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2015/08/29

「川の東京学」メモ 「第四下町」と「東京低地」、「葛飾探検隊」。

『東京人』9月号は、戦後70年ということで、特集は「ヤミ市を歩く」だ。ちょっと中途半端な編集だが、なんと、小岩ベニスマーケットが、これも中途半端だが、見開き2ページ載っている。

この特集については、日を改めたいが、読んでいると、ヤミ市的な文化は「東京低地」に継承されているんだなと思った。小岩などは、まさにヤミ市文化の延長にあるといえそう。

その「東京低地」だが、「下町に代わる概念が必要だと思い、使い始めたのが『東京低地』という言葉です」という、葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員、谷口榮さんが、この号の「郷土博物館から始まる街歩き②葛飾区郷土と天文の博物館」に登場する。

「郷土博物館から始まる街歩き」は、三浦展さんの連載で、今回は2回目、「街の記憶をアーカイブスする、葛飾探検隊」のタイトル。

三浦さんは、かつて「第四山の手」論で、第一山の手から第四山の手を分けたように、下町を第一下町から第四下町に分けている。それによれば、葛飾区は第四下町になる。第四下町は、関東大震災後に人口が急増した「東京の下町」で、「江戸の下町」ではない。葛飾区のほかに、足立区と江戸川区。

その葛飾が第四下町になる様子を谷口さんの話をまじえながら紹介したのち、「東京低地」という視点について述べる。

「東京低地とは武蔵野台地と下総台地の間に挟まれた低地を指す。川をさかのぼれば、埼玉、千葉、群馬にまで広がる、その広大な地域が東京低地である。江戸以前は主として利根川の流域、現在では荒川、中川、江戸川に挟まれている」

縄文海進と重なりそうだ。

「博物館では平成五年度に特別展「下町・中世再発見」を開催し、これに関連してシンポジウム「東京低地の中世を考える」(同タイトルで書籍化)を行った」

これ、すごく気になる。それに、かつての葛飾郡のうち、「江戸川、墨田、江東三区を合わせた地域は、葛西と呼ばれた」そうだけど、この葛西の地名は、支配者だった葛西氏の由来であり、葛西氏は、秩父平氏の末裔ということだ。荒川の上流は秩父だから、なにか関係がありそうだ。

「葛飾探検隊」とは、区民から募った博物館ボランティアが、街を歩いて街のさまざまな要素を記録する活動をし、平成二十一年、二十六年に「かつしか街歩きアーカイブス」という展示を行った。

いやあ、おもしろい。おもしろいのは、谷口さんというひともであり、ま、葛飾といえば立石の「宇ち多゛」テナものだが、そこのグラスや受け皿や焼物などを皿の断面図まで描いて記録しているのだ。

とにかく、この記事を読んで、特別なものでなくても、ごく普通のありふれたものでも生活や街の記憶であると見れば、なかなかおもしろいということ、またまた「川の東京学」への妄想がふくらむのだった。

これらのことは、東京の食や味覚をめぐるフォークロアや深層と、大いに関係あるにちがいないのだ。

ところで、三浦展さんの肩書だが、「社会デザイン研究者」と。

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2007/11/09
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2015/08/28

カット野菜、惣菜、無洗米。

最近、よく利用しているスーパーのカット野菜売場が、倍以上になった。といっても、90センチケースの2段だったのが全5段になったにすぎないから、売場全体から見たら、たいした比率ではない。でもこれは、かなり大きな変化だと思う。

カット野菜は、「サラダパック」というべきか、ベビーリーフを何種類か一緒にパックしたものもあって、その組み合わせは種々さまざまだ。「シーザーズサラダセット」なんてのもある。主に業務用に開発したものを一般流通にしたものが多いのかも知れない。同じ棚には、使いきり少量パックのドレッシングの類も、いろいろ並んでいる。

10年ほど前と比べて、スーパーで目立って気になる変化というと、惣菜売場の拡充と、カット野菜の進出、そして、無洗米の陳列の増加だ。

惣菜の拡充では、焼き魚の充実ぶりが新しい、それに、分類上は「一般食品」になるが、パッケージされ冷蔵流通の惣菜類がある。セブンで「金のナントカ」というシリーズのように包装されたもの。

20年前ぐらいは、まだ「近ごろの若い女は、米を「研ぐ」といわないで「洗う」という、バカか」などと、かっこうつけていたオトナたちがいた。その頃すでに、米はサッと洗う程度でよいぐらいに精米されていたのだが、料理や食事のしたくを「女の精神修行」みたいに考え、丁寧に手間をかけるのが愛情だとか思っている、とくに男のオトナたちには理解できないことだった。

それが、洗うことすら必要なくなったのだ。

惣菜は、もう日常に、しっかり根を張っている。というか、これ、江戸時代から、煮豆や佃煮のように、大都会の庶民のあいだでは根を張っていたのだ。その種類が、どんどん増えているだけ。

カット野菜と無洗米は、新しい。まだ、これから、どんどん浸透しそうだ。この10年間の変化は、これからの10年間に、どうあらわれるだろう。

わが家の場合。

まだ無洗米は、使ったことがない。だけど、よく利用する外食店では、使っている。無洗米は、業務用から普及したのだから。

カット野菜は、ほんの少しだが、利用頻度は増えている。試し利用もあるが、たぶん少量の使用ながら定着することになりそう。

惣菜は、週一ぐらいの利用か。ただし、惣菜に分類されてないが、使い方としてはインスタント食品化している刺身がある。納豆も、これに近い。豆腐を奴で食べるなら、どうだ。

惣菜に対して、不安を煽ったり、利用者を怠け者のようにいう、非難の声は大きく減退したと思うが、カット野菜や無洗米については、例によって、「危険性」を持ち出す声がある。

カット野菜についていえば、「生野菜・サラダ信仰」のようなものが根底にあるようで、これも、危険性と同じぐらい根拠が薄弱のように思われる。

レンジがあれば、キャベツだって、タマネギだって、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、たいがいのものはチンして、「温サラダ」になるのだから、あえて生野菜にこだわる必要はないように思うが、いわゆるビタミンCとかいうものを破壊したくないとかなんだろうか。それは、危険性の指摘と、おなじ思考じゃないのかな。

ともあれ、この三種は、これから10年の変化を示唆しているようで、気になるのだ。10年後なんか、生きているかどうかわからないし、日本がヨタヨタしている確率のほうが高そうだから、たいして気にしていないのだが。

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2015/08/27

「食とアートのくされ縁」。

現代美術家の新宅陸仁さんから案内が届いた。

このタイトルがいい。なんだか、おもしろそう。

これは、9月8日(火)から27日(日)のあいだ開催される、新宅陸仁さんの個展「カップヌードルの滝」のオープニング+トークイベントの、対談のタイトルなのだ。

対談は、新宅陸仁さんと花房太一さん(アートクリティック)。個展の会場でもある谷中の〈HAGISO〉で行われる。

詳しくは、新宅さんのサイトを、ご覧ください。
http://tomonishintaku.com/

この世のことは、7割方が、くされ縁やしがらみだ、だからこそ、あとの3割は科学的かつ合理的にする必要がある。といったのは、誰だったか。くされ縁やしがらみについては、アートに、おまかせしよう。

案内状には、

Are you hungry?
そんなキャッチフレーズでカップヌードルのCMが流れたのは1992年のことである。
それから23年後、世界80カ国で300億食を突破した現在、その問いかけに対する回答を示してみたいと思う。

とある。

新宅さんは、1982年広島生まれ。拙著『大衆めし 激動の戦後史:「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』を読んで、「食べるという行為はもっと社会的な行為である」という主張に大変感銘を受けた、とのことだが、同時に、「なんか後半になると急に飲み屋のおっさんの愚痴だか説教みたいになってきて、絶対おまえ酒飲みながら書いただろ、とか思った」と、直感鋭い、愉快なひとだ。

なお、クロージング+トークイベントは、9月27日で、鼎談「天然パーマとちぢれ麺 ― 自然と人工の境界を考える」 新宅陸仁さん×村山吾郎さん(美術家)×飯盛希さん。(美術批評)。これも、おもしろそう。

文筆系の食べ物の話は、時流にのりたいのか、小賢しい話が多く、チャレンジや攻めがなくてツマラナイが、アート系の人たち、とくに現代アート系は、果敢に攻めるから、おもしろいことが多い。

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2015/08/26

「生活の質」に、ボー然。

いろいろな質のなかでも、「生活の質」ほど、めんどうなものはない。そもそも、その基準や視点というのを定めにくい。そして、とかく「文学的」になりがちだ。これを、科学的に理解するなんて、できるのだろうか。

と思って、あまり考えないでいるから、「共生社会再考―人びとの「生活の質」のために」なんていう文章を読むと、えらく驚いて、しばらくボー然としてしまう。

それは、『TASC MONTHLY』8月号に載っている、三重野卓帝京大学文学部助教授の寄稿だ。

その書き出しで著者は、「わが国において、共生社会という言葉が使用されるようになったのは、1990年前後に遡ります。当時、産業社会は高度化しましたが、そのなかで人びとの人間関係が緩み、疎外感を味わう人も増えました、そのため経済成長のみならず、人びとの「生活の質」という暮らし良さについての考え方も必要になりました。その後、ひと、もの、お金、情報が地球規模で飛び交うグローバル化が本格的に進み、そういう時代状況において人びとの連帯、社会の統合の重要性に注目が集まってきました」と述べる。

おお、そうか、「生活の質」といえば、収入がいくらあって、どこに住んで、どんなもの食べて、どんなものを持って、どんな趣味や遊びをして、つまり、どんな時間やカネの使い方をしてといった、きわめて個人的なレベルのことだと思っていたが、そうではないのだな。

もちろん個人レベルのこともあって、たいがいは、そのレベルの「文学的」な話が多かったのだけど、「暮らし良さについての考え方」の基準や視点があるのだ。

著者は、著者も委員を務める、内閣府の「共生社会形成促進のための政策研究会」2005、2006の「共生社会を考える横断的視点」を紹介する。

詳しくは、こちら内閣府のホームページにも、のっている。
http://www8.cao.go.jp/souki/tomoni/19html/k-1.html

いやあ、驚いた。

しかし、一般的には、あまり議論になっていない、よく考えられていない「生活の質」について、官僚や専門家たちが集まって、どんどん先に議論し考えをまとめて、モデルがつくられてしまうって、これ、「生活の質」にとって、シアワセなことなのだろうかと思ってしまうのだが、一般的な認知や議論が足りないからこそ、こうして書かれているのだろう。

これまでの日本的な私小説的な視点による「生活の質」ではなく、もっと考えなきゃいかん。

なーんて思いながら、つぎのページをめくると、「サクセスフル・エイジングとは何か、高齢期の生き方モデル」という文章なのだ。これは、杉澤秀博桜美林大学大学院老年学研究科教授が書いている。

もうおれのような齢になって、こういうものを読んでも「手遅れ」という感じだが、老年に限らず、エイジングと「生活の質」は、大いに関係する事柄だろう。

確かに、「共生社会」という言葉が使用されるようになった1990年前後から、「成熟社会」ということもいわれるようになったのだが、生活の質やエイジング(齢のとりかた)については、20年以上過ぎても、必ずしも成熟してないし「大人」になっていない、つまりは、経済成長の時代のアタマのままが多すぎる気もする。

いま消費をリードしてきた、「いいもの」「いい生活」話なんか、そのアタマに依存したり無難に従うものであるようだ。そして、そういう楽しい正しい文化的な豊かそうな話をしているうちに、片方では、これまでのクニの枠組みは緩くなり、格差は拡大し、「統合」が危うくなるなかで、マイナンバーを推進する内閣府なんぞによって、政府主導の新たな「統合」のカタチとして、「生活の質」やエイジングのモデルができあがり、それに従うことになるのか。

ボー然とせざるを得ない。

でも、気を取り直して、考えなきゃいけないのだな。

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2015/08/24

とりとめなく「お膳」のことなんだが。

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これこそ「日本文化」であり、伝統的な日本料理つまり「和食」の様式を決定づけていると思われるが、あまり話題にならないものに「お膳」がある。この上にのってしまえば、中華料理だって、日本文化だ。と、なぜか、今回の東京オリンピックエンブレム騒動で思い出した。思いつくままにメモしておこう。

日本料理においては、膳で、カタチが整う、というか、カタチを整える。このことは、日本料理の二重構造にも関わらず、比較的共通していたのではないか。それだけに、膳の四角い、方形が、かなり意味を持ってきた。

ちゃぶだいやテーブルの普及と共に、膳は、とくに家庭から姿を消してきたし、格式ある料亭などでも姿を消しつつあるようなのだが、これが、大衆食堂には、けっこう残っているのも、おもしろい。統計的なデータはないが、定食のばあい、お膳で出てくることが多いのではないだろうか。

大衆食堂によっては、膳ではなく、「お盆」にのせて運び、食卓のうえに配置するが、この場合、カタチを整えるといっても、ずいぶんちがう。膳という、四角いワクの空間がないからだ。

東京新聞の連載では、いつも食べた食事の写真を撮る。膳にのって出てくる場合は、それをそのまま撮ると、どうしても手前にごはんとみそ汁がくるのが定型だから、おかずは奥になってしまう。だけど、おかずを中心に撮りたい。

それで、膳のうえで、その位置を動かして、見た目も収まりのよいようにしようとすると、なかなかうまくまとまらない。という事態になる。

それは膳にのせた状態でカタチがついているからだろう。盆で運ばれたときには、そういう「不自由」はない。

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では、膳で運ばれたものも、膳をとって、食卓のうえに「自由」に並べ替えて撮ればよいではないかということになるだのが、どうもそれでは、膳のときとちがうものになる。

膳の配置は、お店の方の考えによる「デザイン」であり、それなりに決まっている感じがある。なにより、お店のカタチを崩すことになりはしないかという懸念が生まれる。

それでも、センデンとしては、おかずが中心にうまそうに撮れればよいということはある。ただ、この連載は、お店のセンデンに目的があるわけではない。膳のうえのことも、一つの文化、一つの現実と見れば、あまりいじりまわすのは好ましくないようにも思う。

そんなことを考えていると、気取っているわけでもなく、何気なく続いているだけのように見える、大衆食堂の膳にも、カタチの歴史というものがあると、これは、日本料理の歴史やデザインの歴史と深い関係があるのではないかと、あらためて見直したくなるのだな。

以前にも膳と盆について書いたが、この区別は難しい。一部では、少しでも「脚」がついているのが膳という説明がある。たしかに、長い脚から、ほんのちょっとの突起ぐらいの脚がついているものがあって、これは膳だろうと思う。だけど、脚がないものも膳である例は、少なくない。伝統的な分野でも、懐石の膳は、脚がないほうが多いような記憶がある。

運ぶだけなら盆、その上に食事の様式を整えたものは膳ということになるか。

膳も盆も、古くは「折敷(おしき、おりしき)」から始まっている。そのもとは、葉を折って杯の下に敷いたことからであるというような説明が何かにあったと記憶するが、とにかく折敷は、板を四角に切っただけのものだった。のち、折った板の縁がついた。

つまり脚はなかった。脚は、その後、なにもかも格式を重んじるようになったときに、意味を持つようになったのだろう。本膳料理では、大げさな脚や縁が発達したと思われ、そういう傾向に対して、懐石がもとの折敷に近いカタチを志向したといえそうだ。

旅館やホテルでは、かつては、畳の座敷というと大小に関わらず、脚つきの膳だった。これは、一度に全部並べる本膳式にしても、人手がかかるからか、近頃は畳の間でも、食卓を並べ、器を配置することが多いようだ。

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その場合、ランチョンマットあるいはテーブルセンターとかに類似のものを敷くことがある。近頃は、使い捨ての紙を見かける。ときには、竹の簾のこともある。格式ある料亭でも、そのようなものを見た。

これは、ランチョンマットあるいはテーブルセンターとかいうものではなく、「日本文化」らしく、折敷と考えるべきか。

017その四角いものがあるだけで、折目がキチンとし、食卓の上がまとまった感じに見えるのは、膳のデザインに馴れてきたからだろうか。あるいは、膳を成り立たせてきた、日本文化に馴れているからだろうか。

折目ということでは、折敷や膳からの発展形態と見られる「折詰」がある。

自由に動く方向のまとまりではなく、折目がキチンとしたところに収まる。「型にはめる」文化がある一方で、「型にはめられる」文化もある。それで、お互い、落ち着きがよく、よい気分になる。というのは、ずいぶん単純で不自由なことだとも思う。折目に収まらない、はみだし者も生む。

大衆食堂では、客が自由におかずをとるようになっているところは、膳が出ないことが多いようだ。膳で出すところは、そのほうが上げ下げに面倒がないからだろう。そこは、一度の食事の料理の品数も多く、食事の空間もちがう、旅館やホテルとは、逆だ。

とりとめなく、いろいろなことが浮かぶが、以前に、こんなことを書いていた。

2006/01/05
悩める膳と盆とランチョンマット

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2015/08/23

東京新聞「大衆食堂ランチ」34回目、横浜・いちばん。

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おれの関心は「近代日本食のスタンダードとは何か」だと、たびたび言ってきたのだけど、東京オリンピックのエンブレム「盗作疑惑?」をめぐっての、ああでもないこうでもない話を見ていると、スタンダードな文化の欠如というのか未熟というんか、そういう社会の切なさを感じる。

「近代日本食のスタンダードとは何か」ということは、「近代日本文化のスタンダードとは何か」と大いに関係するのだな。これほど、デザインに囲まれて暮らし、デザインに一過言あるひとも少なくないのに。はあ、切ない切ない。と、夏は過ぎてゆく。

先日、横浜市の戸塚の若者と「横浜」とはどこか、という話になった。それで、いわゆる関内関外じゃないだろうか、むかしの中区、いまでは中区と南区と西区あたり。おれにとっては、やっぱり、関内より関外、野毛から、関内駅の西側、伊勢佐木町、横浜橋商店街あるあたり、大岡川沿いから高速道下の運河沿いに囲まれたあたりかなあ、ってことになったのだが、近年はめったに行くことがない。東大宮から、上野東京ラインができたとはいえ、遠いから。そもそも、老化と共に、だんだん出無精になっていることもある。

いきなり話がそれたが、昨日は第三金曜日で、東京新聞に連載の「エンテツさんの大衆食堂ランチ」の掲載日だった。今回は、横浜は南区真金町の「いちばん」だ。すでに東京新聞のサイトでご覧いただける。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyoguide/gourmet/lunch/CK2015082102000179.html

いちばんは、このあたりでは大人気の食堂で、この近所におれの知り合いが二人住んでいたのだが、どちらも、自分の家のように大変自慢していた。一人は、おれより若くして死んでしまったが。今回、キスと野菜の天ぷら定食702円を食いながら、そいつのことを思い出してしまった。以前、そいつと、15時までのサービスタイムではないときに、天ぷら盛り合わせを食べながら、酒を飲んだことがあるのだ。天ぷら盛り合わせも、すごい量だった。

いや、たしかに、自慢したくなる気持は、わかる。

酒も充実していて、昼間から飲めるし、どうみてもあまり出世に関心がなさそうなサラーリマンが、昼下がりに一人で、ネクタイゆるめてスマホをいじりながらビールを飲んでいる姿は、なかなかよいものだ。日曜日ともなると、近所の子連れの家族も、ゆっくりくつろいでいる。

月並みに「横浜の下町」なーんて言いたくなるのだが、確かに、このあたりは、川や運河の「低地」であるが、東京低地にはない「下町」の雰囲気があると思う。というと、「港町横浜」だからかと、やはり月並みに思ってしまうのだが、確かに港は関係あるだろう。

それは、「工場労働者の下町」と「港湾労働者の下町」のちがいのようなものではないかと想像してみるのだが、イマイチ具体性に欠ける。ちょっと通ったぐらいでは、なかなかわかるものではない。

とにかく、関内が選良文化の地域とすれば、いわゆる風俗ゾーンやドヤ街も含むこちらは、普通のスタンダードな文化の地域として見ると、なかなかおもしろい。スタンダートは、選良のキレイゴトと背中合わせの「汚い」ことやマイナスのイメージを引きうけながら、新しい建設的な役割を担ってきた。スタンダードには、善し悪しでは割り切れない、複雑な蓄積があって、そこに創造の可能性があるのだ。

いちばんで、そんなことを考えてみるのも、愉快だ。

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2015/08/19

見沼たんぼ福祉農園で、初めてヒグラシの撮影に成功。

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きのう書いた見沼たんぼは広大な緑地で、福祉農園があるあたりは、さいたま市浦和区になるが、浦和や大宮の街中にいると、20分ほどバスに乗るだけで、こんなに田園な景色が広がっているとは、とても思えない。

とくに、福祉農園があるあたりは、東西の幅があって、農園の中に入るとビルも住宅も視界の外だ。

今回は、大宮駅東口からバスで浦和学院高校まで行き、歩いた。歩き始めてバス通りからはずれると、すぐ見沼代用水東縁(ひがしべり)を渡る。そこから、人家はとだえ、見沼たんぼが広がる。

見沼たんぼの西側には、見沼代用水西縁や芝川が流れ、福祉農園は、その近くにある。

おれのウチがあるのは、見沼区東大宮で見沼たんぼの北端の近くだ。そばを見沼代用水西縁と芝川が流れている。これが、そこにつながっているわけだ。

だから、たぶん、自転車に乗って、見沼代用水や芝川沿いの遊歩道&サイクリングロードを行けば、30分ぐらいで、福祉農園に着くはすだが、バスと徒歩で1時間近くかかる。

それはともかく、農園の林では、頭がワーンとなるほどセミが鳴いていた。それも、2種類や3種類ではない。いろいろな泣き声だ。セミが飛び交っている。ヨタヨタ必死に飛んで落ちて来るやつもいる。

そばの木で、ヒグラシが鳴いていた。近寄っても、逃げる気配もなく、鳴いている。枝を、よく見ていくと、いたいた。うふふふふ、見つけたぞ。トンボのように透きとおった翅で、木の肌に同化しているのが特徴だ。

ヒグラシの姿を見るのは久しぶりだ。何十年ぶりだろう。こんな機会は、めったにない。

じっくりカメラをかまえ、ねらいをつけ、ズームでとらえ、引いて、手ぶれをしないように脇をかため、シャッターを切った。撮り終わっても、やつは、そのまま鳴いていた。もう生きてはいないだろう。

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2015/08/18

見沼田んぼ福祉農園のサバイバルキャンプをのぞく。

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8月10日から16日まで、農園でサバイバルキャンプというものを実施します。2002年からやっており、今年で13年目です。例年元気な体育会系の合宿でしたが、今年は暗い男子たち(主に大学生)が本当におれたちはこの時代をサバイバルできるのだろうかと思いつつ合宿する、これまでからすると未知の一週間になります。……

こんな内容の誘いがイノセさんからあった。あまり明るくない時代を生きる暗い男子学生たちとは、どーいうものなのか、大いに興味津々、15日の土曜日に農園へ行った。

農園とは、さいたま市浦和区の見沼田んぼにある、見沼田んぼ福祉農園のことだ。ここを初めて訪ねたのは2013年11月25日のことで、2013/11/30「見沼田んぼ福祉農園を訪ねた。すごい充実した一日だった。」に書いた。その後、イノセさんとはトークをやったり、北浦和の祭りであったりしているが、農園は、それ以来だ。

13時20分ごろ大宮駅東口から浦和学院高校行きのバスに乗った。20分ほどで終点。日差しが厳しいなか、10数分歩く。見わたすかぎり畑が広がる見沼田んぼ、どこに農園があるかわからない、テキトウに畑のなかの道を行くと、うまいぐあいに到着。

みなさんは、ちょうど休憩をとっていたらしい。イノセさん、それに、もしかしたら会えるかなと思っていたイシイさんがいた。お2人は、大学の教員だが、ほかに7名ほどの男子と女子が1名。

暗いどよよ~んとした空気を想像しつつ期待していたおれだが、いまどきの普通の若者という感じ。もっとも、「いまどきの普通の若者」といっても、いろいろだが、ようするに、わりとちゃんと挨拶をし、礼儀正しい。2人の教員のほうが、ばかに元気がよく、闊達で、見るからに野人のようだから、学生たちがおとなしく見える、ともいえそう。ま、第一印象は、そんなところだった。
 
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お互い紹介がすむと、すぐにみなさんは、それぞれの作業についた。里芋の畑の土盛りと、水路と通路の復旧整備の片付けや草刈り。おれはとくに役割もなく、老人だからねと作業をやる気もなく、農園のなかをふらふら。

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夕方になるにしたがい、参加者が増える。女子も増える。そうそう、イノセ夫人と、この春に会ったときは、まだ歩けなかった娘さんは元気に歩きまわり、初日から毎日通いで参加しているから、もう虫や蚊も気にしない。このキャンプは「変身」がテーマだったのだが、この1歳の娘さんが一番たくましく変身したのかも知れない。

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キャンプのリーダーは、イノセさんの大学の学生で、バンドのリーダーもしていて、その仲間も参加していたから、ドラムもセットして、この夜だけの「だんごむし」バンドが誕生、キャンプ最終夜の宴は大いに盛り上がった。

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(用ができたので、ここまで。つづく)つづきを書く。16時過ぎに作業は撤収、キャンプファイアーの準備にかかる。どんどん人も増え、みなテキパキ動く。竈の火を焚き湯を沸かし、ドラムがセットされ、ドラム缶を縦に半分に切ったバーベーキュー用のコンロが設営され、自家発電の電灯の設置などとやっているうちに強い雨が降り出した。どうにもならない激しい降り方。1時間近く降り続いたか。

雨があがり、バンドの練習が始まる一方で、バーベキューの準備もすすむ。野菜のカットなど、けっこう手際がよいと思ったら、飲食店のアルバイト経験者だったり。30半ば過ぎの教員2人をのぞけば、20代ばかりのなかで年配者になるTさんが16歳の息子さんを連れ、3キロの鶏のから揚げを作る。この息子さん、あとで話してわかったが、この日、ドイツ一週間1人旅から帰ったばかり。「ドイツ語はほとんどわからなかったけど、子供のふりしていたら親切にしてもらえて問題なかった」と。Tさんは、「これで子育ては卒業です」

火床に雨水がたまってファイアーなしのキャンプファアーが始まったのは19時過ぎ。キャンプリーダーのUさんの挨拶で、この合宿のテーマが「変身」だったと知る。最初から泊りこみで参加のほかのに、3日目から郡上盆踊りへ行き踊りつづけて、この日もどってきた人など、いろいろな参加があったらしい。

つぎつぎに参加者が感想を述べる。就職活動中で内定をもらって参加の学生もいれば、もう学生はやめて自分の好きな道へ行くことにしたものもいる。さほど深刻でもなく暗くもなく、めんどうな人生論があるわけじゃなく、わりと淡々と自分を批評したり、ほかの人を批評したり。そして、みな向かっているのは、これから、という感じだった。

考えてみたら、おれは彼ら20歳ぐらいの年齢から50年は生きてきたわけで、あまり「これから」はない。しかし、このように1週間の合宿など、おれは高校3年間の山岳部の夏合宿以外なかったし、彼らにとっても、もうめったにないことだろうと思いながら話を聞く。

どうやら、リーダーのYさんが一番「変身」したようだ。自分で企画書をつくるところからやったのだし、「一体感」や「仲間意識」の醸成など関係ない合宿とはいえ、リーダーはそれなりに自覚がちがうこともあるだろう。

ライブタイムになり、バンドの演奏は、「戦争を知らない子供たち」で始まった。そしてまた、スピーチが入る。女子3人のうちの1人は、この春卒業して就職したばかり、ほかの2人は就職して1年か2年か、とにかく結婚したばかりで、2人ともうれしそうに結婚の報告をしていた。と、記憶している。

この福祉農園は、イノセさんのキャラもあってだろう、いろいろな人たちが混ざり合って、おもしろい。いい加減で適当で、だから、いい加減で適当なおれも参加しやすいのだが、それは、世間的にはそうであるけど、「福祉」からすれば、これがアタリマエなのではないか。

けっきょく、「サバイバル」の課題は、いわゆる「障害者」を「障害」扱いしてはじきだしてしまうような、キッチリとした仕事や洗練を向上とする一本調子の世間とどう向き合うか、そこをどう生き抜くかということになるか、それとも…なーんて考えながら、酔いは深まった。

帰り、前回同様、東大宮の実家へ帰るイシイさんのクルマに乗せてもらい、24時過ぎの帰宅になった。福島で農業の調査研究をしているイシイさんが、キャンプファイアーで話したことや、クルマのなかで語ったことは、しっかり頭に残っている。

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2015/08/17

ますます浮世離れ、秩父の山奥で、飲み過ごす。

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先週の11日火曜日から13日木曜日まで、毎夏恒例、秩父の山奥へ行って来た。「お盆休み」というには、13日に帰って来てしまうし、仏様を拝むこともせず、ひたすらビールを飲んでいるだけなのだが。

行くたびに、「終末」に近づいている山間の様子や年寄りの話を聞いていると、都会と地続きには思えない、異次元の世界だ。

近年は、人間どもより動物たちとの生存競争が激しく、知恵比べをやりながら、生産し収穫し生き抜いている状態が続いているようだ。

イノシシやクマは駆除効果があったのか、それともほかに理由があるのか減少し、シカが増えているそうだ。シカは、たえず家のまわりまでウロウロし、ついこのあいだは激しい雷に怯え、母屋の隣の小屋に逃げ込んできたとか。とはいえ、カワイイやつらではない。畑のものだけではなく、人間の食料でもある、野生の草や実も食べる。

おだやかな風景の山間で、見た目ではわからない、人間と動物たちが奪い合いながら、厳しい生存をしている。

隣接の県の集落では10戸あったところが、この10年間に2戸になってしまったとか、聞く話は「終末」というより「末世」という感じが多いのだが、なぜか笑うしかない滑稽とも思える営みが続いているのだ。都会のクソマジメなど、じつにバカバカしく思えてくる。

都会では、「人口減」なるものが諸悪の根源のように悲観的に語られることが多いが、それはチョイとちがうんではないかなと思ったり、ふだん「東京圏」にいるときとはちがう見方が、いろいろ浮かんでくる。なかなか刺激的だ。

帰って、しばらくは、いまもだが、この世ではないところで新たな見方を得た気分で、ツイッターなど、あまりにもギャップが激しすぎて、見るのも疎ましい。よくまあ、あんなもので、クソマジメに情報収集だの拡散だのとやっているものだ、まさにバーチャルだなあ、と思ったり。

最近は、年寄りはクルマを運転しなくなって、おれも年寄りで免許はないし、誰もクルマを運転できないから、町までクルマで30分ほどかかる買物は、ままならない。どういうことになるのだろうなあと思っていたが、それなりに「活路」はあるものだということがわかった。

けっきょく、人間にとっては、医療が最大の問題として残りそうだ。医療の保障さえあれば、誰でもどこでも、それなりに自立的に生きられる可能性はあるだろう。

とにかく、よく飲んで、よく食べた。今回は、「つつっこ」を、葉をとるところから煮あげるまで全工程を実習したので、とりあえず「伝承」はされたといえるか。

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例年に比べ、雷雨が続いたあとだったので、家の前の川の水量は豊富で、堰堤の滝の音が鳴り響いていた。滝の上のクルミの木が実をつけていた、もう秋だ、今年は、あと4カ月ほどしかない。

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13日に帰り、15日の土曜日は午後から、イノセさんから誘いがあった、見沼田んぼ福祉農園の合宿に参加した。大学生たちと、刺激的で楽しいひととき。福島で調査研究中のイシイさんとも1年半ぶりぐらいの再会。いい話を聞けた。その件はまた。

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2015/08/08

「川の東京学」メモ モツと石鹸。

話題が生まれ消費されるスピードも量もすごいものがある。とくにツイッターなどのSNSが普及してからは、話題は一気に拡散し、まったく相手にされないか、むしゃぶりつくされるかして、捨てられ、忘れられる。井戸端会議の超早回し。

酒さえあればよい、テレビもないしハヤリなどにあまり興味がないおれは、その激流を、ボンヤリ眺めたり眺めなかったりしながら、フト気になることがあって、昔の『散歩の達人』なんぞを見るのは、超早回しの巻き戻し作業。

ついこのあいだ、寄ってたかってバカ騒ぎがあった、レバ生食のことだ。

『散歩の達人』2001年4月号は、まったく偶然なことに、第一特集が「浅草・隅田川」であり、第二特集が「昭和的酔いどれ船「大衆酒場」考」なのだが、おれは第一特集で「浅草天丼怪食術」なる奇怪なものを書き、おかげでこの号が手元にあるというわけなのだが。

浅草から隅田川の向こう側に墨田区がある。墨田区というと石鹸メーカーが多いことは知られていると思うが、読者投稿欄に「墨田区は石鹸工場の町なのです」という投稿がある。そこで投稿者は、こんなことを書いているのだ。

「元々は一つの工場で修行していた弟子たちが、暖簾分けされて、各地で事業を立ち上げたので、日本で作られている石鹸のほとんどが会社同士、協会の連結でつながっています。/実は母の勤めていた町工場も、諸事情で閉鎖した時、取引先に常時卸していた仕事を協会の会社同士で振り分けたほど、その師弟関係は今も強いものです」

じつに、職住近接の東京低地のローカルな共同体の姿が簡潔に描かれている。

墨田区に石鹸メーカーが多いワケは、この投書にも書かれてある。「明治政府が、将来は洋装になり、革の需要が増えると見込んで、革のなめし産業を墨田区の荒川の辺りに集中させて、副産物の油脂から様々な油脂産業も発展しました。/その一つとして石鹸も作られるようになったのですが」

革のなめし産業は屠場と密接な関係があり、いまは墨田区の向島地域になってしまった、かつての南葛飾郡寺島地域には、屠場があった。押上小学校のサイトには「旧道・たから通りの屠殺場通りあたり」といった文言があるのだが、この屠場から、肉・枝肉は食肉として流通し、皮や油脂などは、それぞれの用途にしたがったが、内臓は傷みやすいこともあって屠場の周辺で消費された。

については、どのように内臓が出回ったか、都内の屠場が1936年に芝浦に一本化されてからも、いろいろな流れがあったようだが、それはともかく、墨田区のモツ酒場をめぐるフォークロアは、この地域の石鹸やいろいろなことにつながっている。

生レバ食の背景にある、職住近接の東京低地の共同体の文脈には深いものがあり、何かを語りかけているようだ。

以前もふれた、工藤博海さんは、「「下町酒場ブーム」の盲点:葛飾の風景の変遷から考える」に、「30年前の京成沿線の酒場には、ホワイトカラーの立ち入りを許さない雰囲気があった」と書いている。その「濃密で排他的な共同体意識」を批判する人たちもいるのだが、先の投書を読むと、濃密であって当然だと思う。

カネさえ出せば誰でも受け入れる、フラットでノッペラボウの消費空間で「個性的な自己愛」に固執するより、はるかに健全な文化が、そこにはあるように思う。

ところで、『散歩の達人』の第二特集「昭和的酔いどれ船「大衆酒場」考」には、「日本で初めてレバ刺しを出した店」として知られる、東向島の丸好酒場が載っていて、おかみさんが「レバーなんか肉のおまけで付いてきたんですよ。店を始めた昭和20年代は、みんな気味悪がって1日1食も出ない時もあったわね」と言っている。

当ブログ関連
2015/08/02
「川の東京学」メモ 大衆食堂から見たなくなったもの。
2015/06/15
「モツ煮狂い」と「川の東京学」。
2015/06/11
豚レバ刺し問題、もう一度。
2015/05/30
豚レバ刺し問題。

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2015/08/05

もっと野暮に、もっとラクチンに。

ときどき、「丁寧な暮らし」やら「丁寧な仕事」やら「選良主義」をちゃかしたりしてきたが、ほんと、もう考え直した方がよいと思うことがたびたびある。

この2、3日にネットで見かけた二つのことも、一見ちがう話だけど、同じ根の問題だと思う。

一つは、この投稿。
「なんでフランスのごはん作りはラクで、日本のごはん作りは面倒だと感じるんじゃろ」
2015.08.03 Monday 05:30
http://izoomi-momo.jugem.jp/?eid=1243670

「暮らしの旅あるき 暮らすように旅をして、旅するように暮らす~コラムニストももせいづみのつづれ書き~」というブログなのだが、こんなことが書いてあった。もちろん細部については、疑問符もあるけど、大事な指摘があると思う。


いや、とにかくこっちのごはんづくりラクです。
ほんとーよ。ほんとなのよ。
ラクで楽でもう、日本でごはんなんか作りたくないって思うぐらい。

こっちに住んでもう長い今日会ったお友達は、いられるまでこっちにいたいって。

「日本が一番おいしいなんてうそ。食材はこっちのほうが断然おいしくて安いし、何より外食が日本はおかしなことになっていると思うの。290円で食べられる牛丼とか、700円で食べられるちらし寿司とか、それね、もう農業や漁業をしてくれている人へのリスペクトが感じられないの。こっちは外食は高いけれど、それは食材を作ってくれた人、料理をしている人へのリスペクトでもあるのよ」って。

あれ、こんなこと思ってるのは私だけで、みんなはそうでもないのかな。日本でごはん作ってるかあちゃんたちは、さほど苦ではないのかな。
だからクックパッドとか大流行りなのかな。暮しの手帖の編集長さんがクックパッドに移って、また「キホン」とか言い出して高度化して「ていねいな暮らし」になっていくのかな。


もう一つは、五十嵐泰正さんのツイート。

7~8年前には「原案の労働開国路線で劣悪な国内労働条件の温存に繋がると結局外国人労働者のためにもならない」みたいなことを話してたが、今はもう「労働規制強化等で国内労働条件を改善しないと外国人は呼べず産業そのものが破綻する」業界が増えた、と、とある研究会に出て痛感したと……このように続ける。

五十嵐泰正
‏@yas_igarashi

とにかくこの20年のデフレ&超低成長、非正規化&賃金現象に昨今の円安を加えて、日本は全てがえらくやっすい国になってる。その前提なくマクロには旧態依然たる経済大国意識で制度設計・戦略立案したり、ミクロには「頑張り」「おもてなし」を深掘りするのはホントやばいよね。

8:04 - 2015年8月5日
https://twitter.com/yas_igarashi/status/628703046936035328

五十嵐泰正
‏@yas_igarashi

物流・ヘルスケアなど、労働条件劣悪で外国人含む人が集まらずに破綻するかもな業界は、ほぼすべてラストワンマイルの「国外移転不可能な業種」、言い換えれば「破綻されたら国民=生活者が困る」業種ばかりなので、消費者が要求水準下げることも含めて何とかサステナブルにしなきゃあかんよ…マジで…

8:12 - 2015年8月5日
https://twitter.com/yas_igarashi/status/628705198626635777


「丁寧」や「選良」が重荷になっているし、無理がきているのではないか。と、おれは思っている。

「丁寧」や「選良」は、否定しようのない普遍的な価値と思っているひともいるようだけど、そんなことはないんだよな。精神主義でなければ、割と相対的なことだというのが実態だろう。

それは、暮らしも仕事も、カネと時間それにニンゲンが関係していることを考えれば、すぐわかりそうなものだと思うのだが、それがそうでもないのは、高度経済成長期からバブル期にかけて、暮らしや仕事やサービスに対し、限りなく高度な質を求める考え方が、一本調子で育ち、経済状況が大きく変わっても、そのまま惰性的に続いているからじゃないかという気がしている。

「高品位」「本物志向」「ワンランク上の生活」「無欠点運動」……そんな類の言葉がたくさん踊った、あの時代の品質についての考え方が、そのまま続いているかのような。

しかし、そのバブル期に、すでに「アンビテンデンツ」ということが指摘されていた。それは当時の日本を覆っていた「自らは本当に望まない生き方を、洗練し、効率よく人々に提供する矛盾した感情傾向」のことで、野田正彰さんは「これをエネルギーとして動く社会をつくり上げてきた私たちは、今これに頼らない別の生き方」を考えてみようと提案していた。

だけど、バブル崩壊後のデフレ下の厳しい経済状態のなかで、競争に勝ち抜くためにと、お互いに無理なことを求めあいながら続けてきた。

そして、硬直化した価値観のもと、少しのキズもゆるさないような、不機嫌が広がる。「クレームモンスター」だの「ブラック企業」だの、長時間労働低賃金の恒常化など。「丁寧」だの「選良」が「深堀され」もてはやされる一方で、労働の負担は増えるばかり。人格もなにもあったもんじゃない。

そこまでして、その品質が欲しいのか、必要なのか。それって、自己愛や自己陶酔のためじゃないのか。と、言ってみたくなる。

それに、もう、そういうことはやめよう、なにか「洗練」といった一本調子のことではなく、もっと多様な生活や仕事の「質」の在り方を考えてみよう、野暮でもいい、ラクチンにやってみよう、そのほうが新たな活力と経済成長への道だ、なーんて、なかなか言い出せない状況。そんなことを言うと、低レベルで意識の低い、手抜きな生活や仕事を肯定する者として、丁寧さんや選良さんたちに見下され否定されそうな雰囲気。ほんと、サスティナブルどころか、どん詰まり感のほうが強い。

これは、ヤバイと思うけど、こんなこと書いても、どうにもならないんだよな、と思いながら、気になるから書いてしまった。

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2015/08/04

数字は正直だ。

長いことやっていたマーケティング屋の仕事は、毎日が数値だった。自分が仕事で関わるクライアントの業界の、さまざまな経営やマーケティングの指標、大手各社の証券報告書、市況の動きなどは、いつも頭の中にあった。家計調査やNHKの生活時間調査などの基礎数字も記憶していた。街を歩くと、交差点で交通流量や気になる店の客単価や売上を計算してみたり。住宅街では路線価と建物と駐車場のクルマから、年収や可処分所得を推測してみたり。そんなことがクセになっていた。

調査もいろいろだが、街の商売人相手のヒアリングなどの場合は、初対面でいきなり核心的な数字の話ができるかどうかで、相手の対応はちがってきた。

いまでも、スーパーへ行けば売場やレジに並ぶ客の買物かごを見て、ツイ、客単価をはじいたりしてしまう。

数字は、文章のようにウソをつかない。虚飾や虚勢を盛り込むことはできない。文章の表現に、1ミリや1円の正確さなどは、ありえない。なのに寸分まちがいなく正しいようなふりをする。

ようするに文章はキレイゴトで成り立っているのであって、どんなに厳しい表現をしても、しょせんは、論理と言葉の選び方や、ときには「熱」や「想い」の入れようなどで、とりつくろっている。ま、そこが「芸」でもあり、高度な芸は、格調高く「文芸」とよばれたりすることもある。

だけど、数字は正直だ。1ミリの狂いや1円のまちがいは、そのままあらわれる。ときには、それで破たんすることもある。仮に意図的なカイザンがあっても、いくつかの数字を関連付けていけば、それはあきらになるし、そこにカイザン者の意図を読み取ることができる。数値を読み取ることを重ねていると、数字など関係ない「いい文章」「いい本」のヨタ話も、じつに楽しいヨタとして読める。

短い数値の中に、たくさんのことが含まれていることが多い。それを読むのは、おもしろい。

ってことで、『リビングさいたま』というフリーペーパーに毎号載っている「家計簿拝見」は、ただで愛読できる「家庭物語」「家族物語」のようなものだ。

そして、じつに厳しい物語だなあと思うこともある。最新号のものは、比較的ゆとりある家計で、それでもいまや40代から老後の不安があるもので、老後のための蓄えが焦点だったが、それも大きなジケンでもないかぎり順調に推移するだろう、成長盛りの子供が2人いて、いまどきの落ち着いた平和な家庭という感じだったが、その前は、見出しからして「年収がダウンし、貯蓄ができません どうしたらいいかアドバイスを」という切ないものだった。

神奈川県・Kさん(35歳)【夫33歳・長女1歳】の収支内訳。

【月間収入(手取り)】
夫…………230,000
妻…………100,000
【月間支出】
住宅費  110,000
食費    50,000
水道・光熱費20,000
通信費   20,000
小遣い   30,000
交際費   10,000
子ども費  40,000

【ボーナス収入】
夫…………400,000
【ボーナス支出】
レジャー費100,000
住宅関連 300,000

【資産の内訳】
貯蓄…2,000,000

ボーナスで住宅関連支出があるから、たぶん住宅ローンを組んでの持ち家で、結婚するとき、将来を夢見て買ったのだろうけど、収入ダウンで、これはキビシイと想像できる。

近頃は、住宅ローンの金利が限りなくゼロに近く、いわゆる「アベノミクス」の政策の煽りや押しもあって、住宅ローン利用層の年齢は、どんどん下がり、無理があるなあ、大丈夫かいな、ということが少なくないようだが、この家庭にも、そんな雲行きがうかがえる。

アドバイザーのファイナンシャルプランナーからは、通信費、交際費、小遣い、レジャー費などの要検討が指摘されている。つまり、すると、いわゆる消費の楽しみは大幅カットになる。外での飲食もちろん、本一冊もままならない、娯楽だの文化だの教養だのどころでなくなってしまう。

残るは、日々の食事の楽しみか。ありふれたものでおいしく楽しくということになるだろう。

アドバイザーは、家計に関することだけだから、消費に頼らない生活の楽しみ方や希望の持ち方については、ふれてない。だけど、たぶん、そこが問われることになるのだと思う。

なんとなく、イケイケできた感じがしないでもない、妻35歳、夫33歳、長女1歳の家庭には、どんな生活、どんな日常があるのだろう。これから、どう切り抜けていくのか。人生観、生活観、家族観、労働観……、いろいろなことが数字に押されるように変わるかもしれない。それは、割とあることなのだ。

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2015/08/02

「川の東京学」メモ 大衆食堂から見たなくなったもの。

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暑くてウダウダしているうちに8月になった。なにかしら少しずつ進展はしているのだが、ま、夏はウダウダにかぎると、あまりアクセルをふみこむことなく過ぎている。

去る7月31日は、『大衆食堂の研究』の発行から20年だった。そのことについては何も感慨もなく考えることもなかったが、「川の東京学」と「大衆食堂の研究」の関係は、あれこれ考えることが多い。

2012年11月に発行の『雲遊天下』は特集が「なくなったもの」で、おれは「大衆食堂から見るなくなったもの」というタイトルで寄稿している。

そのときは、そのタイトルをいただいて、思いつくままに書いたのだが、とくに「川の東京学」を始めてから、トークの相棒の有馬さんに言われて読み返してみたら、けっこう大事なことを書いていた。

なくなったものは二つあって、一つは「義理」、それから「義理と同様に話題にすらならないものが、もう一つある」と、「労働や労働者との共感」をあげている。

冒頭、「近年、大衆食堂のイメージというと、「昭和」「人情」「貧乏」「家庭の味」「おふくろの味」「手づくりの味」などだろうか。それらが、なくなったものとして、懐かしがられ、話題になってきた」と書いている。こういうものをひっくるめて、おれのことを「昭和礼賛、昔はよかった論者」のように見る向きもあるし、また、そういう期待でおれの本を読むと裏切られるという、おもしろいことが続いていたのが、この20年だったともいえる。

とにかく、「下町人情食堂」といったアンバイに、とくに大衆食堂をめぐっては「下町」と「人情」が消費されてきたのだけど、元来、人情と一対の関係で、「ときには現実と理想のように厳しい相克の関係にあるはず」の義理が、みごとなほど無視されてきた。

大衆食堂の家族や常連たちが義理でやっていることまで、人情とカンチガイされ消費の対象になっていることも少なくなかった。そのあたりには、この間の、いわゆる「東京」目線の消費特性がよくあらわれていると思う。

しかし、大衆食堂は「義理の網の目の中にあるようなまち」に存在していたのだ。そして、義理のほうは、関心ない見たくないという消費が増えてきたのも事実だった。

それと同時に、労働や労働者との共感の場も、失われてきた。それがよく残っていた大衆食堂すら、飲食サービスに対するジャッジや批評を消費する市場に侵されてきた。

『雲遊天下』では、長いこと千住の住民である会社員が、ため息混じりに言ったことを紹介している。「最近は、労働者はどこにいるんでしょうかねえ、ウチの近所の大衆酒場は趣味人や高等遊民みたいなのが増えて、労働者はどこへ行ったんでしょうかねえ」

津村記久子さんは、『二度寝とは、遠くにありて想うもの』の「働いて食べて活きる」で、「食べるため」「活きるため」と働くことにふれて、こう書いている。

「「食べるため」から少しずつ距離を置くごとに、労働観は洗練され、複雑になってゆく」

「食べるため」と「活きるため」は対極の労働観のようであるけど。

「しかしただ、「働いた」という実感の後にやってくる解放感や充実の喜びは、どちらも同じなのではないかと思った」

「「食べるため」から少しずつ距離を置くごとに、労働観は洗練され、複雑になってゆく」については、複雑になってゆくのは確かだけど、「洗練」されているかどうかは疑わしいと、おれは思うが、大衆食堂は、そういう解放感や充実の喜びを「味覚」とした空間であり、さまざまな労働観の人たちが、その一点で混ざり合って食事をし、そこに労働や労働者との共感があった。

「明日も働いていけますように、と切に願う」(上記、津村さん)生活の場であり、趣味や娯楽としての消費とはちがうものだった。

「義理と人情」も、労働や労働者との共感も、下町のような職住近接の地域にあっては、共同の核となるものだった。

下町は新住民の流入も含め「東京の侵略」に飲み込まれ変貌しているいま、かつてのような共同や共感を「復元」することは難しい。それに「義理と人情」の背景はいいことばかりじゃないし、その「復元」は歴史の流れに逆らう「復古主義」のようなことにもなりかねないから、考えないほうがよいだろう。

しかし、「働いて食べて活きる」うえで、生活に根付いた共同と共感は不可欠であることも確かだ。

てなわけで、「川の東京」になにがあったのかを掘り起こしながら、新たな共同と共感の関係を模索していくのが、「川の東京学」であり、そこに「大衆食堂の研究」は続くのだ。

そういえば、7月25日は、いつも「川の東京学」トークをやる、野暮酒場@小岩へ行ったのだが、あそこではジワジワ新たな共同と共感の関係が生まれている感じだった。

当ブログ関連
2015/07/16
「川の東京学」メモ 「川筋」。 

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