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2014/05/24

速水健朗×五十嵐泰正トーク「『なに食べた?』で社会は変わるのか」。

以前告知したように、5月18日(日)は、鬼子母神通り「みちくさ市」で、わめぞプロデュースのトーク、速水健朗×五十嵐泰正「『なに食べた?』で社会は変わるのか」があって行った。

司会は柳瀬徹さん、13時半にスタート。早いテンポのトークで、内容も刺激的、エッもう終わりなのと気づく15時まで、一気に時間は過ぎた。

メモはないので、記憶で書く。

冒頭、速水さんが怒涛のごとく語り、自分が書くときは「敵」にしている人たちがいる、ひとつは建築学系、ひとつは社会学系だと。

話を聞いていくと「建築学系」というのは少しちがう感じがしたが、ようするに「コミュニティデザイン」や「まちづくり」に関わる専門家たちのこと。「ショッピングモール」などは、頭からハンターイという立場でしか発言しない人たちのことのようだった。

とにかく、速水さんは、「書く」つまり発言するにあたっては、自分の「立場」をはっきりさせて書きたい、立場をはっきりさせることは「敵」をはっきりさせることだと。この件について、当の社会学者である五十嵐さんの発言もあった。

ようするに、「コミュニティデザイン」というのは「住民」の意見を尊重する。その場合、地権者など、その土地における既得権者が中心になりやすい。「住民重視」は「既得権者重視」。外来者や新規の参入者のことは排除されるか、考慮されても既得権者側からの見方になりやすい。「コミュニティデザイン」とは「既得権のデザイン」であり、排除的になりやすいのだ。これに関連し、「まちづくり」や、食の分野でもそうだが、「意識の高い人たちによる排除」が話題になった。

おれは、このあたりが面白かった。「住民参加」「住民尊重」の「まちづくり」のもつ胡散臭さは、確かにあるし、とくに「意識の高い人たち」の高尚高邁な考えや理想による排除は、いろいろなところに見られるなあと思いながら聴いた。

五十嵐さんは、社会学では、いつも「都市とは誰のものか」が問題になってきたと。「まち」とは誰のものか、「社会」とは誰のものか、空間やネットワーク、あるいは歴史、「とは誰のものか」は、たえず問い返されなくてはならないことだろう。

おれの場合も「敵」は、割とはっきりしているが、「敵」を意識したことはない、ただ「立場」は、たえずはっきりさせている。「おれ」と書くにも立場がある。この立場は、誰に嫌われるか、こういうことを書けば、こういう人たちに憎まれるだろう、ぐらいは考えられる「立場」があって書いている。誰からも嫌われない、誰から見ても正真正銘正しい、誰からも礼讃を受ける、なーんてことは、ありえないと思っている。ただ、速水さんのように「敵」はコレだ、とかはあまり考えたことがないなあ、でも、けっこう「日本料理の伝統」などを「敵」にしているなあ、とか、いろいろ考えるのだった。

タイトルの「『なに食べた?』で社会は変わるのか」については、「か」とあるように、それについて何か結論を出すというものではなかった。

ま、それぞれが考えればよいし、トークの中から考えることが大事なのだから、結論は必要ないのだが、聴いていた人たちは、「『なに食べた?』で社会は変わる」ということより、オーガニックやマクロビが絶対正しくて他は悪い排除するのみ、というような考えではなく、それぞれが生活の実態に合わせて、おいしいから、楽しいから、便利だから、健康によいから、いろいろなチョイスがあるというのが、いちばん「豊かな」状態ではないだろうか、そこからよりよい未来がある、と感じたと思う。

自分や自分たちの考えを高らかに謳い他者に従うことを求めるのではなく、「おたがいにとってよいこと」を協力して探し求め、一つ一つ解決していく、今大事なことだろう。と、おれはあらためて思ったのだった。

会場には、以前のわめぞトークで登壇した、流山の有機栽培農家「レインボーファミリー」の笠原さんも来ておられて、最後のほうで司会に発言を求められた。

笠原さんは、東電原発事故による柏のホットスポット以来、お客が変わってしまったことを話した。以前は、地元の人ではなく東京などの「オーガニックが正しい」と考える人たちの通販が多かったが、この人たちは事故のあと離れてしまった。いまでは、地元の人たちが、近くだから、おいしいから、顔が見える関係がよい、土地とのふれあいがあるなど、いろいろなつながりでお客になっている。そういう話をした。笠原さん家族も、忙しいときはコンビニ弁当を食べているという話に、会場はなごんだ。

おれは、教条や極端に走ったらいけないのよ生活というのは、と思って聴いていると、トツゼン司会がおれに発言を求めてきた。なんだよ、いきなり、それにもう15時をすぎていて、終わりの時間じゃないか。

トツゼンのことにまごついているおれに、司会の柳瀬さんは、おれが須田泰成さんとwebマガジン「チョクマガ」に連載していた「カウンターカルチャー」について話してくれと。おれは、一瞬ボーゼンとなった、「『なに食べた?』で社会は変わるのか」とどういう関係があるのだろう、と考える時間もなく話し出した。

ようするに、カウンターカルチャーというのは、混ざり合うこと、シャッフルだと。いま必要なのは、テーブルごとに分断された空間やコミュニティではなく、誰でもふらっと入って交わることもできるし、交わらなくてもほかの人の様子が身近にわかる、カウンターのようなカルチャーなのだ。てなことを話した。

時間はもう15時を10分すぎていた。これが、けっきょくまとめのコメントのようになってしまった。速水さんからも反応があって、震災以後、立ち飲みのワイン樽をテーブルにしようなものも含め、カウンターが増えているように見えると。

なるほど、立ち飲みカウンターが増えているのは、「デフレだから」「不況だから」という見方だけでなく、震災後カルチャーとして見ることも必要と思った。

会場は60人ほどだったか。学生さんたちも多く、圧倒的に若い人たちだった。終わって、立ち上がると、Mくんが寄ってきて、やあやあひさしぶり。前の会社をやめたという情報は知っていたが、その後どうなったのかと思っていたら、いま人気の雑誌の編集者になっていた。しかも結婚して。いやあ、めでたい。

近づいてきた女性が名刺を差し出す、見ると井上理津子さん、なんと、神戸であったんは10年以上も前だろう、それ以来、しかもいまは雑司ヶ谷に住んでいると。こんど飲みましょう、ぜひ!とやっていると、別の男性が近付いてきて名刺をいただいたら、毎日新聞の石戸諭記者ではないか。

ってことで、その石戸記者が担当して話題になっている、「漫画家はどう福島を描いたか」のシリーズは、いま2回目だけど、こちら毎日新聞のサイトで一回目から見られる。これはもう大変な力作。ぜひ、ごらんください。http://mainichi.jp/feature/news/20140522mog00m040007000c.html

さてそれで、その日は、トークだけで終わるはずはなく、ワレワレ野暮連は池袋に流れ、清龍本店でカンパーイ。16時ごろだった。見れば9人も。さらに、そのまま終わるはずもなく、19時過ぎ、わめぞ一味が打ち上げしている東池袋の居酒屋へ、9人から1人の脱落者もなく合流。もうなんだか、途中から覚えていない泥酔記憶喪失帰宅となったのだった。

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2014/04/30 5月の、おすすめトーク、二つ。
2014/04/17 3月15日の大盛堂書店@渋谷での速水健朗さんとのトーク。
2013/04/06 「『いいモノ』食ってりゃ幸せか? われわれはみな〈社会的〉に食べている」五十嵐泰正さん×おれ。

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