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2014/08/23

都会の残酷さ。地上げと禁煙の風景。

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一昨日、21日の木曜日は、急遽ロケハン兼打ち合わせで、神田司町の「みますや」へ行った。17時の待ち合わせだったが、少し早めに着いてしまい、店は17時の開店だから、その周りをふらついた。

淡路町交差点の裏あたり一帯は、地上げの跡が虫食い状態で残っているところだ。地上げされるまでは、家々が境の敷地もなく壁一枚で長屋のようにつらなっていた。地上げされた家から取り壊され更地になり、さらに駐車場になったりするが、地上げされない家は、壁一枚でつながっていた隣が消えたあとは、トタンを打って外壁にして残っている。そういう、「無残」ともいえる姿が、あちこちにあるのだ。

なかでも、このたばこ屋と隣の地上げ地を見たときは、都会の残酷さを感じた。というのも、地上げされないで残っているたばこ屋の隣接地は、例によって駐車場になっているのだが、その一角が、露天の「喫煙所」になっているのだ。

いまでは、路上はもとより、オフィスでも禁煙が普通になったいるから、通りすがりの人だけでなく、あたりのビルからここに来て一服していくひとも多い。

禁煙を含めた「まちづくり」「環境づくり」には、もっとほかにやりようがないのか。いかにも力まかせの、なんとも残酷な風景だと思った。

集積度を高める一方の東京で、しだいにそういう風景にならされて、気がつけば、お互い他者に残酷になれる人間になっているのではないか。都会もひとも残酷度が増しているのかも知れない。大らかさを失った、容赦のない不寛容な美しいまちづくりは、こうして進んでいるのだな。地上げと禁煙ファシズムに耐えて残ってきたたばこ屋と喫煙者の風景から、そんなことを考えた。

みますやは、まだ両隣が残っているが、もう容赦のないビルが迫っている。

みますやのあとは、編集さんの会社に立ち寄り、のち銀座で2軒ハシゴして、泥酔帰宅だった。

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