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2014/08/27

厨房が汚い店は料理もまずいか。

厨房がピカピカきれいな店は料理もうまい。という話しがある。ピカピカな厨房から料理人の仕事ぶりがわかる。というのだ。ほんとうに、ピカピカ厨房と料理の味に因果関係があるのだろうか。

「ピカピカな厨房から料理人の仕事ぶりがわかる」というのは、わかりやすい話しではある。反論し論破するのは、難しい。

でも、「因果関係」は、ないと思う。統計をとれば、きれいな厨房のほうが多く、そこではうまい料理が多いということにはなるかも知れない。だけど、そのデータ自体は、因果関係を示してはいない。

もしかすると、味は普通、あるいは普通以下でも、客席も厨房もピカピカの場合、それを見た客は感動して、実際の料理の味以上にうまく感じることがあるかもしれない。間違いないく、「清潔感」が味覚の好感度におよぼす影響はあるだろう。

おれも、飲食店の経営に関係していたころは、厨房を清潔かつきれいに保つよう、うるさく見ていた。飲食店だけではなく、コンビニの仕事のときも、店をまわるときは棚のほこりまで必ずチェックしていた。白手袋をして棚をなでるようなことまではしなかったが、そうするスーパーバイザーも珍しくはなかった。

でも、それと料理の味とは関係ないと思っていた。なのに、なぜそうするかは、やはりわかりやすい見た目の印象が大事と、それも含めたマネジメント上からの必要性からだ。味そのものは別の問題なのだ。そもそも両者は、違うシステムのことだ。それを一緒にしたがる、精神や道徳、宗教(とくに儒教)がある。

東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、まもなく2年。月に1回の掲載だから登場の食堂は20をこえるが、この中に、汚い厨房が2店ある。「とても汚い」といってもよいぐらいだ。しかも、2店とも、オープンキッチンのように客席から厨房の中がよく見える。

厨房が汚いと料理もまずいと考えるひとにとっては、その汚れぐあいと、出てきた料理のきれいな盛り付けとうまさのギャップの激しさに、卒倒するか茫然とするだろう。

個人の家庭でもあることだ。知人の台所はすごく汚い。なにしろ、その夫妻は「グルメ」で、料理によっては炭のコンロを使うから、台所を土間にして、そこにはコンロをはじめ、炭や炭の粉、さまざまな調理道具が散らばっているのだ。

だいぶ前だが、ユーミンがユーミンを名のっていたころ、中国旅行し、たしか奥地の婆さんの餃子をごちそうになった。その台所もきれいではなく、餃子を作る婆さんの手も、ユーミンは気持ち悪さをうまく表現していたが、餃子がすごくうまかった話しを、ラジオでしているの聴いた。そんなもんだよなと思った。

右手と左手がバラバラに動くように、別なことなのだ。

もちろん、料理人が自分の厨房をピカピカにしているのを誇ることについては、何もとやかく言う必要はないだろう。それは、彼の料理とともに彼の誇りであろうからだ。

だけど、客や、どこにでもいる評論家やライターのような立場のものが、それをわが実践によって確信しているかのように(つまり自分も、その料理人と同じほど、厨房や料理のことをやって知っているのだぞ、ピカピカないい仕事をしているのだぞ)という感じでいうのは、チョイと違うんじゃないかと思う。

台所を毎日磨きたてるようになれば、料理が上手になるのか。あなたは、そうしているのか。

っていうと、理屈っぽくなるが。

家庭の料理にしても、寝る前に洗い物を片づけているとか、料理が出来上がったときには洗い物が片付いているのは、うまい料理を作る正しい主婦としてはアタリマエ、といった話もあるが、ほんとうにそういうことなのか。

ああでもないこうでもないと考えているところに、今日は、ツイッター経由で、シノドスの「データに騙されないための3つの方法――「社会実情データ図録」管理人に聞く」本川裕×飯田泰之、を読んだ。
http://synodos.jp/society/10412

この話には、チョイとそうかな、違うんじゃないかというところもあるけど、「日本のジャーナリズムをみていると、どうも近代医学的というよりは、漢方医学的、あるいは民間療法的なんじゃないかと思うようになっています」ってあたりは、うなずける。前近代的な思考や感覚がまかり通っているというか。

「日本のジャーナリズム」というと特殊な人たちのことのようだが、既存のメディアはもとより、インターネットやら様々なメディアを通じて、たくさんのひとが発言しジャーナルしている。そのなかで、いまあげたようなピカピカ厨房とうまい料理の味の関係が「通説」になっているわけだが、同根のことがあるようだ。

姿勢が悪い人間、箸の持ち方が悪い人間(おれは箸の持ち方が悪い)は、人間として普通以下のように言われるようなことも関係するだろう(おれは、普通以下でもうれしいが)。ビジネスの界隈では、仕事ができるやつは机の上がきれいだとか言われたりするな。

厨房についていえば、少なくとも、家庭や個人経営と会社経営では、大いに違う。

わかりやすい通説は、しょせんわかりやすい通説にすぎない。そのほうが、いまの日本では、話としては通りやすいということだ。それを鵜呑みにするのは、思考が怠けているだけで、ピカピカの厨房でマニュアル通りの仕事をしているようなものかも。

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