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2014/03/28

なにがなんやら増殖する野暮な3月のことを思い出すままに。

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うわっ、もう今月も終わりなのに、ブログの更新は1日だけ。チョイと遊んで飲みすぎたか。とりあえず、主な私的デキゴトのメモだけしておこう。

2日は、勝川くんの火葬だった。

離婚して1人暮らしだった彼は、前日も会社に出社していたのだが、22日に死んでいるのを、会社の部下によって発見された。遺体を引き取る身寄りはなく、知人や友人や会社関係者では引き取ることができない。いわゆる行路死亡人扱いで、警察の調べのあと、区役所の福祉関係が引き取り火葬にするということで、葬儀は一切なし。

火葬にする直前に、お見送りはできるということがわかり、その時間を知らされたのは27日だったか? 急遽連絡を取り合い、13時少し前に、杉並区梅里の堀ノ内斎場に集まったもの20名少々。半分以上が元会社関係者だった。

遺体は、激しくやせ衰え、かつての面影は、まったくなかった。昨年8月に食道癌で入院したが、手術をすることなく退院、出社し仕事はしていたが、食事は出来なくなり、飴をしゃぶって生命をつないでいたらしい。死後、会社の机から見つかった大量の飴の袋を会社の人が持って来て、みなに配っていた。なかでも森永ミルクキャラメルの大きな袋が目立った。彼が幼い頃から親しんだパッケージのデザインと味だったにちがいない。

お骨拾いもしたが、骨壷は、そのままそこに置いて帰らざるを得ないのだった。区役所の委託を受けた葬儀屋が預かり、ひと月ほど親族関係を探し引き取る者がいない場合は、無縁墓に入れられる、ということだった。

彼の母親が亡くなったとき、おれは葬儀の一切を仕切った。そのとき彼は、すでに母1人子1人だったが、少子高齢化、高齢者単身世帯の増加で、こういう行路死亡人扱いのケースが増えるのだろう。

10人ほどで、近くの居酒屋で飲み、さらにおれと6名ほどでもう1軒飲んで帰った。

008001_34日、上野の国立西洋美術館で開催中の「モネ展」の終わりが近いというので行った。印象派は、とくに好きなわけじゃないし、以前にどこかの美術館でやったモネの大量の作品が展示された展覧会を始め、けっこう見ているから、ゲップが出る感じ。でも、今回は、「モネ、風景をみる眼 19世紀フランス風景画の革新」ということで、同時代の他の画家の作品の比較展示もあり、産業革命後の風景画の「革新」を見ることができた。この時代に、「産業」が「風景」になっていったのだな。環境の変化によって、風景を見る目も描く描き方も変化したというわけだ。

006001モネのあと、アメ横の「呑める魚屋」魚草へ行った。猪瀬さんに初めて連れられていって、ひと月ほどのあいだに3回目。サメの心臓の刺身というのを、初めて食べた。レバ刺しのクセが軽い感じ。ここでアメ横の通りを行き交う人たちを見ながら飲んでいると、いろいろ発見があって、おもしろい。画像は、魚草とサメの心臓。

8日、昨年から3月の開催になった、蓮田の清龍新酒祭り。野暮一同、13時半に蓮田駅に集合だった。現地直接のひともいたし、エンテツさんですか?と声をかけてくれた初対面のひともいて、はて何人になったか。大阪から来京中の若い女性もいたな。3年前ぐらいに初めて参加した東大宮のムトーさんが、現地に直接来ていて、驚いた。とにかく、二次会の大宮いづみやでは、男5人女5人。野暮の集まりで、こんなに女性がいたのは初めて。もう泥酔状態で、次の南銀の「三悟晶」は、2人脱落して8人だったと思う。もうなにがなんやら、楽しかった。東大宮に帰って、どこかで飲んで、泥酔記憶喪失帰宅。

清龍新酒祭りも、年々屋台や出し物が増え、大盛況。けっこうなことだ。

15日、大盛堂書店で、速水健朗さんとのトークだった。16時開始だったが、その前30分ほど、初対面の挨拶のち打合せのような雑談。それも含め、かなり異色な組み合わせの対談は、有意義だった。

40人定員の会場は、満席。打ち上げの飲み会は、速水さんも出席され、10数名もの人たちが参加、いやはやにぎやかだったし、ここでの話も面白かった。最後、大盛堂の山本さんほか数名と、地下の蕎麦屋で飲んだのだが、ほかに誰がいたかわからないほど酔っていた。

この件については、長くなるから、また別の日に書くことにする。五十嵐泰正さんも来ていて、5月に速水さんとのトークをやるとのこと、楽しみだ。

だんだん書くのがメンドウになってきたから、簡単にしよう。

17日、ひさしぶりに、中野やどやゲストハウスの飲みーティングだった。東京五輪をめぐる動向と対策、てな感じで、これからの方向性や具体策のいくつか。食楽のちアボチョイ。東大宮に帰ってからガルフキッチン、泥酔帰宅。

21日、小岩の野暮酒場で、「おのみささんの初コミックエッセイ『おのみさの麹のよさを200%引き出すアイデア帖』出版記念飲み会開催! 17時30分開店、18時スタート。参加費500円(おのさんお手製おつまみ代)」ってことで、参加。

考えてみたら、男野暮のほかに、女野暮、この日の主役、おのみささん、金子酒呑番町・手拭番町、わゆりさんの3人は、8日、15日、そしてこの日と、毎週末3連チャン。

15名ぐらい定員の野暮酒場は、20名以上の参加で立ち飲み状態、部屋中がうなっていた。

そうそう、佐々木香織さんも参加で、ひさしぶりに会った。彼女は、金子さんとも知り合いで、おのみささんの『麹のおつまみ』(池田書店)の編集者でもあるのだ。いろいろつながりがあるものだ。そもそも、おのみささんが、野暮酒場に出入りするようになったのは、どういう縁だったのか、もうわけわからない状態。増殖する野暮。けっこうなことだ。

おのみささん手製の麹料理、うまかった。『麹のおつまみ』を買ってきたので、そのうち作ってみたい。

0時近く、帰る人は帰ったあと残った者で、小岩駅近くのラーメン屋へ。たしか3時過ぎまで飲んで、野暮酒場で少し寝て、ようするに朝帰りとなった。

23日、わめぞ、雑司が谷みちくさ市の古本フリマと、13時半からの石田千さん×苅部直さんのトークを聴きに行った。スソアキコさんと鈴木伸子さんが来ることになっていて、12時半すぎ古本フリマをブラブラしていたら、スソさんと会い、一緒にめし食って(ビールも飲んで)会場へ。ビール飲んだから、寝ちゃうといけないと、キンチョーする一番前正面の席に座る。石田千さん×苅部直さんのトークは、雑司が谷霊園を中心に墓散歩の話で、大いに古墳とも関係するが、古墳と現代の墓は、また大きく違う。

最後に石田千さんが『踏切趣味』(筑摩書房)を三冊持って来ていて、「私とジャンケンして勝った方に、あげます」というのでジャンケン。すると、なんと、たくさんいたのに、最初のジャンケン1回でおれともう1人が勝った。そのもう1人、後のほうなのでふりむくと、鈴木さんなのだ。そして、あと残り1冊。そのジャンケンも1回で、スソさんだけが勝ち、3冊は、簡単におれたち3人の手に落ちてしまった。

トークのあとはスソさん鈴木さんと池袋まで歩いて「ふくろう」で、飲みながらオシャベリ。愉快だった。スソさんは、15日も来てくれて最後まで飲み、元気そうで、よかったよかった。

みちくさ市では、去年から参加している、柏のジモトワカゾー野菜市も出店していた。笠原さんや五十嵐さんにもお会いし、小松菜と水菜を買った。どちらも、すごくうまかった。

これぐらいにしておこう。

14日だったかな?小学館から通知がきて、昨年承諾契約を交わしていた、瀬尾幸子さんのとの共著『みんなの大衆めし』の台湾版が発行になったようだ。

北九州市『雲のうえ』20号が発行になり、届いた。特集は「集まれば、仲間!」ってことで、北九州の部活やサークル活動。

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