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2014/08/30

ゴー・ビトゥイーンズ展のち新宿で飲み。

森美術館で開催中の「ゴー・ビトゥイーンズ展」。内覧会の案内と招待券をいただきながら行けないでいるうちに、会期は8月31日までと迫っていることに気がついて、昨日行ってきた。Hさんに行くことを伝えると、それなら夜は飲みましょうとなった。

「ゴー・ビトゥイーンズ展 子どもを通して見る世界」は、インスタレーションとアニメの映像が多く、見るのに、けっこう時間がかかった。しかし、おもしろかった、というか、なかなか充実した、力のこもったよい催しものだった。

高知県立美術館の川浪千鶴さんが、学芸員レポート「ゴー・ビトゥイーンズ展──こどもを通して見る世界」に書かれている。
http://artscape.jp/report/curator/10101438_1634.html

「この展覧会は子どもをテーマにしてはいるが、子ども向けではない。可愛いわかりやすい作品満載でもなければ、昔、子どもだったおとなたちへ贈るといったノスタルジックな口上付きでもない。これは現代を生きるおとなのための展覧会、おとなが「生きる力」を取り戻すための展覧会である。東日本大震災以降の世界に暮らす私たちは、ぼんやりとした影のような不安をつねにまとっている。美術館は鑑賞教育を通じて子どもたちが「生きる力」を得ることに貢献できると私はこれまで何度も語ってきたが、いま「生きる力」は子どもだけでなく、おとなにこそ必要なのかもしれない。」

この場合の「生きる力」には、さまざまな意味が含まれるだろう。その意味そのものを、考えさせてくれた。

最近も、たかの友梨の「パワハラ」やワタミをはじめとする「ブラック企業」が、うさんくさく問題になるたびに、その経営者たちの開き直りともとれる発言は、法認識以前に、アイデンティティや世界観の所在に問題があるように感じていた。

「有名」になることや「出世」や「成功」や「金儲け」は悪いことではないが、それがアイデンティティのようになって、人間として「在る」その在り方に、なにか欠けている。そんなことは考えたことがなさそうにすら、見える。

そして、これは、彼らのような大企業や有名企業の経営者だけではない。もっと小さな成功の過程にあり、もっと小さな権力(少しでも思いのままにできる力)や権威(少しでもチヤホヤされる威力)を手に入れているか、入れようとする過程でも、よく見られることでもある。そういうことが多くなった感じがする。過剰に競争意識を煽る「新自由主義」の風潮が空気のような日常になってからは、とくに。

日本には、まだまだアイデンティティに無頓着な土壌があり、アイデンティティと組織のアイデンティティの区別もつかないし違いもわからない「大人」が、けっこういる。

ある上場をめざす企業の社長は、おれにこういった。「社員たちは、ここで(つまり「彼の」会社で)禄を食んでいるのだから、黙って私の考えや指示に従うのは当然だ」。おれは、おどろいて、彼を見た。大学院まで出た男が、何をいうのか、そんな考えで、まっとうな上場企業になれるだろうか。だけど、アンガイこういう考えがスルリと通ってしまう状況もある。いったい、こういう人たちのアイデンティティの形成は、どのように行われたか、気になっていた。

という話しは関係あるかどうかわからないが、展覧会を見ながら、そんなツマラナイことを思い出していた。

展覧会には「環境に翻弄されつつも、境界を超えることで閉塞した状況を突破する子どもたち」の姿があったわけだけど、そこには同時に、翻弄し翻弄させる大人もいたし、子どもと一緒に境界を超えることで閉塞した状況を突破する大人もいた。自分の「生きる力」は、どこに求めるべきか。という見方もできた。

それにしても、先の学芸員レポートにある、「中国が進めた一人っ子政策の結果、大勢の少女が養子縁組でアメリカに渡った。ジャン・オーの、中国人の幼い娘と白人の父親という組み合わせの家族写真を前にするとき感じる奇妙な居心地の悪さ」は、醜悪すぎて吐き気をもよおすものもあった。

「痛みと葛藤の記憶」のコーナーの展示、ストーリー・コーによるアニメ、「貧しいメキシコ移民の母と娘、アスペルガー症候群の息子と母の対話」は、素晴らしかった。やさしく鋭く現実に迫っていた。

おれは、自閉症の兄を持つ若い知人の家族を思い出した。その家族は、自閉症の兄を持ったことを、マイナスと思っていない。その兄がいるおかげで、家族は思いがけない経験をし、成長できたと思っている。実際、素敵な人たちだ。

そもそも、子供を持つことは、家庭だろうと社会だろうと「異物」を引き受けることであり、お互いに思うようにならない何かを引き受けることでもあるのだが、いわゆる「障害」を持った子供の場合は、その「異物感」は、いやがおうでも増す。それは、自分の思うままにならないことから、何かを学んで「生きる力」をつけるよい機会でもあるのだが、「成功モデル」しか頭にない人たちは、そうは考えない。おれが経営に関与していた保育園にも会社にも、「障害者」がいて、「邪魔な異物」あつかいされることから、いろいろなことがあった。

「健常者」が自分の思う通りにならないと、キゲンを悪くしたり、怒ったりし、自分の思うままに従わせようとする。近頃、モンスター消費者も含め、よく見かける。

人間的な成長がなくても、「成功モデル」を生きる理念や知識や能力や要領のよさや社交性などがあれば、「生きる力」になる。ってことになっているのだな(よくビジネス本に書かれているけどね)。

いちばん驚いた展示は、「記憶をテーマにした制作を続ける塩田千春の、3歳以下の幼児にお母さんのお腹の中にいたときや産まれたときの思い出をインタビューした《どうやってこの世にやってきたの?》」だ。

よく3歳以前の記憶は失われるといわれ、そこに怪しげなスピリチュアルがはびこったりするが、これは、そういうものではない。大人の勝手な解釈による3歳以前のことではなく、映像の中で3歳以前の子たちが、しゃべりまくるのだ。いやあ、おもしろくて、なぜか気分がスカッとした。

おれの中で、3歳以前は、どうなっているのだろう。この世にやってきたときのことなど覚えがない。いま3歳以前のお子さんがいる方は、おなじインタビューをして映像に残しておくとよいかもしれない。

「フィオナ・タンの《明日》では、大小2台のスクリーンにスウェーデンの高校生が数十人登場する」。これも、おもしろかったな。とくに、映し出された、自意識。もうおれにとって、高校生は、はるか昔のまぶしい時代のことだ。「明日」もだいぶ消費してしまって、いくらも残っていない。

とにかく、いろいろなことが思い出され、考えることの多い展覧会だった。

で、18時15分にHさんと合流、待ち合わせの新宿のイーグルへ。イーグルは、前回一杯で入れなかったところだ。そういえば、前回も新宿だったのだな。その前は、新橋で、今年に入って何回目だろう。

もう何度目か、定番メンバーはHOSTになるから、こう呼ぶことにしよう。それにスソさんも加わった、もう一人の参加予定者は来られず。まあとにかく、食べて飲んで、しゃべった。

Oさんの仲間の引っ越し騒動の話しは、おかしかったけど、笑えない。でも笑ったけど。そのことで、Oさんは1か月ほど、毎日二日酔いか二日酔いになりたい気分だったというが、Oさんのように、売れっ子で鎌倉に住んで華やかな「成功組」という感じの人や周辺にも、いろいろ不安はあるのだなあ。それに、元オリーブガールズも、これから家族のことやらなんやら、まだ面倒なことが残っているってわけだ。面倒があるたびに、思い通りにならないことを引き受けて、人間は(個人も社会も)成長する、と思えばいいさ。この展覧会を見たあとは、そういえる。

で、二軒目は、フロイデ。

いやあ、「生きる力」がついた、昼と夜だった。

スソさんの帽子展は、10月中旬とのこと。病気から回復後の、ひさしぶりの帽子展だ。楽しみだなあ。

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2014/08/28

「大衆食堂」という世界観とデザイン、あるいは、世界観やデザインとしての「大衆食堂」。

昨日、下北沢の「B&B」で、立道嶺央×内堀敬介×三根真吾「コミュニティデザインってなぁに?〜鎌倉の街とお店篇〜」というトークがあった。興味があったのに、残念ながら行けなかった。

奇特な方がおられて、‏@kazuneiwasa(https://twitter.com/kazuneiwasa)さんという方だが、 トークの内容を、ツイートしてくださっていた。これが、とても要領を得ていて、ご本人の注釈のようなものもついていて、話の流れと大事なポイントがよくわかる。ありがたや。

で、そのなかに、こういうのがあって、おっ、と思った。

内堀敬介さんは「食堂COBAKABA」の店主で、お店は、ナチュラル風おしゃれカフェという感じだが、「大衆食堂」として考えていたらしい。

これに、「これは!バウンダリーオブジェクトとしての大衆食」とある。これは、たぶん‏@kazuneiwasaさんの注釈というかメモと思うが。

@COBAKABAさんのツイッター(https://twitter.com/COBAKABA)のプロフイールには、「2006年小林カバン店から転身。普通の家族から始まった家庭料理の日替食堂。 今は地域の人達と共に老若男女、『食べる人』も『作る人』もみんなで『食』が共有できる。そんな銭湯のようなコミュニティを目指しています」と。

とても、おもしろい。よい刺激になった。

(8月29日追記)
上記@kazuneiwasaさんのツイートのまとめ。
http://matome.naver.jp/odai/2140914528558805101
鎌倉のヒグラシ文庫で何度かお会いしたことがある野原海明(@mianohara)さんもツイートし、まとめをしていた。
http://togetter.com/li/712291?page=1

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2014/08/27

厨房が汚い店は料理もまずいか。

厨房がピカピカきれいな店は料理もうまい。という話しがある。ピカピカな厨房から料理人の仕事ぶりがわかる。というのだ。ほんとうに、ピカピカ厨房と料理の味に因果関係があるのだろうか。

「ピカピカな厨房から料理人の仕事ぶりがわかる」というのは、わかりやすい話しではある。反論し論破するのは、難しい。

でも、「因果関係」は、ないと思う。統計をとれば、きれいな厨房のほうが多く、そこではうまい料理が多いということにはなるかも知れない。だけど、そのデータ自体は、因果関係を示してはいない。

もしかすると、味は普通、あるいは普通以下でも、客席も厨房もピカピカの場合、それを見た客は感動して、実際の料理の味以上にうまく感じることがあるかもしれない。間違いないく、「清潔感」が味覚の好感度におよぼす影響はあるだろう。

おれも、飲食店の経営に関係していたころは、厨房を清潔かつきれいに保つよう、うるさく見ていた。飲食店だけではなく、コンビニの仕事のときも、店をまわるときは棚のほこりまで必ずチェックしていた。白手袋をして棚をなでるようなことまではしなかったが、そうするスーパーバイザーも珍しくはなかった。

でも、それと料理の味とは関係ないと思っていた。なのに、なぜそうするかは、やはりわかりやすい見た目の印象が大事と、それも含めたマネジメント上からの必要性からだ。味そのものは別の問題なのだ。そもそも両者は、違うシステムのことだ。それを一緒にしたがる、精神や道徳、宗教(とくに儒教)がある。

東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、まもなく2年。月に1回の掲載だから登場の食堂は20をこえるが、この中に、汚い厨房が2店ある。「とても汚い」といってもよいぐらいだ。しかも、2店とも、オープンキッチンのように客席から厨房の中がよく見える。

厨房が汚いと料理もまずいと考えるひとにとっては、その汚れぐあいと、出てきた料理のきれいな盛り付けとうまさのギャップの激しさに、卒倒するか茫然とするだろう。

個人の家庭でもあることだ。知人の台所はすごく汚い。なにしろ、その夫妻は「グルメ」で、料理によっては炭のコンロを使うから、台所を土間にして、そこにはコンロをはじめ、炭や炭の粉、さまざまな調理道具が散らばっているのだ。

だいぶ前だが、ユーミンがユーミンを名のっていたころ、中国旅行し、たしか奥地の婆さんの餃子をごちそうになった。その台所もきれいではなく、餃子を作る婆さんの手も、ユーミンは気持ち悪さをうまく表現していたが、餃子がすごくうまかった話しを、ラジオでしているの聴いた。そんなもんだよなと思った。

右手と左手がバラバラに動くように、別なことなのだ。

もちろん、料理人が自分の厨房をピカピカにしているのを誇ることについては、何もとやかく言う必要はないだろう。それは、彼の料理とともに彼の誇りであろうからだ。

だけど、客や、どこにでもいる評論家やライターのような立場のものが、それをわが実践によって確信しているかのように(つまり自分も、その料理人と同じほど、厨房や料理のことをやって知っているのだぞ、ピカピカないい仕事をしているのだぞ)という感じでいうのは、チョイと違うんじゃないかと思う。

台所を毎日磨きたてるようになれば、料理が上手になるのか。あなたは、そうしているのか。

っていうと、理屈っぽくなるが。

家庭の料理にしても、寝る前に洗い物を片づけているとか、料理が出来上がったときには洗い物が片付いているのは、うまい料理を作る正しい主婦としてはアタリマエ、といった話もあるが、ほんとうにそういうことなのか。

ああでもないこうでもないと考えているところに、今日は、ツイッター経由で、シノドスの「データに騙されないための3つの方法――「社会実情データ図録」管理人に聞く」本川裕×飯田泰之、を読んだ。
http://synodos.jp/society/10412

この話には、チョイとそうかな、違うんじゃないかというところもあるけど、「日本のジャーナリズムをみていると、どうも近代医学的というよりは、漢方医学的、あるいは民間療法的なんじゃないかと思うようになっています」ってあたりは、うなずける。前近代的な思考や感覚がまかり通っているというか。

「日本のジャーナリズム」というと特殊な人たちのことのようだが、既存のメディアはもとより、インターネットやら様々なメディアを通じて、たくさんのひとが発言しジャーナルしている。そのなかで、いまあげたようなピカピカ厨房とうまい料理の味の関係が「通説」になっているわけだが、同根のことがあるようだ。

姿勢が悪い人間、箸の持ち方が悪い人間(おれは箸の持ち方が悪い)は、人間として普通以下のように言われるようなことも関係するだろう(おれは、普通以下でもうれしいが)。ビジネスの界隈では、仕事ができるやつは机の上がきれいだとか言われたりするな。

厨房についていえば、少なくとも、家庭や個人経営と会社経営では、大いに違う。

わかりやすい通説は、しょせんわかりやすい通説にすぎない。そのほうが、いまの日本では、話としては通りやすいということだ。それを鵜呑みにするのは、思考が怠けているだけで、ピカピカの厨房でマニュアル通りの仕事をしているようなものかも。

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2014/08/26

ジェントリーフィケーション三河島のマッコリ醸造場で。

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前回は秋津から新所沢と小旅行気分で泥酔したIYT、今回は、台湾と韓国の大衆食に通じるYさんの手引きで、三河島の韓国料理店にしてマッコリ醸造場の「ママチキン」に舞台を移した。

そして、初顔合わせの、『台湾一周!安旨食堂の旅』(双葉文庫)の著者、光瀬憲子さんと、あとから、Iさんの会社の和食部門の事業部長Kさんも加わって、とにかく生マッコリを飲みまくった。

00118時にJR三河島駅集合だった。ロケハンやら打ち合わせを片づけて、早めに着いた。三河島は何年ぶりか、なんと、このホームも狭く貧相な駅の隣に、30数階の再開発高層マンションがドーンとそびえているではないか。ぎゃあ、ついに三河島もジェントリーフィケーションに呑み込まれるのか。

都心でも貧乏人が住めるところを残しておいてほしいなあ。だいたいね、町を面白くしているのは、一流だか中流だかのジェントリーな人たちではなく貧乏人だよ。

ペッと唾して、昔のままの安普請がひしめく路地に入る。かつてポシンタンがうまかった食堂は無くなっていた。ところどころ、ポツンポツンと、この地に似合わない、こじゃれた飲み屋ができている。これもジェントリーフィケーションの影響だろう。しかし豚太郎は健在だった。豚太郎、頼んだよ。

18時に駅でYさん、光瀬さんと合流。Iさんは遅れるというので先に店へ。Iさんは19時過ぎに、21時ごろにKさんも到着。

「ママチキン」は、うっかり通りすぎちゃいそうな地味な佇まい。だいたい西のコリアンタウンと比べると三河島は貧乏くさく地味、だけど安くて旨いってのがよいのだ。お店の中も、ようするに気取らない韓国大衆食堂。「ママチキン」のポスターパネルだけが、新しく光っていた。

おばさん、いや、おねえさん、いや、ママさんも、地味で、だいたい頭を剃っている。話していたら、オーナー家庭の一員ではあるが、本物の尼さんで、手伝いに来ているうちに尼さんのほうへもどれないでいるらしいとわかった。精進料理も巧みなようで、最低人数6人揃えば、ここで精進料理も作ってくれるというので、こんど食べに行くことにしたのだが、まずはマッコリとチキンだ。

生マッコリは店の裏の工場で造っている。ちゃんと醸造の免許を得ているのだから、都区内唯一の酒醸造場といえるか。やはり生マッコリは鮮度がものをいう酒だから、これはよい。一口飲んだ瞬間、乳酸菌の鮮度のよさがわかる。店の入口に、「周王山醸造場」の看板がさがっている、つまり「周王山」ってのが銘柄だ。

そして「チキン」。これは、フライドチキンあるいは唐揚げという類だが、どちらとも少しちがう。韓国では人気で、すごく食べられていると初めて知った。その韓国で人気のチキンを日本でもと始めたのだ。で、店名もわかりやすく「ママチキン」だが、ほかの料理もたくさんあって、どれも食べてみたくなる。

チキンは、甘辛のタレがかかっているのとかかっていないのがあって、どちらも食べてみたいからハーフアンドハーフにした。それからニラチヂミ。

注文すると例によって漬物とマッコリが出てきた。あちこちへこんでいるアルマイトの小さなボールで飲むのもよい。

最初はやかんから注いで飲んでいたが、とにかく、うまくてどんどん飲める。ボトルからやかんに移すのも面倒になりボトルのまま、ついにはYさんが自ら冷蔵庫からボトルを取り出して飲むようになったのだが。18度もある酒なのに、そんなにどんどん飲んでよいのか、と、誰も言わず。

チキンは、北九州で食べたトリ天がいちばん近い。もしかすると北九州のトリ天は、韓国と関係あるのか。トリ天より大きなカタマリだが、加圧調理はなく、そのまま揚げているとのこと。脂っこくなくあっさり、いくらでも食べられるのだ。だから、最初にこれを食べすぎて、ほかの料理があまり食べられなくなった。

光瀬さんのこれまでの、アメリカ、台湾、中国本土を股にかけた波乱にとんだ(仰天・爆笑)の話しも、よい酒のつまみになり(もっと聞きたかった)、自然に酔いの淵に流れる。

出店のたびにプレスリリースをいただいているのだが、Iさんは、この暑い夏の最中でも新規出店が続き、少々疲れているようであった。もうまもなく400店になるだろうに、一店一店が手づくりのように業態も店名も違う出店が多いから、優秀な才女で知られるIさんでも、こう出店が続いては大変だろう。ま、ほどほどに、といっても、ほどほどにできないのだから、仕方ないか。こんどはKさん管轄の和食の店にも行ってみよう。

22時半ぐらいまで飲んでいたかな。いつものように、ただただ愉快で楽しい飲み会だった。

ママさんは一人で、大忙し。ときどきテレビ見たり、ときどき話しに加わっては、また厨房へと。

ママさんがサービスしてくれた、カボチャとニラのチヂミもうまかったな。最後の写真、すごくうまかったのだけど、名前を忘れた。

そうそう、『台湾一周!安旨食堂の旅』は6月に発売になったばかりだが、続編の発行が決まったそうだ。けっこうなことだ。年内は、おれが余裕がないため来年になるが、なるべく早く、Yさんと光瀬さんとおれとで、韓国、台湾、日本の大衆食堂についてのトークをやる予定。

ママチキンのサイト。
https://sites.google.com/a/green-rd.com/green-road/mamachicken

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2014/08/25

『瀬尾幸子の楽ちん台所塾』 文藝春秋から8月30日発行。

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瀬尾さんの新刊『瀬尾幸子の楽ちん台所塾』(文藝春秋)をいただいた。週刊文春での人気連載(隔週)09年9月~14年3月を単行本にまとめたもの。「ラクうま料理の発想法」、エッセイにレシピ付き。

先日の飲み会で、連載の初期を担当した編集さんに会ったとき(彼はいま違う編集部に異動)、「来年本になります」と聞いていたのだが、昨日トツゼン届いたのでびっくり。しかし、あの連載、もう4年にもなったのか。ってことは、あのひとも、あのひとも、あの…、4歳としをとったってことだ。

それはともかく、「難しい料理ができたらカッコよく見えるかもしれないけど、大事なことはおいしくて楽しいこと」って、瀬尾さんらしい生活の料理に対する「発想」が盛りだくさんの本だ。

料理は毎日のことだからね。とかく男は、料理でカッコつけたがるし、近頃「料理男子」がチヤホヤされているが、男も女もない、料理はカッコじゃない、おいしく楽しく! そうすれば日々の料理も人生も楽しくなる。

文藝春秋のサイト
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163901152

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2014/08/23

都会の残酷さ。地上げと禁煙の風景。

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一昨日、21日の木曜日は、急遽ロケハン兼打ち合わせで、神田司町の「みますや」へ行った。17時の待ち合わせだったが、少し早めに着いてしまい、店は17時の開店だから、その周りをふらついた。

淡路町交差点の裏あたり一帯は、地上げの跡が虫食い状態で残っているところだ。地上げされるまでは、家々が境の敷地もなく壁一枚で長屋のようにつらなっていた。地上げされた家から取り壊され更地になり、さらに駐車場になったりするが、地上げされない家は、壁一枚でつながっていた隣が消えたあとは、トタンを打って外壁にして残っている。そういう、「無残」ともいえる姿が、あちこちにあるのだ。

なかでも、このたばこ屋と隣の地上げ地を見たときは、都会の残酷さを感じた。というのも、地上げされないで残っているたばこ屋の隣接地は、例によって駐車場になっているのだが、その一角が、露天の「喫煙所」になっているのだ。

いまでは、路上はもとより、オフィスでも禁煙が普通になったいるから、通りすがりの人だけでなく、あたりのビルからここに来て一服していくひとも多い。

禁煙を含めた「まちづくり」「環境づくり」には、もっとほかにやりようがないのか。いかにも力まかせの、なんとも残酷な風景だと思った。

集積度を高める一方の東京で、しだいにそういう風景にならされて、気がつけば、お互い他者に残酷になれる人間になっているのではないか。都会もひとも残酷度が増しているのかも知れない。大らかさを失った、容赦のない不寛容な美しいまちづくりは、こうして進んでいるのだな。地上げと禁煙ファシズムに耐えて残ってきたたばこ屋と喫煙者の風景から、そんなことを考えた。

みますやは、まだ両隣が残っているが、もう容赦のないビルが迫っている。

みますやのあとは、編集さんの会社に立ち寄り、のち銀座で2軒ハシゴして、泥酔帰宅だった。

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2014/08/22

いま、森を見よ!、「ヤブクグリ」。

「いま、森を見よ!」と、ヤブクグリプロデュース係の江副直樹さんは呼びかける。

「ヤブクグリは、この国の森のことが気になっていて、何かをしなければと思い立ち、実際に腰を上げた人たちの集まり。理由はないけど、なぜか何かできそうな予感に覆われている。/森を見れば、山を想うことになる。/山を想えば、川を知ることになる。」

ヤブクグリのサイトはこちら。
http://yabukuguri.com/

先日、『四月と十月』の次号、10月発行号の原稿の締め切りがあって、編集長の牧野伊三夫さんとメール交換しているうちに、林業のことになり、牧野さんも参加している「ヤブクグリ」のサイトを教えてもらった。

牧野さんが、岐阜の飛騨や、大分の日田で林業に関係することをしているについては、なんとなく知っていたが、この「ヤブクグリ」のサイトを見たのは初めてだ。なんだか、とても面白いし、林業とは無関係でいられないおれにとっては、元気の出ることだ。

数年前にタイショーとでれでれ始めた「日本森林再生機構」という名前だけ大それたものも、とにかく集まって飲みながらでも、「森林再生」を考えていれば、先の江副さんが書いているように、「理由はないけど、なぜか何かできそうな予感」があった。

タイショーは、ここのところ飲食店の開業などで忙しかったようだが、またたまには、「日本森林再生機構」をやろうと思った。やろうじゃないか、タイショー。

森を見れば、山を想うことになる。
山を想えば、川を知ることになる。

たいがいの都市は、その川辺や河口にある。

そして、牧野さんがいうように「山から眺めると、この国のいろいろなことが見えてくるな」と思う。

この秋には取材で北九州まで行くので、取材のあと日田を訪ねてみたい。

当ブログ関連。これが第三回の「日本森林再生機構」の活動だった。
2007/11/07
メープルシロップのかえで植林地を探しに。

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2014/08/20

東京新聞「大衆食堂ランチ」22回目、川崎・丸大ホール本店。

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まだ暑さは厳しいし、「夏休み」などないのだが、なんとなく気分は夏休み。ぼーとしていたが、先週の15日は8月の第三金曜日で、東京新聞に連載の「大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は、川崎の丸大ホール本店の「野菜炒め定食」だ。すでに、東京新聞のサイトでごらんいただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014081502000184.html

例によって、サイトには本紙に掲載の外観はカットされるので、ここにその写真をアップしておきます。この外観は、いつみても頼もしく、ほれぼれする。「労働者の町、川崎」の誇りだろう。

いまや大都会の「労働者的大衆食堂」という意味では、北は大宮のいづみや、南は川崎の丸大ホール、といっても差し支えないと思うが、この二店には、共通点がある。それは、どちらも、客席を担当している、それなりに年輩の「おねえさん」たちが、じつに巧みに客の男たちをさばくことだ。とくに、会話の絶妙なこと、店の雰囲気の要になっている。

今回は、ひさしぶりに2回ほど続けて丸大ホールへ行ったが、絶妙な会話の特徴点に、気がついた。マニュアルがあるわけではないだろう両店だが、こういう店を慕ってくる男たちを巧みにさばく、独特の会話の方法があるようだ。もっと、いづみやと丸大ホールに通って、確かめたいと思っている。

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2014/08/15

お盆休みと鈴木常吉ライブ@北浦和クークーバード

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10日は台風の影響で一日中風強く雨模様だった。11日は朝から風は強いが晴れた。10時半ごろ家を出て熊谷、秩父鉄道経由で秩父、バスに乗り換え、小鹿野町で買い物、山奥の家に着いたのが16時ごろだった。

掃除をして風呂に入り、あがってアジのなめろうを作ったほかは、まいどうまい七平とうふの冷奴、畑のトマトやキュウリを切っただけ、酒を飲み始めた。

ビールのあと、焼酎を農協の売店で買ってきたカボス100%ジュースで割って飲んでいたら、どんどん飲めた。泥酔記憶喪失のまま寝てしまった。

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12日朝方、寒くて目が覚めた。夏掛け一枚では足りず厚い布団もかけ、寝なおした。天気は一日中雨。雨脚が強くなったり弱まったり。谷川の水量が多く、ごうごう音が響く。家がある谷間は、靄がかかったようにぼんやり、山肌を霧がたなびく。寒くて長そでシャツと長ズボンに着替え、ごろごろしながら、酒を飲み、うどんを冷汁で食べる。ようするにクウネルノム。夜は夏掛けに厚い布団を掛けて寝た。

13日は晴れた。クウノム、ただそれだけ。七平とうふの冷奴、畑のトマトやキュウリ、畑のゴボウとニンジンのキンピラ、ミョウガやナスやオオバの天ぷら、冷汁うどんなど。

029天気がよいので家の周辺をぶらぶら。すぐそばの沢は、いつも干すことはないが、たいがい水がしみるていどに流れているだけなのに、めずらしく「流れ」になっている。沢ガニが棲んでいるのだが、流されてしまったかもしれない。

この沢の上に、この家の自家水道の取水槽がある。家の前の谷川をはさんで、こちらと対岸では地質がちがうので、水質もちがう。こちらは軟らかく、対岸の水は硬い。

昼すぎ、「お盆さま」を迎える準備。このあたりの家は、地所のどこかに芭蕉が植わっている。この家の場合は、前の川原の一段高いところにある。その葉を二枚切って、さらに両端を切り落としサイズ形を整え、仏壇の前にテーブルを置き、その上にひく。写真やお供えを飾り、迎え火の準備ができる。

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昔は、15日の送りのときに、飾りを片づけ、いらなくなったものはこの葉に包み、しばって前の谷川に流したらしい。

「お盆さま」を迎える準備が整ったところで、14時過ぎのバスに乗って帰って来た。

きのう14日は、北浦和クークーバードで鈴木常吉さんのライブ。20時スタートだったが、開店の18時過ぎに行って、すでに飲んでいた常さんとおしゃべり、終わったあとも常さんとおしゃべりしながら飲み、たっぷり楽しんだ。常さんのうたいっぷりは快調だった。最後のアンコール?Summertimeのカバーもよかった。これでお盆休みも、オワリ、という感じ。

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2014/08/10

建築家は、ずいぶんたくさんのことを考えているんだなあ。

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ときどき、建築家というのは、大変な思索家だなあと思う。建築家は、ずいぶんいろいろなことを感じ、知り、考えているんだなあと思うことがある。書いたものなどもすごく面白い。

そこへいくと、文章家というのは、あんがい感じ方も知識も偏っていたり弱かったり、思索を深めるより文章のテクニックでごまかしたり、思考は浅くて薄っぺらでツマラナイと思うことがたびたびだ。

7月29日、北浦和にある埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家」展を見に行った。そして、やっぱり、建築家というのは、ずいぶんたくさんのことを考えているんだなあと思った。

もちろん、ここに展示された16人の建築家は、戦後を代表する有名な方ばかりだが、戦後を代表する文章家と比べてみると、ようするに文章家というのは、文章業界の枠におさまるような人たちばかりだと思い当たる。

建築には、宇宙(自然)、都市、環境、地理、地質、人間、生理、心理、生活、欲求、家族、個人、公共、家族の距離、未来、小さなネジ一つまでその進化、さまざまな資材の性質、技術、国策、思想、芸術…とてつもなくいろいなことが関係しているのだから、その思索の広く深いこと、資料を集めたり取材して「いい言葉」を拾えば書けるような文章を書いているのとは、わけがちがうのだが、しかし、飲食や料理にしたって、おなじぐらい、いろいろなことが関係しているのだ。

この展示は、それらを住宅という器におさめた戦後伝説として見ることもできたし、ずいぶんたくさんのことを考える建築家の脳ミソのなかの一部ぐらいは、のぞくことができた。

って話はとにかく、この展示がよかった。住宅を会場に造るわけにはいかない。そのかわり、原寸大の写真を効果的に展示し、その家をそばで見たり、なかに入って見たりしているような感じを、うまくつくりあげていた。それと、設計図と模型とビデオの解説で、思う存分楽しめた。

住宅は、建築家自身のためのものもあれば、依頼されたものもあった。大きな家もあれば、「70坪の敷地が買える郊外よりたとえ6坪でも都心に」と6坪の敷地に建てた、東孝光の「塔の家」のような「小さくて狭い」と感じてしまいそうな家もあった。黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」の、カプセルの一つだけは、美術館の前の公園に現物が展示されていて、中に入ることはできないが、窓越しに中を見ることができた。

こういう家には住みたくないねとか、おれならこの建築家に依頼しようとか、ツマとしゃべりながら見るのも楽しかった。

1953年の丹下健三の「住居」から、1976年の安藤忠雄の「住吉の長屋」まで、この年代のせいか、台所は、どの家も割と狭く、この狭さでどんなものを作って食べていたのだろうと思うこともあった。

「挑発する家・内省する家」というサブタイトルも面白く、見ているうちにナルホドね、では、「挑発する料理・内省する料理」ってのは、どうかと考えてみたりした。「実直にモダニズム建築をつくりたかった」という磯崎新の「新宿ホワイトハウス」は、いちばん気に入ったのだが、これは大衆食堂とその料理でもあるなと思った。そのように、建築家の思索を、飲食や料理に置きかえながら見るのも楽しかった。

と書いているうちに、時間がなくなったので、これまで。あとで書き足すかもしれない。

6坪に建つ「塔の家」について書きたかったけど、とりあえずカタログの写真だけ。最初から廃墟のような写真だけど、これが、いやはや、考え抜かれた「生活の塔」という感じでして。

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2014/08/09

「リーズナブル」という考えのない、際限ない「品質主義」。

まとまりのない考え事のメモ。

最近のゼンショー「すき家」第三者委員会の報告と話題は、直接的には「ブラック」といわれたりする「過酷労働」の問題だけど、理想主義的ともいえる品質追求についても一部では問題にされていて、これまであまり批判されることなく正しいとされてきた「品質主義」を考え直すよい機会のような気がしている。

飲食サービスやスーパーの経営者は、儲け主義の強欲者が多いように見られがちだけど、よりよい生活のために真摯に品質を追求している経営者も少なくない。おれが仕事で付き合ってきた経営者などは「真摯な商売」なんかアタリマエという感じがほとんどだった。A商品を置けばもっと儲かるのに、地域のためにはよくないとやめたり、惣菜の開発で、この値段ならこの味で妥当というセンにいっているのに、高級店並みの味にしようとして、それができないため投じたカネを無駄にしたり。それはもう宗教がかっている感じもあって、こと「品質」になると、このひとたちは求道的でこだわりすぎと思うこともあった。

実際に、これらの業界の経営者には新興宗教の信者も少なくなく、飲食業や流通業の経営者に人気の宗教もある。とても紳士で真摯な信者なのだ。それが「品質主義」に向かう。

最近亡くなった、某有名コンサルティング会社の創業者などは(このコンサル会社は飲食業や流通業を主な顧客にしているのだが)、まるで教祖様のようだったし、教祖様のように崇拝するクライアントの経営者もたくさんいた。ヤバイんじゃないのと思うぐらいスピリチュアルなことをいい、晩年には、そのテの雑誌も出していた。その品質主義は神がかっていた。

日本でよく売れるビジネス書といえば、数字なんか関係ない「経営哲学」の本だ。「経営哲学」といったって、成功の実績がなければ振り向かれないのだから、本質はカネなのだが、それはビジネスとして当然だろう。「松下哲学」なんぞは、かなりの威力を持っていた。最近でも「稲盛哲学」なる本が、「何万部突破!」という車内広告にあった。「経営哲学」なんていうが、哲学ではなく「精神論」「心構え」がほとんどじゃないかという批判もあるが、とにかく、ゼンショーの社長の「品質主義」は、もし「過酷労働」が問題にならなかったら、当然過ぎて話題にもならなかったかも知れない。

そこが、品質主義のアブナイところのような気がした。とくに要求するだけの消費者の存在。いつの間にやら際限のない品質主義にはまっているのではないか。

知り合いのアメリカ人ビジネスマンが、日本人には「リーズナブル」という考えが通用しないと嘆いた。予算、用途、環境や条件などに関係なく、際限なく品質を求めるというのだ。

品質は「よければよいほどよい」というのは、一般論であって、現実社会でそのように実行すると、どこかしらに無理が出る。たいがいは無理が出ないところでおさめる。これ「リーズナブル」ではないかというと、彼は、いやそうではない、それは結果的におさまったのであって、「リーズナブル」という考え方があってのことではない。品質に対するクレームのつけかたは度を過ぎている。品質に対する要求の基準は、どこにあるのだ。「よければよいほどよい」という考えしかないのではないか。と、嘆くというより、怒る。

いやあ、クレームねえ。そういえば、『ブラック企業 VS モンスター消費者』(以前当ブログでも紹介した、今野晴貴・坂倉昇平、ポプラ新書)では、この「リーズナブル」という考えとブラック企業やモンスター消費者の関係はふれてないが、ブラックもモンスターも「リーズナブル」の欠如や逸脱と考えてみるのもよいかと思った。

「リーズナブル」という考えのない際限ない「品質主義」が、ブラックやモンスターの背後にあるかも知れない。

最近、ツイッターで、このようなツイートを見た。

@little_fish05さん。8:00 - 2014年7月26日

わが国では、おそらく高度経済成長期における専業主婦層の拡大が、庶民の家庭生活に要求される家事レベルを無駄に引き上げたのではないかと想像できるので、共働きが当たり前になった現代にそのレベルをそのまま維持するのは無理だと思う。
https://twitter.com/little_fish05/status/492806665117261824

これに、こういう引用RTがついていた。

@YukoOhnakaさん。10:49 - 2014年7月26日

“@little_fish05: 高度経済成長期における専業主婦層の拡大が、庶民の家庭生活に要求される家事レベルを無駄に引き上げた”
本当に「無駄」。キャラ弁とか、おかずを何品も並べて洗い物をやたらと増やすとか。家庭は仕出し屋じゃない。
https://twitter.com/YukoOhnaka/status/492849091060064256

これは面白い指摘だと思った。家事レベルの「品質」だけのことではない。

「高度経済成長期における専業主婦層の拡大」ウンヌンについては検討が必要と思われるが、「品質主義」が脚光をあび、際限のない品質主義の流れが目立つようになったのは、 高度経済成長期が終わったあと、「成熟社会」がいわれ始めた1980年ごろからだったと思い当たった。

1984年4月発行、博報堂生活総合研究所の博報堂トレンド研究会による『コンセプト'84』は、第一章が「「ひとなみ」を超えようとする人たち」で、「頂点(いただき)」コンセプトから始まる。際限なく頂点を求める人たち。「生一本」「知的」「いごこちのよさ」などのコンセプトが並ぶ。そして、「消費者はイスに座って待っている」と。

1990年1月発行、博報堂生活総合研究所による「90年代生活予報」をうたう『社会性消費』では、「社会性消費」の二つの面が指摘されている。一つは、「配慮(これでいいのかな?のアセスメント行動)」、もう一つが、「要求(何とかしてよ!のクレーム行動)」なのだ。

「リーズナブル」という考え方は、どうなるのだろう。骨董では、職人が大衆向けにつくった「駄物」が高い評価を受けることは珍しくないそうだ。「品質」とはなんだろう。

「リーズナブル」と「品質」のほかに、使い方や用い方も関係する。料理でいえば、作り方や食べ方も関係する。

「駄物」や「駄人」じゃ、ダメなの?自分が人の上に立ちたいだけの「品質主義」は、よい「品質」といえるの?

そもそも「質」は、多様性や多面性を考え量るのであって、それぬきの「品質」なんて、インチキクサイね。

そんなことを、とりとめなく、考えている。

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2014/08/08

農水省広報誌『aff(あふ)』7月号、「A級グルメの町おこし」。

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今日、農水省広報誌『aff(あふ)』8月号をいただいて、そういえば7月号で気になっていたことがあったと思いだした。8月号はほっておいて、そのこと。きのうのエントリーにも関係するのだ。

この7月号のトピックスは、「「ディスカバー農山漁村の宝」優良23事例が決定」というもので、「農山漁村」に「むら」というルビがある。このテの政府や中央官庁主導の「村おこし町おこし」は、むかしから「一村一品運動」など、いろいろあって、手を変え品を変え、税金が投入されている。

大きくくくれば、「地域活性化」ということになり、農水省に限らず、各省庁が様々な取り組みをしている。その成果は、まことにこころもとなく、税金の無駄遣いという声もあるが、では地方の衰退をほっておいてよいのか、ということもあり、だんだん難しい事態になっているような気がする。

「WEB4コマ 地方は活性化するか否か」といったものもあり、その41話「繋げていくこと」では、こんな会話がある。
http://minorikou.blog.jp/archives/1006301589.html

「たとえば行政がカネをかけて施設をつくったり、イベントを開催したりする…まあ確かに、施設のオープン時やイベントを開催すると人は集まるだろう」

「人が集まるならいいじゃないですかっ」

「しかし、あくまでも「その時だけ」であって、持続性がない事がほとんだ…せっかく金を掛けるならば「継続的に金を産み出すきっかけ」に繋げなければいけないのだが…ほとんどそうなってないのが今の現状だ」


こういう施設やイベントの残骸が、地方に行けばいくらでも見られる。その「仕掛け人」は、たいがい中央つまり東京の官庁や民間の人間であることが多く、けっきょく政府予算を地方にばらまき、それを東京の人間が吸い上げ、地方を植民地化している、という話しもあるぐらいだ。

「仕掛け人」たちは、仕掛けた施設やイベントが、集まった人数や、どうメディアに取り上げられたかを実績としてネタにし、「これは広告料に換算したらいくらになる」と「成果」を売るのだが、話題だけが踊り、「継続的に金を産み出すきっかけ」に繋がらない。そしてまた、「ディスカバー農山漁村の宝」優良23事例といった、モデルが推奨される。

昨日の「日本で最も美しい村」運動は、そういう政府や中央省庁主導の、いわばヒモ付き予算によるものではなく、参加町村、企業、個人による自立的なもので、そこがかなり違う。

それはともかく、いつまで続く、この連鎖地獄という感じだが、今回のこの記事のなかで、一つだけ気になる事例があった。それは「A級グルメの町おこし「邑南町」希少価値、高級さで逆転の発想!」のタイトルで紹介されている、島根県邑南町観光協会の取り組みだ。

邑南町は、岩見牛やキャビアなど、高級な食材を生産しているそうで、高級食材ゆえに大量生産できない「弱み」を逆に「強み」にしようという発想で、「A級グルメの町おこし」に取り組むようになったらしい。

そして、ネットショップで売上げが伸びているほか、「平成23年には観光協会直営のイタリアンレストラン「ajikura」を開店」というのだ。

観光協会常務理事の寺本英仁さんは、こう述べている。「海外の三ツ星レストランは、食材豊富な田舎にあります。僕らも東京に売り込むのではなく、町内にレストランを作り、生産から加工、消費まで完結させる究極の6次産業化に転換しました」

「究極の6次産業化」はともかく、当ブログでも何度か書いてきたが、この考えは大事になると思う。実際に、すでに地方に店を構えて実践している料理人もいるが、「厳選された新鮮な食材」をうたい「究極」をめざすなら、よい食材、とりわけよい水がある地方に根をはるべきなのだ。

日本で最も美しい村連合の浜田会長も、イタリアの最も美しい村連合に加盟の村には、たしか人口500人ほどの村だったが、そこのレストランの料理を食べに世界中から人が集まってくる、そういうレストランを日本で最も美しい村にもつくりたいと熱く語っていた。

東京に売り込もうとすれば、東京モデルに従わざるをえなくなる。都会の消費主義、ワガママな客、都会論理の競争に振り回され買いたたかれ、そのうえ生き残れる確率は低い。邑南町観光協会の取り組みは簡単なことではないし、ずいぶん大変なことだと思うが、こういう自分の足元をみた「自立」の動きがもっと出てくることで可能性が開けるし、面白くなりそうと思ったのだ。

ajikuraの公式サイト
http://sozaikobo-ajikura.com/

東京の側も、東京にすりよってくるものを相手にしているのではなく、お互いにとってよい、地方を「植民地化」せずに生きていける道を求めなくてはならない時期にきているのではないか。

しかし、この号の表紙の写真のお粗末なこと。お粗末とか、手抜きとかではなく、ハッキリまちがいだろう。特集1が「ずっと行きたかったあの場所へ グリーン・ツーリズム 夏の旅」で、この表紙の写真は、これ、グリーン・ツーリズムではなく、農林水産でもなく、尾瀬あたりの、単なる山旅か登山観光の写真ではないか。JRのパンフみたいだ。こういう仕事は、あらためてほしいね。

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2014/08/07

ようするに、なんてったって、アイデンティティ。

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きのう、おととい、炎天下の都心をウロウロした。

おとといは、新橋や有楽町あたりだったので、ついでに交通会館の地下へ、2012年4月末に閉店した「とりめしぼん」のあとがどうなったか見に行った。

そこは、北海道美瑛町の観光物産案内所になっていた。とりめしぼんだけではなく、隣とその隣にあった、名前は忘れたが3店ほどあったスペースを占めていた。

交通会館には、各地方の観光物産案内の店舗がたくさんあって楽しいが、たいがいは県単位の出店だ。一階には北海道の店舗もあって、にぎわっているのだが、美瑛町単独とはすごい。

しかし、「丘のまち 美瑛」を訪れる観光客は、毎年100万人以上、比較的新しいデータでも沖縄県の104万人より多い130万人強だから、町単独の観光物産案内所があるからといって驚く必要はないかも知れない。

「日本で最も美しい村連合」の取材で、美瑛を訪ねたのは2009年の夏だった。連合の会長である、美瑛町長浜田哲さんにもお話を聞いた。浜田さんは、現在も町長であり連合の会長として活躍されているようだ。

その年、連合は、18町村・地域の加盟だったが30をこえた。現在は、46町村7地域だ。

いまいちどこの連合の特徴についてだが、「観光」を目的としているわけではない。

ひとつは、「最も美しい村運動は、自立を目指す運動」をうたう通り、「長年の歴史に培われた世襲財産を継承しつつ、次世代の若者たちが働き暮らしていくこと地域の自立を目指す運動です。地元の経済発展とは、将来にわたり若者たちが働く雇用の場が創出されていくことです」という考えなのだ。

それからもう一つは、「世界につながる「最も美しい村運動」」として、「行き詰まりを見せた先進国の都市モデルの成長信仰から脱却した新しい社会運動として、フランスで1982年に起こりました」「フランスやイタリアの最も美しい村協会では、世界中の都市住民を美しい村に顧客として迎える、都市と調和した偏狭では無い地域主義が芽生えています」というように、都市モデルと偏狭な地域主義からの脱却を志向している。

この2点についていえば、連合だけの課題ではないだろう。実際に、近頃少しずつ話題になっている、人口減に歯止めがかかりつつあるらしい地方についての報道を見ると、この2点、とくに「東京モデル」から脱却する自立が、けっこう重要であるようだ。

とはいえ、補助金や助成金などがついた政策や制度全体は、行き詰まりを見せている「東京モデル」で動いているから簡単ではない。何もかも過度に集中した東京をモデルにしたところで、人口減がとまらない地方とのギャップが大きすぎる。手っ取り早く成果を出す安直な成功を目指すなら、「東京モデル」になびくことになるが、それは、他者の成功の消費で終わる。そのように補助金や助成金を消費して終わる例も少なくないようだ。

浜田さんの言葉を借りれば「使用後」の消費にすぎない。東京には、そういうさまざまな「東京モデル」を使用後の消費に具すショーバイがたくさんある。ライター稼業なんぞも、そういうとこにくらいつけば、成功への近道になる可能性は高まる。

そうではなく、コツコツ自立的な積み上げの先に可能性や展望を見るとしたら、それを支えるのは、なんてったって「アイデンティティ」だろう。そういうアイデンティティを持った人たちのつながり。

そんなふうに、交通会館の地下で、「丘のまち 美瑛」を見て、日本で最も美しい村連合の自立運動や、その取材の時にあった、浜田町長や山形県大蔵村や長野県大鹿村の村長さんたちを思い出したのだった。

日本で最も美しい村連合のサイト。
http://www.utsukushii-mura.jp/

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2014/08/05

9月13日に「俺とエロと祭りと私」トークをします。

「俺とエロと塩麹と私」(ゲスト=麹料理研究家おのみささん)、「俺とエロと手拭と私」(ゲスト=手拭番長じゅんこさん)と続いた俺とエロトークシリーズ、いずれも満員御礼好評だったが、第三弾が決まった。

「俺とエロと祭りと私」と題して、仕事で東京の祭りの写真を撮っている、フランス人フォトジャーナリストのマルイユ ダビッドさん(ダビさん)をゲストとして招き、ダビさんの写真を見ながら、彼の目から見た「祭り」の話しを中心にアレコレおしゃべりします。

このあいだ、チョイと飲みながら聞いたのだけど、ダビさんは明るく楽しく愛きょうがあるうえ、「白人」だと入りやすいということもあるようで、日本人だとなかなか入り込むのが難しい深いところまで取材しているようだ。それはまた東京の深いところでもあるのだが。面白い話が聞けるだろう。もちろん、写真も、すばらしい。

9月13日(土)、さばのゆ@経堂、18時半スタート、投げ銭制。

予約は、さばのゆへ。
http://sabanoyu.oyucafe.net/

それから、先日、都内の某飲食店で、恩田えりさんとバッタリ出会って、えりさんと4回目のトークをやることになった。

「恩田えりのもっと知りたい話したい」シリーズの「エンテツ解体新書」は、昨年12月に3回目をやって、またそのうちにってことになっていたのだが、4回目を、12月28日(日)にやることになった。

えりさんは、三味線抱えてますます大活躍、先月はオランダ、今月はオーストラリアと、海外までも足をのばして忙しく、暮れも押し迫ったこの日になった。詳細は、これからつめ、後日告知します。たぶん、生活料理と江原恵あたりを「解体」することになる模様。

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2014/08/02

書店員さんたちと飲む、「大盛堂書店2F通信」で、いろいろ考えた。

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まずは、主な備忘メモ。7月26日、15時に赤羽でウワバミじゅんこさんと待ち合わせ。彼女が南浦和で19時からの飲み会まで飲んだ。赤羽のまるよしから蕨の喜よし。喜よしの本店は休みで西口店。先日初めてあったばかりの彼女の同僚というより後輩社員が会社をやめると聞く。いい仕事をしているいい有名会社なのに、と思ったが、若い身軽のうちに自分のやりたいことをやるのだとか。そういう「強い」若い男もいるのだな。とにかく、ウワバミ相手によく飲み、南浦和で19時ぐらいに別れた。

29日、北浦和にある埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家」展を見に行った。かなり、よかった。いろいろ考えること多く、カタログまで買ってしまった。後日、感想を書きたい。閉館の17時半までいて、18時開店の北浦和クークーバードへ。夕暮れ時を、飲みながら、ゆっくりくつろいで帰って来た。クークーバードは、落ち着ける、いい店だ。

31日、14時過ぎ、下北沢の某店へ。Jちゃんが辞めるというので、Jちゃんの作る料理を食べに行った。開店の苦しいときから、若いが小さな身体で奮闘してきた。その間に、たぶん失恋もし、結婚もした。立地の悪いこの店は彼女の力なくして成り立たなかったのではないか、Jちゃんのいないこの店はありえない、と思っていたのだが。とにかく、この店での、最後のJちゃんの料理を堪能した。彼女は忙しく、ゆっくり話しができなかったが、「次」を期待したい。

そして、きのう、1日。お世話になっている大盛堂書店の山本さんたちと飲み会。18時半から神田神保町の「酔の助」。

思わぬサプライズがあった。山本さんからメールで知らされた、飲み会のメンバーに、ある書店員の女性の名前があったのだが、それが知りあいのS女さんとは気がつかないで行ったのだ。というのも、彼女とは、ここ東大宮の酒場で知りあい、おれの本の販売でもお世話になったし、よく一緒に飲んだりした。1年半ほど前に結婚し、そのころ職場の書店は閉店、住まいも大宮から都内へ変わり、ということがあって、結婚後はあうこともなく彼女の旧姓しか覚えがなかったので、結婚後の姓名を見ても、記憶が結びつかなかったのだ。

ってことで、S女さんと思わぬ再会。抱きついてくる彼女に押し倒されそうになりながら、再会をよろこびあった。

S女さんは、Y書店の千葉の方の店で書店員をやっているのだった。しかも、以前と比べると、格段にたくましく成長していた。彼女は、「深窓の」というほどではないが、ハンパじゃないお嬢さん育ちで、少しあやういところがあったが、お嬢さんぽい髪型と一緒にそれらを捨て、「本屋愛」は、ますます強く堂々となっていた。

この間に、彼女は20代から30代になったのだけど、書店員さんたちのトークイベントに登壇し、山本さんたちとトークをしたり、書店のある商店街の海苔屋さんとコラボイベントしたり、果敢に元気ムンムンに、本屋愛を燃やしていたのだ。

すばらしく成長した娘を見る思いだったが、飲み会のほかのメンバーは、S女さんと同じY書店大塚店のI男さん、初対面。それから前から気になっていた空犬さんと、初めて会うことができた。そして、まもなく古本屋さんに転職するT男さん。

とにかく、22時ごろまで、がんがん飲み食いしながら、楽しく有意義なひと時だった。やはり、若い人たちらしく、仕事の話しばかりでなく、出会いや恋愛や結婚、ようするに生き方の話しになるのも、よかった。

山本さんには、このあいだは八重洲ブックセンターの方たちと飲む機会をつくっていただくなど、出版業界も書店業界も、あまり付き合いもなく無知に等しいおれにとっては、とてもありがたい。そして、山本さんの周囲に見えてきた、「本好き本屋好き」というのは、おれがこれまで偏見を持って見て来た、そういう人たちと違い、普通の商店の感覚、普通のまちのひとの感覚を持つ、おれにとっては「大衆食堂的」で、共感することが多いのだった。

昨日いただいた、山本さんが手製のフリーペーパー、「大盛堂書店2F通信」Vol.37を、今日あらためて読んで、その共感をあらたにした。とくに本好き本屋好きとはいえないおれだが、本や雑誌に関わるものとして、何かやれることがありそうと、山本さんや空犬さんたちの活動に興味を持った。

「大盛堂書店2F通信」は、見た目は雑駁な手作りだが、中身がシッカリしている。この号は、特集が「ブックンロールに行ってきた!」で、「毎年開催され5回目となる本と音楽を融合したイベント」のルポなのだ。6月27日、阿佐ヶ谷ロフト。

この主催者には、「空犬」、とある、だけ。つまり空犬さんの主催なのだ。

「ブックンロールとは?」「開催初年の2010年、もう本の世界は「不況」という言葉でセットで語られるようになっていました。元気のない、斜陽の業界とばかりメディアで言われているのを見ていて、そればかりでないのになと思ってました。「本の現場やそこで働く人たちは、今もこんなに面白いと伝えたい」。そういう気持ちで企画したのがブックンロールだったんです」

そして、このトークイベントの部に、先のS女さんが、MARZEN&ジュンク堂書店、BOOKS エール、リブロ池袋店、そして山本さんたちに混じって登壇している。トークテーマは、『30代、本屋の生きる道』。名言の数々が、載っている。

で、この号には本文よりボリュームがありそうな「特別付録」が、ホッチキスでとめてあって、それが、「Y書店S女さんからの手紙」なのだ。

「ブックンロールが終わって数日後、S女さんからトークメンバー宛に次のようなメールが届きました。読後、空犬さんみたいに感極まった方も…(もちろん僕もその中の一人です)。私信なんですけど、ちょっとこれは世に知らしめたいなという気持ちになったんですね」ってことで、それが掲載されているのだ。「とりあえず、次のS女さんの手紙を読んでみてください。そして、働きながら折にふれてその言葉を思い浮かべてみてください。仕事など悩んだ時のヒントになるのではないでしょうか」「S女さん達の様な書店員が全国に数多くいることに気づいていただけたらなと思います」

これはもう、渋谷の大盛堂書店へ行って、この通信を入手し、ぜひ読んでいただくしかない。それにしても、繰り返すが、S女さんは、20代から30代になるあいだに、大きな成長をした。それは、山本さんたちがいるような本屋業界の可能性でもあるだろう。

で、おれは、地元の東大宮のことを考えた。本好きや書店側だけでなく、普通の町の側も、「本屋」を考えるようにならんといかんなあと思った。

東大宮は、とくに特徴があるわけじゃないし、とくに文化の香りなんぞがする町ではないが、新刊本屋が駅周辺に3軒もある。しかも1軒はエロ本も揃っている。いまどきの雑誌などで話題になるような、おしゃれで文化的で賢そうな本屋じゃないけど、そういうふうに普通に本屋がある普通の町のことを、見直してみる必要があるのだな。ってこと。

それにしても、空犬さん、笑顔をたやさないおだやかな方だけど、すごい。『大衆めし 激動の戦後史』を持ってこられ、サインをさせていただいたが、恐縮。またゆっくり飲みたいものだ。
空犬さんのブログ「空犬通信」http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/

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2014/08/01

うなぎ問題と「料理男子」問題。

つい最近、土用丑の日ということがあってか、うなぎ「絶滅危機」をめぐる話題が、ツイッターでにぎわった。たまたまおなじころ、いわゆる「男子料理」をネタにした話題が、見受けられた。この二者は、交差することがなかったが、生活料理から見ると、同質のことが関係しているように思えた。

おれがフォローしているのは、テキトウで、400チョイのフォローは、最初の100ぐらいまでは、フォローされるとほぼ自動的にフォロー返し、その後は、フォローしてきたアカウントのフォロワーが自分のフォローより少ない場合だけフォローし、300をこえたあたりから、会ったことのある人や、その知人などを加えた。

どのみち、あまりデータ的な根拠になるものではない。それが前提での話だが、まず、うなぎについては、この話題に積極的に参加しているひとは、男が多かったように見受けられた。そして、主に、生産に関する政府や漁業者の問題や、流通業者や飲食サービスの問題、その責任などを問うものだった。たまに、消費者の責任も問うものもあったが、自らの台所からの視点から、どう考えるべきかという話しは、ほとんどなかった。

「料理男子」については、台所からの視点が元気よく、なかなか面白かった。

大雑把な推移は、こういうツイートから始まったようだった。女のツイートだろう。

「『親子丼』の作り方を聞くと普段料理してるかしてないか見極められる。最初に『タマネギ切って』とかから始まる人は実は意外に料理してない事が多くて『ご飯炊く』から始まる人は日常的に料理する人。料理する人は作業手順を逆算的に考えてるから自称料理好き女子撲滅に最適って男子高生が話してて戦慄」

そして、ちがう女のツイートで。

「親子丼の作り方って言って、米の炊き方から始まるのって単に要を得てないだけじゃないのか。」

こんなのもあった。

「さっきの親子丼の男子高生、あと数年もしたら“俺のつくったチャーハン食べてみ!”的な鼻持ちならない料理男子になりそうな。男子大学生のカルボナーラ自慢とかもそうだけど、単一メニューだけつくれても料理上手とは言わないのですよ。冷蔵庫のストックで数品ささっとつくるのがほんとの料理上手」

こんなのもあった。

「自分で料理上手と思ってる男性は、それがつくりたいものをつくりたいときに予算や時間の制約のないとても恵まれた環境で、という限定条件の上になりたってることを自覚したほうが良いですよね。」

ごはん一粒一粒がパラパラになるほど炒めるチャーハンなんて、ほんとうにうまいのか、うまくないだろ。というようなツイートもあった。

ようするに、台所の現実からではなく、料理屋料理をまねて得意になっている「男子料理」を批判する視点があった。

「男の料理」の視点は、あいかわらず、道楽あるいは趣味としての「職人芸」的探究であり、料理屋料理が中心であり、外食ファッションが中心にある。「女の料理」は、自分の台所が中心で、日常的かつ生活的だ。

「成熟」したといわれる、食文化であるが、ほんとうに「成熟」しているのだろうか。それは、消費文化の成熟にすぎないのではないかと、あらためて思った。そのことは、「それがつくりたいものをつくりたいときに予算や時間の制約のないとても恵まれた環境で、という限定条件の上になりたってる」に、よくあらわれている。

うなぎ問題を、生産レベルや流通レベルの問題として論じることに異論はないが、いまひとつフに落ちないのは、それ、生活レベルでは、どうするの、「うなぎを守るため食べるのを自粛しましょう」って話しにするの?ということだった。

台所の生活料理、つまり「ありふれたものをうまく食べる」という考えにしたがえば、うなぎを食べる必然性は、まったくない。これは、かなり昔からのことだろう。というのも、おれが近代日本食のスタンダードが反映していると考える大衆食堂では、うなぎなどは、スタンダードのメニューとはいえない。それは、かつて隆盛した川魚料理店のものだった。

おれが小学校高学年ぐらいから住んだ家の横には、小さな川があって、そこではうなぎががとれた。とれたうなぎは、自分の家で食べることはなかった。食べる技術もなかったと思うが、当時は、魚屋へ持って行くと、ラーメン一杯より高い50円ぐらいで買い取ってもらえたのだ。

いま、自分の台所でうなぎ料理をする人が、どれぐらい、いるだろうか。うなぎ料理は、ほとんど外食やファッションのことだったのではないか。「あるものをうまく」ではなく、平賀源内がなんとやらのウンチクも含め、さまざまな男の観念から膨張したマーケットではなかったか。「冷蔵庫のストックで数品ささっとつくるのがほんとの料理上手」という考えであれば、土用丑の日のバカ騒ぎなど、ありえなかっただろう。

そういうことについて、生産レベルや流通レベルの問題として論じる男たちが、ふれないことが気になる。うなぎの絶滅危機をあげ、希少資源になったうなぎを「守る」ことを声高に叫び、責任だけを追求するだけの姿は、どうも胡散臭いものがあるのだな。

親子丼だのチャーハンだの単品グルメに得意になっているのも、「危機感」から、うなぎが、クジラが、マグロが、と単品で騒ぎ立てることも、同じ根っこがあるように思う。

ってことで、ま、『大衆めし 激動の戦後史』には、第7章に「もっと魚を食べなくてはいけないのか」ってことも書いているのだが…、こうした状況は、まさに、「いいモノ」食ってりゃ幸せか? という感じだ。

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