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2013/06/29

上野の大統領のち東大宮のちゃぶと太郎をハシゴ、泥酔記憶喪失帰宅そしてやまだ農園の「やさいはんず」。

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昨日は、15時半に上野の大統領支店で、須田泰成さんと待ち合わせ。また新しいプロジェクトが動きだす。ほんと、須田さんは精力的だ。ま、40代で脂がのっているころだからね。それにしても行動的、おれのようなジジイは、声をかけてもらえるだけでもありがたく、必死でついていっている。とにかく、ガンガン飲みながらしゃべり、19時過ぎまで。

かなりよい気持ちで宇都宮線に乗り、ついでに、先日、南陀楼綾繁さんに聞いた、北浦和でブラボー川上さんが始めた酒場へ行ってみようかと、途中下車。ブラボー川上さんは、藤木TDCさんと『東京裏路地〈懐〉食紀行』を書いた方。以前におれが北浦和に住んでいたころ、よく利用した商店街に実家があって、ブックカフェあんど酒場のようなものを始めたらしい。

酔った頭でも、酒場はなんなく見つかった。戸が開け放たれていて、長い暖簾のような布をわけると、あまり大きくない店内は、満席。見るからにブラボー川上さんの父上とわかるひとが、片隅に立っていて、「おーい、お客さんだよ」というと、その父上にそっくりのブラボー川上さんが奥から顔を出し、料理でも作っていたらしい忙しくあせっている感じで、「すみません、満員なもので」という。ま、見ればわかることなので、では、またといって引き上げた。チラッとだったが、外観も中も、全体の空気も、〈懐〉食紀行に登場しそうな店だった。ついでに、志げるが元気でやっているかを確認し、東大宮にもどった。

そのまま帰ればよいものを、足がちゃぶに向かう。カウンターに顔見知りの常連が2人。盛り上がって飲み、ボトルから、なんとかという焼酎までご馳走になって、すっかり酔った。これで帰ればよいものを、駅を東口から西口へ渡ったら、足が太郎へ向いてしまった。すると、カウンターには、一週間前、先週の金曜日に初めて会った若いカップルがいるではないか。彼らは、このあいだ太郎に初めて来て、すっかり気に入ったらしく、ボトルを入れて飲んでいた。やあやあと盛り上がる。

ここで、記憶がなくなる。何を食べたか、何を飲んだか、まったく思い出せない。

Dscn2306今朝起きたら、ベッドのなかだった。ところが、ところが、外で酒を飲んでの泥酔記憶喪失帰宅は、めずらしくないのだが、今年になってからの異変は、家にたどりつくと、玄関をあがったところや、そこに続く部屋の床で寝ちゃうことだ。ベッドのある2階まで上がらないらしいのだ。

すると、家人が起こして、おれは起こされて、自分で2階のベッドへ移動して寝るらしいのだが、それすらも覚えていない。朝起きるとベッドのなかだから、泥酔記憶喪失でも、まっとうにちゃんと行動し寝たと思っている。

そういうわけで、昨夜は、ついに証拠写真を撮られてしまった。なぜか、手をアゴにあて、なにごとか考えこんだ様子で寝ている。そう、近頃は、考えることが多く、泥酔で寝ているときまで考え込んでいるのだ。

それはそうと、今日は、ひさしぶりに、運よくというべきか、近くのやまだ農園の「やさいはんず」がやっていて、ナスとトマトを買うことができた。とれたての野菜は、とにかくうまいですからねえ。今夜は、これを食べる。

その前に、「東大宮往来者」に、このやまだ農園のことを書いた。「やまだ農園の「やさいはんず」のナスとトマトを買った。」…クリック地獄

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2013/06/23

よくわかる都市社会学と世界文化遺産登録の富士山。

五十嵐泰正さんから、中筋直哉・五十嵐泰正編著『よくわかる都市社会学』(ミネルヴァ書房)を頂戴した。いやあ、よくわかるだけじゃなく、スイスイ読めて、おもしろい。

いまは、この本の写真を撮って載せる余裕がココロにないほど追われている状態なのだが、どんどん読めちゃう。困った。

そもそも、最初の「Ⅰ 都市の歴史と現在」からしてだ。「ニューヨーク 繁栄と格差の象徴」「メキシコシティ 古代の都市と重なる現代の都市」「バルセロナ 国境を超えてEUを支える都市」「ロンドン クリエイティブ都市へ向けて」「マニラ 発展途上国のメガシティ」「鞆の浦 歴史とともに生きる港町」「豊田 自動車産業都市の歴史と現在」「東京 破壊された都市」「大連 植民地都市」「上海 全球化(グローバル)時代の"紅い"世界都市」といったぐあいで、ついつい読んでしまう。東京と並んで鞆の浦ってのに意表を突かれたし、しかも、「東京 破壊された都市」なんて、想像外想定外の内容におどろく。

「Ⅱ 空間と文化:都市の社会理論(1)」「Ⅲ 都市構造:都市の社会理論(2)」「Ⅳ まちづくりの構想と技法」「Ⅴ 都市の装置とメディア」「Ⅵ 都市社会調査法」「Ⅶ 都市社会学のパイオニアたち」「Ⅷ 都市社会学の横断」

どれも、刺激的。中筋直哉さんが、「はじめに」で、「執筆人は、伝統的な都市社会学を専攻する方から、隣接領域の研究者、実践家も含めて幅広く依頼した。新鮮かつ先鋭なものとするために、大部分を40代以下の若手としたことも特徴といえる」

初田香成さん、原口剛さんなど、シンポジウムで一緒に登壇した方々も書いている。普通は、あまりなかった、顔合わせもある。

五十嵐さんは、いくつか書いているけど、最後の「Ⅷ 都市社会学の横断」で、「「都市」社会学、「都市社会」学、そして都市「社会学」として」を書いている。これが、また刺激的。この「横断」てのが、キモだね。社会も社会学も、横断がフツウだと思うけど、けっこうタテ社会で、横断不足だったんだよな。

別に、社会学を志していなくても、「街」や「町」に関わって生きているし、フリーライター稼業もそうだが、都市で暮らしていれば仕事で「街」や「町」に関わることが多い。そういうひとたち、みんな、読んで欲しい、いま最も新しく俯瞰的な「まち入門書」でもあるね。

と、コーフンして、一気に書いてしまった。

富士山が世界文化遺産に登録されたそうで、ここ東大宮からは富士山が見えることがあるので、「東大宮往来者」に、東大宮から見た「世界文化遺産登録の富士山。」を掲載した。これ、ひとつの、文化社会学的切り口?なーんてね。…クリック地獄

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2013/06/22

東京新聞「大衆食堂ランチ」9回目、鎌倉・あしなや。

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昨日は第三金曜日で、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」が掲載になった。9回目で、鎌倉駅東口近くの「あしなや」の「サンマーメン」を取り上げた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013062102000168.html

あしなやは、2.26事件と阿部定事件があった昭和11年の開業。神奈川の「ご当地ラーメン」といわれるサンマーメンは、わからないことが多いけど、あしなやでは、戦前からあったようだ。

837じつは、この食堂の壁の張り紙を見て、カレーライスについて一家言あるようなので、気になっていた。原稿を書く前に、もう一度行ってカレーライスを食べて、よかったら、ミニラーメンとカレーのセットを載せようと思っていたのだけど、なにしろ、ここ東大宮から鎌倉は遠く一日仕事になるので、忙しくて行く時間がないうちに締め切りが迫り、3月に鎌倉へ行ったときに寄って食べた、ラーメンかサンマーメンにしようと思い、話題性のあるサンマーメンを選んだしだい。

3月に行ったときは、このあと鎌倉をぶらつき、開店早々のヒグラシ文庫に寄り、飲んで帰った。鎌倉もそうだけど、何故か近頃の観光地は、イタリアンだのカフェだのが増えているので、こういう食堂があると、ほっとする。ラーメンも、専門店のコッテリ系ばかり増えて、苦手なおれは、サッパリ味の大衆食堂のラーメンに出合うと、やはり、ほっとする。

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2013/06/20

イカレタエネルギー補給の三連夜は充実していた。

先週末、14日金曜日、15日土曜日、16日日曜日は、毎日東京へ出かけて飲んだ。疲れたが、近頃不足気味だったイカレタ突き抜けエネルギーを吸収できた。

14日は、さばのゆ@経堂で、木村聡さんのトーク。『週刊金曜日』第1週目に連載中の『満腹の情景』から、掲載できなかった写真も含め、スライドを見ながらの話し。いずれもジャーナルな視点からのものだけど、突っ込んだ現場の取材をやっているから、なかなかよかった。

それにしても、木村さんは、イカレタ人だ。もう20年ぐらいジプシーを追いかけているのもそうだが、ナイジェリアの隣の隣の隣あたりで、ゲリラに捕まったうえマラリアに罹ったか、マラリアに罹ってゲリラに捕まったりしたが、無事に生還。その人柄、とても、おもしろい。

で、その翌日の15日は、四月と十月文庫4冊目、堀内孝さんの『マダガスカルへ写真を撮りに行く』の出版を祝う会が、御茶ノ水のNARUであった。午後1時から。

入口のところで有山達也さんとバッタリ。彼は、半ズボンに麦わら帽子をかぶり、肩に虫捕り網のような棒を担いで、まるで夏休みの少年のような姿に見えた。虫捕り網のような棒は、前回の四月と十月文庫が有山さんの『装幀のなかの絵』であり、その脱稿旗として、出版を祝う会のときに授与されたものだった。今日は、それをもどして、堀内さんに渡される。麦わら帽子は、牧野さんも似たものを被っているが、牧野さんがクウネルの取材で、堀内さんとマダガスカルへ行ったときの土産なのだった。

有山さんと同じテーブルについて、あれこれオシャベリしているうち、堀内さんておだやかでおとなしそうに見えるけど違いますねという話になった。すると、有山さんが「イカレタひとですよ、でなきゃ、あんなことしませんよ」てなことを言った。大いに納得、そうだ、そうだ、イカレタ人だということになった。

006第一、本に書いてあるけど、堀内さんが最初にマダガスカルへ行ったのは、1990年4月のことだけど、そうなったキッカケは、『ナショナル・ジオグラフィック』1987年2月号と88年2月の『ブルータス』のマダガスカル特集を見てだった。で、「マダガスカルに行くしかない」と決意、1989年末、3年間勤めた会社を辞めてしまう。そして、雑誌の情報以外なにもないまま、マダガスカルへ行き、行きあたりばったりの最初の旅が始まる。

堀内さんは、そのとき27歳で、「それにしても二十七歳とは不思議な年齢である」と書く。しかし、27歳が不思議な年齢なのではなく、あなたが不思議な人つまりイカレタ人なだけです、と言いたくなるのですね。とはいえ、おれも27歳のとき、それまで4年間勤めた私立学校の職員を、休みも多く生活も安定して今頃は悠々年金生活をやれていたかも知れないのに、辞めて、マーケティングなんていうやくざな稼業に就いたのだった。

この祝う会で知った、堀内さんと「四月と十月」同人の代表、牧野伊三夫さんとの初めての出会いも、尋常じゃなく、イカレている。そう、そもそも牧野さんが、イカレタ人なのだ。それで、すべての説明がつく。

ま、そういうわけで、この日は、大変イカレタことになった。この方がいなかったら四月と十月文庫の発行はどうなっていたかわからないと思われる、やはりイカレタ人である発行元の港の人の里舘さんの司会で、祝う会は楽しく進行し、おれが最後に1本締めをやり終わったのであるが、トウゼン2次会、3次会となった。詳しいことは省略。ようするに泥酔記憶喪失帰宅だった。

つぎ、16日、日曜日は、浜野佐知監督を支援する会の『百合子、ダスヴィダーニヤ』DVD発売記念兼「浜野佐知映画祭」キックオフパーティーのようなものへ行った。午後5時から銀座PPサロン。

浜野佐知さんと山﨑邦紀さんのコンビ、浜野監督・山﨑脚本の自主製作も、1998年『第七官階界彷徨―尾崎翠を探して』から2001年『百合祭』2006年『こほろぎ嬢』そして2011年『百合子、ダスヴィダーニャ』といったアンバイで、まあ、この間に、映画が国際的舞台で話題になり、忙しく海外を渡り歩きながら、浜野さんは還暦を迎え、お2人ともそれぞれ、ピンク映画や薔薇族映画も撮り続けてきた。ほんと、ウルトライカレタ人級でありますね。

浜野佐知映画祭は、8月3日(土)から8月9日(金)まで、オーディトリウム渋谷にて、浜野監督の自主製作4本と山﨑監督の作品も含むピンク2本に薔薇族2本、すべてフィルムで一挙公開というもの。これは、いってみれば、浜野監督の凱旋映画祭といえるだろう。

浜野さんは、喜び隠し切れない様子で、「まだまだやる、ピンクも撮る」と叫んでいたけど、山崎さんともども、いつまでもパワフルなイカレタ人であってほしい。

『百合子、ダスヴィダーニヤ』の主演女優2人、菜葉菜さん(湯浅芳子役)と一十三十一さん(宮本百合子役)も参加していて、これなんで2人とも回文のような芸名なのかと思うのだけど、やはりイカレタオーラを放っていた。

ま、とにかく会場は、イカレタオーラに満ちていたが、ピンク系や薔薇系の方が少ないようであった。自主製作の一般映画とピンク・薔薇族映画とのあいだのミゾを感じなくはないが、そのへんは、浜野・山﨑コンビのイカレタ力で突破してほしいものであるなあと思いながら、飲み放題を生ビール、ワイン、ハイボールと飲みまくり、パーティー終了の午後8時に会場をあとにした。

東大宮で、足が、東口のちゃぶへ向かい、泥酔危機億喪失帰宅だった。

とにかく、『マダガスカルへ写真を撮りに行く』と「浜野佐知映画祭」を、大いに、よろしく。

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2013/06/17

読売新聞「味の私記」で、三枝成彰が神戸の皆様食堂を語る。

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先月末に、読売新聞神戸総局の記者から、大衆食堂について問い合わせがあって、知る範囲で答えた。6月10日の夕刊に、その記事が載り、掲載紙が送られてきた。

下段の広告を除き1ページ丸まる「味の私記」という欄で、三枝成彰さんが、神戸の皆様食堂について語っている。三枝さんは、大昔、おれが事務員をしていた私立学校の卒業生で、その校長宅で一度会ったことがあり、東京出身とばかり思っていたが、兵庫県西宮市の生まれなのだ。

それはともかく、見出しが「パワーの源 これぞ大衆食堂」。

「雰囲気は温かく、皆が垣根なく、無心で食事を楽しんでいる――。昔ながらの大衆食堂が大好きです。/学生時代は東京・新宿の食堂で友と一杯やるのが常で、今もいわゆる「三つ星店」は苦手。作曲の合間、葛飾の食堂なんかにふらっと出かけます。郷愁、なのかもしれません」という三枝さんは、2005年春、オペラ「jr.バタフライ」の公演で、2か月間神戸に滞在したときに、皆様食堂を知る。「たぶん15回は行ったかな」

ということで、三枝さんが「これこそが大衆食堂の一品」という「肉入り豆腐炒め」が、ドーンと写真入りで登場。

この記事がメインで、左下に「はしやすめ」のコーナーがあって、大衆食堂の歴史や現状などがまとめられている。おれに問い合わせがあったことは、ここに関係する。思いつくまま話したことを、調べていただいたりして、おれのコメントと合わせて、上手にまとめていただいた。

右下には「たべたくなったら」のコーナーで、皆様食堂が紹介されている。「ダシの効いたおでんは、拳二つ分の大きさの大根(150円)を、夏でも多くの人が注文」なんて書いてあるのを見ると、あのおでんの鍋を思い出し、よだれが口中にたまり、無性に食べたくなるのだった。

担当の記者は、東田陽介さん。ほんと、うまくまとめてくださいました。

ああ、皆様食堂へ行きたい。

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2013/06/13

いいよ木村聡さんの写真。さばのゆ@経堂でトークあります。

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すでに書いたように、新潟県十日町市魚沼コシヒカリの取材の写真を担当したのは、フォトジャーナリストの木村聡さん。

一昨日、写真のデータが届いた。まったくもって、素晴らしいドキュメンタリータッチの写真。おれの脳は、ますます魚沼コシヒカリ田んぼ化している。早くサイトに掲載して、たくさんの方に見てもらいたい、と思いながら、写真のセレクトと構成と文をどうするか、コツコツ作業を進めている。

木村さんは、十日町へ行く1週間ほど前に、エジプトに1ヵ月ほど滞在して帰国したばかり。何をしに行っていたかというと、ジプシーの写真を撮りにだ。すでに『千年の旅の民 〜<ジプシー>のゆくえ』という本を出しているが、もう長いことジプシーを追いかけているのだそうだ。

そのほか、ヨーロッパ、ベトナム、韓国などの旅と食の現場をめぐって、著書多数。目下、『週刊金曜日』第1週目に、『満腹の情景』を連載中。

今月は、経堂のさばのゆで、2回、トークをやる。

明日の14日(金) 「満腹の情景」トークショー(連載記事に盛り込めなかった取材のこぼれ話などなど。ニッポンの「飯食う人々」の姿をどうぞ)。

28日(金) 「千年の旅の民・ジプシー」トークショー(〝ジプシー〟とはいったい誰なのか。最新エジプト取材を含め、謎の民族ロマの世界へ)

どちらも、おもしろそう。行きたいが、都合つくか。今日の進行具合で、明日は行けるかも。みなさま、ぜひ、おでかけください。

木村聡(きむら・さとる)さんのサイトはこちら。いい写真、見られます。
http://www.pjkimura.net/

そうそう、十日町で仕事を終えての帰りのことを書いてなかった。

18時半ごろ十日町駅に着いたのだが、一時間に一本ぐらいのほくほく線が出たあとなので、駅近くの焼肉屋で一杯、19時20分ごろの電車で六日町へ。

このまま帰るのは、もったいないから、万盛庵で、いまが盛りの山菜の木の芽を食べて一杯やろうということで、途中下車したのだ。万盛庵に着いたら、もう20時近かったから、田舎町のことでたいがい20時となれば人通りもなく店は閉まる、すでにおやじも悦ちゃんも先客1名と飲んでいた。

木の芽が食べたい!と言うと、悦ちゃんが茹でてくれた。うーん、やっぱり、この季節の山菜は、木の芽だ。高千代辛口も、飲む。うまいねえ。

ここで、木村さんの著書『ベトナムの食えない面々』の写真を悦ちゃんが、いたく気に入って、ベトナムの食堂など、食べている人たちの写真などに、「いい、いい」を連発。木村さん「あげます」、悦ちゃん「じゃ、サインもして」という展開があったりして、にぎやかに電車の時間ギリギリまで飲んだ。

21時過ぎの最終に飛び乗った。越後湯沢でも、新幹線上りの最終だった。少し待つあいだ、木村さんはホームに座り込んでいた。ぐったり疲れた、ほろ酔い気分の帰宅となった。

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2013/06/12

昨日の続き、千住の「大はし」。

昨日は、はずみで話がそれて、カンジンなことを書き忘れた。『dancyu』にも書いたことだが、大はしは、建て替えのため、03年2月28日に閉店した。ちょうど、その日は、千住へ行く用があって、閉店前の大はしに寄ることができた。

「去る2月28日、『町雑誌 千住』の舟橋左斗子さんと北千住であったら、大はしが建替えのため、今日で閉店だという。それならと、4時半の開店前から店の前で待って入った。開店と同時に撮った写真がこれ」と、ザ大衆食のサイトに掲載してある。タイトルは「千住「大はし」の建て替え一時閉店」03年3月2日記。…クリック地獄

もう、あれから10年が過ぎたのか。あの頃は、まだ、開店前に客が並ぶということもなく、閉店の日でも、行列はなかった。いつものように、おやじたちが自転車でやってきては、うれしそうに暖簾をわけ、店内に消えた。

建て替えて、いろいろ変わったが、なかは、カウンターの一部がボトルの棚になったものの、ほとんど形を残し、オリジナルの木の丸椅子は、そのまま、小石を引いて固めた床も残ったり、もちろん煮込みの鉄鍋、もちろんおやじさん、要所に以前の様子を残している。再開発で、ガラリと変わるのとは、大いにちがう。

10年前と比べ、一番変わったのは、千住の街と大はしの客かも知れない。

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2013/06/11

『dancyu』7月号居酒屋特集で、千住の「大はし」を書いた。

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あまりに素晴らしい田んぼと、その田んぼに関わる素晴らしい人たちに会って、頭がすっかり魚沼コシヒカリ田んぼ脳と化して、告知が遅れてしまった。

去る6日に発売の『dancyu』7月号は居酒屋特集で、千住の「大はし」を書いた。もう、いろいろなところに登場し、ビッグネームのみなさまが書きまくっている、ビッグネームの「大はし」を、おれに書かせるなんて、書きにくいったらありゃしない。

しかも、たいがい本番取材が終わるころになって持ち込まれた仕事。取材が5月15日、原稿締め切りは、その週末というスケジュール。よほどヒマを見込まれたのか、と、思ってしまっても、ヒネクレ者とは言われないだろうタイミング。もちろん、揉み手をしながら、ありがたく引き受けた。ヒマだからねえ。

結果、いろいろな方に書きつくされた大はしではあるが、おれじゃなきゃ書けない、おれだから書けることはあるわけだ。

以前から、千住や「大はし」に、なにかというと「粋」という言葉が使われる傾向があった。ようするに下町っぽいと、なんでも「粋」にしてしまう安直があるように思うのだが、おれには違和感があった。千住や大はしは、「粋」というものじゃあないだろう、そうではなく「艶(つや)」だろう、という思いがあった。丁寧に言えば、「労働する生活から生まれる艶」だ。

それで、大はしの魅力は「艶」であり、「それは体を張って働く労働者の、湯上りの肌のような輝きだ。」と書いた。

これは、ビッグネームの方が書けば、なるほど~言いことを言うねえ、と、たちまち読者の感心感嘆礼讃を得られるかも知れないが、おれのような、バカな若造にもバカにされるフリーライター風情が、こういうことを書くと、たちまちバカにされ噴飯もの扱いになりかねない。

わかるひとにはわかるが、わからんやつにはわからん、そういう、開き直り戦略的選択で書くよりほかない。言いたいことは言った、考え抜いて書いた、あとは野となれ山となれの気分。

もっとも、これまでの『dancyu』とおれとの関係も、グルメでもなく食は生活と思っているおれにとっては、緊張感が必要な戦略的な関係だった。

出版業界と付き合い始めて20年弱、それほど深い付き合いはしてこなかったが、じつに、フシギな業界だと思う。なんといっても、商業出版にも関わらず、同志的ナレアイ、嗜好的ナレアイ、美学的ナレアイ、といった感じに、先輩後輩、師弟や学閥や腐れ縁や親愛関係、コネやエコひいきや仲間意識が複雑に絡んで、ようするに戦略的関係を築くなんて、むしろ邪悪な関係とみられそうな「高尚な文化」が存在し、けっこう力を持っている。愛憎からんで、もう何が何やら、同人誌とカンチガイしているんじゃないかと思うこともある。

おれは、商業出版は、お互い戦略的関係がよいと思っているし、『dancyu』とは、とりわけそういう関係でいかざるを得ないわけで、これが健全で理想的でよいのではと考えているのだが。

それは、ともかく。

001今号は、中綴じに「お通し大研究」ってのがあって、おもしろい。客からすれば、なくてもよい、ないほうがよい、あったほうがよい、いろいろ意見も分かれるところ。お通しで店の底力が判断できるというひともいる。大はしは、お通しナシだから、開店前から並んだ客が、開店と同時にドッと入ってくる、その集中する注文をさばくのが大変だ。

「毎日がフライデー」という小特集も、おもしろい。海老フライ、コロッケ、メンチカツなど、おれとしてはアジフライがあるのがうれしかった。「アジフライ正三角形説」はなかったが。

それから、「初夏のパクチークッキング」という文とレシピ集が、よい。やはり、男子厨房に入ろう会が源流の「dancyuらしさ」には、台所に立ちたくなる、いいレシピが欠かせない。

そういえば、魚沼コシヒカリの田んぼと人びとも艶があったな。労働する生活から生まれる艶は、とてもよい。

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2013/06/08

魚沼コシヒカリ十日町取材紀行番外編、おたまじゃくしも人間も水の子か。

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一昨日のエントリーに書いたように、今年は5月になってから、梅雨に入っても雨が少なくて、水不足の影響が危惧されている。

今日のNHKのネットニュースでも、「少雨 秩父市のダム貯水率2%余に」の見出しで、「関東地方は雨が少ない状態が続いていて、埼玉県秩父地方の水がめになっている合角ダムは貯水率が2%余りに減り、今後も雨が降らなければ農作物などへの影響が心配されています」と報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130608/k10015162961000.html

合角ダムは、荒川の上流、秩父市と小鹿野町になる。荒川下流の東京周辺では、水不足など感じられないほどの水量であり、梅雨の下の晴天をよろこんで暮らしているが、上流へ行くほど、降水量の影響はすぐ現れるし、まずは人間より農作物への影響が懸念される。そして、水不足が解消されないまま、真夏の冷夏旱魃ってことになると、大都会の人間にとっては寝耳に水の、何年か前にあったような、米不足の騒動になる。

今年は、まだどうなるかわからないが、雨の気配のない晴れた空を見上げて、心配しているひとと、よろこんでいるひとがいて、よろこんでいるひとが多いのは、確かだろう。

だけど、人間も、水に群がるおたまじゃくしと同じようなものだ、水なしでは生きていけない。アタリマエのことだけど、田んぼのおたまじゃくしを見て、そう思った。

最初の写真は、田んぼの水の出口に群がる、おたまじゃくし。よく見ると、水の出口に近いほうは、まだ卵の状態が残っていて、孵化している最中。孵化したばかりのおたまじゃくしは、母乳にむしゃぶりつく赤子のように、水の出口に群がっているのだ。

046001その水は、1mばかり離れた枡の中で、水量を調節されて、田に落ちるようになっているが、水不足だから水の量は調節もなにも、上の湧き水から引いている量そのままが流れていた。

別の田んぼは、川のそばにある平坦地だが、信濃川の上流の清津川が造った河岸段丘の平坦地のため、すぐそばに川があるのに、汲み上げしなければ使えない。なので、ここを田んぼに開拓した昔のひとは、川の上流で取水し、トンネルを掘って水を通した。とうぜん、手掘りだったろう。高さ1メートルちょっとぐらいか、人間は立てない。いまでも、そのトンネルを使って、水が確保されている。

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水量を調節する枡は、じつに簡単な原理による簡単な造りだが、ここでの調節を誤ると大変なことになる。気温、水温、稲の育ち具合を見ながら、調整する。細かく神経を使っているようだが、かなり大雑把な調整装置である。精密な装置であればよいというわけではなく、というより精密な装置は不可能であり、そこを人間の細かい神経が補っているというか、そして神経質になりすぎても、構造的には意味がない。そこに「神頼み」のようなものが生まれたり、「無関心」が生まれたりするのではないだろうか。

なにか、人工のものを間においての、人間と自然の付き合いかたを暗示しているようで、おもしろい。人工の、河川や水道、ペットボトルの水を使いながら、どうアンバイしたらよいのか、そんなことを考えた。「自然に」といっても、自然まかせでは、ひとは生きていけない。そして、雨が降らなくては、現代文明も大騒ぎ。

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2013/06/07

魚沼コシヒカリ十日町取材紀行番外編、松苧のそばと大地の芸術。

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昨日の続き。愛しい米作りの話は、後日まとめて掲載するとして、番外編名所案内メモ。

5日は、12時38分、大宮発の新幹線に乗った。東京から、須田さんと木村さんが乗っているはずだが、越後湯沢で下車してから合流。駅弁を買い、ほくほく線に乗り、十日町へ向かう。弁当を食べながら見る外の景色は、おれの故郷、南魚沼市の田んぼだ。ほとんど、田植えが終わっていた。

最初の写真は、よく当ブログに載っている、大沢周辺からの撮影。奥の高いところは、上越国境の谷川連峰の一部、標高約2000メートルの巻機連峰。ここを過ぎて、まもなくすると、おれが生まれ育った六日町。

次の写真は、六日町を過ぎ、魚沼丘陵駅に着く手前。正面に魚沼三山のうちの八海山と中の岳。魚沼丘陵駅は、六日町盆地の西端にあり、このあたりは、六日町盆地のなかでも、大沢周辺と同じように、田んぼが広々と続いている地域だ。

ここを過ぎて、すぐ魚沼丘陵のトンネルに入る。抜けると十日町市。十日町市は、古い市で、地理的には中魚沼地方になる。魚沼産コシヒカリの産地は、魚沼市も南魚沼市も南魚沼郡も中魚沼郡も、「魚沼」がつくけど、十日町市だけは、コシヒカリの歴史より古い市にも関わらず、市名に「魚沼」がついてない。だけど、魚沼地域であり、魚沼産コシヒカリの産地なのだ。

12時10分ごろ、十日町駅に着いた。市役所の方が3人、出迎えてくださった。2台のクルマに分乗して、現地に向かう。その前に、人気の蕎麦屋で昼食をすることになった。

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最初に取材予定の田んぼは、十日町から西へ、上越市境に近い松代なのだ。そこへ向かう途中の、「松苧(まつお)」という蕎麦屋。ここは、古い大きな2階建ての木造の店だけど、大地の芸術祭のときなどは、1時間以上待つほどにぎわうとか。

入って、草木のにおいをはこぶ風通しがよい、広い座敷のテーブルに座った。そのテーブルに、アサツキを盛った器が置いてあった。これを見ると、おれは「頚城が近い」という印象を持つ。おれが育った六日町あたりでは、アサツキを齧りながら蕎麦を食べる風習はなかったからだ。

013ワレワレは駅弁を食べたばかりだったが、おれ以外は、若くていくらでも食べられる。おれは、蕎麦だけにしてもらったが、みなさんは天ぷら蕎麦。

蕎麦は、この地方独特の、ふのりを使った、いかにも土地のものらしい腰の強い蕎麦で、盛りもタップリあった。都会の、こじゃれ気取った蕎麦を食べて通ぶっている人に、「こんなのは蕎麦じゃない」と言われるときがある蕎麦だ。しかし、ほんと、蕎麦の味覚は、いろいろだし、好みはわかれるだろう。

とにかく、十日町の蕎麦というと、いつもおれがヘタな手打ちよりうまいとほめる、玉垣製麺の乾麺、妻有蕎麦ばかりだったが、ひさしぶりに地元の手打ちを食べて、大満足だった。

014天ぷらは、山菜の季節なので、コシアブラなどの山菜がタップリ。うーむ、天ぷらでビールを飲みたい。そうはいかない。

松苧のまわりの田んぼのなかに、妙なものがあった。聞くと、大地の芸術祭の作品が、そのまま残っているのだ。このあとも、移動の先々に、表示があったが、最初は津南だけで細々という感じだった大地の芸術祭は、いまや十日町を含む広大な地域で行われているらしい。

取材する田植えの準備が遅れているという連絡が入ったので、先に「星峠の棚田」を見ることになった。さらに、西へ、山地を走る。上越市との境になる峠の近くに、そこはあった。

南魚沼には、こういう重畳とした景色はない。おなじ魚沼でも、地形が、まったくちがう。十日町は、言ってみれば、シワや段々の多い山地の地形だ。南魚沼は、シワが少なく急な山地が、ゆるやかな傾斜の平坦地を屏風のように囲んでいる。

「星峠の棚田」は、約30戸ほどの峠集落の人たちが耕作をしている。もっとも、山地のことなので、見える範囲、ぜんぶが棚田になっているのだけど。見た感じ、休耕地は少ない。

「兼業農家」は、本気で農業をやる気がないように見られがちだが、偏見というものだろう。もともと百姓で食っていたのに、食えなくなった、だけど米作りは面白いし続けたいということで、兼業しながら続けている人たちが、けっこういるのだ。

この日、取材した、棚田の兼業農家の方も、そうだった。そういう人たちによって、棚田は続いてきたのだが、いまや、経済効率の悪いお荷物のように言われるし、そんな中では、後継者も難しい。どこかで、なにか、逆立ちしてしまった。そして、棚田は「観光地」として、売り出し中であるのだが。

この日も、何組もクルマが来ていた。中には、鹿児島から来て、ビューポイントで泊まりの体制に入っている方もいた。

地方へ行くたびに、東京と地方の溝の深さを感じる。それは何度も書いている「社会的に食っている」ことの意識や感覚の欠落だろうが。生産者と都市の消費者とのギャップというかユガミというか。思いがけない大都会の無理解と横暴な言葉に出合うことがある。これは、なんという不正常と思うのだが、なにしろ、なにごとも中央目線のなかで、地方は東京に経済活動を押し付けているお荷物だ、ぐらいの感覚が、平然と首都を闊歩しているのだから、コトは簡単ではない。が、しかし、いま、その溝を埋めるような交流が、けっこう広がっているのも、事実なのだ。

「観光化」と「芸術化」は、いろいろ問題をはらみながらも、都市と地方が交流しながら生きることの可能性を広げているようではある。そもそも、「完璧な一手」などはないのだから、相互交流と理解を増やしながら、ってことになるだろう。とくに、民間レベルとしては。

まずは、観光気分で、東京からチョイと足をのばせば行ける、このあたりを訪ねるのも、よいのではないだろうか。「星峠の棚田」、名前からして、夜の星と棚田がきれいそうだ。

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2013/06/06

魚沼コシヒカリの産地、十日町市の田んぼと農家を訪ねた。

きのう、新潟県十日町市へ行き、田植え中の田んぼと農家を取材した。いずれも、評判の高い魚沼コシヒカリを作っているが、田んぼがある地形も、稲作の考えも、まったく違う。一方は、山の棚田、一方は川沿いの平坦地。一方は、種にコシヒカリを使用し、一方はコシヒカリBL。一方は、個人兼業営農、一方は、農業法人の営農。

そのように違うが、どちらも、無農薬あるいは減農薬で栽培し、販売は直販というのが、共通している。十日町は、山と川の町で、広い平野はない。農業経営が難しいといわれる、いわゆる、中山間地の農業だが、そこで、それぞれ土地にあった工夫をしている。ためいきが出るほど、よく手入れされた田んぼと出合った。ほんと、米作りは、土と人だ。

近年は天候の激変が多く難しい。今年は、水不足で田植えが遅れ気味だった、一部の水利の悪い田んぼでは、田植えのあと水をかぶっていなくてはならない田の土が露出しているところもあった。何日も、雨が降らないからだ。毎年一回だけの稲作りの勝負に、緊張の日々を送っている。田植えがすむと、毎日が草との格闘になる。都会地でうまい米が食べられるのは、その結果だ。

これからTPPで、日本の農業、とくに米作は、ほんとうに正念場を迎える。大きく様変わりする可能性がある。米を食べている人たちが、どんな農業、どんな米を望むのか、農家まかせにしておかないで、考えなくてはならない。

ということで、詳しくは、後日、こちらのサイト「遠藤哲夫の愛しい俺の米たちよ」に掲載します。
http://www.nippon1-project.com/241

きのうは、プロデューサーの須田泰成さん、写真の木村聡さんと、日帰りだった。現地では、昼ごろから、夕暮れが深くなる6時ごろまで、動きまわった。終わったあとのビールのうまかったこと。

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2013/06/04

6月8日は帰ってきたエンテツの泥酔論。

野暮酒場がツイッターで、告知をしていた。
以下。

【ご案内】6月8日(土)、第3回「帰ってきたエンテツの泥酔論~R-18 オトナの夕べ」開催! 内容につきましては、あまりにピーすぎるため、ここではご紹介できません。お許しください。当日をお楽しみに! 17時開店、18時スタート、投げ銭制。みなさまのご来店をお待ちしております。

【訂正】6月8日(土)、第3回「帰ってきたエンテツの泥酔論~R-20 オトナの夕べ」開催! 先ほどのご案内に「R-18」とありますのは、「R-20」の誤りです。闇酒場ですが、そこはやはり(笑)。

以上。
2013/05/27「『四月と十月』からエロへ転がり。」がらみのトークだ。はて、どんな話になるか、エロモノ初デビューまでのあれやこれや、とか。成人だから聴ける、成人でなければ聴けない、「大人なんだから」の話をエロ面白く語る予定。クソジジイによる透明酒場での透明トーク。

って、最近、「クソジジイ」と「透明人間」や「透明」が気に入っている。「クソジジイ」も「透明」も、なかなかおもしろいのだ。

しかし、ミーツ・リージョナルに長期連載の、ひさうちみちおさんによる「ひさうちせんせのちょっとHの学校」は、すごくエロな内容が多いと思うけど、なぜかエロとみなされないらしいフシギについても、考えてみたい。

今日の「東大宮往来者」は、「ちゃぶと太郎ハシゴ飲み、泥酔記憶喪失帰宅。」…クリック地獄
先月上旬、移転し、店名も「ちゃぶだい」から「ちゃぶ」になったちゃぶ。

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