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2015/03/19

スーパーで、米の値段だのレヂだの。

出かけない日は、ほぼ毎日スーパーへ行くのだが、以前の仕事のクセで、どうしてもいろいろ「観察」してしまう。

数ヶ月ばかり前から、それまで主に利用していたスーパーとは別の店に変えた。前は、駅に近いローカルチェーンの店をよく利用していた。

それをやめて、うちから駅へ向かうのとは反対方向にあるスーパーにした。広い道路を渡らなくてよいのと、自動車の多い通りに出ずに住宅街のなかを通って行けるのと、品揃えのアンバイがうちの食生活と相性がよいなどで、もっぱらこちらになった。

こちらの店も、ローカルチェーンだが、米のボリュームゾーンが、5キロ1500円ぐらい、厳密には1500円弱といったところ。前の店は、5キロ2000円ぐらい、厳密には2000円弱といったところだった。500円近くの差がある。これは、大きい。

これだけ差があるから、客単価の差も大きいだろうと、昔ならそう考えるところだが、近ごろは、そうでもないようだ。

どこの店も、米の売場面積は大きいが、やはり、さまざまな意味において昔ほど米の重みがなくなったのか、パン売場と惣菜売場の比重が、面積だけ見ても広くなっているし内容も充実、売上に占める割合も大きくなっているだろう。

米のボリュームゾーンが低い店は、客の所得も低く、客単価も低い、という図式は、もう単純には、あてはまらないようだ。低所得層ほど、米への依存が高いという見方も、あまりあてにならない。レヂに並んで人様の買物かごのなかを見ていると、とうぜん加工食品の割合が高いし、そこには飲料も含まれる。

まあ、ようするに、「食生活の多様化」ってやつだ。

しかし、おれなんぞは、スタンダードが米のめしだから、米が安いというのは、ありがたい。こちらの店を利用するようになってからは、銘柄に関係なく、5キロ1350円を買っている。この間は、新潟産のこしいぶきが、その値段だったが、つい最近は、山形県大蔵村産はえぬきがその値段で、新潟産のこしいぶきは1480円だった。どちらの味も、2000円ぐらいのものとだったら、遜色ない。だいたい、新潟の魚沼産コシヒカリの産地で、イオンなどのスーパーへ行けば、こしいぶきがドーンと並んでいる。

話はかわる。先日、浦和へ行ったついでに駅近くにあるスーパーで買物をした。スーパーだが、八百屋と肉屋と魚屋が、レヂを一本化しセルフサービスにした店だ。

こういう店の場合、オペレーションのためのマンパワー教育訓練にカネをかけられない。レヂの対応が「古典的」なのだ。ようするに「粗い」。だけど、これで十分だと思った。

おれは、自分の近くのスーパーのレヂに馴れてしまっている自分に気がついた。それは、ほんとうに、そこまで必要なのか。とくに、最後に、身体の前で両手を組んで「ありがとうございました」と会釈をするアレ。アレは、昔はなかった。

そもそも1980年ごろ、関係していたスーパーのレヂのパートさんの教育訓練を見たとき、もうその時点で、動作の要素が過剰じゃあるまいか、そこまで必要ないだろうと思ったのだったが、いまやそのレベルをはるかに超えている。大手スーパーほど、スゴイことになっている。そういうことを、客は、トウゼンのことだと思っているのではないか。立ちっぱなしで、そこまでしなくてもよい、と、客は思わなくなっている。そのことに気付いたのだった。

スーパーのレヂが立っているのは、必ずしも必要なことじゃないし、座っている店が珍しくない国もある。

いまや、なんだか「丁寧」だの「感謝」だのがにぎにぎしく、そこに「心」だの「精神」がからんで、「人間」というものを間違えてしまった感じだ。

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