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2014/06/24

うまい料理はポエムを生むかもしれないが、料理そのものはポエムじゃない。

昨日書いたように、料理は化学だよなあと、あらためて思っている。最近では、料理を科学的に探求する本も増えているが、まだまだ料理という仕事に対する「姿勢」や「心構え」を説くことが盛んだ。「ラーメンポエム」なる言葉もあるが、作る方も食べる方も、なにやら「ポエム」的に高揚するのだな。

この心性は、なかなか深いものがあるようだ。最近ここに書いているように、芸術家(あるいはアーチスト)と職人と労働者のあいだに上下や優劣をつけることにも関係していると思う。

いまでは「政教分離」が、イチオウ、建前になっているが、つい70年ほど前まで続いていて日本人の肉体に巣くっていた、政教分離の反対である「祭政一致」は克服されたのかというとそうでもないようだ。

「祭政一致」は、とどのつまり、ものやこころを一主権者の支配下におくことになる、というか、ものとこころの支配を目指している。個人の人格を尊重する制度のもとでは、あってはならないはずだが、ものもこころも支配したいひとは絶えないし、支配されることで「一体感」というポエムを感じたいひとも絶えない。会社のような「治外法権」のもとでは、よく見られる。

日本は、「祭政一致」から解放されて、まだ70年弱だから仕方ないのか、なにかというと技術や技能や科学レベルのことを「心構え」や「姿勢」など「こころ」レベルで解決しようとする傾向は根強い。

料理なんか、割と根強いほうはではなかったかと思う。あと、よく言われるのが、陶芸。陶芸も料理のように素材と熱のコントロールの関係が重要で、これが料理ほど厳密にいかないことから、余計「神秘性」が高く、それが陶芸の「芸術性」を支えている、という話しを聞いたことがあるが、それはそうかも知れないが、それでは陶芸家がかわいそうと思ったりした。一方では、「こころ」を扱うのが「芸術」で、それゆえ高尚なのだという、ヘンな考えもあいかわらずある。

リサーチの分野に、「動作研究」や「動作調査」というのがあって、おれが初めてこれに関わったのは、1980年代ではなかったかと思う。料理の分野では、早い方だったろう。いまでは、チェーン店などが、マニュアルを作るときなどに、作業者をビデオで撮影して動作分析することがやられている。

この方法は、以前から効率よい正確な作業のための研究として工場などでやられていたようだが、1970年代にアメリカの外食産業が日本に進出したことから、飲食サービス関係にも広まり、1980年代でもまだ「神秘」に包まれていた日本料理の「職人仕事」の分野も、その対象になった。

もちろん、「動作研究」や「動作調査」で、技術や技能レベルのことが、すべて解明されるわけではないが、ほかのいろいろな技法を組み合わせることで、平均的な底上げが保証される。そして、平均的な底上げが保証されることで、新しい発見や才能や向上につながる可能性が開ける、ということになる。つまるところ底上げしながら、全体をよくするかどうかということ、これは「民主主義」的な思想に関わることだろう。

もちろん、いまの日本で見受けられるように、「祭政一致」でありながら、こういうマネジメント技術だけを導入し、人間丸ごと支配下におくということもできる。こうなると、宗教のようなアリサマが、あちこちに出現する。近頃、周辺にそういう話しが増えた。それは、底上げより、エリートの優越を優先させようという、保守的な背景と無関係ではないかも知れない。

仕事の「神秘」と「科学」の関係は思想の問題でもあるか。

とにかく、うまい料理はポエムを生むかもしれないが、料理そのものはポエムじゃない。

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