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2013/11/04

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その2、山﨑邦紀さん。

山﨑邦紀さんから、メールで感想をいただいた。お買い上げいただいたうえに、このように丁寧な感想をいただき、ありがたい、うれしい。

「安吾の「日本文化私観」に比肩すると思った」「名文」なんて言われると、チト恥ずかしいが、売れないおれと著書への激励だろう。

山﨑さんは、ツイッターで「ちょろちょろ」ツイートした感想をフェイスブックにまとめ、どうせエンテツはフェイスブックなんぞやってないだろうと、このブログの2013/11/04「『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。」のコメントに投稿しようとしたようだ。だけど、ブログはいつの間にかコメントできなくなっていた、ということでメールでいただいた。それを、そっくり掲載させてもらいます。

じつは、おれはフェイスブックも、かなり放置状態ではあるが、イチオウやっていて、さっそく山﨑さんとフォローしあった。

「『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。」に「江原恵の『庖丁文化論』を知っているのは、おれより一回り下ぐらいまでだろうか?」と書いたが、山﨑さんもそれにあたるトシゴロなのだ。

山﨑さんからは、『庖丁文化論』を花田清輝が高く評価していたという話を聞いてはいたが、おれはコムズカシイ理論家のイメージの花田清輝の本は手にしたことがなく、知らなかった。今回の本を書くにあたり、江原さんがらみの資料をいろいろ見ていたなかに、花田清輝のその文章を見つけコピーをとったのだが、資料の整理が悪く、どこかに紛れ込んだままになっている。

『庖丁文化論』は、当時の、反骨精神旺盛で気骨ある「文化人」に高く評価された。70年代は、まだ、「食通」や「グルメ」に、一つの反骨のあらわれを見ることができた。いまや、「食」も「文化」も、すっかり消費社会のメインストリームに飼いならされて、反骨も気骨もありゃしない。と、シミジミ感じますねえ。

かつても「生活料理」は異端だったが、いまもたいして状況は変わっていない。「ありふれたものを美味しく食べる」どころか、あいかわらず偽表示・偽表示・誤表示だろうと「いいモノ」にこだわる話題がにぎやかで、エラそうにしている。

それはともかく。山﨑さん、どうもありがとうございました。「読後、思わず朝から野菜炒めを作って食べたのだが、その味にエンテツ本ほどの感動はなかった」で、思わず、笑わせてもらいました。

野菜炒めをつくろう!

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遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史ー「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』(ちくま新書)読了。
手軽な新書で、サブタイトルも軽いが、これはエンテツ大兄渾身の書ではないか。精神主義の日本料理の伝統に実用をもって立ち向かいコテンパンにやっつける。わたしは安吾の「日本文化私観」に比肩すると思った。

本書では、江原恵(料理人・著述家)との出会いと、かなり常軌を逸した二人が展開する「生活料理」の研究&運動に重きが置かれている。
エンテツさんが江原恵氏に初めて出会ったときの印象。

「そのころおれは、築地市場に早朝から出入りすることが多かった。江原はそこで見かける、板前の印象そのものだった。
濃い茶色のコールテンの、腰腿まわりダボダボズボン、ガニ股のごつい身体。計算と喧嘩がはやそうな尖った目つきの野生が弾ける面構え。スケベそうな口元がカワイイ。」

江原恵は『包丁文化論』(74年)で知られる料理業界の異端だった。エンテツさんのスケッチは、江原恵という人の真面目(しんめんもく)を生き生きと伝える、ある種の名文。

二人は73年に出会い、意気投合して、81年には江原恵生活料理研究所を共同で作るに至る。今回の書名の「大衆めし」は、この研究所に名付けられた「生活料理」とイコールだ。二人の共同理念と言っていいだろう。
「ありふれたものを美味しく食べる」が、その真骨頂。『大衆食堂の研究」といった著書のあるエンテツさんだが、趣味で大衆食堂を愛していたわけではなかった。「生活料理」を探求していたのだ。

15歳年上の料理人、江原恵の書いたデビュー作『包丁文化論』を読んだ時のエンテツさんの感想。

「驚き、かつ喝采だった。日本料理史上、これほどのお騒がせ本はなかったろう。権威筋からすればタカガ包丁一本の渡り職人が「日本料理は敗北した。正確には、日本の、料理屋料理は敗北した」と引導を渡し、敗北を敗北と認めない輩(やから)」と内部告発さながらの過激な言動をなした。狼狽と激怒と喝采が渦巻いた。NHKの料理番組の内容にまで影響は及んだ」。

この論文はエナジー叢書の懸賞論文に応募したもので、74年に本になったが、死ぬ前の花田清輝も大いに興味を持ち、高く評価していた。

第6章「生活料理と『野菜炒め』考」には感動した。この話題にもならない、ありふれた料理について、エンテツさんは自分の体験、薪や炭からガスや電気への台所の火力の変化、料理で使う油の普及、野菜の歴史、フライパンや炒め鍋など道具の導入…等々を踏まえながら、ダイナミックに考察していく。

「キャベツもタマネギも明治に本格的な栽培が始まり、大正時代に広く普及し始め、戦後に消費が急増する。ハクサイもまた、日清戦争以後の中国大陸への侵略がきっかけで、中国東北地方の山東菜の種を持ち帰り、本格的な栽培が始まった。こうして、日本に野菜炒めが誕生し普及する条件が整っていったのだ」

野菜の歴史について、これほど感動的に語れる人が他にいるだろうか。わたしはこの文章を読んで、野菜炒めが歴史の彼方から大きく立ち上がってくる気配を感じ、拍手喝采した。
読後、思わず朝から野菜炒めを作って食べたのだが、その味にエンテツ本ほどの感動はなかった。

このコンパクトな本の各所に銘記したいフレーズが沢山あるが、二つほど紹介する。

「日本料理や栄養学や文学から受け売りのウンチクが蔓延するなかで、最も語られて来なかったことは、台所に立って、料理の対象をよく見て、手でさわり、ニオイをかぎ、ときにはかじってみて、その状態を判断し、うまく食べる術を働きかけることだった。その楽しみ、快楽を失ってきた。そして「料理離れ」がいわれるようになった。「料理離れ」は、食品工業や外食産業やコンビニの進出のためだけではない。もともと生活料理を大切にしたり楽しむ伝統がお粗末だったのにも、一因があった。」

「普通の平凡な日々の生活の継続は、じつは大変なことであり、生きる美しさや楽しさは、そこにあるはずだと思うが、「日本料理」のような特殊な技巧や珍しい旬の味を尊ぶ思想からは、なかなか普通のひとの平凡な日常に光があたらない。新奇で特殊でマニアックでシュンな話題に群がり、目立ちたがり屋ばかりがのさばる。
生活料理は、まだまだなのだ。」

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