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2015/05/31

1995年、デフレカルチャー、スノビズム。

まだまだ続く1995年とスノビズム。だけど、このへんで、思いつきだが、小まとめをしておこう。自分のための備忘メモ。

速水健朗さんは『1995年』のあとがきで、こう述べている。要所だけ、あげる。

「オウム真理教の麻原彰晃は、物質文明や消費社会を否定することで、それに共感する若い信者を集めた。だがオウムは同時に、テクノロジーを大いに活用した宗教だったし、極めて消費社会的な手法で運営された団体だった」

「「1995年」も、オウムと同じような矛盾を抱えた年だったように思う。テクノロジーが生んだ物質文明や行きすぎた消費主義への反省は、この頃に臨界点に達した。日本ではそれがオウム事件に行き着いた」

「テクノロジーと消費がリードした時代に終わりが突きつけられ、さらなるテクノロジーと消費がリードする時代が始まる。そんな矛盾がクロスしたポイントが1995年だったように思う」

以上。

おれは、バブルのころ、オウム真理教ではないが、そのころハヤリだった、物質文明や消費社会を否定する、無農薬有機栽培や自然食いわゆるマクロビの人たちのあいだで仕事をしていたことは、すでに何度か書いた。この世界、サヨクばかりじゃなく、ミギもいて、おれはミギの系統だったけどね。ホリスティックとか、かなりヤバイ。

オウム的なるものは、いまも生き続けている。速水さんが指摘する、1995年から始まった新しい時代は「おそらくは、さらに進んだテクノロジーとさらに進んだ消費社会のロジックによって駆動される何かでしかない」という点は、すごく納得。

で、さらに進んだ消費社会のロジックに、このあいだからここに書いているスノビズムが深く関係していると、食に関してだけだが、ますますそう思えてくる。

このスノビズムは、かつての「みやび」の洗練を、より現代的大衆的な方向(つまりは消費大衆に適合する方向)へ向かって、より「上質」を中心にすえているようだ。

そのまわりを、丁寧な暮しとか、丁寧な仕事とか、誠実な職人仕事とか、妥協のない仕事とか、こころのこもった仕事とか、ナチュラル、シンプル、「愛」は昔から…いろいろな言葉が囲み、本来は労働や生産や生活のことが、倫理や精神や心のありかたなどに置き換えられてしまう。

そういう語りの中に、おれのような野暮は、「ああ、上質を知っているワタシは上質ね」という感じの自己陶酔のようなものを見てしまうのだが、そこには、オウム的なもの、つまり物質文明や行きすぎた消費主義に対する反省や批判や否定が横たわっているのも見る。

そして、いま、この物質文明や行きすぎた消費主義に対する反省や批判や否定を含んだ消費が、新たな消費社会のロジックを担い、消費主義をリードしているというわけなのだ。このあたりに、スノビズムの正体がありそうだ。

「上質」が悪いわけではない。「上質」以外のものを位置づけられない、包括し得ない、見下したり、認めなかったり、否定する。そこにまあ、スノビズムとしての存在があるのだろうが。

ところで、速水さんの造語に「デフレカルチャー」がある。

速水さんは「さて、“文化”の定義とは、一定の層に共有されるゆるやかな価値観のことである。経済の停滞によって余儀なくされる生活が一定期間にわたり定着し、その環境で育った人間にゆるやかな価値観が共有される。ここではそれを“デフレカルチャー”と名付けておく」と述べている。
http://eq.kds.jp/kmail/bn/?r=c&m=8&c=8

近頃のスノビズムには、バブルのころの「ワンランク上の生活」に通底しているものを感じるのだが、これをさらにデフレカルチャーとしてとらえて見ると、たとえば、大衆酒場や立ち飲み屋などで繰り広げられる、酒や料理に関するスノッブな会話が思い当たる。ずいぶん安上がりのワンランク上にしても。

食についていえば、1995年以前のスノビズムは、バブル期であっても、大衆的とはいえなかった。大市民的文化人たちがリードしてきた影響下だった。(グルメの分野で、そういう状況に立ち向かった?のが、マスヒロ氏だった)。大衆食堂もちろん、大衆酒場や立ち飲み屋は、はっきり、労働者の生活の場だった。

幸か不幸か、いまでも、大部分の大衆食堂は、ほぼ、スノビズムの周縁か圏外だ。

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2015/05/30

豚レバ刺し問題。

一昨日、昨日とスノビズムにふれることを書いていたら、1995年以後の、とくに食がらみのそれが気になって、あれやこれや古い資料を出して見ているのだが、なかなかおもしろい。

考えてみれば(というまでもなく)、『大衆食堂の研究』の帯には、「気どるな!力強くめしをくえ!」とあって、このキャッチフレーズを掲げ、名刺にまで刷り、おれのライター稼業はコンニチまで来ているのだ。しかも、上京したが「東京者」になりきれなかった田舎者として。

自身のフォークロアから飛躍できなかった馬鹿者ともいえるか。馬鹿は馬鹿を洗練させながら開き直る。

ところで、自身のフォークロアと食べ物や味覚は大いに関係するところだけど、最近の豚レバ刺し禁止騒ぎで、またそれを思った。

いろいろ姦しいなかで、「食文化消える」店主ため息=E型肝炎感染者、昨年最多-豚レバ刺し禁止〔深層探訪〕時事通信 5月30日(土)8時31分配信 の記事にあった、墨田区向島の大衆酒場「かどや」の店長のコメントがらみの記述が印象に残った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150530-00000032-jij-soci

それは、この部分だ。

「店長の男性(40)は「下町では昔から豚のレバ刺しを出す店が多い」と話す。理由は安さとボリューム。豚レバーは牛と比べ仕入れ値が5分の1ほどで、「大衆酒場で安く出すには、鳥か豚のレバーになる」と明かす」

この話のおもしろさは、「安さとボリューム」であり、味にふれてないことだ。じつに、気どらない、即物的な文化。安さとボリュームを堪能するよろこび。いわゆる下町の大衆食堂や大衆酒場の文化とは、スノビズムから見れば文化とは言えないような即物性に、生き生きとしたフォークロアが息づいていて、だから、やはり、文化なのだ。

そういうフォークロアに生きてきた人たちにとっては、今回の「禁止」は、「残酷」といってもよい措置だと思う。インディアンとインディアン文化が抹殺されてゆくような。

豚レバの生食の危険は指摘されていることで、それ自体にどうのこうのはないが、リスクと禁止の措置のあいだ、それと文化の関係は、十分論議されたようには思われない。

続き→2015/06/11「豚レバ刺し問題、もう一度。」

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2015/05/29

スノビズムと味覚または料理または食。

昨日の続きのようなことを書く。

1995年は、おれが出版業界やライター稼業に首を突っ込むことになった、『大衆食堂の研究』が発行になった年だ。

あれから20年というわけだが、川の東京学の相棒、有馬さんから、次回のトークについて、「『大衆食堂の研究』」刊行から20年で変わった・変わらなかった川の手、大衆食堂」てなテーマで行うのはどうかという話があって、これから打ち合わせをして決めるのだが、そういう感じになるだろう。

たまたま、2012年11月発行の『雲遊天下』111号は「なくなったもの」特集で、おれは「大衆食堂から見るなくなったもの」というテーマを与えられ、寄稿している。

この内容が、簡単だけど、「大衆食堂の研究」後のソウカツのようなアンバイなのだ。まだ「川の東京学」のことは考えになかったが、東京の東つまり川の手から見た山の手的な大衆食堂の見方、それは山の手文化的なものがリードしてきた消費主義的な見方ともいえるのだが、そういうものに対する違和感を述べている。それが、有馬さんがいうテーマとも関係するにちがいない。

いま「山の手文化的」なものと書いたが、これは「第四山の手論」などで「「東京」の侵略」というぐあいに表現された「東京」の文化であり、それとは異質な川の手文化は包括されてない。そのことは具体的に、「大衆食堂から見るなくなったもの」にも書いた。

『大衆食堂の研究』の帯では、「小市民化した東京大衆」の文化であり、これを「ののしり、オシャレとウンチクとモノグサにまみれた食生活をたたく」としている。であるから、『大衆食堂の研究』のサブタイトルは「東京ジャンクライフ」だったし、まだ当時は、「ジャンク地域」は川の手以外にも、点々とだが存在した。

で、昨日引用した、「スノビズムとは」だ。

その文章の、「遅れてきた王朝文化人」を、「遅れてきた小市民的文化人」とでも入れ替えてみると、大変おもしろい。そこに1995年以後が、浮かび上がる。とくに、おれは食に関心があるからだろう、食の分野に顕著だと思う。

「みやび」の洗練といえば京都で、京都は、ある種のスノビズムの頂点に立ち続けてきた。昨日の綾鷹のコマーシャルのように、京都のみなさんは、日本人の味覚は、世界一繊細だと思うと気づかせてくれたりしている。らしい。

『大衆食堂の研究』の「思えば…編*田舎者の道」では、「 「日本人のふしぎは、田園(いなか)を一段下にみることですね」といった、アメリカの日本人学者のことばを紹介した司馬遼太郎さんなどは、「都あこがれという日本人の習癖は、平城京(奈良の都)のころにさかのぼるべきなのかもしれない」」と書いたりしているのだが。

ようするに、「みやび」とは、かつては「宮廷風であること」でよいだろうが、いまでは「都会風であること」「優美で上品なこと」などであり、芸術的で文化的で、おしゃれでかっこいい(クール)とか、そして、ここだ大事なのは、ダメなやつはダメなのであり、侮ったり軽んじたり馬鹿にしたり見下したり、劣っていると下に評価する対象を、明確に持っている文化といえようか。

その一段下に見られる不動の地位が「田舎者」であり「労働者」だった。そういう文化を、ひたすら洗練させてきた。言葉づかいだけは、凛としたり、丁寧だったり、誠実そうで真摯そうなのは、洗練のおかげだろう。

野暮を洗練させるとか、ダメを洗練させるという発想なんかない文化。

それはともかく、速水健朗さんの『1995年』を読んで、すぐさま思ったことは、ワインブームだ。確か、あのあたりから、「カリスマ」という人たちが脚光浴びたりした。「達人」がもてはやされるようになった。

いわゆる「グルメ」はもちろん、ワイン、焼酎、清酒(日本酒)、あるいは居酒屋や大衆酒場などのブームは、入れ替わり立ち替わり、スノビズム丸出し、近頃はコーヒーや喫茶店やスイーツなど、とりわけ嗜好品をめぐるスノビズムは、喫煙排除のあとの消費市場の埋め合わせかと思えるほどだ。

大きなブームにならなくても、嗜好品の分野や嗜好的消費の傾向がある雑貨や工芸品の分野など、とにかく、スノビズムが花盛りとなったのは、95年以後の消費の特徴ではないか。

そういうスノビズムをリードしてきた小市民的文化人がいるのだが、彼らの語りの特徴は、対象の構造的な位置づけ(構造的把握)が出来てないことだろう。全ての人が同じように出来てないのではないが、思い込みや思い入れによる、結果的に循環論法にならざるを得ない、あるいは、最初から循環論法で、自己満足している。ま、ようするに、売れれば、勝てば官軍で言い分は通るのだから。

タイトルらしい内容にならないうちに、もう書くのがメンドウになった。

最後に、小市民的文化人である有名な「料理研究家」は、たくさんいるけど、小林カツ代さんは、スノビズムから最も遠い人だったと思う。

小市民的文化人の定義、なんてのをやってみるのも、おもしろいかな。

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2015/05/28

日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。

国会では安保関連法案の審議が始まっているが、その審議に臨む安倍総理や自民党はもとより、報道の仕方も、かなりヒドイ状態だ。

一国の安保をめぐることなのに、国会の議論を通じて国民の共通認識を育むという緊張感もなく、安倍総理は、28日の衆院平和安全法制特別委員会で、民主党の辻元清美氏の質疑中、席に着いたまま「早く質問しろよ」とヤジを飛ばし、審議が紛糾、陳謝する結果になったり、中谷防衛相も、やはり28日の衆院平和安全法制特別委員会で、維新の党の柿沢未途幹事長に対する27日の発言について「大変不適切だった。おわびする」と陳謝したりと、お粗末が続いている。

アベノミクスに飼いならされたマスメディアの報道や言論からしてユルユル。

「お気に入り」か「気にくわない」かの選択肢で、気にくわないものにはもちろん耳も傾けない(イヤホンはずし)、総理それは少し事実と違いますていどの批判とは違う事実の指摘ていどでもイライラ興奮する(声が急に何オクターブか上がったり)、そんな大人げない態度をとり続けてきた安倍総理らしい、国会運営ではあるが。

具体例をあげての質問に対しても誠実に答えようとしないで、ようするに最終的には、何の根拠も示さずに「私(政府)が判断していることだから間違いない」というぐあいのカラまわりで、もう毎日「循環論法」の循環なのだ。

という状態のところへ、「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」というコマーシャルが登場、これがまた日本人好みの循環論法で、スゴイぞ日本、日本人、を謳いあげる。

これ、どうか英語訳などにして世界に流さないでくれ、恥ずかしいから。という声もツイッターにあったが。

綾鷹(あやたか)の、ペットボトル茶のコマーシャル。「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。そう気づかせてくれた京都のみなさんに、綾鷹を味わっていただきました。」と、いならぶは、例によって「日本の伝統」だ。
http://ayataka.jp/cm/2015_04.html

ちょいと、ほかの民族は繊細に欠けるということですかい。そういえば、日本料理の伝統は、そんなことを言って来た。まだ言っているのだ。いや、ますます言っているのか。「和食がユネスコ文化遺産」となり。

「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」には、根拠はない。だから、用心深く「思う」をつけたか。

とにかく、循環論法の根っこには、こういう伝統主義を批判した『大衆めし 激動の戦後史』の「伝統は頑迷だからこそ伝統なのか」でも、江原恵の『庖丁文化論』から引用しているが、「自身の観念のなかに固着しているある価値」がある。日本、日本人は、スゴイ!サイコー!という。

日本料理をめぐっては、こういう循環論法が多い。

多様性を認めないわけではないが、日本、日本人は、スゴイ!サイコー!の支配下、お気に入り下において認める。それは多様性を認めたことにはならないと思うが、彼らは、そうではない。だから、多民族支配や侵略の認識も違ってくる。

今年は、敗戦から70年。20年前の1995年には、敗戦50年だった。

速水健朗さんの『1995年』という本があって、1995年的転機がなかなかおもしろくまとまっているが、補足すれば、ふれられてない「日本会議」のことだ。

昨年の安倍内閣の改造のとき、日刊ゲンダイというカゲキなタブロイド紙に、「改造内閣の発足でガ然、注目を集めている団体がある。日本最大の右翼組織「日本会議」だ。」と報道されたりした。

この日本会議が結成されたのが、1997年のことで、1995年ではないが、そのカルト的な存在は、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった1995年を転機にしていると見てよいだろう。

それはともかく、「日本会議」には「日本浪漫派」を名乗る人もいる。この人たちもまた、循環論法というか、朦朧論法というべきか、得意で、ほとんど宗教に近いのだから、祝詞のようなもの。

日本、日本人は、スゴイ!サイコー!が、ペットボトル茶にまで、ますます盛んな背景は、日本会議の勢いと大いに関係ありそうだ。

「日本浪漫派」といえば、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』だが、講談社文芸文庫版における井口時男の解説におもしろい一文がある。

「スノビズムとは、他者や異物をすべて表象に還元して内面化してしまう文化のシステムのことである。そこでは、他者性、異物性は消去されてなめらかな表象の秩序に組み込まれる。たとえば、遅れてきた王朝文化人ともいうべき吉田兼好は、『徒然草』の中で、おそろしげな猪も歌の中で「臥(ふ)す猪(ゐ)の床(とこ)」といえば「やさしく」なるだろうと書いている。そもそも文化というものは、本来、その成員の主観性を保護するシステムにほかならないのだが、とりわけ、「みやび」と呼ばれる文化伝統は、ひたすらにその技術を洗練させてきた。保田の「日本の橋」は、その意味で、じつにみごとなスノビズム文化論である。スノビズムは他者を知らないのだ。」

気にくわない他者のことは知らないし知りたくもないワタシ、でも日本人の味覚は世界一繊細だと思う、スゴイ!サイコー!

「日本人の味覚は世界一繊細だ」と断定せずに、「日本人の味覚は世界一繊細だと思う」としたところが、みやびで、奥ゆかしく、イキなはからいなのです。

世界は、わが循環論法とスノビズムの中にある。

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2015/05/26

押上、曳舟で泥酔。

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昨日は午後3時に押上駅集合でガッチリ飲んだ。そもそもは、押上の住人となったK女と、しっとりデート飲みをする話のハズだったが、S女とO女が加わり、しっとりどころか姦し飲みになった。

押上、曳舟と書いたが、住所では、向島、東向島になるだろう。押上駅から、かつてよく足を運んだ墨田中学の前を通り、ひさしぶりの水戸街道周辺。

午後3時開店早々の大衆酒場は、おれたちだけ。ビールのあとは、酢橘サワーをグイグイ、そして陸奥八仙と田酒をグビグビ、姦し姦し。いやあ、明るいうちから飲むと、気分爽快、酔いもまわる。6時ごろまでいたか。ハムカツ、レバカツ、ポテトサラダ、シメサバ、赤貝…。赤貝を食べながら、エロ話をしていたな、姦し姦し。

つぎの店へ行く前に、すぐ近くの隅田川に出て、桜橋の近くの川岸で夕涼み。風流だねえ。土手から突き出したように見えるスカイツリーの天辺あたりだけというのは、ヘンなものだ。

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川を見ると、「川の東京学」が頭の中でチラチラする。この桜橋の上手近く、上の写真の右手の岸には、かつて船着き場があって居酒屋を営業する船が係留されていたのだが、1999年に石原慎太郎が都知事になったのち撤去されてしまった。

01年の5月ごろには、まだ係留されていた船着き場の残骸だけが残っていて、写真を撮ってザ大衆食のサイトに掲載してある。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sagasimono.htm

さて、それで、少々歩いて、曳舟近くの大衆酒場へ。ここまで歩いていくうちに酔いは、さらに深まり、ほぼ満席状態の店で、何を飲み食べたか思い出せない。古い渋い店なのに、トイレだけが、ばかに広くきれいで、便器に腰をおろすと前に金魚の水槽があったのだ、それを写真に撮ったのは、覚えているし携帯に写真が残っていた。

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いったい、何を食べたか何を飲んだか記憶のない状態というのは、おれの人生なのだろうか。だけど、そういうことは珍しくない。失われた人生の時を累計すると、けっこうな時間になるだろう。「失われた」と見ればマイナスかも知れないが、姦し女3人と酒場にいたという事実は残るわけで、必ずしもマイナスだけではない。ということにしておこう。

何時か知らないが家に帰ったら、手にコッペパンが3個入った袋を持っていた。どこかの駅で別れるときにS女からもらったような気がする。

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2015/05/25

農水省広報誌「aff」がリニューアル。

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以前書いたことがあるように、農林水産省大臣官房総務課広報室という、イカメシイところが発行している月刊広報誌「aff」を毎号いただいている。

最近届いた5月号を袋から出したら、表紙のデザインが、これまでとだいぶ違う。タイトル・ロゴまで変わっている。つまり、リニューアルなのだ。

奥付を見ると、編集協力が、一般社団法人家の光から、株式会社KADOKAWAになっている。ははあ、年度コンペか何かで編集制作会社が変わったのか。

パッとみたところ、表紙も含め、デザインは今風のハヤリを意識しているようだし、これまでより考えてつくられているようではある。

それに、4ページもとって連載の「食文化研究家・清絢の味わいふれあい旅」が終了したのは、よかった。こんどは、「御馳走東西南北」ということで「イタリア料理シェフ・日高良美さんが訪ねる」というものだ。

前の連載は、文を書いている清絢さんの責任ではないと思われるが、旅ガイドのような要素が多く入ったりして総花的、食文化的な突っ込みも中途半端だった。今回は、文は日高さんではなく、別のライターさんが取材に随行して書いているのだが、テーマである「湘南しらす」について、よくまとまっている。レイアウトも、表紙のイメージにできている。

ほかの内容のカテゴリーは従来とほとんど変わらず、農水省の政策広報、東日本の復旧・復興の動き、農業先端技術の紹介、がんばっている農業者、トピックスなど。レイアウトのイメージは、表紙とは違う。

全体的に見せる工夫はしているようだが、なんといっても、お役所仕事というのは、あれもこれも誰にもいい顔を見せなくてはということになりやすく、グラフィックでカラフルでいろいろあるようだけど、なんだか中途半端で薄っぺらという結果になりがちだ。

つまりは、こういう総花的中途半端薄っぺらをよろこぶ読者もいるわけで、いったい、そういう読者に向けた広報でよいのか、これは広報誌の戦略レベルの問題だろうが、広報誌の場合、その戦略レベルの政策がシッカリしていないと、編集制作レベルでどうがんばっても、イマイチの結果になってしまう。ということが、ミゴトにあらわれている。

まず、誰が読んで満足する広報誌にするかとなると、「一般読者」というわけにはいかないだろう。「一般読者」というのは、顔のわからない読者であり、じつにアイマイな存在だ。やはりメインはオピニオンであり、「オピニオン像をどう描くか」になる。「一般読者」というのは、その結果、その周りに明らかになるものなのだ。そういう構造を持った広報誌。

そのへんがハッキリしてないと、やたらグラフィックでカラフル、なんだか有名人みたいなものを登場させてキャッチーな誌面をつくるということになる。これはテレビのような「一般」を相手にしたマスメディアのやりかたで、より対象を絞るべき広報誌としては、妥当とはいえないと思うのだが。

とか、キーをガチガチ叩きながら、真剣に書いてしまった。昔の話になりますが、ワタクシ、編集とかは苦手だしエライ編集者から編集向きの人間ではないと言われたこともあるし自分でもそう思うけど、広報誌戦略の立案はよくやりまして、コンペの勝率抜群、PR誌広報誌のコンテストでも受賞作を連打し、注目を集めたことがありまして、広報誌のことになると、つい熱が入ってしまう。

ま、官庁というのは、政治家や納税者のみなさまから、ケチをつけられないようにしなくてはならない、という立場に追い込まれていることもあって、なかなか絞り込みが難しい。それぞれの立場から主張し合い批判し合い共有し合っていく日本の民主主義は、まだまだ未熟ということだ。

「aff」5月号は、こちら農水省のサイトでご覧いただける。
http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/

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2015/05/24

食の本つまみぐい。

すっかり忘れていたが、以前、書評のメルマガに「食の本つまみぐい」というのを連載していた。ここのところ、2度ばかり続けて、そのことが話題になる機会があって、おお、そーいえば、と思い出した。

『大衆めし 激動の戦後史』と、この連載をあわせて読むと、ますますおもしろい、とも言われた。『大衆めし 激動の戦後史』を、ボロボロになるほど読んでくださったうえ、そのように言われると、恥ずかしながらライターをしているおれとしては、とてもうれしい。

しかし、『大衆めし 激動の戦後史』を書いているときは、「食の本つまみぐい」のことなど、完全に忘れていた。忘却の彼方。光陰矢のごとし、忘却矢のごとし。

そういうわけで、久しぶりに、ザ大衆食のサイトに全文掲載してあるそれを読んでみた。

03年8月のvol.128から09年12月のvol.436まで隔月の連載で、全35回。

1回目が江原恵の『庖丁文化論』、最終回が玉村豊男『料理の四面体』だ。まさに、『大衆めし 激動の戦後史』の重要な部分を占めている2冊。

最終回では、このように書いている。「この連載は、これが最後。連載を始めるときに、最初は江原恵さんの『庖丁文化論』で、最後は本書で締めくくろうと決めていた。日本の料理の歴史のなかで、もちろん万全ではないが、「画期的」といえるのは、この2冊だろうと思う。」

当時は、書評なんぞ書くのは初めてだから、どうやって書くべきものやらわからないまま書いている。出来不出来はあるが、いま読んでもおもしろく、タメになる。食、とくに料理の本質について考えるによい。

ま、大勢はあいかわらず、食というとグルメや外食を中心に食風俗に関心が傾斜していて、料理の本質なんぞに関心のある人は少ないと思うが、料理そのものを中心に「まちづくり」にまでふれ、料理をめぐるコンニチ的な事柄を広く見渡している。

食と料理を、表層ではなく、突き詰めて考えてみたい人には、読んでもらうとよいかも。
http://homepage2.nifty.com/entetsu/hon/syokubunkahon.htm

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2015/05/23

コロラドの「食道楽のカウボーイ」から便りが届いた。

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お元気ですか。
私も元気にラーメンを食べています。
今、東部ニューヨークと西海岸ロスアンゼルス/サンフランシスコでラーメンが大ブームです。
なんと私の住む、コロラドの山岳地帯にもラーメン屋が出来ました。ビックリです。

という書き出しの手紙に、少し前の「weekly LALALA」という日系人向けフリーペーパーが同封されていた。本誌は、毎週金曜日、ロスアンゼルス、オレンジ、サンディエゴ、ラスベガス、フェニックス、サンノゼ、サンフランシスコ、テキサス全域、デンバー、ニューオリンズで発行されている。

彼がこの号を同封したのは、「来場者投票による 全米一美味しいラーメン決定戦」の告知広告が載っているからだ。目下の人気はトンコツラーメンだそうで、決定戦に出場のラーメンもトンコツ系が並ぶ。投票対象店以外に、日本からの招待店が4店。

ところで手紙には、日本食の土産を山ほど持って、日本から知人が訪ねて来た話がある。その中に、東洋水産のマルチャン正麺というインスタントラーメンがあって、いつもアメリカのスーパーで売っている安物のマルチャンラーメンと全然違って「本モノの味でした」と。

彼の住むコロラドの山岳地帯の町には、以前から寿司屋もあって、寿司もはやっているのだが、「日本人の寿司職人がいなくなり、韓国と中国人や、アメリカ人の“板前さん”がにぎっていますから、アメリカの寿司はマズイ。それに古いサカナを出しますから危ない」とのことで、彼は自分で寿司をおぼえ、カウボーイを集めて寿司パーティをやっている。

魚のネタはないから、肉など、何でもまけるものはまいているのだが、それがうまい。「コツはシャリでしょう。米さえうまくたいて、スシ酢をしっかり混ぜれば寿司はうまいのだということが判りました」「ラーメンと寿司。これが、ウチのOK牧場の近況です」

いつものことだが、なんとも愉快な手紙だ。

2年前に彼が来日して会ったときに、彼は、やっとうまく炊ける炊飯器を見つけた、それが韓国製なのだという話を熱心にしていたが、それで炊いているのだろうか。

とにかく、今回の便りも、全面的に食べ物の話で、まさに「食道楽のカウボーイ」らしいが、上質なウンチクを語るよろこびではなく、ひたすら食べるよろこびにあふれていて、これがまあ、ほんとうの「食道楽」というものじゃないかと、心地よい。

004「LALALA」には、いろいろな広告が載っているが、「WA-SHOKU」という劇場映画とDVDの広告があった。「文科省選定 農水省推薦」と。

おれと同じ齢の知人は、日本食レストラン経営ではアメリカでも有数の会社で、教育担当の副社長をしているのだが、日本食ブームのおかげで、引退もできず、休暇をとって日本に来ることもままならない状態のようだ。

ま、ブームといっても、日本がどこにあるかも知らない人が多いといわれる国のことで、インスタントラーメンも昔からアメリカの食品だと思っている人の方が多いとか。ようするに、食べ物はうまければよいので、「国」や「国境」なんか、どーでもよいのだ。

005とはいえ、移住者は自分が育った味覚を忘れられず、そして移住者と共に味覚は世界を漂流し、うまいものはいろいろ変化しながら、かの地に定着する。

あなた、アメリカに渡って、日本食で一旗あげますか?

「LALALA」のバックナンバーは、本文まで、こちらのLALALAのサイトに掲載されている。
http://www.lalalausa.com/backnumber/

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2015/05/22

雑誌って、ナンダロウ。本って、ナンダロウ。南陀楼綾繁って、ナンダロウ。

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もともと出版だの編集だのには、あまり魅力を感じていたわけではないし、ライターなんぞになりたいと思ったこともなかった。ひょんなことから、20年前に『大衆食堂の研究』なる本を出してしまい、出版業界や文筆業界の片隅で仕事をしてきた、という実感があるほど仕事もしてない。ライター稼業というものに、ある種の後ろめたさを感じながら、成り行きでやってきた。

だけど、編集そのものや、表現というのはおもしろい。そもそも編集だの表現だのは、出版業界、つまり紙の上やメディアだけのものではなく、どんな仕事にも付きまとうことだ。「経営」も、ある種の編集であり、表現であるように。ということを、あらためて考える機会が、昨日、あった。

南陀楼綾繁さんからメールで問い合わせのことがあり、やりとりしているうちに成り行きで、昨日は川口市メディアセブンへ行くことになった。

ここで6月から「「袋雑誌」をつくろう」というワークショップをやることになっているナンダロウさんが、そのガイダンスのような、「ミニコミ」についてのトークをやるのに招かれたのだ。19時開始なので、少し前に着いた。

川口市メディアセブンは、川口駅そばのキュポ・ラという、川口市の施設と一般商業施設が入居する、いまどきの官民同居の複合ビルにある。このビルの設計には、知り合いのタナカさんが関係していて、前から行ってみてといわれていたのだが、とくに行く機会もなく、ようやく行くことができた。タナカさん、なかなか立派な建物を設計しているのですねえ。とくに図書館階の5階6階が、吹き抜け構造で、なかなか豪華というか、「市民のユトリやシアワセ」をカンチガイさせそうなほど感じさせる。

ナンダロウさんのトークは、かれが収集の多彩な「ミニコミ」「リトルプレス」とよばれるたぐいのものを見ながら、1時間半ほど。「私の表現」をカタチにすることの多彩な実例と楽しさ、ほとんど初めてのことなので、気まぐれで行った割には、なかなかおもしろかった。

「表現欲」というのは、食欲や性欲にならぶ人間の欲望なのではないかと思ったり、そういう人間の「狂気」を感じたり。

30名ほどの参加。質問になってわかったが、今年高校を卒業したばかりの18歳が最年少。

トークのあと、トークで使われたミニコミを実際に手にとって見る機会があり、また、下の写真、平山亜佐子さんの「純粋個人雑誌」を謳う『趣味と実益』は販売していたので、壹号を買った。今日開いて見たら、まさに表現欲と狂気のカタマリのような。

21時チョイ過ぎ。初対面の、メディアセブンの担当の方と、平山さん、やはりトークのときに見本にされたモノを作ったKさん(いま21歳のKさんが小学校5年だかのときに作った少女ファッションがテーマのものが、すごい傑作、写真を撮り忘れたのが残念)、それからトークが終わるころ駆けつけた既知のヤマガラさん、6人で近くの居酒屋へ。

ふだんあまり出あうことがない顔ぶれで、なかなか話がおもしろかった。

もんじゃ焼の話になったのだが、「川の東京学」とも関係あり、もんじゃ焼に限らず、隅田川・荒川流域の食文化という視点で見なおさなくてはならないことがありそうだ。

出版業界については、「不況」について、いろいろ言われていて、このブログでも何度か書いているが、ま、ようするに出版業界というのは、いちばん「近代化」が遅れている部類で、「旧態依然」の状態が多く、平均的にイノベーション能力も低く、それに慣れっこになっているのが病根の一つだと思う。

出版社は、「賞」なんか設けてセールスプロモーションを図るより、出版社と編集者自らが出したいテーマを決め、書きたい著者を広く募り、コンペで著者を選ぶぐらいの企画をすすめるとか、いろいろ「活性化」のやり方があると思う。「旧態依然」に慣れっこでは、できないだろうが。

「表現欲」と「狂気」にふれ、そんなことも考えた。

ところで、まだブログでは紹介してないが、南陀楼綾繁さん新著『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)は、断固オススメです。まさにナンダロウさんの本領発揮、面目躍如、快著、これまでのナンダロウさんの本のなかで最高。ナンダロウさんに厳しいおれもベタ褒め。

自称「本好き」は、けっこういるけど、では「本」とは何か、本の本質について語れる人は少ない。おれは、本好きじゃないけど、本の本質ぐらいは、わかっているつもりなのだが。

ナンダロウさんは、「これが本の本質というものだよ」と大上段に構えるのではなく、「全国の個性的な本屋さん、変わり種の本にまつわるスペースをゆる~く紹介」しながら、自分が本の地べたをウルウロした体験から語っている。この人ならではの芸だろう。

「「袋雑誌」をつくろう」ワークショップ参加の受け付けは、5月24日まで。

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2015/05/21

手仕事と機械仕事。

ベーカリーレストランの店頭で、「やはり手づくりの焼き立てはおいしいですね」と取材のライターさんに言われ、「ありがとうございます」と返す。本当は、棚に並んだパンの半分以上は、機械成形か、一部に機械仕事が含まれている。

だけど、そもそも「手づくり」の概念は、それほど普遍的でもなければ、ハッキリしているものでもない。それに、食べたライターさんは、その味覚で、「手づくり」と言っているのだから、あえて人様の味覚にケチをつけるようなことを言って反感を買うのも面倒だ。

とにかく「手づくり」がよい、そう思っている読者が多いだけではなく、取材者も、そう思い込んでいる。だからこそ、機械は地下に設置されていて、一階の店舗部分には、オーブンの一部だけを設置すると、それだけで「手づくり焼き立て」のイメージはできてしまう。

仕事というのは、時代と場所とカネによって考え方もやり方も変わるものだし、どうであろうと品質が大事だから、それぞれの条件とやり方で、品質を求める。そういうアタリマエや実態がわかっていないで、単純に手づくりかどうかを判断の基準にする。それは、店にとっては都合のよいことが多いが、当面そうであるにしても、食文化全体からすれば悩ましい。

成形や包あんの機械メーカーはいろいろあって、高度な技術で世界的にも知られている日本のメーカーの機械を、その店では装備していた。高価であるから、装備したくてもできない店もある、垂涎の機械だ。かなり優秀な熟練者並みの性能を有し、アタッチメントが豊富で、その組み合わせにより、さまざまな成形や包あんができる。

機械では、何もかも計算通りになると思われがちだが、そうではない。優秀な熟練者がやっても、どうしてこの味になるのかわからないけどイイ味ができちゃう、ということがあるように、機械でも、そういうことがある。操作をするのは人間だし、パンの場合、いろいろ微妙な要素がからむからだが。

しかし、「手づくり職人」がそういう話をすると、取材者にはとてもよころんでもらえるが、機械の場合は、ヤバイ。機械だからと怪しまれる危険性もある。ま、パンのように嗜好性の強い食品は、商品価値として「幻想」が不可欠だから、仕方ない面もあるのだが。

ただ、こういうこともある。つまり、高価な機械を使ってみもしないし、よく研究もしないで、はなから機械はダメ、手づくりだからこそと決め込んだり思い込んだりすることだ。これは店にもあるし、先に述べたような取材者にもある。ヘタをすると、こういう機械の存在すら知らない。

とにかく、なぜこうなるかわからない部分というのは、属人性が高い作業につきまとう。そこから先、そのわからない部分を、なるべく科学的に解明して自動化機械化したいという情熱を持って研究していく人と、そうではなく、だから手仕事というのは不思議でおもしろい、と、属人性にゆだね熟練度をますようにするかは、たぶん世界観の違いだろう。それに、経営的には、投資の問題や売上と利益構造などがからむ。これは昨今の酒造についても言えると思う。

ようするに、手仕事にこだわるほど真面目で丁寧で真摯で上質であり、機械生産は効率主義で品質が悪く経営としては誠実さに欠ける、という評価の仕方を一般化する傾向は、科学的な思考を後退させる思い込みや偏見につながりかねない。それに歴史的にみれば、手仕事と機械仕事は、補完し合い刺激し合う関係だったのではないか。

昨日のエントリーにも関連する話だが。

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2015/05/20

「丁寧な暮らし」と「幸福」。

調べたいことがあって、ネットをウロウロしていたら、「水木しげるの名言・格言 幸福の七ヶ条」ってのがあった。

こういうものだ。

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

これを読んで、トツゼン何の関係もなく、この4月1日『暮らしの手帖』の編集長からクックパッドに転職して話題になった松浦弥太郎さんは、幸福なのだろうかと思った。

松浦さんにおいては、「丁寧な暮らし」ではなく「ていねいな暮らし」となるようだが、これは、「一流」「本物」を追求する「上質な暮らし」を意味しているらしい。

(御参考までに。「すべてのニュースは賞味期限切れである」おぐらりゅうじ / 速水健朗 【 第63回】松浦弥太郎クックパッド移籍に見る「ていねいな暮らし」の限界 https://cakes.mu/posts/9302

人様の幸福なんぞは、それぞれのことだからどうでもよい、と思いながら、「丁寧な暮らし」と「幸福」の関係は、どうなるのだろう、かの暮らしからすれば、大衆食堂でめし食う生活なんぞは上質とは言えず、したがって「ていねいな暮らし」とはいえない、ということになるのではないか。

そもそも、「上質」とか「一流」とかいうものは、他人との比較によるものだろう。それも価値の多様性など無視した、絶対的直線的な評価による。大衆食堂でめし食う生活が「上質」にも「一流」にもなる価値など範疇に入らない、視野の狭さ。たいがい「完全主義」「完璧主義」というのは、そのように範疇を狭めたところで成り立ってきたのであるが。

それはともかく、この七条を自分自身のことで考えてみると、一条は、自信満々だが、二条の「しないではいられないこと」というと、もうセックスは卒業しちゃったから、めし食うことと酒しかない、「続けなさい」と言われなくても身体が続けるから大丈夫、ただ続けるためにはカネがいる、つまり「しないではいられないことをし続けなさい」ってことは、カネを稼ぎ続けなさいということか、三条、これも昔から自信満々、他人との比較どころか、他人にはあまり興味がない、四条、何も信じたことはないからねえ、五条、こんなのが幸福の条件になるのか、六条、これも自信満々、怠け者のろくでなしの野暮です、七条、四条におなじく何も信じていないから関係ない。という感じになるのだが、この「条件」を見ると、ようするに「幸福」とは、ココロの持ちようだと、水木さんはおっしゃりたいのだろう。

「丁寧な暮らし」は、どうなのだろう。松浦流においては、ココロの持ちようではないことも多いようだ。

「丁寧な暮らし」と「幸福」という、まったく関係ないことを、x軸とY軸にして交差させてみると、人間がつくりだした観念というのは限界があることが、よりハッキリする。その限界のあることがらを絶対化させると、それが、よく言われる「思考停止」の第一歩となるわけだ。

ロールモデルは、いつでも必要だし存在するが、執着するものではない。執着するとペテン師になりかねない。

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2015/05/18

東京新聞「大衆食堂ランチ」31回目、大船・観音食堂。

017先週の15日は、第三金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は、ついでもあり、大船の観音食堂で、桜えびかき揚げ丼を食べ、初夏の気分にひたった。

すでに東京新聞のサイトにも掲載になっているので、ご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015051502000186.html

最近、大船と江の島を結ぶ湘南モノレールの、ニュースが流れた。三菱重工業、三菱商事、三菱電機などの大株主が株式を売却し撤退するということだ。大船周辺には三菱重工グループの会社が多く、おれは1980年代の後半、仕事の関係で大船の三菱電機へ何度も行った。毎週のように通った月もあった。

そのころはバブルだったが、まだ駅ビルもなく、ホームから東口の線路沿いの商店街が見えた。食堂の名前を忘れたが、一軒古いままの食堂もあって、商店街はバブルなんかドコの話ってぐらいうらぶれていたし、湘南モノレールも錆びてみすぼらしかった。

だいたい大船周辺は、工場や原っぱのような空き地も多く、荒っぽい景色だった。だけど、線路沿いの通りから一本東側の観音食堂がある商店街は、けっこう猥雑なにぎわいを見せていた。

いまでは大船商店街は「激安市場」として話題になり、大変なにぎわい。工場の宅地化やマンション化で、大船は、よそがバブル崩壊で沈んでから、バブルが遅くやって来た勢い。

かつては、魚廣という魚屋でもある観音食堂は、いまより魚屋が占める面積のほうが大きかった。魚屋の店舗部分と食堂の厨房はつながっていて、刺身などを注文すると、魚屋の流しでオヤジがつくり、「はいよ」と厨房に渡す。

安いものもあるが、大衆食堂の値段としては平均的にチョイと高い、だけどボリュームがすごい。工員さんや職人さんらしいグループも酒を飲んだりしている。東京あたりから行くには、交通費もかかるから、小旅観光気分。

ところで、ニフティ・デイリーポータルでは、2014年11月15日に「激安商店街対決!松原商店街VS大船商店街」ってのをやっている。

八百屋や魚屋の店先のあと、取材のおにいさんの背中が写っている路地には、この4月に立ち飲みの大船ヒグラシ文庫が出店したビルがある。写真右側奥のビル。
http://portal.nifty.com/kiji/141114165600_1.htm

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2015/05/16

"義理と人情"(白崎映美・AZUMI)が浦和流し。

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今月は2日のあと10日に、北浦和クークーバードへ。

浦和のアスカタスナのますやまさんの企画で、"義理と人情"(白崎映美・AZUMI)が浦和流しで、立ち飲み屋など3軒をまわったあと、クークーで20時半ごろから最後の演奏ってことだったので行った。

2日のおまつとまさる氏も濃いが、"義理と人情"も、ユニット名からして濃い。

おまつとまさる氏について書き忘れたが、その演奏は、松倉如子さんが百人一首の「あいみての」を歌ってスタートしたのだが、義理と人情では、白崎映美さんが、いきなり浪曲のような歌い出し。

あとは、もう会場の客も身体をふり、あるいは立って踊り、クークーのマスターもカウンターのなかで踊る、怒涛の「民俗的歌謡」が続いた。

歌と酒と煙草。満員の店内は、酒に酔い歌に酔い、紫煙で霞んだ。まさに、濃い歌手、濃い客、濃いライブ。

白崎映美さんは、初めて。上々颱風が2年前に活動休止するまでヴォーカルで活躍していた人であり、(たぶん)「山形生まれ」を芯に(生き)歌いまくった。

AZUMIさんは、関西の人で、ナマは初めて。「夜なし(Yonashi)」という、鈴木常吉さんがプロデュースした比較的新しいCDを持っている。アズミ音頭、あべのぼる一代記“不常識”、がいい。この日は、ギターをつとめながら、歌った。もう、渋い!

ソウルフル。生の混沌のままに、泥臭さ生々しさを洗練させたような、艶歌でもあり、ロックでもあり、ジャズでもあり、ブルースでもあり、やっぱりフォークでもあり、そんなジャンルなんかどーでもええ、これがおれの音楽なのだという力強さが、おれを酔わせた。

割り箸に札をはさんで渡す投げ銭方式も愉快だった。

おまつとまさる氏と義理と人情は、テイストの違いはあるが、ソウルフルで「民俗的歌謡」の濃さ渋さのまま、突き抜ける明るさがある。どちらも、コンビを組んだ、いい出合いのおかげだろう。

「1人で自分の思う通りに創る」は、それなりの満足があるかもしれないが、しょせん1人の思うままなんぞ、たいしたことはない単なるワガママ独りよがりということも、(前から思っていることではあるが)しみじみ感じた、2つのユニットだった。

そうそう、この日、大阪の大正区出身で東大宮の隣の土呂に住んでいる方が、おれが登場しているミーツ最新号「大正特集」をバッグに入れていて、しばし、大阪と音楽の話で盛りあがった。義理と人情のおっかけ?をやっているらしい、たしか我孫子から来たという若い女性も加わって、彼女は、5月1日の大阪西成の三角公園の義理と人情ライブにも行って来たとか。

みんな酔っていた。煙草の煙がすごいのもひさしぶりで、なんと懐かしい、いい景色だろうと思いながら、酔いは深まり、あれこれおしゃべり泥酔帰宅。

浦和のアスカタスナと北浦和クークーバードのおかげで、ここ一年ちょっとの間に、都内のライブハウスに行かないでも、泉邦宏、鈴木常吉、松倉如子、渡辺勝、白崎映美、AZUMI、原田茶飯事の演奏を聴くことができてシアワセ。

北浦和では、毎年6月にスウイングフェスティバルという音楽祭をやっているのだが、今年は6月7日の開催。ときどき行く古本酒場「狸穴」も会場になっているし、北浦和で知り合ったミュージシャンも演奏する。楽しみ。

当ブログ関連
2015/05/10
松倉如子バンド(仮)におまつとまさる氏。

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2015/05/15

藤!藤!!藤!!!

連休が6日で終わったあとの7日に、「あしかがフラワーパーク」へ。2014年のCNN「世界の夢の旅行先9カ所」に選ばれてから、ますます大騒ぎらしい、大藤を見てきた。

下車駅である両毛線富田駅も「あしかがフラワーパーク」も初めて。連休明けだけど大混雑だった。CNNからの影響か、日本人ばかりでない。東北本線小山で乗り換えた両毛線の行きの電車でも、同じボックスの外国人とチンプンカンプンの英会話。

なるほどデカイ。巨木。山の藤とは大いに違う。いったい、これは、「美しい」のか。「美しい」としたら、どういう美しさなのか。とにかく、スペクタクル。

この大藤については、一度死にかけたものを復活させた「感動物語」があって、さらに話題になり注目を浴びたらしい。

藤は、わが遠藤家の家紋であるが、うちは「上り藤」といって、藤の花が下がっているのではなく、自然に逆らって上を向いている。藤の紋の大元である藤原家は、「下り藤」であるのに対して、傍流の系統ということになっているらしい。実際、わが遠藤家は、江戸時代には苗字なんぞはない百姓で、明治になってから、「主筋」の因縁だった遠藤を使用するようになったと聞いている。その主筋は、会津の遠藤家で、こちらは「正統」の「下り藤」らしい。「上り藤」を使う遠藤は少ないようだ。なにかと逆らうことが好きな紋なのかもしれない。

という話は、どうでもよい。本日は、藤の写真パレード。

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2015/05/13

『川の東京学』トーク編2回目は、いろいろ面白い発見があった。

「まちづくり」という言葉は、どうもウサンクサイものがある。それは、生活の中から生きるための必要として生まれたことではなく、そういうことを口にする人たちが、たいがい、いわゆる「仕掛け」の立場であるということが関係しているからのような気がする。

「川の東京学」を始めてから、さらにそのことが気になっているのだが、いったい「まちづくり」なんて必要なことなのか、なぜ必要とされるのか。

そりゃまあ、「コミュニティの衰退」だの、とくに地方へ行けば「まちの消滅」につながりかねない、といわれることはあるのだが。それらは、いま言われているような「まちづくり」ということで、解決されていくのだろうか。

レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」(村上春樹編・訳『CARVER'S DOZEN』中公文庫)には、登場人物の会話のなかに、「大聖堂は何百人という工人の手によって、五十年あるいは百年という歳月を費やして建設される」という話がある。

「ひとつの家族が何代にもわたってひとつの大聖堂建設に携わる」「なかには物心ついたときから働きつづけて、一生をその作業に費やし、しかもそれが完成するのを見届けることができないという人々もいる。もっともその点に関しちゃ我々だって大同小異というところじゃないかね」

「我々だって大同小異」にちがいないが、では、その「大聖堂」にあたることはなにか。ひとつは、「まち」だろうと思うが、「まち」が意識されることは、少ない。

この話を持ち出したのは、「川の東京学」は、この大聖堂建設のようなことだと思っているからだ。

さしあたり、この場合、「大聖堂」は「東京」に置きかえられると思う。

ちとデカイ話のようだが、東京のような大都会では、自分たちが生きて生活している「まち」について、「このまちではねえ、こんなことがあったんだよ」というナマの話をする機会は、なかなかない。消費都市化するなかでは、その必要性すら、自覚されることなく、「まち」と「生活」が成り立っている。かのようだ。

そんなことを考えた、『川の東京学』トーク編2回目だった。

4月4日、ゴールデンウィークのど真ん中なのに、10数名もの野暮が参加。

野暮酒場亭主に用意してもらったパソコンモニターで、画像や映像を見ながらのトークになった。

まずは、前回、浦安フィールドワークを画像を見ながら振り返り、そのあと、有馬さんが用意した、川と労働者の街が舞台の「男はつらいよ 望郷篇」「キューポラのある街」「いつでも夢を」などのビデオを見ながらが中心のトークになった。

065「男はつらいよ 望郷篇」は、1970年公開のシリーズ5作目だが、浦安が比重を占める舞台になっている。その映像には、先のフィールドワークのときに花見休憩した水門や運河が映し出されるのだが、まだ、運河にはべか舟がビッシリ係留されている。それは、ほぼ、この映画公開ごろを境に消えた風景なのだが、これほどシッカリ映像として残っているとは、おどろいた。

YouTubeには、予告編しかないが、その場面が、ほんのチョット見られる。
https://www.youtube.com/watch?v=CeeZ1ILAr-o

また、こちらのサイトに、「昭和の面影色濃い、浦安の風景」として、その場面が載っている。
http://dear-tora-san.net/?p=63

1962年公開「キューポラのある街」で一躍人気女優になった吉永小百合を主人公に、1963年には「いつでも夢を」が公開になる。

いま映像で、この作品としての「落差」を見ると、いろいろ面白い発見があったが、この2作の舞台は、荒川と工場のある街なのだ。

「キューポラのある街」については、大衆食堂と大いに関係がある場面があるので、『大衆食堂の研究』でも、けっこうふれていて、いま自分で読んでも面白いが、この頃、おれは「川」をまったく意識してなかったということもわかる。

この文章は、こちらに全文掲載している。
http://entetsutana.gozaru.jp/kenkyu/kekyu_5_04.htm

ま、そんな、なにやかにやで、4月4日の野暮酒場では、楽しく泥酔。おれは、連夜の呑み疲れで帰って来たが、午前3時まで充実した時を過ごした連中もいたようだ。

つまりは、こうして、ワレワレの大聖堂建設は続く。

次回トークは、さらに核心部に入って、さらに泥酔も深まることになるだろう。

当ブログ関連
2015/04/09
4日の「川の東京学」浦安フィールドワークは、大いに楽しく有意義だった。

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2015/05/10

松倉如子バンド(仮)におまつとまさる氏。

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どんどん日にちが過ぎてゆく。この間、『川の東京学』トーク編2回目など、いろいろあったが、まずは、5月2日のこれだ。

渡辺勝さんの御尊顔をひさしぶりに拝見した。もちろん、全身楽器の身体から出る声とギターも一緒。ここ東大宮に引っ越す前、北浦和に住んでいたころは、入谷なってるハウスで勝さんのライブがあると、何度か行っていたが、なにしろスタートが遅く終わりも遅いので、東大宮に引っ越してからは、なんとなく足が遠のいていた。だから、8年ぶりぐらいか?

しかし、ついに、北浦和クークーバードに上陸となったのだ。しかも、気になっていた、松倉如子さんと一緒だ。というより、「松倉如子バンド(仮)」アンド「おまつとまさる氏」として、渡辺勝さんもご登場なのだ。

「松倉如子バンド(仮)」は、「(仮)」とあるように正式の名前ではない。「おまつとまさる氏」で活動しているところに、ウッドベースの岩見継吾さんとドラムの光永渉さんから一緒にやりたいという話があったのが昨年の夏とかで、それからまだ何度もやってないから、正式の名前も決まってないのだとか。

「おまつとまさる氏」のほうは、いつからこの名前で活動するようになったか知らないが、とにかくおれが入谷なってるハウスから足が遠ざかりだしたころから、2人が組んでやるプログラムが目につくようになり、そのうちYouTubeでも見かけるようになり、松倉如子というひとが、ヒジョーに気になっていた。

という前置きは、これぐらいにして、「松倉如子バンド(仮)」アンド「おまつとまさる氏」は、ほんと、すばらしかった。とにかく「ハッピー」という照れくさい言葉が上滑りではなく、口から出るようなライブだった。

かつてのまさる氏の場合だったら、ハッピーということはなかった。では、なんだろう。ただよう地霊とのふれあいの感動というようなものか。

その「民俗的な歌謡」が、まさる氏が詞をつくりうたい始めたときには、まだこの世に生まれていなかった、おまつさんや岩見さんや光永さんによって、新しいエネルギーを得たかのような、とくに、おまつさんの声、その歌う表情や身体の動きが、ハッピーを呼び込んだというか。

とにかく、60代のまさる氏は、30代のよき仲間を得て、じつにハッピーのようにも見えたし、こちらもハッピーになれた。

なんといっても、そのとき買った、二枚組のおまつとまさる氏のCDのジャケットの写真だ。かつての入谷なってるハウスの渡辺勝さんのイメージからは想像できないコスプレで、十分、おどろいた、愉快。いやはや、これこそ、人生は楽しい、出あいは楽しい、ってことだろう。

「逢えてよかった」「いつも一緒に」そのまま。

さらに、「さくらんぼの実る頃」「かっぽれ」が印象に残った。

北浦和クークーバードのおれのお楽しみラインナップは、ちょっとばかり縁があった鈴木常吉さんと原田茶飯事さんに、松倉如子バンド(仮)が加わり、さらに増す気配。これまで都内へ行かなくてはならなかったライブが、地元感覚の近くで聴けるようになったのは、うれしい。これから、こういう傾向は強まる気がする。

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2015/05/03

『Meets Regional』6月号、「駅前めし酒場と、エンテツさん。」

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すでに5月1日に発売の、『Meets Regional』6月号、特集タイトルは「スゴイぞ!大正。」で、ようするに大正区の特集だ。記憶にある限り、大正区の特集は初めてではないかと思う。

おれが4月2日に一泊の出張取材をやった結果は、「駅前めし酒場と、エンテツさん。」の見出しで、4ページにわたってまとまった。

最初の見開きの写真とデザインがすごい。見出しのサブに「大正駅は、酒場のシルバーシートだ!?」とあるのだけど、地元民のシニアがズラリ並ぶカウンターが、上段の左右一杯におさまっている。

左端のおれの隣のご老人は、なんと84歳。元気で、72歳のおれなんか、まだ若造という感じだった。

この写真を、お店の人が忙しくしている厨房の中から押さえたのは本野克佳さん。本野さんとは、4月6日発売の『dancyu』5月号中華特集でも一緒だったので、雑誌は違うし、取材の場所も東京と大阪だけど、2カ月連続の組み合わせ。でも、まさか、本野さんが写真を担当するとは知らなかった。

4月2日の取材の日は、17時に大正駅で待ち合わせだった。おれは初めての土地だったので、早めに行き、2時間ほどウロウロし、あるていど土地勘をつけてから、そこへ行った。すると、本野さんがいて、ビックリ。

本野さんと最初に一緒に仕事をしたのは数年前、ミーツ別冊『酒場の本』で、大阪・神戸・京都を2泊3日で取材したときだ。その後かれは東京に移住し、dancyuなどで活躍していた。『dancyu』5月号で再会したのは、偶然だったが、また続けて一緒できて、うれしかった。

001001それはともかく、「スゴイぞ!大正」は、とことん「ひと」に迫っている。おもしろい。大正区というのは、ながいあいだ工場地帯だった。いまでも工場が多い。工場に勤めながら、この土地で生きてきたひとも少なくない。とくに耳目を集める何かがあるわけじゃないけど、おもしろいひとが多いし、気どらない日常の姿が、魅力的なのだ。しかし、それを説明するのは、むずかしい。そのへんのことは、柴崎友香さんが、「大正区とわたし。」で書いている。

「だけど、「大正の感じ」はやっぱり説明できない、と思う。川と海の境目で、大阪の真ん中のにぎわいからすり抜けてちょっとゆっくり過ごせる「島」みたいな、その「感じ」は実際に来てみて受け取ってほしい。」

今回の特集では、めったにないことがあった。

特集大扉には、ギターを抱えた筋原区長が登場するのだ。この区長も、おもしろいおっさんで、休みの日の時間があるときは、商店街でストリートミュージシャンをやっている。

そして、この大扉の前の見開きを、「作詞・作曲 筋原明弘(大阪市大正区長)」による「大正リバーサイド物語」の歌詞が飾っている。

大阪市の区は、それぞれ個性が強いのだけど、大正区の個性は独特で、大正区から見たら、他の大阪の地域は、けっこう「東京化」というか「中心化」「標準化」しているような印象を持った。これは、よい「発見」だったように思う。おれは、「大正中心主義」のひとに、泥酔しながら魅力を感じていた。

やはり、住んでいる人が多い街は、おもしろい。

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