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2014/06/07

『笑う警官』を読んで「成熟」を考えた。

マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーのカップルによる マルティン・ベックシリーズ『笑う警官』の新訳(柳沢由美子、角川文庫)を読んだ。

このシリーズは、65年に一作目の『ロゼアンナ』が発表になり、75年まで10年間かけて、全10冊が刊行された。日本での翻訳発行が、正確にわからない。検索で調べると、角川文庫版しかヒットしないが、おれはほとんど単行本で購入し読んだ記憶がある。たいがいは70年代のはずだ。

75年のペール・ヴァールーの訃報には、おどろいた。当時、40歳ぐらいだと思っていたが、今回のプロフィールでマイ・シューヴァルより9歳年上の49歳だったと知った。それにしでも、マルティン・ベックシリーズが大好評を得ている最中、残念な死だった。

『笑う警官』は、やっぱり面白い。著者2人が、新聞や雑誌の記者だったということもあるだろうが、とことんリアリズムで、当時の政治経済の動向、社会風俗、なにより、人間と人間をとりまく社会の複雑さ多様さが、じつにうまく描けている。「警察小説」「犯罪小説」の金字塔といわれているようだが、単に小説として面白いのだ。

「十一月十三日の夜、ストックホルムはざんざ降りだった。」で始まる。アメリカ大使館に向かう幹線道路は、警官隊によるベトナム反戦デモの鎮圧で混乱していた。事件は23時過ぎに起きる。二階建てのバスの乗客と運転手9名全員が射殺される。しかも、その中に、若い捜査官がいた。

このデモと鎮圧は、1986年2月に実際にあったデモだ。当時は、ベトナム反戦、反米、反資本主義、いわゆる「左翼運動」が一つの世界的潮流だったといえるだろう。1月テト攻勢。3月ソンミ事件、4月キング牧師暗殺、5月フランス「五月危機」、ロバート・ケネディの暗殺もあった。日本では、10月21日に、いわゆる「新宿騒乱」があった年だ。69年には全国全共闘会議が結成された。

謎が謎をよぶ物語の展開のなかで、舞台となる町の様子(中心部は大々的な再開発の最中だ)、さまざまな人間模様が語られる。すっかり冷え切った間になった妻と難しい年頃の娘のいるマルティン・ベックを始め、明るく健康で健全な模範的人間なんか1人もいない、なにかしら苦悩を抱えていたり、屈託があったり、偏執または変質、変態である。ようするに、このシリーズ全般にいえることだが、人間社会も人間もイカレているってこと、それが普通であり日常であり、そのなかで、それぞれが自分の仕事を遂行する。

当時はまだ少なかった、他国からの出稼ぎや移民。外国人差別や、人種差別や、地方差別、そして、この本で割と大きな位置を占める「セックス狂い(ニンフォマニア)」など、学者などが「病理」といいそうなことが、てんこ盛りだ。

酔っぱらいをベッドに運んでやる警官がいる。かれがそのような行動をとるのは、「「人間愛」からではない。怠け者だからだ」。めんどうを避けたいのだ。

「清廉潔白、いい加減なことが嫌いな性格」の警官がいる。かれは「見たものは決していい加減に扱わなかった。が同時に彼はできるだけ見ないようにすることにかけては天才的だった。」

一つの事柄を一面的に見ず、つきまとう反対の面も見る。まわりによくありそうなひとでありことだが、著者は、かれらを否定しない。かれらはワレワレ自身だし、みんなイカレているのが「常態」なのだ。かといて、ニヒルでもアナキーでもない。

スッキリ正しいなんて一つもない、晴れない梅雨空みたいな人間社会だが、べつに重苦しくはない。そこはまあ、文章の力なのだろうが、個人を把握し、人間を「いいひと、わるいひと」で短絡的に評価しない成熟した思想を感じた。

おれは、日本国憲法 第三章 第十三条 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」を思い出した。思い当たることがあるではないか。

「最大の尊重を必要とする」は、国民の義務でもあるのだ。しかし、「すべて国民は、個人として尊重される」について、 どれだけの注意や義務がはらわれているだろうか。たとえば、自分が文章を書くときに。「成熟」つまり「大人」のカギは、そのへんにあるのではないだろうか。老練ぶった文章を書けばよいってものじゃない。

マルティン・ベックシリーズの著者は、そういう意味で成熟しているし大人だった。だから、個人としての人間を描くことができたのではないか。文章以前の問題のような気がした。

訳者あとがきによれば、「一九六十年代中ごろから七十年代にかけての十年間は、スウェーデン社会が大きく変貌した時期だった。平等と民主化と連帯が叫ばれ、長年の因習的な社会秩序と価値観が地滑り的に変わった。それまでの抑圧的な階級社会が崩壊するとともに上下関係の言葉遣いが、あっという間に横並びのそれに変わった。」と。

日本では、激動はしたが、そこまで思想的文化的な大きな変化はなかったと思う。75年、「既存の権力や権威」に抵抗をしめした若者も、変化と成熟に向かうことなく、ユーミンが歌ったように「もう若くないさ」と大勢は髪を切り、言い訳しながら生きて、ファッショナブルでおいしい消費主義の中に「自由」や「平等」などを見い出し、自らの思想や文化までも消費していった。

当時の「反体制」だったカウンターカルチャーやサブカルチャーなどの潮流は、やがて、ほとんど消費主義に回収され、いまやその担い手になっている。けっこうなことだが、それでよいのかという感じは残る。とくに昨今。

「すべて国民は、個人として尊重される」ことなく、なにやら上品な美しい文化を尊重し従うのがトウゼンという風潮のなかで、因習的な社会秩序と価値観は根強く残り、「上昇志向」は、その古臭いヒエラルキーの階段を昇ることを義務づけられているかのようだ。そして、個人としての尊重より、美しいものやことへの「一心同体化」を促す表現は、わずかな美醜にこだわり、ひとやものやことの上下関係や優劣関係を「創造」したり維持する。

それは、出版飲食界隈を眺めていると、しみじみ感じる。

上を見て、下を見て、自分の位置を確認し、ときには満足しときには闘志を燃やし、「いいひと」「わるいひと」ぐらいの判断で成り立つような「社会」で、どう「成熟」できるのだろうか。

とんでもないところへ感想がずれた。

最近読んだ本に、『田舎暮らしの探求』(高橋義夫、草思社1984年)がある。べつに田舎暮らしに興味があるわけではない。その潮流を、チョイとかじっておこうと思っただけだ。ほかに、『地方文化論への試み』(塙作樂、辺境社1976年)、『新ふるさと事情 山村へき地発、都会人への手紙』(熊谷栄三郎、朔風社1982年)も読んだ。

「田舎暮らし」ブームというのか、「移住」ブームというのか、はたまた「地方の時代」言論ブームというのか、それは70年代後半、80年代後半(バブル期)に山があって、90年代は「不況」もあってか、さほどでなく、団塊世代が引退のここ数年また山がきているようだ。この団塊世代、言い方によっては「全共闘世代」だが、かれらは70年代後半の担い手でもあった。

『田舎暮らしの探求』には、こうある。「七〇年代の半ばごろ、美麻村は一種のメッカであった。いま廃屋になっている家のほとんどは、その当時都会の人間に売ったか、貸したかしたはずである。ヒッピーやもと全共闘、にわか農本主義者、宗教家、まったくふつうの人、さまざまな楽園を求めて村にやってきた。」

その子供たちも含め、速水健朗さんの『フード左翼とフード右翼』の「左翼」に関係することでもある。都会では、先進的な消費者だ。

はあ、『笑う警官」から『フード左翼とフード右翼』まで、思いつくまま転がってしまった。息切れ。

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