と思ってのこと。

早めに出て、ひさしぶりに十条の天将で、やきめしを食べながら、生ビールやレモンハイなどを飲んで、腹ごしらえ。というか、酩酊した。会場に着いて、古本のみちくさ市を、ざっと見て、まいど出店のお歴々、岡崎武志さんや塩山芳明さんに挨拶。

027みちくさ市には、前々回の『みんなで決めた「安心」のかたち』出版記念トークで縁ができた、柏の「ジモトワカゾー野菜市 in 鬼子母神通り商店街みちくさ市」も開かれ、新鮮な野菜などが販売され、大いに好評。トマトなどは、おれが着いた2時ごろには、売り切れだった。

トークは、3時半から。ゲストは、仙台で火星の庭というブックカフェを営む前野久美子さん。

そうそう、前回のことは、2013/03/21「エロ全開の日の翌日はエロ全開OKのトークの日。」に、「荻原魚雷さんと倉敷の蟲文庫の田中美穂さんのトークは、期待した展開で、なかなか面白かった。後日、書くツモリだが、魚雷さんは山﨑さんと並んで、野暮でごくつぶしでぐうたらな未来の「希望」である。」なんて書いたままになっていた。

断るまでもなく、「野暮でごくつぶしでぐうたらな未来の「希望」である」というのは、おれとしては、最上級のほめ言葉というか可能性への期待の表現だ。

というより、おれのエネルギー源という感じか。だから、荻原さんと山﨑さんのイベントには、なるべく行って、面白がって、残りが少なくなっているおれの人生を痛快に生きる妄想をする。これが、エネルギー源なのですね。

それはともかく、前回のゲスト、倉敷・蟲文庫の田中美穂さんも、じつに痛快な生き方をしている、そして今回の前野さんも、そうなのだ。一見、田中さんはおとなしい、一見、前野さんは活発。だけど、2人とも地方にいて、高校卒業してから、ある意味では「好きなように生きて」、そして、本を扱う店を開く。それも、訳知り顔の人たちからすれば、ずいぶん乱暴な、開業だ。

おれがナゼ荻原魚雷さんに興味を持っているかという話は長くなるからやめるが、そもそも、「本好き」の本の話や業界の話だけではなく、こういう女子と、人生の機微にふれる話ができるということもある。

おれが面白かったのは、前回の田中さんとのトークでは「消去法の人生」をめぐる話し、今回の前野さんとのトークでは、前野さんが「キープできればいいの」といった感じで言った、「キープする人生」とでもいえそうなことだ。

これは、ほんらいは、昔からの生き方のキホンだと思うが(消去やキープの基準が違うことはあっても)、とくに高度成長以後の、東京をモデルとした「先」を競うライフスタイルの中で、あまり語られなくなった大事なことだと思う。そういうふうに、貴重な古本を発掘するような楽しみがあるトークなのだ。

荻原さんと前野さんは、おなじ1969年生まれ。2人は、このトークの準備ために、事前にメールを交換していたが、当日、その全文のプリントが参加者に配られた。

前野さんは、震災で被災し、直後はお子さんと関西に避難していた。仙台にもどってからは、反原発のデモにも参加してきた。2人のメールでは、震災のこと原発のこと運動のことが、かなり語られている。このことをめぐってのトークは、あまりなかったが、この文章があれば十分。これは、もう、貴重な資料。

最後に、みちくさ市からトークの会場へ行く途中、都電荒川線の上の橋を歩いていたら、ちょうど電車が来たので撮影した。そうそう、トークの会場で、ひさしぶりに浅生ハルミンさんと会って、立ち話。

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2013/05/22

東大宮往来者で、農業と農地を考える。

新しく立ち上げたブログ「東大宮往来者」に、「駅近くになしやぶどうの直売農家。でも、農地は減る。」を投稿。
http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/blog-entry-9.html

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2013/05/21

盛況御礼、古墳にこーふんナイト。

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006去る17日の「古墳にこーふんナイト」は、なかなか充実した内容で、大いに楽しかった。もちろんおれは、出演者は無料の生ビールを、たぶん5杯ぐらいは飲んで、十分楽しんだ。平日なのに、お台場なんていう、辺鄙なところまで、大勢さんにおはこびいただき、ありがとうございました。

東京カルチャーカルチャーでの古墳トークは、これで4回目だったかな?初回が、2010年12月21日だった。行くたびに、カルカル周辺の景色は変わり、ようするに、だんだん「街」のような感じが出来上がっていく。でも、ハコがあるだけで何もない街、まわりの人も「何もない街ね」とささやきあっているのだから、おもしろい。

ま、いちおう、お台場サンセットの景色を撮り、見上げれば空にはメーリーゴーランド、その下にカルカルがあって、案内板があるという光景。

005この日は、「古墳にこーふんナイト ~まりこふんの古墳ソングお披露目&奈良・群馬高崎の古墳めぐり旅~」という長いタイトルで、「まりこふんの古墳ソングライブ<新曲披露(箸墓古墳の歌)ほか>」がメイン。司会は、いつものように、テリー植田さん。まりこふんさんと、古墳にコーフン協会理事長の伊藤壮さん、そしておれ。それに、スペシャルゲストとして、まりこふんさんと共演するウルフルケイスケさん。という顔ぶれだった。

平日なので、お客さんの到着が遅れがちだったから、19時スタートを30分遅らせて始まった。トップバッターがおれ。あまり酔わないうちに、おれにしゃべらせようというコンタンか。

おれは「面白いぞ、関東の古墳」というスライドを用意した。おれの場合、古墳でどうコーフンするかについて語ろう、それはいってみれば「とりとめのないコーフン」だってことで話した。2013/02/24「NHKの番組のため古墳部活動。」に書いた、そのとき、スソ古墳部長が作った資料と、撮影した写真、そこから派生した「オオカミの護符」のおもしろさ、さらに、以前に古墳部活動で行った、千葉の「枕石」から天保水滸伝へと、縦横無尽というよりは、やっぱりとりとめなのないコーフンを語った。

A002ようするに、関東の大地の上に暮らしながら、この大地の暮らしの歴史については、あまり知られてない。どこそこにこんな店がある、こんなおいしいものを食べた、こんな物がはやっている、銀座や渋谷におけるファッションはねこうなんですよ、なーんて、上っ面のことを小利口そうに語っていれば、そこに街の暮らしがあるかのような錯覚をおかし続けている。って、これは『オオカミの護符』が指摘するところであるけど。関東という大地で暮らすことについて、とりとめのない面白さ発見の話なのだ。

つぎが伊藤壮さんで、おれはこの日初対面だった。東京に住んでいるけど、奈良出身の方で、この日のために、わざわざ里帰りして、いろいろ撮影してきた。これが、おもしろかった。古墳の一つ一つを丁寧に紹介するのではなく、とにかく、奈良にはたくさん古墳があるわけで、しかもそろぞれ特徴がある。そこのところを、動画もまじえてスライドでガンガン見せる。桜井市の茶臼山古墳だったかな?のそばにあるテリー植田さんの実家の写真もあって、愉快だった。

そのあと、まりこふんさんが、意外や意外、古墳めぐりしながら集めた古墳グッズなどを紹介。古墳チェアや古墳クッションの「大物」から小物まで、武人埴輪の最中もあるのだ。いやあ、おもしろい。

そして、少々の休憩をはさんでのち、まりこふんさんの古墳ソングライブとなった。爆音のような声量で、とうとうと歌い上げる、古墳愛。ちょいと宮内庁を皮肉るクスリもきいて、何度聴いてもよい。そして、そして、ウルフルケイスケさんが登場。もう、古墳ロックですよ。いや、おれの感じとしては、古墳ロカビリーって感じで、このナマの感覚は、1962年以来のコーフンだった。ケイスケさんは初対面だったが、すごくおもしろい人だ。

なんと、ケイスケさんの実家は、高槻市の今城塚古墳の近くとあって、トークが始まる前の控え室では古墳談義で、大いに盛り上がった。今城塚古墳は、「継体天皇陵」をめぐっていろいろ物議があることだし、行ってみたいところ。

ま、そんなこんなで、けっきょくおれは、飲み干すとスグおかわりが出る生ビールを5杯ぐらい飲んで、そのあと軽く打ち上げ飲み、電車の時間があるから、一足お先に失礼したのだった。

このトークの様子ぜんぶ、ユーストでご覧いただける。後半の古墳ソングライブだけでも、どうぞ。http://www.ustream.tv/recorded/32944011

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2013/05/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」8回目、新橋・むさしや。

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5月17日金曜日は第三金曜日で、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の日だった。この日は、東京カルチャーカルチャーで古墳トークをやることになっていてジタバタ過ぎ、昨日は原稿の締め切りがあってジタバタが継続、今日になってしまった。

古墳トークのほうは、盛況で、中身もこれまでになくバラエティに富んで充実していた。ご来場のみなさん、御礼申し上げます。あとで、このブログで報告するとして、とりあえず大衆食堂ランチの件。

今回は8回目で、新橋のむさしやのナポリタン。

ちょうど原稿を書いているときに、ネットのニュースを見たら「今、ナポリタンが再び注目されています」てのがあった。そのあとには、NHKの「きょうの料理」かなにかでもナポリタンをやったというニュースがあった。ま、マスコミの「注目されています」というのは、自分たちで「いまこれを仕掛けています」と同じ意味だから、あまりあてにはならない。だけど、庶民においては、ナポリタンはねんがらねんじゅう、注目の食べ物なのだ。

むさしやの行列は、その半分ぐらいがナポリタンねらいだし、同じ新橋でむさしやとは駅をはさんで反対側のビルの中のボンヌフでは、昔から、ほとんどの客がハンバーグがのったナポリタンを食べている。

ま、ナポリタンに能書はいらない。単純だが、満足度が深い。

いつものように、本紙には店舗の外観写真が載るが、Webにはないので、ここに掲載しときます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013051702000186.html

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2013/05/15

久しぶりの北千住。「さよなら蔵展&なかだえり の 駅弁祭」のお知らせ。

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きのう、取材のため、北千住へ行った。3年ぶりぐらいか。

以前、千住のムックを作ったのは、2002年ごろのことだから、あれから10年、西口駅前再開発で丸井ができたり、大学が3つもできたりして、大きく変わった。その間、ときどき遊びに行っては、見ていたけど。

ま、東口のように「学園通り」なんてものができて、大きく変わったところは変わり、宿場町通りなどは少しずつ変わっているという感じか。いちばん変わったのは、千住の住人ってことになるだろう。工場があった時代の職人は姿を消し、工場のあとに建ったマンションの住人が増えた。

古い店も、槍だんごなど、建て替えたところもある。建物が古くなっているからねえ、耐震問題もあり。梅の湯も建て替えという話しを聞いたので、外観の写真だけ撮っておこうと思って、取材のあと時間があったので、行った。ついでに、なかだえりさんの蔵アトリエも、以前行ったとき、すでにユサユサゆれる状態だったから、いつ建て替えになるかわからんと思い、撮った。

で、帰ってきてメールを開いたら、なんと、なかだえりさんから「さよなら蔵展&なかだえり の 駅弁祭」のお知らせメールが届いていた。「14年14回目を迎える蔵展ですが、この度アトリエの立ち退きのため最後の開催となります」と。やはり、そうか。

5月25日(土)~6月2日(日) 13~17時
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://www.nakadaeri.com/

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見よ、JAさいたま東大宮野菜直売所。

はてさて都市近郊農業は、どうなるのか。メディアまわりの騒ぎだけで、都市生活者のなぐさみもので終わるのか。それとも、どのような可能性があるのか。ってことで、「東大宮往来者」に、「JAさいたま東大宮野菜直売所で考える。」を投稿した。…クリック地獄

そのブログの、「薫風のなか市民の森へ その3」にも書いたように、おれはかつて、畑をやったことがある。なんだかんだで、クワで耕すにしては、けっこう広い面積を、のべ2シーズンぐらいやった。

「畑仕事は根気がいる、そのほんどは、育つ過程の観察と手入れだ。その根気をやってこそ畑仕事をしたことになる」ってのが、その教訓で、いまこれまでになく畑に近いところに住んでいるのだけど、安直に手を出すことはせず、じっくり考えてゆきたいと思っている。なにしろ、かつてのように体力はないし、根気もない。

それにしても、JAさいたま東大宮野菜直売所の、この風貌、すごいでありましょ。

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2013/05/14

「懐かしさ」の不思議。

古い話しだが腐るほど古くはないと思う。このことは、忘れないうちにメモしておきたいと思っていた。

例年、12月の上旬ごろに開催の清龍酒造「新酒祭り」だが、今回は、昨年末をとばして、今年の3月23日(土)と3月24日(日)の開催だった。

前回は都合悪くて参加してないから、久しぶりの参加だった、23日、蓮田駅に、13時30分集合だったかな。

野暮連の、コン、シノ、タノ、あ~名前なんだ、ド忘れで思い出せない、スペインだからスペとしておこう、それに、これは本場のドイツからの旅人男2人という顔ぶれだった。

途中の話しは、簡単にする。とにかく飲んだ。なにしろ、清龍酒造「新酒祭り」は、入場無料の飲み放題の太っ腹の祭りだ。そのうえ、ドイツ野郎2人が一緒だったから、日本人は、ガイジンにヨワイ、無駄に優しく親切だ。いやいや、それどころじゃない、この2人は、まだ20代で、美男だったから、それはもう、旅の恥はかきすてみたいな日本オバサンが、ガイジンと見ればガイコクにいると思ったのか、もうすごい、酒を持ってせまりまくる。ドイツ野郎の胴に腕を回して、離さないわけですよ。こらあああ、ホストクラブじゃないんだぞ!と、やっかみ半分の、まったくモテルことを知らない、おれを除く野暮連は、そのそばで、おこぼれちょうだいにあずかり、いいじゃん、みんな楽しいのだから。と、最後まで、飲みました。まあ、どれぐらい飲んだのだろう。

それから、蓮田駅にもどった。ここからです、この日のドラマは。蓮田駅のホームに、チョイとスレンダーな白人の美女が一人いたと思ってください。たぶん30歳弱ぐらい。

その女子と、ドイツ人がペラペラやりながら、同じ電車、つまり、われわれはこれから大宮へ行って、いづみやで飲もうということだったのだが、その電車に乗った。しかも、大宮で彼女も降りて、一緒に改札を出た。

あとでわかったのだが、彼女は、その日は桜めぐりをしていて、蓮田の桜を見たあと、大宮の氷川神社の桜を見るつもりだったらしい。それで、われわれと一緒に降りたのだが、われわれは、そうは思わない。トウゼン、誰からともなく、「どう、一緒に飲まない?」となった。すると、彼女は、二つ返事でOK。

そのときの男たちのよろこびよう。目に浮かぶでしょ。書きますまい。でも、これは、若い美男のドイツ人2人がいたからこそでありましょう。

それで、話しは、ここからです。

いづみや第二支店に、ちょうど座れる席があった。やれやれと落ち着いた。座って、お互いに自己紹介などして、落ち着いたあと、彼女が、「うわわわ、なつかしい~」と言いながら、スマホでいづみやのメニューの札が貼ってある壁などを撮りだしたわけですよ。

「え~、なんで、あんたが懐かしいのよ~」。だって、彼女は、アメリカはカルフォルニアの女で、もうカルフォルニアの女という感じで、明るい太陽のようだったけど、初めて仕事で日本に来て3年目だった。日本語は、かなり堪能。なにしろ、公立中学で英語を教えているのだから。

それにしても、いづみやで「懐かしい~」って、いったいどういことだ。カルフォルニアには、懐かしい昔に、こういう店があったということなのか、そんなはずはないよな。とか、突っ込んでも、彼女は、「懐かしい~」と言いながら、バチバチ写真を撮ったのでした。

その後は? うふふふのふ。いやあ、いい女子でした。しかし、「懐かしさ」って、なんだろう。

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2013/05/13

「米と肉」からの差別は、どうなっておるのか。古くて新しい差別の問題。

一昨日の2013/05/11「腹が減る肉体労働で食費の苦労」だが、五十嵐泰正さんが、これにリンクを貼ってツイートしてくださり、いろいろな方にご覧いただいているようだ。

「こういうとこを考えていくことは重要|「肉体労働者が作業着のまま気楽に飲めるところは少なくなっているようだ」「いろいろ文化的なイベントが盛んだが、そこで中心的役割を果たす「中間層」には、作業員姿の参加は最初から眼中にないようにも見える」」
https://twitter.com/yas_igarashi/status/333721182404763649

ほかにも、「最近「ラーメン職人になりたい」のでなく「手っ取り早く【経営者】になりたいからラーメン作ってる店主」が多くなったと感じるが http://goo.gl/xIVJL こんなこと何も考えてないか、店の造りはむしろ拒絶してるとしか思えんよな」というツイートもあり、そういわれてみれば、確かに、作業員姿でラーメンライスを食べてる光景が見られるラーメン屋は、少なくなったなあと思ったりした。

この件は、五十嵐泰正さんの『みんなで決めた「安心」のかたち』にも関係することで、その本を何度か読むと、やはり根っこにある「差別」を考えざるを得なかった。食と差別は、古くて新しい問題なのだ。

たまたま、いま読んでいる資料に、そのことに深く関係する文章があった。これはもう、いまこそ、よく考えなくてはいけないなあと思っている。

『imago[イマーゴ]』1993年9月号は「〈食〉の心理学」特集で、原田信男さんが、「米と肉のロンド」を書いている。「〈食〉をめぐる差別と国家」について述べている。

見出しを並べると、「稲作の始まりと国家の成立」「稲作の推進と肉の排除」「肉=穢れの深化」「食べるものと階級・差別」「肉食解禁の混乱と差別の固定化」「肉食文化と日本の国家領域」「肉はどのように食べられてきたか」「現代の差別と「肉と米」」。といったぐあいで、縄文や弥生あたりからの食と差別を扱っている。読みやすいが、ずいぶん、重い内容だ。

そこで、原田さんは、差別そのものについても考察を深めている。いま考えなくてはいけないのは、「差別は時代によって変化する」ということだろうと思った。いまの「差別」は、どういう状態なのだろうか。

支配階級による米の独占と、そのために肉食へ追われた人たち、水田を上位とする価値観と肉が排除される方向、そして穢れの思想の上に身分制度がのっかり、といった具合に差別は続いてきた。そして、いまでは、イチオウは、穢れの思想も身分制度も否定する「民主主義者」も多いようだ。

だけど、原田さんは、突っ込む。「肉食解禁になっても差別が残るのは、人間が内面的に持っている差別意識、優越感みなたいなものを払拭しきれないためで、よっぽど自立的な社会にならないと、差別はなくならないと思います」

被差別部落民だけじゃなく、被爆民や癩病患者や特殊な病気になった人や、沖縄やアイヌの人たちに対する差別を指摘する。

被爆民や癩病患者や特殊な病気になった人に対する差別の存在は、今回の放射能災害と食品汚染問題をめぐっても、あからさまになった。自分は「差別意識」を持っていないと思っていた人たちが、しかもなおかつ差別してないと言いながら差別する。そういう「無意識」の差別が、あからさまにあったし、いまもある。

そうなのだ「無意識的に規定している」差別が、あるできごとから、表面に浮上してくるのだ。

原田さんは、まだまだ突っ込む。これは重要な指摘だと思った。「いわれなき優越感、どこか絶対多数に所属しているというだけで、区別が差別に繋がっていくような発想が、まだ一般的に存在しています。おそらくそれが自立した一個の人間として、それぞれが他者の存在をきちんと認識できるような意識、感覚が持てるような社会になるまでは、差別は形を変えて残っていくものと思われます。身分に関わる差別は、何百年と続いてきたものですから、これをふっきっていくにはかなりの時間がかかるでしょう」

「我々は食物が眼前に物として存在することを当然のこととしており、その過程を知りません」そこに生まれる「自己中心的な世界をどのように解放していくか、という自覚を持てるかどうかにかかわっているように思われます。つまり、自分と違う他者が存在しているということを、どれだけ現実の問題として認識していいくかが、あるいはしみついているかいないかが、真剣に問われるでしょう」

「なかなか人間という奴は複雑でしょうけれども、自分を見つめ社会を見つめる目というものを各自で持ち、その根源をそれぞれが内省的に見つめられるようになれれば、差別というものはなくなっていくと思われます」

「どこか絶対多数に所属している」ということだが、これは、かつてのマスコミだけが「絶対多数」の支配下とは、SNSなどによって状況が変化していると思う。

趣味や嗜好や価値観の合う仲間やグループの「つながり」を確認し合うような拡大があり、そこに「多数」を確認するだけで、優越感を持ち、さらに「大」「小」に関わらず権威ある紙媒体や中央のメディアに取り上げられたりしたら、その優越感は、確固たるものになってしまう。それから、そのつながりから、自分は正しいことをしているという「優越感」を持つことも、あるようだなあ。

そのあたりから、「自己中心的な世界をどのように解放」するかではなく、自己中心的な世界を拡大する方向へ向かう。これは、キケンなことだと思う。

だいたい、差別なんてのは、「意識」や「文化」が「高い」ほうが、「低い」ほうを規定して区別し差別するものなのだ。その点、「中間層」は、とくに気をつけなければならないし、しっかり「低層労働」を視野に入れておく意識が欠かせないと思う。

ほんと、「真剣に問われる」時代だと思う。差別を批判するのは大事だろうが、それは「自分を見つめ社会を見つめる目というものを各自で持ち、その根源をそれぞれが内省的に見つめられる」ことでないと、批判だけして意識が高いつもりになり、どこかに差別を生むことになりかねない。

「よっぽど自立的な社会にならないと、差別はなくならないと思います」。『みんなで決めた「安心」のかたち』は、その自立的な社会を限定的に実現してきたものだろう。この本は、掘れば掘るほど、いろいろ考えることが多い。それだけ「濃い」内容だってことだ。

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2013/05/11

腹が減る肉体労働で食費の苦労。

このあいだ、酒場で同じテーブルになった人は、そこでよく顔を合わせる、いわば二人ともその酒場の馴染なのだが、彼がペヤングの大盛りの話しを始めたことから、いろいろはずんだ。

彼は、建設関係、ゼネコンの下請けの会社で働く。管理職ではあるが、現場の管理職なので、ようするにガテン系といったほうが、わかりやすいか。朝は、同じ現場で働く何人かで、ワゴン車に乗って仕事に向かう。

途中で、コンビニに寄って、朝めしを買う。ペヤングの大盛りを買うと、これ一個で、腹は一杯になるから安上がりだ。だけど、割と早く腹が空いてしまうので、ニギリメシを一個買って、一緒に腹に詰め込んでおく。これに飲み物を買うと500円ぐらいになってしまう。しかも、ペヤング大盛りは、最初はうまいと思って食べていても、最後のほうになると、もういいという感じになる。

いつもこれというわけにもいかないから、カップラーメンとニギリメシの組み合わせもある、その場合は、ニギリメシが二つはないと、食べた気はしないしもたない。本当は三つぐらいは食べたい。でも、野菜を食べなくてはとサラダを買ったり、あれこれ、うっかり買うと、すぐ1000円になってしまう。コンビニは高い。カネと腹をいい塩梅におさめるのは難しい。

昼は、なるべく食堂を使うにしても、腹が空いているから、1000円を超過しやすい。それで仕事のあと飲むと一日で5000円が消えることになる。それじゃ稼ぎにならない。

昼もコンビニで買うことが多いのは、汚れのついた作業着のまま入れる食堂が少なくなっていることもあるようだ。安いファストフード店でも、入りにくいらしい。その立場になってみないと、わからないことだなあと思った。

わからないといえば、ワゴン車で乗り付けて、何人かがペヤング大盛りを買うと、すぐコンビニのポットのお湯が足りなくなるそうだ。

それはともかく、居酒屋あたりでも、「階層分化」がすすんで、肉体労働者が作業着のまま気楽に飲めるところは少なくなっているようだ。飲酒運転の規制が厳しくなってからは、クルマの移動が多い作業員は、自宅か、いったん帰宅して自宅の近くで飲むようになったという影響もあるかも知れない。

しかし、「階層分化」で、「中間層」と「低層労働」との間の断絶も、広がっているように思う。いろいろ文化的なイベントが盛んだが、そこで中心的役割を果たす「中間層」には、作業員姿の参加は最初から眼中にないようにも見える。「地域おこし」や「まちづくり」を謳うイベントでも、そういう印象を受けることがある。

そういう意味では、「B級」「ご当地」グルメ系は、無難のようだ。

いや、そういうと、いやそんなことはありません、どなたでも参加して欲しいです、排除なんてありません。と、たいがいの主催者は、いうだろう。だけど、そういうことではない。誰でも相手にしているような安いファストフード店でも、作業着姿だと入りにくいと思うひとが少なからずいる状態になっている、そのことなのだ。

東大宮の場合は、飲食店の「階層分化」は、あまりすすんでないように思う。女性相手のカフェ風は別にして、それと何軒か、チョイとスノッブな店はあるが。

彼も仕事帰りに作業着のまま飲んでいるが、たいがいの居酒屋が、作業着姿と、スーツあんどネクタイと、大学があるから学生、これが混浴状態だ。サイゼリアあたりでも、そう。

あまりスノッブな店はないし、教養や文化や芸術の香りが漂い、そういう人たちが落ち着いて飲食するところですという感じを演出している店もない。ブックカフェやブック居酒屋など、とんでもない。そういうセグメントすら、成り立たない。

こういう混浴状態の場が普通であるべきじゃないかと思うのだが、あれこれの動向を見ていると、ますます難しい感じになっている。断絶は、まだまだ広がるのだろうか。ほんらいの共食は、どんどん遠くなる一方で、趣味や嗜好の合う仲間やグループだけの「共食」で「つながり」を確認し合うような拡大は、なんだかキケンなニオイがする。

と、話しは、思うわぬほうへ転がった。

本日は、「東大宮往来者」のブログも更新しました。…クリック地獄

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2013/05/10

とりとめのない歩行 東大宮往来者。

去年から、別にブログを立ち上げようと思っていたのだが、新しいブログを立ち上げてしまった。

こんなことしている場合じゃないけど、そんなときにかぎって、エイッヤッとやりたくなって、やってしまうものだな。しかし、今度は、FC2を使ったのだが、使いこなせば、よさそうなんだが、ほとんど全貌がわからないまま、テキトウに設定をして始めた。

これまで当ブログのカテゴリーに、「見沼区・宇都宮線・東大宮(店)」と「見沼区・宇都宮線・東大宮(散歩)」を設けて、東大宮界隈をいろいろ書こうと思っていたけど、ここではほかのことが優先しがちで、うまくいかない。なのに、地元のことだから、しょっちゅうふらふらして、ネタも写真もたまるのに、ほっておくうちに、あちこちで聞いたネタは忘れてしまう。そのうち、めんどくせえ、ってことで、そのまま。

近頃は、ツイッターやフェイスブックが中心になりつつある人が多いようだけど、どちらも、のんびりしたところに欠けるようになった。

余裕がないというか。とりとめのないつぶやきを楽しむより、目的や目標の追求、それもあらかじめ絞られたテーマにそったプロモーションのような機能というか。それは、その必要があって、大いに有用という人も多いだろうし、それについて、とやかくはない。しかし、けっきょく、マスコミや大手広告代理店のミニ判じゃないの。マスコミや大手広告代理店がやるなら悪だが、自分が小さくやる分にはよいとか、同じクラスタならよいという感じで、それはチョイと違う感じがする。

小さいからよい、面白いじゃなく、なんだかはみだしているから面白い、こんなのは誰も面白がらないだろうなあということを、ツイッターやフェイスブックだから楽しむ。そんな余裕が、だんだん無くなっている感じだ。なにかにつけ、なにかの得点稼ぎ。それも、成功という階段につなげるための。

ま、世間が世知辛いから、仕方ないのだろうが。ニッチにしがみつきながら、マスにのることを目指しているような動きもあり。自分が好きに出来るメディアで、これでは、どうもな、という感じもある。

こういうおれも、近頃は、もっぱら告知などのプロモーションが多くなっているような気がして、ますますツマラナイ。ツマラナイことは、あまりやりたくないから、ばかしか書いてなかったフェイスブックでも、近頃はほとんど投稿してない。ツイッターは、酔ってるときが多いが、おれは酔うと、割とまっとうなことを言いやすいので、オモシロクナイ。

それに、おれは、あまりひとのことには、興味がない。この場合の、ひとは、個人のことだが、誰がこういった、誰がこんなことしている、そんなことは、どうだっていいじゃないか、大雑把にいこうよ、なのだ。これでは、ますます、ツイッターなど縁がなくなる。でも、ツイッターは続けるだろうけど。

とにかく、見られることも、何かの成果も期待することなく、ま、何かになったらなったでよいが、とりとめのない歩行をやるには、ブログがよい。これまでも、そうやってきたのだ。そんな気がしている。

ってことで、「東大宮往来者」、サブに「とりとめのない歩行 さいたま市見沼区東大宮と東大宮から」とのたもうて、はじまり、はじまり。
http://entetsuhigashioomiya.blog.fc2.com/


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2013/05/09

どうして「趣味の審判官、味覚の真実の判定者だと」信じ込むのか。

「客観」や「中立」は自然に存在するものではない、一人ひとりが、これまで生きているうちに、家族や学校や友達や、さまざまな関係のなかで、自分のなかに棲み付いた主観や偏見を見つけ、向かい合うことで、客観や中立に近付くことを続ける以外ない。

ということを、本の原稿を書いていると、あらためて思う。だから、書くための資料より、自分の主観や偏見と向かいあうための資料を、多く読むことが必要になる。

『imago[イマーゴ]』1993年9月号は、「食の心理学」特集だ。そこに管啓次郎さんの「舌はいつだって混成の途上にある」という寄稿がある。

引用が長くなるが、備忘メモの必要もあって、ここに。この文の前に、いわゆる「南北問題」に帰結するような料理をめぐる話しがあって、この文章になる。以下……

「さまざまな料理について語ること」は、それ自体、きわめてローカルな態度だ。いろんな土地、いろんな文化グループの料理をひとところに集め、並列し、必要な金銭と交換にそのどれでも好きなだけ楽しむことができるように準備した北半球の大都市では、実際に入手可能な味の多様性に対応して、料理をめぐることばもまたとめどなく成長し、はなやぐ。東京で、ロスアンジェルスで、人はタイ料理/エチオピア料理/ニカラグア料理を同列に語り、それらのレストランの優劣を論じることができる。混沌とした味覚の熱帯は、北の大都市が独占しているのだ。こうした大都市に住みながら、人は味覚の「世界」を手に入れたと思いはじめる。自分たちをみずから任命した趣味の審判者、味覚の真実の判定者だと信じこんで、そこに誇りと自信となぐさめを見出す。だが、そんな都市の住民であるぼくらもまた、じつは「世界都市」という自分たちのたったひとつの棲息環境、みずから宣言した代表権によってグローバルを表象するローカルな一都市に、透明な鎖でつながれている存在にすぎない。いろんな料理を努力も抵抗もなく味わうことができるということ自体が、あるきわめてローカルな拘束なのだ。このパラドクシカルな限定を忘れて他の土地、他の舌について饒舌に語るとき、ぼくらはまったくうとましいやつらになってしまう。

……以上。

料理の分野に限らず、いまや、このパラドクシカルな限定を忘れて、他の土地や自分が「専門」とする他の何かについて、饒舌に語ることが多くなったように思う。「こうした大都市に住みながら」、人は何かの「世界」を手に入れたと思いはじめる。ときには、チヤホヤされて、その気になりながら、みずから自分を審判者や判定者に仕立てる。自分が、何かの代表であり中心にいると、カンチガイしてしまう。自分は、ほんのわずかなきわめてローカルな拘束のなかにいることを、忘れてしまう。

けっこう見かけるし、自分もアブナイ。だから、その危険をおかす危険を、よくわかっていなくてはならないってことだ。

管さんは、「しかしこれから、そんなうとましさの危険をおかして、ぼくが知る範囲での料理とその周辺のことばの密林に分け入ってゆかなくてはならない」と、分け入るのでありますが。このように、刺激的なことを、おっしゃる。

「料理が語られるのは、ある文化と別の文化との「あいだ」においてのみのことだ」「そしてこれらの「あいだ」で語られる料理をめぐることばは、大体つぎの三つに分類できると思う。報告/教育/空想だ」

それにしても、管さんのおっしゃることは、いつも、示唆や刺激にとんでいる。

以前も引用があるエントリーを検索してみた。
2008/01/22
「アラバマのグリッツ」にカレーライスの歴史を考える。
2008/01/17
再び「旅する舌のつぶやき」。
2008/01/16
旅する舌のつぶやき。

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2013/05/08

読売新聞「食堂紀行」そして17日の古墳トーク@東京カルカル。

新聞とってないし読む機会がないから知らなかったけど、先日野暮連の男に、読売新聞で「食堂紀行」をやっている、Webでも見られると教えてもらった。

読売Webサイトで「食堂紀行」を検索すると、ありました。これです、これ。
http://search.yomiuri.co.jp/index.html?q=%E9%A3%9F%E5%A0%82%E7%B4%80%E8%A1%8C

「地元の人に愛され、交流の場になっている食堂が全国各地にある。店の名物料理を味わいながら、土地の人々の人情にも触れることができる。そんな魅力的な食堂を訪ねる旅に出た」ってことで、1回目が、「復興へ大盛りで応援」のタイトル。

「福島県三春町にある「石井食堂三春店」は、仮設住宅に隣接するプレハブで営業している。この仮設住宅には、東京電力福島第一原発事故で全村避難している同県葛尾(かつらお)村の村民が暮らす。店主石井一夫さん(57)も村民。この仮設住宅に家族で生活している。/ 石井食堂は葛尾村唯一の食堂だった。創業50年近くになる。だが2011年3月の震災で営業休止を余儀なくされた。同年11月にようやく再開できたが、場所は仮設住宅内。「三春店」としてだった」。

2回目は、「「さば煮」で若者は腹いっぱい」のタイトルで、「京都市北部、世界遺産・上賀茂神社の近く。「さば煮 食堂 今井」の暖簾(のれん)が揺れる小さな店に、連日多くの人が列をつくる」。ご存知、有名店。

そして4回目の関西も、「「仙人」が炊く自慢のご飯」のタイトルで、やはり、これはもう、「超」がつくほどの、ご存知有名店の「銀シャリ屋ゲコ亭」だ。あのオヤジさんが登場しています。82歳!

おれは、3回目の「懐かしいデパートの楽しみ」の文章が、よく雰囲気が出ていて、すごく愛着を感じた。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20130430-OYT8T01512.htm

「岩手県花巻市には懐かしい食堂が今も残る。訪れたのは、マルカン百貨店の6階。エレベーターを降りると、目の前が「大展望大食堂」だ」。

ああ、いいねえ。この店名からしてよいし、「大展望大食堂」という名称もよいなあ。

そこで記者が食べたのが、「ナポリカツ(550円)。スパゲティナポリタンのケチャップが、トンカツに絡まってうまい」。ようするに、トンカツのっかりナポリタンだ。この、テキトーさ加減が、いいねえ。

ナポリタンも日本的テキトー食だと思うが、その上に、トンカツという、これまた日本的テキトー食をのせる。気取らない食べ物だ。

これで、おれは、新橋ボンヌッフのハンバーグナポリタン(正式名称は違うかも知れないが)を思い出した。あそこへ行くと、たいがい、これを食べているんだよね。それも、黙々と食べている男が多い。のっかるものが、ハンバーグとトンカツの違いはあっても、ココロは同じだろう。

それはともかく、そして、記者は、デザートにソフトクリームを食べる。

「ソフトクリームを見て驚いた。高さ25センチほどある。これで150円。ウエートレスの菅野多美子さん(47)は、「うわっと声を上げるお客様も多いんですよ」と教えてくれた。/巨大ソフトクリームは、なぜか箸で食べるのがここでの流儀だ。側面から、箸でそぎ取るように食べる。みな真剣な様子だ。記者も挑戦。こぼすことなく食べ終え、ほっとした」。

いやあ、情景が目に浮かびますね。そうなのだ、大衆食というのは、即物的に腹を満たすようなものでありながら、その場所にしかない楽しさ、つまり、うまさがこもっているのだと思う。そこのところが、よく書かれていると思ったのだ。

署名記事で、1回目と、この3回目のマルカン百貨店の食堂を書いたのは、崎長敬志記者。

この方は、署名記事ではないが、以前、[いとしの古墳]の1回目「謎に興奮、ロマンに夢中」で、古墳シンガーソングライターのまりこふんさんを取材したり、おれも登壇した「都内のイベント会場「東京カルチャーカルチャー」で開かれた「古墳でコーフンナイト!」」も取材して記事にしてくださった。その記事も、読売Webサイトでご覧いただける。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=37576

で、最後は、宣伝になるが。来週にせまった、17日金曜日は、東京カルチャーカルチャー@お台場で、「古墳にこーふんナイト ~まりこふんの古墳ソングお披露目&奈良・群馬高崎の古墳めぐり旅~」がある。

おれも登壇予定で、まいどのことながら酔って、チョイとタイトルからずれたことを話すかも知れないけど、きっと面白い刺激的な内容になるはずだ。関東の古墳とオオカミの護符、てな感じかなあ。

ま、とにかく、よろしくね。お台場の古墳トークで会いましょう。詳細と申し込みは、こちら。
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_130412204227_1.htm

こうして、本日のブログは、読売新聞の「食堂紀行」から「古墳にこーふんナイト」へ無事につながったのだった。

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2013/05/07

「加速化する衣食住」は、どこへ行くのか。

黄金週間の前半の4月28日、来日中のケン・イトウさんと会った。当ブログを検索したら、前回会ったのは、去年の4月26日だから、ちょうど一年ぶりだ。

2012/04/26
来日中のケン・イトウさんと会った。

彼が気に入っているという大戸屋で飲み食いしながら、激動する世界と日本の位置とうまいめしの関係について、語りあった。で、ようするに、おれたち70歳だよねえと、激動する70歳はどううまいめしを食うかという話しにもなった。

彼は、去年と同じように、アメリカは食べ物がまずい、日本は何を食べてもうまい、うますぎる、と何度も言う。これが普通だと思って、とくに感謝もないのだから、「日本人は、やっぱり平和ボケだなあ」と言う。

彼は、1960年代の後半に渡米し、そのまま住んで、永住権は持っているが、市民権は申請したことがなかった。だけど市民権をとることにしたと言った。日本は二重国籍を認めないから、アメリカの市民権をとると日本国籍は失われる。こんど来るときは、日本人じゃなくなっていると、笑った。食べ物がまずい国の国民になるのだ。

福祉も日本のほうが充実している、アメリカは本当の金持ちじゃないと、老人施設など入れないと言った。自分は、のたれ死にだよ、と言う。それでも、アメリカ人で死ぬのだ。

また食べ物の話になるが、彼は、アメリカの食べ物は何十年たっても、まったく進歩がない、だけど、日本はすごいね一年で進歩している、去年より新しいメニューが増えうまくなっている。

その中にいると気づかないが、言われると、確かにそうだ。余裕も大らかさも失われて。

おれは、うーん、それって、いいことかなあ、競争が激しくて、しなくてもよい「進歩」をしている感じもあるからね、と言う。そんなに競争が激しいの、というから、そりゃもう外食産業は大変ですよと、アレコレ話す。

彼が渡米した1960年代ぐらいから、「世相の加速化」が始まった。衣も食も住も、大量生産のもとで、どんどん加速化して、それがいまでも続いている。いまでは「作る」だけじゃなく、「評論する」も増えて、「大」も「小」も同じように競走し、どんどん加速している。こんなに急いで、どこへ行く、という感じだ。

かつての「小」や「マイナー」は、「大」や「メジャー」のスピードに抵抗するかのように、別のマイペースの動きだったのに、いまや一緒に「加速」している。それが普通になったようだ。そこにも、しなくてもよいと思われる「進歩」が急がれている感じだ。ま、大衆食堂などは、あいかわらずマイペースが多いけど。

ケン・イトウさんは、去年もお土産にくれた彼のOK牧場のTシャツ、その新しいデザインを、またお土産にくれた。1年に1つの新しいデザインのペース。

彼は加速化からは遠い牧場で、韓国製の電気釜と最近入手した土鍋で、うまいめしを炊いて食うのが楽しみだ。それと自分で獲る鹿の肉と、バーベキュー。そうそう、バーベキューだけはアメリカだと言った。

のたれ死にするには、加速化から遠い地域が広いアメリカがよさそうに思えた。

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2013/05/05

祝「ミーツ300号」、日本も面白くしてほしい。

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5月1日発売の『ミーツ・リージョナル』は300号ってことで、300号特集。とりあえず、300を12で割ってみた、25。つまり25周年。あ~、割ってみなくても、創刊号からの表紙がズラズラ並んだページの見出しに、「ミーツ・リージョナル、街と戯れながら四半世紀」とありました。

正式の特集タイトルは、「300号記念特集ミーツのいい店、100の人。」です。

001とうぜん、「ミーツの創刊から210号を編集し続けた名物編集長・江弘毅さん」のインタビューから読んだ。この雑誌は、バブルの最中に創刊され、92年の「バブル崩壊」の衝撃波が続いているうちに阪神大地震があったわけで、その頃の大変さと、そこをくぐりぬけた力強さといったものを、しみじみ思った。江さんの、元気のよいデカイ声も聞こえてきそうなインタビュー。

おれが、初めてミーツに関わったのは、244号、2008年10月号。トツゼン、編集の藤本さんにメールをいただいたのだった。「ザ・めし」特集でありますね。大阪まで行って取材。下の写真の右下あたりに表紙がある。

つぎが、2010年7月号(265号)「酒特集」に、「もっと飲ませろ!」を寄稿。つぎ、2010年12月号(270号)「居酒屋特集」の「居酒屋に人が集まる本当の理由シリーズ」のコーナーに、「新説・居酒屋は“駄菓子屋”だった」を寄稿。2011年3月号(273号)「天満特集」では、木村衣有子さんと天満を取材、競演。2012年1月号(283号)「ザ・汁特集」に「エンテツの汁かけ論」を寄稿。2012年9月号(291号)「天王寺特集」では、天王寺を泥酔取材。

いずれも、楽しく仕事をさせてもらった。

しかし、雑誌の歴史って、面白いな。街というか、ナマの世間、浮世そのものという感じがある。街のざわめき、酒のニオイも人のニオイもする。それは、ミーツならではなのかも知れない。

おれは、出版業界や雑誌業界のことをあまり知らないから、雑誌のステータスなど気にしないで、どんな雑誌でも、いつも気楽にやっているのだが、あらたまって本号を見ると、いやあ、かなりトンがった鋭い感性と深い哲学を持った気鋭の雑誌なのだ。そこを、「情報誌」というスタイルでくるんでしまうのも、またうまいんだなあ。

って、いまごろ気がついたのかと言われそうだが。おれは、そういうなかで、凡庸に気楽にやりすぎたか。でも、もともと鈍くて凡庸なので、がんばっても何も絞り出せないからな。そう思いながら、パラパラ見ているのであります。

ま、これからも、大いに活躍してほしいね。関西を面白くするだけじゃなく、こういう雑誌があるだけで、日本が面白くなる。

それにしても、毎月一冊、これだけの雑誌を作るのは大変だ。商業誌なりの難しさもあるだろうし。おれにはやれない仕事だな。商業誌で働く、とりわけ「情報誌」の編集労働者は、偉いと思う。

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2013/05/04

戦略転換は出来たかな、のニオイ。

「戦略」なんて言葉は、使わないですむ世の中がよいに決まっている。だけど、まあ、戦略を考えることも必要な世の中なんだな。

長いこと、そういうことを考える、「プランナー」なんていう稼業をやってきたせいもある。

戦略というと、「成功戦略」みたいなのばかりが注目されるが、おれのように「それゆけ30~50点人生」にも戦略が必要だったりする。

はて、このあいだ、確か「戦略転換」なんてことを口にしたはずだと思って検索してみたら、なんと、2008年の1月のことだった。

2008/01/20「まだ終わったわけじゃない。」に、「ことしは、とにかく戦略転換なので、新機軸に積極的にのぞむつもりなのだ」なーんて書いている。あとで読むと恥ずかしいことを書いている。なんども書くように、書くことは、恥をさらすことなのだ。

しかし、戦略転換を図ってきたのは確かで、それがまさか2008年に意図していたとは、いやはや時間がすぎるのは早いというか、自分がグズだったのか、ようやっと舵を切り終えた感じがある。

トシとってからの戦略の切り替えは大変なのだ。そんなことやらないで、惰性でゴールに向かえばよいトシなのだが。なんてのか、ようするに、人生の第4コーナーをまわって、最後の直線コースの走り方ですね。「走る」といっても、あせらず急がず、じっくりと。

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酒は裸で飲むがよい?

内田百閒『第二阿房列車』(旺文社文庫)を読んでいる。

「雪中新潟阿房列車」に「面倒だからお風呂は省略して、しかし襯衣(シャツ)を著てゐるとお酒がまづいから、素肌になつて宿の浴衣とどてらを著た」とある。「どてら」は漢字だが、パソコンには無い。

言われてみれば、確かにそうだ。シャツを着ているとまずくなるってほどじゃないが、素肌に浴衣のほうが、うまいのは確かだ。と、思い当たることがある。なぜだろう。シャツを着ていると窮屈だからだろうか。

素っ裸で飲んだほうが、解放感があって、さらによいかも。

なにはともあれ、内田百閒は、酒の味そのものについては、あまりとやかく書かないが、飲み方や食べ方のことになると、飲み食い始めるまでの流れ順序も含め、けっこうウルサイ。

モノに頼らない自分なりの楽しみ方を持っているのではないかと思う。

モノについて、とやかく言う人には「文化」を感じないが、こういう人には「文化」を感じる。内田百閒は付き合ってみたい人物ではないが。

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2013/05/01

『上京する文學』で、上京を振り返る。

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黄金週間の前半、東京へ行ったら、おのぼりさんらしい姿も多かったけど、いかにも上京したて、という感じの若者もいた。どこで識別するかは、うまく言えないが、なんとなくわかる。間違っているかも知れないが、そういうことにして、自分が上京したころを振り返る。毎年のことだが、何度振返っても、新しい記憶の発掘はない。

今年の場合、大いに違うことになった。家に帰ってから、岡崎武志さんの『上京する文學』を読んだのだ。きょねんの10月に新日本出版社から発行になり、11月に買って、一度読んだものだ。おれは、あまり本は買わない、かなり気になる本だけ買い、気に入ると何度でも読む。

岡崎さんも上京者だし、おれも上京者だ。しかも『大衆食堂の研究』も『大衆食堂パラダイス!』も、上京が大いに関係する。

『上京する文學』は、「上京」という切り口による、近代以後の文学の読書案内といえる。「漱石から春樹まで」とあるように、斎藤茂吉、山本有三、石川啄木、夏目漱石、山本周五郎、菊池寛、室生犀星、江戸川乱歩、宮澤賢治、川端康成、林芙美子、太宰治、向田邦子、五木寛之、井上ひさし、松本清張、寺山修司、村上春樹の、その上京、あるいはその作品にある上京を、ひも解いていく。

例えば、夏目漱石では、『三四郎』の話しから、このように結ぶ。三四郎は、熊本からの上京者だが。

「繊細に揺れ動く受信機たる上京者を主人公に据えることで、漱石は変貌しつつある東京を、その底を流れる川のような東京人たちの群像を描くことができた。あまりに素っ気ないタイトルの向こうに、職業作家・夏目漱石のなみなみならぬ野心が見える」

記憶のなかで錆がまわっている『三四郎』を、新鮮な気持で読み返したくなる。それから、江戸っ子より江戸っ子らしく、東京人より東京人であろうとした、上京者の作家たちが、カワイイ。それぞれの「東京同化ストーリー」がある。

時代によって、上京の様子は、そのキッカケや交通手段も含め、異なる。読みながら、自分の上京と重ね合わせてみる。しかし、どれ一つ、重なるものがない。

そのワケは、おれは何のココロザシも動機も情熱もないまま、とりあえず東京の大学を受験し、入れたから上京した、ということだったからのようだ。どうしても東京へ出たいということはなかった。なのに、新潟市にあった新潟大学は、まったく眼中になかったのは、どういうわけだろうかと考えても、思い当たることがない。ただ、どこにいても、親から離れ、食っていかなくてはならなかった、その貧乏暮らしが、東京で始まったということだった。

そんなことを振返ってみるが、なんの新しい発見もないという繰り返しなのだ。

しかし、岡崎さんの文章は、芸があって、面白い。会って話している岡崎さん、そのままが、ってのは、大阪のお笑い芸人のような大阪人そのままの感じの話しぶりが文章に出る。映画もよく見ているようで、小説と映画の絡みも、面白い。

それに、とりわけ日本文学の空気であるような、日本的な私小説につきまとう、深刻ぶったり、ダメ人間ぶったりすることなく、ぐいぐい作家と作品にわけいる。それが、気持ちよい。

宮澤賢治の話しでは。ほとんどが貧農という岩手で冷害続きのなか、「賢治のチェロも顕微鏡もレコードも童話の出版も、上京も農民ごっこも、もっと言えば粗食も、金持ちの道楽と言われても仕方がない」と喝破するあたりは痛快でもあり、岡崎さんの誠実さに、拍手だった。なかなか、こうは言い切りにくい、文学的空気であるからねえ。

ところで、上京といえば、言葉の違いもさることながら、食べ物の違い、そのギャップに関する話しがあると思ったが、これが、そういう意味では、ほとんどない。菊池寛のところに、東京の親子丼が「実にうまかった」話だけだったのは、意外だった。

おれのように、上京して、そう、あれは黄金週間のあとだったか、どうしてもぜんまい煮が食べたくて、新宿ション横の食堂に意を決して入ったなんてのは、あまりないことなのだろうか。

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