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2015/02/16

齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」。

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先週10日の火曜日は、グリルギャラリー@清澄白河の齋藤圭吾写真展「melt saito keigo」のオープンニングへ行き、のち、さばのゆ@経堂のおのみささんの塩麹イベント、翌日11日の水曜日は祝日、野暮酒場@小岩で開催の非公式物産展による「キッチンうろおぼえ」、2日連続の移動と泥酔で疲れた。

まずは、齋藤さんの写真展のことだけでも書こうと思いながら日にちが過ぎてしまったが、写真展の会場で、できたての写真集「melt saito keigo」を買って来たのを、毎日手にとって見ては、タメイキをつき、考えている。なにしろ、この写真が頭から離れないのだ。このままおれはビョーキになるのか。

とにかく、「いい写真」とか「素晴らしい」なんていう称賛ではすまない、深いものがあるのだな。それが、より深い世界への洞察を与えてくれる。

グリルギャラリーのサイトの案内には、このような文章があった。

「齋藤圭吾は、2013 年 1 月、フクシマの原発付近の海岸を訪れ、そこで目にした光景 に自然と人間のあり様に驚きと感動をもって再認識させられ写真に収めました。とりわ け、「一本一本をなるべく丁寧に写した」というつららの一連の写真群は、人間と自然の 営みの原理・摂理を感じずにはいられないもので、汚染した土や空気と共にわたしたち 鑑賞者のこころも浄化されることでしょう。」

おれはココロがよほど汚れているので「浄化」ということはなかったが、会場に展示された、A2だかB3だかの紙焼きの90数パーセントは、その地のその季節には、ありふれた、どうってことないつららの写真、これが、まるで生き物のような生命感にあふれているのに、驚いて、ココロを奪われた。

つららは冷たいはずなのに、血が通っているように見える、温かい。それは、つららが下がる土や植物や目に見えない小動物から生命を与えられている生き物のようでもある。

その血の流れのように温かいものが、おれの皮膚の表からジワジワしみこみ、おれの体内の血とつながったような気持になった。むむむっ、なんという写真だ。

齋藤さんが、そこを訪れて、このつららを写したときのことを書いた、短い文章があった。それもよかった。

かれは立ち入り禁止地域の、「検問の無い山道を抜けてたどり着いた集落」で「ヒトの営みの残骸だけが、あの時のまま残っていた」景色や、白い服を着て地表を削る除染作業を目にする。そして、こう書いている。


周囲の山は地震に裾野をえぐられて裂け目をさらし、
そこからにじみ出た地下水は、無数のつららとなって垂れていた。
同じかたちのものはひとつも無く、それぞれがその場所で、
成るべくして成ったかたちだった。
一本一本をなるべく丁寧に写した。

その晩、鼻血を出し、口から血を吐いた。
しばらくして、のど仏のまわりが腫れた。

広大な土地に降り積もった毒を、ヒトは削り取ろうとする。
土や木の根や苔や粘菌は、太古から変わらぬやり方で、
膨大な時間をかけて、降り積もった毒を濾している。
つららはゆっくり融けて、海へと注ぐ。

二〇一三年一月二八日 福島県楢葉町波倉地区にて s.k.


そもそも、原発事故の現場周辺を訪ねて、こういう写真を撮るのは、齋藤さんぐらいのものだろう。たいがいは、荒廃の景色か、それと対照的に生命を感じさせる生命体あたりが、被写体の相場ではないか。

地震で崩れた山裾の裂け目にたれさがる、生命体でもない「つらら」に生命の営みを見る視点は、いったいどういうことだ、これは「魂レベルの視点」「宇宙観レベルの視点」としかいいようがないではないか、と考えたりした。

001会場には、立花文穂さんの編集・デザイン・製本による写真集「melt saito keigo」があった。新書サイズより少し大きめで、厚さ3ミリほどのそれをパラパラ見て、さらに驚いた。開いて両手にのる、このぐあいが、またいい。その写真は、会場に貼ってある大きな紙焼きに負けない、というか、ぐいぐい引き込まれるエネルギーを発散させているのだ。

値段を聞くと3000円、貧乏でケチなおれだが、即買い。

『雲のうえ』の写真でも、齋藤さんは、どうってことないありふれたコップに生命を与えたり、見た目よいとはいえない黄身が崩れた目玉焼きに、とてもうまそうな息遣いを与えたりする。そこには、深い視点のほかに、表現技術ってものがあるのだろうが、「ありふれたものを美味しく」の精神のおれは、いろいろ学ぶことが多い。

「いいもの」をとなえていれば、「いいもの」を知る「いいひと」であるかのような風潮があるが、いい素材で、いい写真やいい文章やいい表現は、仮にできたとしてアタリマエであり、いい素材をなぞるだけで、チャレンジでもないし、いい素材に表現が追いついていないことも珍しくない。

ありふれたどうってことない素材を活かす視点や表現で、よりいい素材を活かす力がつく、と、アタマではわかっているツモリだが、なかなか難しい。

とにかく、「いい」「悪い」の尺度に拘泥しているうちは、深い視点や洞察すら身につかない。世界は、そんな薄っぺらなものじゃないのだな。

まあ、あれこれ考えながら、毎日、「melt saito keigo」写真集を見ている。

齋藤さんは、以前このブログでも告知した初めての写真展をやって、会場が山梨のほうだったかで、行けなかったかったが、今回の人生2回目の写真展は都内なので、オープニング早々に行った。身体ごとすいとられる、よい写真展だった。齋藤さんには、大いに活躍してほしい。

齋藤圭吾写真展 「melt saito keigo」は、22日(日)まで。

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