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2014/08/01

うなぎ問題と「料理男子」問題。

つい最近、土用丑の日ということがあってか、うなぎ「絶滅危機」をめぐる話題が、ツイッターでにぎわった。たまたまおなじころ、いわゆる「男子料理」をネタにした話題が、見受けられた。この二者は、交差することがなかったが、生活料理から見ると、同質のことが関係しているように思えた。

おれがフォローしているのは、テキトウで、400チョイのフォローは、最初の100ぐらいまでは、フォローされるとほぼ自動的にフォロー返し、その後は、フォローしてきたアカウントのフォロワーが自分のフォローより少ない場合だけフォローし、300をこえたあたりから、会ったことのある人や、その知人などを加えた。

どのみち、あまりデータ的な根拠になるものではない。それが前提での話だが、まず、うなぎについては、この話題に積極的に参加しているひとは、男が多かったように見受けられた。そして、主に、生産に関する政府や漁業者の問題や、流通業者や飲食サービスの問題、その責任などを問うものだった。たまに、消費者の責任も問うものもあったが、自らの台所からの視点から、どう考えるべきかという話しは、ほとんどなかった。

「料理男子」については、台所からの視点が元気よく、なかなか面白かった。

大雑把な推移は、こういうツイートから始まったようだった。女のツイートだろう。

「『親子丼』の作り方を聞くと普段料理してるかしてないか見極められる。最初に『タマネギ切って』とかから始まる人は実は意外に料理してない事が多くて『ご飯炊く』から始まる人は日常的に料理する人。料理する人は作業手順を逆算的に考えてるから自称料理好き女子撲滅に最適って男子高生が話してて戦慄」

そして、ちがう女のツイートで。

「親子丼の作り方って言って、米の炊き方から始まるのって単に要を得てないだけじゃないのか。」

こんなのもあった。

「さっきの親子丼の男子高生、あと数年もしたら“俺のつくったチャーハン食べてみ!”的な鼻持ちならない料理男子になりそうな。男子大学生のカルボナーラ自慢とかもそうだけど、単一メニューだけつくれても料理上手とは言わないのですよ。冷蔵庫のストックで数品ささっとつくるのがほんとの料理上手」

こんなのもあった。

「自分で料理上手と思ってる男性は、それがつくりたいものをつくりたいときに予算や時間の制約のないとても恵まれた環境で、という限定条件の上になりたってることを自覚したほうが良いですよね。」

ごはん一粒一粒がパラパラになるほど炒めるチャーハンなんて、ほんとうにうまいのか、うまくないだろ。というようなツイートもあった。

ようするに、台所の現実からではなく、料理屋料理をまねて得意になっている「男子料理」を批判する視点があった。

「男の料理」の視点は、あいかわらず、道楽あるいは趣味としての「職人芸」的探究であり、料理屋料理が中心であり、外食ファッションが中心にある。「女の料理」は、自分の台所が中心で、日常的かつ生活的だ。

「成熟」したといわれる、食文化であるが、ほんとうに「成熟」しているのだろうか。それは、消費文化の成熟にすぎないのではないかと、あらためて思った。そのことは、「それがつくりたいものをつくりたいときに予算や時間の制約のないとても恵まれた環境で、という限定条件の上になりたってる」に、よくあらわれている。

うなぎ問題を、生産レベルや流通レベルの問題として論じることに異論はないが、いまひとつフに落ちないのは、それ、生活レベルでは、どうするの、「うなぎを守るため食べるのを自粛しましょう」って話しにするの?ということだった。

台所の生活料理、つまり「ありふれたものをうまく食べる」という考えにしたがえば、うなぎを食べる必然性は、まったくない。これは、かなり昔からのことだろう。というのも、おれが近代日本食のスタンダードが反映していると考える大衆食堂では、うなぎなどは、スタンダードのメニューとはいえない。それは、かつて隆盛した川魚料理店のものだった。

おれが小学校高学年ぐらいから住んだ家の横には、小さな川があって、そこではうなぎががとれた。とれたうなぎは、自分の家で食べることはなかった。食べる技術もなかったと思うが、当時は、魚屋へ持って行くと、ラーメン一杯より高い50円ぐらいで買い取ってもらえたのだ。

いま、自分の台所でうなぎ料理をする人が、どれぐらい、いるだろうか。うなぎ料理は、ほとんど外食やファッションのことだったのではないか。「あるものをうまく」ではなく、平賀源内がなんとやらのウンチクも含め、さまざまな男の観念から膨張したマーケットではなかったか。「冷蔵庫のストックで数品ささっとつくるのがほんとの料理上手」という考えであれば、土用丑の日のバカ騒ぎなど、ありえなかっただろう。

そういうことについて、生産レベルや流通レベルの問題として論じる男たちが、ふれないことが気になる。うなぎの絶滅危機をあげ、希少資源になったうなぎを「守る」ことを声高に叫び、責任だけを追求するだけの姿は、どうも胡散臭いものがあるのだな。

親子丼だのチャーハンだの単品グルメに得意になっているのも、「危機感」から、うなぎが、クジラが、マグロが、と単品で騒ぎ立てることも、同じ根っこがあるように思う。

ってことで、ま、『大衆めし 激動の戦後史』には、第7章に「もっと魚を食べなくてはいけないのか」ってことも書いているのだが…、こうした状況は、まさに、「いいモノ」食ってりゃ幸せか? という感じだ。

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