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2014/06/29

今日は「俺とエロと手拭と私」トークと「非公式物産展〈地球の歩き方 初回オリエンテーション編!〉」。

今日は、経堂さばのゆで「俺とエロと手拭と私」トークをやる日だ。お相手は、手拭番長じゅんこさん。じゅんこさんは着物姿で手拭をたくさん持ってくるそうだ。トークは、手拭四十八手、手拭の使い方使われ方が中心の予定。さて、何が飛び出すか。

予約不要、投げ銭制。いまからでも遅くはない。
http://sabanoyu.oyucafe.net/

おれは、その前に、経堂から近い桜新町でやっている、「非公式物産展〈地球の歩き方 初回オリエンテーション編!〉」に顔を出す。

これは、元「路地と人」メンバーの大村みよ子さんがやっているもので、彼女は去年あたりから、あちこちで「非公式物産展」なるものをやっていて、妙なことをやっているなあと思っていたのだけど、今回やっとわかった。これは、面白そう。しかし、これは、「何アート」というのだろう。ってことで、これに行くのが楽しみ。
https://note.mu/hi_bussanten/n/nad6eff7ce100?magazine_key=me3b410c6ccd6

昨日は野暮酒場の開業日だったので、小岩へ行って、野暮酒場から植むらと飲んで泥酔帰宅だった。まだ少し酒が残っている。

野暮酒場でやっていた「帰って来た泥酔論」トーク、しばらくサボっていたが、次回のテーマが決まった。きのうブログに書いた『青べか物語』は、小岩の対岸、千葉県浦安が舞台になっている、その『青べか物語』の話しをしているうちに、「川の社会学」というテーマが浮上したのだ。東京の東側だからこそのテーマ。トークのお相手は、東側土着民でスペイン語翻訳家の有馬さん。

さばのゆの「俺とエロ」シリーズの3回目は、「俺とエロと祭り(あるいは「神輿」になるかも)と私」で、フランス人フォトグラファーのダビさんとやります。ダビさんは、いま仕事で東京の祭りの写真を撮っているのだけど、これが素晴らしい、その画像を見ながらのトークになるでしょう。

どちらも日程を調整中で、決まったら発表します。よろしくね。

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2014/06/28

山本周五郎『青べか物語』を読んでいる。

このあいだある会社の内部資料を見ていたら、普通の庶民のことを書いて民俗的な資料価値も高いと、『青べか物語』があげられていた。それに、「普通の生活を対象に書くことの難しさは、普通の生活に奥行きを見る難しさでもある」とか、それを書き遺すことの大切さにもふれていた。

『青べか物語』は、だいぶ前に一度読んだ記憶があるが、そういう目で見た記憶は残っていなかったので、新潮文庫版を買って読んでいる。

なるほどなあ、なのだ。そうはいっても、書くのは容易じゃない。

それに、昨今の「格差社会」では、「普通」は売れない。マーケットにならない。対象となるネタそのものか著者に、「有名」とか「一流」とか「専門」とかの、なんらかのスペシャリティが必要だと、このあいだ広告業界の人と、そういう話しになった。

そりゃまあ、わかってますが。

「普通の生活を対象に書くことの難しさは、普通の生活に奥行きを見る難しさでもある」ってことに挑戦するモノカキなんて、いまどきいないでしょうな。もっとマーケティング的に、単純に、ひとは、カネになる「権力」や「権威」、「有名」とか「一流」とか「専門」に群がるね。その仲間に入ろうとする。

はあ、しかし、カネになる「権力」や「権威」、「有名」とか「一流」とか「専門」に群がることをしなくても、戦略のとりようでカネを稼いでいるひとはいますよね。

じつは、けっこういるんだな。でも、メディアの世界では、群がって、あざとくやる人たちが多いだろうなあ。普通の人たち、その人から見たら下の人たち、のことなんか頭にないよ。

ようするに、おれはあんたらより「上」の世界にいるんだぜ、という誇示をしたいかどうかの違いじゃないですか。それぞれがそれぞれの場所で社会的に必要なことをして食っているわけで、そこに上下をつけたがるやつがいて。

あと、チヤホヤされていたい、とか。「上」になるほどチヤホヤされるからね。アンガイ、そんなことで。

奥行きがないねえ。

と、笑っていたのだが…。

おれの対象は、「普通の生活」「普通の人」だから、よほど「普通の生活に奥行きを見る」目と、書く腕が必要とされるらしいのだが、はて。

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2014/06/27

農水省の広報誌『aff(あふ)』に、ただただタメイキ。

001農水省の広報誌『aff(あふ)』6月号が、送られてきた。初めてのことだ。ありがとうございました。

ときどき農水省のサイトからpdf版を見ているので、内容は知っているし、今回はとくに6月が食育月間でその特集を組んでいたので、食育基本法に反対してきたおれは、すでに、それを読んでいる。でも、ご厚意で送っていただいたものであるから、あらためて読んだが、ただただタメイキが出るばかりなのだ。

はあ~。深いタメイキ。

特集1は、「みんなで広げよう!食育活動」。巻頭に見開きで、「「食育月間」スペシャル座談会」…林農林水産大臣と、「食に関心の高いタレントの」榊原郁恵さん、医師の馬渕知子さん、それにコーディネーターとして、どうしてこのひとになったのか気になる、「食文化研究家」の清絢さんという方。…おざなり、内容を紹介する気にもならない。いったい、どこを向いて作っているんだ、という感じもあるが、ま、お役所仕事だし、こうならざるを得ないことも多いのだろう。

いってみれば、とくにこの号は、農水省というよりは、「伝統主義」「日本主義」のプロパガンダであり、ようするに基本的なところが、ズレているんだな。

農水省ってのは、食料生産や食品行政を管轄していても、人びとの食事を管轄しているわけじゃない、人びとが食に望んでいることをどう把握し、どう期待にこたえようとしているのか、そのことのよって日本の農水産業を、どう魅力あらしめようとしているか、なのだろうと思うが、「顧客志向」のひとかけらもない企業みたいなのだ。つまり、そんな企業の仕事は、いまでは成り立たないが、官庁だから成り立つのだろう。

ようするに、生産者の苦労を知らず、生産者や産物に感謝することを知らず、伝統を知らない消費者を、正しく導かなくてはならない。そういう姿勢ばかり目立つ。これは、食料行政の範疇をこえた政治的なプロパガンダに農水省組織を利用している者たちがいる、と思われても仕方ないだろう。もともと、そういう傾向はあったが、食育基本法あたりから、「食糧自給率」を錦の御旗に、ますます顕著になってきた。

食育基本法については、『大衆めし 激動の戦後史』に書いているので、何度も書く気はしないが、ようするに、人びとの食事に対して、大上段から、しかも「日本型食生活」なるものや「伝統」をふりかざして干渉しようという、きわめて政治的に偏向したもので、よりよい食生活、なにより日本の農水産業のためには、ほかにやるべきことがあるはずなのだ。そもそも、農水省は、農水産業や食生活のバックアップを誠実に果たすべきではないのか。

と、いうだけムナシイ。

おれも、20年少し前のころは、当時の農水大臣やその秘書官たちと酒を飲んだりカラオケをやったりしながら、熱く日本の農水産業や地方の未来について語り合ったりしたこともあって、難しい状況は、それなりにわかっているつもりだが、なぜ、こうもゆがんでしまうのか。政治は難しい時代になった。

先日、渋谷のセンター街の入口を通ったら、横断幕があって、そこには「スポーツの力で、健やかな青少年の育成を」とあった。なにか、スポーツについて、間違った目的を期待している人たちがいるのを感じたが、農水産行政や食生活について、同じような、間違った目的を期待している人たちがいるのだ。

昨日書いた、「国宝級の器でお茶をたしなむ。味わえるかどうかは、飲む人の器次第です。」についても、そうだが、どこかで本末転倒というか、まったく本分と違うことが「政治的」「思想的」に持ち込まれ、それがさらに混乱を深めている。「日本らしさ」とかにこだわって負けたとかいう話が聞こえてくる、サッカーの敗退も無関係ではないかも。

それはともかく、役所のご担当の方々は、上司や政治家のもとで、いろいろ苦労されているわけで、農水省のサイトの主な広報関係にリンクを貼っておこう。

この『aff(あふ)』のpdf版は、こちら。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/index.html

農水省の公式フェイスブック。これは、なかなか面白い記事がある。
https://www.facebook.com/maffjapan

農水省食料産業局の公式フェイスブック。ははん、と、参考になる。
https://www.facebook.com/maff.shokusan

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2014/06/26

笑止な「器」。

JRの電車に乗ったら、「額面広告」に、新潟うまい旅キャンペーンの広告があって、茶室ではない、料亭風の客室の手前に店の接客人、向かいの床の間側に客が座り、その客がなにやら由緒ありげな茶碗で茶を飲んでいる写真。

そこにあったキャッチコピーが、これだ。

「国宝級の器でお茶をたしなむ。味わえるかどうかは、飲む人の器次第です。」

なにかと人格や人権をないがしろにするジケンが続くなかだが、その根は深いものがあるなあと思った。

しかし、ずいぶんな上から目線だなあ。

これだからね、日本の「伝統文化」ってのは…。

こんな虚仮脅しに、へりくだるひとが、まだ多いのか。それとも、おれはワカル器だよと思いたいひとが多いのか。

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2014/06/25

新橋でにぎやかに飲んで泥酔記憶喪失帰宅。

昨日は、新橋の魚金本店に18時半集合だった。落雷と雹、荒れ模様の天気だったが、静まりつつあった。魚金本店は、改装後初めて入る。すっかりきれいになって、もとのおもかげ、まったくなし。でも、めちゃ混みようは変わらず、人気なんだなあ。この日の予約は、ひと月ほど前にケイ女さんが、つながりにくい電話をかけ続け、がんばって(というより「意地」になって)押さえたものだ。そのとき、6月であいている日は、24日のほかは一日ぐらいしかなかったという。

ほかの顔ぶれは、まいどのナオ男さんとリエ女さん、ひさしぶりのタカ女さん、初対面のリエ女さんの先輩アンド師匠のオカ女さん。そして、ひさしぶりの、この日の注目、王子さま。王子さまは文芸部門に異動になった。あいかわらずのファッション、なんと、コルセット入りのふりふりのシャツで、みんなを沸かせた。おれのホームセンター調達のワーキングウエアファッションと対極。魚金の料理はテンコ盛りなのに、コルセットで腹が閉められ「くえね~」。とにかく、飲んで食べてしゃべって。王子さまもいることであり、いまどきの、ニュースな話題のあれこれ。

かっこいいおしゃれ先端をいくリエ女さんは、ワイン派というイメージなのだが、じつは清酒が好きで、この夜も早々に清酒に切り替える。おれも、全員が、つられるように清酒に切り替え、ずいぶん飲んだ。これで、みなだいぶ出来上がったな。

21時ごろ出て、ドライドッグへ。なんと、こんなことは初めて、7人もいたのに店内に入れた。もちろん生ビール。やっぱりうまいねえ。もう何杯飲んだか、何を話していたか覚えていない。気がついたら、今朝だった。とにかく、にぎやか、楽しかった。

次の29日の日曜日は、このあいだの日曜日に続いて、経堂のさばの湯でトーク「俺とエロと手拭と私」だ。ゲストは手拭番長じゅんこさん。

彼女は、22日のトーク「俺とエロと塩麹と私」にも来ていたのだが、ホッピー一本だけで、中を9杯飲んでいた。名刺には「手拭番長」のほかに「酒呑番長」の肩書きもあるひとだ。愉快な飲兵衛、トークが楽しみだ。こんどはホッピー一本で、中を何杯飲むか。

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2014/06/24

うまい料理はポエムを生むかもしれないが、料理そのものはポエムじゃない。

昨日書いたように、料理は化学だよなあと、あらためて思っている。最近では、料理を科学的に探求する本も増えているが、まだまだ料理という仕事に対する「姿勢」や「心構え」を説くことが盛んだ。「ラーメンポエム」なる言葉もあるが、作る方も食べる方も、なにやら「ポエム」的に高揚するのだな。

この心性は、なかなか深いものがあるようだ。最近ここに書いているように、芸術家(あるいはアーチスト)と職人と労働者のあいだに上下や優劣をつけることにも関係していると思う。

いまでは「政教分離」が、イチオウ、建前になっているが、つい70年ほど前まで続いていて日本人の肉体に巣くっていた、政教分離の反対である「祭政一致」は克服されたのかというとそうでもないようだ。

「祭政一致」は、とどのつまり、ものやこころを一主権者の支配下におくことになる、というか、ものとこころの支配を目指している。個人の人格を尊重する制度のもとでは、あってはならないはずだが、ものもこころも支配したいひとは絶えないし、支配されることで「一体感」というポエムを感じたいひとも絶えない。会社のような「治外法権」のもとでは、よく見られる。

日本は、「祭政一致」から解放されて、まだ70年弱だから仕方ないのか、なにかというと技術や技能や科学レベルのことを「心構え」や「姿勢」など「こころ」レベルで解決しようとする傾向は根強い。

料理なんか、割と根強いほうはではなかったかと思う。あと、よく言われるのが、陶芸。陶芸も料理のように素材と熱のコントロールの関係が重要で、これが料理ほど厳密にいかないことから、余計「神秘性」が高く、それが陶芸の「芸術性」を支えている、という話しを聞いたことがあるが、それはそうかも知れないが、それでは陶芸家がかわいそうと思ったりした。一方では、「こころ」を扱うのが「芸術」で、それゆえ高尚なのだという、ヘンな考えもあいかわらずある。

リサーチの分野に、「動作研究」や「動作調査」というのがあって、おれが初めてこれに関わったのは、1980年代ではなかったかと思う。料理の分野では、早い方だったろう。いまでは、チェーン店などが、マニュアルを作るときなどに、作業者をビデオで撮影して動作分析することがやられている。

この方法は、以前から効率よい正確な作業のための研究として工場などでやられていたようだが、1970年代にアメリカの外食産業が日本に進出したことから、飲食サービス関係にも広まり、1980年代でもまだ「神秘」に包まれていた日本料理の「職人仕事」の分野も、その対象になった。

もちろん、「動作研究」や「動作調査」で、技術や技能レベルのことが、すべて解明されるわけではないが、ほかのいろいろな技法を組み合わせることで、平均的な底上げが保証される。そして、平均的な底上げが保証されることで、新しい発見や才能や向上につながる可能性が開ける、ということになる。つまるところ底上げしながら、全体をよくするかどうかということ、これは「民主主義」的な思想に関わることだろう。

もちろん、いまの日本で見受けられるように、「祭政一致」でありながら、こういうマネジメント技術だけを導入し、人間丸ごと支配下におくということもできる。こうなると、宗教のようなアリサマが、あちこちに出現する。近頃、周辺にそういう話しが増えた。それは、底上げより、エリートの優越を優先させようという、保守的な背景と無関係ではないかも知れない。

仕事の「神秘」と「科学」の関係は思想の問題でもあるか。

とにかく、うまい料理はポエムを生むかもしれないが、料理そのものはポエムじゃない。

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2014/06/23

昨日のトーク「俺とエロと塩麹と私」は楽しかった。盛況御礼。

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話しながら、あらためて、麹も料理もなんておもしろいんだろうと思ってしまった、昨日のトーク。そもそも、ゲストのイラストレーターにして麹料理研究家のおのみささんが、楽しいひと、ということもあった。

トークは18時半スタートだったが、17時半にさばの湯@経堂で待ち合わせた。おのさんは、着物姿でエロを演出、次の日曜日29日のトーク「俺とエロと手拭と私」のゲスト、手拭番長じゅんこさんとあらわれた。参加者にふるまう、塩麹漬ゆでたまごを、タッパーにたくさん入れて。

告知しても反応が少なかったから、数人も集まればよいかなと思っていたが、18時半には、10数名も揃うほどで、急きょテーブルを動かして席を増やし、スタート。

あとは、もう、怒涛のごとく。

おれの故郷には、おれが子供の頃すでにあった麹屋が、いまでも残っている。たぶん、珍しことだと思う。ふりかえって、おれの町で、そんなに麹が愛好されていたかというと、特別そうでもない気がするのだが、おれが9歳ぐらいまでは、自分のうちで味噌を作るのが普通だったし、とくに冬には野菜を麹で漬けたものや甘酒が普通にあった。あまりにも普通すぎたというか。いまでも、カグラナンバンの麹漬があって、こたえられないうまさ。

しかし、自分で麹を買って何かを作ることは、やったことがない。

002いったい、おのさんは、どうして麹に興味を持ったのか、という話から始まった。それに、塩麹ブームの発端となった、おのさんの本は、2010年の発行だそうだが、その本は、誕生まで苦労があったようだ。というのも、出してくれる出版社がなくて、企画を持って回っても、出版社がなかなか決まらなかった、という話を、少し前に、おのさんの『麹のおつまみ』(池田書店、2012年)の編集を担当した、おれと瀬尾幸子さん共著の『みんなの大衆めし』の編集担当でもある、佐々木香織さんに聞いていたので、そのあたりの話しにもなった。

そして、おのさんの麹料理のスライドを見ながらトークは、快調爆発。いやあ、このあいだ太田尻家の運動会で、おのさんの麹料理を食べたが、ほんとうにエロうまいのだな。その夜の帰りに、おのさんとじゅんこさんとさばの湯に立ち寄ったときに、このエロトークがひらめいたのだった。

ところが、麹は、酒、焼酎、味噌、醤油など…日本ならではのこうした食品に幅広く使われているし、麹なしでは出来ないものなのに、あまり意識されず話題にならなかったのは、そのものは「黒子」だったからだろう。

だけど「塩麹」となると、これは立派な調味料として、台所やテーブルに置かれる。そこが「塩麹」の飛躍なのだ。

麹という「生物」のおもしろさ。その効用、高分子の低分子化だの、料理は、ようするに化学、素材を化けさせるおもしろさなのだ。と、話しているうちに、おれはドンドン興奮するのだった。ほんとエロ興奮した。

1時間少し話したら、疲れてしまったので、トツゼン終わることにした。トシのせいかい、マイクを使わないと、とくに会場に野暮なウルサイ連中がいて、ほんとうは、おれとおのさんで向かい合ってしゃべっているのを、会場のひとに聞いてもらうという感じがよいのだが、おれとおのさんは会場のほうへ向かって、声を張りあげていなくてはならない状態だった。だから、疲れて、やめてしまった。

あとは、怒涛の飲み会。須田さんが撮ってくれた写真を掲載するけど、これで見ると参加者は19名。よく集まってくださいました。おれは、まいどのことながら、電車の時間もあって、早めに退散。

さて次回のエロトークは、手拭番長じゅんこさんと、「俺とエロと手拭と私」だ。これも、おもしろくなること、まちがいない。じゅんこさんも楽しいひとだからね。たぶん、手拭を使って四十八手をエロ演じることになるだろう。

申し込みは、さばの湯へ。
http://sabanoyu.oyucafe.net/schedule

001塩麹をチョイと料理に使えば、野菜も肉も魚も、エロうまくなること請け合い。おのさんの最新刊『おのみさの 麹のよさを200%引き出すアイデア帖』(メディアファクトリー)の帯には、『塩麹おかず』など累計35万部!」とある。おのさんはイラストレーターでもあるから、イラストをふんだんに使って、見ても楽しい。ありふれたものが、塩麹で一段とうまくなる。

ありふれたものを活かす塩麹料理、やってみよう。

塩麹料理は、まさに日本文化。「和食」なんていう能書きには、ほとんど顔を出さないが、これこそ日本の風土ならではの麹菌を活かした料理なのだ。

おのさんのブログ「糀料理研究室」は、こちら。昨日の報告もあります。
http://koujieeen.exblog.jp/22276060/

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2014/06/22

ku:nel クウネルの「料理上手の台所」、いいねえ。

『クウネル』の最新号(Vol.68)の巻頭特集は「料理上手の台所」で、知っているひとが3人も載っているというので買ってきた。これは、その人たちが載っていなくても、買ってよい特集だった。

ひとりは、按田優子さん。代々木上原に餃子店も経営する料理研究家だ。彼女が載っていることは、彼女を取材したつるやももこさんに聞いて、知っていた。

その書き出しは「都心に建つ昔ながらの木造一軒家。風通しのいい廊下を進んだ先には、瓶、瓶、瓶!」と、つるやさんの文章が冴えて、すごくうまく特徴をとらえている。おれが、初めてそこを訪ねたときも、まさにこの感じだった。

そのときは、按田さんが、その、風化もはなはだしい、すごく古い一軒家を、自分で改修改造しながら住み始めたばかりで、どこもかしこも工事中だったけど、壁に棚が造られ、たくさんの瓶が並んでいた。それは、旅人の彼女が各地を旅行しながら集めたりした、ハーブだのスパイスの類。とにかく、すごい量だった。

先日も、その家を訪ねたが、彼女は留守だった。おれはこの建物の外観を見るだけでいい。おれの生活の記憶にある昭和20年代の景色で、とても気に入っている。

しかし、屋根は大丈夫とはいえ、あの劣化する家を改造しながら住む按田さんは、「あるものを上手く」の卓抜した「DIY力」の持ち主だと思う。料理は、まだ食べたことがないが、うまいに違いない。

そして、ほかに登場のお2人は、画家であり、おれが「理解フノー」の連載をしている美術系同人誌『四月と十月』の編集発行人の牧野伊三夫さんと、『みんなの大衆めし』(小学館)の共著者で料理家の瀬尾幸子さんだ。

お三人とも、「あるものを上手く」精神に富んでいるが、この特集、十人の方々が登場するが、ブランドの話しや「いいモノ」の話しは一つもないのが、素晴らしいと思う。そこには、それぞれの生活の物語があるだけなのだ。ふわふわせずに、じっくりモノを見つめる目、暮らしを見つめる目、その物語が、いいのだなあ。

このブログでは、以前にも『クウネル』のことについて書いたが、この雑誌は「ストーリーのあるモノと暮らし」を掲げている。「いいモノいい暮らし」といった、ありがちな、高度成長期からバブルの頃のシッポをひきずることなく、それぞれの生活にある「ストーリー」に着目している。そこに、いま、そしてこれからの、多様化と成熟化を感じるのだが。

鈴木るみ子さんが書いた、牧野伊三夫さんの台所の文章には、いかにも牧野さんらしい、そして、このクウネルらしいと思った。

「道具も調味料も食材も、特別のものは何ひとつない。徒歩圏内の金物屋やスーパーで手に入るごくふつうのものを使い」と。

牧野さんのオコトバは、こうだ。

「百円ショップの包丁も意外にいいし、農薬のこととかも、考えすぎると身動きがとれなくなるでしょ。銘柄や能書きにふりまわされる前に鍛えるべきは自分の嗅覚で、昔のおばあちゃんはみんな、身近にあるものをやりくりして、おいしい料理を作っていたんだから。無理も無駄もなく、味に生活があるというのかな。体が安らぐおいしさって、そういうものなんじゃないですかね」

いいねえ。この雑誌は、一見、「おしゃれ」で「ハイカルチャー」なような佇まいだけれど、そういうものを目指しているのではなく、「暮らす」を探求しているのだと思う。

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2014/06/21

道玄坂清香園で「さよなら」宴会。

李さんの道玄坂清香園が7月18日で40年の歴史に幕を閉じることになって、もう閉店の日まで予約が一杯でなかなか入れないらしい、ということで、急きょ須田さんの呼びかけで、来られる人だけで集まることになった昨日。

19時集合だったが、早めに出て、センター街入口の角にある大盛堂書店へ。玉袋筋太郎・著、イラスト・東陽片岡とあってはぜひとも買いたいと思っていた『スナックあるある』を求め、2階のサブカルコーナー。その本を手にしようとすると、横に『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』(村瀬秀信、交通新聞社)に、POPがついて平積みに。そのPOPの文言は忘れたが、その隣に「『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』を読んだら、大衆食堂の詩人のエンテツさんの本を読もう」というようなPOPがあって、『大衆めし 激動の戦後史』『大衆食堂パラダイス!』『みんなの大衆めし』があるではないか。で、おれは、それならばと、ただちに『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』を手に取った。パラッと見ておもしろそう。『スナックあるある』と一緒に買うことに。

おそらく山本さんの仕事だろうが、かれの姿は見えない、19時がせまっているので、1階のレジへ行くと、そこに山本さんがいた。ご挨拶して、レジなので立ち話をしているわけにはいかない、「また一杯」と、なぜかいつも「さよなら」のかわりに「また一杯」。

宴会は、急だったにもかかわらず10名ほど集まった。李さんのキムチ各種、焼き肉、あれこれ、最後に、ぶっかけめしだ。飲んで食べてしゃべって満足。

広い店内はおおにぎわい。李さんは大忙し。最後に李さんを囲んで記念写真。道玄坂清香園はなくなるけど、李さんは経堂に小じんまりとした個人店をやる予定とか。おれと同じ齢の李さん、まだまだ活躍してほしい。

10時ごろお開きとなって、外へ出る。と、なぜか、どうしてか、コウランさんとアユミさんが両脇からおれの腕にすがりつき…美女二人にはさまれ、まさに両手に花というアンバイで写真におさまった。その写真はフェイスブックで喝さいを浴びているが、ここには載せられない。

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2014/06/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」20回目、浅草・ときわ食堂。

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今日は、第三金曜日に東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の掲載日。今回は、20回を記念して、ということじゃないけれど、数ある「ときわ」や「常盤」の食堂のなかでも、「東京ときわ会」を構成し、その元締め的立場にある浅草の雷門そばのときわ食堂だ。

すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014062002000190.html

例によって、本紙には掲載の外観の写真はカットされているので、ここに掲載しておく。

この食堂は、おれも巻頭エッセイを書いている『東京・横浜 百年食堂』(日本出版社2011年)にも載っていて、そこで、4代目店長の牧信貴さんが、こう語っている。

「この店からも2代目の祖父の時代に20店舗前後、3代目で5店舗くらい暖簾分けしています。うちも大正11年(1922)、ときわ食堂総本店の第5支部として、現在の業平に開店したんです」

このときわ食堂の前身については、当ブログの2006/10/25「常盤花壇 メモ」2006/10/26「常盤花壇 メモ追加」でもふれている。

この大正から昭和初期の、常盤花壇と、いわゆる「日本料理」の伝統を誇る料亭と、そして大衆食堂との関係は、なかなか面白いものがありそうだが、まだ資料が十分でない。

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2014/06/19

「日本料理」探求のためのメモ。

速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼』に触発されたこともあるが、『大衆めし 激動の戦後史』で言及した「日本料理」について、その思想が気になっている。

もともと、「日本料理」(いまでは「懐石料理を頂点とする」といってもさしつかえなさそうな、いわゆる伝統的な「日本料理」についてだが)は、きわめて思想的政治的な存在だった。そこのところは、おれは、「生活料理」が料理として認知されることで、片付いていくことだろうと、楽観していたから、その思想性や政治性について、深く考えたことはなかった。だが、それほど単純なことではないらしい。

いまでも、その楽観は変わらないが、それはそれとして、いま、「日本料理」の思想について考えてみることは、なんだかおもしろそうと、『フード左翼とフード右翼』を読んで思ったのだ。

それで、あれやこれや資料をひっくりかえして、最近ブログに書いているように、伝統やら場所やらネットワークが気になっている。

そういうことについて、いま読んでいる『日本浪曼派批判序説』は、とても面白いし、示唆に富んでいる。

「日本料理は目で食べる」とか「日本人は目で食べる」とか「日本人は見た目を気にする」とか、日本人と料理や味覚については、いろいろいわれてきたが、それはいったいどこからくるのか、そこにある思想はどういうものか、考えるヒントになる。「日本料理」の背景にあって、いまやあらゆるところに見受けられる「自然」や「清浄」「純粋」などに関わる美意識についても(「雑味」の排除などについてもね)、大いに考えさせられる。もちろん、「美しい日本」についてもだ。

この本を読んでいると、「何かを書く」ということは、「何をしたか」に含まれるのであり、自分は、あるいはアノ人は「何を書いたか、その書かれたものはいかなる作用をもったか」つまり「書いたものが何であったか」、問われるのだということを、問われる。いたたたた、なのだ。「書く」ということは、わが身をふりかえり、そこに流れている、とくに無意識の思想を掘り起こし、検討したり反省したり学んだりすることでもあるのだな。ほとんどの日本人が無警戒に宿して、ともすると「正しい」と思っている「美意識」だの「美感覚」について。

それはともかく、今日のメモは以下。「日本料理」の含むところは、とんでもなく、日本人の生活の原理と、美意識や政治と関わっているのだ。なるほど、一官庁にすぎない農水省が、日本人の食を決めるはワレにありという感じで、「伝統」をふりかざし、人びとのこころにまで干渉してくるのも、そういうわけか、と思うのだった。


『日本浪曼派批判序説』(橋川文三、講談社文芸文庫)
 Ⅰ 日本浪曼派批判序説 ――耽美的パトリオティズムの系譜――
  七 美意識と政治 107ページから。

 しかし、わが国の精神風土において、「美」がいかにも不思議な、むしろ越権的な役割をさえ果してきたことは、少しく日本の思想史の内面に眼をそそぐならば、誰しも明かにみてとることのできる事実である。日本人の生活と思想において、あたかも西欧社会における神の観念のように、普遍的に包括するものが「美」にほかならなかったということができよう。西欧における宗教にあたるものが日本の美であったという観察は、たとえば加藤周一の文明批評の主要モチーフの一つをなしている。日本の生活と思想の内面には、政治に対する美の原理的優越ともいうべきものがみられるとさえ考えられるのである。

「西洋での神の役割を、日本の二千年の歴史の中で演じてきたのは、感覚的な〈自然〉である。その結果、形而上学ではなく独特の芸術が栄え、思想的な文化ではなく、感覚的な文化が洗練された。(略)われわれが今なお人間の文明に寄与することができるかもしれない領域の一つは、依然として造形と色彩の感覚的領域だろうと思われる。日本人は生活を美化する、見た眼に美しくするためには、生活の直接の目的さえも犠牲にしたのだ。食品でないものを食事の皿の上にならべ、美しく寒い部屋でほとんど暖房のない冬を忍ぷことのできる国民は他にない。

 しかし、美のために何ごとでも忍ぶことのできた国民は、同時に観念のためには、何ごとも忍ばない国民であった。殉教も、宗教戦争もおこりようがない。超越的な神が考えられなかったように、すべての価値も人生を超越しなかった。価値の意識は常に日常生活の直接の経験から生みだされたのであり、本来感覚的な美的価値でさえも容易に生活を離れようとはしなかったのである。屏風、扇子、巻物、掛軸……日本画の伝統的な枠は、西洋画の抽象的な額ぶちではなかった。そしておそらくそのことと、たとえば個人の自由が絶対化されず、容易に家族的意識の中に解消されるということとの間には、密接な関係がある。」(「近代日本の文明史的位置」)

 このように美意識が生活原理として浸透しているところにおいては、当然にまた政治意識構造にもある著しい特徴があらわれることになる。

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2014/06/18

「とんちゃん日記」の『大衆食堂パラダイス!』『大衆食堂の研究』の紹介に、おどろきうれし緊張した。

おどろいた。いや、おどろいていては、いけないのかも知れない。うれしかった。こんなに詳細に読んで紹介していただいて、やはり、おどろいた。そして、緊張した。

検索で見つけたのだが、ブログ「とんちゃん日記」というのがありまして、2月に『大衆食堂パラダイス!』を3回にわたって、3月に『大衆食堂の研究』を、やはり3回にわたって、詳細に紹介してくださっているのだ。しかも、深く読み込み、論理的な検討を加えながら。

とくに『大衆食堂の研究』の最終回で、おれは「あっ」と、おどろきの声をあげた。これまで、いろいろな紹介や感想や批評、中傷罵倒のたぐいまでいただいたが、この本のカンジンなこの部分に言及したひとはいなかった、そこを取り上げていただいている。

『大衆食堂の研究』は1995年の発行、来年は20年になる。ふた昔も前の本を読んでいただいただけでもうれしいが、そこまでシッカリ言及いただいているのを見ると、まだおれの本は生きているというのを実感する。後世に残る本や、自分の名前を後世に残したいなど考えたことはないが、歳月がたっても評価してくれる方がいるのは、それがどなたであろうと、うれしい。そして、身がしまる思いがするのだった。

「とんちゃん日記」は「食べ物と文化のつれづれ記録。美味しく食べたところ、美味しく食べたもの。心地よく泊まったところ、気持ちよく入った温泉。しかも高くない値段で。そしてそれぞれの薀蓄を記録しています。」というもので、食べ歩きの記事を中心に、「食文化」などのカテゴリーがあり、そこに、この紹介があった。

「とんちゃん日記」から、ごく簡単に引用をつなぎながら要約しておく。(カッコ)でくくった文章は、ここにおれが添えたもの。

「とんちゃん」、ありがとうございました。


2014年2月24日
大衆食堂パラダイス!(1):テーマ
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-22

弊ブログには食堂がときどき登場します。最近は食堂を探して食べに行っています。
食堂の料理は大衆食で、地元密着型の食ってところが好きなんです。
そしてその両方、大衆食と地元食は庶民、地方の文化だと思っています。

でもそんな食堂はどんどん無くなっています。これでいいんだろうか・・・
食堂で、ただ食べているだけじゃ能がないので、大衆食に関する書籍をボチボチと読んでいるんです。
カッコつけると文化を理解するために。
そんな本を弊ブログでもときどき紹介しようかと思います。

ということで今回はその第1回。

(というぐあいに始まる。緻密に読み、緻密に検討が加えられ、大事な点は逃さず、本文からの引用は掲載ページが明記されている。おれのようなヘタなライターよりきちんとしている)

2011年出版の『大衆食堂パラダイス!』は「5年ほど前に企画が決まった」(p.353)とあります。
だから企画が決まったのは1996年頃のことで、1995年に『大衆食堂の研究』が出版されたすぐ後です。

(ここには、とんちゃんの計算違いがある。2011年の5年前は、2006年頃だ。ま、どのみちこの2冊は「姉妹本」であるから、文脈的に問題のあることではない。)

そして著者は前著『大衆食堂の研究』と『大衆食堂パラダイス!』との関係について、こう言います。

『大衆食堂の研究』は「上京者ならではの大衆食堂のある東京暮らしを、思い入れたっぷりに書いたもの」(p.11)であり、「本書『大衆食堂パラダイス!』は、そんな『大衆食堂の研究』のその後であり、おれの大衆食堂物語である。」
「大衆食堂のある生活を楽しむためのガイドになるように書いているツモリです。」(p.12)

前著の「その後」だ、というのですから2つの著書は「大衆食堂」に関する姉妹本、ということです。

ただし面白いことに、2つの著書では「大衆食堂」へのアプローチの仕方が違っているんです。

(このあと、アプローチのちがいを、その「理由」まで見つけ出して紹介している。すごい!)

というわけで本書では、「昭和30年代にして1960年代の大衆食堂」の片鱗を留めている食堂が「おれの大衆食堂物語」=「おれの大衆食堂パラダイス」として語られます。


2014年2月25日
大衆食堂パラダイス!(2):前半
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-22-3

とはいえここでは、この本を少し論理的に読んでみようと思うのです。

「おれのふるさとの味覚は、地理的な意味でのふるさとの味覚という面と、時間的に過ぎゆく近代の味覚という面の2つを備えているように思う。大衆食堂の味覚も、またそうだった。」(p.15)

大衆食堂は「近代日本食のスタンダード」だと著者はいいます。「近代の味覚」のスタンダードが大衆食堂なのだと。
そしてその近代の味覚はまた「ゆっくりと変化する」ものでもある。
変化して現在に至り、そしてまたさらに変化していく「近代の味覚」を大衆食堂を通じて描こうとしています。

(この回は、とくに第1章と第2章の、大衆食堂とは何かについて語っている部分を、引用で要約しながら、まとめている)

第1章は「地理的な意味でのふるさとの味覚」である著者の「望郷食」が語られます。

第2章は著者が通いづめた「気になる大衆食堂」(p.97)、著者にとってのこれぞ大衆食堂という食堂を通じて、「近代日本食のスタンダード」たる大衆食堂の現在を描き出しています。


2014年2月26日
大衆食堂パラダイス!(3):後半
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-22-1

本書は著者遠藤氏の「おれの大衆食堂物語」であり、「昭和30年代にして1960年代の大衆食堂」の片鱗を留めている食堂が著者の「大衆食堂パラダイス」です。
一人称で語られる大衆食堂への熱い思いは、この本を読むとズンズンと感じます。

全編がこれ「おれの大衆食堂物語」のエッセーなのですが、その中から大衆食堂と大衆食に関する著者の考えを読み取ってみようと思います。

第3章には、「大衆食堂の歴史」が書かれています。
ここで変わっているのはその方法です。
大衆食堂の歴史そのものを書くのではなく、現在ある大衆食堂を取り上げて、その姿の中に「大衆食堂の履歴や系譜」(p.191)を見いだそうとしています。

著者は「いろいろな大衆食堂のエピソードから、アレコレ考えてみる」(p.191)と書いていますけれども、実は単にアレコレではなく、大衆食堂の系譜についての考察がベースにあるのです。

大衆食堂のイメージというと「和」になってしまう。しかしその「和」は昔と同じではない、と著者は言います。

いま大衆食堂が体現している「近代の味覚」、庶民・大衆の生活に息づく「普通にうまい」大衆食、生活料理。
それは形を変えつつも引き継がれていく、それが「近代の味覚」の未来であり展望ということでしょう。
でも大衆食堂は無くなるかもしれない。

そうならば、未来に引き継がれるのは「大衆食堂」ではなく「大衆食」なのでしょう。

2013年に出版された著者の新著は、『大衆めし 激動の戦後史』という題名です。
テーマは大衆食堂ではなく大衆めし=大衆食になっているのですが、この変化は当然の成り行きなのだと思います。


2014年3月13日
大衆食堂の研究(1):めしを食うとは
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-09-1

ただしこの本は、とっくに絶版。
わたしは図書館で借りましたけど、著者がネットで全文公開していますので、そこで読むことができます。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_index.htm

(『大衆食堂の研究』は、自分でスキャンして、ネット上に全文公開してある。次は、ぜひ多くの方に読んで欲しい『ぶっかけめしの悦楽』を公開しようと思っているが、酒ばかり飲んでいて、作業があまりすすんでいない。おれの「生活料理」に関する著述からすると、汁かけめしの話しは、どうしてもはずせないから、早く公開したいのだが。ともあれ、とんちゃんは、つぎのように、いきなり『大衆食堂の研究』の核心をつく。)

この本、グルメブームの風潮を批判して、「めしを食う」ことの意義を問うているんです。
「あとがき」でこう書いてあります。

「注文してから何分でできあがり盛りつけがどうで、味がどうで、雰囲気がどうでなどと外食を評価することは悪くはないが、めしくうということは、はたしてそれだけかということを、おれたちはもっと考えてみる必要があるのだ。」(p.219)
これに同感です。

弊ブログでは、遠藤氏が批判するそんな内容ばかりを書き連ねている感じですけど、しかしとても「同感」します。

またこうも書いてあります。

「この本でくそまじめに食生活を考えてほしい、といったら笑われるだろうか。
でもおれはくそまじめにくうことを考えていた。
どんなめしのくいかたをすべきかということについて、おれたちは何も考えなくなっているように思う。そして、こんな基準で食生活を判断することになれきっている。
  一、貧しいか、豊であるか、あるいは贅沢か。
  二、便利かどうか。
  三、新しいかどうか。
だいたいコンビニていどの豊かさと便利さと新しさが、都会的生活の象徴であり、相場になっているようだ。
そのことに異議申し立てをしようというわけではないが、食生活へはもっといろいろなアプローチがあっていいはずだ。」(p.219)
「豊富」、「便利」、「新い」が食生活の基準ではないのだ、と。
しっかり異議申し立てています。

著者が大衆食堂を取り上げたのは、そのアンチテーゼとしてなのです。

なぁーんて、書いたけど、この本自体はとっても軽いタッチで書かれています。
そうなんですけど、ちょいとマジメに内容を検討しようかなって思います。

筆者は、大衆食堂を通して実は食生活あり方を問おうとしているのです。

著者には、食生活とは何のためにあるのか、という哲学があります。

「そもそも人間がめしをくうということは、あの立ちションベンのときの、充実感とか解放感という言葉であらわされる感覚の延長線上にある、「元気」のためじゃなかったのか。」(p.220)

立ちションとは余りにも卑近な例ですけど、人間がめしを食うのは「元気」のためだという、素朴かつ根本的な哲学があります。
食事とは料理とは何のためにあるのか、それは元気に生きるため、日々の生活のためにあるのだ、という理解があるのです。「豊富さ」、「便利さ」、「新しさ」ではない、生きるための庶民の食生活。

それを「大衆食堂」を通した語ろうとしているのです。


2014年3月14日
大衆食堂の研究(2):大衆食堂の歴史
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-09-2

「研究」なんて大それた題名だけど、実は編集者が題名に「研究」をつけたまでで、と著者は言っています。でもなかなかに研究的なアプローチがあります。

今回は「大衆食堂」の歴史の部分を紹介しましょう。

(この回は、歴史を、引用で要約しながら紹介をしている。うまくまとまっていて、大衆食堂の歴史が頭に入りやすい。)


2014年3月15日
大衆食堂の研究(3):大衆食堂と食生活
http://onhome.blog.so-net.ne.jp/2014-02-09-3

今回は大衆食堂が示す食生活について紹介してみます。

本書は大衆食堂で食べることを推奨し、実際の大衆食堂が何店も紹介しています。
これぞ大衆食堂という3つの食堂が熱く語られています。

(最後に、このカンジンなところに着目し、『大衆食堂の研究』と『大衆食堂パラダイス!』両方から指摘する。)

編外編*これこそ食堂

食堂のメニューがこれまた「あいうえお順」にズラズラと並べています。
著者はその理由をこう書いてあります。

「それでは、食堂メニュー一覧をやってみよう。
ほんとうは、食堂については、おおくを語る必要はないんだ。これだけあればね。メニューが食堂のすべてだし、そこから、それぞれのひとが、何かを、読み取るんだと思う。何かを、語るんだと思う。
だけどメニューだけでは、これだけじゃ、本にならないから、ぐたぐた書いたような気がしないでもない。すいません。」

メニュー一覧が食堂のすべて、メニュー一覧が本書の目的だって?
筆者は『大衆食堂パラダイス!』の中で、「『大衆食堂の研究』の本音」という項でこう書いています。

「拙著『大衆食堂の研究』では、食堂メニュー一覧をやっている。そこでおれは、自分が入って写しとっておいた大衆食堂のメニューを、その文字のままにズラズラ並べた。」(p.325)
「大衆食堂のメニューをかき集めてみると、実際に普通の家庭で作られていたかどうかわからない料理書のメニューや、そういうものを年代順に整理し勝手なリクツを付加しただけの食べ物の歴史より役に立つことがあるだろうと思った。そして、やってみた。
大衆食堂のメニューは実際に普通の家庭で作られていた料理である。すべての家庭料理の反映ではないが、むしろ全国的にも地域的にも季節的にも、もっとも普通の料理であり、つまり時代のスタンダードを鳥瞰するにはよい。」(p.327)

大衆食堂のメニューは普通の家庭で作られている料理の反映である、という理解があるのです。
だから大衆食堂のメニュー一覧は家庭で作られる料理のスタンダードを表す。
このことを著者はやりたかったのです。

大衆食堂のメニューは家庭料理のスタンダードだという理解は大衆食堂の歴史を記述した中でも確認されています。

こうして著者は、大衆食堂を語る中で、家庭で普通に食べられている料理、近代日本めしの変化とあり方を語ろうとしている。

大衆食堂の料理は家庭料理の反映だと著者は言います。
他方で著者は、大衆が「新しい暮らし」を求め生活スタイルを変えていき、「コンビニていどの豊かさと便利さと新しさが、都会的生活の象徴」になっていったと、現在の食生活、食文化を批判します。
しかし大衆食堂の料理はそれを追わず、変化していった大衆の食生活から取り残された存在になっている。
この対比の中から著者は、変化する新しい食生活に批判的姿勢をとりながら、変化しないでいる大衆食堂を通じて食生活のあり方を語ろうとしている。

ところが変化する食生活に対して、先日紹介した、この後の書である『大衆食堂パラダイス!』ではかなり違っていました。
同書の中で著者は、大衆食としての近代日本食が新しい要素を取り入れながら変化し続けている、という中に肯定的なものを見ています。
そして「大衆食堂」の看板や暖簾は消えていくかもしれないが、大衆食堂の「うまさ」は、さまざまな新しいスタイルの飲食店に息づいている、と言っています。
ここでは、変化する大衆食=近代日本食に足場を置いて、そこから食堂や飲食店の変化を見ている、と言ってもいいでしょう。

「近代日本食」、日本の庶民の食生活の変化を肯定的に見つつ、ではその行方をどう見通すのかという重要な課題を提起しているわけです。
昨年出版された『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』は、まさにそこをテーマにしているのだと思います。
ということで、後日、その本を紹介したいと思います。

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2014/06/17

またまた「伝統」やら、そして今月のトーク二つ。

昨日も書いたように、とかく日本文化や伝統ってことになると、場所(地域)に固定された固有の「伝統」だけになってしまう。とくに、そこに固有のモノやコトに拘泥し、ネットワークの伝統は考慮されない。だから、とても偏狭になってしまいがちだ。結果、「郷土主義」「日本主義」みたいなことになりやすい。

おれのばあい、場所とネットワークの関係で、とらえようとしている。たとえば、カレーライスについて、『ぶっかけめしの悦楽』で、このように書いている。

「カレーライスは、近代の国際交流のなかで、古くからあった汁かけめしから進化して生まれた、たくさんの汁かけめしのなかのひとつである」

いうまでもなく「近代の国際交流」はネットワークのことであり、「古くからあった汁かけめし」は日本という場所に関わることだ。

この本では、伝来したのは、カレーライスという料理の方法ではなくて、「カレー粉」であり、それを日本に土着の汁かけめしの方法で吸収したところに生まれたのがカレーライスだとまで言い切っている。

その是非は、それぞれ考えてもらえばよいのだが、伝統を場所だけで固定的にとらえる見方は、片方で、新しいものは「伝来」という短絡に陥りやすく、それらは他律的に受動的に普及してしまうという話しになり、カレーライスなどの「歴史」についてもそうだが、論理に矛盾と無理がある。それは、カレーライスを例にすれば、生活や料理の主体の不在だ。

そのように、場所とネットーワークのなかで成り立っている生活の実態からズレている伝統に固執すればするほど、伝統は生活から遊離してしまう結果になっている。

一方で、場所に固有のモノやコトを守ることが「伝統を守る」ことだということで、排他的排除的になりやすい。が、これは、たちまち立ちゆかなくなり、伝統そのものが衰退する景色は、「日本料理」などにも典型的に見られた。いまでは、「和食」という日本の伝統まで、ユネスコのお墨付きをかざし「外圧」に頼っても、苦境を抱えたまま、という状態だ。

いったい、この「伝統」は、なんなのか。

ようするに、『大衆めし 激動の戦後史』にも書いた、生活の実態に立ちかえることだろう。これ抜きに、これからの伝統は、ありえない。

ってことで、今月、さばのゆ@経堂でやる、二つのトークのテーマは、22日が「麹」であり、29日が「手拭」と、どちらも日本文化であり伝統だ。麹の面白さ、手拭いの面白さ、それと生活を語っていくと、場所とネットワークのなかで生きる伝統の姿が、浮かび上がってくるはずだと思っている。

22日は「俺とエロと塩麹と私」のタイトル、29日は「俺とエロと手拭と私」のタイトル。なぜ「エロ」なのか。

とかく「伝統」というと、昨今の、また戦前の昭和10年代のように、好戦的な荒れた雰囲気のなかで高揚しがちだ。それは、いま述べたように、日本の伝統は場所にこだわり、排他排除に陥りやすいことが関係するだろう。

しかし、「エロ」は、平和的なのだ。戦前戦中を見ればわかる通り、「エロ」や「泥酔」が自由であることは平和なのだ。ってことで、「泥酔論」のあとは、「エロ」シリーズで、平和的な伝統を考えてみようじゃないかのココロなのだが、ま、泥酔論のときのように、泥酔しながらのテキトウな爆笑トークになるでしょう。

これまでの「伝統」は、「日本料理」にしても、「風格」だの「格調」だの「上品」だのと、なにやらエラソウだけど、そうではないもっと気楽な伝統を見つけていきたいものだ。「風格」「格調」「上品」なんて言葉は滅びるぐらい、愉快で身近で本質的な伝統を!という感じかな。

ま、22日と29日、よろしく。

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2014/06/16

移動と定着、芸術家・職人・労働者、そして伝統、アレコレ。

2014/06/04「「食の職人」と「食の労働者」。」に書いたように、「食に関わる「仕事」をしていても、ある仕事やひとは「職人仕事」や「職人」として敬われ、ある仕事やひとは、ただの「賃労働」と「労働者」として軽んじられる。こういう思想や文化は、どのようにして始まって、そのことに消費者は、どう関わっているのか」が気になっている。

労働者の「労働」、職人の「仕事」、その「上」にまだあった、芸術家の「作品」ってやつだ。食の分野においては、料理人が自ら芸術家やアーチストを名のることは、まだないようだが、料理を「芸術」や「作品」として扱ったり賛辞をあたえたりする例はある。

江原恵は、そのような傾向に対して、料理は芸術ではなく生活だといったわけだが、日本では、けっこう区別や上下をつけて、アートや芸術が偉く、偉くなるほど生活から離れ、ともすると生活と対極になる。料理や飲食には顕著だ。

昨日のフィリップ・ドゥクフレの公演のあとのレクチャーでも、会場から「アートとエンターテイメント」の違いに関して質問が出ていた。かれの「作品」は、漫画やサーカスさまざまなショービジネスなどから取り入れたエンターテイメントな要素が、たっぷりあるからだ。フィリップ・ドゥクフレは、区別はしていないし、もし違いがあるのなら自分はむしろ区別しないで境界をなくすようにしたい、というようなことを言っていた。

ところが、いま日本では、「伝統回帰」の流れの中で、境界をなくしていくのではなく、区別や上下・優劣関係が、分断をともなって進行している。

なにしろ、まだまだ合理的精神からは遠く、精神主義が好きだし、明治以来の自然主義もロマン主義も根強く、技術も技能も精神もごちゃまぜにして、その結果、テーブル一つ拭くのも、じゃがいも一つむくのも、じつに自然主義やロマン主義まで動員した複雑高度無意味な精神論がついてまわる。

そういう要素が、いろいろ集まる作業においては、それを合理的に整理して考えるより、ますます精神論が高揚し「神秘」の域に達する。それを、「職人仕事」といったり「芸術的」といったりする傾向も、たぶんに見受けられる。

あやしげな「美学」をふりまわすのではなく、そのモノや、そのコトが成り立つ、一つ一つをちゃんとわかるように説明してちょうだい、といいたくなるのだが、なんかすごく立派らしいオコトバばかり増え、見た目はオシャレらしいし能書きも悪くないのだが、どうも生活との関わりがイマイチ見えてこない。ただ高尚そうな生活意識や美意識の高嶺に向かって上昇を競うといった感じが、ウルサイぐらい増えている。そんなにいいものいいことが必要なのか、といってみたくなる。

とにかく「伝統」というと、一定の地域や場所になってしまうのはオカシイ。ひとの生活は、移動(ネットワーク)と定着(場所)で成り立ってきた。「伝統」をいうなら、場所の伝統だけでなく、場所につながるネットワークの伝統にもふれなくてはおかしい。

これは、まさに、何度か書いているが、『オオカミの護符』と『かつお節と日本人』からも浮かび上がることなのだが。

けっきょく、「伝統」は、かつての「徒弟制度」のように、芸術家(作品)-職人(仕事)-労働者(労働)の階層を場所に固定化するために機能し、この精神とシキタリにあわないものは排除される、という感じになりつつあるように見える。芸術から最も遠い家事労働は「ガイコクジン」に、なーんて。

うがった見方をすれば、「伝統」がネットワークを避けるのは、自らの「伝統」の「地位」のためであって、それが本当に人びとの生活のためのものであるかどうかは、疑わしい。

とか、考えてみたりしているのだが。これは、新たな格差と文化の問題なのかも知れない。しかし、近頃は「ネットワークに棲息」して場所や地域は関係なし、たまに土地とのつながりで優勢と優越感を維持するためのファッションとしてのお散歩、という感じの生活もあるようだから、はて、これからどうなりますか。

当ブログ関連
2014/05/29「地域とネットワークと味覚の関係のなんだかんだ、きょねんのこと。」

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2014/06/15

彩の国さいたま芸術劇場でフィリップ・ドゥクフレ「パノラマ」、のち泥酔帰宅。

前日の疲れが少し残っていた昨日は、Hさんのお誘いで、彩の国さいたま芸術劇場でフィリップ・ドゥクフレとカンパニーDCAによる「パノラマ」を観に行った。15時スタートで、「ジャンプ」から始まり1時間半ほど、ノンストップ。ダンサーの着替えまで舞台で演出されているのだ。楽しく、刺激的で、面白いダンスというか身体表現というかを堪能した。

大ホールでの「パノラマ」終了のあと、17時頃から上映ホールで「レクチャー」があった。フィリップ・ドゥクフレにも興味がわき、予約してなかったので立ち見だったが、これにも参加した。

過去の上演ビデオを上映しながら、フィリップ・ドゥクフレがレクチャー、会場からの質問にも答え、約1時間ほど。フィリップ・ドゥクフレは、写真では眉根にしわをよせて神経質そうだったが、すごく気さくでユーモアあふれるひとだった。かれのダンス演出の原点にある子供のときの体験から、「スペクタクルとソロ」や「アートとエンターテイメント」に対するかれの考えまで、とても参考になった。

会場を出たのが18時半ぐらいだったか。さいたまも大宮も初めてという横浜のHさんと大宮で、三悟晶からいづみや本店とはしご22時ごろまで飲んで、泥酔帰宅。レクチャーのときのフィリップ・ドゥクフレは、三悟晶やいづみやにいそうなおっさんのような感じだったので、この流れでも違和感はナシ。

フィリップ・ドゥクフレの存在を世界に知らしめた、1992年アルベールビル冬期オリンピック開会式の様子を、あらためてYuTubeで。
https://www.youtube.com/watch?v=d1zdyrHtST0&feature=share

かれはレクチャーで、「オリンピックの開会式でこのような演出が行われるようになったのは、よいことかどうかわからないが、こういう演出が始まったのは私からといわれている」というようなことをいって、肩をすくめて笑った。

かれはそのとき20代終わり頃で、総合演出に抜擢されたのだが、その若さもさることながら、若いゆえにまだあまり実績もないかれを抜擢した人たちにも驚いた。会場から、どういうプレゼンをしたのか、という質問が出たが、とくに用意したものではなく、前の演出の短いビデオを持って、日本の地下足袋のようなものをはいた作業着姿で行った、運が良かっただけです、と語った。

レクチャーのときビデオで上映されたSWIMMING POULES ET FLYING COQSだが、オリンピックを見ていたフィリップ・ドゥクフレは、とくにシンクロナイドスイミングを「奇異」に思い、一度ダンスに取り入れてみたかったのだそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=vNFeX-1PS_I

世間は、どちらかというとフィリップ・ドゥクフレの演出に「奇想天外」を見ても、シンクロナイドスイミングに「奇想天外」を感じない。だけど、かれはシンクロナイドスイミングに、ひっかかったのだ。それは、どうやらスピリッツの持ち方の問題らしい、とおれは思った。面白いことだ。

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2014/06/14

次のステップ、中野でウロウロ。

昨日は、Nが、以前のNの不動産会社で法規対策の責任者をやっていたYさんを紹介してくれるというので、15時に中野駅で待ち合わせた。おれは早く着いたので、まずは北口のニュー浅草でビールを一本あけてから。

Yさんはおれより2歳下。法律関係はベテランだし、Nの不動産会社は国際関係もあったし、たいがいの業種や業態と関係していたから、ワールドグループにはうってつけだ。

ビジネスはいろいろな要素がからみあってまわる。会社も事業も大きくなるにしたがい、いろいろ優秀な人材を揃え支え合っていかなくてはならない。ってことなのだ。また一方では、カネがないのだから、無理な拡大を図るのではなく、人材を整えながら、人材にあった事業展開をするという考えも持っていなくてはならない。という感じでやってきている。

004Sさん、Mさん、Yさん、N、おれ、まずは、先日、新たなゲストハウス用に借りたビルを見て、東中野に近い3つのすずしろブランチ、そして南口のホステルとまわる。降りそうだった空は晴れて蒸し暑い、そのなか、坂の多い中野を1時間近く歩いた。

近くの蕎麦屋で、飲みながらミーティング。ワールドグループのコンセプトとゲストハウスの経営実態などを説明し、意見交換。やはり、バックパッカーという旅のスタイルは、「一般の人」から見ると、なかなか理解のおよばないところもあるようだ。

新ビルの利用法と設計などについて、あれこれ詰める。設計は前のひとが担当してくれるから安心だが、工事が暑い最中になる。今月末には、内装の解体が始まるだろう。

YさんとNを送って、SさんとMさんと一杯やろうと、開店したての「北国」へ。南口も、タワーマンションができて以来、どんどん変わっているが、丸井の周辺には、まだ小さな店が集まる路地が残っている。北国のような古い店もあれば、レンガ通りには、今風の新しい飲食店も増えている。大きなビルに再開発されず、横丁や路地を残しながら、小さな店が新しいスタイルに変わり、新旧入り混じる街は、とてもよい。

011北国は、ひさしぶりだったが、おばさんも客もあいかわらず。初めて聞いたが、この店は1957年だったか8年だったかの開店だそうで、建物は当時のまま。中野について、チョイとおもしろい話しを聞いた。

開け放った戸口から風が流れ、縄のれんの向こうは水を打った路地に、植え木の鉢が並び、野良猫がのんびり散歩をしている。ゆっくり時間が流れる空間だった。ここで、外が暮れていく気配を感じながら、冷たいビールを飲んでいると、東京にいることを忘れる。すぐ隣の丸井の喧騒と華やかさがウソみたいだった。

008

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2014/06/13

『TASC MONTHLY』6月号は面白い、三題噺的に考えてみた。

公益財団法人たばこ総合研究センター(TASC)が発行する『TASC MONTHLY』は、毎号お送りいただいているのだが、毎号興味深い記事がある。やはり「たばこ」は、いろいろ「逆風」のなかで苦労してきているから、編集に深みが備わるのだろうか。本文30数ページの、ペラペラの雑誌だが、考えさせられる文章が載る。

おれも、以前に、「雑穀」について書いたことがあるし、TASCが発行する『談』別冊の「酒」特集にも寄稿したことがあるが、編集担当の方の依頼の文章そのものも面白かった。ついでだが、表紙は、久住昌之さんの切り絵で、表2に文章がついている。久住さんも、「散歩もの」そのものの方で、現場を歩き模索しながら作品をつくりあげるひとだから、この雑誌にふさわしいといえるだろう。

今回も、なんとタイムリーな、という記事が、3本並ぶ。簡単にメモしておこう。

随筆は、西原和久さん(成城大学教授)による「人の国際移動と公共性」。

日本は「多文化共生が語られるが、むしろ同化を強制しがちではないか」「どのように外国人に接するかがその社会の成熟度を示す。だから筆者は、一国内での「上からの公共性」や「下からの公共性」などの議論ではなく、外国人という「他者」を顧慮した国境を越える「ヨコからの公共性」の議論が必要だと論じてきた。グローバル化時代には、人と人とのトランスナショナルな新しい関係を創る公共性が求められている。」

「狭いナショナリズムが吹き荒れている北東アジアの現状を見るにつけ、外国で世代を繋いで生きてきた人々の歴史から学ぶことはまだまだ多い。東日本大地震では外国人移住者にも多くの犠牲者が出たが、このことは十分に顧みられていないのではないか。グローバル化時代、人がどの地で生活しようとも心豊かに暮らせる社会が、いま求められているのである。」

そんななかで、ケータイが普及し、手軽にツイッターやフェイスブックなどインターネットで、「今」を発信したり「今」を共有できるようになっているのだが、はたして、「トランスナショナルな新しい関係を創る公共性」のために、なっているのだろうか。

むしろ、あらかじめ自分に都合のよい情報や、共感できる情報だけをキャッチし、仲間内意識の人たちと相いれない人たちを、あらかじめ白黒つけてしまうことに使われているのではないか。インターネット上でも、排外的排他的な言論は盛んだし、ツイッターの言葉に簡単に心酔したり反発したりが日常で、直接会って話したり現場で考える前に、結論が用意されていることが多い。

と、考えていると、TASCサロンのコーナーでは、土橋臣吾さん(法政大学社会学部准教授)が、「ケータイのリズム――情報接触の高頻度化がもたらすもの」で、スマホも含むケータイネットの利用の高頻度化を分析し、みんなでテレビを見ていた時代とは違う、日常のリズムが生まれていることを指摘する。

つまりケータイネットは「マスメディアとは異なる日常のリズムを作り出していることはひとまず明らかだろう」「一言でいえばそれは、情報消費の個人化だ」。

その傾向を調べていると特徴がある。「いつでも・どこでも・あらゆる情報にアクセスできるケータイは情報接触の自由度を高めるが、その自由は、自分のメディア経験を社会的な広がりを欠いた個人的かつ断片的な経験へ切り刻んでしまう自由としても使われるうるのだ」

おれは、これは、ケータイネットだけのことではなく、とくにツイッターやフェイスブックが普及したことによる結果もあると思う。

とにかく、土橋さんは、「そもそもケータイ的な日常のリズムの浸透を食い止めるのはおそらく不可能だ、という点にある」「ケータイ的な日常のリズムが人びとの生活に定着したことを前提に、そこで何ができるか、その具体的なアイデアを考えることだろう。人びとがマスメディア的な構造から解き放たれつつある今日の状況は、社会統合という観点から見れば確かにある種の不安定さをはらむ。だが、いったん、個人化し、流動化し、バラバラになった個人をこれまでと別のかたちで繋ぎ合せることができるなら、それはそのままモバイル社会ともウエブ社会とも呼ばれる今日の社会をデザインする実践になる」という。

しかし、その場合、ますます個人の判断と責任が問われるのだろうと、おれは思う。ツイッターやフェイスブックの現実を見ると、その話題は依然として、マスメディアが流す情報が大きい比重を占めているように見えるし、それがそれぞれの都合のよいように拡大解釈され、たちまち広がることだ。

そして、「個人的かつ断片的な経験へ切り刻」まれた情報を、じぶんと親和性の高いほうへと繋ぎ合せることで、社会的な広がりのなかで生きていると錯覚する。いまでは、そこに、新たな企画が生まれ本になったり、番組になったりし、それがまた、そういう親和性のなかで評判を呼び「成功」していくという状況もある。

それは見方を変えれば、金太郎飴が長く繋がっただけで、異文化(個人個人異なる異文化も含め)との共生にも、トランスナショナルな新しい関係の創造にも繋がっていない。単なる「お仲間づくり」という面も強い。

ってことで、ようするに、土橋さんの、その実践のためには、個人の判断と責任が大きい。ワタシは、どういう社会を望み、どういう人間になるのか、なりたいのか、ということか。まさか、ワタシの思うままに動く社会、ワタシは独裁者になりたい、なーんてことでは…。

それで、特別寄稿、小林哲さん(大阪市立大学大学院教授)の「嗜好品としての大人の味」だ。

小林さんは、「若者の酒離れ」現象から、中でも「男性のビール離れ」の最近の傾向を見て、そこにある「甘いもの好きの苦いもの嫌い」を指摘する。これは味覚レベルのことであるが、とくに男性のそれは、女性と子供に近づいている。

そもそも、酒のような「嗜好品は決して美味しいものではない」「嗜好品が美味しく感じられるのは、それが経験を通じて形成される美味しさだからである」「嗜好品は、その不味さ(正確には慣れないと美味しいと思えない味)や薬にも毒にもなり得るという性質により、今、社会から排除されようとしている」「このような傾向にあるのは嗜好品だけではない。ある意味、すべての商品が嗜好品と同じような問題に直面していると言っても過言ではない」

その状況を分析して、「昨今のグローバル化の進展やインターネットの普及により、国家の秩序が及ばない世界が広がっている。そこはまさに未開の地であり、かつての共同体における成人男性がそうであったように、リスクを負いながら自らの判断で世界を切り開く必要がある」という。

嗜好品と大人への通過儀礼の密接な関係を小林さんは語り、かつて「成人男性」が担っていた、リスク(苦さ)を負う「大人」とそのコミュニティの誕生や、「グローバルな世界やインターネットの世界」で活躍する人々のために、新たな嗜好品が生まれるチャンスを期待しているようだ。

ってえことで、とにかく、リスクを排除するのではなく、つねに異なる(ときには苦い存在である)他者を顧慮し、リスクを判断し負える「成熟した大人」になれるかどうか、同化を強制しがちな「大人」から個人としての人間を尊重できるようになれるかどうか、そのへんに課題があるようだ。

とりあえず、そういうことにしておこう。

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2014/06/12

新婚祝い宴会で泥酔記憶喪失。今月のトーク再告知。

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一昨日は夕方から新婚さんが来て、大酒飲み宴会だった。4人で17時過ぎから飲み始め、ビール、清酒、赤ワインと空け、さらに東大宮のまちの酒場に繰り出し赤ワインを一本空けた。めでたいんだから、いいじゃないか。という頃には、おれは泥酔記憶喪失状態。なにも覚えていない。23時ごろ東大宮駅で別れたらしい。

新婚夫妻は揃って大酒飲みだが、とくに妻のほうが強い。翌朝、つまり昨日の午前中、彼女は一人だけ二日酔いもせず、おれが撮られたのも気づいていなかった写真にコラージュをほどこし、FBにアップしてくれた。おれのFBは、長い間、連絡に必要なチャットを使用するだけで放置状態なのだが、タグが付いた写真がアップされると、メールが知らせてくれる。見たら、楽しい写真が4枚。そのうち、なんら差し支えなさそうな2枚を、ここに転載しとく。うまく作るものだなあ、「pic collage」というソフトを使うと簡単で面白いとか。

おれは、アジなめろうと、お好み焼きにナスと豚バラ味噌炒めという、新婚祝いらしからぬメニューを用意した。しかし、アジなめろうを作って清酒に切り替えたあたりから、もう酔っているうえに、ほかの料理で腹は十分状態になったので、アジなめろう以外は作らずじまい。

泥酔しながらも、祭り、伝統、日本文化、ってなんぞや話しになり、いいトークの企画を思いついた。6月はトークを二つやるから、その次ぐらいに実現したい。面白く楽しいゲストを招く。

ってことで、まずは今月のトーク。2014/05/25「太田尻家十周年運動会からさばのゆへ、6月のトーク二つが決定。」で告知したが、再度ここに。

場所は、さばのゆ@経堂です。予約はこちら。
http://sabanoyu.oyucafe.net/schedule

◎6月22日(日) エンテツトーク「俺とエロと塩麹と私」
 18時半スタート(開場18時) 投げ銭制
 塩麹ブームの発端になった、おのみささんと、めくるめくエロい塩麹の世界を語りつくします。
 おのみささんのブログ「糀料理研究室(糀園)」
 http://koujieeen.exblog.jp/

◎6月29日(日) エンテツトーク「俺とエロと手拭と私」
 18時半スタート(開場18時) 投げ銭制
 「手拭番長」で知る人ぞ知るじゅんこさんと、めくるめくエロい手拭の世界を語りつくします。
 じゅんこさんは、浴衣美人でも評判の方で、当日は浴衣姿で登場の予定。
 みなさまも浴衣に手拭で参加されてはどうでしょう。

というもの。麹も手拭も日本文化を代表するものだ。

この6月が終わるころまでには、つぎのトークの企画を決めよう。もちろん「俺とエロと…」シリーズ。この3弾目も、おもしろくなるよ。

そうそう、ついで、といってはなんだが。近頃、いろいろなひとに会うと、よく聞かれることが、「スソさん、帽子展やっているんですか」と「瀬尾さんの竪穴食堂、どうなりました」。

スソさんは、先日もミニ古墳部旅をやったように、元気に回復、秋ぐらいには帽子展をやれるような話をしていました。楽しみに、お待ちください。

瀬尾さんは、もう書店やテレビを見ている方は、おわかりでしょう、忙しくて竪穴食堂どころではないようです。ヒマなときは休ませてあげましょう。あなたのところにだけ案内がいってないわけじゃないので、ご安心?を。

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2014/06/10

忙しいときは土偶で和んで、ちょっとだけ縄文の食。

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きのうきょうとなんとなく気ぜわしいことが続いている。こういうときは、縄文土器の写真を載せよう。

2014/05/19「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、一日目。」に書いたように、「北杜市考古資料館」へ行ったときのものだ。

ここで見た土偶は、素朴で楽しかった。そもそも縄文土器は素朴だろうに、「素朴」でない土偶なんてあるのかといわれれば、ある。縄文土器は、素朴とは限らない。それに、やはり、なんとなく土地によって異なる、土地柄や人柄がうかがえる。それを感じながら見るのが、また楽しい。

086ま、リクツはよい。上の写真は「中空土偶」といわれている。中が「空」なのだ。この資料館では、これを見たせいか、ほかの中が「空」の土器が気になった。もしかして中を「空」にする「伝統文化」があったのか?そのココロは?

土偶の顔の表情も、いろいろで楽しい。いまの子供たちが、紙にマンガを書くように、あまった粘土で楽しんだものもあるかも。

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縄文時代の食は、まだまだわからないことが多いながらも、いろいろな科学技術のおかげで、見えてきたこともある。縄文時代に、いまに伝わる、焼く、煮る、蒸す…などの基本的な調理法は、ほとんど完成していたが、道具や食べ方は変わった。それは、採取や農耕にも関係するが。

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食べ方に関していえば(といっても縄文時代は一万年以上あるのだが)、めいめいの食器はない。諸説を集めてみると、煮炊きの土器から、木をくりぬいて作ったレンゲ状のもの、というか取っ手と小さなお椀状のものが一体のもので、直接煮炊きの土器からすくって食べたようだ。しかも、一つのそれを、みんなでまわしながら食べたということだ。あまり大きくない中くらいの煮炊き用の土器の口が広いのも、うなずける。竪穴住居の炉端で、家族が煮炊きの土器を囲んで、順番にすくっては食べる様子が目に浮かぶ。

イチオウ、めいめいの食器で食べるようになるのは、弥生時代で、どこかの年代のどこかの人たちから広がり、それが弥生の食文化の一つの特徴となっているらしい。

それにしても、「豪華」な装飾の土器で、食事をしたものだ。その飾りの表現には、当時の人たちの、「食べる」ことについての、いろいろな気持ちや物語があるのだろう。

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2014/06/07

『笑う警官』を読んで「成熟」を考えた。

マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーのカップルによる マルティン・ベックシリーズ『笑う警官』の新訳(柳沢由美子、角川文庫)を読んだ。

このシリーズは、65年に一作目の『ロゼアンナ』が発表になり、75年まで10年間かけて、全10冊が刊行された。日本での翻訳発行が、正確にわからない。検索で調べると、角川文庫版しかヒットしないが、おれはほとんど単行本で購入し読んだ記憶がある。たいがいは70年代のはずだ。

75年のペール・ヴァールーの訃報には、おどろいた。当時、40歳ぐらいだと思っていたが、今回のプロフィールでマイ・シューヴァルより9歳年上の49歳だったと知った。それにしでも、マルティン・ベックシリーズが大好評を得ている最中、残念な死だった。

『笑う警官』は、やっぱり面白い。著者2人が、新聞や雑誌の記者だったということもあるだろうが、とことんリアリズムで、当時の政治経済の動向、社会風俗、なにより、人間と人間をとりまく社会の複雑さ多様さが、じつにうまく描けている。「警察小説」「犯罪小説」の金字塔といわれているようだが、単に小説として面白いのだ。

「十一月十三日の夜、ストックホルムはざんざ降りだった。」で始まる。アメリカ大使館に向かう幹線道路は、警官隊によるベトナム反戦デモの鎮圧で混乱していた。事件は23時過ぎに起きる。二階建てのバスの乗客と運転手9名全員が射殺される。しかも、その中に、若い捜査官がいた。

このデモと鎮圧は、1986年2月に実際にあったデモだ。当時は、ベトナム反戦、反米、反資本主義、いわゆる「左翼運動」が一つの世界的潮流だったといえるだろう。1月テト攻勢。3月ソンミ事件、4月キング牧師暗殺、5月フランス「五月危機」、ロバート・ケネディの暗殺もあった。日本では、10月21日に、いわゆる「新宿騒乱」があった年だ。69年には全国全共闘会議が結成された。

謎が謎をよぶ物語の展開のなかで、舞台となる町の様子(中心部は大々的な再開発の最中だ)、さまざまな人間模様が語られる。すっかり冷え切った間になった妻と難しい年頃の娘のいるマルティン・ベックを始め、明るく健康で健全な模範的人間なんか1人もいない、なにかしら苦悩を抱えていたり、屈託があったり、偏執または変質、変態である。ようするに、このシリーズ全般にいえることだが、人間社会も人間もイカレているってこと、それが普通であり日常であり、そのなかで、それぞれが自分の仕事を遂行する。

当時はまだ少なかった、他国からの出稼ぎや移民。外国人差別や、人種差別や、地方差別、そして、この本で割と大きな位置を占める「セックス狂い(ニンフォマニア)」など、学者などが「病理」といいそうなことが、てんこ盛りだ。

酔っぱらいをベッドに運んでやる警官がいる。かれがそのような行動をとるのは、「「人間愛」からではない。怠け者だからだ」。めんどうを避けたいのだ。

「清廉潔白、いい加減なことが嫌いな性格」の警官がいる。かれは「見たものは決していい加減に扱わなかった。が同時に彼はできるだけ見ないようにすることにかけては天才的だった。」

一つの事柄を一面的に見ず、つきまとう反対の面も見る。まわりによくありそうなひとでありことだが、著者は、かれらを否定しない。かれらはワレワレ自身だし、みんなイカレているのが「常態」なのだ。かといて、ニヒルでもアナキーでもない。

スッキリ正しいなんて一つもない、晴れない梅雨空みたいな人間社会だが、べつに重苦しくはない。そこはまあ、文章の力なのだろうが、個人を把握し、人間を「いいひと、わるいひと」で短絡的に評価しない成熟した思想を感じた。

おれは、日本国憲法 第三章 第十三条 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を思い出した。思い当たることがあるではないか。

「最大の尊重を必要とする」は、国民の義務でもあるのだ。しかし、「すべて国民は、個人として尊重される」について、 どれだけの注意や義務がはらわれているだろうか。たとえば、自分が文章を書くときに。「成熟」つまり「大人」のカギは、そのへんにあるのではないだろうか。老練ぶった文章を書けばよいってものじゃない。

マルティン・ベックシリーズの著者は、そういう意味で成熟しているし大人だった。だから、個人としての人間を描くことができたのではないか。文章以前の問題のような気がした。

訳者あとがきによれば、「一九六十年代中ごろから七十年代にかけての十年間は、スウェーデン社会が大きく変貌した時期だった。平等と民主化と連帯が叫ばれ、長年の因習的な社会秩序と価値観が地滑り的に変わった。それまでの抑圧的な階級社会が崩壊するとともに上下関係の言葉遣いが、あっという間に横並びのそれに変わった。」と。

日本では、激動はしたが、そこまで思想的文化的な大きな変化はなかったと思う。75年、「既存の権力や権威」に抵抗をしめした若者も、変化と成熟に向かうことなく、ユーミンが歌ったように「もう若くないさ」と大勢は髪を切り、言い訳しながら生きて、ファッショナブルでおいしい消費主義の中に「自由」や「平等」などを見い出し、自らの思想や文化までも消費していった。

当時の「反体制」だったカウンターカルチャーやサブカルチャーなどの潮流は、やがて、ほとんど消費主義に回収され、いまやその担い手になっている。けっこうなことだが、それでよいのかという感じは残る。とくに昨今。

「すべて国民は、個人として尊重される」ことなく、なにやら上品な美しい文化を尊重し従うのがトウゼンという風潮のなかで、因習的な社会秩序と価値観は根強く残り、「上昇志向」は、その古臭いヒエラルキーの階段を昇ることを義務づけられているかのようだ。そして、個人としての尊重より、美しいものやことへの「一心同体化」を促す表現は、わずかな美醜にこだわり、ひとやものやことの上下関係や優劣関係を「創造」したり維持する。

それは、出版飲食界隈を眺めていると、しみじみ感じる。

上を見て、下を見て、自分の位置を確認し、ときには満足しときには闘志を燃やし、「いいひと」「わるいひと」ぐらいの判断で成り立つような「社会」で、どう「成熟」できるのだろうか。

とんでもないところへ感想がずれた。

最近読んだ本に、『田舎暮らしの探求』(高橋義夫、草思社1984年)がある。べつに田舎暮らしに興味があるわけではない。その潮流を、チョイとかじっておこうと思っただけだ。ほかに、『地方文化論への試み』(塙作樂、辺境社1976年)、『新ふるさと事情 山村へき地発、都会人への手紙』(熊谷栄三郎、朔風社1982年)も読んだ。

「田舎暮らし」ブームというのか、「移住」ブームというのか、はたまた「地方の時代」言論ブームというのか、それは70年代後半、80年代後半(バブル期)に山があって、90年代は「不況」もあってか、さほどでなく、団塊世代が引退のここ数年また山がきているようだ。この団塊世代、言い方によっては「全共闘世代」だが、かれらは70年代後半の担い手でもあった。

『田舎暮らしの探求』には、こうある。「七〇年代の半ばごろ、美麻村は一種のメッカであった。いま廃屋になっている家のほとんどは、その当時都会の人間に売ったか、貸したかしたはずである。ヒッピーやもと全共闘、にわか農本主義者、宗教家、まったくふつうの人、さまざまな楽園を求めて村にやってきた。」

その子供たちも含め、速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼』の「左翼」に関係することでもある。都会では、先進的な消費者だ。

はあ、『笑う警官」から『フード左翼とフード右翼』まで、思いつくまま転がってしまった。息切れ。

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2014/06/05

昔の「ドカベン」。

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「昔の」といわなくても「ドカベン」といえば、昔のものに決まっているだろう。いまは製造されているのかどうか、まったく見なくなった。

2014/05/19「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、一日目。」に書いた、津金学校へ行ったとき、美術展の会場だった明治校舎には、昔の学校の備品がいろいろ陳列されていた。そこに「昭和40年代の給食用食器」というのがあって、一緒に、給食用食器ではないはずの弁当箱、「ドカベン」があった。

しかも、それが、「おかず入れ」付きなのだ。これは珍しい。

おれの小中学校時代は給食はなかった。冬はたいがい弁当だったが、雪のない季節は、家が学校に近かったから昼休みには食べに帰っていた。

高校のときは弁当で、しかも、ほとんど、このアルマイト製の「ドカベン」だった。この「おかず入れ」を使っていたこともある。昭和40年代ではなく、30年代のことだ。

「おかず入れ」は、普通の弁当の厚さで、ドカベンは普通の弁当の倍の厚さだった。普通の弁当では、「おかず入れ」を片方の隅に置き、めしを詰めるが、ドカベンでは、まず下半分の全面にめしを詰め、その上の片方の隅に「おかず入れ」を置き、さらにめしを詰める。

モンダイは、「ドカベン」のときに限らず、この「おかず入れ」だと汁気のあるものは汁が流れ出ることだった。なので、この「おかず入れ」は使わず、弁当箱にめしを一杯に詰め、おかずの汁気をよく切って、直接のせることが多かった。「海苔二段敷き」なんて、やりましたね。

おれが高校のころには、おかず専門の小さな容器ができていて、これを使った。厚さも大きさも「ドカベン」の4分の1くらいで、同じアルマイト製、ふたの裏のまわりにゴムがついていて、これをかぶせて、二か所に付いてるテコ式の留め金でパチンとふたを留めるから、汁気がこぼれ出ることはない。

この「おかず容器」を使うと、「ドカベン」一杯にめしが詰められた。ずっしり重い。

これをカバンに入れて持って行く。カバンのなかは、弁当だけだった。高校3年間は、教科書は、山岳部の部室の自分の「箱」に置きっぱなしだった。弁当を入れたカバンも、登校すると、まず部室へ行ってそこに置き、必要な教科書を持って教室へ行った。ノートは、一冊だけだった。教科ごとにノートを変える、なんていうメンドウはしなかった。だから、正確には、通学のカバンのなかは、弁当とノート一冊だけだった。

三時限が終わるころには、もう腹が空いてたまらなかった。10分の休憩時間に、駆けて部室へ行き、「ドカベン」のめしの半分は平らげた。そして、4時限後の昼休みには、残りを食べ、パン屋が出張販売する、マーガリンやジャムをぬった食パンを買って食べた。

6時限が終わると、部室で着替えて、トレーニング。日が暮れるまで動きまわり、空きっ腹を抱えて帰ると、大きめの茶碗で、めしを5杯ぐらい食べた。

高校2年一年間で、身長が10センチほどのびた。授業も教師もつまらなかったし、ウチは高校の月謝も滞るほど貧乏だったが、山岳部と大めしが食える日々は、楽しかった。

いまでは「土方」という表現は、「差別」になると聞いた。「ドカベン」は、どうなのだろう。漫画のタイトルにもあるし。そうそう、その漫画も青春だ。「ドカベン」は青春なのだ。たくましい食欲、たくましい青春。

上京してからは、空腹がいちばんつらかった。

とにかく、いつも、若者は好きなだけめしが食える社会でなければならない。

若者が好きなだけめしが食える社会を!

気取るな、力強くめしを食え!

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2014/06/04

「食の職人」と「食の労働者」。

まずは、もう一度、2014/02/17「3月15日(土)、渋谷の大盛堂書店で速水健朗さんとトーク。」から。

このようなことを書いていた。……

2月5日に、『ブラック企業 VS モンスター消費者』(ポプラ新書)が発売になった。著者は今野晴貴さんと坂倉昇平さんだが、3分の1以上を占める最後の第5章が、著者と五十嵐泰正さんの鼎談になっている。「「おもてなし」っていったいなんだ??」から始まって面白い、示唆に富んでいる。「ブラック企業」も「モンスター消費者」も、飲食の分野が大いに関係するし、「おもてなし」にいたっては、『大衆めし 激動の戦後史』でふれた「日本料理」の伝統と大いに関係する。

五十嵐さんは、鼎談で、速水さんの『フード左翼とフード右翼』に言及しながら「エスカル消費」について述べている。五十嵐さんは、当ブログでも紹介している『みんなで決めた「安心」のかたち』(亜紀書房)著者であり、3月11日以後の「分断」の渦中にあった。

これらの本を読んで、速水さんと五十嵐さんの話を考えてみると、食をめぐる「労働」と「消費」それに「思想」ということになるだろう。「労働」は「生産」と「流通」「サービス」、その企業やネットワークと関係する。おれは、「専門」というのがないフリーライターであり、そのあたりを「台所」の問題として、つまり「生活」と「料理」あるいは「生活料理」の視点からくるんでみようとしている、ということになる。

『大衆めし 激動の戦後史』は、7章で、食の豊かさ、食育基本法、家事労働と料理と女と男、魚食の問題、食料自給率の問題、飢餓問題にふれているが、料理からの視点だ。しかし、まあ、その「料理」ってやつが、なかなかメンドウなのだ。で、わざわざ「生活料理」という言葉を使っている。

……以上。

『ブラック企業 VS モンスター消費者』を読んでから、「食の職人」と「食の労働者」のことが気になっていた。料理を「生活」からだけではなく、「労働」ということから考えてみる必要がありそうだ、と。家庭の料理だって、「家事労働」といわれたりするしね。

食に関わる「仕事」をしていても、ある仕事やひとは「職人仕事」や「職人」として敬われ、ある仕事やひとは、ただの「賃労働」と「労働者」として軽んじられる。こういう思想や文化は、どのようにして始まって、そのことに消費者は、どう関わっているのか。

チョコチョコ調べていたら、もしかしたら「モンスター消費者」というのは、「意識の高い人たち」で、とんでもない優劣観や差別観を持っているのではあるまいかと思い出した。どうも近頃の「意識の高い人たち」というのは、どんどんアヤシイ感じに思えてきた。知的で上品そうだけど、コぇ~。

ついに、27日のツイッターで、こうつぶやいた。

「「食の職人」は敬われ「食の労働者」は軽んじられる「文化」には胡散臭いものがあるな。」
「「職人」というと文化っぽくて、「労働者」は文化であらず、ってな文化を、「丁寧な仕事」や「手作り」崇拝の文化なんぞに感じるわけであります。」
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/471211726835154944

これ、『美味しんぼ』騒動にも関係する。それから、人気のいろいろな生活文化誌などに…。「文化」は、いつからひとを差別したり支配したりするために使われるようになったのか…。昔からだって? そうかもしれんが、しかし、これほど「職人」は「文化」扱いされ、「労働者」が軽んじられるとは、やはりある種のモンスター消費者がいるのではないか、じつに文化的なモンスター消費者が。チヤホヤされてモンスター化した知的な消費者とか。いるいる。

ある高級な宴会場で聞いた話では、そもそも、その高級でおしとかやかな雰囲気の宴会場には、モンスター消費者などいないだろうと思っていたが、さにあらず。めちゃくちゃなクレイマーというのは、ふだんは上品で知的でおだやかな紳士淑女が、大変身するのだそうだ。

かれらは、いったん自分の思う通りにならない、少しでも気に入らないとなると、もうめちゃくちゃなことを言い出す。高学歴で意識は高い、しかし、なんでも自分の思う通りになるのがアタリマエと思って育ってしまった、年齢はオトナのおぼっちゃまおじょうちゃまが、とつじょ、モンスターの本性を露わにするのだとか。

おれが「コワイですね」というと、その話しをしてくれた男は、その場面を思い出したのか、じっとおれの顔を見つめ深刻な顔で「コワイですよ」といって、黙ってしまった。

チト話しがずれたようだ。

家庭で料理を作る「家事労働」をしているひとは、「職人」なのか「労働者」なのか、その「労働」はなんなのか。あっ、もちろん「家事労働」だから「家事職人」とはいわないのですね。

017写真は、ある社員食堂の厨房、「食の労働者」の仕事場です。

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2014/06/03

「和食」…ユネスコの無形文化遺産に登録されたけれど。こんな「和食」に誰がした。

2014/06/01「5月のハンセイ。」に書いた四谷の飲み会では、最後に、やはり「和食」の件になった。ま、文化遺産に登録されたけど、意気があがらないね~、かえってめんどうなことになっているような、てなことで簡単に片づけられたていどだったのだが。

おれも食育基本法批判をやったときほど、この件については意気があがらない。もう、ほとんど無視、という感じだ。

というのも、「和食」そのものが迷走していて、墓穴を掘っているからだ。「和食」を「日本人の伝統的な食文化」と唱えるほど、矛盾が露呈し泥沼が生まれているからだ。放っておいても、迷走泥沼状態。それは、チト悲しいことではあるが。

それに、食育「国民運動」のように、「和食」のカネや権威にたかって、テキトウなことをいって稼いでいるひとたちがいるのも、セツナイ。

とにかく、当初から「和食」の「範囲」がハッキリしていないのだ。たとえば、昨年12月2日の読売新聞は、3ページにわたって(農水省と「和食」文化の保護・継承に取り組むキッコーマンと伊藤園の広告が半分を占めているから実質1ページ半だが)、11月24日に開催された「和食文化の保護と継承について考えるイベント」を伝えている。その「専門家によるシンポジウム」を見ても、何が「和食」かについてはバラバラだ。

無形文化遺産に登録が決まり、「日本食文化のユネスコ無形文化遺産化推進会議」から「「和食」文化の保護・継承国民会議」に衣替えした組織の会長である、熊倉功夫さんの基調講演では、「和食で大事なのは、まずご飯です。ご飯だけでは食べられないんで日本人は汁を非常に大事にします。それからおかず」といっている。

ところが、その「和食の範囲」について、パネラーの伏木享さんは、「日本でできて日本人しか食べない洋食は、外国人から見ると和食になる。ラーメンやお好み焼き、カキフライといった料理も含めて、和食の裾野は広い方がいいと思う」といっている。

そもそも、あらかじめ「和食」の範囲を決めて登録しているのではなく、アイマイのままだし、「和食」なるものは、このひとたちが、こんな話しをして決めるものなのかと思うが、とにかく、「和食」の範囲などは、はっきりしてない。

だから、『AERA』 2014年3月31日号でも「カレー、ラーメンは「和食」なのか? 専門家の意見は」といったことが記事になり、これがインターネットにも載って、話題になったりした。
http://dot.asahi.com/aera/2014033100064.html

この記事の「専門家」は、原田信男さんと江原絢子さんで、お二人は日本の食文化について真摯に研究を重ねていて、ひとやカネの顔色を見ながらものをいったりしない、見識のあるひとだと思うが、意見がわかれている。

こういうことになってしまうワケは、2014/02/02「明日3日は、朝10時から文化放送「くにまるジャパン」で、生活料理の白熱トーク!」で、少しふれている。……

「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、「文化遺産」けっこうなことだけど、インターネット上にも「「和食」の無形文化遺産登録を手放しで喜べない理由」といった記事があるように(http://diamond.jp/articles/-/44360)、「和食」と「日本料理」と「家庭料理」のあいだが、あらためて見直されたり論議になっている。

これは、『大衆めし 激動の戦後史』にも書いている「日本料理」の歴史と「二重構造」が関係することで、そうは簡単にスッキリ解決はしない。だけど、まあ、働き生きるための「大衆めし=生活料理」は、日々行われているのである。その生活料理について、もうちょっと考えてみようってことだね。

……と書いているのだが、『大衆めし 激動の戦後史』を読んでもらえば、混乱の原因も、そもそも、和食は、なぜ「保護」だの「継承」だのといわなけれならない事態になったのか、わかるはずだ。

今日、ツイッターで、このようにツイートした。
https://twitter.com/entetsu_yabo/status/473668385645932544

「何度もいうけど。汁かけめしや大衆めしに関する俺の著述は、生活を基本に料理を「機能論」的に述べているが、世間で圧倒的に通用しているのは「発生論」や「系譜論」であり、素材や庖丁を原理としている。以前書いたブログから http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/2010/07/post-6484.html

RTやお気に入りが、けっこうあったが、‏@allman3369さんから、「@entetsu_yabo さんの、料理が機能ではなく発生論として語られる、というのはつまり「必要性の充足」ではなくて「正統性のゲーム」になってしまっている、ということなんだろうと思う。」と返信ツイートがあり、

おれは「@allman3369 なるほど、「正統性のゲーム」って表現、いいですなあ。料理にかぎらず、発生論や系譜論の「正統性」が、古事記や日本書紀、でなければガイコクになってしまうってのが、サミシイですが。」と返したりした。

これまでもそうだったが、「和食」は、その「正統性のゲーム」の泥沼に陥っている。

先のおれのツイートのリンク先は、当ブログの2010/07/23「梅棹忠夫『文明の生態史観』と『汁かけめし快食學』。」だが、そこでは、瀬尾幸子さんがいった「結局、大衆めしってみんな和食なのね。スパゲティナポリタンだって」も引用している。この「大衆めし」は『大衆めし 激動の戦後史』に書いたように「生活料理」とイコールだ。

ようするに、料理を「発生論」と「系譜論」で見ているうちは、「和食問題」の解決の糸口はつかめない。

まずは、発生論や系譜論のほかにも、機能論の見方ができるし、そうすべきだということを、料理や味覚に関心のある方には、ぜひ知ってほしい。料理は生活、に、立ち返ることだ。

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2014/06/02

「田舎」「都会」や「むかし」「いま」、田舎や農業や都会と「暮らし」。

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2014/05/19「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、一日目。」2014/05/20「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、二日目。」に書いたように、その旅では、放置された古民家を利用しての「田舎暮らし体験ハウス」の「なかや」に泊まり、帰りは偶然に八ヶ岳南山麓の大野菜産地の中を歩いたりした。

いろいろ考えることが、多かった。

「田舎暮らし体験ハウス」の「なかや」の体験プログラムまでは体験してないので、どのようなものかわからないが、主に子供向けだろう、薪割りや竹細工などがあるようだった。古民家での宿泊は、これはおれが子供のころの昔の田舎暮らしで、いまの田舎暮らしとしては特殊だろうと思った。それでも、都会の家では体験できない「暮らし」の一端を体験できるのだろうが。NPO法人の運営とはいえ、継続のため損は出せないだろうから、お客さまが幻想する「田舎暮らし」を、いかに満足させるか、ということにならざるを得ないのではないかと思われた。

むしろ、いまの「田舎暮らし」とむかしの「田舎暮らし」が体験できる、ということのほうが、未来的によいのではないか、おれなら、そうするなあ。なんて、あれこれプランを考えてみたりした。

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その「なかや」の前に、苗代があった。こういう苗代の風景も、昔はなかった。これは、機械植えのための苗代で、ハウスをかぶせた苗代のなかで、機械にのせる育苗箱にモミをまいて育て、もう田植えも近いからハウスをとりはらったあとだろうと思われる。つまり、いまの田舎暮らしの風景なのだ。

去年だったか、田植え中の農家のひとの話では、グリーンツーリズムなどで、田舎や田植え体験に来る都会のお客さんは、手植えの田植えを体験したがる、もっとも子供たちには機械植えはできないし、といっていた。

同じ子供でも、おれが子供で田舎に住んでいた頃の田植えの手伝いは、刈り入れ収穫のよろこびのイメージにつながっていた。田植えをしたら、稲刈りもしなくては、田植えのよろこびは体験できないのではないかと思ったりした。しかし、収穫のよろこびを知れば、田植えなどひとまかせでもよいと思ってしまう可能性がなきにしもあらず。いまはびこっている消費文化というのは、そのように、結果だけを求める。いまでは、日常の管理は農園がやってくれる貸し農園まである。

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消費文化としての趣味や観光としての「農業」と、生業や生産事業としての農業は、決定的にちがう。ということを示す光景にであった。ハクサイ畑にあった、成長を記録するメモは、昔はなかった。メモには、「4月26日 ハクサイ 11枚 3/31」とあった。

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昔は、毎朝、畑を見まわって注意深く観察するのが日課だった。いまでも、たいがい無農薬有機栽培の農家は、そのようにしているのではないだろか。あるいは、この畑でも、見回りは日課になっているかも知れないが、このようにメモして管理するのは、いま風だろう。だいたい、この広大の畑を、毎朝見回るなんて、難しそうだ。

いずれにせよ、そこには「経過」の観察や体験がある。消費文化は、結果や結論だけが価値であり大事だ。

趣味や観光としての「農業」は「農」の一端を、わずかに体験できるだろうが、農業とはほど遠い。

それはともかく、「都会」と「田舎」を対立的に論じる傾向があって、たしかに矛盾もちがいもあるし、「お客様は神様」が「お客様である都会人は神様」にスライドしている面もあるが、それが「都会か」「田舎か」と対立的なものなのかどうか、かなり考えてみる必要がある。それは「いま」と「むかし」、あるいは「新しい」と「古い」の関係についてもだ。

古民家のいま風の水洗トイレで思った、おれたちは同じ水洗便所で「暮らし」ている。

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2014/06/01

5月のハンセイ。

今日は6月1日。ってことは、いけねえ、今月で今年の半分が終わる。4月5月は飲みすぎたし遊びすぎた。いや、カレンダーを見ると、3月も、けっこう飲んでいるな。新企画、ほったらかし。

いまここでいう「飲む」は、東京などへ出かけての飲み会で、地元や大宮や北浦和で1人ふらふら飲むのは入っていない。6月は自重し、新しい仕事に励もう。あまりブログを書いてなかった4月の後半から5月の主な飲み会を忘れないうちにメモして、反省にかえよう。

4月18日(金)は、T社の方と飲み会だった。今年になって2回目。イチオウ、T社のおれの「ファンクラブ」ってことだそうで、男1名女4名の顔ぶれは変わらず。しかも、みな北区や板橋区に住んでいる。ってわけで、17時10分、王子の山田屋に集合。とにかく飲んだ。山田屋は早く閉まるので、次は串の介。ここは、T社のみなさんがよく利用するところで、顔なじみであった。東大宮に24時ごろ着いて、酔っているからもう一軒。25時ごろ泥酔記憶喪失帰宅。で、仕事の話は、どうなったかという、どうもなっていない。仕事の付き合いから始まった飲み会だけど、出版は関係ないし。とにかく、飲んだのだ。

4月26日(土)、15時20分に、新秋津でYさん、Iさんと待ち合わせ。Yさんの提案で、新秋津と秋津のあいだの例のホッピー通りとやらで飲もうと。Iさんは、川崎から遠路はるばる。Yさんは、Iさんのことを、飲むことなら遠くでも必ず来るといっていたのだが。好きだねえ~。いや、いい男が2人もいるからか。

2人とも50ぐらいで、東西南北駆けめぐり、仕事が忙しい。3人で飲むのは今年になって初めて。ほぼYさんの地元だから、かれの案内に従う。2軒飲んだところで、おれは酔った勢いで、新所沢へ行こう!というと、2人も酔っているのか反対しない。Yさんが、近いからタクシーで行こうというので乗ったが、近くない。新所沢へ着いてみたら、おれが求めるパースケがやっている飲み屋がない。新所沢の駅のそばだと思っていたが、歩き回っても見つからない。そもそも「パースケの店」と覚えているだけで、正式の店名も知らない。はて、たしか「ナントカ所沢」だったはずだが。

歩き回っているうちに見つけたテキトウな一軒に入ったら、ここが地元のみなさんの集まる店で、よかった。Yさんは、一緒にカラオケを歌っていた。おれの隣に座ったオヤジが、68歳で農家のおやじだそうだが、おれを年下と見て話し酒を注ぐから、おれは70ですと言いだす機会を逃し、年下で通した。酔った。じゃあ、新宿へ行こうというと、Yさんが日和った。Iさんは、どうせ帰り道だ。西武新宿に着いてフロイデ、ここで飲んでいるうちにどうしたことか、めずらしくゴールデン街へ行こう、ということで、マチュカバー。もうどうやって帰ったか、わからない。

5軒ハシゴなんて、何年ぶりか。しかし、ワレワレ3人、仕事の関係はないし、趣味はあるのかないのか、とにかく酒が好きだけで一緒に飲むようになったのだが…。いったい、いつも何を話しているのか思い出せない、楽しいだけ。

5月1日(木)は、18時から、八重洲の加賀屋で飲んだ。お世話になっている大盛堂書店の山本さんのお引き合わせで、八重洲ブックセンターの方3名と。酒が好きな方ばかり、22時ごろまで、タップリ飲んで話した。どなたも、汁かけめしの話になると、必ず盛り上がるのが面白い。八重洲ブックセンターには社員食堂があると知っておどろいた。早速、26日に山本さんと訪ねた。この件は、また後日。

3日(土)、太田尻家@経堂の運動会で飲んだ。2014/05/25「太田尻家十周年運動会からさばのゆへ、6月のトーク二つが決定。」に書いた。

16日(金)、17日(土)、ミニ古墳部の旅で飲んだ。2014/05/19「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、一日目。」2014/05/20「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、二日目。」に書いた。

18日(日)、わめぞトークに行って池袋で飲んだ。2014/05/24「速水健朗×五十嵐泰正トーク「『なに食べた?』で社会は変わるのか」。」に書いた。

22日(木)、四谷の鳥久で19時から飲んだ。大会社M本社の元社員、現社員、B社のTさん。現社員さんと飲むのは初めてだと思っていたら、以前に一度飲んだことがあると。話しているうちに「K大先生」の話しになったとき、思い出した、現社員さんは「K大先生」のことになると「嫌い」が露わになるのだ、前もそうだった。K大先生のダメさ加減も含め、きわめて高度な政治的政策的人間的な話が多かったので、書けないことが多い。

Tさんと、出版業界の前近代性が話題になった。おれは出版業界の編集者とは付き合いがかなり少ない方だと思うが、これまで、前近代性を問題にした方とあったことがない。そこにドップリつかって、オカシイとも思わないひとのほうが多いのだ。さすがTさんだなあと思った。こういう若くて仕事もできる編集者が増えると、出版の未来も少しは明るいか。しかし、この前近代性は、根が深い、どう解決していくのだろう。

鳥久を予約してくださったのは元社員さんで、なかなかうまい店だった。どうもありがとうございました。22時半ごろ解散。

23日(金)、デモデ六本木で飲んだ。この店は、プレスリリースをもらったときから気になっていて、M社に近いからHさんたちと飲むときに行ってみようと思っていた。この日の顔ぶれは、いつものフルメンバー、Hさん、Sさん、Oさん、それにスペシャルゲストIさんを誘った。スペシャルゲストというより、Iさんお気に入りの店でもあり、大変お世話になってしまったのだが。

18時半にデモデ集合だったが、18時すぎにHさんOさんと落ち合い、ヒルズのテラスでやっていた、香りのプレミアムモルツ先行販売1杯2百円ってのを飲んだ。芳醇で豊かな味わいは、IPAのようだった。

デモデは、カジュアルなイタリアンのダイニングバーといった感じ、という表現でよいのかな?おれがいつもの作業着姿で入っても違和感がない。酒の種類が豊富、ワレワレは2階のテーブル席だったが、カウンターでも飲んでみたい。

料理のチョイスはIさんにまかせて、出てくるのを食べた。値段を見て思っていたより、凝った料理で、うまい。ワインを何本空けたか、どんどん飲んだ。デザートまで、食べきれない量を、仕事で遅れ腹をすかして来たSさんが勢いよく食べた。

おれ以外は、仕事帰り、Oさんは、帽子にいたるまでスタイリストらしい颯爽としたファッションで気が付かなかった、それに、Iさんのスーツ姿を初めて見た。そうそう、もしかしたら、IさんとHさんは会社はちがっても同じ職種なので、どこかでつながりがあるかと思っていたが、HさんはIさんの名前だけは知っていたし、やはり共通の親しい知り合いがいた。どころか、Iさんはその世界ではエライ人に「余人に代え難い」という高い評価を受けているとHさんに聞いた。いやはや、いつもは飲んだくれているだけのIさんだが、やっぱりね、という感じ。とにかく、いつものように、楽しい会話と酒と、料理がよかった。Iさん、ありがとうございました。

29日(木)、北浦和クークーバードで飲んだ。2014/05/30「北浦和クークーバードでトーク、泥酔記憶喪失帰宅。」に書いた。

30日、中野で飲んだ。2014/05/31「中野で、やどやゲストハウス。」に書いた。

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