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2014/09/21

四月と十月文庫『わたしの東京風景』鈴木伸子・著、福田紀子・絵。

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去る8月18日に港の人から発行の四月と十月文庫は5冊目、鈴木伸子さん著/福田紀子さん絵の『わたしの東京風景』だ。

鈴木さんは、おれも「理解フノー」の連載をさせてもらっている、美術同人誌『画家のノート 四月と十月』に「東京風景」を連載している。それに加筆修正、新たな書きおろしを加え、四月と十月同人の福田さんの描きおろしの絵とで構成されたものだ。

なんとなく読みだしたのだが、連載のときと違った印象で、ハッとして、一度読んで、またスグ読み返してしまった。

いやあ、これこそ、名著、名文というものだろう。文章は平易で素直、技巧をこらした気取った膳の上の料理のような、いわゆる「名文風」ではないけれど、その平易で素直な文章のなかに、奥行きと広がりと輝きのある内容が、簡潔にギッシリ詰まっている。

しかも、対象は特別なものでなく、多くの人が比較的日常的に接している東京だ。その、どこでもいやがおうでも目に入る東京を、どれだけ「風景」として見ているだろうか。

鈴木さんはまえがき「風景を探して」で、こう述べている。

「美術同人誌「四月と十月に「東京の風景」という連載をするように言われた時は、最初にどんなことを書いていいのか考え込んだ。/「風景」とは、さすが美術を生業にする人の言うことだ。私自身は今まで茫洋と東京を眺めていた。都市を風景として捉えるには、一枚のキャンバスに描いて成立する構図と輝きが必要だろう。」「悩みながらも私は、今まで見知っている街や新たに訪ねる街で、「風景」として成立する場所を探し始めた。」

と、もっと引用したいが、長くなるのでやめておく。思考は論理的だが、肩肘を張ってないのがいい。

こうして「昼と夜」「自然と地形」「眺め」「思い出」「都市美」「街のにぎわい」「中央線の車窓から」「超高層風景」にわけられて、25の掌編が載っている。「更新」の早い東京の風景のなかにいる鈴木さんの、おどろきやよろこびやとまどい、そのトキメキまで伝わってくる。とくに「都市美」のなかの「飛行機が飛んでいく」「ヘリコプターと出会う街」は新鮮だった。

そして、鈴木さんとほぼ同じ場所かテーマの、福田さんの絵が載っている。ありふれた眺めのなかに「風景」をとらえる。これは「共演」なのか「競演」なのか、なかなかスリリングだ。

鈴木さんは生まれたときから東京の目白の高台と思われるところを住まいに、過ごしてきた。この文章は、そういう人でないと書けないものがあるような気がする。おれのような、「東京者にはなりきれなかった田舎者」を自覚するものには、とても書けない。その意味でも、これは鈴木さんの「わたしの東京風景」だろう。鈴木さんの、東京に対する、素直でやわらかい視線が、「東京」を意識しすぎるおれのような人間にも、心地よい。

ところで、「東京本」というのは、定義が難しいと思うが、なかでもイチウオ「東京歩き本」としてくくれそうなものでも、ずいぶんたくさんある。

そのなかで、おれはこれまで、木村衣有子さんの『もうひとつ別の東京』と小沢信男さんの『東京骨灰紀行』が、よいと思っていたが、これに『わたしの東京風景』が加わって、三冊になった。

三冊を眺めてみると、いずれも単なる趣味の東京お散歩本ではない。この著者じゃなきゃこうは書けないというものが、しっかりある。すると、東京のダイナミズムというものが、さまざまに見えてくる。

三冊の関係は、二次元にあるのではなく、それぞれ異なる次元にありながら、いずれも「もうひとつ別の東京」であり、だけど日常の生活の舞台でもある東京を見ているのだな。じつに面白い。

と書いていると長くなるから、やめよう。

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