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2013/12/21

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評

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高知の堀内さんから、高知新聞に載った共同通信配信の書評のスクラップが届いた。評者は南陀楼綾繁さんで、この配信があったことはツイッターで知っていたが、どの地方紙に掲載になっているかも、どんな内容かも把握のしようがなかった。

「新書だより」のコーナーに「ありふれた食をおいしく」のタイトルで、小泉武夫さんの新著『缶詰に愛をこめて』(朝日新書)と共に『大衆めし 激動の戦後史』が取り上げられている。8割ぐらいは、拙著のことだが、ありふれたクックレス食品ということで、共通するところがある。

南陀楼さんは、名前がアヤシゲだが、かれの書評は、とくに本好きの方たちのあいだで定評がある。それは、おれは、どちらかというと、ライターとしての「南陀楼綾繁」より、編集者として仕事をするときに使用する本名の「河上進」のほうの才能が大きいのではないかと思っている。

とにかく、本の読み方が緻密なのだ。あるいは精密というか。本を「読む」といっても「目を通す」「字面を追う」ぐらいのことが少なくないなかで、南陀楼さんはキッチリ読み、正確に把握し記憶する。そして、間違いがあろうものなら、細かくチェックし訂正する。それについては、すごいエピソードを読んだ記憶がある。これは、たぶん、編集者としての才能だと思う。

キッチリ読むから、書評に不可欠な、書評の対象となった本の内容や論旨などの縮約や要約が、的確なのだ。

おれが驚いて記憶に残っているのは、辰巳ヨシヒロの『大発掘』に、「フツーに生きたいだけなのに常に不幸になってしまう男たち」というコメントをつけていたことだ。この短い文章に、読む力と、要約と批評の力が凝縮しているようで、スゴイなあ、と思った。

その南陀楼さんに新聞で書評をいただくのは初めてだ。やはり、見事なのだ。うなってしまった。

南陀楼さんは、本書に述べられている、70年代にどう工業社会型の食生活が訪れたか、その揺り返しのように21世紀に入ると叫ばれた「食育」や「スローフード」などの安全志向を、例によって的確に要約したのち、こう述べる。

「しかし著者は「便利な食」と「安全な食」のどちらが正しいと決めつけることはしない。それよりも、生活の中の料理とは何かを考え、「ありふれたものをおいしく食べる」という食の基本に立ち返ることを提唱する」

ここは、どちらが正しいか結論めいたことを書かないように、おれが最も気を使ったことなのだ。いやあ、さすが、南陀楼さんは大事なポイントをはずさないと思った。

「食の混乱」がいわれるが、「混乱」というより「多様化」であり、多様化の中では、二者択一ではなく、それぞれが自分の生活の現実から考える。そういうそれぞれをお互いに尊重しあう。「うまい、まずい」をこえて、「自分の美味」を持つこと。それが本書の「立場」なのだ。

南陀楼さん、ありがとうございました。

昨日の金曜日は、『週刊金曜日』年内最終号の発売日で、特集は「食を哲学する 20人が選ぶ99冊」だった。そこに木村衣有子さんが登場、5冊を選んでいる。

『大衆めし 激動の戦後史』も含まれているのだが、『サッカロマイセスセレビシエ』『おべんとうの時間』、拙著、『チクタク食卓』『耕せど耕せど 久我山農園物語』の順に書かれている。

木村さんは、「普通の、日々の糧について記された本ばかり」を、このように選び、この順番で書く中に、「地に足がついている」生活を語る構成になっている。つまり一つの書評エッセイになっているのだ。なにごとも安直にすまされない、木村さんらしい念のいった書き方だ。

そういえば、そういう、本を読んだり評したりするときの、緻密さや精密さは、南陀楼さんと似てなくもない。似ているといえば、「妥協がない」といえばかっこよいが、不器用で世事に長けているとはいいがたく、いつも本音で誠実な仕事をする。つまり、読者をホイホイ気分よくさせるうわ言サービスなど、不得意という感じなのだ。

今回も、木村さんは、最後の『耕せど…』で、「野菜を育てるのは特別なことでも高潔なことでもない、いつもいつでも清く正しい姿勢で向かっていたらくたびれてしまう、そう教えられる。」と結んでいる。おれは、拍手した。こう書かずにいられない、そこが、まあ、木村さんの真っ直ぐなところで、これがなくては、おれはツマラナイと思うのだが。野菜づくりはナチュラルでピュアでほっこりな清く正しく美しい生き方、それをステキと思っている私はステキ、なーんて夢見ている人は、冷や水を浴びせられた気分になるだろう。

その真っ直ぐな木村さんが、『大衆めし 激動の戦後史』を要約したのち、「大衆食堂の「めし」についての一文は「ケ」のごはんはどんなものかを、見事に書き表している。」と本書から引用しているのは、ここだ。

「"繊細な評論"など無意味にする、凡庸で素朴であるがゆえに、毎日食べてもあきないということが、料理の持ち味になっている」

そして、つぎの高山なおみさんの『チクタク食卓』の「凡庸で素朴」なおかずの話につながる。

週刊金曜日は、きのう発売になったばかりなので、書店で手にとってごらんください。

木村さん、ありがとうございました。

当ブログ関連
2013/12/13
『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その3。

共同通信のWebサイトでも、10月21日に片岡義博さんに評をいただいている。
http://www.47news.jp/topics/entertainment/2013/10/post_6329.php

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