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2014/12/29

レンガ積みとトークで年暮れる。

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26日で、たいがいの仕事は片付いた。

27日の土曜日は、気になっていた、やどやゲストハウスの新館ビルの改装工事の手伝いに行った。

004この中古ビルの賃貸契約を結んだのは、2014/06/14「次のステップ、中野でウロウロ。」のころで、改装して、遅くとも11月開業の予定だった。しかし、業者に頼まなくてはならない、最初の内装の解体と外装の塗りの段階で、「建設バブル」の煽りを受け、なかなか予定通りに工事が進まなかった。おまけに、手間賃や材料費も、2倍から3倍に。

ま、それでも、そのあとのDIY自力工事は、たくさんの人たちの協力で、残すは1階間仕切りのレンガ積みと、内装のペンキ塗りだけという状態になった。

工事中は女将兼現場監督であるまりりんは、「レンガ積みの夢を毎晩のように見ていた」そうだが、この日は、おれという強力な助っ人?を得て(おれとまりりんのほかにも、2人の大学生ボランティアがいた)、レンガ積みは完了、まりりんは「レンガ積み地獄」から解放された。

あとは、年が明けたら、仕上げのペンキ塗り、そして諸々うまく手続きが運んだら、1月中には営業開始という見通しが立つところまで来た。

レンガのところどころには、ゲストが記念に残したサインもある。

002今回は、いつも力をお貸しいただいている東京芸大のS井さんに加え、お弟子さんの院生の方が、ベッドなどの設計やデザインから製作まで手伝ってくださり、これまでの野暮ったいやどやとはチョイと違うフェミニンな感じの室内が出現している。

4階建て、1階は客室に使用することができず、2階から4階は、すべてドミトリー。

レンガ積みが終わってから、まりりんと、近ごろ若い人がやる新しい飲食店ができて、にぎやかになった昭和新道で一杯、のち、昔からある、おれと同じ齢のじいさんばあさん夫妻がやっている居酒屋へ行った。ほかの店は、どこもにぎやかだったが、ここだけは、ひっそり。まわりは、どんどん新しくなっていくのに、ここだけは古い建物で薄暗い。

カウンターで2人で飲んでいると、外国人の若いカップルが入ってきて、英語のメニューはあるかと聞く、そこからはまりりんの出番で、英語のメニューはないけど手伝うよってことで、このカップルの感じがいいこともあり、いつのまにか、燗酒を差しつ差されつに。

カップルはフィリピン人で燗酒をぐいぐい飲む。日本酒が好きだという。2人とも、日本は2回目だけど、前はそれぞれ違う人ときた、とか、笑いながら、あれやこれや。今朝着いて泊っている新宿のホテルから、わざわざ中野まで食事をしに来たのだそうで、なぜ中野?の理由が、これまたおもしろかったり。月収まで聞いたり。おれたちの知らない日本のことを知るのであった。

そういうわけで、差しつ差されつがけっこうな量になり、店を出て彼らと握手して別れるときは、もうかなり酔っていた。

やどやのほうは、新館が一段落したら、前から懸案の食堂の営業をやりたい、できたら来年中に開店したいなあ、なんて話をしている。マンションの一室から始まったやどやが、10年すぎて、20代だったまりりんも30代になり、いや、まだ30代だから、いろいろやれる。この10年には、大地震と、どちらかといえばこのマイナス影響のほうが大きかった東電原発事故で、めったにない経営危機に遭ったが、のりこえて力強く成長した。

翌28日は、酒が残っているうえ、ガッチリ筋肉痛で身体はだるく、ああしんど。でも、19時から、経堂のさばのゆで、恩田えりさんと今年最後のトーク。

やっとさばのゆにたどりついてという感じだったが、飲むうちに回復、舌のすべりもよくなり、「包丁とまな板と文化とオレ」ってことで、江原恵のことも含め、トークがはずんだ。なにかとおもしろい話があったが、そのうち書くとしよう。

えりさんは、あの読むだけでも大変なリクツの多い江原さんの本を読んでメモまでしてきて、いろいろ話すので、あらためていろいろ考えることがあった。

トークのあとは、飲み懇親。恩田えりさんとのトークは、去年の12月以来だったが、また来年の12月も恒例ってことで、早くも1年後の話が。

しかし、めったにやらない肉体労働をやったせいか、まだ今日も、なんとなくかったるい。

当ブログ関連
2013/12/08
恩田えり×エンテツのトーク、大入り満員御礼、「和食」を語り、のち朝まで飲み。

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2014/12/26

統治者視点と当事者視点と「健康言説」。

昨日書いたことに関連するが、統治者の立場と当事者の立場では事実が異なる。東電原発事故による放射能汚染をめぐる食品の安全と、アベノミクスの評価をめぐっては、そのことがはっきりあらわれた。

統治者視点というのは、政策決定からの視点といえるだろうし、当事者視点は、生活からの視点といえるだろう。

統治者視点は、学者や研究者といった「専門家」による科学的根拠やデータの分析がもとになる、か、そのことをタテマエとしているが、当事者視点は、「素人」の不安や主観がもとになり切実であることが多いともいえる。

ま、トリアージをめぐる、治療や救急にあたる統治者と、実際に傷病を負った当事者の関係に似ているが、東電原発事故とアベノミクスをめぐっては、直接の影響が国と国民全体にわたるもので、社会的政治的状況が複雑に絡むから、なかなか難しい問題になっている。

統治者と当事者は、利害の基準が違うから、事実に対する認識も異なり、乖離や対立が激化しやすい。

そこのところを、『みんなで決めた「安心」のかたち』(五十嵐泰正+「安全・安心の柏産柏消」円卓会議、亜紀書房)などは、異なる立場の信頼関係を築きあげる活動で、統治者視点×当事者視点の関係に前進をもたらしたといえる。

だけど、全体的に見れば、当事者の不安や不信は、根深いものがある。科学者や経済学者などの「専門家」が、素人は、もっと科学や放射能や経済について勉強して、正しい知識を持てと、理解促進のテを打つほど、乖離と不信は残ったままになる。という感じだ。

そもそも、正しい知識を持て、持たないと結果的に難儀するのはあんたたちだぞ、というような脅しのような言説がけっこう多いのもおかしいが、あるいは、その通りだとしても、もともと立場の違うひとにとっては、素人が何をいう、おれの言うことを信じていればいいのだ、としか聞こえない。

それに、国の経済成長ためには、少しの犠牲はやむを得ないというのなら、あんたがまず犠牲になってよ、犠牲になるおれのために、あんた何をしてくれたの、何をしてくれるの、と言いたくなるのが、「素人」というものだ。

政治も経済も医療も、なんでも、素人が素人なりに口を出せるのが民主主義というものだと思うが、統治者側は、そのことを忘れやすい。ときには、素人が自分に同調せず誤った考えを持つのは、特定の政党や特定の言論人・思想家やマスコミが悪い、てなことにもなる。そうなると、ますますこじれる。

そういう景色が続いている。それ自体も、近ごろは異常のように思える。

なにはともあれ、「健康ブーム」といわれたりするものを支えている「健康言説」なるものがある。

いま日本を覆っている「不安」「不信」には、「素人」が放射能などに対する科学的知識が足りない、経済を知らない、ということが、あるいはあるかも知れないが、そこには専門家による専門本位のカンチガイがあるようにも思われる。

そんなこと以上に、あやしげな「健康言説」が、ドッカリ人びとのアタマの中心に座って、もろもろの判断の基準になっているということを考えなくてはならないだろう。

この「健康言説」は、とくに食育基本法や健康増進法などを議論制定する過程で、それこそ統治者視点のキャンペーンが大々的に展開された結果、根付いてしまったのだが、そもそも「健康とは」ということすら明確でないうえに、いわゆる「リスク」の思想と表裏一体で浸透した。

たいがいの当事者は、「健康とは」もよくわからないうちに、健康を侵すらしい「リスク」なんて言葉まで覚えてしまった。そして、リスクは不健康という「思想」にとりつかれた。「リスク」を排除しなくては安心できない。

よくわからん「健康」よくわからん「リスク」。いま、「健康」と「リスク」という、よくわからない妖怪が、生活を不安にしている。その不安が、なにかというと生活に密接な食品や経済をめぐって表出する。

おれには、そんなふうに思えるね。

「健康」という強力なイデオロギーをどうするか。

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2014/12/25

事実は立場によって違うもの。

『プレジデント』2015年1月12日号をもらったので、ひさしぶりにこの雑誌を読んだら、なかなかおもしろい。

特集は、「仕事に役立つ「歴史の知恵」」。

池上彰「今ビジネスマンに世界史の教養が必要なわけ」は、今年になって急速に台頭した「イスラム国」が、なぜ続いているのか、このひとらしく「わかりやすく」解説している。

要は、第一次世界大戦の戦後処理が問題だった。そのために第二次世界大戦を防ぐことができなかったし、今に至る中東問題の火種を生みだしてしまった。アラブにとって屈辱的な「サイクス・ピコ体制」がそれで、それゆえ「イスラム国」の「サイクス・ピコ体制の打破」というスローガンが、アラブの人たちの心を打つのだ。と。

ま、ようするに、「先人の失敗を繰り返さないようにするには、歴史を学び、それを教訓とすることです」ってことなんだが。

過去のバブルの例をあげ、「アベノミクスによって、株高が続いています。一本調子の株高は、バブルの危険な香りがします。危険だけれど、魅力的な香りです。その香りに酔いしれているうちに、いつか崖に近づいているのかもしれません」とも書いている。彼は、「危険な香り」をかいでいるようだ。

このあいだ、M野さんとA山さんと飲みながら話していたことは、いまや国境がない感じになっていることについてだった。そんなふうになっている、いまの世界や日本を、どう認識するか、これからますます大事なことになるだろう。

大前研一「日本人が知らない日本の歴史について、話をしよう」も、このひとらしい。「そもそも歴史は捏造されるものだ。それぞれの国の為政者が都合のいいように歴史を捏造して、国民教育にも利用してきた。歴史認識をすり合せようとすれば、相手がどういう歴史を学んできているのかを知り、自分が学んだ歴史と突き合せなければならない」という。

彼は、日本は「海外の文化や技術を積極的に取り入れ、世界の市場から原材料を調達し、世界の市場で商品を売ってきた国なのだから、右傾化する理由がない。日本の政治の貧しい外交力、発信力と自己表現力の乏しさが、ここにきて日本人の右傾化を加速しているのではないか」と述べる。日本人は「右傾化している」とみているようだ。

「いつかきた道にならないためにも」という表現で、「日本人の多くが歴史認識を誤っている部分もあるし、関係国が誤認している部分もある。それらを正して戦後史を再構築しなければ日本は過去に足をすくわれて前に進めないし、近隣諸国との関係も動かせない」

ってことで、大前の視点1が「ヤルタ会談の米ソ密約が領土問題の元凶」、大前の視点2が「封印された問い「なぜ対米従属が永久に続くのか」」、大前の視点3「尖閣問題の裏に自民党政権の密約外交がある」、大前の視点4「靖国問題の裏にある田中角栄と周恩来の手打ち」、大前の視点5「極東でもっとも信頼できる国はロシアである」と続く。

「封印された問い「なぜ対米従属が永久に続くのか」」は、リベラル派みたい。小選挙区で自民が全敗した沖縄のことが頭に浮かんだ。

しかし、難しい情勢ではある。なにより、主体的な力量不足、「貧しい外交力、発信力と自己表現力の乏しさ」は、指導者だけの問題ではない。

ちょっと欠けている視点や事実を指摘しただけで、批判、非難と受け止め、ヒステリックな反応をしめす幼稚さは、上は首相から下まで満ち満ちている。NHKの役員をやっている有名作家などは、その作品や文学的なことがらはしらないが、ツイッターなどで、話題が自我に関わることになると、自我を守るために必死になる。その姿は、ガキ。

自我を守るためには、なんでも利用する、人を従わせようとする、自分に味方しないものは敵視するといったことは、けっこうモノカキを業とする人たちのあいだにあるのだが。これは、メディアの私物化につながるのに、どうして批判されないのか不思議。それぐらい、出版やメディア界は、お粗末になってしまったのか。このプレジデントのように、事実は立場によってちがうを前提に編集された雑誌もあることはあるが。

いやはや、表現を業とするものが、このアリサマでは、まっとうな議論や戦後史の再構築など、ほど遠いなあ、と遠い目になる。

が、現実は、どんどん転がる。はてさて。

それで、このプレジデントの特集は、ほかにもおもしろい記事があったのだが、特集以外では、「ビジネススクール流知的武装講座」の、岩本沙弓「日本を疲弊させる「消費税」を廃止せよ」が、なかなか刺激的だった。

そもそも、当初から消費税か付加価値税かの議論はあったのだが、1985年に消費税が導入されて二五年、「この税金が日本経済全体に与える負の影響を改めて検証・分析するときにきているのではないか」。

それは、「日本は貿易立国、輸出大国だという”誤った自画像”」を検証し正すことでもある。と。

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2014/12/24

野暮酒場で元力士によるちゃんこ鍋。

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昨夜は、野暮酒場で、元力士・若駿河さんによるちゃんこ鍋大会だった。元若駿河さん、ありがとうございました。

大きなアルマイトの鍋で大量に作るちゃんこは、料理屋でしか食べたことがないちゃんこと大いに違った。ガツンと力がつく感じ。

水は、ほとんど使わない。出汁に、切った白菜をドサッといれ、白菜から出る水分が基本。

白菜のほかに、人参、大根などは切って下ゆで。それに、ニラ、椎茸、榎茸、しめじなど。鶏肉ベースに豚、山芋と玉子の黄身のつみれ。油揚げ。これらをつぎたしつぎたし、食べる、飲む。酒がすすむ。

元若駿河さんは、相撲部屋で修業を積んだだけあって、ほれぼれする手際のよさ、身体の動き。

006最後は、具を全部食べてしまい、ボールに納豆と刻んだネギを用意、まずは鍋に残っている汁にごはんを入れ、最後に納豆をかけて混ぜ、ちぎった海苔をかけ、盛って食べる。これがまあうまいこと、身体があったまること、酒がすすむこと。

ってわけで、集まった10数名の野暮たちは、大いに楽しんで酔っ払ったのだった。

このあいだ野暮酒場で有馬さんとやったトーク「川の社会学」がらみで、「小岩ベニスマーケット」の話が大いに盛り上がった。来年、「川の社会学」は、ガッチリやります。

Yahooがサービスをやめてから、面倒なのでほっておいた、野暮連のメーリングリスト、グーグルのグループを使って再開することにします。

これまでのリストはなくなってしまったので、登録希望の方は、これまで登録されていたひとも、あらためて、おれまでメールアドレスを連絡してください。

新たに参加希望の方は、お会いしたことがある方以外は、登録できません。メーリングリストに登録されてなくても、ツイッターやここで告知される、野暮酒場など野暮なイベントへの参加は歓迎です。

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2014/12/23

東京新聞「大衆食堂ランチ」26回目、新丸子・三ちゃん食堂。

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先週の第三金曜日19日は、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」が掲載になったのであった。

今回は川崎市新丸子の有名人気店『三ちゃん食堂』。すでに東京新聞のサイトにも掲載になっている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014121902000200.html

例によって、外観の写真はカットされているのでここに載せておく。本紙には、トリミングされて載っているが。

食べたのは、中華丼。中華丼を食べたのは久しぶりだし、ここの中華丼を食べたのは初めて。

中華丼は一般的に、塩味と醤油味があって、三ちゃん食堂は醤油だった。醤油味は好きなのだが、写真の見た目は塩味のほうがよいようだ。それは、カチッとした白系の色や白系の透明感を好んだり、素材の「自然」な色を好む、日本人の文化の影響なのか、ちょっと気になっている。

この連載のせいかどうか、ずっと断り続けていたら、しばらく途絶えていたテレビの出演依頼が、今年後半になって2局からあった。どちらもキー局だったが、お断りした。

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2014/12/22

自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(後編)。

土曜日締切だったが二日酔いで仕上げられなかった原稿は、今日の昼に仕上げて送った。

忙しくているあいだに、いつのまにか、「自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(後編) エンテツさんに聞く酒場のカウンターカルチャー」が掲載になっていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/campanella/20141210/274996/

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2014/12/20

28日(日)は、さばのゆ@経堂で午後6時から、恩田えりさんと忘年会トーク。

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昨年は、さばのゆ@経堂の「恩田えりのもっと知りたい話したい」で、「大衆食堂詩人エンテツ解体新書」と題して、えりさんとトークを3回やった。

今年はえりさんが、三味線持ってヨーロッパやオーストラリアに遠征するなど忙しそうにしていたが、年末どんぎわに4回目のトークをやることになっていた。

その28日が迫ってきて、今日、『包丁とまな板と文化とオレ』と題し、「和食無形文化遺産一周年」「江原恵さんの話」それに「エンテツさんの21世紀」といった内容で話したいと連絡があった。

ってことで、28日(日)は、さばのゆ@経堂で午後6時から、えりさんとおれのおしゃべりをツマミに大いに飲みましょう。よろしくね。

ここ一週間ほどは仕事に没頭していたが、昨日は一週間ぶりに都内へ行き、HBギャラーで牧野伊三夫展。オープニングパーティーで飲み、二次会で飲み、どうやって帰って来たか覚えがない。携帯を見たら帰宅中に何通かメールもらって、ちゃんと返信している。だけど、まったく覚えがない。とにかく終電で東大宮に着いて、また飲んだらしい。

HBギャラリーには、大分の日田からヤブクグリの方が一人来ていて、うれしい再会。青春18きっぷで来たそうで、いいねえ若い人は。

それから、二次会会場では、7年前、雲のうえの取材で北九州へ行ったとき、取材が終わってから牧野さんの中学の同級会に、同級生のフリをして参加したのだが、そこにいた東京在住の女性2人と、ビックリうれしい再会。それで、ますます酒がすすんだ。ってことにしておこう。

二日酔いがデレデレぬけず、今日が締切の原稿、できそうになく断念。これまで、締切に間に合わなかったのは1回だけと記憶しているが、きちんと約束を守るという主義からではなく、早く片付けて酒を飲みたいだけなのだが。明日には仕上げよう。

写真は、10月末に撮影。酒場の名前を思い出せない、北九州小倉の立ち飲みにある、牧野さんの壁画。ライブペインティングをやって描いたのだそうだ。ほかにも何か所か壁画があるらしい。

来年には、四月と十月文庫から画集も発行する牧野伊三夫さん、HBギャラリーは24日まで。
http://hbgallery.com/

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2014/12/15

遅くなりましたが、「非公式物産展〈非公式物産展の地球のあるき方2〉」in space dike@日本堤。

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この1年、ブログをさぼりがちで、気になっていながら書き落としていることがいくつかある。このspace dike(スペース・ダイク)@台東区日本堤で2014年9月28日(日)に開催された「非公式物産展の地球のあるき方2」も、その一つ。

東京での「物産展」の1回目については、2014/07/01「「非公式物産展〈地球の歩き方 初回オリエンテーション編!〉」のち「俺とエロと手拭と私」トーク。」に書いた。

これは大村みよ子さんの、一つのアート活動で、「アサヒ・アート・フェスティバル2014」参加プログラムでもあるのだが、実際に参加してみないと、何をやっているかわからないことが多いだろうし、参加しても「想像力しだい」のものといえる。

前回に続き今回も、なるほどなあ、「アート」だの「芸術」だのというのは、本来こういうものなのだと思うことしきりだった。

001とかく、「アート」だの「芸術」だのというと、床の間や壇上にあるような、リッパな「いいもの」を鑑賞することであり、「作者」は、それに耐える「作品」を提供し、鑑賞する者は、それだけの知識や教養が必要とか、思い込んでいるフシが多いが、元来は違うのだな。

「物産展」は、「旅にまつわるなにかを持ち寄り集う会」を謳い、同じ空間に集まった人たちが、同じ床の上で、あったはずの、あるはずの、体験した旅についての興味や関心をつなぐ、するとそこにひとつの「絵」が生まれる。「絵」といっても目視できるものではない、ひとつのイメージであり、それを紙などに定着し可視化すれば、よく言われる、絵や文章になったりするのだが。大いに刺激になる活動で、おれは、いろいろなヒラメキを得ている。

ともあれ、今回の会場、space dikeも前回の会場同様、手づくり感あふれるもので、まだコツコツ、do it yuorself中であり、会場自体が、「旅」のように、非日常感覚のものだった。

前回入場料と引き換えにもらった「会員証」を入場料と共に出して、大村さん手製の判を押してもらう。

おれは、大村さんが、8月に北九州市小倉の旦過市場にある大學堂で「非公式物産展」をやったあとだったので、西日本新聞社から発行の「雲のうえ」縮刷版『雲のうえ 一号から五号』を持って行き提供した。それは、すぐに、古い各地の絵葉書などが置いてある一角に並べられたが、その古い絵葉書が、なかなか楽しかった。昔は、本当に「絵葉書」だったしね。いろいろ記憶が発掘され、記憶と記憶がつながっていく。

004大村さんは、「キッチンうろ覚え」というのをやっていた。これは、8月の北九州で、「枝光商店街の床屋のおばあちゃんにもらった菓子の再現の試み」なのだが、「赤飯まんじゅう」というものだ。「調べてみたら北九州と全く関係のないお菓子らしいのですが、そんなことはどうでもよくて「あれ、もう一度食べたいから作ってみる」という感じです。」

埼玉県には「いが饅頭」なるものがあり、これは、大雑把には饅頭を赤飯でくるんであるが、大村さん体験のものは、饅頭の皮の中に、饅頭の皮にのっかる感じで赤飯があるもの。似たようなものが各地にあるし、八戸のせんべいで赤飯をサンドした赤飯サンドなるものなど、なかなかおもしろい。

やはり問題は、饅頭の皮の部分であり、大村さんは、「キッチンうろ覚え」であれこれやって、記憶に近いものを作り上げていた。

ほかに、近所の古本屋、東浅草の古本カフェFUGAKUさんが、山や旅の本を揃えて売っていたり、1回目のときに韓国料理を再現しながら韓国旅の話をしていた方が、今回は2階の会場にダクトを設え焼肉をやるという。2階へ行ってみたら、まだダクト工事中で、ようするにダクトを作りたくて、焼肉をやるのだと。おもしろいなあ。

ほかに陶芸家の方が「等高線入り山岳箸置き」を作って販売していたり、小さな空間に、いろいろなことが詰まり、いろいろな人が集まっていた。

近年SNSなどの普及もあり、「つながり」がブームのようだが、「功利的」な「つながり」を求める傾向も少なくない。どんな企画も、功利的になってしまったら、企画としてのおもしろさは失われるし、消費に流れてしまう。そもそも、そういうところに集まってくるニンゲンからして、「つながり」にガツガツして、いわばビジネスチャンスの拡大を狙っているだけで、あざといというか、おもしろみに欠けることが多い。

その点、この「物産展」は、記憶や感覚などを自由に動かしながら興味や関心をつなげ、なにかを発見するのであり、「カウンターカルチャー」とも一脈通じるところがあって、大いに刺激になる。

また次回が楽しみだ。

この28日は、おれの71歳の誕生日だった。会場で野暮連と待ち合わせ、飲むことになっていた。えーと、誰がいたかなあ、男3人に女2人だったかな、女は3人だったかな。

日曜日だったので、日本堤周辺の店は休みが多く、上野へ出て飲んだ。上野では、さらに男2人が加わり(もっといたかな?)、カラオケもやって泥酔したのだった。野暮連も非公式物産展のようなものだなあ、「非公式野暮人間展」か。

非公式物産展
https://note.mu/hi_bussanten

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2014/12/14

今回の選挙をめぐる、気になる動き。「リベラル」の変質?

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今日は衆議院選挙の投票日だった。選挙のことについて書いたことは、たぶんないと思うが、今回は選挙期間中の言論に、気になる動きがあったので、備忘の意味で書いておく。

もともと「リベラル」なんて言葉は、アイマイなもので、こんな言葉で自分の立場や認識を説明しているひとなど、あまり信用していなかった。ま、インテリ村の「正論探し」にこだわる「評論家」みたいなものですね、と思っていたのだが、今回の選挙をめぐっては、やっぱりネという感じが見られた。

簡単にいえば、「民主主義」と「経済」が対立するようなことを言い出し、経済を優先させ、ということは、アベノミクスの成果なるものを伸ばし育てるということをしないと、つまりこの選挙で安倍首相を信任しないと、なにもかも無に帰す、弱者から死んじゃうよ、「経済音痴」の野党になんかまかせられない、野党は政権の受け皿になれない、という感じの言論の流れが、「リベラル」と称するひとたちのあいだで、「興隆」したように、おれには見えた。

この、「俺は経済を知っているぞ」なひとたちの、「経済」を人質にとっての、「経済か民主主義か」という論理の立て方は、たとえば、かつての民社党(結党時は民主社会党)などを支えた「経済学者」「評論家」たちなど、何度か見た景色だ。もちろん、あのころと比べたら、いまの知的レベルは複雑かつ高度であり巧妙になっているけど。

ともあれ、「経済か民主主義か」なんていう論理の立て方に疑問を感じないって、大丈夫か?アンタの頭、大丈夫か?と思った。

どうであろうと、そこでは、必ず、経済をちゃんとしないと、犠牲者が増える、民主主義どころではなく、国の根本、生活の根本から崩れる、てなことが言われてきた。

まるで、カネで民主主義が売買できるような話を、アタマがよいらしいインテリたちが、真剣になってするのである。このひとたちの「リベラル」や「民主主義」ってなんだろうと思うのだった。

栄養学者は栄養が悪いと死ぬと言い、社会学者は社会が悪いと死ぬと言い、経済学者は経済が悪いと死ぬ言い、医学は医療が悪いと死ぬと言い、酒好きは酒が無いと死ぬと言い…など、それぞれの専門分野は、生きる必要から成り立ってきて、おれの正しい論に従わないと生死に関わるぞ、と、脅しながら持論の支持を取り付けようとしてきた。

だが、ひとの生き死は生活にあるのであって、専門分野にあるわけじゃないから、これほどいろいろな専門分野ができてきたのだ。そのことを忘れているらしい専門家やインテリたちがいる。

ようするに、生き死には生活にあるのだが、そういう生活は、経済だけで成り立っているわけでなく、専門家の、それぞれの原理主義みたいなもので仕切られているわけじゃない。

そもそも、「リベラル」なんてのは、「左翼は嫌い」が先に立って、自分は古臭い左翼ではないが「リベラル」なのよ、ってかっこつけるぐらいのものだったと思う。

なので、今回の気になるこの動きは「リベラルの変質」なんていう言い方は上等すぎるのかも知れない。かつて、「経済」を優先すべき現実として、自民党の政権を補完してきた同じような人たちがいた、レベルは異なっても、そういう勢力は、いつも必要であって、生まれては消え、また生まれる。

自分の論が日本を背負っているかのような、つまり日本に暮らす人の生き死を背負っているかのようなことを言う。すごく、ウサンクサイ。自分の論は、とくに弱者の生き死に関わっているようなことを言う。すごく、ウサンクサイ。

生死を人質にとった、「おれの言うことを信じないと」なんてものは、その段階で論理が破たんしていると思うが、選挙ということもあって、そういう「極論」を「リベラル」と自認する人たちがするのに、オドロイタ。

もちろん、選挙戦外の「平時」に、そういう議論があるのはアタリマエだが、選挙戦に突入してから、これほど目立った選挙戦は、近年めずらしいのではないか。経済には敏感でも政治や生活については鈍感なのか。

こういう動向の、これからを注目したいと思い、備忘のために書いておく。「リベラルの変質」の転機ではないかも知れないが、なにかの、転機なのだろう。少なくとも、「民主主義」が、経済でカタがつくと思っている「リベラル」の存在が、あきらかになったように、おれには思われた。

写真は、おれが投票をした投票所の小学校だが、昨年の7月の参議院議員選挙のときのもの。今日も、まったく変わらない風景だった。夏と冬の違いすらない感じ。看板も、前回と同じ。

すぐそばの小学校の敷地に入る機会なんて、めったにない。ついでに、「岩石園」なるものや鶏の小屋を見た。そばにあった、標高を示す石塔には、標高10数メートルの表示があった。

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2014/12/13

自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(前編)。

日経BP社が企画・編集しているWebメディアCAMPANELLA[カンパネラ]に、「エンテツさんに聞く酒場のカウンターカルチャー 自分に合った『深夜食堂』を持つ方法(前編)」が掲載になりました。

文は須田泰成さんです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/campanella/20141128/274387/

明日は、衆議院選挙の投票日、カウンターカルチャーの前進になる一票を!

仕事も、いよいよ今年最大の山場に差し掛かり、来週が勝負。


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2014/12/12

「四月と十月」例年会、大洋印刷感謝や受賞祝いなど、ようするに飲んだ。

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昨夜は、おれが「理解フノー」の連載をしている、美術同人誌「四月と十月」の大洋印刷感謝の例年会だった。それに、2012年の第18回日本絵本大賞を受賞した同人のミロコマチコさんが、今年は、『てつぞうはね』で第45回講談社出版文化賞絵本賞を受賞したのに続き、『ぼくのふとんは うみでできている』で第63回小学館児童出版文化賞を受賞した祝賀も兼ねていた。

この例年会は、おれは同人ではないから連絡があったりなかったりで、これまで2回ぐらいの参加だと思うが、今回は、参加者も多くにぎやかだった。昨年が、大洋印刷さんから参加の2人をのぞいて5名だけの参加だったので、気合いを入れて準備したらしい。

まずは、16時半から西口やきとんでスタート、参加者は8名ほどだったかな。17時40分まで、かなり下地ができあがったところで、18時からの本会場のむさしやに移動。むさしやの地下を貸し切ったのだが、地下に入ったの初めて。

牧野さんが用意してきた、紙の横断幕をはり、最初の乾杯からトップギアという感じだった。全部で30名近くいたのではないかな。初めて会う、OBの方や、富山や松本のほうから参加のひともいた。「四月と十月」で作品を見たり読んだりしているが、お会いして、話すと、やはり「実感」が違う。なるほどね~と思うことが多々あった。

最新号で「今こそデロリ」を書いていて、おれも刺激を受けた同人の正成さんは、絵もそうだが、ご本人に会って、「デロリ」にナットク。

『四月と十月』の印刷でお世話になっている大洋印刷さんからは、同人でもある松本さん、担当の大槻さんが出席。大槻さんが、最新号の背の「角」にこだわった話をしたのだが、今日現物を確かめてみると、本当に、これまでと角の立ちぐあいが違う。

WEBサイトを担当している宇田さんが、スマートフォンにも対応するため作りかえる話をして、おれも「ザ大衆食」のサイトのことが少し前から気になって、リニューアルすると言いながら、どうすればよいかイマイチわからない。宇田さんに聞いたのだけど、酔っていることもあって、やっぱりわからない。

席を移動してごちゃごちゃになりながら、なにやら楽しく飲んでいるうちに、大洋印刷さんやミロコさんに贈り物などをしたり、時間。

比較的新しい同人の作村裕介さんは左官職人見習をやりながら絵を描いているが、27歳の最年少。彼と最高齢のおれ、みんなの前で2人で何か話せというから話したが、なにをしゃべったか覚えていない。とにかく漫談のようなやりとりだった。そのあと、近ごろは、「手締め係」みたいになっているおれの音頭で一本締め。

これで終わるわけがない。二次会は、ワインの立ち飲み。ずいぶんたくさんの方が、そのまま参加していたが、おれはもうワインの味もわからないほど酔っていた。それでも、終電を忘れず、よろよろギリギリ間に合ったが、泥酔記憶喪失帰宅。

しかし、「四月と十月」のみなさんは、パワフル、エネルギッシュだねえ。若い人が、ずいぶん増え、「卒業」の人もいて、入れ替わりはあるが、なにやかにやとつながっている。「美術」だなんて気取ってないし、楽しいし、それでいてやさしく厳しいから、まだまだ続くだろう。

四月と十月文庫の、ミロコマチコさんの『ホロホロチョウのよる』はすでに3刷、有山達也さんの『装幀のなかの絵』は増刷が決まったそうだ。

作村裕介さんのブログ
http://mo-retsu.jugem.jp/

正成美雪さんのブログ
http://masssan.blogspot.jp/

当ブログ関連
2014/10/14
美術同人誌『四月と十月』31号と北九州市フリーペーパー『雲のうえ』21号。

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2014/12/10

東京新聞連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」のこれまで。

今年最後の12月掲載の東京新聞連載の原稿を書いているうちに、これまでどんな食堂やめしを取り上げたか気になって、簡単に一覧にしてみた。

12年10月 十条・天将 ビーフステーキ
12年11月 祖師谷大蔵・阿部食堂 とん汁
12年12月 押上・押上食堂 煮物三昧
13年1月 笹塚・常盤食堂 生鮭フライ
13年2月 朝霞・かめさん食堂 薪炊きごはん
13年3月 御徒町・御徒町食堂 和洋中定食
13年4月 下谷・田中食堂 ハムカツ
13年5月 新橋・むさしや ナポリタン
13年6月 鎌倉・あしなや サンマーメン
13年7月 神田・栄屋ミルクホール 冷やし中華
13年8月 入谷・入谷食堂 カジキ照り焼き定食
13年9月 野方・野方食堂 とりから定食
13年10月 大宮・いづみや本店 カキフライ定食
13年11月 浅草・食堂筑波 ランチ
13年12月 鴬谷・信濃路 鴬谷店 カレーライス
14年1月 亀有・ときわ食堂 かつ鍋定食
14年2月 青物横丁・和光食堂 まぐろフライ定食
14年4月 新宿・長野屋 アジフライ定食
14年5月 蒲田・石川家食堂 酢豚ランチ
14年6月 浅草・ときわ食堂 かつ丼
14年7月 銀座・三州屋銀座店 フライ定食
14年8月 川崎・丸大ホール 野菜炒め
14年9月 有楽町・キッチン大正軒 煮込みハンバーグ+豚しょうが焼き
14年10月 町屋・ときわ 日替わり定食
14年11月 京成立石・ゑびす屋食堂 オムライス

その後閉店した食堂がある。朝霞・かめさん食堂と御徒町・御徒町食堂。

14年3月が欠けている。じつは、新高円寺の「やしろ食堂(定食ヤシロ)」だったのだが、校正段階で確認の電話を入れたら、電話がつながらない。おかしいなあと思って高円寺のやしろ食堂に電話したら、急な話だけど閉店とのこと。トツゼンのことでビックリ。ということがあって、編集さんのほうに穴埋をしていただいた。もっと早く載せておくべきだったと悔やまれる。

当ブログ、カテゴリー「書きました(連載)」
http://enmeshi.way-nifty.com/meshi/cat23482706/index.html

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2014/12/06

今週は2回も北浦和の狸穴へ。

1日の月曜日、ふらりと「北浦和クークーバード」へ行った。先週から「カウンターカルチャー」の校正や新原稿のチェックなどをしているうちに、少しばかりカウンター熱が上がったのと、この日のクークーバードはライブがない日なので、ゆっくり夕メシなど食べながら飲もうと思ったのだ。

着いたのは20時少し前だったかな。会ったことがある勤め帰りの常連さんが1人いた。おれは、しばらく飲んでから、タコライスを食べ、あれこれおしゃべり。いいカウンターだねえ。

いい気持ちになったところで、「狸穴」へ。菅原文太が亡くなったから、狸穴では菅原文太のビデオを流しているにちがいないと思って行ったら、ヤッパリだった。『仁義なき戦い 完結篇』を見ながら、70年代80年代あたりをネタに、おしゃべり。23時過ぎぐらいまで飲んでいるうちに、常連さんたちで一杯になった。ここも、いいカウンターだねえ。泥酔状態で帰宅。

帰ってメールを開けると、ナンダロウさんから、4日の木曜日に狸穴へ行くけど都合よかったら一緒にと。ってことで、19時に狸穴で待ち合わせることになった。

4日の木曜日、少し雨が降っていた。19時に狸穴の前に立ったが、シャッターが降りていて、真っ暗。猫の世話があるから年中無休状態のはずなのだが。とにかく、ナンダロウさんに電話をする。すでに、北浦和に着いて、駅の反対側の「志げる」で飲んでいた。狸穴の近くの中華屋で飲みながら狸穴の開店を待つことにした。遅れて、浦和の住人のやまがらさん合流。

店を開けた狸穴へ移動して、腰をすえる。狸穴は、まだ菅原文太追悼中でして、と、音を流していた。あれこれおしゃべりのあいだに、常連さんが入ってきて、カウンターは満席状態。

ちょうど、この春、田舎に帰ったH女さんから電話が入った。狸穴亭主は料理作業で忙しいから、おれが相手をする。田舎でWEB関連の技術訓練所みたいなところに行っているようだが、WEB技術だけじゃなく経営の方法についての勉強もあって、それが面白いとか。元気そうでよかったが、東京にも未練があるようなことをチラリと。だけど、大学を卒業して、自分の思う通りにならないことだらけに直面し、迷いながら成長している様子がうかがえた。

狸穴のカウンターは、ここに来る人だけじゃなく、田舎に帰った人のためにも、なにがしかの支えになっているのだな。

23時15分頃まで飲んだか。ナンダロウさんは、17時ごろから志げるで飲んでいたから、チョイと酔って元気がよかった。おれだって酔っていたが。

塩爺は「引退」だそうだ。先日会った時は、そんな話はなく、タコさんの心配をしていたが。「自営」でも、会社を持っているとフリーランスとは違うわけで、「引退」がある。「復帰祝い」をしたのだから、「引退祝い」をしてやるかという話になったのだが、はたして…。

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2014/12/04

メモ、「セルフサービス」の功罪。

最近のニュースにあったが、イオンの完全子会社になったダイエーは、ついに上場を廃止、店名も消えることになった。

中内功が「主婦の店ダイエー薬局」(ダイエー1号店)を立ち上げたのは、1957年のことで、それからダイエーと中内功は、当時の「流通革命」の先駆、旗手として注目をあびた。

この流通革命を担った店舗は、一般に「スーパーマーケット」として認識されているけど、その中核となるノウハウは、「チェーンオペレーション」と「セルフ・サービス」だった。

そして、セルフ・サービスということなら、青山の「紀ノ国屋」がダイエーより早く、1953年に導入していた。

紀ノ国屋のサイトの「紀ノ国屋の歴史」によると、「紀ノ国屋は1910年(明治43年)、青山の地で、果物商としてスタート」、1953年には「レジで精算。新しい買い物スタイルを導入」の見出しで、「当時の一般的な商店にはレジスターはなく、代金は「溜め銭」というザルで代金のやり取りを行っていました。お客様自ら商品を選び、レジで精算する日本初のセルフサービス・スーパーマーケットを東京・青山に開店。」
http://www.e-kinokuniya.com/紀ノ国屋の歴史/

なぜか、この歴史には書かれてないが、紀ノ国屋は、2010年にJR東日本の完全子会社になっている。

「高級スーパー」としてやってきた紀ノ国屋とダイエーとでは、路線というか戦略が異なり、紀ノ国屋は日本セルフ・サービス協会の、ダイエーは日本チェーンストア協会のリーダーでもあったのだが、どちらも50年から60年の歴史で身売りすることになった。

とにかく、日本にセルフ・サービスのスーパーマーケットが出来て、約半世紀が経過した。

セルフ・サービスの導入は、流通の革命であり革新であったが、それが生活の文化や食の文化に、どのような影響を及ぼしたか、まだ十分に検討されていない。

「文化」というのは、「主観」のカタマリ、あるいは「主観」の束であり、それが、「お客様自ら商品を選び、レジで精算する」ことで、どのような変化があったのだろうか。いまを生きる人たち、おれやあんたの、脳ミソの中身にも関係していることだ。

2008年、当時はまだ、日本セルフ・サービス協会会長と紀ノ国屋社長だった増井徳太郎が、『食品商業』6月号のインタビューで、「われわれの50年間は、セルフサービスを定着させた一方で、お客さまの買物行動を良くも悪くも変えてしまったように見えます」と述べている。

セルフ・サービスは、客が自分で商品を手に取り、自分で選ぶことができるわけだが、当初は、「お客さまは売場に積んである商品を上から順番に取っていくのも当たり前でした。これはすなわち、お客さまは、自分が買物する店の鮮度や品質に絶対的な安心感を持っていたのですね」

ところが、「いつからか、お客さまは、後ろの商品から取ったり、一番下に積んである商品から選ぶような買物行動が見られるようになっていった」

「一番前にある商品が古いというわけではないのですが、"過剰"ともいえる鮮度志向が進んだように思います」

偽造は許されることではないが、「しかし、製造者、発注者、販売者それぞれが当事者としての責任を自覚し、過度な要求はなかったかと振り返らないといけません」

「過度な要求といえば、先述した鮮度、表示に対するお客さまの過剰意識もこういった事件(エンテツ中=偽装表示など)の契機にもなったともいえると思うのです。従ってお客さまへの啓蒙も含めて見直さなくてはならないと思います」

このあたり、「過剰スペック」などについて、お客さんたちは、どう考えているか気になるところだ。良くも悪くも変わってしまった消費者としての自分を、どう認識しているのだろう。

「大切なのは、食材でなく、食文化や食生活なのです」という指摘もあるが、これからよく考えなくてはならない課題だろう。

食材や食べ物については、情報があふれている。それも、生産者やメーカーサイドからの「いいもの」情報や知識が圧倒的に多い。生産者やメーカーや販売者が、「いいもの」のために努力するのは、当然のことだろう。

だけど、生活や文化は、「いいもの」を揃えればよいというものではない。いい画材を揃えれば、いい絵が描けるわけじゃないように。

「いいもの」が揃っていても、質の悪い生活や文化で過ごしているひとは、いくらでもいる。「成金趣味」なんていう言葉があるようにね。最近の「成金趣味」は、「ナチュラル」やら「手作り」やらなんやらで、かつてのようにギラギラではないらしい。

それぞれが、どんな生活の絵を描くか、それによって、選び方も変わってくるはずだ。その絵を描くための情報や知識は、どうだろう。まずは、「いいもの」から「いい生活」が得られるという、ありがちな錯覚を捨てることか。

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2014/12/02

東京新聞「大衆食堂ランチ」25回目、立石・ゑびす屋食堂。

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先月の第三金曜日は21日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」が掲載になったのであった。

なにやら気ぜわしく過ごしているうちに、ここに紹介するのを忘却。机の上に置いたままになっていた掲載見本紙に、先ほど気づいた。こうも忘れっぽいのは、脳梗塞の前兆か、酒で脳ミソがただれてきたのか。

とにかく、今回は、京成立石駅近くのゑびす屋食堂。以前から、いつかここのオムライスを取り上げたいと思っていた。なにしろ、イザとなると、スチールの皿にのった昔のオムライスは、なかなかないのだ。

すでに東京新聞のサイトに掲載されている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2014112102000192.html

この連載も、3年目に入り、1年目と2年目は、内容や書き方を少し変えているのだが、また少し変えようかなあと思って、今回は変えてみた。ま、気がつかないひとが多いかも知れない。そのていどの変え方なのだが。

この連載で、最初から心がけていたことは、お店の方の「声」は載せない、ということだ。お店の方の「声」を、街場の「声」として、拾い上げて書くのが、これまでのたいがいの傾向だったといえる。「いい言葉」を拾って書くと、いい文章、いい書き手として評価されるような傾向があった。

おれも、そのようにやらないことはなかったし、どうしても必要なこともあった、が、疑問もあった。それで、この連載では、思い切って、それはやらないことにした。

Tateisi_ebisu_samp0504いつものように、新聞本紙には食堂の外観の写真も載るが、サイトにはないので、ここに載せておく。外観も中も、古くなるだけで、造作は変わってない。

2005年に撮影したサンプルケースの写真も載せておく。そのまま同じ場所に同じようにあるが、いくらか日焼けがすすんでいるようだ。

このサンプルケースを撮影するとき、おばさんがご健在で、写真を撮らせてくれというと、「どうぞ、どうぞ」といい「これ大事にしているの」といった。サンプルは、どれも新品のように輝いていた。

ホタルイカのサンプルが珍しく、ミニチュアの玩具のようで、手にとって面白がっていたら、それ一個を作る値段を教えてもらったりした。おばさんは、いつのまにかお店で見かけなくなった。

そうそう、今回は、昔、同じ会社で働いていた男から、30数年以上ぶりぐらいでメールをもらった。

「ゑびす屋、家から歩いて5分の食堂、会社の初任給で、たまには外で飲ませてあげようと、脳梗塞もだいぶ回復した我が父親を連れ出し、立石駅寄りのこの店に 20歳くらいのオイラが 繰り出したわけです」と。「何故に この時 ゑびす屋を 選んだか、いまだによくわかりません」。

彼は、おれより10歳ぐらいは若かったかな?6,7歳ちがいぐらいだったかな? どのみち、もう若くはないが、20歳のころ行った食堂がまだあるというのは、いいことじゃないか。

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2014/12/01

まだ11月だった先週のこと。

12月になってしまった。

先週、11月の最後の週は、あわただしく、しかも毎日東京へ出かけることになり、少々疲れた。やっぱり、東京は疲れる。大雑把にメモをしておこう。

27日は、夕方、新宿で『dancyu』のインタビューを受けた。1月6日発売の日本酒特集に載るのだが、いつもは取材して原稿を書いている雑誌に取材を受けるのは、取材するより疲れる。終わると、新宿の喧騒をさっさと逃れ、東大宮に着いてから飲んだ。

ムシが知らせたわけではないが、ここのところ年末スケジュールで追いまくられているから、外で飲みすぎるわけにはいかない、家で飲もうと早めに切り上げて帰った。家で飲めば、まず二日酔いの心配はない。

すると、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」から連絡があって、翌日の夜の10時45分頃~11時45分のメインセッションのコーナーに、急遽出演することになった。この件については、前のエントリーに書いた。

28日の当日は、夜の10時15分にスタジオ入りだった。前回のミッドナイトセッションに出演から1年ぶりぐらい。ディレクターさんから台本をいただき、打ち合わせ。台本といっても流れが書いてあるだけで、ぶっつけ本番だ。それに、前回でわかっているが、チキさんは、話の流れで、どこに話が転がっていくかわからない。おれも、ほかの番組でも、そうだが、目が悪く台本がよく見えないから、司会者に反応しながら話す。出たとこ勝負、これが楽しい。

深夜にいただいたメールには、「ご飯のお供が普及、求められてきた背景、社会構造の変化や、日本経済に何があったのかなどについて」とか書いてあって、カタイ話をしなくてはならないのかと思っていたが、台本を見ると、「わいわいモード」(『荻上チキ・Session-22』には、「探究モード」とか、いくつかのモードがある)で、タイトルが「大阪の学校給食でふりかけの持ち込みが議論に!今こそ語ろう!ご飯のお供」となっている。お気楽な感じ。

スタートは、南部広美さんが、ほぼ台本通りに進む。

■大阪市立中学校の給食をめぐり、ふりかけの持ち込みを認めるかどうか、今週、橋下市長が市の教育委員会と議論しました。

■大阪市は今年春から公立学校の給食を外部業者に委託したデリバリーにしましたが、この給食に対して生徒達からは「冷たい」「おいしくない」といった声が相次いでいます。

■今年の6月の教育委員会のアンケート結果を見ても、「全部食べている」という回答は10.8%、「ほぼ全部食べている」の15.7%と合わせても26.5%足らずで、およそ4分の3にあたる生徒は給食を残しているという惨憺たる状況です。

■こうした事態を打開するための救世主として提案されたのが「ふりかけ持ち込み」という教員からの提案でした。この提案を聞いた橋下市長は「ふりかけはダメなんですか?」と驚いた様子で聞き返しました。

■実は学校給食は国の栄養摂取基準によって作られていて、1食あたりの塩分は3グラムほどにおさえられています。

■これにふりかけが加わると塩分オーバーになるという市の教育委員会を橋下市長が議論した結果、今週水曜日に橋下市長は学校判断でふりかけの持ち込みが可能になったことを明らかにしました。

■このように、給食の食べ残し対策の切り札として、ふりかけに注目が集まっているタイミングで、今夜は、ご飯のお供が持つ魅力や可能性について考えてみたいと思います。

ということだった。

チキさんも番組の中で言っていたが、この最後の2行で、ふりかけ持ち込み是か非かではなく、「ご飯のお供が持つ魅力や可能性について」考えるってことに、ガラリ変わる。これがまあこの番組の企画の柔軟性というか、面白いところ。

で、おれが紹介されたのち、「まずは、今回の大阪の給食でのふりかけ論争、遠藤さんはどう思われますか?」「結果的にふりかけの持ち込みアリだと思われますか?」と問いがあり、おれが答えたあたりから、フリートークな感じになった。

おれの言いたいことは、ようするにごはんの楽しみ方は、気分に合わせていろいろあったほうがよいし、そうやって食事を楽しんだきた。大人の都合で中途半端な給食をやり、不人気だからといって、また大人の都合でふりかけ導入というのもオカシイが、楽しみの少ないお仕着せの給食から抜け出す可能性として、いいんじゃないの、ということだった。

あと、ふりかけの歴史の話など。そして、スタジオのデスクの上にあった、ふりかけやご飯のお供の話になったり、街で取材したご飯のお供の話になったりして、前半は終了。

後半は、ご飯のお供を紹介しているブログ『おかわり JAPAN』の管理人、長船邦彦(おさふね・くにひこ)さんが、紹介するご飯のお供の現物と共に登場。おれが前回出場したときに豚汁を作ってくれたディレクターさんが、炊きたてのご飯を用意するなど、スタジオの中は、どんどん楽しく盛り上がった。

長船さんは、かっこいい青年。おれは、『おかわり JAPAN』は、充実している、どこか企画会社や制作会社が関係しているのかと思ったが、1人でやっているのだそうで、おどろいた。

北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州の8つの地方ごとに紹介され、どれもご飯に載せて食べたのだが、どれもうまかった。おれとしては、中部で、新潟の加島屋のさけ茶漬が登場したのがうれしかった。やっぱりこれだよと、ガツガツ食べた。

「ご飯のお供」は「おかず」より「格下」のイメージだが、なかなかどうして、ご飯のための豊かな文化なのだ。汁かけめしの親せき筋ともいえるだろう。

番組は、11時45分頃終了。金曜日の夜は、あまり肩が凝らない内容にしているのだそうで、「わいわいモード」は、楽しくてよかった。食べものは、話しているだけじゃなく、食べながらがよい。食べる、しゃべる、口は一つだが。

前の晩は、そこに社民党の党首が座っていたのですがね、といわれ、アレッ社民党の党首って誰だっけと考えたが思い出せなかった。

前回は、放送終了後、四谷3丁目の東陽片岡さんがやっているスナックで、朝まで飲んだり歌ったりしたのだが、今回は、翌日に大事な打ち合わせがあるので、用意していただいたクルマで帰宅。

翌日29日の土曜日の朝は、なんだかズッシリ疲れていたが、昼ごろには回復。午後3時から、有山デザインストアで、雲のうえ編集委員のみなさんと写真選びと打ち合わせ。スケジュールも、ほぼ決まった。これからが大変。

5時ごろ終わって、このまま帰るのは身体に悪いと、牧野さん、つるやさんと神田に出て一杯。つるやさんは、あとの用で離脱のち、おれたちは中野へ。まあ、一軒じゃ終わらないわけで、いやいや、飲む大義名分も、たしかあったわけだが。N合さん、S尾さん、O原くんに連絡したら、突然にもかかわらず、みなさん都合よく来られることになり、10時半ごろまで飲んだ。

そうそう、29日の土曜日、出かける前に、H田さんが脳梗塞で倒れられた連絡があった。前の週にお会いしたばかりなので、びっくり。雲のうえの打ち合わせの前、しばし脳梗塞の話になる。脳梗塞は、あとになってふりかえると必ず前兆があるのだとか。おれにはその前兆がありすぎるが、単なる酒のせいでもあるようだ。

是非ご覧あれ、『おかわり JAPAN』
http://okawari-lab.net/

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