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2015/07/16

「川の東京学」メモ 「川筋」。 

またまた、まだまだ続く、工藤博海さんの『「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える』から。

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 江東六区、葛飾・墨田・荒川・江東・足立・江戸川の酒場を、地域性から捉えると、工場地帯だった歴史的背景を欠かすことができない。にもかかわらず、下町酒場ブームでは、ほぼ無視されている。……山の手=職住分離型の宅地開発 東京低地=職住近接の工業地帯化……という事実が、歴史のかなたに葬られ、踏まえられていない。

 東京低地の工場地帯は、山の手とは異なる近代化を体験したのである。東京低地の郊外開発が、ほとんどかえりみられない中で、「下町と山の手の差のなかには、近代日本の矛盾が凝縮されていた」(『荷風好日』)と述べる川本三郎氏は、数少ない例外である。
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こうして、工藤さんは、葛飾のベルエポックを語る。震災と戦争、朝鮮戦争から経済成長期を経て、住商工混在の景観が生まれるまで。この時期に、労働者の日々の暮らしの場として、大衆酒場や大衆食堂が成長する。

その後、昭和40年~50年代にかけ葛飾の転換期が到来する。つまり、大中規模工場が地方に移転し、その跡地に集合住宅ができ、「山の手」型の昼間は都心で働く新住民が流入してくる。

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 昭和50年頃まで、東京低地の酒場の常連客は工場労働者であったが、工場の転廃業と公共事業の拡大により、土木・建設関係者が地元常連客の中核を構成したのである。さらにバブル崩壊後……公共事業が大々的に削減されると、常連の中心は高齢の年金生活者となり、近年になると「下町酒場ブーム」で、インターネットで検索したよそ者が、大挙して押しよせている。
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下町の大衆酒場や大衆食堂を、「センベロ」などという言葉で表しながら、「歴史のかなたに葬られ、踏まえられていない」ことの差が、ますます激しくなる。

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 「地域社会は一義的にそこの住民のものである」という価値観がまず通用しないのは、よくも悪くも、東京の大きな特徴である。

 東京低地の居酒屋は、地域住民の「PUB=パブリックハウス」であり、高齢者にとってはライフライン、セーフティネットのひとつと言ってもよい。それなのに、よそ者が「いちげんでもカネさえ落とせば平等だ」と権利を主張してやってくる。

 いまや、下町酒場の名店を一軒でも多く知ることが、酒通(ツウ)のスノッブな「スタイル」と化している。
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そして、工藤さんは、「京成沿線から山の手の客を逆照射する」。これは、いってみれば、「川の東京学」が、東京低地から「東京」を照射しようとしているのに通底する。

2015/03/30「「語られてこなかったこと」が示すもの。『川の東京学 フィールドワーク編(1)』と『常磐線中心主義』。」でも少しふれたが、終章で開沼博さんが書いている「「語られなかったこと」が示すもの」に関わることだ。東京低地は、都内の常磐線とも重なる。

ところで、「川の東京学」という表現は、文字通り「川」が意味を持つ。最近の東京暮らしでは、「リバーサイド」「ウォーターフロント」なんていうこじゃれたファッションの消費以外で、「川筋」が話題になることは、ほとんどないし、そういうファッションは「山の手」の投影のようでもある。

だけど、おもしろい資料があって、明治40年の東京市会による「市内屎尿調査書」というものだ。当時は、屎尿は肥料として使うため、「業者」が汲取り買上げて売買されるものだったのだが、そのための適正なルール化を促す調査と見てよい。

そこでは、「川筋」と「山ノ手」という分類がある。つまり「川筋」については、「川筋の本業者は船を市内便宜の屎尿船係留場に置き自身小車或は担荷(にない)に拠り…」ようするに買い集めた屎尿は、係留した船に積み、市内で販売するか、市外需要地に送って販売する業者ということだ。

まさに東京の下半身を受け持つ「川筋」があったのだが、「山の手」と「川筋」という分類が、こういうところにも使われていた。

そういえば、かつて隅田川を上り下りする屎尿運搬の船を、身も蓋もなく「おわい船」だの「あっぱ船」とか言っていたな。おれが、その言葉と景色に接したころは、もはや屎尿は、やっかいもので、廃棄されるために船で運ばれていた。

近年は「山の手」に対して「川の手」という言い方があるけど、「東京低地」や「川筋」のほうが、ズバリな感じがする。それは、生産に直結する川筋だ。

東京では、あまり聞かないが、「川筋者」「川筋気質」という言葉があって、これは、筑豊炭田の遠賀川流域の生産と労働と暮らしに密接であり、北九州で取材したときも折尾で話を聞いた。折尾は、いまでこそ「学園都市」だが、石炭を運ぶため堀川を上下する川筋者で栄えた街だ。

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