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2015/07/25

金太郎飴マーケット。

金太郎飴というのがある。金太郎飴本店(http://www.kintarou.co.jp/)なんてのもある。その金太郎飴のマーケットのことではない。

閉塞がいわれだしたのは1980年代後半からだと思うが、どんどん閉塞化が進み、近頃では金太郎飴化したマーケットが増えたという印象を持っている。

「クラスタ」という言葉もよく使われるようになったが、趣味や好みでクラスタ化し、どこを切っても同じような顔ぶれが、同じように褒めあったり、感動しあったり、ケチをつけあったり、悪口を言いあったり、怒りあったりしている。それは金太郎飴を切っても切っても同じ顔が出てくるのに似ている。

お仲間一体感マーケットでもいえるか。おなじクラスタ同士が、相互に何かを提供し合い、相互に買いあうことで成り立っているのだ。いや、正確には、成り立っているかどうかわからない、ただお金や人も含め動きはある。だけど、その金太郎飴の中だけのことで、広がりはない。

しかし、金太郎飴の中の人は、広がっていると思っていることが、少なくないようだ。とくに「東京」という中心にいる人たちは。

それは、インターネットの普及などで、バラバラに存在あるいは潜在していた金太郎飴の小さな切れ端が、どんどんつながってきたからだ。つまり、東京のどこかにいる金太郎飴と、地方の田舎町にいる金太郎飴がつながって、1センチが、1メートル、1キロ、10キロ……と、気持悪いほど細長くつながってきたにすぎない。

もちろん、それでも、マーケットは増えているとはいえる。増えてはいるが、広がっているのとは、ずいぶんちがう。

これは、本人たちだけが、金太郎飴をなめあって、いい気持になっている、ある種の自己愛と自家中毒マーケットなのだ。つながりがのびているうちはいいが、似た者同士が似たような共感で消費し合っていたら、タコが自分の足を食っているようなもので、どうなるか、先は見えている。

たとえば、最近もまた有名書店の閉店で「出版不況」が話題になったが、いつものようにデジタルマーケットが原因にされ、自らが陥っている金太郎飴マーケット状態は、問われることがない。

金太郎飴には、裾野がない。たいがいなんでもそうだが、熱烈に好きな人たちによって、マーケットは閉鎖化し、消費し合いながら滅んでいくものなのだ。

すでにもう、書店自体が、ハイカルチャー・ハイファッション化する傾向にあって、作業着を着た酒臭いオヤジみたいなのは排除される構造にある。いわゆる労働者風情など、ハナから相手にしていないのだ。たとえワークマンショップがのびていても。

ま、出版の話になってしまったが、メディアや出版などは、元来は、異文化・異種・異質なものをシャッフルする機能を持っていたはずだ、流通業もたいがいそうだったはずだけど。それが、メディアや出版自身が、金太郎飴構造を熱心に進めているように見えるいま、その機能は、どうなっていくのだろう。

またもや、例によって、セレクトショップ系とファストショップ系の二極分化、なーんて言い古された「分析」で、お茶を濁しているのだが。

戦争でもなく平和でもなく、野暮、という可能性を考えたいものだ。ってことで、野暮を言ったから、今夜は、野暮酒場。

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2015/07/24

なんとなく「上から目線」。

「上から目線」は、たいがい悪者だ。確かに、悪い。

悪いけど、なにかしら「上」にいるものは、無自覚のうちに「上から目線」の側に立っていることも少なくない。自分は「上から目線」の人じゃないと思っていても、そうは問屋が卸さないことがあるのだ。

光瀬憲子さんの最新作『台湾で暮らしてわかった 律儀で勤勉な「本当の日本」』(この本は7月10日発売で、1週間ぐらいで増刷が決まった)を読んでいて、まだ途中なのだが、最初のほうに、戦前は日本だったことがある、朝鮮と台湾の話が出てくる。

その時代を、台湾では「日本時代」といい、韓国では「日本時代」という人は少なく、「日帝時代」とか「倭政(ウェジョン)時代」「日帝強占期(カンジョムキ)」のような、「微妙な呼称が通用している」と書いてある。

そもそも「上」の支配者であった日本人には、そういう時代認識はないのが普通だろう。だけど、戦前、戦中、戦後を生きた当地の人たちは、この時代をぬきに自分のことを語れない。それは当然、その子供たちにも伝わる。祖父母から孫へと伝わるうちに、いろいろ時代も変化するし、意識の変化もある。

戦後、台湾は、中共に大陸を追われた国民党政府に支配される時代もあった、朝鮮半島では朝鮮戦争があった(休戦中で終わってない)。その受け止め方も、「日本時代」があった台湾と「日帝時代」があった韓国では、ちがう。さらに、国土が似たような大きさであることも関係して、両者はライバル意識が強い。

こうしたことは、日本や日本人に対する見方のちがいにもなる。

そのあたりのことも、この本を読んでいるとわかるのだが、おれは、台湾へは観光で1回、仕事で2回、韓国は行ったことがないが、韓国にある韓国人の会社の社員と日本で仕事をしたことがある。

台湾の人には、親の代から日本語をよく話す人がいておどろいたが、それは日本の植民地だったからだろうぐらいで、当地の人の立場で「日本時代」なるものを考えてみたこともなかった。台湾での仕事は、現地の人も関係したが、日本の某商社の委託による市場や立地の調査だったので、こちらがいろいろ尋ね、教えてもらうという感じだったから、意見の衝突というものはなかった。

韓国との会社の仕事は、共同プロジェクトだったから、仕事の進め方なども含め、いろいろ衝突があった。議論が激しくなると、韓国の人は激高して「日帝ン十年の支配は」てなことまで持ち出すので、いやあ困ったなあと思いながら、やはり日本の植民地支配はキツかったのだろうぐらいのことで、仕事を先にすすめる。ついでだが、韓国の人は激高して言葉は激しいが、それは日本人には激しいように聞こえるだけなのだ。もともと感情の表現なんて、民族や文化によって、かなり違うものだから、いちいち気にしていたら仕事は進まない。

ようするに、なにが言いたいかというと、「上から目線」のなかには、「下」に対する無関心も含まれるということなのだ。無関心だし、認識はアマイ。

同じ国内でも、たとえば、年収の高い層は低い層の生活ぶりなど、ほとんど無関心だし認識はゼロに近い。そして、なにかコトがあると、データだけで、トンチンカンな言い方や騒ぎ方をする。

自分の目線に、大きな影響を及ぼしているのは、なんだろうか。

台湾の「日本時代」や韓国の「日帝時代」と比べたら、かなり短いけど、70年前の敗戦のあとには、日本は初めて「占領時代」を体験している。これは本土政府レベルのことで、沖縄を含めれば、その返還までの「占領時代」は、けっして短くない。それからロシアとの平和条約問題・北方領土問題が残っている。

こういうことも「上から目線」のなかで、アイマイになりそうな日常だ。どうも日本人の「上から目線」には、なにごとも自分の都合のよいように見てしまうアマイ目線が含まれているようだ。

この本を読みながら、そんなことまで考えている。

大衆食堂から見る目線ってのは、これから、アンガイ意味を持つような気がする。

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2015/07/23

車夫馬丁。

昨日のエントリーを読み返してみたら、「馬丁」という言葉がトツゼン登場している。おれは、タクシードライバーの関連で、「車夫馬丁」が頭にあって書いたのだが、トウトツな感じではある。

「車夫馬丁」という言葉は、1960年代ぐらいまでは、けっこう使われていて、タクシードライバーは、「車夫馬丁」扱いされていた。という文章が、その前にあるべきだった。

ようするに、「肉体労働を頭脳労働より低く見て身分差別につながるもの」(http://tokusyu.sppd.ne.jp/nhk/jinken/02.html)があって、教養のない無知蒙昧の人間が就く、卑しいとされていた職業の代表だったのだ。

差別用語の問題は、なかなか難しい。とにかく、職業差別や職業にまつわる優劣観は、さっさと無くすべきなのに、戦後の「民主主義の時代」とかいわれても、1000年以上にわたり、生活のすみずみまではびこっていた、儒教思想は、そう簡単に克服されるものでないのだな。肉体労働を頭脳労働より低く見る傾向は、まだまだはびこっているように見える。

それと、人と仕事を切り離して考える近代性の遅れ、これはまあ儒教思想の克服と関係するのだろうけど、これがなかなか問題なのだと思う。

昨日も書いたように、仕事で人の評価を決めてしまうなんて、ごく普通にまかり通っている。仕事で人を評価する人たちは、仕事に対する批判と人に対する批判の区別がつかず、仕事の批判に止まらず人まで貶めたり、逆に、自分の仕事を批判されると、自分が否定されたかのように、過剰に反応する。

ツイッターなどでも、よく見られるが、思想の問題なのか幼稚性の問題なのか、よくわからない。仕事は批判にさらされて当然という考えも持てないものが、政治を仕事にしたり文筆を仕事にしたりするおかしさ。

これはアタマで「民主主義思想」を持ったぐらいでは、うまくいかないからだろう。人から仕事を切り離し、人は人として見て、仕事は仕事として機能で見るってことになるまでが、なかなか大変だ。

一方、人を機能としてだけ見る経営がある。これは、いわゆる「アメリカ式」のやり方を、都合のよいようにまねた結果だろうけど、チェーン店経営などに、けっこう見られる。行き着く先は、人権無視の「ブラック」だ。

飲食店や料理の世界には、この二つの傾向が、顕著だ。ゆがんだ儒教思想の上に、ゆがんだ近代化がのった結果か。

少し前に、久松達央さんの『小さくて強い農業をつくる』を紹介した。久松さんは、農作業の言語化と数値化をめぐって、このようなことを書いていた。

「仕事が言葉に落とし込めている=属人化させない仕組みがあることによって、仕事が「人」ではなく「機能」で見えるようになるのです。ある目的が達成されるためには、どんな条件が満たされなければならないかがはっきりしていると、誰かのせいにして終わり、になりにくいのです」

「逆に「人」をブラックボックス化してしまって、「機能」に切り分けないと、「気をつけろ」「気合いで乗り切れ」以上のことは言えなくなってしまいます」

ここはキモで、健全な近代思想だと思う。経営規模の大小や仕事に関係なく大事だろう。

しかし、気になるのだが。

この久松さんの本は、晶文社の「就職しないで生きるには21」シリーズで、本の後ろに「好評発売中」の広告があって、並ぶ本5冊は、いずれも「頭脳労働」系と判断できるものなのだ。これ、「差別」とはいわないけど、偏向してないだろうか。

そもそも「就職しないで」の意味も、アイマイなのだが。ことによると、低賃金低収入を固定化する労働力流動化政策にのっかったものと、見えなくもない。アブナイ感じだなあ。

就職しないで生きている人たちは、以前から大衆食堂へ行けば、いくらでもいた。いまでもいる。就職しないで生きたければ、大衆食堂へ行ったらよかろう。すごくいろいろな仕事があって、運がよければ、すぐ仕事に就ける。でも仕事に就いたら「就職」だよね。

だから、まず働くこと生きることを考えるためにも、さっさと就職してみるのもマイナスにはならないだろうと思う。このことは、いくら強調してもよい時代だ。これまでとはちがう、うっかり、「就職しないでも」と信じてしまったら、泥沼にはまりかねない。

ようするに「就職しないでも」とかなんとかではなく、「とりあえず働いたら?」(津村記久子さんのおことば)ってことなのだ。

今国会、「安保戦争法」が大問題になっているけど、労働法関係の「改革案」が、どうなるか。おれは、「安保戦争法」より、こっちのほうが大問題と思っている。働かなくては食っていけないものは、戦争だろうと平和だろうと、働いて生きなくてはならない。これが根本問題だ。

なのに、すでに、働いても生活が成り立たない状態があり、いつでも簡単にクビになる状態があるうえに、もっと「流動化」するのだ。さらに、さらに、サービス残業、パワハラ、セクハラ、ブラック、と。ああ、こういうのがイヤだから就職したくないのか。

会社は小さければ「善」、自営なら「善」というわけじゃない。それに、就職しようがしまいが、それぞれの勝手だが、どのみち孤島で生きるのでなければ、大きなシステムのなかで生きている。

職業の優劣観は、捨てよう。どんな仕事も、大きなシステムの必要な機能の、どこかを担っている。

ビル管理会社から派遣で清掃をしているおばさんが言いました。水道のカランひとつでも、上手に早くきれいにできるかどうかの拭き方がある。そういう一つ一つのつながりのなかで、仕事が成り立ち、人びとは生きているのだ。

当ブログ関連
2015/06/06
生きることが批評である生き方、『小さくて強い農業をつくる』久松達央。

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2015/07/21

大衆食堂の常連 タクシードライバー。

きのう書いた「2:6:2」論は、仕事に関する「能力」のことで、人間や人格に関わることではない。ところが、人権思想が定着しているとはいいがたい日本では、仕事がすべて、仕事で人間や人格の評価まで決まってしまう。職業や仕事の優劣は、そのまま人間の優劣にスライドされる。

いったん優れた仕事の評価が下されると、どんなに人間としてダメでも、選良の仲間入りだ。そして、公的な組織のエライひとにまでなることもある。エライひとになって、ダメなボロが出て辞めるひともいる。それでも、一度得た選良の位置は、よほどのことがない限り続く。

逆もある。

大衆食堂の常連には、タクシードライバーが多かった。いまでも多いのではないかと思う。かつては、もっと多かった。駐車禁止道路がいまほど拡大するまでは、かなり多くて、1990年代後半のテレビでは、タクシードライバーがオススメの店といったB級グルメ的番組もあったと記憶している。

しだいに駐車禁止の取締が厳しくなり、煽りをくらって閉店した大衆食堂もあるぐらい、タクシードライバーは大衆食堂のいいお客さんだった。大衆食堂で知りあったタクシードライバーもいる。

いま「タクシードライバー」という書き方をしているが、かつては「ドライバー」ではなく「運転手」が一般的だった。愛をこめて「運ちゃん」と呼ぶひともいたが、それは蔑視というひともいた。いつごろか、「雲助」と呼ぶひともいた。これは、江戸時代の駕籠かきの蔑称を当てたものだろう。

競馬場の「馬丁」に対して「厩務員」という呼び方が一般化するのは、70年代だったように思う。おれが、中央競馬会の広報の仕事に関わった70年代後半は、ときどき「馬丁」と呼ぶひとがいたが、競馬は公共事業だったから、その職務の名称を変えることで普及した。

「タクシードライバー」のほうは、もしかすると映画の影響もあるかもしれない。だとしても、「タクシー近代化センター」も無関係ではないだろう。いまネットで調べたら、タクシー近代化センターの設立は69年12月、映画は1976年だ。

タクシー近代化センター設立の背景は、梁石日さんの『タクシードライバー日誌』に詳しい。「近代化」を掲げたのだから、非近代的な実態があったわけだ。しかし、例によって、運輸官僚と経営者団体の合作で、その実態が生まれた源の解決ではなく、たいがいの非をドライバー個人の責任にし、「適正」な指導を行おうという、きわめて非近代的な構造を持っていた。

とにかく、「運転手」を「ドライバー」と呼ぶようになったところで、非近代的な構造が変わったわけでもなく、それはタクシー業界だけの問題でもなく、職業の優劣観や偏見は根強く残っている。労働や仕事、それに人権に関わる非近代的思想は、あいかわらずなのだ。

「タクシー会社」に「就職」しても実態は、実質的オール歩合制の賃金体系で自営業に近い、そして、これだけがすごく近代のタコメーターによる徹底した管理。今様奴隷労働のようなアンバイだ。

『タクシードライバー日誌』は、「およそ現代社会に生活するものにとって、タクシーを利用しないものは一人もいないといっても過言ではあるまい。それは他産業と密接な相関関係にあり、いわば縁の下の力である。そのタクシーが不当に差別されているのだ」と告発する。

まるで、「東京」と東京低地や常磐線地域との関係みたいだ。しかし、人権思想が確立していないこともあって、「相関関係」を機能的に位置づける考え方はヨワイ。「相関関係」は、上下優劣の、非近代的な秩序観と構造のなかに解消されてしまう。

話しは変わるが、『タクシードライバー日誌』を読んで、タクシードライバーの仕事というのは、ほぼ100パーセント「属人的」なのだと気づかされた。

属人性の高い仕事といえば、「職人」や「文化人」や「芸術家」などと敬われるはずだが、そうならない。このへんは、職業の優劣観のほかに、需給構造の関係もあって、かつて1950年代ぐらいまでは運転免許証を持っているひとが少なく、タクシードライバーは、技術者であり職人仕事として認められていたらしい。

とにかく、この仕事は、決まった時間に営業所を出ると、どこを走り、どこでどう客を拾うかは運転手の判断しだいだ。さらに、客の行き先しだいで走行経路は変わり、行きついた先が新たな出発点になる。

配送などの仕事とちがい、経路や終点を計画することはできない。キャンバスに、あてのない線をひくように動き、事故を起こさないよう運転に注意を払い、機嫌を損ねないよう客を扱い、かつ一定程度の営業成績をあげ、生活に足る収入を手にする絵を描かなくてはならないのだ。それは、1ミリの狂いのない仕事をするより、難しいかもしれない。

会社の経営者は賃金体系をあやつり、生活できる絵を簡単には描かせてくれない。ところが、なかには、毎月とんでもない営業成績をあげるドライバーもいる。もう神業だ。ごく少数のようだが、属人性の高い仕事だけに、うまく稼いで自由を楽しんで生きるひともいるらしい。危険なスピードと背中合わせだが。

「タクシー運転手には一匹狼的なものが多かった。非常に個性的で我の強いツッパリ屋が多いのである。社会的におとしめられているその分だけ、ツッパって生きているのだ」

おれの知り合いのドライバーにも、このタイプがいる。人生、なにかの拍子に、つまずく、つまずいて転がり始める、すると、いまの日本では再起のキッカケは難しく、下でパックリ口を開けている奴隷労働のような現場に転がり落ちる構造がある。ツッパって生きているいるうちは、まだよいほうだ。おとしめられた立場が身にしみるにしたがい、酒におぼれたり…。

早朝からやっている大衆食堂へ行くと、24時間勤務が開けたドライバーとあうことが、けっこうあった。

かっこいいファッションを身につけるように「インフラ」「ロジスティクス」などと、言葉やシステムは近代化されても、大衆食堂からは、世間のうすら寒い非近代的な頭の中が見えることが、けっこうある。

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2015/07/20

フリーライターはフリーなのだ。

東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」は、月に一回、30回をこえて、まもなく3年になる。凡庸なうえにも凡庸な連載なのだが、厨房の汚い店を2店、取りあげている。もちろん、厨房の汚れ具合については、書いてないから、読者にはわからないはずだ。

汚れにも、いろいろあるが、この2店の場合は古い店で、油汚れが積もり積もって、これほどになると業者でも入れて掃除しないかぎりは無理だろうなあという感じだ。どちらも掲載の前に3回ほど行ったことがあって、味や客の入りについては、問題がないことは知っていた。ま、生き残りの古い店に問題があることは、ほとんどない。どちらも地元民に愛されている食堂なのだ。

ある時、料理の先生に訊いた。「料理の先生ともなると、先生という立場があるし、汚い厨房の店をすすめるわけにはいきませんよね」。料理の先生は、当然ですと答えた。

そういうものなのだ。それぞれ立場によって、見える事実も、評価も異なる。

おれは「フリーライター」という肩書で、とりわけ「フリー」に立場を置いている。フリーからすれば、厨房の汚れなんぞはノープロブレム、むしろこんなに汚い厨房の食堂が、なぜ長く愛され続いているのかということのほうに興味がわく。

フリーライターというのは、無署名原稿だろうが、広告宣伝文だろうが、なんでも書くという意味の「フリー」のほかに、どんな型にもはまらない自由に、意味があるとおれは思っている。あるいは、どんな型でも選べる自由もある。

ただ、これは「成功」のためには、得策ではない。どんな業界にも成功する型(モデル)があり、セオリーだの文脈だのがあり、もっとややこしいそれぞれ好みの嗜好などもあり、ある種のヒエラルキーの秩序に従っている。

そこからはずれる自由は、かなりリスキーなのだ。だいたいね、業界で力を持っているひとや、学者や文化人として名高い、著名な方々の共感は得られないし後押しを受けられない。なんのバックボーンもなくフリーなんて、無謀に近い。

フリーライターという、業界の最下層から昇るには、厨房の汚れ一つについても、先生の立場に従い、イケマセン、ダメ、といっていたほうが無難なのだ。

そして、ところが、実際は、全体のシステムは硬直化と閉塞化へ向かってきた。売れる「正しい」型だけを追いかけるようになるからだ。

昔、おれが「プランナー」の肩書で現場の仕事をしていたころ、いわゆる「ABC分析」というのがつきものだった。「パレート曲線分析」といわれたり、いろいろな方法があって、いろいろな使われかたをするが、ようするに、全体を大きく左右する商品構成や在庫管理に関するもので、よくある小売店の例としては、上位30%を占める品目で売上の70%を占める売れ筋の把握とコントーロールがテーマになったりする。

これは安定的なマーケティングには欠かせない数字のカラクリだが、問題は、上位30%を占める品目で売上の70%を占める売れ筋だけで、全体が成り立っているわけではないということだ。

あとの売上の30%を占める商品の70%を無視するわけにはいかない。そこで、いつも議論になるのだった。コンビニを例にすれば、売場全部を売れ筋の商品だけにしても、経営は成り立たないからだ。

当時、人事関係のほうのマネジメント・リサーチをやっている人たちのあいだに、このABC分析に似たようなことがあって、それは「2:6:2」論というのようなものだった。つまり、選良の2割、普通の6割、ダメな2割の構成から、ダメな2割を切ってしまうと、組織としてはガタがくるという話しだったと思う。というのも、ダメの烙印を押されたグループが、評価のされにくい足腰を支えているからだ。

全体を引き上げるには、選良な2割を伸ばすより、底上げの対策をしたほうがよい、だけど、たいがいの経営はダメのほうを切ろうとする、ということをめぐる議論だった。これは、組織文化をめぐる議論としても、おもしろかった。何に限らず良質部分を持ちあげていればよいというのは、わかりやすく楽である。ただ、それと全体はちがう。

一年間ぐらい四国へ毎月通って仕事をしたことがあって、食品に強い大手商社の社員と知り合って、よく酒を飲んだ。彼は、一人で四国全体を担当していた。大きな会社だし、本社の人間で彼に関心のあるものはいないと言っていた。本社から見たら、どうなってもよいダメ人間でしょ。だけど、売上は、必要なのだと。出世には関心がないが、四国が好きで、四国で仕事ができることや、その仕事に誇りを持っていた。

厨房が汚い食堂のあるじにも、矜持のあるひとがいる。矜持があるなら、もっと厨房をキレイにしろよ、という感じだが、汚い厨房にダメ出しをする先生方の矜持と、矜持の持ち方がちがうのだ。それは生きる場所のちがいでもあるし、視線のちがいでもあるだろう。あるいは思想のちがいかもしれない。

全体をヒエラルキーでみるか、機能でみるかは、思想が関係しているようだ。

とかく日本人は細部に賢く全体に疎いといわれる。そういう問題でもなさそうだが、細部に賢い方が「正しい」とされやすく、大事にされたり共感が得やすのは確か、かな。細部に賢いと、ほかの見方ができなくなり、結果、全体に疎くなる、ということもありそうだ。

おれは、右サイドバーに書いてあるように「それゆけ30~50点人生」の下層フリーライターなので、そのあたりから自由に見ると、汚い厨房でも、悪くない店はあるから、楽しい。それから、汚い厨房の店主のように、あまり威張れない立場の人たちの矜持も、魅力的だ。

似たように、ダメだしされそうな人たちが頑張っていることはいろいろあって、社会という全体は、なかなか奥深いと思う。

当ブログ関連
2014/08/27
厨房が汚い店は料理もまずいか。

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2015/07/19

安さとボリューム、生活と趣味。

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2015/05/30
「豚レバ刺し問題。」では、墨田区向島の大衆酒場「かどや」の店長の「安さとボリューム」のコメントにふれ、「この話のおもしろさは、「安さとボリューム」であり、味にふれてないことだ。じつに、気どらない、即物的な文化。安さとボリュームを堪能するよろこび。いわゆる下町の大衆食堂や大衆酒場の文化とは、スノビズムから見れば文化とは言えないような即物性に、生き生きとしたフォークロアが息づいていて、だから、やはり、文化なのだ」と書いた。

安さとボリュームと生活の関係は複雑だ。

一方、その複雑さを切り捨て、フラットにならして批評を加えるという「趣味の評論」が、インターネットや出版を舞台にハヤリである。これは、とくに80年代以後の消費主義の大きな特徴といえるだろう。消費主義は、同一の金銭価値のもとに、すべてをフラット化し、比較し、評価しようとする。ブルドーザーみたいなものだ。

たとえば、500円で満足できる定食があるのに、700円なんか高すぎる。大衆食堂が800円の定食なんて、もはや「大衆」じゃない。などなど。

1円は、誰が持っても、どこで使っても、同じ1円の価値を持たなくてはならないというのは、資本主義の崇高な平等思想の結果であり、おかげで、現代人は、いろいろなしがらみから解放された。

そして、自由に食べ歩き、お客様は神様だぞ、おまえの店はたいしたことない、なーんて、働かなくては食えない貧乏労働者だって、偉そうにインターネットあたりに書けるようになった。

だけど、誰でも同じように収入があるわけではなく、その収入によって生活は縛られ、住むところもままならない。「地域格差」といった、いやらしい社会と歴史まで背負って生きなくてはならないことも多い。それに、なにより、労働によって、生活もちがうし、食事に対する考えもちがう。

そもそも大衆食堂は、批評を趣味として食べ歩く客ではなく、労働の日々の生活の楽しみとして食事をとる客によって支えられてきた。「安さとボリューム」と、フラット化視線からは安くはないかもしれない値段が、価値を持つ根拠は、その生活にある。

おれが知っている下町の大衆食堂の客には、日々の最高の楽しみといえば食事で、ほかに趣味らしい趣味も、娯楽らしい娯楽もない、という生活が珍しくなかった。

本を買うカネや、好きなファッションのためのカネや、旅行やレジャーのカネなどを気にする必要のない生活。老後のためを対策する、十分なゆとりもない。つまり、酒代も含め、エンゲル係数の高い生活だ。

そういう人たちが、大衆食堂の「上客」として、カネを使う。もちろん、文無しのときも、コップ一杯だけの酒を飲ませてもらうこともある、ツケでめしを食わせてもらうこともある。そういう付き合いのなかで、カネを使う。1円の価値は、さまざまな意味を持つ。

ところで、橋本健二さんの『居酒屋ほろ酔い考現学』には、サイデンステッカーの『東京 下町山の手』からの引用がある。

「今でも下町の方が人情に厚く、親しみやすいところではあるにしても、下町文化の栄光の時代はすでに終わった」のであり、「今日の下町には、せいぜい野球とテレビの文化しかないけれども、百年前の下町に比べて、これはあまりに貧寒な文化でしかない」

橋本さんは、「サイデンステッカー自身は、大の下町びいきでありながら、近年の新しい下町に対してはあまり好感をもっていなかったようだ」と書いているが、これは「ひいき」や「好感」の問題ではないような気がする。

先日来たびたびふれている工藤博海さんの指摘する、下町と山の手のあいだにある「圧倒的な非対称性」の存在についての認識の問題だろう。

おれは、サイデンステッカーも「下町文化の栄光」なんぞにも興味はないが、そこに「山の手」の視線を感じる。優位である自分の文化の価値観でフラット化する視線。

実際のところ、「安さとボリューム」というが、簡単ではない。市場も小さく消費性向の弱い地域で、店が生き残るのは大変であり、店は客と共に考え苦労して「うまく」やってきたのだ。それは、都心の一等地などとはちがう厳しい競争であり、共存をかけた競争というのが、消費主義に席捲された地域とは大いに異なる。

そこのところを、「下町人情」だのなんだのやフラットな金銭感覚で片づけるのは、マズイだろう。キチンと評価する必要があると思うね。

写真は関係ありません。このハムエッグは、ハムが切ってある。これも、ひと手間。

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2015/07/18

東京新聞「大衆食堂ランチ」33回目、上野・肉の大山。

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昨日18日は、第三金曜日、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。

今回は、上野の肉の大山で、チキングリルサルサソースってのを食べた。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015071702000186.html

ほんとうは、以前から500円の大山丼(和牛スジ煮込み丼)を食べてみたいと思っているのだが、ランチタイムの早いうちに行かないと売り切れになってしまうから、根性のないおれは、いつ食べることができるか。

この連載は、凡庸なものを、凡庸に書くよう心がけている。さらに、今回は、味や食べた感想について、まったくふれてない。たしか、こういう書き方は2回目ぐらいだ。

たいがいグルメな文章というのは、食べ物や味覚をめぐり、凡庸でないものを選び、それをどんなに凡庸でないかを伝える凡庸でない文章か、あるいは、凡庸なものなのに、さもさも凡庸でないかのように伝える凡庸でない文章が多い。

凡庸でないものを選んで書くのは、凡庸なものを書くより、モノに依存できるから、その分、書くのはやさしい。ただし、凡庸でないものを、正確に評価できているかどうかということがある。

そこんところを、自分の見識や感覚に自信を持って書いているひとも多いのだけど、なんてのかな「おれはよいものをたくさん知っているぞ、おれは並の凡庸なものに満足する人間とはちがうんだ」という、人間としてのダメさ加減がすけてみえるものも少なくない。ま、人間としてダメでも、売れればよいのはたしかなのだが。切ないことではある。

凡庸なものを凡庸な文章で書くのは、難しいから、いろいろチャレンジだし、力をつけるにはよい。問題は、それで読者がよろこぶか、ということなのだ。世間の、とくにテレビのグルメな番組に飼いならされた人たちは、「凡庸でない」ものに刺激を受けやすくなっている。

しかし、ま、凡庸でも、やりようはあるのだな。そりゃそうだ、世間の大部分は、凡庸で成り立っているのだ。ようは、凡庸を、どう肯定していくかになる。

この連載の読者の反応は、割りと早くでるが、本紙とWEBでは、読者層が、かなり違うようだ。以前にチョイと書いたことがあるが、WEBの場合は、だいたい反応のパターンが決まっている。本紙読者には、やはり高齢者が多いようで、ファックスでいただくこともある。

とにかく、いまや、なんてたって、どこかしら少しでも非凡じゃなきゃ、注目されない話題にならない。メディア環境は、供給過剰ということもあって、凡庸でないものに飼いならされやすくなっていると思うが、WEBのほうが、SNSの影響もあって、凡庸でないものへの瞬発的な反応が強いようだ。たとえ「本好き」であっても。

これは、昨今、民主主義や衆愚政治にも、関係していると思われる。

おれは、「ありふれたものをおいしく」といったぐあいに、凡庸を肯定しながら生きる人たちが、最も信頼できる読者と想定している。かなり少数派だろうが。

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2015/07/16

「川の東京学」メモ 「川筋」。 

またまた、まだまだ続く、工藤博海さんの『「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える』から。

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 江東六区、葛飾・墨田・荒川・江東・足立・江戸川の酒場を、地域性から捉えると、工場地帯だった歴史的背景を欠かすことができない。にもかかわらず、下町酒場ブームでは、ほぼ無視されている。……山の手=職住分離型の宅地開発 東京低地=職住近接の工業地帯化……という事実が、歴史のかなたに葬られ、踏まえられていない。

 東京低地の工場地帯は、山の手とは異なる近代化を体験したのである。東京低地の郊外開発が、ほとんどかえりみられない中で、「下町と山の手の差のなかには、近代日本の矛盾が凝縮されていた」(『荷風好日』)と述べる川本三郎氏は、数少ない例外である。
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こうして、工藤さんは、葛飾のベルエポックを語る。震災と戦争、朝鮮戦争から経済成長期を経て、住商工混在の景観が生まれるまで。この時期に、労働者の日々の暮らしの場として、大衆酒場や大衆食堂が成長する。

その後、昭和40年~50年代にかけ葛飾の転換期が到来する。つまり、大中規模工場が地方に移転し、その跡地に集合住宅ができ、「山の手」型の昼間は都心で働く新住民が流入してくる。

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 昭和50年頃まで、東京低地の酒場の常連客は工場労働者であったが、工場の転廃業と公共事業の拡大により、土木・建設関係者が地元常連客の中核を構成したのである。さらにバブル崩壊後……公共事業が大々的に削減されると、常連の中心は高齢の年金生活者となり、近年になると「下町酒場ブーム」で、インターネットで検索したよそ者が、大挙して押しよせている。
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下町の大衆酒場や大衆食堂を、「センベロ」などという言葉で表しながら、「歴史のかなたに葬られ、踏まえられていない」ことの差が、ますます激しくなる。

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 「地域社会は一義的にそこの住民のものである」という価値観がまず通用しないのは、よくも悪くも、東京の大きな特徴である。

 東京低地の居酒屋は、地域住民の「PUB=パブリックハウス」であり、高齢者にとってはライフライン、セーフティネットのひとつと言ってもよい。それなのに、よそ者が「いちげんでもカネさえ落とせば平等だ」と権利を主張してやってくる。

 いまや、下町酒場の名店を一軒でも多く知ることが、酒通(ツウ)のスノッブな「スタイル」と化している。
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そして、工藤さんは、「京成沿線から山の手の客を逆照射する」。これは、いってみれば、「川の東京学」が、東京低地から「東京」を照射しようとしているのに通底する。

2015/03/30「「語られてこなかったこと」が示すもの。『川の東京学 フィールドワーク編(1)』と『常磐線中心主義』。」でも少しふれたが、終章で開沼博さんが書いている「「語られなかったこと」が示すもの」に関わることだ。東京低地は、都内の常磐線とも重なる。

ところで、「川の東京学」という表現は、文字通り「川」が意味を持つ。最近の東京暮らしでは、「リバーサイド」「ウォーターフロント」なんていうこじゃれたファッションの消費以外で、「川筋」が話題になることは、ほとんどないし、そういうファッションは「山の手」の投影のようでもある。

だけど、おもしろい資料があって、明治40年の東京市会による「市内屎尿調査書」というものだ。当時は、屎尿は肥料として使うため、「業者」が汲取り買上げて売買されるものだったのだが、そのための適正なルール化を促す調査と見てよい。

そこでは、「川筋」と「山ノ手」という分類がある。つまり「川筋」については、「川筋の本業者は船を市内便宜の屎尿船係留場に置き自身小車或は担荷(にない)に拠り…」ようするに買い集めた屎尿は、係留した船に積み、市内で販売するか、市外需要地に送って販売する業者ということだ。

まさに東京の下半身を受け持つ「川筋」があったのだが、「山の手」と「川筋」という分類が、こういうところにも使われていた。

そういえば、かつて隅田川を上り下りする屎尿運搬の船を、身も蓋もなく「おわい船」だの「あっぱ船」とか言っていたな。おれが、その言葉と景色に接したころは、もはや屎尿は、やっかいもので、廃棄されるために船で運ばれていた。

近年は「山の手」に対して「川の手」という言い方があるけど、「東京低地」や「川筋」のほうが、ズバリな感じがする。それは、生産に直結する川筋だ。

東京では、あまり聞かないが、「川筋者」「川筋気質」という言葉があって、これは、筑豊炭田の遠賀川流域の生産と労働と暮らしに密接であり、北九州で取材したときも折尾で話を聞いた。折尾は、いまでこそ「学園都市」だが、石炭を運ぶため堀川を上下する川筋者で栄えた街だ。

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2015/07/14

「川の東京学」メモ 「下町言説」。

工藤博海さんの『「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える』は、いろいろなことがギッシリ詰まっていて、これからの「東京」を考える上でも、おもしろい。

メディア側の、よい店を紹介するのは、店にも地域にもメリットがあるはずだという独善的な「上から目線」は、下町に対してばかりでなく、とかく「取材対象」に対して、ありがちな態度ともいえる。

メディアや、編集者や、おれのようなライターは、ある種の「小権力者」であり(業界内で上昇するほど権力も大きくなるが)、その権力の行使として取材に臨む、その側面を自身で理解してない独善があるのは、確かだろう。

それに加えて、土地や場所そこにある生活の文脈から切り離して、店と飲食をとらえ、「東京=山の手」視線で評価したり、文化的文学的に表現する。

「飲み屋にまで下町情緒を見つけようとする」「下町酒場ブーム」には、「下町言説にまとわりつく幻想性」がみられるわけだけど、工藤さんは、「山の手と下町の文化資本の格差を浮き彫りにしていると考える」と指摘する。

ところで、近年流布されている「下町言説」は、いつごろから盛り上がりをみせているのだろうと、手近な資料をパラパラめくって見た。橋本健二さんの『居酒屋ほろ酔い考現学』に、関係する記述があった。「第七章 下町居酒屋の越境体験」。

「小林信彦によると、下町は一九八〇年代以降、素晴らしいところであるかのように語られ始めるが、一九六〇年代には「笑うべきアナクロニズム」の土地であり、公害と悪臭の町とされていた。そして一九六九年に始まる「寅さん映画」が東京の東のはずれにある柴又を舞台にしたのは、すでに旧下町が消滅し、下町人情を主題とする物語がこうした千葉との県境あたりまで行かないと成立しなくなったからだという(『私説東京繁盛記』)

「下町イメージの変化は、私が東京に住むようになった七〇年代後半から始まっていたように思う。というのはこの時期、『女性自身』『女性セブン』『プレイボーイ』などの雑誌が、相次いで下町を特集しているからである。/「のどかな江戸のムード」「しっとりしたとした下町情緒」「昔ながらの手作りの味」など、いまでも使われる常套句は、この頃から増殖し始める」

それで、おれは、「東京ふるさと計画」を思い出した。

「東京ふるさと計画」は、1970年代前半の東京都議会議員選挙で、自民党東京都連の打ち出したもので、のち都知事選で「東京ふるさと」を掲げた鈴木俊一が、革新都政の美濃部を破り自民党が都政を奪還することにつながる(1979年)。おれは、このキャンペーンに仕事で関わり、そのことは、このブログでも書いたことがあるような気がして検索したら、あった。

これだ。
2005/03/19
悩ましい「田舎者」

このキャンペーンは、主に都心から西郊や郊外に展開していた膨張する上京者新都民に対して、東京にもいい「ふるさと」があるよと、ふるさとの発見を促そうというものだった。

当時「ふるさと」の破壊者のようなイメージを背負っていた自民党のイメージチェンジとアップのために計画された。

そこでは、「自然」のほかに、三社祭りがある浅草などの「下町」が「東京ふるさと」として大いに利用されたのだった。「下t町情緒」幻想は、「ふるさと情緒」幻想と大いに関係ありそうだ。

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2015/07/13

「川の東京学」リンク集。

一昨日の「川の東京学」トークを思い出しながら、あれこれ考え整理しているのだが、おもしろくてコーフンが止まらない。

有馬さんが撮影した、ときわ会に所属のときわ食堂20数店舗の場所が、ごく一部は台地にあるとはいえ「下町色」の濃い地域で、ほかは見事に「東京低地」のジャンク地帯にあること。その佇まいも、「山の手」文化との違いがハッキリしていること。

20年前の『大衆食堂の研究』のころは、「山の手」にも、まだジャンク地帯といえるところがあり、また、東のときわ食堂のように勢力を張っていた「やしろ食堂」があったが、ジャンク地帯は「山の手」文化にのみこまれ、やしろ食堂も、ずいぶん少なくなった。

「川の東京学」を続けることで、これまで見逃してきた資料やコトが、発見できるのもよい。今回のトークでは話す機会がなかったが、2000年ごろの『散歩の達人』を読み返してみると、「山の手視線」で「下町」が塗りかえられていく様子が、みごとに残っている。

たとえば、1998年の『下町酒場巡礼』(四谷ラウンド)でブームに火がついたかっこうの、大はしや大久保や丸好などが並ぶ「大衆酒場考」で、「大衆の、大衆による、大衆のための名酒場で……」を謳いながら、「名物・牛にこみのうまさに、文化の香りまで感じる酒場の王道」だの、「安くてうまい、だけではない。文化人にも愛される。それが上々吉の酒場の条件なのだ」なーんて書いてあるのだ。噴飯ものですね。

だけど、このように思い上がった「文化の香り」は、いまやマンエンして、都会の空気のようになっている。

メディアまわりで「文化の香り」だのが、やたら珍重されるようになるのは1990年代、おそらく速水健朗さんのいう「デフレカルチャー」と関係しているように思う。そして、メディアまわりの「文化の香り」の高い人たちによって、人びとは「文化の香り」に飼いならされてきた。その文化は、「安くてうまい」だけじゃいけないという、選良思想に支えられて、侵略する「東京(山の手文化)」のコアな思想になっているようだ。

そんなこんないろいろ考え、「川の東京学」は、これから地味に野暮に力をつける時期だと感じ、とりあえず、これまで当ブログに書いた「川の東京学」がどんなだったか気になったので、リンクをはっておくことにした。

2015/07/12
「川の東京学」トーク編3回目は、にぎやかで、有意義だった。

2015/07/04
モツと生存とアートをごちゃごちゃと。

2015/07/03
生存のめし。

2015/06/29
7月11日(土)は、野暮酒場@小岩で「川の東京学」トーク。

2015/06/20
東京新聞「大衆食堂ランチ」32回目、亀有・常盤仙食堂。

2015/06/15
「モツ煮狂い」と「川の東京学」。

2015/06/12
「川の東京学」トーク編3回目は、7月11日(土)。

2015/06/08
北浦和スウィングフェスティバルのち「川の東京学」的散歩、蕨で泥酔。

2015/06/01
料理と味覚、東京の山の手と川の手。

2015/05/31
1995年、デフレカルチャー、スノビズム。

2015/05/29
スノビズムと味覚または料理または食。

2015/05/22
雑誌って、ナンダロウ。本って、ナンダロウ。南陀楼綾繁って、ナンダロウ。

2015/05/13
『川の東京学』トーク編2回目は、いろいろ面白い発見があった。

2015/04/30
5月4日、『川の東京学』第二回トーク編@小岩・野暮酒場。

2015/04/21
東京新聞「大衆食堂ランチ」29回目、南行徳・丸平食堂。

2015/04/09
4日の「川の東京学」浦安フィールドワークは、大いに楽しく有意義だった。

2015/03/30
「語られてこなかったこと」が示すもの。『川の東京学 フィールドワーク編(1)』と『常磐線中心主義』。

2015/03/18
「川の東京学」メモ。抑え込まれてきた、「川の東京」の発掘。

2015/03/16
「清龍新酒祭り」から、4月4日「川の東京学」へ。

2015/02/27
北浦和で3軒ハシゴ、「川の社会学」から「川の東京学」へ。

2014/11/11
いま、森を見よ。「三隈川かっぱめし」の巻。

2014/10/23
泥酔野暮トーク「川の社会学」。

2014/09/25
泥酔野暮トーク「川の社会学」をやります。

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2015/07/12

「川の東京学」トーク編3回目は、にぎやかで、有意義だった。

今日は、忙しい。とりあえず、きのうのことを簡単に書いておこう。

きのうは、野暮酒場@小岩で「川の東京学」トーク編3回目だった。

17時開店、18時スタートだったし、急に暑くなったことでもあり、おれは上野でチョイと一杯と腹ごしらえして、17時半ごろ野暮酒場に着いた。すでに、飲んでいるのが、3人ほど。続々と、という感じで集まり、18時過ぎにトークを始めた。

今回は、『大衆食堂の研究』発行20周年(この本の発行は1995年7月31日なのだ)特別企画ということだったので、おれは20年前ごろの、とくにその後閉店した大衆食堂の写真を中心にタップリCDに焼き付けて持って行った。有馬さんは、ときわ会のときわ食堂20数店の写真を用意。

それらを、モニターで見ながらトーク。『大衆食堂の研究』が出るまでのことや、1995年前後のことなど、あれこれ。まいどのことだが、トークの途中でも、参加者が口をはさむのは自由なので、どんどんにぎやかになる。途中から「川の東京学」などどうでもよくなるにぎやかさ。

いろいろバラバラに話がはずんで、そういうなかで、ひらめくこともあり、なかなか楽しく、いい発見があった。こうして、「川の東京学」は、トークの方法そのものも雑駁雑多に「東京低地」らしく進むのだろう。川の流れのように、いろいろ混ざり合って。

不便な場所なのに、野暮酒場は初めてという2人の方も含め、参加者は20人近くいたのではないかな。野暮酒場の小さな箱が一杯だった。

資料として、おれが『雲遊天下』111号の特集「なくなったもの」に寄稿した、「大衆食堂から見たなくなったもの」をコピーして配った。

有馬さんが、図書館かどこかで見つけた葛飾区の何かの雑誌に、「モツ煮狂い」のクドウヒロミさんが、「工藤博海」の名前で書いている、「「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える」のコピーを持ってきてくれた。その内容が、おれが『雲遊天下』に書いていることと、かなりシンクロしていて、まさに「川の東京学」的。

しかも、工藤さんの文章の最初「なぜ本稿が書かれたか」に、「知人のライター・遠藤哲夫(エンテツ)氏は、次々と「目新しい店/珍しい店」を仕立てあげ、押しかけるメディア取材を「急降下爆撃」と呼ぶ。常連相手に数十年変わらぬ業態を保ってきた(東京低地の)家族経営の個人店にとり、取材は「荒らし」行為のほかならない」と書いているのだ。

工藤さんは、「大都市の恩恵で豊かな消費生活を満喫するミドルクラスと、地域共同体の束縛など考えもつかない生活を送る山の手のマスコミ人たちがもてあそぶ「下町情緒」の擬制」を、告発しながら厳しく批判している。

そして、「では、どうすればよいか」について、述べているのだが、きのうは、その「では、どうすればよいか」について、トーク自体はあまり深まらなかったが、大事な示唆的なことがあった。なんだか、さらに一歩進んだ気がして、大いに満足な気分で帰って来た。

おれは、電車の関係で早く帰るのだが、野暮酒場を出る22時半ごろでも、ほかの連中は、にぎやかに盛りあがっていた。

とにかく、参加のみなさま、ありがとうございました。「川の東京学」は、ますますおもしろくなりますよ。

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2015/07/10

鰹節とソウダ節。

「一強多弱」というのは、自民党が勝ち続ける近頃の政界のことらしいが、ほかにも似た状態があって、ダシなんぞもそうだ。

動物性のダシというと鰹節のダシ、植物性のダシというと昆布のダシ、「木枯れ」だの「羅臼」だのという割には、ほかのものについての知識はヨワイ。

多様な全体をとらえる前に、いいとなるとそのことばかりになる。これはもう、ダシの問題をこえる、ちゃんと個性を捉えて評価できない、なにかニンゲンとしての欠陥があるような気がする。

というほど、大げさではないかも知れないが、なんだか、すごくおかしいことになっている。

ある店で、うどんを食べて、「うまかった、このダシは、ソウダを使ってますよね」というと、そこの主人がすまなさそうな顔をして、「うちあたりじゃ、鰹節はコスト的に使えませんからね」という。

「いやあ、十分うまいですよ」と言ってしまってから、なんだかおかしいと思った。鰹節を使うべきところを、ソウダでも十分ですよ、と言っているような気がしたからだ。これでは、主人と同じ状態だ。いったい、なぜ、こんな妙な気分にならなくてはならないのだ。

うまものはうまい、で、よいではないか。そういう単純なことにできないのか。

例の和食がナンタラ遺産になってから、ますます、鰹節と昆布のダシが優秀で、ほかは「劣等」と言っているわけではないのに、劣等以下というか、埒外、もう視野にすら入らない、見えてない感じだ。

そういうムードに取り囲まれ、鰹節じゃなくて、すみません、いや、これで十分ですよ、などとお互いにへりくだらなくてはならない。

気がついてみれば、こういうオカシイことは、あちこちにあって、根強い優劣観や上下観とあいまって、批評眼を競い合うような選良主義がはびこり、多様な個性を尊重しあうなんて、遠いことのようになっている。

しかも、上等な材料を使えば、よい仕事人として評価され、でないと向上心もないダメな仕事、ダメな人間と烙印を押されかねない。

悪い立地、金もあまりとれない客を相手に、精一杯のことをやっていても、上等なものを使っていないだけで、評価の対象にならない。

だいたい、鰹節であらずば節にあらずという感じで、鰹節以外は「雑節」である。それに、ソウダ節は、とくに業務用の分野で、たくさん使用されているのが実態ではないか。ソウダ節の個性を生かし上手に使うことこそ、評価されるべきだろう。

これはもう、ほんとうにおかしなことになっていると思う。そこんとこ、ニンゲンとして、どうなんだ。

野暮な雑民であるおれは、怒りにブルブルふるえ、鰹節ほどの人間でもないくせに(という言い方はオカシイかな?)、良質を知る良質なニンゲンの面をしているやつらを、ブチのめしたい気分なのだ。

暴力ハンターイ。

一強の暴力ハンターイ。

もっと、ありふれたもので、生活を楽しもう!

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2015/07/09

「自称」の職業のおもしろさ。

知り合いに、「スクール」とか「セミナー」という類で食べている男がいる。自営の講師業のようなものか。ただ派遣や不定期ではなく、主催しながら自分も教える。どれも趣味や教養のカルチャースクールと違って、その教程を終えると、うまくやればそれで食べていけるか、小遣いかせぎはできるというものだ。

専門分野としては確立されていないけれど、主に、専門と生活のあいだのアイマイな領域に成り立つ、ある種の専門知識が必要とされる分野で、しかも制度化・資格化されていないあたりで、彼らは活躍する。

既存の例をあげれば、スタイリストやライターだってそうだが、デザイナーも、そうか。これらは職業としては制度化・資格化されてはいないが、学術や学校の業界のほうで制度化や系統化されている。それは、基本的には、生活のニーズのためではなく、産業のニーズに応えるためであり、一般の生活と直接関わりあうことはあまりない。比較的新しく制度化された、インテリアコーディネイターなどは、典型だろう。最初のころは、カルチャースクールのテーマぐらいだった。

そういうものと違って、わかりやすくは、健康や身体に関わる、ケアなどの分野は、ずいぶんいろいろある。食まわりでも、マクロビ系の「塾」とか、自称的にいろいろやっている人たちがいる。

医療などの専門分野からは相手にされない、医者に行けば病気じゃないと見なされるが、自分は具合が悪いという類など、日常の対処やケアのなかで改善可能なもの、そういう分野が、たくさんあるわけだ。習慣でゆがんだ姿勢を正すだけで、調子がよくなるとか。

学術などで確立された専門分野だけじゃ、わからないことや、解決や改善がすすまないことは、いくらでもある。

そのあたりにくらいついて、「新興宗教」がはびこったりするが、科学的な専門知識と技術で対応する専門家を育てようと、マジメに取り組んでいる人たちもいる。

これらがどう成り立っているかは、とてもおもしろい。まず、こういうこと始めたキッカケというのが、自分が困った目にあって、その解決のために、徹底的に調べた結果とか。自分の専門分野の制度のなかでは、どうしても解決しないことがあって、なんとかしようとやった結果とか。ようするに、起業するなら、自分が切実なことを仕事にする、という、よく言われていることだ。

そして、まず、同じ切実を抱えている人たちを「生徒」として募集する。

募集するには、広告代理店を使って、Webと雑誌に広告を打つ。広告効果は、圧倒的にWEBがよい。というのも、ユーザーは最初から目的がはっきりしているからだ。

対して、雑誌広告は、パラパラ見をして、気まぐれに資料請求する人たちが多いから、歩留まりが悪い。それでも雑誌に広告を載せておくのは、印刷物のほうが「権威」があって、雑誌に大きな広告が載っているのが「信用」になるから。ま、日本はまだ、それぐらい権威への依存が高くリテラシー能力が低いということだが。

とにかく、業界や制度の外側でやるわけだし、ハードがあるわけじゃないソフト商売だし、とくに体験のない人からはウサンクサイ目で見られやすい。そういう知人の一人は、職業を訊かれると「自称」と答えるのだそうだ。

でも、いまあるソフトの専門分野は、たいがいは、そんな始まりじゃなかったのかなあ。おれのかつての肩書の「プランナー」だって、いまもか、「自称」という職業だ。フリーライターも、そうだな。

「自称」のつかない肩書を持つようになったら、「就職」ということだろう。就職は、就社か自営かに関係ない。職業的枠組みやヒエラルキーなどの外側にいる、自称の世界は、したたかでおもしろい。

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2015/07/07

100年。

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100歳以上の人と話したことはないが、80歳以上の人とは、けっこう話す機会がある。たいがい、飲食店の方だが、やはり爺さんより婆さんのほうが多い。それも、スガレ系の食堂や飲み屋のカウンターのなかで、店の佇まいより、はるかにハツラツとしている婆さんだ。

今日も、そういう婆さんと出あった。82歳。ご主人が身体を悪くしたので、一人で店に立っている。ご主人は、どうやら店の二階の部屋で寝ているらしい。昔の古い安普請の建物で、ときどきガサゴソ小さな音が響いた。

店は52年前に始めた。婆さんは30歳のときだ。

「50年とは、すごいじゃないですか。いまどき、飲食店は難しいからねえ」

「まさか50年も続けているとは思わなかった」

「何年かしたら、別の商売をするつもりだったの」

「そういうことじゃなくて、何年後なんて考えずに、毎日生きていくために働いていただけ。そしたら、50年たっていたの。主人が倒れてからは、ますます働かなくては生きていけないしね」

「昔は、人生50年といったけど、昔の一生分、店をやっているわけだ」

「そういうこと」

婆さんは80過ぎとは思えないほど、色つやがよい。婆さん、なんていうのは失礼だ。

「現代人は」と、婆さんは言う。

「この通りは美観がよくないから、もっと美しくしろというのよ、区役所がね。ちゃんと働いて税金払っているのにさ。自分たちは税金で新しい高い綺麗なビルにおさまって。街中を、同じようにしたいのかしら。でもね、こういう店がよくて来る人もいるの、こういうところに美しさを感じる人もいるのよ。どうも現代人の美しさとは違うみたい」

この店は、再開発されたビルの谷間に残った、古い建物が並ぶ細い通りにある。

出てくる食べ物は、ぜんぶ、婆さんが作っている。たくあんも、漬けている。そのかわり、「現代風の食べ物はないの」と言う。ポテトサラダやハムエッグはあるが、それは婆さんが子供のころから知っているものだから「現代風」ではないらしい。

この店を支えてきたメニューは、そういうものだ。現代風ではないかも知れないが、100年以上か100年近くは食べられている料理ばかりだ。この100年は現代だろうと、おれは考える。

100年続くかどうかなんて、誰も考えずに、だけど続いてきた料理が、たくさんある。婆さんが、何年後なんて考えずに、毎日生きていくために働いてきた結果、いまも店が続いているように。

しかし、最初から100年続くものを作ろうと考える人もいるようだ。近頃のモノヅクリや、本づくりでも、そういうことを耳にする。しかし、過去、100年も続くものを目指して作るなんてことが、どれほどあったのだろう。「100年続くもの」「長く続くこと」は、最初から、そのように企画されたものなのか。

あるいは、史書や、神社仏閣のたぐいは、そうかも知れない。「長寿思想」は昔からあり、鶴や亀のようにという願望があったのは確かだけど、権力者の志向と密接だし、なにより願いと意図では、ずいぶんレベルが違う。

願望を超えて、「100年続くものを作ろう」というような考え方は、いつごろからどう生まれたのだろう。なんだか、小賢しい、高慢な考えのような気がした。そういえば、「歴史に残ることを」って言っていた人たちも、おれのまわりにいたな。ウサンクサイ、政治家や、似たような野心家たち。

たいがいは、100年続くことより、いまの必要や切実から企画され、結果として100年続いているということが、はるかに多いのではないか。

林業家が話してくれた100年を思い出した。杉を育てる林業家の100年は、苗を植えてから3代にわたる。孫の代を考えて苗を植える。当然だが、最初から100年の杉ではない。苗の頃から、杉にとって必要なことをしてやる、すると杉も応えてくれる。そのように成長するのだが、難しいのは、子供のことも含め孫の代があるかどうかだと。

カンジンな、人間が、いちばんアヤフヤなのだ。

なんだか、今日は、婆さんとの出あいから100年を考えてしまった。

最初の写真は、52年前の開店のときに贈られた額。「いまでは、こういうの作る人もいないし、贈ったりもしないでしょ」。おれも婆さんも、この浮き彫りをはめた額を、なんて呼んだか、それすらもう思い出せなかった。だけど、この店と共に、ここにある。100年続かなくても、それでよいではないか。

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2015/07/06

「料理道」から「料理学」への可能性。

今日は、コーフンした。まだまだ、ずいぶん先のことだろうと思っていた「料理学」の可能性が、グッと近いところにあると知ったからだ。

はあ、こうやって書いていても、コーフンで心臓がドキドキする。

『大衆めし 激動の戦後史』の第1章では、江原恵さんの「生活料理学」構想の成り立ちを述べながら、おれはあまり「学」にこだわっていなかったことも書いている。

江原さんの「生活料理学」は、伝統主義日本料理、それと表裏の関係にあった食通のちのグルメに対しての批判から始まっている。そして、批判するだけでは生産的じゃない、日本の料理は体系を持たなくてはならない、それでこそ、料理を伝統主義日本料理の影響から生活に取り返すことができると考えた。

おれは、いまでもそうだが、「学」や「体系」にはあまり興味がなかった。だけど、「料理論」ぐらいは必要だろうと考えていた。それでまあ、この本にも書いたように、「江原生活料理(学)研究所」の設立になるのだが。

『大衆めし 激動の戦後史』では、「日本料理から生活料理へ」の項で、「「庖丁の冴え」という庖丁さばきひとつで、味もかわる。それが日本料理の哲学だ」という庖丁道の伝統を問題視しながら、「料理は、素材の生物的特性に、化学的物理的に働きかけ美味を得る技術で、「切る」は、その一部」と書いている。

そして、その最も適切な理論モデルとして、玉村豊男さんの「料理の四面体」を紹介した。

しかし、「体系」や「学」となると、「素材の生物的特性に、化学的物理的に働きかけ美味を得る技術」を、科学的に解明することが必要だ。とても個人レベルでやれることではない。

ついでだが、これまでは、料理を科学するとなると、生理学やその流れの栄養学などになってしまい、これは「美味を得る技術」とは違う。

もちろん、『「こつ」の科学』のように、なぜどのように、その調理が必要かといったことを、部分的に科学するものもあったし、料理を科学する流れは、しだいに広まってきてはいる。

だけど、研究学問業界においては、料理の立場はヨワイ。かなり科学的な人でも、料理のことになると、スノビズムに陥ったり、「職人技」の神秘主義や似非科学のトンデモにはまることが多い。これは、ご本人の実料理体験も関係するだろうが、日本で暮らしていると、いつの間にか脳ミソに入り込む、古くからの「料理道」の思想的影響も見逃せない。

ところが、だ。

『TASC MONTHLY』の最新号の巻頭随想は、宮城大学食産業学部准教授の石川伸一さんによる「<超オムレツ>つくってみませんか」。

書き出しは「よく、「料理は科学だ」といわれますが、今、研究を職業にしている私も台所に立つと、つくづく料理はサイエンスだと思います」であり、「できた料理は「化学反応生成物」です。調理に経験やコツは大切ですが、食べものがおいしくなる過程をとことん追求していけば、料理を「科学的な視点」で見ることが不可欠になってきます」と述べている。

おお、すばらしい。おれは、声をあげた。

石川さんは、オムレツを例に話す。ゲル形成やら、見た目の食欲をそそる焼き目のことから、「無重力でオムレツを作る」まで、なかなか具体的でおもしろい。いいねえ、研究学問業界から、こういうことを書く人が出てくるなんて、いいねえ。

プロフィールを見た。

福島県生まれ。東北大学大学院農学研究科修了。博士(農学)。専門は、分子食品学、分子調理学、分子栄養学。著書に、『料理と科学のおいしい出会い 分子調理が食の常識を変える』(化学同人)、などなどとあり、

最後に、「分子料理・分子調理ラボ」(http://www.molecular-cooking-lab.net/)というサイトで分子調理に関する情報を提供している」とあるではないか。

早速、見た。

これだよ、これ。すごい、すごい。まさに「料理学」になるよ、これは。

そうコーフンして、一挙に、このエントリーを書いたしだい。はあ、未来は、明るい。

ただ、それでも、うまさを感じる人間は一様ではない、味覚は個人のものだ。

当ブログ関連
2013/09/14
『大衆めし 激動の戦後史』のもくじと、「まえがき」「あとがき」の書き出し。
2008/10/07
なんて奇怪な平和の中のアヤシイ日本料理なんだろう。

まずは、非科学的な、日本会議のような日本料理道の影響から、早くオサラバしよう。

Asahigura_sijyou

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2015/07/05

台湾へ行かなくても台湾縦断が楽しめる本。

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光瀬憲子さんの『台湾縦断!人情食堂と美景の旅』は、台湾へ行かなくてもいい、台湾を深く深くタップリ楽しめる。

2014/07/05「台湾にもある大衆食堂パラダイス。光瀬憲子『台湾一周!安旨食堂の旅』は快著だ!」に紹介した、『台湾一周!安旨食堂の旅』は昨年の6月15日の発行だった。これが、売れ行き好調、まだ再刷も決まっていないうちに、第2弾の本書の企画が決まった。という話は、昨年8月、光瀬さんたちと飲んだときに聞いた。

そして、本書は、今年の2月14日の発行だ。短時間の取材と制作だが、すごく充実している。

前の本の紹介のときには、なにしろ食べ物の話が魅力的で、このことを意識せずにブログを書いた。つまり、光瀬さんは、アメリカの大学を出てから台湾に住み、ジャーナリストを志していた人であることだ。今回は、そのジャーナリストの視線を強く感じた。

それに、台湾人と結婚し子供を育て、あるいは上海で暮らし、離婚した1972年生まれの女性の、簡単に言ってしまえば、苦労人の視線がある。

台湾は、多民族が暮らす島でありながら、日本時代があり、国民党時代があり、北京語に台湾語、外省人と本省人、原住民の言語などが、複雑にからんでいる。それは、文化の多様性でもあるが、その機微をとらえるのは、簡単ではない。そこを、著者は、縦横無尽に歩きながら、食べ飲み話し、独特の文化を掘り起こし、現地の人に案内され秘境を楽しみ美景を味わう。

そういうわけで、「人情」も「美景」も、単なる謳い文句ではなく、鮮やかに興味深く描かれている。

第一章は、艋胛(バンカ)。台北のディープゾーン探検だ。

その最初、著者は、こう述懐する。

「台北郊外に暮らしていた20代の頃は見向きもしなかった。いや、まったく視界に入ってこなかった。/あの頃の私は、全然違うところを見ていた。自分は何でもできると思い込み、世界を股にかけるジャーナリストになることを夢見ていた。がむしゃらに仕事をして、必死で子育てをして、まっすぐに生きることばかり考えていた。その後、辛酸をなめ、40代になってみると、今まで見えていなかったものが見えてきた。井の中の蛙とは私のことだ。そう気づいたのはもう30代も半ば過ぎてからだった」

そして、台北に来るとその日のうちにバンカへ足を運ぶことが多くなった。

その彼女が、バンカの、酒が飲める廟とヤクザの事情や抗争と旨い店を語る。「50年来、同じ味で牛肉炒めと牛モツスープを出しているこの店には何十年も通いつめている根強いファンが多い」しかも「牛モツスープはたったの40元(約150円)。この値段で牛モツスープが飲める店など、台北のどこを探しても見つからないだろう」。

昼酒を飲むおやじたちに混じって著者も飲む。「料理上手な肝っ玉女将」や、よく働く美人姉妹のお粥、会ってみたい人たちや、食べてみたい店が、続々と…ってことだから、台湾へ行かなくても台湾を深く楽しめる本だが、やっぱり行ってみたくなる。

第二章、「北端の離島、馬祖(マーズー)」は、台湾の北端の島、しかも大陸に近い。基隆から、飛行機もあるが、10時間かけて船で行く。馬祖と大陸のあいだは、船で30分だ。

ここは、かつては海賊の基地だった。その名残りが地名や廟にあったりする。戦後は、大陸に対する軍事基地の島になり、兵隊さんのまちになった。島の人たちは、あまり外食の習慣はなかったが、兵隊さん相手の飲食店が繁盛した。兵隊さん御用達の馬祖バーガーや揚げものがうまそうで食べてみたくなる。

馬祖は1993年に軍事基地としての役割を終えるのだが、それは、中国が大陸から台湾本土まで届く弾道ミサイルを開発したからで、「馬祖でどうあがいても、台湾本土にミサイルが落とされればお手上げだ」ってことで、馬祖に軍事基地を置く理由がなくなったのだ。

「中国との関係が改善されたから軍事施設が少なくなったわけではないのだが、それでも両岸関係は以前とは違う。台湾と中国は経済面ではとても密接に、複雑にからまり合っていて、ミサイル一つでは何も解決できない関係になっているからだ」という著者の指摘は、いまどきの日本も考えてみる必要がありそうだ。

もちろん風景のよいところで、オーシャンビューの石造りの民宿はあるし、おしゃれなカフェの自家製老酒を飲みながら海を眺めるのも魅力的だ。

面倒な漢字はカタカナにするが、第三章「イェンチェン」は、「高雄の横浜、レトロ散歩」。第四章、本島最南端の熱帯リゾート「墾丁(ケンディン)」。第五章、台南に負けない安旨の宝庫「嘉義(ジャーイー)」。第六章、先住民の聖地を歩く「阿里山(アリサン)、栗松温泉(リーソンウェンチュェン)」。番外編、「台湾「大衆酒」探訪」。というぐあい。

第六章では、日本マンガ大好きの先住民ガイドの少年が登場する。ツォウ族の学校に通い、腰に鋭い刀をさしているが、日本の漫画やゲームも大好きだ。

ツォウ族のアフさんは、3人の娘たちを育てるために、いくつもの仕事をしている。著者たちが泊った民宿を手伝いながらドライバーも務め、製茶工場で働き、茶園の仕事も手伝ったり。

大陸からの団体観光客も多い。彼ら陸客たちは、年に2~3回、仕事仲間と海外旅行へ行くらしい。「アフさんがため息混じりに言った。「あの中国人たちはすごいな。毎年あんなに旅行に行くなんて。俺は女房子どもを年に一度旅行に連れて行くことすら難しい。仕事があるからね」

「私は返答に困った。私だって、何が幸せなのかはわからない。でも、阿里山であらゆる仕事をこなし、高雄や嘉義で暮らす高校生の娘たちとのたまの会食を心待ちにするアフさんには、海外旅行では見えないものがちゃんと見えているはすだ」

光瀬さんならではの眼差しを感じる。

「墾丁に向かう際、台北→高雄は深夜バスを利用した。飛行機のファーストクラス並の豪華座席。トイレ付。所要約5時間。片道運賃が700元(約2600円)前後で、1泊の宿代が浮くことを考えると、悪くない選択だ」など、細かなガイドまであるけど、著者が動くように動き、食べたように食べ、飲んだように飲み、見たように聞いたように、そして思い考えてみる紀行の楽しみが大きい。

とくに、当面、アフさんのように仕事が忙しかったり、ヒマもカネもなく、台湾へ行けそうにないおれのような人間を、とても満足させてくれる。

それに、ゲストハウスの経営に関わり(スタッフには、台湾の女性もいるけど)、「旅人文化」なるものを志向しているおれとしては、ここに書かれた旅は、まさに旅人の旅。ドミトリーや民宿などを利用した、安い自作の旅の面白さや味わい深さがタップリ。はあ、やっぱり、旅人は、いいね。ってこと。

光瀬さんの文章は、その視線もあるが、翻訳業をやっていることもあるからか、ちょっと翻訳文のようなところがあって、ドライなタッチが心地よい。なんというか、日本的な情緒的な思い入れやネチネチがなく、余計な技巧的な装飾や言い回しもないし、いい感じだ。

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2015/07/04

モツと生存とアートをごちゃごちゃと。

2015/06/15「「モツ煮狂い」と「川の東京学」。」に登場の『モツ煮狂い』には、以下のような文章がある。

………………
 いま、夜の旧たから通りは静かですが、往時はひっきりなしに人通りがあり、職工さんのスタミナ源がもつ焼だったといます。一人で20本はざら、50本食べたツワモノもおり、酎ハイも一人で15杯という記録があるそうです。どちらが多く食べ、飲めるか競争をして、最後は取っ組み合いの喧嘩で終わる。そんな男らしい世界があったと教わりました。
 要するに、客がハイボールともつ焼だけで食事をした時代は、それで商売になったわけです。いまのお客はもう2‐3本しか食べないのが当たり前、主食で毎日食べる人は私をはじめ極少数にとどまるでしょう。メニューの選択肢がたくさんある中で、もつはB級グルメの対象として、「あえて」「わざと」食べるのが酒通っぽい、というスノビズムで消費されるものになりました。
 もつ酒場がうんちくや批評の対象になること自体が、近代の終わりを意味しており、その意味でも、大力のような昔ながらのもつ酒場は、貴重な近代化遺産といえます。
………………

かつては、もつ焼に酎ハイは職工さんたちの「主食」であり、生存のめしであり、働き食べる生存の営みだったことを書き残している。

食べること飲むがことが、生存の営みである生活の中から、外側のレジャー(娯楽や趣味)になっていき、やがてスノビズムの消費の対象になっていくのは、『大衆めし 激動の戦後史』にも書いたが、70年代から顕著になり、80年代のグルメの台頭によって勢いづいた。

そして、飲食分野の、あれもこれもが、うんちくや批評の対象になっていったのだが、生存の営みである生活が無くなってしまったわけではないし、生活の中の飲食は続いている。

とくに、2015/05/30「豚レバ刺し問題。」でもふれている「安さとボリューム」は、コアな文化として続くと思う。

もつ焼に酎ハイ、安さとボリュームなんて、「文化」といえるかい、ただのマッチョじゃないか。と、「文化系」の意識の高い人たちは言うかも知れない。文化やアートってのはね、生存なんていうレベルより、ずっと高尚なものなの、とか。

「よいもの」「よい暮らし」を謳う、ハイカルチャーな雑誌や書籍には、「品質のよい一生もの」を大切に使う生活の楽しみやシアワセみたいなことが述べられている。そりゃまあ、余裕のある人たちは、そういう楽しみ方をするだろう。

だけど、安さとボリュームには、ありふれたものをおいしく食べる、高度な文化があったりする。スーパーの衣料品売り場で買った、安物の衣服を、大事に繕いながら長持ちさせている人たちもいる。銀座や青山の有名店の菓子ではなくて、スーパーやコンビニで買ったケーキで、楽しくお茶する生活もある。

そこに文化的な優劣など存在しないはずだが、とかく、「よいもの」「よい暮らし」のススメは、安物の暮らしを見下すことにつながりやすい優劣観が潜んでいることが多い。早い話し、モノの優劣が、生活の優劣なのだ。

『大衆食堂の研究』では、こんなことを書いている。

………………
 七〇年代あたりから饒舌になった、こういうグルメ・食文化もどきは、同じことを言う。日本は、やっと、食の文化を考えられるゆとりができたのだ、と。それまでは、くうだけで精一杯だった、と。ようするにくうことの心配がなくなったから、グルメ・食文化がやれる、ということである。これはほんとうだろうか。もちろんデタラメのウソだ。すくなくとも、料理評論家だ食文化評論家だというやつらが、「フード・ビジネス」にくわせてもらえるようになったのは確かだろうが。
 ようするに、七〇年代以後の華やかなグルメ・食文化ブームは、エサの心配がない生簀の魚にはグルメも文化もあるが、川や海で生きている魚にはグルメや文化はない、という理屈なのである。これを「生簀文化論」と呼ぼう。
………………

と、ここで、「生簀文化論」に対抗し、アートや文化というものは人間の生存と密接であり、生存することがアートであったり文化であることを、我田引水的に引用しておく。

『生きていく絵 アートが人を〈癒す〉とき』(荒井裕樹著、亜紀書房)という本があって、2013年9月に発行の直後ぐらいに、いただいたのだが、おれはただでさえ読むのが遅いのに、この本は「難解」と意味が違って、文章はわかりやすくても、おれの頭の血のめぐりが悪いせいで、噛み砕いて理解するのに時間がかかり、まだ紹介できないでいる。

なのに、自分の都合のよいところだけを引用させてもらう。すみません。とにかく、この本は、とても重要なことを書いている。ありふれたものをおいしく食べる、ってことにも関係あるようだ。

そもそも、この本の帯には、「生存の技法」とあって、「技法」に「アート」とルビがふってあるのだが。

「自己表現の〈もの〉と〈こと〉」の見出しの本文は、こう始まっている。

………………
 病気や障害を持つ人たちのアートが議論される際、表現された作品を重視するのか、あるいは作品を生みだす場や関係性を大切にするのか、人によって意見が分かれるようです。これはとても難しい問題です。前者を強調しすぎると、表現者(=作者)の実態的な〈生〉から切り離されたところで、鑑賞という名の消費がおこなわれてしまうかもしれませんし、後者にばかり注目が集まれば、個々の作品自体が有している意味や可能性がおろそかにされかねません。
 多少乱暴ですが、前者を強調するのがアート業界の価値観であり、後者を強調するのが医療・福祉業界の論理なのだという整理もできると思います。
………………

ようするに「生簀文化論」的な考え方、表現された作品つまりモノを重視するのは、いまどきのハイカルチャー文化業界の価値観の影響であり、飲食を生みだす場や関係性つまりコトを大切にするのは、生存のめしの考え方であるということ。で、いいかな。

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2015/07/03
生存のめし。

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2015/07/03

生存のめし。

20年前に発行の『大衆食堂の研究』では、大衆食堂のめしを「生存のめし」としているし、「生存」が裏テーマのようなアンバイになっている。

すでに何度か繰り返しているように、「生存すること」つまり「生活」であり、食を、「産業」「市場」「消費」というワク組みで捉えたり語ったりするのではなく、生存することを基本に、食事や料理や、ようするに食を、位置づけし直す必要がある、と考えてきたのだな。

もっとデカイことをいうと、これまで食に限らず、あらゆることが「産業」「市場」「消費」というワク組みで捉えられ(その上に、国家が鎮座しているのだが)、「産業」「市場」「消費」のためになることが煽られ求められてきたのだけど、そういう考え方は行き詰まっている。

もともと人間が生み出してきたことは、生存のためだったはずだ。それが、産業や市場や消費の役に立たない人間は人格すら認めてもらえず、国家や企業のために生存が犠牲になるようなぐあいに、いつの間にか逆立ちしている。

この本末転倒した状態のまま、細分化されたニッチなネタやテーマを拾っては目先だけ変えて、何か創造したような幻想を続けているのだけど、広い地平があるのにニッチニッチの先細り、まあ、その先に未来は、ないでしょう。

そこに、おれの大衆食や生活料理のビジョンが成り立つ。

なーんて、そんなデカイ話はさておいて。

『大衆食堂の研究』では、「生存」という言葉をどんなふうに使っていたか、少しだけ拾ってみたら、こんなぐあいだ。

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 安楽の日本のようだが、無事に生存しつづけることはやさしくない。」
………………
 食堂でめしをくう。それはたんに安いめしをくうのではない。ただ安いだけならガストもある、スタンドの丼屋もある。コンビニの弁当だっていいかもしれない。
 じゃあ、健康栄養か。ちがう。栄養素なんてごくささいな記号にすぎない。痩身美容健康長寿ちゃんちゃらおかしい。食堂のめしってのはそんなもんじゃない。食堂のめしはもっと生存の根源にかかわるめしなのである。
 栄養や料理や食文化については、うるさいほど騒がれた。しかし、生存について語られることがどれだけあっただろうか。語られるのは、あいかわらず、歴代上流階級・欧米上流階級を崇拝模倣する、「上品」で「文化的」で「芸術的」な、見栄ライフ、快楽シーン、物知り顔なウンチク。
………………
 確かな生存、確かな日々を感覚的につかめるめしをくっていないと、むなしゅうなるノ。市場にのまれて、ワタシは溶けて流れて虚無の中。
 しかし、ちかごろ、宗教っぼいのや占いっぼいのや心理学っぼいのや文化っぼいのや芸術っぼいのや、ココロっぼいことを商売にしている連中だけが元気なのは、そういうむなしさの流行のせいなんだろうか。ようするにこころにいいことありそうなふりして、他人のこころを手玉にとる、胡散臭いやつらが、ちかごろやたら目立つ。
………………

無事に生存しつづけることの難しさは、ますます増大しているなあ。

それはともかく、当ブログで『大衆食堂の研究』と「生存」を検索していたら、2010/07/16「ジャンク、パンク、先駆。気取るな!力強くめしをくえ!『大衆食堂の研究』15周年。」が、見つかった。

ま、あいかわらずで、いまここに引用したことも引用している。

おれはコダワリだのネチネチシツコイのは好みじゃないのだが、ビジョンに関わることだから仕方ない。ビジョンは、コロコロ変えるわけにはいかないし、ますます、気取らず力強くめしを食って生きなくてはならない状況になっている。

そんな20周年なのだ。

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2015/06/29
7月11日(土)は、野暮酒場@小岩で「川の東京学」トーク。

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2015/07/02

うどんの日。

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今日7月2日は、うどんの日だそうだ。

そば・うどん業界.comによると、「毎年7月2日頃に暦の上の「半夏生(はんげしょう)」が来ますが、この日を「うどんの日」と1980年に香川県生麺事業協同組合が制定し、以来「半夏生」の日が「うどんの日」になっています。」「「半夏生(はんげしょう)」夏至から数えて11日目。毎年7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間が半夏生となります。農家においては田植え終了の目安の日です。半夏生(はんげしょう)のころは、天から毒気が降るという言い伝えがあり、井戸に蓋をしたり、酒や肉を断ったり、野菜や筍を食べるのを控えたりする風習が各地にありました。讃岐地方の農家では半夏生のころ、田植えや麦刈りが終わった労をねぎらう為に、うどんを打って食べる風習があり、それにちなみ「うどんの日」の由来となりました。」
http://www.soba-udongyoukai.com/info/2011/2011_0628_udon_nohi.html

046ようするに、讃岐原理によるものなのだ。でも、まあ、いいじゃないですか。

だけど、冒頭の写真は、蕎麦だ。これは、去る3月に発行になった、北九州市発行のフリーペーパー『雲のうえ』22号うどん特集のとき、おれが撮ったもの。もちろん、本誌のうどん特集のほうには、蕎麦の写真はない。

ようするに、北九州市では有名な蕎麦屋である「しらいし」では、ランチタイムに6人前だけカレーうどんが食べられる、その取材のときに、ついでにお店が自慢の蕎麦を食べたというわけなのだ。カレーうどんも蕎麦もうまかった。

「しらいし」のあるじは、地元のNHKカルチャースクールなどで、蕎麦の講師をしたり、自分で蕎麦を栽培したりなのだが、うどんへの愛着と洞察もなかなかのもの。

蕎麦とうどんを比べ、「うどんは、許容範囲が広く、母親のようだ、どんな食材ともあう」と言ったことは、雲のうえに引用させてもらった。あるじの母上も、きっと包容力のある人だったのだろうと偲ばれる、あるじも許容範囲の広い人柄で、「雑多な街」北九州を、こよなく愛しているようだった。

ま、うどんの日と知って、北九州うどんの旅を思い出した。

下の写真は、「めん処 たけや」の肉うどん。この肉うどんは、北九州市でも主に小倉南区の北側の地域で食べられていたもので、近年まで、市内でもそう広くは知られていなかった。いまでは、大人気。

10410人も入れば一杯の小さな店の一隅で、あるじは前夜自宅で打って一晩寝かせたうどんを、のばして切っていた。

そういえば、もう2年前になるか、おれは『dancyu』のうどん特集号で、うどん打ちをやらされたのだった。そのときのお店の取材でも、お店の方は、「うどんは蕎麦と違って、決まりごとなんかないんです、気楽な食べ物なんです」てなことを言っていたな。

うどんといえば、麺もさることながら、やはり、汁、だし、がモンダイだ。大雑把にだが、北九うどんの汁は、独特の醤油の関係もあって、全般的に「甘口」のようだ。それと比べると、関西は単なる「甘口」とは違い、やはり昆布だしの「うま味」が効いた「うま口」のような気がするし……と書いていると、また昨日のような、うま味やダシやコクの堂々巡りに陥りそうだからやめておく。

とにかく、何口だろうが、締まりのある味が、たいがい好まれるようだな。

うどんは、気楽な食べ物だし、許容範囲が広いから「ひっぱりうどん」のようなものもあって、全国各地でいろいろに食べられ愛されている。ここ埼玉も、昔からうどんをよく食べるところで、そのうどんも地域によっていろいろだし、麺状のものだけでなく、「お切り込み」や、ただ四角のばしたもの(名前を思い出せない)を煮込むものや、冷汁やだご汁の類まで、じつにさまざまでおもしろい。

うどんも人生も、雑多に楽しくやりましょう。

当ブログ関連
2015/03/26
北九州市フリーペーパー『雲のうえ』22号、特集「北九州うどん」配布中。
2013/04/25
うどん×蕎麦。違いがわかる男。
2013/03/14
『dancyu』4月号うどん特集、エンテツ「うどん食堂」本日開店!で、うどんアレコレ考。

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2015/07/01

味の素、続き。

2015/06/25「味の素。」のあと、どうも味の素が気になっている。寝ても醒めても、ってほどじゃないが、いつも頭の隅にうずくまっているようだ。

一つは、「うま味」ってやつが、イマイチわかりにくいということがある。それがまた、コクと関係することで、さらにわかりにくい。うま味もコクも、汁かけめしのコアな味覚であるとして、『ぶっかけめしの悦楽』(1999年)『汁かけめし快食學』(2004年)に書いたが、そこでも、ダシとうま味とコクの関係は、イマイチわかりにくいものとして扱っている。

伏木享著『コクと旨味の秘密』(新潮新書、2005年9月)では、「そもそも世間でいう「うまみ」と科学の世界でいう「うまみ」とでは別のものを指していることがあります」と述べ、前者は「総合的なうまさとして「おいしさ」とイコールだったりしますが、後者はグルタミン酸ナトリウムなどのアミノ酸やイノシン酸といった具体的な物質の味です」と。そして、このように書く。

「うま味は、1985年にハワイで開催されたうま味国際シンポジウムで「うま味」(英語ではUMAMI)は学術用語として正式に認められています。アミノ酸の「うま味」は「コク」の重要な成分の一つです。そして、コクは「おいしさ」や「旨さ」の重要な要素であると言えば、これらの関係がおわかりになると思います」

ふーむ、まあ、わからんではないが、イマイチすっきりしない。コクは、「おいしさ」や「旨さ」重要な要素であるとしても、うま味成分だけで決まるわけじゃないだろう、とか、いろいろ言ってみたくなる(その件については、『コクと旨味の秘密』でもふれられているが)。早いはなし、とれたて野菜のコクや旨味などは、どうだろう。

そのへんは、前回ちょっとふれた、「料理に対する考え方の変化」や「「うまさ」を、どう考えるかということに関係する」のだ。味や味覚の構造や、それが単なる生理や感覚だと思っている「思想」は、なかなか複雑で、簡単にはいかない。

とにかく、とりあえず、本山荻舟先生の『飲食事典」を取り出して見た。平凡社、1958年12月初版1刷、1985年3月初版23刷、だ。

「うま味」については、当然だろう、掲載がない。

「味の素」については、けっこう書かれてある。

一般的に知られていることは省くと、「最初は昆布を原料とし、次に小麦、さらに大豆を主用するにおよんで、大量に生産されるようになった」

このあとに注目したい。

「調味料の融合に最も効力があり、料理が出来上がってからいれても、冷たいものに入れても効く点、便利である。塩・醤油・砂糖・酢など、おのおのの味が独立しあるいは併行して、いわゆる舌になずむ場合、ツナギとして少々加えると、渾然として一味になる。しかし、量がすぎるとまた味の素自身の味が舌になずむから、必ず適量を用いること」

このあと具体例をあれこれ述べていて、悩ましい論述もあるのだが、ようするに「真の渾然一味をうる」というのが、眼目のようなのだ。これは、言葉を変えると、「コク」でもあるようだが、ここの文章からは断定できない。

さてそれで、AJINOMOTOのサイトにある、「アジパンダ」Q&Aの「Q2.「うま味調味料」とはなんですか?」に対する答えは、こうだ。
http://www.ajinomoto.co.jp/aji/ajinomoto/qanda/index.html

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料理にうま味を与える調味料です。
料理にうま味を与えると同時に、素材の持ち味を引き立て、全体の味を調和させる働きがあります。

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こういうことについて、たくさんいる料理研究家やグルメのみなさんの考えは、どうなんだろうと、気になっているわけなのだ。味の素(うま味調味料)を排撃していれば、すむ話なのか。

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