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2013/11/30

見沼田んぼ福祉農園を訪ねた。すごい充実した一日だった。

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25日(月)は、めったにないことが重なって、大いに刺激になり、大いに楽しかった。ほんと、こんな一日は、めったにない。

筑波大の五十嵐泰正さんのゼミが「見沼田んぼ福祉農園」を訪ねるのに便乗して、以前から気になっていたそこを訪ねることができた。

そのキッカケは、2013/11/10「<料理>という営み。」に書いた、今月8日に五十嵐さんやゼミ生の方と大統領で飲んでいるときに、何かの話から猪瀬浩平さんの話になったからだった。

猪瀬さんは、明治学院大学の教員なのだが、見沼田んぼ福祉農園の関係者であり、そこで「見沼・風の学校」など、いろいろ気になる活動をしている。

見沼田んぼ福祉農園や見沼・風の学校や猪瀬さんのことは、数年前におれが北浦和に住んでいたときに、浦和地区の見沼たんぼのことをいろいろ調べていて、インターネットで知った。そして、そのあたりの見沼田んぼを歩いている。

とにかく、五十嵐さんが25日に猪瀬さんと会うと知って、おれも一緒に連れてって~と、お願いした。

当日は、15時に武蔵野線東浦和駅集合となった。出かける前によく考えたら、五十嵐さんは、何をしに行くのかわからない。「連れてって、お願い」「いいよ~」われわれはかなりアバウトな関係なのだ。もしかすると、農作業ボランティアかも知れないと思い、イチオウ作業ズボンと上着を着て、土で汚れてもよい靴をはいて、東浦和へ行った。

以前、見沼たんぼを歩いたときは、東浦和駅を利用した。見沼たんぼは芝川沿いの両側に、見沼代用水東縁と西縁にはさまれて展開する、千代田区より広い農的大規模緑地空間だ。いまおれが住んでいるすぐそば50メートルぐらいのあたりには見沼代用水東縁が流れていて、その北限域が広がっている。行きかたはいろいろあるが、東浦和周辺が最も広大な耕作地が残っているし、江戸時代からの歴史が見えやすいところなのだ。

東浦和駅に着いて、初めて五十嵐ゼミによる訪問だとわかった。8日に大統領で一緒に飲んだ女子ゼミ生2人もいた。昨年は、やはり五十嵐ゼミの上野アメ横調査キックオフ飲み会のようなもので、朝10時から大統領で一緒に飲んだりしているし、おれは「便乗ゼミ生」のようなアンバイ。

10数名のゼミ生のほかに、柏や我孫子で新規就農の方たちが3人ほどいた。けっこう大勢じゃないか。猪瀬さんと父上の見沼田んぼ福祉農園・代表(良一さん)が迎えのクルマ2台と合わせ、クルマ6台で連なって、農園へ向かった。

農園は、芝川と加田屋川が合流する近くの加田屋川のそばにあった。つまり芝川と加田屋川が生んだY字の広大な平地なのだ。東西南北、畑地ばかりで、見渡しても家が見えない。

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1ヘクタール弱の農園を見学したあと、風の学校のボランティアで法政大の学生と東京芸大の学生も加わり、焚き火を囲んで、のち雨が降ってきたので屋根の下に移動し、質疑応答。ゼミ生たち(2年生から4年生)にとってはオベンキョウ、卒論のテーマとも関係している学生もいた。

見沼田んぼと農園ができるまで、それから現状と課題。ボランティアやネットワーク。大雑把に言えば、そういうことになるが、話は実践の結果であり具体的だった。

見沼田んぼは、江戸時代から田んぼとして開拓されたところだが、70年代からの減反政策で、畑地へ転換、そして離農と耕作放棄地遊休地の拡大と荒地化、あるいは宅地化、お決まりのコースをたどった。そのままにしておくわけにはいかない。ここを農地として確保しておくことの意味と意義があるのだが、そのうえ、見沼田んぼ福祉農園は、さまざまな障害を持った方の交流や支援のための場所でもあるのだ。

そんなわけで、「農業問題」と「障害者問題」が交差するところであり、質疑応答も、その二つの側面から入った。しだいにそこに浮かんでくるのは、農地と農業と人と人の関係なのだった。

とくに、農地と農業を公共からとらえる視点、「農業はパブリックなもの」という考えが、具体的で新鮮に感じられた。

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でこぼこの土の上をクルマ椅子で移動しやすい工夫があったり、畑地のなかに集まりなどができる芝生や焚火場があるのも、そういうあらわれだった。障害者の家族の方が、ここに来てケアされることが少なくないようだ。話しを聞いているうちに、まあ、「健常者」と言っても、なにかしら足りない、なにかしら偏ったり歪んだりしている「障害者」みたいなものなのだという気になってきた。実際、そうなのだ。

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代表の当初の構想によると「見沼田んぼの農的な環境を生かしながら、『誰もが共に』自然とふれあい、農を楽しみ、人と出会い、関係を広げていける場、そして障害をもつ人々の自立の足がかりとなりうる場というイメージでした」と(「福祉農園開園までの歩み」pdf http://www.h4.dion.ne.jp/~minukaze/daihyo1.pdf)。それで99年から、やってきた。台風の被害もあった、農機具の盗難もあった。ボランティアのメンドウもあった。そういう「負」も新しい可能性へつながっていった。

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質疑は、20時半ごろまで続いた。途中で雨が降ってきたので、発電機の電灯とハエとりリボンがぶら下がる屋根の下に移動した。

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おれにとっては、ここのところうまく考えがまとまらなかった農と食をめぐることについて、爆発噴火的なヒラメキがあった。

それから、近頃の「公共」という言い方に含まれる、おかしな面の発見にもなった。「公共」と言いながら、「公」ばかりが強調され強化され「共」がない状態を「公共」と誤って認識する過ち。公共の「共」には、誰もが参加できる人的ネットワークが不可欠、これがあっての「公共」ということなど。もう、ほんと、これは、大変な収穫だった。もっと、いろいろなヒラメキがあったのだけど、長くなるからこれでオシマイ。

見沼田んぼ福祉農園のサイトは、こちら。
http://homepage2.nifty.com/minumafarm/

いやいや。この日の出会いは、すごかった。このあいだから東電原発事故による放射能問題関連で、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの石井秀樹さんという方が気になっていたのだが、なんと、この方が、ここにあらわれたのだ。そもそも、この日の訪問は、石井さんと五十嵐さんの出会いから始まったらしい。

聞けば、石井さんは、東大宮に4歳のときから住んでいて、猪瀬さんとは高校の同期で、農園に関わっている。おれのブログは、以前からご覧になっているとのこと。

帰りは、北浦和で打ち上げとなった。そこへ行く間、石井さんのクルマに乗って、打ち上げ会場の中華屋(中国人家族がやっている食堂で、よかった)についてからも、高校から大学、そして福島でのコンニチに至るまでのことを聞いた。

離れている東京であれこれ考えていても実態がわからない、放射線を自分で計って見なくてはと、前職をやめて福島へ行く、正確に測るための計測器は高価、金集めもやった。その後現職につけたからよかったが…すごい行動力。震災後は、チェルノブイリにも行っているのだが、その話を聞く時間は、なかった。

北浦和では、二次会で24時ごろまで猪瀬さんと石井さんと芸大生と飲んだ。石井さんはクルマなので酒も飲まずに付き合ってくださり、家まで送ってくださった。

しかし、この日の出会いの、すごさは、まだあるのだ。その二次会の酒場は、猪瀬さんのお宅からすぐ近くだった。その店が、あの「闇市路地裏派」と呼びたい、藤木TDCさんと組んで『東京裏路地〈懐〉食紀行』を刊行したブラボー川上さんが実家でやっているのだ。ここは、この夏、ナンダロウさんから聞いて行ったのだが、満席で入れなかったままになっていた。この日は、ついに川上さんとも会えて、楽しく話ができた。

石井さんに自宅前まで送っていただいて、帰宅は何時だったのだろう。24時は過ぎていたにちがいない。

まあ、しかし、こんなことがあったのも、猪瀬さんと石井さんは35歳、五十嵐さんは同じ30代だけど少し上、若く行動的な人たちが縦横無尽に活動しているおかげだね。それにお3人とも、アバウトにして繊細、繊細にしてアバウト、という感じで、だから縦横無尽が可能であるし、リアルなネットワークが、どんどん広がるようだ。そのへんのジャンルや垣根をどんどん越えていくつながり方も、大変おもしろい。

おれは70になって、疲れることが多いから、あまり自分からは打って出ないようにしようと思って、今年は控えめにやってきたのだが、大いに刺激を受け、やっぱりやんなきゃなあ、という気になっている。

また北浦和へ行って、猪瀬さんと飲みたい。一杯も飲めなかった石井さんとは、東大宮で、ゆっくり飲みたい。五十嵐さんとは、また上野でも飲みたいし、柏でも飲みたい。ようするに、飲みたい。

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2013/11/23

12月6日(金)恩田えりのもっと知りたい話したい第三回 大衆食堂詩人エンテツ解体新書その3、など。

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スーパーの店頭では、「ボジョレー解禁」だの「クリスマスケーキ予約」が騒がしく、さらに「鏡餅」まで棚にズラリ並ぶ。ああ、駆け足で今年が終わろうとしている。

ってえことで、年末と年初のイベントの告知をしておきます。なにしろ70歳になりましたからね、もうあまり自分から積極的に打って出るなんてことはなく、お声をかけていただいたものばかり。ありがたいことです。

まずは、お囃子えりちゃん、三味線弾きのえりちゃんによる「恩田えりのもっと知りたい話したい 第三回」が、前回9月13日に続いて、「大衆食堂詩人エンテツ解体新書 その3」だ。

「流浪のフードライター・遠藤哲夫さんをお迎えして あれやこれや根掘り葉掘り伺います第三弾!」は、「大衆めしと江原恵とオレ」のタイトル。えりちゃんは、拙著『大衆めし 激動の戦後史』が発売になると、すぐに買ってくださり、今回は、このタイトルになった。

この連続トークの1回目から、えりちゃんは、おれの年表を作って、貼り出している。『汁かけめし快食學』と『大衆食堂パラダイス!』などを読んだり、ザ大衆食のサイトをご覧になったり、たいへんな労作だ。

その年表は、左欄が「大衆食堂史」で右欄が「エンテツ史」。つまり、おれが生まれる前からの大衆食堂史も書き込まれていて、1943年には、右欄に「エンテツ誕生」とあり、左欄には「江原恵 単身満洲」という記入まであるのだ。まさに根掘り葉掘りのエンテツ解体新書。

前回は、この年表に書き込みが追加になったが、今回もまた追記があるだろう。それにしても、何回まで続くのか。このタイトルでは今回で終わりそうにない。舞台馴れしていて話し上手のえりちゃんに、根掘り葉掘りやられて、おれはほかではめったに話せないことも話すことに。

真剣なえりちゃんだが、トークはじつに楽しい。毎回、会場は盛り上がり、打ち上げも楽しい。

今回は、「大衆めしと江原恵とオレ」ってことで、『大衆めし 激動の戦後史』とおれと江原さんのハチャメチャ人生のコアな部分を話すことになるだろう。

12月6日(金)。19時半~/1800円 
予約問合せ会場:経堂さばのゆ sabanoyu@gmail.com
さばのゆのサイト http://sabanoyu.oyucafe.net/

つぎは、これも3回目ぐらいになるか、とくに連続というわけではないが。路地と人のアキリカさんと、路地と人でトークをします。

12月19日(木)、これまで同様、食をめぐる話になると思うが、詳細は後日。

新春第一弾は、新年会もかねて、1月11日(土)に小岩の野暮酒場で、おれが出演し好評をはくした?「全日本オヤジ選手権」のビデオ鑑賞会があります。来年は、少々ピンクな幕開けか。いや、来年も、軟派から硬派まで。詳細は後日。

ビデオの紹介は、当ブログ2010/08/10「全日本オヤジ選手権とギョニソ(魚肉ソーセージ)」をご覧ください。…クリック地獄

とりあえず以上であります。よろしく~。

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2013/11/22

『かつお節と日本人』の書評を書いた週刊文春が届いた。

『かつお節と日本人』(宮内泰介・藤林泰、岩波新書)は読み応えのある本だった。著者のお2人は、おれなんぞが書評を書くのも畏れ多い研究者だ。

本書のあとがきにもあるが、本書に先立つ『カツオとかつお節の同時代史』(コモンズ)をまとめた「カツオ・かつお節研究会」のメンバーの多くは、もちろん著者たちも含め、「『バナナと日本人』(岩波新書)を著した鶴見良行さんの直接・間接の薫陶を受けた」方々なのだ。「バナナがあり、エビ研究があり(村井吉敬『エビと日本人』『エビと日本人Ⅱ』岩波新書)、そしてヤシ研究があって(鶴見・宮内編『ヤシの実のアジア学』コモンズ)、かつお研究会が続いた」のだ。

その書評を800字にまとめるのは難しい。どこかにしぼらなくてはならない。で、もう岩波新書や新書に馴染みのある方は、よしとしよう、おれのように新書の売場にほとんど足を運んだことがない人間の感覚で書こうと思った。

いやあ実際、あらためてふりかえってみると、1990年ごろからこちら、新書売場の棚の前に立ったのは、今回拙著を新書で出すまで、なかった。新書は、古本で買っていたのだ。ま、そんなおれが、新書で出したり、新書の書評を書くのは、新書の読者の幅を広げる意味もあるだろう、と、勝手に考えている。

そんなこんなで、本書は、取材も資料も周到で、学術的価値が高いにちがいないだろうけど、この書評には、それに関係しそうなことは、ほとんど書かなかった。

「「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」といった話にはウンザリ、していた。だけど、本書は、ちがう。」と書き出し、タイトルにあるように「かつお節をめぐる一大叙事詩」として、内容を紹介しながら、まとめた。

「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」については、『大衆めし 激動の戦後史』で、おれはかなり嫌味な書き方をしているが、本書には、ちゃんと論拠をあげながら、かつお節は「日本の多くの庶民にとってそれほど身近なものではなかった」という話もある。かつお節など日常でなかった、おれの育ちからも納得のいく内容だ。

そもそも第1章は、「かつお節は日本の伝統か――たどってきた道」なのだ。

ま、とにかく、おれの書評と本書を、せひご覧ください。そして、『大衆めし 激動の戦後史』とあわせて読んでいただき、日本の伝統なるものについて、考えてほしいものであります。いま、「和食の世界文化遺産登録」をめぐって、またもや和食の伝統が姦しく、「世界に認められた」を錦の御旗に、日本料理と和食の歴史が塗り替えられようとしていますからねえ。

書評は、「無数の人たちの力強い生を感じる。」で終わっている。本書を読んでシミジミ思ったのは、こういうこと。

食は、モノだけがものをいうようなものは文化とも歴史とも伝統ともいえない、文化や歴史や伝統といわれるものは、そこに無数の人びとの息づかいがあるものなのだ。

本書の終章は「つながりあうかつお節とネットワーク」で、ここには、ネットワークとグローバル化について、貴重な話がまとまっている。

生産と流通のネットワークから切り離されたところで、うまいマズイだの偽装だのホンモノだのと言っているのではなく、消費者としてどうネットワークにコミットしていくべきか、いろいろ考えさせられる「かつお節ネットワーク」の話なのだ。

それは、ひとのつながりのあり方まで関係し、いろいろ考えさせられる。

最後は、書評欄の画像だけど、古雑誌みたいに、やけに焼けた色になってしまった。

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2013/11/21

一昨日深夜「荻上チキ・Session-22」のち朝までカラオケどんちゃか。

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一昨日19日は、「荻上チキ・Session-22」に出演のため、夜23時20分にTBS放送センターに着かなくてはならなかった。TBS放送センターは、以前に2度、「はなまる」のビデオ撮りのため行っている。今回は、チョイと早めに出て、赤坂見附から山王下交差点を曲がって行くコースを歩いた。

赤坂見附周辺は、安売り店やファストフーズ店が多くなっていておどろいたが、山王下から一ツ木通りのあいだに、キャッチのおねえさんたちがたくさんいて、もっとおどろいた。歩いていると、いきなり腕をからませてきて「3千円できもちよくなれるよ、どう」とかささやくのだ。感じのよいおねえさんだったけどな。振り切って、放送センターへ。

017001人気はなく正面入口は閉まっているから横の通用口で受付をして、エレベーターに乗りラジオ放送階の第7スタジオ。メールでやりとりしていたディレクターさんが出迎えてくれて挨拶。すぐに打ち合わせ。といっても、台本らしい台本はなく、ぶっつけ本番だから、流れを聞くだけ。ディレクターさんの話から『大衆めし 激動の戦後史』をシッカリ読んでくださった様子がわかり、うれしかった。プロデューサーさんとも挨拶。

今日のニュース10本の中から、1本選んで一言コメントをいうことになっているので、その1本消費税がらみを選ぶ。

なんと、ディレクターさんは、豚汁ぶっかけめしを作っている最中で、これを番組の後半のアタマで出すのだと、打ち合わせがすむと、台所らしい方へ消えた。

番組のタイトルは「日本人の家庭料理の歴史と未来」とカタイけど、24時からのミッドナイト・セッションは「リラックスした雰囲気」なのだそうで、トークの入り口はぶっかけめしのことなのだ。

スタジオ内に進行中の放送が流れているが、秘密保護法をめぐって国会議員が出演しているらしい、荻上チキさんがなにやら面倒な話を捌いている。そういえば秘書らしい男が2人、おれの近くのテーブルで黙って座っている。このあとにおれが出てぶっかけめしの話を始めるわけだ…。世の中、そういうものなんだなあ。

番組放送中に、おれがリクエストしてあった曲を流すことになっていた。おれが選んだのは、遠藤賢司さんの「カレラース」、鈴木常吉さんの深夜食堂のテーマ「思いで」、三波春夫さんの「チャンチキおけさ」だった。このうち3曲目は、トークがはずんで時間がなくなったらカットされるということだった。

前の番組が終わり、偉そうな国会議員たちが出てきた。24時になって「カレーライス」が流れている最中になかに入り、荻上さんとアシスタントの南部広美さんと挨拶、席に着く。

ってえことで、あとは、怒涛のごとく。40分の生放送は初めてだったが、あいだでけっこうCMが入るし、音楽も流れるから、実質は30分ぐらいだったか。

前半は、ほとんどぶっかけめしの話で終わった。ニュースのコメントは、一言いえばよいということだったが、この番組は荻上さんで動いているわけなので、かれが気になったのか、一言で終わらず、なんだ一言じゃないのかよと思いながら、消費税のことで盛り上がった。

後半が始まると最初に、ディレクターさん作の、豚汁が出た。うまい、うまし、だけど、豚汁食べながらじゃ話せないよね。zzzすする音が流れ、このまま後半もぶっかけめしになってしまうかと思ったが、そうはならず、そうはさせず。ぶっかけめし下品論から日本料理や和食のヘン、『大衆めし 激動の戦後史』の内容にふれる話しに。

どんどん話は盛り上がり、食品偽装の話までいかないうちに時間、「チャンチキおけさ」もカットになり、時間ギリギリまで話して無事に終わった。楽しかった。

ちょうど24時50分、記念撮影をして、退出。

この放送の後半部分、ちょうど盛り上がっているあたりを、「Session 袋とじ,ポッドキャスト」でお聴きいただけます。
http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/11/20131119session.html

用意していただいたクルマで、朝まで飲み明かすため、四谷3丁目のスナックへ。東陽片岡さんが週に3回だったか4回、0時から5時までカウンターに立つと聞いていたのだが、ほんとうに東陽さんがいた。ゴールデン街のマチュカバー以来だ。

019001野暮連の3人がすでに飲んでいた。ここで携帯ラジオで放送も聴いていたとか。早速、飲む。2時ごろになって、さらに男が1人あらわれた。いつしかカラオケ大会になった。東陽さんも一緒に飲んで歌った。ようするに東陽さんもいれ野暮男6人で朝の5時を迎え、帰ってきたのでした。色気のないスナックだったが、東陽さんは愉快だし、楽しかった。朝まで起きていられるか自信がなかったが、無事に飲み騒ぎ通した。まだ、やれる?

21日発売と告知した、『かつお節と日本人』(宮内泰介・藤林泰、岩波新書)の書評が載っている週刊文春は、昨日20日の発売でした。よろしく~。

『かつお節と日本人』は、ぜひ読んでください。生産と流通のネットワークから切り離されたところで、うまいマズイだの偽装だのホンモノだのと言っているのではなく、消費者としてどうネットワークにコミットしていくべきか、いろいろ考えさせられる「かつお節ネットワーク」の話です。

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2013/11/18

明日19日のTBSラジオ出演と21日発売の週刊文春書評。

トツゼンですが、明日19日のTBSラジオ「荻上チキ・Session-22」の23時55分から24時40分まで出演し、大衆めしや「和食が文化遺産」「食品偽装」などについて、荻上さんとクロストークをやります。

話の入口は「汁かけめし」あたりから、「日本人の食事はどこへ向かうか?」っていう話の流れが想定されているだけで、台本は無いにひとしいぶっつけ本番。でも、そのほうがいい。

それにしても、「なにその超意外な組み合わせ」とおっしゃる方もいて、確かにそうであり、これは大いに楽しみなのでありますね。これからは、いろんな意外な組み合わせが、いろいろな場面でどんどん必要だと思う。

はたして、どんなことになるのか。おれのようなジジイが新進気鋭のジャーナリストである荻上さんと、どんな話ができるのだ。たのしみ、タノシミ。

それから、21日発売の週刊文春の書評欄に、『かつお節と日本人』(宮内泰介・藤林泰、岩波新書)の書評を書きました。

“「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」といった話にはウンザリしていた。だけど、本書は、ちがう。”という書き出しであり、『かつお節と日本人』は拙著『大衆めし 激動の戦後史』とシンクロするところが大いにある。

それに、この著者の2人の方とはお会いしたことはないが、かつお節がらみで接点のある方だったのだ。その件は、発売になってから。

とりあえず、そういうことで、よろしく~。

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2013/11/17

東京新聞「大衆食堂ランチ」14回目、浅草・食堂筑波。

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一昨日の第三金曜日に、東京新聞連載「大衆食堂ランチ」14回目が掲載になっていたのだった。すでに東京新聞のサイトでご覧いただけるが、いつものようにサイトには外観の写真が載らないので、ここに。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013111502000193.html

見直すと、タイトルの「食堂筑波(ランチ)」の「(ランチ)」は、まちがいじゃないが、「ポテトハンバーグランチ」にすべきだったな。

002酉の市の季節ということもあり、千束の鷲神社から近い、この食堂を選んだ。

2013/11/03「大阪でトーク2晩、あいだで盗難。」に書いたように、大阪で盗難にあった荷物に家の鍵と住所を特定できるものが入っていたため、家の鍵を取り替えるまで外出がままならず、また年末年始進行がらみもありドタバタ、この連載で初めて「落とすか?」というあやうい思いをした。

「浅草」とはいえ「観光浅草」とはちがう、この界隈ならではの食堂。そして「世間を騒がせている「高級」な虚偽表示など関係ない、ありふれたものを美味(おい)しく食べる喜びがあった。」と時事性を織り込んだ。1人で切り盛りする女主人は、ほんと、ありふれたものを上手に料理してくれる。

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2013/11/10

<料理>という営み。

007いろいろあったが、まずは、11月6日(水)東京カルチャーカルチャー@お台場における「十日町コシヒカリ新米ちゃん祭り」だ。ここで古墳トーク以外の出演は初めてだったが、古墳トークの倍以上、100席が満員状態。すごい熱気というか、食気というか。十日町新米コシヒカリのおにぎりが食べ放題のほか、十日町の酒「松乃井」「天神囃子」が飲み放題、お土産に新米コシヒカリほか、入場料のもとがとれるほど。

テリー植田さんと須田泰成さんの司会。前半は十日町市など出品者の話し、おれは後半の出演で、この春訪ねた十日町コシヒカリの話をした。「魚沼産コシヒカリだからうまい」という原理主義じゃなくて、米のうまさ、米との付き合い方から楽しく考えてみようという話しをするツモリだった。だけど、前半のあいだに、けっこう「松乃井」「天神囃子」を飲んでしまっていた。おれが東京カルカルの壇上にいるときは、いつも酔っている。

酔ってしゃべったが、テリー植田さんがツイッターで、「大盛況で終了。十日町で食べるコシヒカリが一番上手い、というエンテツさんの言葉が、じんと残る満腹で大満足な夜になりました。ハイサワー田中社長も参加頂きました!(テリー植田)」と書いていたから、よしとしよう。

8日(金)は、18時半に上野の大統領支店だった。闇市研の井上さんが新潟から上京するのに合わせて、五十嵐さんとゼミ生ら。

昨年の2月、大統領本店で朝の10時からアメ横調査のキックオフてな名目で飲んで、2013/05/25「「アメ横から考える」を考えている場合じゃないのだが。」に書いたレポートをまとめたゼミ生のうち女子2人。めでたいことに来春卒業で就職も決まった。そして、この春にも会っている、めでたく大学院に合格したばかりの男子1人。

井上さんとは、かれが大学を卒業して新潟へ帰り就職したあと、赤羽で1度会っているが、ひさしぶりだった。まだ20代だけど、ずいぶんたくましく頼もしく成長していた。最近は、毎週のように上京しているとか。仕事と闇市研とで忙しいようだ。五十嵐さんは、あいかわらずの活躍。けっこうなことだ。

あれやこれや話は山ほどあり、元気のよい若い人たちと調子よくやっていたら、どんどん飲んで、23時閉店。上野駅で五十嵐さんと別れてから、あまり記憶がない。東大宮に着いて、コタツが開店4周年というのが気になっていたから、行ったのだが、何を飲んだかも記憶にない。とにかく、昨日は珍しく胃がやけて痛む二日酔いが残った。

さてそれで話は変わる。このツイートは7日のこと。

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大衆食堂の詩人にして、東大宮在住の遠藤哲夫さんの『大衆飯激動の戦後史』で知ったが、玉村豊男『料理の四面体』は料理についての本当の名著。構造主義入門としても、レヴィストロース神話論入門としても、そもそもすべてのレシピ本をてるとる前に<料理>という営みの入門でもある。
2013年11月7日 - 5:23
https://twitter.com/coppemkg/status/398470695639711746

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ツイートされたのは、猪瀬浩平さん(‏@coppemkg)。「すべてのレシピ本をてるとる前に」は「すべてのレシピ本をてにとる前に」だと思うが、 「<料理>という営み」という言葉づかいが、素晴らしいと思った。そうなのだ、玉村豊男さんの『料理の四面体』は、まさに「すべてのレシピ本をてにとる前に<料理>という営みの入門でもある」のだ。

そして、料理というと、すぐレシピ本になったり、栄養のことになったり、うまいもの談義になったり、あの店この店、あっちの料理とこっちの料理の比較になったり、いろいろだが、その前に「<料理>という営み」について、おれたちはどのていど知っているか、知ろうとしているかということだと思う。

考えてみれば、『大衆めし 激動の戦後史』も、「<料理>という営み」に関わることなのだ。

「<料理>という営み」は、「料理という生活」も含むことができるだろうし、これまでの料理の話しに不足がちだったところを埋める言葉でもあると思う。素晴らしいので、どんどん使いたいが、猪瀬浩平さんオリジナルって感じもあって遠慮がちに…でも、どんどん使いたい。

猪瀬浩平さんは、ツイッターのプロフィールに「見沼田んぼ福祉農園×見沼・風の学校事務局長。明治学院大学教員/明治学院大学国際平和研究所所員。文化人類学者。北浦和西口の商店街の街角で暮らしている」とある。北浦和は、ここに引っ越す前に住んでいたところ。見沼・風の学校のことは、以前からHPやブログなどで知っていて、当ブログからリンクを貼ったこともある、その方なのだ。しかも、もしかすると、今月中にお会いできるチャンスがあるかも知れない行事があるのだ。

とにかく、「<料理>という営み」に、興奮して、いろいろ考えている。

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2013/11/04

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その2、山﨑邦紀さん。

山﨑邦紀さんから、メールで感想をいただいた。お買い上げいただいたうえに、このように丁寧な感想をいただき、ありがたい、うれしい。

「安吾の「日本文化私観」に比肩すると思った」「名文」なんて言われると、チト恥ずかしいが、売れないおれと著書への激励だろう。

山﨑さんは、ツイッターで「ちょろちょろ」ツイートした感想をフェイスブックにまとめ、どうせエンテツはフェイスブックなんぞやってないだろうと、このブログの2013/11/04「『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。」のコメントに投稿しようとしたようだ。だけど、ブログはいつの間にかコメントできなくなっていた、ということでメールでいただいた。それを、そっくり掲載させてもらいます。

じつは、おれはフェイスブックも、かなり放置状態ではあるが、イチオウやっていて、さっそく山﨑さんとフォローしあった。

「『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。」に「江原恵の『庖丁文化論』を知っているのは、おれより一回り下ぐらいまでだろうか?」と書いたが、山﨑さんもそれにあたるトシゴロなのだ。

山﨑さんからは、『庖丁文化論』を花田清輝が高く評価していたという話を聞いてはいたが、おれはコムズカシイ理論家のイメージの花田清輝の本は手にしたことがなく、知らなかった。今回の本を書くにあたり、江原さんがらみの資料をいろいろ見ていたなかに、花田清輝のその文章を見つけコピーをとったのだが、資料の整理が悪く、どこかに紛れ込んだままになっている。

『庖丁文化論』は、当時の、反骨精神旺盛で気骨ある「文化人」に高く評価された。70年代は、まだ、「食通」や「グルメ」に、一つの反骨のあらわれを見ることができた。いまや、「食」も「文化」も、すっかり消費社会のメインストリームに飼いならされて、反骨も気骨もありゃしない。と、シミジミ感じますねえ。

かつても「生活料理」は異端だったが、いまもたいして状況は変わっていない。「ありふれたものを美味しく食べる」どころか、あいかわらず偽表示・偽表示・誤表示だろうと「いいモノ」にこだわる話題がにぎやかで、エラそうにしている。

それはともかく。山﨑さん、どうもありがとうございました。「読後、思わず朝から野菜炒めを作って食べたのだが、その味にエンテツ本ほどの感動はなかった」で、思わず、笑わせてもらいました。

野菜炒めをつくろう!

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遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史ー「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』(ちくま新書)読了。
手軽な新書で、サブタイトルも軽いが、これはエンテツ大兄渾身の書ではないか。精神主義の日本料理の伝統に実用をもって立ち向かいコテンパンにやっつける。わたしは安吾の「日本文化私観」に比肩すると思った。

本書では、江原恵(料理人・著述家)との出会いと、かなり常軌を逸した二人が展開する「生活料理」の研究&運動に重きが置かれている。
エンテツさんが江原恵氏に初めて出会ったときの印象。

「そのころおれは、築地市場に早朝から出入りすることが多かった。江原はそこで見かける、板前の印象そのものだった。
濃い茶色のコールテンの、腰腿まわりダボダボズボン、ガニ股のごつい身体。計算と喧嘩がはやそうな尖った目つきの野生が弾ける面構え。スケベそうな口元がカワイイ。」

江原恵は『包丁文化論』(74年)で知られる料理業界の異端だった。エンテツさんのスケッチは、江原恵という人の真面目(しんめんもく)を生き生きと伝える、ある種の名文。

二人は73年に出会い、意気投合して、81年には江原恵生活料理研究所を共同で作るに至る。今回の書名の「大衆めし」は、この研究所に名付けられた「生活料理」とイコールだ。二人の共同理念と言っていいだろう。
「ありふれたものを美味しく食べる」が、その真骨頂。『大衆食堂の研究」といった著書のあるエンテツさんだが、趣味で大衆食堂を愛していたわけではなかった。「生活料理」を探求していたのだ。

15歳年上の料理人、江原恵の書いたデビュー作『包丁文化論』を読んだ時のエンテツさんの感想。

「驚き、かつ喝采だった。日本料理史上、これほどのお騒がせ本はなかったろう。権威筋からすればタカガ包丁一本の渡り職人が「日本料理は敗北した。正確には、日本の、料理屋料理は敗北した」と引導を渡し、敗北を敗北と認めない輩(やから)」と内部告発さながらの過激な言動をなした。狼狽と激怒と喝采が渦巻いた。NHKの料理番組の内容にまで影響は及んだ」。

この論文はエナジー叢書の懸賞論文に応募したもので、74年に本になったが、死ぬ前の花田清輝も大いに興味を持ち、高く評価していた。

第6章「生活料理と『野菜炒め』考」には感動した。この話題にもならない、ありふれた料理について、エンテツさんは自分の体験、薪や炭からガスや電気への台所の火力の変化、料理で使う油の普及、野菜の歴史、フライパンや炒め鍋など道具の導入…等々を踏まえながら、ダイナミックに考察していく。

「キャベツもタマネギも明治に本格的な栽培が始まり、大正時代に広く普及し始め、戦後に消費が急増する。ハクサイもまた、日清戦争以後の中国大陸への侵略がきっかけで、中国東北地方の山東菜の種を持ち帰り、本格的な栽培が始まった。こうして、日本に野菜炒めが誕生し普及する条件が整っていったのだ」

野菜の歴史について、これほど感動的に語れる人が他にいるだろうか。わたしはこの文章を読んで、野菜炒めが歴史の彼方から大きく立ち上がってくる気配を感じ、拍手喝采した。
読後、思わず朝から野菜炒めを作って食べたのだが、その味にエンテツ本ほどの感動はなかった。

このコンパクトな本の各所に銘記したいフレーズが沢山あるが、二つほど紹介する。

「日本料理や栄養学や文学から受け売りのウンチクが蔓延するなかで、最も語られて来なかったことは、台所に立って、料理の対象をよく見て、手でさわり、ニオイをかぎ、ときにはかじってみて、その状態を判断し、うまく食べる術を働きかけることだった。その楽しみ、快楽を失ってきた。そして「料理離れ」がいわれるようになった。「料理離れ」は、食品工業や外食産業やコンビニの進出のためだけではない。もともと生活料理を大切にしたり楽しむ伝統がお粗末だったのにも、一因があった。」

「普通の平凡な日々の生活の継続は、じつは大変なことであり、生きる美しさや楽しさは、そこにあるはずだと思うが、「日本料理」のような特殊な技巧や珍しい旬の味を尊ぶ思想からは、なかなか普通のひとの平凡な日常に光があたらない。新奇で特殊でマニアックでシュンな話題に群がり、目立ちたがり屋ばかりがのさばる。
生活料理は、まだまだなのだ。」

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2013/11/03

大阪でトーク2晩、あいだで盗難。

016

2013/10/17「今月末は、大阪デーだで~。」に書いたように、30日と31日には、大阪でトークだった。

30日は「関西人のための「新潟のええとこ・うまいもんゼミナール」だった。午前9時過ぎに家を出た。大阪に着いて、ホテルのチェックインをすまし、140Bへ。江さんに挨拶、司会をやってくださる中島さんと打ち合わせ。メールで送ってあった画像などで、スライドを作っていただいたので、これを使用するのだ。

18時ごろ、梅田の富国生命ビル4Fにある会場「アサヒ ラボ・ガーデン」に移動。新潟県観光協会や新潟県大阪事務所、広告代理店などの関係者のみなさまと挨拶。大勢いらしていて、おどろいた。

参加者は50名。当初は定員30名で募集だったが、たちまち一杯になって、50名に増やした、それでも募集開始から3日で一杯になったのだそうだ。両親が新潟県出身という方が1人いたが、ほかは新潟県とは関係ない方ばかり。やはり関西から新潟は遠いんだな。なにしろ関西から新潟県を訪ねる観光客は2%に満たないのだとか。

015

18時半ちょうどに中島さんの司会で始まり、スライドを使って話はすすむ。「炊きたて白飯の卵かけご飯こそ、新潟の至宝!」というタイトルで、米のめしと「ごはんのお供」の話が中心。自分でも話していて、ヨダレが出そうだった。参加者のみなさまの反応もよく、質問の時間には、農業の後継者はどうなっているのかといった、農業問題への関心もうかがえた。帰りには、魚沼産コシヒカリ1キロが土産。

20時終了。中島さんと天神橋筋の居酒屋へ。23時近くまで、熱燗を飲みながら、あれやこれや話す。

31日、10時少し前にホテルを出て、大阪駅御堂筋北口のコインロッカーに荷物を預けた。正確には、コインではなく、スイカを使うICロッカーというべきか。

017地下鉄で千日前のしみずへ。おかずをとり、ビールとめしと玉赤を頼む。午後に今夜のトークの相手である須田さんと落ち合うことになっているが、おれは携帯を持っていないから、昼頃おれから連絡を入れることにした。待ち合わせる時間と場所を決めるまでは、あまり動けない。ゆっくりビールを飲み、めしを食べくつろぐ。

しみずを出て、これまで場末な感じなところばかり歩いているから、たまには御堂筋を歩いて梅田に出てみよう、昔は、よく歩いたところだ。

大阪駅に着いて、須田さんに電話。16時に桜橋口のヒルトンの前で待ち合わせることになった。それまで4時間ほどある。どこに行こうか迷った結果、今城塚古墳へ行くことにした。

高槻にあるはずだと思って高槻へ。駅の観光案内に訪ねると、高槻からは歩けないし、バスも何本も出ていない、一駅もどって攝津富田からのほうがバスの本数があるという。もどる。バスは20分に1本で、ちょうど出たあと。歩くと1時間近くかかるようだ。バスを待って、今城塚古墳に着いたのが、14時40分ごろ。

030

16時少し前には、大阪駅にもどらなくてはならない、古墳はデカイ。淀川流域最大級の前方後円墳だ。よく整備されていて、復元した埴輪が並び、墳丘も歩けるようになっている。写真を撮りながら歩いているうちに時間はすぎ、今城塚古代歴史館を見る時間はなくなった。でも、行ってよかった。

16時10分前ぐらいに大阪駅に着き、荷物を預けたコインロッカーへ行き、スイカを使って開錠し、ふたを開けると、なかの荷物がない。正確には、上着と大きめのザックを入れておいたのだが、ザックだけが無くなっている。上着のポケットには、最初から何も入っていなかったのだから、相手にされなかったのだろう。

一瞬、何が起きたのか、わからなかった。とにかく、ザックが消えている。

ってことで、アレコレあって、けっきょくたどりついたところが、大阪駅すぐそばの曽根崎署3階の刑事課。その前に、16時待ち合わせの須田さんの携帯に電話するが、何度かけても話し中。

刑事課では若い女性の刑事が相手をしてくれた。状況を説明、彼女がパソコンで盗難届を作成しながら、もしかすると金目のものが入っていないから捨てられているかも知れないと念のために遺失物拾得物の係に連絡をとってくれたり。その電話で須田さんとも連絡がとれ、署まで来てくれることに。

書類ができ、印鑑は持っていなかったので、左指の人差し指で捺印を終わったところに、須田さんがあらわれた。

盗られたものは、被害総額の時価にすれば2千円にも満たないのだが、あまり出回ってないミレーの旧型復刻版のザックは使い勝手がよくて気に入っていたし、これまでの取材メモ帳が無くなったのは困るし、なんといっても問題は家の鍵が入っていたことだ。念のために家のドアの鍵を付け替えなくてはならない、これにかかる費用が一番の損害。

078

とにかく、須田さんと福島に出て、まずは一杯。のち、さばの湯温泉に移動。大阪の初めての方ばかりの前で、須田さんとカウンターカルチャートーク。終わって、その場で参加者と打ち上げ飲み。解散のち、須田さんと参加者2人の方と、近くのおでんやで23時ごろまで。ホテルは近く。

11月1日。早く家に帰り、ドアの鍵の付け替えをするべく、5時に起床、帰宅。

曽根崎署の、しかも刑事課に入るなんていう体験はめったにないことで、面白かったが、鍵の付け替えが、あちこち業者に連絡とったり面倒で、くたびれた。

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