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2013/12/27

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その5。書店員のオススメ読書日記。

ここのところ毎日のように『大衆めし 激動の戦後史』に言及があるツイートが見られる。いずれまたまとめておきたいと思うが、今日は、12月24日に読売新聞オンライン「本よみうり堂」に掲載の、本屋さんへ行こう!「書店員のオススメ読書日記」のことだ。

「本のことを知り尽くしている書店員さんがオススメを紹介する読書日記。読書好きな人必見のブログです」を謳うこのコーナーに、『大衆めし 激動の戦後史』が取り上げられた。筆者は、東京・渋谷の大盛堂書店、山本亮さん。
http://blogs.yomiuri.co.jp/book/2013/12/post-f6a0.html

すごくうれしい内容。それに、やはり、よく読む人は上手に書くものだなあと感心した。前のエントリーの河合知子さんもそうだが、本の読み方、書評の書き方の勉強にもなった。

そもそも前ふりからちがう、うまい。考えてみたら、おれなんぞは前ふりなしのことが多い。前ふりは幅広い教養がいるのだな。本をたくさん読んでいればよいというものでなく、なかなかおれには簡単に真似できそうにないのだが。

とにかく、山本さん、こう書き出す。「評論家の種村季弘は「天下に名のある美食家でも、私は大食いの記録をちゃんと残している人しか信用したくない」(『食物漫遊記』ちくま文庫)と書いている。確かに、小食の人より量を多く食べる人の方が、なぜか信用できる様な気がする。それは当たり前だが「食べる」ということが、基本的な欲求や味覚と、密に関わっているからであろう。」

そして、「最近「大衆食堂の詩人」こと、遠藤哲夫氏(通称エンテツ)の本を愛読している。人間最大の欲の一つ「食欲」に真摯に向き合っておられるのが、個人的に好きだ。なぜなら本書でもそうだが、屁理屈をこねるのではなく、またやみくもに大上段に構えず、核心に対して鋭く切り込んでゆく姿が爽快なのだ。」と、本の要約と評を展開。

最後の締めは、「ここ近年、スローフード、農薬、添加物、放射能の問題など、食べ物に関する問題や話題が大きく言われているが、現実を直視して問題に相対していく(当然のことだが、一番難しい)という、エンテツ氏の真骨頂を本書においても味わうことができる。」だ。

実際のところ、近年の食をめぐる動向は、グローバル化や政治もからんで複雑すぎるのと、見えにくい部分が多くなっているのとで、「現実を直視して問題に相対していく」のは、かなり難しくなっている。ともすると、安直な結論に頼り、考えることを怠りがちになりそうだが、踏みとどまって、日常の生活の中で考え抜くことをしなくてはならない。とくに『大衆めし 激動の戦後史』は、そのことを思いながら書いている。そこをくんでいただけたのは、とてもうれしい。

投稿日が12月24日だったので、おれにとっては、よいクリスマスプレゼントをいただいた気分だ。

山本亮さま、ありがとうございました。

当ブログ関連
2013/12/21
『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評

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2013/12/25

食と生活のための、明晰な人による明晰な書評集『食の本棚』河合知子。

018著者のツイッターで、本書に拙著『大衆食堂パラダイス!』が収録されていると知って、買って読んだ。

速水健朗さんの新刊『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(朝日新書)は、めっぽう売れているようで、いずれ当ブログでもふれたいと思っているが、「あとがき」で「驚くほど食に関してのおもしろい本の刊行が増えている」と、拙著『大衆めし 激動の戦後史』などが「大いに触発されたフード本」として紹介されている。

たしかに、近頃の「フード本」は、いわゆる、いいものいい店いい食談義や役に立つ健康と栄養の料理本の類とはちがう、「食という営み」を「考える」傾向のものが増えていておもしろい。本書も、そういう一冊だ。

「栄養満点おいしい人生を与えてくれる70冊」とサブタイトルにある。たまたま腰巻に「活字は血となり肉となる。」という惹句があるのだが、活字を読めば自動的に血となり肉となるわけじゃない。バカの血となり肉となることもある。本の選び方、その読み方や見方があってのことで、本書は、そのための素晴らしい書評集でありブックガイドだ。

著者は北海道在住、農学博士、管理栄養士として活躍されている方で、栄養士の現場から食の現実と向かいあって仕事をしている。

本書は、直接的には、栄養士や栄養士になろうという人たちに向けられているが、著者は「栄養士だけでなく食関係の仕事に就いている方や食に関心のあるすべての方々に読んでいただければうれいしかぎりです」という。おれも、そう思う。

70冊は、次の3つの章に分類されている。

第一章 栄養士の基礎を作り血や肉になる本
第二章 視野を広げ教養を深める本
第三章 心に染み入り元気が出る本

第一章の選書を見ただけで、本書は食べて生きているひとが対象だとわかる。

第一章23冊のうち、栄養学に直接関わるのは、香川綾『栄養学と私の半世紀』・佐伯芳子『栄養学者佐伯矩伝』・杉晴夫『栄養学を拓いた巨人たち』・松田誠『脚気をなくした男 高木兼寛伝』である。

この紹介を読めば、栄養学が、どういう人たちによって、どういうふうに成り立ってきたかの概略を知ることができる。じつは、「栄養」という言葉は身近な割りには、その記号的な部分以外は、あまり知られていない。だけど、カンジンなことは、その知られてないことにあると気づくだろう。

いま栄養学は、食事や料理などの広いフィールドと向き合わなくてはならない。それはとりもなおさず、食べて生きる全ての人びとが向き合っていることだ。磯部晶策『食品を見わける』・黒木登志夫『健康・老化・寿命』・児玉定子『日本の食事様式』・近藤弘『日本人の味覚』・中尾佐助『料理の起源』・本山荻舟『飲食事典』は、食事や料理の基本的な知識に関係する。

そして、食はいま、大きな現代的な課題を抱えている。それに関する本の数々。安斎育郎『増補改訂版 家族で語る食卓の放射能汚染』、放射能については田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』もあって、現実と向かい合う著者の見識と責任感を感じる選書だ。ほかにサイモン&エツァート・エルンスト『代替医療のトリック』・島田彰夫『食とからだのエコロジー「食術」再考』・高嶋光雪『アメリカ小麦戦略』・中西準子『環境リスク学』・森本芳生『「食育」批判序説』・山口迪夫『アルカリ性食品・酸性食品の誤り』・山本俊一『わが罪 農薬汚染食品の輸入許可』。

なんといっても、特徴ある光っている選書は、宇佐美寛『新版 論理的思考』・大野晋『日本語練習帳』・郷原信郎『思考停止社会』・森博嗣『科学的とはどういう意味か』が含まれていることだ。著者は現実を直視し向き合いながら、人間として職業人として、論理的科学的思考を持ち、つねによく考える生き方を大切にしている。このあたりが、本書の基底にある最も強いメッセージではないかと思われる。

取り上げられた本は、1冊1冊が、3ページから4ページでまとめられている。本の概略や作者の紹介と共に、なぜその本を選んだか、その本の意義などをまとめ、本文からポイントとなる文章を引用、私はこの本をこう読んだとまとめる。簡潔な要約や縮約や引用、明確な視点と根拠と批評、わかりやすく無駄のない論理的な文章、ところどころユーモアがある。いたるところに著者の明晰を感じる。

第二章は24冊。その1冊に、江原恵『家庭料理をおいしくしたい』がある。この本では、江原恵は舌鋒鋭く栄養士や栄養学を批判している。見出しにも「栄養士制度が広めた「栄養食餌学」」「調理のできない栄養士は「非科学的」である」といったぐあいだ。たぶん栄養士の方なら気分を害するだろうと思われる表現が少ないのだが、著者は江原の文章を引用したのち、こう書く。

「一般家庭の台所で一番だし・二番だしをとるマネなどする必然性がないにもかかわらず、大学の調理実習では料理屋特有の包丁風俗を料理の基本として教えており、そうした従来のだしのとり方の固定観念を打ち砕きたかったからでした」

「本書は、権威の高みから送られてくる情報をそのまま無批判に受け入れる栄養士養成系大学での調理実習への批判となっています。私は、家庭の台所に直結しないままのプロのエピゴーネンたる栄養士が養成されていくことへの問題提起としてとらえました。/今後の栄養士教育の方向を検討していくうえで、議論の素材をたくさん含んでいる一冊といえます」

論点をキチンと把握する。本を読む姿勢や読み方と評価の仕方が、いちいち勉強になる。そう、本著は、本の読み方や評の仕方について、じつに多くのものを教えてくれる。書評の書き方や読み方のオベンキョウにもなる。

第二章の「視野を広げ教養を深める本」について、「ここでの教養とは、食の問題を含めた多様な状況に、自分自身の知識や判断力で対応でき、自由なものの見方ができることだと私は考えます」と著者は述べる。何についても、自分の考えと根拠が明快であり、先入観念にしばられることなく自由、そして責任ある発言をする。

この二章に、岡崎武志『ベストセラーだっておもしろい』や岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』があって、最初は意外で驚いたが、読んで納得。岡崎さんの本から述べたあと、「ワインと似ています。時間を置けば味わい深くなる、そんな本探しの新たな楽しみを教えてくれる読書指南書です」と結ぶ。

第三章は、「栄養士が登場したり、食を題材としたりしている小説や文芸書を紹介しています。毎日の生活や仕事でつらいことや悲しいことがあったとき、登場人物の言動に励まされます」。毎日の生活や仕事でつらいことや悲しいことがあるのは、栄養士にかぎらない。この章は働き食べ生きる人びとへの、著者の愛にあふれたメッセージでもある。

石田千『月と菓子とパン』について、こう結ばれている。「栄養士はカロリー計算だけが得意と揶揄(やゆ)する人もいます。栄養士の作る献立は栄養的に満たされてもおいしくないという批判もあります。これらの批判が的を射ているかどうかは別として、栄養士は食べ物を通して食べる人や作る人の暮らしまで見る力が要求されると思うのです。この本は、食べることが人びとの生活に根ざしているという視点を改めて気づかせてくれる好エッセイだといえます」

この章は23冊。なかでも吉村昭『漂流』の結びは、著者自身と本書を語っているように思った。「本書は、生きることを決してあきらめない強靭(きょうじん)な精神力と知性の大切さを読者に届けてくれる名作だと思います」

ってえことで、第二章に拙著『大衆食堂パラダイス!』が載っている。「著者は、通称「エンテツ」「大衆食堂の詩人」といわれる、一風変わった人物です」その変わりぶりを、揶揄することなく、「とはいえ、ただの酔っ払いが書いた本ではありません」とあたたく受け入れてくれる。「読みどころがたくさんあります」「著者の、その幅広い読書領域と教養にも脱帽しないではいられません」と。いやあ、明晰な著者にこういわれると…、やっぱりうれしい。デレデレ鼻の下が長くなりそうだ。

じつは、河合知子さんのことは、だいぶ前から、ブログを拝見して知っていた。食育が問題や話題になって、おれは食育基本法について孤独な批判をしていたころ、栄養士なら声を揃えて「食育万歳」を叫んでいたのだが、河合さんは違ったのだ。

そのことも含め、去る11月28日、河合さんは、このようにツイートされている。

『食の本棚』は、幻冬舎ルネッサンス新書から、10月25日の発売。拙著『大衆めし 激動の戦後史』は、10月10日の発売だった。

河合知子さんの、
サイト「KS企画のホームページ」
http://www2.plala.or.jp/kskikaku/
北海道発・生活問題を考えるブログ
家政学・生活科学を学んだ立場から、最近の生活問題について本気で考えていきます。
http://ameblo.jp/kskikaku

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2013/12/22

東京新聞「大衆食堂ランチ」15回目、鶯谷・信濃路 鶯谷店。

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バタバタしているうちに一昨日は第三金曜日で、東京新聞連載「大衆食堂ランチ」15回目が掲載になっていたのだった。今年はこれが最後、来年も続くので、よろしく~。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただけるが、いつものようにサイトには外観の写真が載らないので、ここに。とくに、この外観とラブホが並ぶ周辺の景色は、独特だろう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2013122002000192.html

Photo忘年会・新年会の時期にあわせ、それができる食堂として、この店を選んだ。店内にも、忘年会・新年会をすすめる貼紙がしてあった。

そして、「和食」のユネスコ文化遺産登録で、カレーライスが「和食」に含まれるような発言があったので、それにからめ、ごはんものでは一番安い350円のカレーライスを選んだ。カレーライスには、味噌汁がついている。まさに、「和食」か?

以前、ミーツ・リージョナル別冊東京篇の『東京ひとりめし』に、「遠藤哲夫の[信濃路]偏愛話」を書いた。その書き出しを、ここに載せておきます。2009年の発行で、このときはカレーライスが300円だったのだな。


 百円玉三個で、具がごろっと入ったスパイシーなカレーライスが食べられる。しかも味噌汁つき。千円札一枚あれば、それにビール大びん一本でオツリがくる。
 大都会で働き生きるおれの欲望に、気取った装飾やオシャベリはいらない。即物的実質的にこたえてくれる飲食店こそ、明日への希望であり活力だ。信濃路は、まさに、それ。生々しい欲望を満たす、素朴なよろこびがあるところ。
 また、信濃路のある場所が独特で、好きだ。京浜東北線と山手線が停まる鶯谷駅ホームからの景観は、ここにしかないだろう。片側は山で徳川家の墓もある墓地、片側は低地でラブホテルが林立する。線路を挟んで、俗と聖、生と死。騒々しく華麗に洗練された、あるいは高く大きくアートな東京は、影をひそめる。
 信濃路は、低地のラブホに囲まれた線路沿いにある。ホームから看板が見える信濃路の上には、よく見て欲しい、聖なる神社がのっかっている。少なからず感動する。その猥雑にして混沌な人間くさい光景をながめ、おおっ、おれは今日も俗に生きているんだ、だからこそ、これから酒を飲みめしをくうのだ。この駅のホームに降り立つと、そのように、大都会で見失いがちな自らの生を、生々しく感じる。飲食の助走として、最高だと思う。(以下略)

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2013/12/21

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声、その4。南陀楼綾繁と木村衣有子の評

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高知の堀内さんから、高知新聞に載った共同通信配信の書評のスクラップが届いた。評者は南陀楼綾繁さんで、この配信があったことはツイッターで知っていたが、どの地方紙に掲載になっているかも、どんな内容かも把握のしようがなかった。

「新書だより」のコーナーに「ありふれた食をおいしく」のタイトルで、小泉武夫さんの新著『缶詰に愛をこめて』(朝日新書)と共に『大衆めし 激動の戦後史』が取り上げられている。8割ぐらいは、拙著のことだが、ありふれたクックレス食品ということで、共通するところがある。

南陀楼さんは、名前がアヤシゲだが、かれの書評は、とくに本好きの方たちのあいだで定評がある。それは、おれは、どちらかというと、ライターとしての「南陀楼綾繁」より、編集者として仕事をするときに使用する本名の「河上進」のほうの才能が大きいのではないかと思っている。

とにかく、本の読み方が緻密なのだ。あるいは精密というか。本を「読む」といっても「目を通す」「字面を追う」ぐらいのことが少なくないなかで、南陀楼さんはキッチリ読み、正確に把握し記憶する。そして、間違いがあろうものなら、細かくチェックし訂正する。それについては、すごいエピソードを読んだ記憶がある。これは、たぶん、編集者としての才能だと思う。

キッチリ読むから、書評に不可欠な、書評の対象となった本の内容や論旨などの縮約や要約が、的確なのだ。

おれが驚いて記憶に残っているのは、辰巳ヨシヒロの『大発掘』に、「フツーに生きたいだけなのに常に不幸になってしまう男たち」というコメントをつけていたことだ。この短い文章に、読む力と、要約と批評の力が凝縮しているようで、スゴイなあ、と思った。

その南陀楼さんに新聞で書評をいただくのは初めてだ。やはり、見事なのだ。うなってしまった。

南陀楼さんは、本書に述べられている、70年代にどう工業社会型の食生活が訪れたか、その揺り返しのように21世紀に入ると叫ばれた「食育」や「スローフード」などの安全志向を、例によって的確に要約したのち、こう述べる。

「しかし著者は「便利な食」と「安全な食」のどちらが正しいと決めつけることはしない。それよりも、生活の中の料理とは何かを考え、「ありふれたものをおいしく食べる」という食の基本に立ち返ることを提唱する」

ここは、どちらが正しいか結論めいたことを書かないように、おれが最も気を使ったことなのだ。いやあ、さすが、南陀楼さんは大事なポイントをはずさないと思った。

「食の混乱」がいわれるが、「混乱」というより「多様化」であり、多様化の中では、二者択一ではなく、それぞれが自分の生活の現実から考える。そういうそれぞれをお互いに尊重しあう。「うまい、まずい」をこえて、「自分の美味」を持つこと。それが本書の「立場」なのだ。

南陀楼さん、ありがとうございました。

昨日の金曜日は、『週刊金曜日』年内最終号の発売日で、特集は「食を哲学する 20人が選ぶ99冊」だった。そこに木村衣有子さんが登場、5冊を選んでいる。

『大衆めし 激動の戦後史』も含まれているのだが、『サッカロマイセスセレビシエ』『おべんとうの時間』、拙著、『チクタク食卓』『耕せど耕せど 久我山農園物語』の順に書かれている。

木村さんは、「普通の、日々の糧について記された本ばかり」を、このように選び、この順番で書く中に、「地に足がついている」生活を語る構成になっている。つまり一つの書評エッセイになっているのだ。なにごとも安直にすまされない、木村さんらしい念のいった書き方だ。

そういえば、そういう、本を読んだり評したりするときの、緻密さや精密さは、南陀楼さんと似てなくもない。似ているといえば、「妥協がない」といえばかっこよいが、不器用で世事に長けているとはいいがたく、いつも本音で誠実な仕事をする。つまり、読者をホイホイ気分よくさせるうわ言サービスなど、不得意という感じなのだ。

今回も、木村さんは、最後の『耕せど…』で、「野菜を育てるのは特別なことでも高潔なことでもない、いつもいつでも清く正しい姿勢で向かっていたらくたびれてしまう、そう教えられる。」と結んでいる。おれは、拍手した。こう書かずにいられない、そこが、まあ、木村さんの真っ直ぐなところで、これがなくては、おれはツマラナイと思うのだが。野菜づくりはナチュラルでピュアでほっこりな清く正しく美しい生き方、それをステキと思っている私はステキ、なーんて夢見ている人は、冷や水を浴びせられた気分になるだろう。

その真っ直ぐな木村さんが、『大衆めし 激動の戦後史』を要約したのち、「大衆食堂の「めし」についての一文は「ケ」のごはんはどんなものかを、見事に書き表している。」と本書から引用しているのは、ここだ。

「"繊細な評論"など無意味にする、凡庸で素朴であるがゆえに、毎日食べてもあきないということが、料理の持ち味になっている」

そして、つぎの高山なおみさんの『チクタク食卓』の「凡庸で素朴」なおかずの話につながる。

週刊金曜日は、きのう発売になったばかりなので、書店で手にとってごらんください。

木村さん、ありがとうございました。

当ブログ関連
2013/12/13
『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その3。

共同通信のWebサイトでも、10月21日に片岡義博さんに評をいただいている。
http://www.47news.jp/topics/entertainment/2013/10/post_6329.php

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2013/12/18

林舞は天才か、縦横無尽のパンワールド『パン語辞典』に「戸惑う味覚」を書いたのだが。

001『パン語辞典』(誠文堂新光社)は10月20日の発行だった。著者は「ぱんとたまねぎ」になっているが、これは林舞さんの「屋号」なのだ。

林さんから「パン×めし」というテーマで執筆していただけたら」という依頼があったのは、4月中ごろのことだった。エンテツといえば「めし」のイメージだからと。

林さんとは「雲のうえファンクラブ」の縁だが、電話とメールの付き合いだけで、福岡にお住まいということもあって、お会いしたことはない。

ちょうど、『大衆めし 激動の戦後史』の原稿を書いている最中だった。「パンかめしか」の論争というか争いは、国の食料や農業政策もからんで、いまでも表舞台や裏舞台でやりあったりと、続いている。これを生活と味覚からどう考えたらよいか、ということで、1960年ごろの「米を食べるとバカになる」論、80年ごろから現在の食育基本法に通じる「日本型食生活」論、2000年頃からにぎやかになった「アメリカの小麦戦略」論などにふれている。

いままた、和食のユネスコ文化遺産登録で、「世界に認められた和食」を旗印に、一部の人たちは「パンとコーヒー」を排除的に批判しながら、「米食中心の日本型食生活」が勢いをつけているようだ。かと思えば、先日頂戴したのだが、今年の2月には『白米中毒』(白澤卓二、アスペクト)なる本も出ている(この本では、白パンも「悪」なのだが)。なんにせよ、あいかわらず、生活からの視点が欠けている。

ま、こういうことについては『大衆めし 激動の戦後史』を読んでもらえばよい。この問題には、いろいろなことが絡んでいる。

008それにしても、以前から、米食文化には楽しさが足りないなあと思っていた。食料自給率の危機を訴え、「日本人だから」「日本人なら」米を食べるのはアタリマエ、という、いわば国策にのった、大上段な話が多いのだ。これでは、パンの楽しさ、その魅力を訴える力に負けそう、と思っていた。

一方で、近年は、おれが昨年4月から6月の3ヵ月間、隔週で生出演していたNHKラジオ「すっぴん」でも見られたが、そこではリスナーの投稿(インターネットで写真を投稿)をもとに、弁当や朝食を紹介するコーナーがあり、おれもコメントを述べたりした、それが米食でも見るからに楽しいのが多かった。

米食を推進する側と消費者のあいだにあるギャップを感じ、とにかく、もっと大上段の説教ではなく、米食が自由で楽しくなる本が欲しいと思っていた。

だから、この本を見て、最初に思ったのは、こういう米のめしの本が欲しい!ということだった。

003しかし、見ていくと、こういう本は簡単に作れるものじゃない。パンとたまねぎの林さんの、体験や熱意や惚れこみ思い込みはさることながら、多彩な才能が噴出しているのだ。なに、この人の、自由自在は、かないません、脱帽、天才! 

つまりは本書のなかには、林さんが「パンとたまねぎ」になる過程もイラストで描かれているが、この人あっての、この本で、こういう人がこういう本を出せるだけのパンの文化の力があるのだ。めし好きのおれは打ちのめされた気分、ってほどじゃないが、いちいち驚嘆することが多い。

本のタイトルが、「パン辞典」「パンの辞典」ではなく、「パン語辞典」というのがミソだ。
「パンにまつわることばを
イラストと豆知識でおいしく読み解く」
という本なのだ。

002_2パンの原料や製造、製法、種類や歴史などは、世界にまたがって、紹介されているが、たとえば「きょうと【京都】」という項目は、「ユメのキョート」と題して、パンが好きになった林さんが「すてきなパン屋さんが密集する町、京都」へ向かって故郷を旅立ち「夢の京都パン生活」を送るイラスト絵本のような見開きなのだ。

北九州名物「かたぱん【堅パン】」の写真には爆笑。「がっき【楽器】」の項目には、「パンフルート」「パカーワジ」「スティール・パン」と、単なる「パン」がつく楽器まで登場。ダジャレか!「かっぱん【活版】」もあるぞ。マジに「パンかけ醤油」なんてのがあるのだ、知らなかった。

そして、自由自在は、ヴィジュアルにも、ふんだんに盛り込まれる。写真に、「キラ キラ」だの「ぐら ぐら」だの文字を白抜き。なんですか、なに遊んでるんですか、楽しい。「かき かき」の文字がある写真は、あの教養高く生真面目そうな林哲夫画伯が、食パンの絵を描いているところだ。林大画伯の写真に文字を重ねていいのか!面白い、おもしろい。

そういうわけで、おれのコラム「戸惑う味覚」なんか、どーでもよいという気分になる。が、このコラムは、なかなか好評らしい。

とにかく、この楽しくよくわかるパンワールドに、林舞の天才を見よ。

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2013/12/16

朝日新聞の「ソースカツ丼」記事にコメント。

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いろいろたまっていることを、年内に載せていこう。

少し前になるが、朝日新聞の福井総局の記者の方からメールをいただき、ソースカツ丼について問い合わせがあった。ソースカツ丼がどこで始まって、どのように福井にもたらされ定着したか、福井以外のソースカツ丼の分布やつながりの可能性ついて調べているという。

メールで返信したら、興味を持たれたのか、電話でも取材があり、メールのやりとりが続いた。最初は、福井県内の朝刊に掲載の予定だったが、最終的に11月9日の西日本地域の夕刊と、同13日の福井県内の朝刊に掲載になった。こういう話が西日本版夕刊トップになるのかと驚いたが、「ご当地グルメ」が人気のせいか。なかなかの力作だ。おれは、「絹の道」とソースカツ丼の分布の関連の可能性について言及している。

こういう大衆的な料理は、「伝播」をたどるのは難しい。かなり広範囲に広がって、ある特定の地域だけに続いて残ってきた可能性があるからだ。つまり「伝播」の前後関係は把握のしようがない。

ただ、その残って続いている地域の特徴と関連性は、時代の特徴と照らし合わせてみると、あるていど想像つくことがある。記事では「絹の道」というロマンをからめているが、明治から戦前の繊維産業関係の往来は、ソースカツ丼にかぎらず、大衆レベルでのハイカラ文化の普及に、何か関係がありそうなのだ。一介のフリーライターが、そういうことを追いかけている余裕はないので、研究者や新聞社の方などがやってくれるといいのだが。

いま気がついたが、話には出ていたが記事からは福島県の会津若松地方のことが落ちてしまっている。この地域もカツ丼とえばソースカツ丼だ。とにかく、担当記者さん、お疲れさまでした。

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2013/12/15

年末あれこれ。

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日に日に年末感が高揚している感じだ。やはり一年のケジメというやつか。

13日は、忘年会というわけじゃなかったが、脳梗塞で三途の川を渡りかけながら、嫌われ者世にはびこるを地でいって復活、このあいだ酒も解禁になった塩爺の解酒会があった。

日暮里の又一順で19時から。10人ほどが集まった。おれのほかは、みな本好きの古本市がらみの人たち。「塩爺」なんていうが、おれより10歳若い。塩爺がいうには、彼とおれが初めて会ったのは、10年前で、おれがいまの塩爺の齢のときだったそうだ。罵詈雑言悪態にかつてのようにキレと勢いはなく、顔つきも好々爺の感じを備え、白髪のいい男になった。嫌われ者でなくなると、ただのつまらん男で、こんどはポックリ三途の川を渡ってしまいかねないかシンパイだ。なにはともあれ、大病からの復帰はめでたい。

この夜は23時半すぎに東大宮に着いたのだが、日暮里駅あたりからの記憶がない。それで、そのまま帰ればよいものを、酔っているからこそもう1軒と、悪いことに午前3時までやっているコタツへ行ってしまった。泥酔よれよれ帰宅。

結果、昨日は飲み疲れ寝不足が重なったが、19時半から池袋の東京中華街でわめぞの忘年会だった。しかもオールナイトの忘年会。とても朝までは付き合えそうにないと思いながらも、飲めばわからないなの気持で、まずは東大宮西口のやぶそばで、鍋焼きうどんとビール。

座った席の横に、ダイヤモンド・ユカイさんの色紙を発見。去年の春3ヵ月間隔週水曜日、NHKラジオのすっぴんで顔を合わせていたユカイさんは、うちの近所に実家があるのだ。色紙の日付は今年の6月だった。

わめぞの忘年会は、元気のよい若い人たちばかり、にぎやかに決まっている。まあ、思い切りにぎやかだった。いったい何を話していたのか、おれは往来座のセトさんと皮膚脳や粘膜脳の話をしていた気がする。24時近くまで。そのあとは、飲んだ勢いで、やっぱりオールナイトのカラオケに付き合ってしまった。ひたすら飲んで歌うだけ。ってことで、今日は朝帰り。今月2度目の、飲んでの朝帰り、クセになりそう。って、そんなにやれない。疲れる。

005先日、おれが「理解フノー」の連載をさせてもらっている美術系同人誌「四月と十月」編集長にして北九州市「雲のうえ」編集委員の牧野伊三夫さんから宅急便が届いた。忙しくしている牧野さんから、なんだろうと思いながら開けると、牧野さん作製の酒盃と便箋に描いた絵。おれの古稀祝いにと。これはもう家宝ですね。

牧野さんは、昨年に続き今年もアートディレクターズクラブ賞を受賞し、ますます忙しく活躍している。そんな中でも、こんな心遣いをいただき、ありがたいことだ。ありがとうございます。

ってことで、毎年恒例の、HBギャラリーにおける画家・牧野伊三夫さんの個展は、今週の金曜日20日から25日水曜日まで。お見逃しなきよう。
http://hbgallery.com/schedule/index.php

このオープニングパーティーで、久しぶりの皆さんと会って飲んでいると、ああ今年も終わるなあという気分になるのだが、今年は段取りを間違えて、参加できない。

とにかく明日から20日までが、年末ラッシュだ。ほとんど飲み会だが、19日は、先日告知したように、路地と人で今年最後のトーク。

木村衣有子さんが、12日のツイッターで、速水健朗さんの新刊『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(朝日新書)のあとがきにおれの名があるとツイートしていた。いま売れっ子の速水さんが、いったい何を。

おなじツイートによれば、木村さんは20日に発売になる『週刊金曜日』の特集「食を哲学する 20人が選ぶ99冊」で、おれの『大衆めし 激動の戦後史』も選んでいるとか。

速水さんや木村さん、気鋭のウルサイ人たちが、はて。

こうして年末どんづまりが過ぎていく。体調を崩さないよう、乗り切ろう。

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2013/12/14

エンテツが登場するミーツ・リージョナルの好評完売号が、電子書籍100円で買える。 

これは驚き、エルマガ社11月28日のニュース。

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天満や福島、なんばや天王寺など、月刊誌「Meets Regional」で毎回好評を得ているエリア特集。その中でもすでに完売して、雑誌として手に入れることが難しい3つのエリアが、電子書籍となって復刻。それも驚きの1冊100円!
食のワンダーランド"天満"に、大阪で最もエンターテインメント性あふれる街"鶴橋"、変わりゆく街をじっくり探索した"天王寺"・・・、どれもミーツがディープに街へ潜入し紹介する秀逸な記事ばかり。
http://lmaga.jp/blog/news/2013/11/ebook-MeetsRegional.html
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この3冊のうち、おれは、2012年9月号「天王寺特集」と2011年3月号「天満特集」に登場している。天満特集は木村衣有子さんと一緒。

よろしくね。

当ブログ関連。
2012/07/31
ミーツ・リージョナル9月号「天王寺特集」で「エンテツの名酒場はしご道」。
2011/01/31
これが、『ミーツ・リージョナル』3月号「エンテツ・衣有子の天満のぞき」だ。

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2013/12/13

『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その3。

2013/11/04「『大衆めし 激動の戦後史』にいただいた、お声。その2、山﨑邦紀さん。」以来、1ヵ月以上すぎてしまった。この間、ツイッターやブログに、思っていたより多くのお声をいただいた。どうもありがとうございました。

商業メディアでは、すでに当ブログで紹介した、TBSラジオ荻上チキさんの番組に生出演と、北海道新聞の著者インタビュー「訪問」に取り上げられた。

友利仁 ‏@tomori_hitoshi さんの11月29日のツイートによると、

「沖縄タイムス」今日の読書面 隔週配信【新書だより】 《見出し》ありふれた食をおいしく 《紹介》遠藤哲夫著「大衆めし 激動の戦後史」(ちくま新書・798円)/小泉武夫著「缶詰に愛をこめて」(朝日新書・798円) 《本文》1970年ごろから現在までの約4… (南陀楼綾繁・ライター)

ということで、南陀楼綾繁さんが共同通信配信の書評で取り上げているようだが、どこの地方紙に掲載になったか、どんな内容か、わからない。

『大衆めし 激動の戦後史』は、いまどきの活字文化系の商業メディアの傾向からすると、取り上げられる可能性は、かなり低いと思っていたので、「想定通り」といったところだ。これまでと比べると露出は格段に低い。もはや本書は、オワタのか。こうなったら、地味~に、口コミが頼り。

ツイッターの反応は、けっこうあるのだが、全部を掲載するのは大変なので、好評からいくつか。

◆長谷正人 @mtokijirouさん、12月10日のツイート。
https://twitter.com/mtokijirou/status/410427894960099329

遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)、とても面白かった。名著だと思う。大衆食堂本を出されてるんでB級グルメの人だと勘違いしてた。旬の味のような生活実態から遊離した料理言説を徹底的に批判し、安定した火力でスーパーの野菜を生かす現代的生活の料理として「野菜炒め」を考える

(実名での投稿は、とくにうれしい。しかも「名著だと思う」と。長谷正人さんは早稲田大学文学学術院教授で、ウィキペディアに載っている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E6%AD%A3%E4%BA%BA

◆neanderthal yabuki ‏@neanさん
https://twitter.com/nean/status/408406825856270336
(12月4日の3連続ツイートは厠からの帰還から始まった。楽しい。いまや、和食のユネスコ文化遺産登録で、「日本」スノビズムというか「愛国」スノビズムが一緒になったような「和食」スノビズムが姦しいが…。)

厠からの帰還。本日の厠本。エンテツ本はいつでもおもしろいのだ。/遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史 「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』(ちくま新書)

厠で喰いものの本を読むのはいささか悪趣味かもしれんけど/(^o^)\

本書には出て来ない言葉遣いだけれど、考えてみるに、「食」にかぎらず、ある種の「日本」スノビズムというか「愛国」スノビズムみたいなものってのが蔓延ってるんだな、というふうに一人合点した。

◆嶋野夏樹 ‏@72ki_sさんによる 11月16日 の3連続ツイートはhttps://twitter.com/72ki_s/status/401745251531890688
「まだ途中だが呟かずにはいられないほど、おもしろい。「偽装表示」騒ぎの今だからこそ、皆、読んだほうがいいと思う! 『大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』 (ちくま新書) 遠藤哲夫」から始まり、「それなのに「和食は素材を活かす料理だ」てな物言いがまかり通ってて、いつも違和感を憶えてたんだけど、『大衆めし 激動の戦後史』に、その辺りの「事情」がズバッと書いてあって、かなり溜飲が下がりました」と。

最後はブックメーターhttp://book.akahoshitakuya.com/b/448006740Xにも、このように感想を書かれていた。(ブックメーターには、ほかにもさまざまなお声があがっている。)

「偽装表示」騒ぎの今だからこそ読むべき本。「ありふれたものをおいしく食べる」文化を豊富な具体例と共に提示しており、いろいろと納得し実感できる。また食材のブランド信仰なんていう「地に足のついていない」幻想から引き起こされた「偽装」騒ぎを苦々しく感じていたため、とても溜飲が下がった。 あと著者の竹を割ったような文章も痛快で、 ―(前略)「頭脳パン」なるものも生まれた。問題は、そういうことで頭がよくなりたいという頭の問題だろう。(063p)― とか最高っす!

◆140B中島 ‏@maido140bさんは、10月末の大阪の講演でお世話になった。
https://twitter.com/maido140b/status/398095755136602112
遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)。著者は「大衆食堂の詩人」だがおふくろの味礼賛とは全く違う。食品メーカーなどで40年以上「人が食うもの」を提供する現場に携わり、「生活料理とは」を追究してきた者の肉声だけに読ませる。缶詰と残り野菜で「何か作って食べよ」と思わせる力作(11月6日)


ブログから抜粋させていただく。

◆【書評/感想】日本料理は衰退しました!/「大衆めし 激動の戦後史: 「いいモノ」食ってりゃ幸せか? /マトリョーシカ的日常 11月18日
http://matoyomi.hatenablog.com/entry/20131118/1384767095

 時間がない時は新書の書評に限る。教養書は頭を使うし小説は時間を食う。平積みになっていてタイトルが分かりやすそうな本を選んだらこれだった。激動の戦後史と書いてはあるがそれは筆者が意識的に激動という単語を本文中に使っているからで本来はそんなに激動ではない。ただ戦後から現代まで日本人はどんなものを食べていきてきたかというのを体系的に理解していなかったので本の内容は興味深かった。

「気取るな、力強くめしを食え!」野菜炒めのように強火で一気に読める新書だ。

◆台所から考える日本の食/見もの・読みもの日記 11月17日
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/3b50042b1c590c24cf41fbd949927cb4

著者の同志、江原恵は、食文化の混乱にあっての料理の基本は「創意や工夫や意欲や感覚を、自分の生活の中で血肉化すること」だと述べている。これを受けた著者の呼びかけは「まずは、台所に立とう」。確かにそこからだ。毎日でなくても、自分のいまの生活に無理のない範囲で、この呼びかけに応えることは需要だと思った。
(エンテツ注→最後の「需要」は「重要」かな?)

◆私たちの食文化を深いところで豊かにする/未来回路.com 10月19日
http://miraikairo.com/?p=1812

私たちは「世界システム」の中で食べている。経済や政治、流通など様々な要素によって、食べることは構成されているのだ。しかし、著者は本書の中で、次のようなことの必要性を呼びかける。「食べるということを自分の生活の中で血肉化、思想化すること」。それが私たちの食文化を深いところで豊かにするからだ。本書ではその始まりとして、まず台所に立つことを勧めている。


中島さん以外は、たぶんお会いしたことがない方ばかり。みなさま、ありがとうございました。

検索の最中にこういうのがあった。どこの大学が所蔵しているか、これでわかるようだ。『大衆めし 激動の戦後史』の大学図書館所蔵は91件。
CiNii図書
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB13640811

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2013/12/12

12月19日(木)は「路地と人」でアキリカさんとトーク。

19日の路地と人での、アキリカさんとのトークですが、一昨日、ツイッターで以下のような告知がありました。

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19日(木) 19:00~20:30 トークショー 「地域の食文化について思うこと」 ゲスト:遠藤哲夫(大衆食堂の詩人) 路地と人始まってからのおつきあいのエンテツさんと、食と地域にまつわるそれぞれの思う事をお話しします。

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このトークは、17日(火)~21日(土)のあいだ路地と人で行われる「歳末 アキリカ 大感謝祭「販女(ひさぎめ)が見ている景色」」の、その3です。

関連トークイベント(聞き手:安岐理加)

17日(火)19:00~21:00 鍋 ミーティング
「始まりも鍋でした。」ゲスト:路地と人のメンバー 参加費1000円 
18日(水)16:00~18:00 トークショー
「豊島発→盆踊りをめぐって」ゲスト:大谷将/中西レモン(ジムプリチウスもしくはぶらぶらしてる人) 
19日(木)19:00~20:30 トークショー
「地域の食文化について思うこと」 ゲスト:遠藤哲夫(大衆食堂の詩人) 
20日(金)19:00~20:30 トークショー
「暮らしという実践」 ゲスト:杉田敦(美術批評)  
21日(土)14:00~16:00 トークショー
「あっちいったりこっちいったり そしてちょっととどまったり」ゲスト:中崎透(アーティスト)  

各会参加費1000円飲み物付き
各会席に限りがありますので、予約されてのお越しをおすすめします。
予約→rojitohito@gmail.com まで

詳細は、こちら路地と人のサイト。
http://rojitohito.exblog.jp/19119888/

アキリカさんとのトークは、3回目になるかな? そこにも書いてあるように、アキリカさんは、すでに生まれ故郷に近い豊島に住まいを移して、あらたな活動を始めているので、なかなかお会いできなくなる。話したいことは山ほどあるけど、はたしてどんな話しになるか。近頃、食と地域とネットワークについて考えることが多いのだけど、そのあたりを話せるか。

よろしくね。

年内は、これが最後のトーク。

新春第一弾は、1月11日(土)に、小岩の野暮酒場です。
これは野暮連公開新年会というべきか、おれが出演し好評の「全日本オヤジ選手権」のビデオ鑑賞会があります。来年は、少々ピンクな幕開けか。いや、来年も、軟派から硬派まで。詳細は後日。

ビデオの紹介は、当ブログ2010/08/10「全日本オヤジ選手権とギョニソ(魚肉ソーセージ)」をご覧ください。…クリック地獄

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2013/12/08

恩田えり×エンテツのトーク、大入り満員御礼、「和食」を語り、のち朝まで飲み。

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去る6日(金)は、「恩田えりのもっと知りたい話したい第三回」の「大衆食堂詩人エンテツ解体新書その3」だった。タイトルは「大衆めしと江原恵とオレ」。

このタイトルになったのは、前回は、江原さんとおれが生活料理研究所をつくるあたりで終わっていたのと、そのあたりのことを書いた『大衆めし 激動の戦後史』が10月10日に発売になったからだった。

しかも、トークの日の前々日ぐらいに、「和食」のユネスコ文化遺産登録が正式に決まったニュースが流れた。えりさんは、4日のツイッターで、このようにツイートしていた。

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明日伺いたいことのひとつに『和食の無形遺産登録』があります。日本のカレーライスはもはや日本カレーライスだから和食だと思うのですが、あれは和食には入らないのでしょうか!などなど、明日お答えくださいませませ!

https://twitter.com/mongolbrazil/status/408516353633423361
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いうまでもなく、『大衆めし 激動の戦後史』は、こういうことに大いに関係する内容だから、今回は資料を用意して臨んだ。

用意した資料は、

農水省のサイトから「わが国の食文化」のページと、そこからリンクのある「日本食文化テキスト」のうち「1、日本の伝統食文化としての和食」のプリント。
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/culture/

この文章は、食分野の無形文化遺産登録を目指す国の検討会会長を務めた、静岡文化芸術大学長の熊倉功夫さんが書いたものだ。

それから、ダイアモンドオンラインに、11月13日付で掲載された、小説家・料理人の樋口直哉さんによる特別レポート「世界に認められたのは『サザエさん』の食卓!? 「和食」の無形文化遺産登録を手放しで喜べない理由」のプリント。
http://diamond.jp/articles/-/44360

そして、ここに表紙の画像だけアップしておくが、アサヒグラフ1999年2月26日号の「四條司家 日本料理道庖丁道の精華」という特集。これは18ページにのぼるもので、そのコピーを用意した(現物は貴重なので、酔って失くすといけないからコピーを持って歩いている)。

「日本料理」や「和食」を語るとき、「四條流」ははずせないが、その実態は、あまり知られていない。ところが、この特集あたりから、「四條司家」は積極的な動きを見せている。最近では、NHKも後押しか、という番組もあった。

さて、トークの当日は、さばのゆ@経堂で、19時開場で19時半スタートだった。おれは、途中で腹ごしらえしながらビールなんぞ飲んでいたらギリギリの到着となってしまった。

会場設営はすでに終わっていて、えりさん作成の例の年表がぶらさがっていた。それに、本が用意されていた。江原恵さんの本が、庖丁文化論、まな板文化論、食通以前、台所の美味学、生活のなかの料理学、カレーライスの話、料理の消えた台所、家庭料理をおいしくしたい。なんとまあ、えりさんは買い揃えて読んでいるのだ。それに、おれの本3冊と、このトークのきっかけになった、『みんなで決めた「安心」のかたち』。

何人か遅れて来た方もいたが、スタートのときから大入満員状態だった。始まれば、舞台なれ話しなれしているえりさんのリードで、もうガンガンガンと話ははずむ。めったに話さないことも、おもわず口にしてしまい、最後のほうは、アサヒグラフのコピーを見せながら、爆笑の連続となった。

トークは21時45分ぐらいまでだったか、やや延長して、打ち上げ時間が短くなるぐらいまで話がはずんだ。

打ち上げとなったが、『大衆めし 激動の戦後史』にサインを求める方がけっこういたので、せっせとサイン。初めての方も何人かいて、若い男性の1人は、『dancyu』をご覧になったとか、もう1人の若い男性は、先日の生出演、TBSラジオの荻上チキさんの番組で興味を持ったとか。うれしいねえ、そうやって1人でも足を運んでくださる。

そうして、サインに時間をとられたせいか、どうも飲み足りない。ってわけで、野暮連の男2人と女1人と、またもや四谷3丁目で0時から5時まで営業の東陽片岡さんのおスナックへ行ってしまった。途中で久しぶりの女1人が参加のち早退し、あさの5時まで。O嬢が、けっこう早いペースで飲むので、引きずられるように飲んで、泥酔朝帰りとなった。

しかし、今回の「和食」は、これからが大変なことになるだろうなあ。ユネスコ文化遺産に登録の、「和食」の枠組みというのが、はっきりしていないのだ。

熊倉さんなど関係者によれば、ライスカレーやオムライスやトンカツそしてラーメンなど、従来、和洋中で分類されていたうちの「洋」も「中」も、全部ではないらしいが含まれるという。あるいは、「おふくろの味」「母の味」ということでもあるようだ。

これはおれがこれまで言及してきた「近代日本食のスタンダード」に当たるもので「大衆めし」ということになる。大衆めし、めでたし、めでたし、か。だけど、そうは問屋がおろさない。めしと汁を混ぜて食べるのはダメらしいのだ。つまり汁かけめしや丼物は、ダメに含まれるようだ。では、なぜカレーライスならよいのだろうか。

それから、パンとコーヒーの排除は、あいかわらずだ。「和食」には含めにくいのは確かだが、生活に定着していても、「日本独特」でないものはダメという線引のようだ。あいかわらず「米かパンか」で線を引きたいのだ。でも、パンだって、日本独特のものと食べ方があるよなあ。

それに、とにかく、「和食」とは「自然を尊ぶ日本人の気質に基づいた食に関する慣わし」ってことなのだそうだ。そうなると、やっぱり、ライスカレーやオムライスやトンカツそしてラーメンなどは、どうなのよ?という疑問が残る迷走ぶり。

001先の、熊倉さんの文章によれば、まな板が「日本独特の先の細いまな箸とともに和食には必須の道具である」と述べ、「片刃の庖丁も、さしみを中心とする微妙な日本料理の風味をいかすために必須の道具である」と言う。これでは、やはり「和食」は「日本料理」のことか、となってしまう。(アサヒグラフの表紙の写真、右手に庖丁、左手にまな箸)いま、まな箸を備えている家庭が、どれぐらいあるだろう。備えていないからこそ備えるべきだといわれるのかも知れないが、それを必要とする料理が、現実的で望ましいものなのだろうか。

「日本料理」は、一部の人たちのもので、これでは登録が難しいというので「和食」にした経緯もある。「和食」は「日本料理」のベールや衣だったのか。いったい、どうなっているのだろう。あまりにもご都合主義の「和食」の解釈は、これからどうなるだろう。

『大衆めし 激動の戦後史』にも書いたが、考えるほどわけがわからなくなるのが、「日本料理」であり「和食」なのだ。それは生活の実態から出発しないで、一部の人たちの観念で仕切り、ツジツマをあわせようとやってきた歴史の結果のように思う。

そもそも、日本の食文化を、省庁の一つにすぎない農水省が仕切ること自体が、おかしい。食は、農水省だけで成り立っているのではない。食育基本法は、農水省のほかに文科省と厚労省が関係し、内閣府の管轄になった。食事や料理や味覚は、産業との関係で成り立つが、特定の産業に従わなくてはならないものでもない、自立的なものであるはずだ。

日本の食文化が現状でよいはずはないが、そうなった原因について、とんでもない考え違いがあるように思う。

この件については、トークの最後で、それではこれからどうしたらよいのだろう、少し話したが、おいおいここでも書いていきたい。

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2013/12/05

北海道新聞の著者インタビュー「訪問」に登場。

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北海道新聞の著者インタビュー「訪問」の記者と会ったのは、先月13日のことだった。新橋の烏森口で待ち合わせ、近くの飲み屋街路地、つまり少しでも「大衆的」雰囲気を背景に写真撮影、ニュー新橋ビルならではの落ち着く喫茶店でインタビューとなった。

その記事が、12月1日(日)に掲載になった。タイトルは「庶民の味はなぜうまいのか」。取材のときは体調が万全ではなく、イマイチ話に集中できなかったのだが、うまくまとめていただいた。おれが思っている『大衆めし 激動の戦後史』の核心部分に言及いただいていて、うれしい。

下の写真で、文章をご覧いただけるだろうか。

明日は、2013/11/23「12月6日(金)恩田えりのもっと知りたい話したい第三回 大衆食堂詩人エンテツ解体新書その3、など。」で告知したように、恩田えりさんとのトーク。「大衆めしと江原恵とオレ」のタイトル。「和食」の世界文化遺産登録が決まったことだし、「日本料理の敗北」を宣言し「日本料理の二重構造」を指摘した江原恵との出会いから、気合を入れて話そう。いま世界文化遺産という「和食」のベールをかぶった日本料理の本質を示す資料も持っていく予定。よろしくね。

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2013/12/04

『かつお節と日本人』、週刊文春に書いた書評が、ご覧いただける。

「週刊文春」の「今週の必読」に書いた書評が、文春のサイトにアップされたのでご覧いただけます。

かつお節をめぐる一大叙事詩 『かつお節と日本人』 (宮内泰介 著/藤林泰 著) 評者遠藤 哲夫 | 今週の必読 - 週刊文春WEB
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3378

当ブログ関連
2013/11/22
『かつお節と日本人』の書評を書いた週刊文春が届いた。

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