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2014/01/26

『大衆めし 激動の戦後史』がらみでラジオ出演やフェアなど。

『大衆めし 激動の戦後史』は、これまでの大衆食堂や汁かけめしの本とちがう動きが多く、おもしろいし楽しみだ。

フェイスブックでは『大衆めし 激動の戦後史』の「読書会」をやりたいという話が進行しているのだが、先日は初めての方からメールがあって、小人数の「勉強会」だが来てもらえるかといわれ、なんだかおもしろそうなので行ってみた。都内の某事務所で5人ほどだったが、とても熱心で知識も豊富なみなさんで、「生活料理」について大変有意義な意見交換ができた。

「読書会」だの「勉強会」だのは、これまでなかったこと、直接話し合えるのは、うれしいし、よいことだ。いまもあるところから、足代も出ないのだが来て話してもらえるかという問い合わせがある。行きますよ。企画しだいだけど、少人数でも、手弁当で駆けつけます。遠慮なく相談してください。

ってことで、とり急ぎ告知。

明後日、28日火曜日、朝9時頃からニッポン放送『垣花正 あなたとハッピー』に生出演します。

次の週、2月3日月曜日は、文化放送「くにまるジャパン」に、朝10時ごろから生出演の予定です。

去る15日、ツイッターで、 空犬 ‏@sorainu1968さんが、「今日大盛堂書店で買った本。『大衆めし 激動の戦後史』(ちくま新書)。ずっと気になっていた1冊。お店の規模的にはあり得ないぐらい、これでもかというぐらい感じで並んでいて、ここで買わないわけにはいかない、という気にさせられる。」とツイートしていた。
https://twitter.com/sorainu1968/status/423484997433954304

大盛堂書店というと、YOMIURI ONINE「本屋さんへ行こう」の「書店員のオススメ読書日記」で、『大衆めし 激動の戦後史』を取り上げてくださった山本亮さんがいらっしゃる店だ。おれは出版業界や書店に疎く知らなかったが、山本さんは、書店のありかた、本の売り方についても、よく考え、いろいろな試みをしていて、評判の高い方なのだ。その様子が、空犬さんのブログ「空犬通信」にも、「渋谷発、「大盛堂書店2F通信」がおもしろい!……最近注目の書店フリペ」のタイトルで載っている。
http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/blog-entry-2201.html

いやあ、こういう方に、販売を押していただけるなんて、ありがたいことだ、どんな方かお会いしたいものだと思っていたら、お会いできたのだ。そのことを書いていると長くなるので、またの機会に。とにかく、30代で、意欲的にリアル書店の可能性を追求している、素晴らしい方。

もう一つのブックフェアは、紀伊国屋書店新宿南口店で「『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』刊行記念 速水健朗氏が選ぶ「食べることは政治的なこと」食関連の人文ブックフェア」というのが開催されていて。速水さんによって、多彩な選書がされているのだが、『大衆めし 激動の戦後史』も選ばれている。

「最近「日本食」が無形文化遺産となりましたけど、何を持って「日本食」なんでしょうか? 本当の「日本の大衆食」を問うのが本書です。」というコメント。

2014年1月23日(水)から2月17日(月)まで、こちら紀伊国屋書店のサイトに詳しい案内があります。
http://www.kinokuniya.co.jp/contents/pc/store/Shinjuku-South-Store/20140123130000.html

リアル書店ならではの可能性は、まだまだ大きいものがある。

とりあえず、以上。よろしく~。

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2014/01/19

東京新聞「大衆食堂ランチ」16回目、亀有・ときわ食堂。

ここのところ、たいして忙しくないはずなのに、あれこれ違うややこしい企画の打ち合わせが同時進行するうちに、予定が錯綜したり、おれの記憶が錯綜したりで、曜日を間違えてしまった。一昨日は木曜日と思っていたら、須田さんと電話で話していて金曜日だと気づくありさま。ボケか?

その一昨日は第三金曜日で、東京新聞連載「大衆食堂ランチ」の15回目が掲載になっていたのだった。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014011702000196.html

002いつものように、サイトには外観の写真が載らないので、ここに載せるが、新聞に載った写真は、真正面からのもので、この写真とは違う。看板の写り方が中途半端だったので、新聞に載せる写真は、車道に出て真正面から撮ったものにしたのだ。

葛飾には「ときわ食堂」が何軒かある。どこにしようか、葛飾の野暮男と相談しながら、比較的大きな箱の、亀有のときわ食堂を選んだ。入口のドアから、店内の空間を埋めつくす短冊メニューが、いかにも「ときわ」系の食堂らしい。

今回は「空間」寄りに書いた。しかし、亀有は何度か行っているのだが、この町の雰囲気を表現するのは難しい。把握し切れていないのかも知れない。そこをなんとか書いて見たいと思って考えたのだが、月並みな表現に流れてしまった感じがある。

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2014/01/18

遅まきながら年末年始。

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ようやく「ブログ始め」ということになる。本年もよろしくお願いいたします。

とりあえず備忘メモ。

年末年始の休みは、例年のように、秩父の山奥で過ごした。最近は12月31日に行って1月2日に帰ってくることが多かったが、今回は30日に行って2日に帰ってきた。いつも元旦といっても雑煮をつくる習慣はなく、とにかく、打ってもらったうどんやそばなどを食べて飲んで過ごした。標高600メートルの谷底で、前の谷川には氷が張っている年が多いのだが、今年はナシ。おだやかな日和の年末年始だった。

昨年の夏に行ったとき、家のまわりに植えてあったコンニャクが収穫され、外の竈で大量にコンニャクが作られていた。これをさっと煮付けたのがうまいのだ。

玄関前や、いたるところに鈴なりに実がなる南天が植えられていた。その実のつき方が、これまでの南天とは違ってみごとで、見応えがある。家人に聞くと、下の方の集落の人が、京都から種をもらって来て植えたものらしい。その人は、これを「ニュービジネス」にしているようだが、東京のやんごとなき人びとのあいだでも評判がよいとか。衰退一方の山間の集落にも、才覚のある人がいるし、才覚しだいでやりようがあるものだと思った。

しかし高齢化と迫り来る死による人口減への対処は難しい。この家の老夫婦も、しだいに身体が弱っていて、日々の買い物も、これまでのようにはいかない。すると、そこにまたあらたな需要と供給の関係が生まれるわけで、このあたり孤立化しつつある家々をまわり、用を足す役割をになっているのが、牛乳配達の人らしい。上の方の集落、かつて10戸ほどあったのに今では3戸だけになってしまい、山地にばらばらになって、その上歩くのも困難な人が残っている。そこでは、この牛乳配達の人が、回覧板をまわすことまでやっているそうだ。

013すでにこのブログで書いたように、昨年読んだ『オオカミの護符』がいろいろ刺激になり、この家にある「お札」が気になっている。つまり、「お札」は、かつての暮らしのネットワークの存在を示すものなのだ。これからよく調べたいと思っている。写真は、台所の荒神様で、この背後窓の外にはコンニャクを炊いている竈がある。ほかにも、玄関などに、ちがうお札がある。

以上、年末年始の秩父のこと。
書き落としていることを、少し遡っての主なことだけを以下にメモ。

11月21日19時から、東中野のパオに、以前の企画会社でおれの「配下」だった連中が集まった。ふとしたキッカケでそうなったのだが、すぐ連絡がとれた連中だけ、ノムラ、マコト、ユウタ、ジュンコ、ギンコ、ナオコ。ノムラ、ユウタ、ジュンコは、顔を合わせるのが30年ぶりぐらいだろう。かつて、おれは30代後半から40、かれらは20代後半から30ぐらいの時代に出合った。もう周囲から見るとメチャクチャなことをやっていたのだけど…そういうメチャクチャな話をしながら、楽しく過ごした。

パオは、第1回の大衆食の会をやったところだ。そのときの屋根からパオの屋根が突き出していたボロ家は立派なビルになり、「遊牧民」か「浮浪者」の集まりのようなパオの店は続けられるのかと思っていたが、行く度に充実、大いに繁盛するようになった。昨年の7月ごろには「孤独のグルメ」にも登場し、大混雑が続いているとか。ビル最上階には、バーまで開業。けっこう、けっこう。

ザ大衆食のサイトにある「パオ」のこと…クリック地獄

12月2日。18時から、高田馬場で宮崎さん西垣さんと新企画の打ち合わせ。その前、17時に高田馬場駅そばに事務所のあるユウタとおしゃべり。

13日。19時から日暮里「又一順」。一昨年脳梗塞で倒れ三途の川を渡りかけながらもどってきた塩山さんが、飲酒も解禁になったというので、ナンダロウさんの呼びかけで「解酒会」。仙台からいがらしみきおさんも駆けつけ、10名ばかりで楽しく飲んだ。塩の字は、かつてのような毒舌罵詈雑言の勢いは衰え、好々爺のようにうれしそうにしていた。

14日。わめぞの忘年会。池袋の「東京大中華街」って名前だったかな?まあ、とにかく飲んだ。飲んで、朝までカラオケに付き合い、朝帰り。

16日。新宿で、珍しいというか初めての顔合わせというか、柳瀬さんコーディネートによる、男2人、女2人の飲み。「みのる」で待ち合わせ、「玉蘭」から「フロイデ」。

19日。「路地と人」でアキリカさんとトーク。この件については別に書く。後日、いつになるか。

22日。亀有で野暮連どもと飲み。後日、別に書く。

26日。17時から、新宿の鼎。ホリオカさん、ササキさん、オオハシさん、初対面のタカハシさん。2軒目は「フロイデ」。5人だったので、30年ぶりぐらいで、一つだけのボックス席に座った。フロイデで、すごく面白いよいことがあったのだが、書いていると長くなるので、省略。

29日。野暮酒場で野暮な忘年会。

昨年末28日になって、1月6日に原稿20枚弱の締切を知らされる。その6日に仕上げるべく書いていると、ギンコから電話があって、見留が12月31日に亡くなって、7日がお通夜で8日が葬式だという。原稿を書いていた集中が途切れる。

心臓の替わりにペースメーカーを入れ、いつ死んでもおかしくない男だったが、11月ごろには、イタリアなどに出張して、その後も京都など国内出張が多いようだったが、ペースメーカーのほうが疲れなくていいよ~、とか言っていた。享年61。

生まれつきの、いわゆる「心臓奇形」で、かれが20代後半でおれの「配下」になったときから、仕事も酒も山もスキーも、のちにはかれが社長をやっていた会社も一緒につくるなど、行動を共にすることが多かったが、その間に何度も発作がおきて寝倒れていた。よく生き抜いたといえるだろう。離婚再婚もやったし、再婚後は、子供3人も育て上げ。

とにかく、7日は早朝に6日締切の原稿を送り、お通夜、鎌倉へ行く。死者の引き合わせ、ギンコのほかに、オウサカさん、ハギワラさん、ヤマウチさんなど、ひさしぶりの連中と会い、話がはずんだ。ここで、神山さんが、見留が亡くなる前、27日に亡くなっていたと知る。なにしろかれは「火宅の人」だから葬式も難しかったようだ。60歳半ばだったかな?酔って風呂で死んでいたのだ。あのバカ、バカな死に方をしやがって、と…、ギンコとハギワラとヤマウチとおれ、通夜の席にしてはわれわれだけ見留や神山を偲ぶににぎやかすぎるので、ヒグラシ文庫へ移動。湘南新宿ライナーの最終で帰った。

10日。鶯谷の「信濃路」で19時から飲み会。おれを含め男2人と女4人。元気のよい女4人に圧倒される。

11日。小岩の「野暮酒場」で、18時から。「新春初笑い企画、大衆食堂の詩人・エンテツさん出演の怪作DVD『全日本オヤジ選手権』鑑賞会&トーク」ってのがあった。クダラナイことこのうえないDVDを見るために集まったモノズキたち。近頃、野暮酒場にも新顔が増えている。しかも東京の西から、この東の端まで来た人が3人もいた。なんというモノズキだろう。二次会までシッカリ飲んで、泥酔帰宅。

とりあえず、以上かな?ほかにもいろいろあり、この間に小まめに飲み小まめに仕事をしていた。今週あたりからは、早く取り掛からなくてはならない新企画もあり、ドタバタ続き。

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