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2015/06/22

津村記久子が気になっている。

昨日のエントリーで、ちょっとふれた津村記久子さんは、ちかごろイチバン気になっている作家だ。

もともと文学賞などを受賞してシュンな話題になっている作家のことなど疎いおれが、この作家を知ったのは、毎号送られてくる月刊誌『Meets Regional』でだった。

それは、「素人展覧会」という、津村さんが美術展などを巡って書く連載である。ほかにも何かインタビュー記事に登場していた。

この連載は、たしか2年ぐらい?続いていると思うが、おもしろい。なんだか、おもしろい作家がいるんだなあ、こんなふうに書く芥川賞作家がいるんだなあと気になっていた。

ふた月ほど前だったかな、北浦和クークーバードのライブへ行ったとき、古本棚に『二度寝とは、遠くにありて想うもの』(講談社、2015年)を見つけた。ミヤモトさんの古本棚で、ちょうどその日は、彼も来ていて、彼もオススメだった。

この本は、津村さんのエッセイ集第二弾で、4章に「素人展覧会(第一期)」も収録されているのだが、ほかのエッセイも、おもしろい。派手さはないのだけど、すごく新鮮なのだ。またもや、こういう芥川賞作家がいるのだ、と思った。

さっそく、東大宮駅にある本屋の文庫本棚を探したら、『ワーカーズ・ダイジェスト』があった。おれのようなトシと嗜好のものには、もっとも縁がない、集英社文庫だ。だけど、そんなことは関係ない、買った、読んだ。

ふーむ、この魅力は、なんだ。まだ模索中で、次の一冊も買って積んであるところ。まだ、その魅力の深層が、よくわからないまま書く。

『二度寝とは、遠くにありて想うもの』には、「働いて食べて活きる」というエッセイがある。そこに書いているところによると、津村さんは、「給料や立場を超えた、労働の隙間の興味深さ」が主題だという。

なるほどねえ。1978年大阪生まれの津村さんは、10年間ぐらい大阪で会社員をしている。就活で苦労して入った会社でイジメにあい、一年たたないうちに退社、食うために選んだにすぎない会社に長く留まることになった。

その体験があってか、「労働の隙間」の話が、あちこちに、ときには、生々しく顔を出す。でも、「ワーカーズ・ダイジェスト」という小説にしても、格別な盛り上がりのある物語ではない。ただのマンション施工会社の男と、しがない制作会社の女が出てきて、2人の間に何かドラマがあるのかなと思って読んでいると、たいして何もなく、それぞれの仕事と生活の日常が描かれて、スッと、おわる。しかし、なんだか味がある。

とにかく、いわゆる日本的な私小説のイヤラシサ、私語りがない。鋭い感性のワタシ、てなものもない。文章も、どちらかといえば、いまどきの日常語も使われ、平易なほうだ(いまどきは「ライト」「カジュアル」というのか)。

素人展覧会は、ほんとうに素人目線で楽しんでいる感じであり、素人目線で読んで楽しめる。よくある評論家然とした、ありがたい作家の素養や教養がタップリの「客観的」な鑑賞とは違う。作品や対象を語るようでいながら、自分の観察の鋭さや思い入れや美学を私語りと混ぜ合わせて押しつけて来ることもない。

なにより、昨日の引用もそうだが、とくに食べ物や食べることをめぐっては、高い方を向いて高いところから見るインテリ文化人の驕慢がない。

おれとしては、働くため、生きるため、といった日常を、普通の労働者感覚で語っているようで、そこがおもしろく気になっているようだ。

「「とりあえず働いたら?」はマチズモか?」では、このように書いている。

「働くこと」は、様々な人間が生きている上での行動の中で、自尊心と金銭を同時に得られる数少ない手段なのだと思う。わたしは、本当にいろいろあると思うけれども、働いていることでやっと、普通の人になっている自覚があるからこそ、「とりあえず働いたら?」というのだろう。


津村さんは、「作家」という特別な人ではなく、働く普通の人の視線の持ち主なのだ。とりあえず、そこが、魅力なのかな。

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