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2015/05/28

日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。

国会では安保関連法案の審議が始まっているが、その審議に臨む安倍総理や自民党はもとより、報道の仕方も、かなりヒドイ状態だ。

一国の安保をめぐることなのに、国会の議論を通じて国民の共通認識を育むという緊張感もなく、安倍総理は、28日の衆院平和安全法制特別委員会で、民主党の辻元清美氏の質疑中、席に着いたまま「早く質問しろよ」とヤジを飛ばし、審議が紛糾、陳謝する結果になったり、中谷防衛相も、やはり28日の衆院平和安全法制特別委員会で、維新の党の柿沢未途幹事長に対する27日の発言について「大変不適切だった。おわびする」と陳謝したりと、お粗末が続いている。

アベノミクスに飼いならされたマスメディアの報道や言論からしてユルユル。

「お気に入り」か「気にくわない」かの選択肢で、気にくわないものにはもちろん耳も傾けない(イヤホンはずし)、総理それは少し事実と違いますていどの批判とは違う事実の指摘ていどでもイライラ興奮する(声が急に何オクターブか上がったり)、そんな大人げない態度をとり続けてきた安倍総理らしい、国会運営ではあるが。

具体例をあげての質問に対しても誠実に答えようとしないで、ようするに最終的には、何の根拠も示さずに「私(政府)が判断していることだから間違いない」というぐあいのカラまわりで、もう毎日「循環論法」の循環なのだ。

という状態のところへ、「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」というコマーシャルが登場、これがまた日本人好みの循環論法で、スゴイぞ日本、日本人、を謳いあげる。

これ、どうか英語訳などにして世界に流さないでくれ、恥ずかしいから。という声もツイッターにあったが。

綾鷹(あやたか)の、ペットボトル茶のコマーシャル。「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。そう気づかせてくれた京都のみなさんに、綾鷹を味わっていただきました。」と、いならぶは、例によって「日本の伝統」だ。
http://ayataka.jp/cm/2015_04.html

ちょいと、ほかの民族は繊細に欠けるということですかい。そういえば、日本料理の伝統は、そんなことを言って来た。まだ言っているのだ。いや、ますます言っているのか。「和食がユネスコ文化遺産」となり。

「日本人の味覚は、世界一繊細だと思う。」には、根拠はない。だから、用心深く「思う」をつけたか。

とにかく、循環論法の根っこには、こういう伝統主義を批判した『大衆めし 激動の戦後史』の「伝統は頑迷だからこそ伝統なのか」でも、江原恵の『庖丁文化論』から引用しているが、「自身の観念のなかに固着しているある価値」がある。日本、日本人は、スゴイ!サイコー!という。

日本料理をめぐっては、こういう循環論法が多い。

多様性を認めないわけではないが、日本、日本人は、スゴイ!サイコー!の支配下、お気に入り下において認める。それは多様性を認めたことにはならないと思うが、彼らは、そうではない。だから、多民族支配や侵略の認識も違ってくる。

今年は、敗戦から70年。20年前の1995年には、敗戦50年だった。

速水健朗さんの『1995年』という本があって、1995年的転機がなかなかおもしろくまとまっているが、補足すれば、ふれられてない「日本会議」のことだ。

昨年の安倍内閣の改造のとき、日刊ゲンダイというカゲキなタブロイド紙に、「改造内閣の発足でガ然、注目を集めている団体がある。日本最大の右翼組織「日本会議」だ。」と報道されたりした。

この日本会議が結成されたのが、1997年のことで、1995年ではないが、そのカルト的な存在は、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった1995年を転機にしていると見てよいだろう。

それはともかく、「日本会議」には「日本浪漫派」を名乗る人もいる。この人たちもまた、循環論法というか、朦朧論法というべきか、得意で、ほとんど宗教に近いのだから、祝詞のようなもの。

日本、日本人は、スゴイ!サイコー!が、ペットボトル茶にまで、ますます盛んな背景は、日本会議の勢いと大いに関係ありそうだ。

「日本浪漫派」といえば、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』だが、講談社文芸文庫版における井口時男の解説におもしろい一文がある。

「スノビズムとは、他者や異物をすべて表象に還元して内面化してしまう文化のシステムのことである。そこでは、他者性、異物性は消去されてなめらかな表象の秩序に組み込まれる。たとえば、遅れてきた王朝文化人ともいうべき吉田兼好は、『徒然草』の中で、おそろしげな猪も歌の中で「臥(ふ)す猪(ゐ)の床(とこ)」といえば「やさしく」なるだろうと書いている。そもそも文化というものは、本来、その成員の主観性を保護するシステムにほかならないのだが、とりわけ、「みやび」と呼ばれる文化伝統は、ひたすらにその技術を洗練させてきた。保田の「日本の橋」は、その意味で、じつにみごとなスノビズム文化論である。スノビズムは他者を知らないのだ。」

気にくわない他者のことは知らないし知りたくもないワタシ、でも日本人の味覚は世界一繊細だと思う、スゴイ!サイコー!

「日本人の味覚は世界一繊細だ」と断定せずに、「日本人の味覚は世界一繊細だと思う」としたところが、みやびで、奥ゆかしく、イキなはからいなのです。

世界は、わが循環論法とスノビズムの中にある。

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