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2013/11/22

『かつお節と日本人』の書評を書いた週刊文春が届いた。

『かつお節と日本人』(宮内泰介・藤林泰、岩波新書)は読み応えのある本だった。著者のお2人は、おれなんぞが書評を書くのも畏れ多い研究者だ。

本書のあとがきにもあるが、本書に先立つ『カツオとかつお節の同時代史』(コモンズ)をまとめた「カツオ・かつお節研究会」のメンバーの多くは、もちろん著者たちも含め、「『バナナと日本人』(岩波新書)を著した鶴見良行さんの直接・間接の薫陶を受けた」方々なのだ。「バナナがあり、エビ研究があり(村井吉敬『エビと日本人』『エビと日本人Ⅱ』岩波新書)、そしてヤシ研究があって(鶴見・宮内編『ヤシの実のアジア学』コモンズ)、かつお研究会が続いた」のだ。

その書評を800字にまとめるのは難しい。どこかにしぼらなくてはならない。で、もう岩波新書や新書に馴染みのある方は、よしとしよう、おれのように新書の売場にほとんど足を運んだことがない人間の感覚で書こうと思った。

いやあ実際、あらためてふりかえってみると、1990年ごろからこちら、新書売場の棚の前に立ったのは、今回拙著を新書で出すまで、なかった。新書は、古本で買っていたのだ。ま、そんなおれが、新書で出したり、新書の書評を書くのは、新書の読者の幅を広げる意味もあるだろう、と、勝手に考えている。

そんなこんなで、本書は、取材も資料も周到で、学術的価値が高いにちがいないだろうけど、この書評には、それに関係しそうなことは、ほとんど書かなかった。

「「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」といった話にはウンザリ、していた。だけど、本書は、ちがう。」と書き出し、タイトルにあるように「かつお節をめぐる一大叙事詩」として、内容を紹介しながら、まとめた。

「鰹節を削るシュッシュッという音は日本の台所特有の世界に冠たる響きだと思います」については、『大衆めし 激動の戦後史』で、おれはかなり嫌味な書き方をしているが、本書には、ちゃんと論拠をあげながら、かつお節は「日本の多くの庶民にとってそれほど身近なものではなかった」という話もある。かつお節など日常でなかった、おれの育ちからも納得のいく内容だ。

そもそも第1章は、「かつお節は日本の伝統か――たどってきた道」なのだ。

ま、とにかく、おれの書評と本書を、せひご覧ください。そして、『大衆めし 激動の戦後史』とあわせて読んでいただき、日本の伝統なるものについて、考えてほしいものであります。いま、「和食の世界文化遺産登録」をめぐって、またもや和食の伝統が姦しく、「世界に認められた」を錦の御旗に、日本料理と和食の歴史が塗り替えられようとしていますからねえ。

書評は、「無数の人たちの力強い生を感じる。」で終わっている。本書を読んでシミジミ思ったのは、こういうこと。

食は、モノだけがものをいうようなものは文化とも歴史とも伝統ともいえない、文化や歴史や伝統といわれるものは、そこに無数の人びとの息づかいがあるものなのだ。

本書の終章は「つながりあうかつお節とネットワーク」で、ここには、ネットワークとグローバル化について、貴重な話がまとまっている。

生産と流通のネットワークから切り離されたところで、うまいマズイだの偽装だのホンモノだのと言っているのではなく、消費者としてどうネットワークにコミットしていくべきか、いろいろ考えさせられる「かつお節ネットワーク」の話なのだ。

それは、ひとのつながりのあり方まで関係し、いろいろ考えさせられる。

最後は、書評欄の画像だけど、古雑誌みたいに、やけに焼けた色になってしまった。

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