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2015/03/30

「語られてこなかったこと」が示すもの。『川の東京学 フィールドワーク編(1)』と『常磐線中心主義』。

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前に告知した、4月4日の『川の東京学 フィールドワーク編(1)』は、13時に東西線浦安駅集合。山本周五郎『青べか物語』の舞台で、「歴史を感じながら飲み、べか舟を眺めながら飲み、桜を見上げながら飲む!」という、野暮流のフィールドワーク。

どなたでも参加できますが、「二次会のためにある程度参加人数を把握したいので、参加予定の方はこのツイートにレスをいただければ幸いです」と有馬さん(allman3369 ‏@allman3369)が言っています。
https://twitter.com/allman3369/status/581766724078460928

先日、河出書房新社から発売になった、『常磐線中心主義』(五十嵐泰正・開沼博=責任編集)を読んでいる最中だが、とても面白い。「川の東京学」や「野暮」とも、大いに関係する。

腰巻には「それは、東京の「下半身」」「大都市を下支えする<言葉なき地方>。閉塞をしなやかに生きるこの路線から、この国の「明日」を考える。ノンフィクション社会学が描く、都市―地方論の新地平!」とあるとおり、記述は社会学の視点でまとまっているが、これは「日本の主軸」になってきた価値観(それぞれの人生観やライフスタイルなど)を問うものとしても、読むことができると思う。

日々、背筋を伸ばして凛として丁寧で折り目正しく、キラキラ輝いる仕事や暮らしを、良質で上等とする価値観が幅をきかせている。その価値観のもとに、持ちモノはもちろん、酒の飲み方やめしの食い方まで、統合されそうな勢いが続いている。

ある人気雑誌の編集長は、こんなことを著書に書いていた。

「毎日毎日、何も考えたり思ったりもせず、決められたことや、こうでなくてはいけないというようなことを、ただ繰り返すくらい、退屈で疲れることはありません。昨日より今日を少しでも、あたらしい自分で過ごしたい。今日一日があたらしくあれば、大切な一日を自分らしく過ごせて、それだけでうれしくなります」

このような、いわゆる「クリエイティブ」な生き方が、「あたらしいあたりまえ」として語られてきた。

「普通」であってはいけない、「スタンダード」では進歩や向上がないという言い方もある。「普通」や「スタンダード」について、間違った捉え方をしているわけだが、その背後には、こうした「あたらしいあたりまえ」のような価値観が見られる。それは、「あたらしい」ようであるが、明治以後の近代日本の背骨にある価値観と深く結びついているようにも思われる。

そして一方では、最近のツイートにこんなのがあった。

「新橋にあるラーメン屋によく行く。オヤジがヤル気が無くて落ち着く。まず味噌ラーメン、半炒飯を頼んだのに流れてるテレビに夢中になって手が止まる。そして壁にかかってる芸能人のサインが実はオヤジ直筆(1年通った末、吐いた)真剣に自殺を考える人間が死ぬ事を踏み止まる程のユルさが魅力。味は並(14:30 - 2015年3月26日)https://twitter.com/Pirate_Radio_/status/580964953185607680

ツイートだからこそだろう。良質なクリエイティブな仕事や暮らしを礼讃する、「主軸」のメディアにあっては、こういうことを述べる場も見る機会も、なかなかない。

そして、「決められたことや、こうでなくてはいけないというようなことを、ただ繰り返す」ことを、誰にも評価されることなく、ときには蔑まされながら、日々続け疲れ果てる人がいるし(たいがい、「日本の下半身」は、この人たちの労働で成り立っている)、また、「昨日より今日を少しでも、あたらしい自分で過ごしたい」と追い立てられ追いかけまわして疲れ果てる人もいる。

といったことについて、まず考えてみたい、というのが「野暮」なのであり、野暮による「川の東京学」でもあるのだ。

野暮でもいい、輝いていなくても、背筋なんかのびていなくても、価値ある人生が、いくらでもある。そのことについて、あまり語られることがなかったし、知らないことが多い。常磐線のように。

『常磐線中心主義』の終章は、開沼博さんが書いているが、その見出しは、「「語られなかったこと」が示すもの」で、「意識されることのない、日本を捉えなおすきっかけになればありがたい。」で結んでいる。

「あたらしいあたりまえ」は、むしろ、語られてきたクリエイティブでスマートでかっこいいことではなく、「語られなかったこと」にあるのではないか。

「川の東京学」も、酒飲みながら、近年あまり意識されることのなかった東京を捉えなおすきっかけになればよい。

『常磐線中心主義』については、読み終えてから書きたいが、五十嵐泰正さんによる序章「寡黙で優秀な東京の「下半身」、第1章「上野駅 「北の玄関口」のこれから」から、グイグイ読ませる。

五十嵐さんは、かつて『戦後日本スタディーズ』3巻に収録されている「グローバル化とパブリック・スペース 上野公園の九〇年代」を書いていて、上野公園の西郷さんの銅像のまわりの小さな空間に絞って、上野公園の役割と近代日本の国際関係から生産労働など、ようするに「日本社会」を一気に語るという、すごいワザを見せているのだが、今回は、上野駅が舞台で、またまた冴えて圧巻。

小さな場所や空間に、歴史と文脈とイマを見るこのワザは、ほんと見事だ。いつも真似したいと思っていて、『雲のうえ』のうどん特集では、「うどんから見た北九州」というテーマを与えられたのをいいことに、試みたりしてはいるのだが、なかなか。

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