東京新聞「大衆食堂ランチ」25回目、立石・ゑびす屋食堂。
先月の第三金曜日は21日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」が掲載になったのであった。
なにやら気ぜわしく過ごしているうちに、ここに紹介するのを忘却。机の上に置いたままになっていた掲載見本紙に、先ほど気づいた。こうも忘れっぽいのは、脳梗塞の前兆か、酒で脳ミソがただれてきたのか。
とにかく、今回は、京成立石駅近くのゑびす屋食堂。以前から、いつかここのオムライスを取り上げたいと思っていた。なにしろ、イザとなると、スチールの皿にのった昔のオムライスは、なかなかないのだ。
すでに東京新聞のサイトに掲載されている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014112102000192.html
この連載も、3年目に入り、1年目と2年目は、内容や書き方を少し変えているのだが、また少し変えようかなあと思って、今回は変えてみた。ま、気がつかないひとが多いかも知れない。そのていどの変え方なのだが。
この連載で、最初から心がけていたことは、お店の方の「声」は載せない、ということだ。お店の方の「声」を、街場の「声」として、拾い上げて書くのが、これまでのたいがいの傾向だったといえる。「いい言葉」を拾って書くと、いい文章、いい書き手として評価されるような傾向があった。
おれも、そのようにやらないことはなかったし、どうしても必要なこともあった、が、疑問もあった。それで、この連載では、思い切って、それはやらないことにした。
いつものように、新聞本紙には食堂の外観の写真も載るが、サイトにはないので、ここに載せておく。外観も中も、古くなるだけで、造作は変わってない。
2005年に撮影したサンプルケースの写真も載せておく。そのまま同じ場所に同じようにあるが、いくらか日焼けがすすんでいるようだ。
このサンプルケースを撮影するとき、おばさんがご健在で、写真を撮らせてくれというと、「どうぞ、どうぞ」といい「これ大事にしているの」といった。サンプルは、どれも新品のように輝いていた。
ホタルイカのサンプルが珍しく、ミニチュアの玩具のようで、手にとって面白がっていたら、それ一個を作る値段を教えてもらったりした。おばさんは、いつのまにかお店で見かけなくなった。
そうそう、今回は、昔、同じ会社で働いていた男から、30数年以上ぶりぐらいでメールをもらった。
「ゑびす屋、家から歩いて5分の食堂、会社の初任給で、たまには外で飲ませてあげようと、脳梗塞もだいぶ回復した我が父親を連れ出し、立石駅寄りのこの店に 20歳くらいのオイラが 繰り出したわけです」と。「何故に この時 ゑびす屋を 選んだか、いまだによくわかりません」。
彼は、おれより10歳ぐらいは若かったかな?6,7歳ちがいぐらいだったかな? どのみち、もう若くはないが、20歳のころ行った食堂がまだあるというのは、いいことじゃないか。
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