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2014/06/05

昔の「ドカベン」。

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「昔の」といわなくても「ドカベン」といえば、昔のものに決まっているだろう。いまは製造されているのかどうか、まったく見なくなった。

2014/05/19「「すみれ洋裁店・小口緑子の美術展」とミニ古墳部活動、一日目。」に書いた、津金学校へ行ったとき、美術展の会場だった明治校舎には、昔の学校の備品がいろいろ陳列されていた。そこに「昭和40年代の給食用食器」というのがあって、一緒に、給食用食器ではないはずの弁当箱、「ドカベン」があった。

しかも、それが、「おかず入れ」付きなのだ。これは珍しい。

おれの小中学校時代は給食はなかった。冬はたいがい弁当だったが、雪のない季節は、家が学校に近かったから昼休みには食べに帰っていた。

高校のときは弁当で、しかも、ほとんど、このアルマイト製の「ドカベン」だった。この「おかず入れ」を使っていたこともある。昭和40年代ではなく、30年代のことだ。

「おかず入れ」は、普通の弁当の厚さで、ドカベンは普通の弁当の倍の厚さだった。普通の弁当では、「おかず入れ」を片方の隅に置き、めしを詰めるが、ドカベンでは、まず下半分の全面にめしを詰め、その上の片方の隅に「おかず入れ」を置き、さらにめしを詰める。

モンダイは、「ドカベン」のときに限らず、この「おかず入れ」だと汁気のあるものは汁が流れ出ることだった。なので、この「おかず入れ」は使わず、弁当箱にめしを一杯に詰め、おかずの汁気をよく切って、直接のせることが多かった。「海苔二段敷き」なんて、やりましたね。

おれが高校のころには、おかず専門の小さな容器ができていて、これを使った。厚さも大きさも「ドカベン」の4分の1くらいで、同じアルマイト製、ふたの裏のまわりにゴムがついていて、これをかぶせて、二か所に付いてるテコ式の留め金でパチンとふたを留めるから、汁気がこぼれ出ることはない。

この「おかず容器」を使うと、「ドカベン」一杯にめしが詰められた。ずっしり重い。

これをカバンに入れて持って行く。カバンのなかは、弁当だけだった。高校3年間は、教科書は、山岳部の部室の自分の「箱」に置きっぱなしだった。弁当を入れたカバンも、登校すると、まず部室へ行ってそこに置き、必要な教科書を持って教室へ行った。ノートは、一冊だけだった。教科ごとにノートを変える、なんていうメンドウはしなかった。だから、正確には、通学のカバンのなかは、弁当とノート一冊だけだった。

三時限が終わるころには、もう腹が空いてたまらなかった。10分の休憩時間に、駆けて部室へ行き、「ドカベン」のめしの半分は平らげた。そして、4時限後の昼休みには、残りを食べ、パン屋が出張販売する、マーガリンやジャムをぬった食パンを買って食べた。

6時限が終わると、部室で着替えて、トレーニング。日が暮れるまで動きまわり、空きっ腹を抱えて帰ると、大きめの茶碗で、めしを5杯ぐらい食べた。

高校2年一年間で、身長が10センチほどのびた。授業も教師もつまらなかったし、ウチは高校の月謝も滞るほど貧乏だったが、山岳部と大めしが食える日々は、楽しかった。

いまでは「土方」という表現は、「差別」になると聞いた。「ドカベン」は、どうなのだろう。漫画のタイトルにもあるし。そうそう、その漫画も青春だ。「ドカベン」は青春なのだ。たくましい食欲、たくましい青春。

上京してからは、空腹がいちばんつらかった。

とにかく、いつも、若者は好きなだけめしが食える社会でなければならない。

若者が好きなだけめしが食える社会を!

気取るな、力強くめしを食え!

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