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2014/08/08

農水省広報誌『aff(あふ)』7月号、「A級グルメの町おこし」。

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今日、農水省広報誌『aff(あふ)』8月号をいただいて、そういえば7月号で気になっていたことがあったと思いだした。8月号はほっておいて、そのこと。きのうのエントリーにも関係するのだ。

この7月号のトピックスは、「「ディスカバー農山漁村の宝」優良23事例が決定」というもので、「農山漁村」に「むら」というルビがある。このテの政府や中央官庁主導の「村おこし町おこし」は、むかしから「一村一品運動」など、いろいろあって、手を変え品を変え、税金が投入されている。

大きくくくれば、「地域活性化」ということになり、農水省に限らず、各省庁が様々な取り組みをしている。その成果は、まことにこころもとなく、税金の無駄遣いという声もあるが、では地方の衰退をほっておいてよいのか、ということもあり、だんだん難しい事態になっているような気がする。

「WEB4コマ 地方は活性化するか否か」といったものもあり、その41話「繋げていくこと」では、こんな会話がある。
http://minorikou.blog.jp/archives/1006301589.html

「たとえば行政がカネをかけて施設をつくったり、イベントを開催したりする…まあ確かに、施設のオープン時やイベントを開催すると人は集まるだろう」

「人が集まるならいいじゃないですかっ」

「しかし、あくまでも「その時だけ」であって、持続性がない事がほとんだ…せっかく金を掛けるならば「継続的に金を産み出すきっかけ」に繋げなければいけないのだが…ほとんどそうなってないのが今の現状だ」


こういう施設やイベントの残骸が、地方に行けばいくらでも見られる。その「仕掛け人」は、たいがい中央つまり東京の官庁や民間の人間であることが多く、けっきょく政府予算を地方にばらまき、それを東京の人間が吸い上げ、地方を植民地化している、という話しもあるぐらいだ。

「仕掛け人」たちは、仕掛けた施設やイベントが、集まった人数や、どうメディアに取り上げられたかを実績としてネタにし、「これは広告料に換算したらいくらになる」と「成果」を売るのだが、話題だけが踊り、「継続的に金を産み出すきっかけ」に繋がらない。そしてまた、「ディスカバー農山漁村の宝」優良23事例といった、モデルが推奨される。

昨日の「日本で最も美しい村」運動は、そういう政府や中央省庁主導の、いわばヒモ付き予算によるものではなく、参加町村、企業、個人による自立的なもので、そこがかなり違う。

それはともかく、いつまで続く、この連鎖地獄という感じだが、今回のこの記事のなかで、一つだけ気になる事例があった。それは「A級グルメの町おこし「邑南町」希少価値、高級さで逆転の発想!」のタイトルで紹介されている、島根県邑南町観光協会の取り組みだ。

邑南町は、岩見牛やキャビアなど、高級な食材を生産しているそうで、高級食材ゆえに大量生産できない「弱み」を逆に「強み」にしようという発想で、「A級グルメの町おこし」に取り組むようになったらしい。

そして、ネットショップで売上げが伸びているほか、「平成23年には観光協会直営のイタリアンレストラン「ajikura」を開店」というのだ。

観光協会常務理事の寺本英仁さんは、こう述べている。「海外の三ツ星レストランは、食材豊富な田舎にあります。僕らも東京に売り込むのではなく、町内にレストランを作り、生産から加工、消費まで完結させる究極の6次産業化に転換しました」

「究極の6次産業化」はともかく、当ブログでも何度か書いてきたが、この考えは大事になると思う。実際に、すでに地方に店を構えて実践している料理人もいるが、「厳選された新鮮な食材」をうたい「究極」をめざすなら、よい食材、とりわけよい水がある地方に根をはるべきなのだ。

日本で最も美しい村連合の浜田会長も、イタリアの最も美しい村連合に加盟の村には、たしか人口500人ほどの村だったが、そこのレストランの料理を食べに世界中から人が集まってくる、そういうレストランを日本で最も美しい村にもつくりたいと熱く語っていた。

東京に売り込もうとすれば、東京モデルに従わざるをえなくなる。都会の消費主義、ワガママな客、都会論理の競争に振り回され買いたたかれ、そのうえ生き残れる確率は低い。邑南町観光協会の取り組みは簡単なことではないし、ずいぶん大変なことだと思うが、こういう自分の足元をみた「自立」の動きがもっと出てくることで可能性が開けるし、面白くなりそうと思ったのだ。

ajikuraの公式サイト
http://sozaikobo-ajikura.com/

東京の側も、東京にすりよってくるものを相手にしているのではなく、お互いにとってよい、地方を「植民地化」せずに生きていける道を求めなくてはならない時期にきているのではないか。

しかし、この号の表紙の写真のお粗末なこと。お粗末とか、手抜きとかではなく、ハッキリまちがいだろう。特集1が「ずっと行きたかったあの場所へ グリーン・ツーリズム 夏の旅」で、この表紙の写真は、これ、グリーン・ツーリズムではなく、農林水産でもなく、尾瀬あたりの、単なる山旅か登山観光の写真ではないか。JRのパンフみたいだ。こういう仕事は、あらためてほしいね。

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