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2014/08/10

建築家は、ずいぶんたくさんのことを考えているんだなあ。

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ときどき、建築家というのは、大変な思索家だなあと思う。建築家は、ずいぶんいろいろなことを感じ、知り、考えているんだなあと思うことがある。書いたものなどもすごく面白い。

そこへいくと、文章家というのは、あんがい感じ方も知識も偏っていたり弱かったり、思索を深めるより文章のテクニックでごまかしたり、思考は浅くて薄っぺらでツマラナイと思うことがたびたびだ。

7月29日、北浦和にある埼玉県立近代美術館で開催中の「戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家」展を見に行った。そして、やっぱり、建築家というのは、ずいぶんたくさんのことを考えているんだなあと思った。

もちろん、ここに展示された16人の建築家は、戦後を代表する有名な方ばかりだが、戦後を代表する文章家と比べてみると、ようするに文章家というのは、文章業界の枠におさまるような人たちばかりだと思い当たる。

建築には、宇宙(自然)、都市、環境、地理、地質、人間、生理、心理、生活、欲求、家族、個人、公共、家族の距離、未来、小さなネジ一つまでその進化、さまざまな資材の性質、技術、国策、思想、芸術…とてつもなくいろいなことが関係しているのだから、その思索の広く深いこと、資料を集めたり取材して「いい言葉」を拾えば書けるような文章を書いているのとは、わけがちがうのだが、しかし、飲食や料理にしたって、おなじぐらい、いろいろなことが関係しているのだ。

この展示は、それらを住宅という器におさめた戦後伝説として見ることもできたし、ずいぶんたくさんのことを考える建築家の脳ミソのなかの一部ぐらいは、のぞくことができた。

って話はとにかく、この展示がよかった。住宅を会場に造るわけにはいかない。そのかわり、原寸大の写真を効果的に展示し、その家をそばで見たり、なかに入って見たりしているような感じを、うまくつくりあげていた。それと、設計図と模型とビデオの解説で、思う存分楽しめた。

住宅は、建築家自身のためのものもあれば、依頼されたものもあった。大きな家もあれば、「70坪の敷地が買える郊外よりたとえ6坪でも都心に」と6坪の敷地に建てた、東孝光の「塔の家」のような「小さくて狭い」と感じてしまいそうな家もあった。黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」の、カプセルの一つだけは、美術館の前の公園に現物が展示されていて、中に入ることはできないが、窓越しに中を見ることができた。

こういう家には住みたくないねとか、おれならこの建築家に依頼しようとか、ツマとしゃべりながら見るのも楽しかった。

1953年の丹下健三の「住居」から、1976年の安藤忠雄の「住吉の長屋」まで、この年代のせいか、台所は、どの家も割と狭く、この狭さでどんなものを作って食べていたのだろうと思うこともあった。

「挑発する家・内省する家」というサブタイトルも面白く、見ているうちにナルホドね、では、「挑発する料理・内省する料理」ってのは、どうかと考えてみたりした。「実直にモダニズム建築をつくりたかった」という磯崎新の「新宿ホワイトハウス」は、いちばん気に入ったのだが、これは大衆食堂とその料理でもあるなと思った。そのように、建築家の思索を、飲食や料理に置きかえながら見るのも楽しかった。

と書いているうちに、時間がなくなったので、これまで。あとで書き足すかもしれない。

6坪に建つ「塔の家」について書きたかったけど、とりあえずカタログの写真だけ。最初から廃墟のような写真だけど、これが、いやはや、考え抜かれた「生活の塔」という感じでして。

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